前田の算数
前 田 の 算 数 実 践 事 例 | |||||||||||
3年「わり算」 | |||||||||||
− 6÷2を図で表そう − | |||||||||||
1、はじめに −等分除と包含除− わり算には、等分除と包含除の2つの意味がある。 「等分除」とは、例えば、6個のあめを2人で分けて、1人分を求めるような場面である。 図で表すと、下図のようになる。 「包含除」とは、例えば、6個のあめを2個ずつ分けた時の人数を求めるような場面である。 図で表すと下図のようになる。 本実践では、「等分除」と「包含除」を一通り学習した後で、その意味の理解を深めるために、「6÷2を図で表す」という活動を行った。6÷2を図で表すと、等分除と包含除の2種類の図ができあがる。その意味の違いを考えていく授業である。 |
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2 授業の実際 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (1)6÷2を図で表そう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「あめが6個あります」 そう言ってから、
普段は、「問題文を読み、図をかいて考え、立式する」という活動がほとんどである。 子供たちは、「式から図をかく」という新鮮な活動に夢中になって取り組みだした。 しばらく時間が経ったところで、
書き終わった子から順に、教室をまわり始めるのだが、そのうちに、おもしろい現象が起こる。あちこちでざわめきが起こり始めるのである。それは、自分がかいたのとは異なる図に出会うからである。 自分と異なる図と出会った子供たちは、 「あれ、その図はおかしいよ。だって…」 と、自分の思いをしゃべらずにはいられなくなる。 また、 「どうして、そんな図をかいたの?」 と、友達の考えを聞かずにいられなくなる。 こうして、子供たちの中に、「しゃべりたい」「聞きたい」という思いが高まったところで、子供たちを席につかせ、話し合いを始めた。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (2)どっちが正しいの? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2種類の図を提示し、
大半の子は@のような図をかいている。 Aの図を理解できずに、
それに対してAの図をかいた子たちは、
こうして話し合いが続いたのだが、両者とも、どうも腑に落ちない様子である。 @もAも言ってることは分かるんだけど、だったら一体どっちが正しいのか、それがはっきりしなくてもやもやしているのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (3)両方とも正しい!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そのうちに、
その発言をきっかけに、子供たちは、
最初は、自分の考えに満足していた子供たちが、異なる考えと出会うことで、わり算の意味の理解を深めていったのである。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (4)6÷2なのに、あめが8個…? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここで授業を終えてもよいのだが、 実はこの授業にはもう1つ、子供たちの心を揺さぶる仕掛けを用意しておいた。 「ところで、先生のかいた図は、@ともAとも違うんだけど…」 そう言って、下のような図を提示した。
この図を見て、子供たちは、ざわついた。 「変だ」「変だ」というのである。 ここで、どうして変だと思うのかを、十分に出させることが、問題解決への手立てとなる。
そして、変だと思ったことについて、みんなの知恵をしぼって解決していくことにした。 「あめが8個あるのは、おかしい」という疑問は、 「8じゃなくて、6と2に分けて見たらいい。6と2は6÷2に出てくる数字だよ。」 という意見に、みんな納得した。 しかし、たろうが6個、花子が2個というのは、分かるけど、一体、それがどうしてわり算になるのかという疑問が残る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (4)何倍かを求めるわり算だ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そのうち、1人の男の子が
この考えは、これまで「わり算は分ける時に使う」と学習してきた子供たちにとって、高いハードルである。何人かの子供たちは「なるほど」と納得したのだが、ほどんどの子供たちは、なかなか納得できない。 そこで、納得した子供たちが、納得できない子供たちに、あの手この手で説明をすることとなった。 ある子は、かけ算を使って説明した。
最初は納得できなかった子供たちも、これらの説明を聞いて、何倍かを求める時もわり算を使うことについて、理解していった。 ここでは、納得した子供たちが、納得できない子供たちに、あの手この手で説明をするという授業の展開になった。「分かること」と「説明できること」は別である。分かったことを誰かに説明することで、自分のひらめきを論理的に見直すことになり、理解が深まっていくのである。ここでの活動は納得した子、納得できなかった子、双方にとってプラスとなるものになった。 さて、何倍かを求める時もわり算を使うことは、納得できた。 しかし、まだ解決していないのが、 「わり算なのに、同じ数ずつ分けてない」という疑問である。 これについては、なかなか説明が難しそうだった。 そこで、あめを2つずつ近づけてやり、その上に花子の顔を貼ってみせた。 子供たちは、「たろうのあめの中に、花子のあめが3人分あるよ。」とつぶやいた。 たろうのあめが花子のあめの何倍かを求めるということは、たろうのあめが、花子の何人分かを求めることと同じである。何倍かを求めるわり算も、包含除の一部なのである。 |
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3 おわりに 教室には、1人でする学習と違い、みんなで学習するからこその楽しさがある。 それは、自分と異なる考えに出会うことである。 そして、自分の見方や考え方が広がり、深まることである。 そこに、教室で学ぶ意義があると、私は思う。 |
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