前田の算数

前 田 の 算 数  実 践 事 例
指導案(PDF)
3年「あまりのあるわり算」

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矛盾ドラマを生み出す◆
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 3年生では、1学期に「わりきれるわり算」を学習し、2学期に「あまりのあるわり算」を学習する。しかし、ここで考えてみたい。わりきれない場合は、あまりを出す…、本当にそうであろうか。いや、そうとは限らない。もっと細かくわり進めるという方法だってあるはずである。
 例えば、14個のまんじゅうを4人で分ける場合を考えてみる。1人分は3個で2個あまらせるという方法もあれば、あまったまんじゅうを半分に切って1人分を3個半にする方法だってあるのである。
 何も正解は1つとは限らない。多様な解決方法があり、そこにその子らしさが表れるのである。そして、多様な解決方法を比べることで、あまりを出す意味について考えることができるのである。

           

 計算の学習においては、‘計算技能の習熟をねらいとし、そこに至るまでの話し合いはねらいに到達するための過程にすぎない’と考えられがちである。しかし、自分と異なる考えと出会い、より算数的に価値の高いものを求めて考えが変容していく姿そのものを、ねらいに定めてもよいのではないだろうか。
 本実践では、あまらせるべき場合とあまらせてはいけない場合とを比べることによって、あまりについての理解が深まっていく学習を展開する。

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(1)14個でもわり算できるかな?
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 「今日の問題は、これを使います。」そう言って、子供たちにまんじゅの箱を見せる。そして、ゆっくりと問題を板書する。


 まんじゅうを分けます。
 4人で同じだけ…


と、ここまで書いたところで、子供たちから、「分かった、わり算だ」とう声があがった。そんな子供たちの様子を見ながら、黙って板書を続ける。


 まんじゅうを分けます。
 4人で同じだけ分けます。
 1人分は、どれだけになりますか。



子供たちは、ここで、あれっと
いう顔になる。「先生、それじゃあ、解けないよ」と言うのである。


教師: じゃあ、何が分かれば解けるのかな。

子供: まんじゅうの数。

教師: では、まんじゅうの数が、何個だったら、問題が解けますか。

子供: 12個や16個や8個や20個…。

子供: つまり、4の段の数。


 まんじゅうの数が4の段なら、以前に学習した「あまりのないわり算」使って解くことができるのである。
「みんな、まんじゅうの数が4の段なら解けるんだね…」そう言っておいて、「じゃあ、先生、いじわるするよ。」と、次のように書き加える。


 まんじゅうを分けます。
 まんじゅうは、14こ あります。
 4人で同じだけ分けます。
 1人分は、どれだけになりますか。



 子供たちは「えー、いじわるー」と言いながらも、楽しそうに考え始めた。
 あえて条件不足の問題を提示することで、子供たちの興味を惹きつける。
 ここでは、最初、あえて、まんじゅうの数を示さなかった。そうすることで子供たちは、まんじゅうの数が12個や16個なら既習のわり算を生かせるとに気づいていった。
 算数は、既習の事柄をもとに、未習の事柄を解決してゆく教科である。習と未習の事柄を明確にすることで、何をもとに、何を考えればよいか、解決の見通しをもたせたいと考えたのである。

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(2) え、半分に!?
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 ほとんどの子供たちは、1人に3個ずつ配ることができて、2個あまる考えた。その中の1人が、黒板で操作しながら、次のように説明した。



「1個ずつ配っていきます。 1個目を配ると4×1=4個、2個目を配ると4×2=8個、3個目を配ると4×3=12個で2個あまります。もう1個は配れないので、1人分は3個で、2個あまります。」

 みんなもこの説明に納得。自信満々の表情である。
 そこで、
「2個あまっちゃうけど、いいの。」
と揺さぶりをかけた。
 「うーん、もう2個あればいいんだけど…」と子供たちの自信が揺らぎ始る。

 そこに、和也が、
「半分に切ればいいよ」
と声を上げた。
 「あまった2個をそれぞれ半分に切ると、4人に分けられるよ。
 1人分は、3個半になるよ。」  
 というのである。
 和也の考えに、教室はざわめき出した。


