「私には児がある、私には財産がある」といって、おろかな者は苦しむ。けれど彼自身、既に彼のものではない。いわんや児、いわんや財、それがどうして彼のものであろう。 第五闇愚品六十二
私たちは今物質文明の世界で生きている。人の欲望には限りがない。しかしまた、この欲望が生きることの源泉の一つである、といえないだろうか。ものが「ある」「ない」で一喜一憂しているのが、私たちの毎日であるといえるでしょう。
経文のもつ意味を理解することはできますが、しかし生きることの現実は、昨日より今日、今日より明日はもっと豊かに、もっとバラ色にと、欲望をふくらませることになるのです。
若さも健康も美しさも、今はお金の力によって求めることがかなり可能になりつつあります。誰もが望むところであり、否定されるものではないことは解っていますが、たまにはこの経文を想い出す必要がありますネ!
真実のしあわせとは何か、私たちにとっては永遠の課題です。
秋風の吹くころ、「無一物」ということばを考えながら…。(K・Y)
◆法句経 その2おのれこそ おのれのよるべ おのれを措(お)きて 誰によるべぞ
よくととのへし おのれにこそ まことえがたき よるべを獲ん
自己(おのれ)とは、何ぞや。ここからお釈迦さまの教えはスタートした。「四苦八苦」に見られるような苦しみ・悩み多き人生において、人間をどうとらえていくのか、大宇宙の中でちっぽけな一人の人間。お釈迦さまは、徹底的に自己を見つめ悟りを開かれた。
現代社会は、情報化社会と言われるように世界の宗教や様々な教えがテレビやインターネットを通じて家庭の中に入って来るようになった。特にテロリズムの事件を通じてイスラム教のことやパレスチナ問題でのユダヤ教、世界宗教であるキリスト教様々な宗教がマスコミで報じられるたびに、宗教って何だろう?、と考えさせられる。先進国諸国は、ほとんどがキリスト教の国だ。ここでひとつ仏教の教えを考えてみよう。
お釈迦さまの教えは、人間観察を徹底的に行い、自己の命は、摩訶不思議なご縁(縁起の理法)によって生まれ、それも大宇宙の中で換えることができない尊い一個の命であることを悟られた。偶然に人間として生まれてきたのだ。仏教は自覚の宗教と言われるゆえんある。自らの目覚めなくして宗教心は起こらない。神様にお願いばかりしがちな我々。ややもすると情報の洪水に流されてしまいそうな毎日。何を信じてよいのか解らない現代人。医学や科学技術の発展は目をみはるものがありますが、正しい心で学んでいかなければ、人間を滅ぼす道具になってしまいます。
お釈迦さまの教えは、人間・動物・自然環境・大宇宙を相互依存の関係(縁起の理法)で解き明かしている。神様にたより欲望を満たすだけ利己主義的な自己(おのれ)ではなく、人間の尊厳に目覚め、悩み多き心を整理整頓して、真の自己(人格の完成)を目指し、他人の幸せを願い、動物や自然と共生していける社会の実現を目指し日々実践していく自己(おのれ)。これが得難き寄る辺となる、とお釈迦さまは教えてくれる。(S・H)
◆法句経 その3若いとき、身をつつしむ行いを積まず、梵行を修せず、
また、財を富まさずんば、財を