 子供たちの中には、既にあまりのあるわり算の計算方法を知っていて、「12÷4=3あまり2だから、3個ずつ分けられて2個あまる」と、数字だけ見て安易に考えていた子もいる。そんな子供たちにとって、「半分に切るという和也の発想は、新しい発見である。「そうか、なるほど!」と感心せられる。しかし、それと同時に「そんなはずは…?」という思いも生まる。和也の考えを受け入れることは、自分のそれまでの考えを否定するこになるからである。
 そうして、「なるほど!」という思いと「そんなはずは…?」という思との矛盾の中で、心が揺れ動き、自分の考えをもう1度見つめ直すこととる。分かったつもりでいた自分の考えの曖昧さが明らかになることで、子たちは本気で考え始めるのである。






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(3) あまった2個はどうすればいいのかな?
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 しばらくの間、「1人分は3個で2個あまらせる」という考えと「あまた2個を半分にして、1人分は3個半にする」という考えに分かれて、話合いが続いた。
 話し合いの中で、祐二が「でも、もしまんじゅうじゃなかったら…」とぶやいた。祐二を指名し、その思いを尋ねる。

「今のは、まんじゅうだからよかったけど、例えば、はさみを分ける時、はさみは切ったりできないよ。」
と祐二。
祐二の発言を聞いて、雄太がそれに続く。
「たまたま、14個だったからよかったけど、例えば15個だったら、うまくいかないよ。」

 このように、子供たちから「例えば」や「もし」という言葉が出てきたには、大切に取り上げ、板書にも位置づけたい。子供たちが「いつでもえることなのか」と一般化を図ろうとしている姿だからである。

 多くの子供たちは、祐二と雄太の発言を聞いて、「2個あまらせなくてはという考えに傾いていった。
 そうして安定しかかった子供たちの心を、再び揺さぶったのが、和也の発言である。
「3個半でもいいと思うし、3個でもいいと思う。
 いろんな答えがあるんじゃないかな。
 でも、僕は、3個半の方が、いっぱいもらえるからいいと思う。」

 つまり、どちらも間違いではないというのである。この和也の発言は、自分の考えにこだわりを持ちつつも、友達の考えを受け入れた姿といえる。
 そんな和也の発言に、「あ、そうか。両方いんだ」と、政夫の心が変化し出す。政夫は、それまで「半分にするのは、おかしい」と主張していた子供である。ところが、和也の発言を聞いて、「やっぱり、3個半でもいいんだと思う。3個半なら、あまらせないで分けられる。」と言い始めたのである。

 それまでの政夫にとって、「半分にする考えを受け入れることは、自分の考えを否定することであった。しかし「いろな答えがある」という和也の言葉を聞いて、相手の考えのよさを素直に受入れることができたのであろう。
 政夫の発言に、他の子供たちも続く。対立し合う話し合いから、互いのよさを認め合う話し合いへと、話し合いの質が変わっていった。

 この話し合いの中で、子供たちは自分たちの手で対話をひらいていった。そして、「3個半にもできる」「かたいものはわれない」「14個はできても1個はできない」と豊かな発想を生み出していった。これは、「14÷4=3まり2」という計算方法だけを教えようとしていては、決して生まれてこいものである。

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(4) まんじゅうじゃなかったら、どうなるの?
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 さて、ここで、話し合いを整理する必要を感じた。何が解明されて、何を話し合うべきなのかをはっきりさせ、子供の中に漠然と浮かび上がってきた学習問題を明確にするのが、話し合いにおける教師の役目である。


 ・ 答えは、1つでないこと。

 ・ まんじゅうじゃなかったらどうなるかという新しい学習問題が生まてきたこと。


を確認し、子供たちへ以下のように問いかけた。


 (   )を分けます。
  (   )は、14こ あります。
 4人で同じだけ分けます。
 1人分は、どれだけになりますか。


 (   ) の中にいろんな物を入れてみる。
 子供たちは、「ダイヤモンド」「机」「フライパン」「風船」「卵」など、いろいろな物を当てはめながら、場合によって、あまらせなくてはいけない時とあまらせてはいけない時があることに気づいていった。
 こうして、話し合いの前よりも、あまりに対する見方が深まったのである。

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矛盾ドラマを生み出す◆
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 子供たちが「矛盾」と出会うような教材を工夫したい。
 「矛盾」とは、新しい発見が、それまでの自分の考えを否定することでる。子供たちは「矛盾」と出会った時、「なるほど」と「そんなはずは」の間で心が揺れ動く。そうして、分かったつもりでいた自分の考えの曖昧をもう1度見直し、考えを深めていくのである。




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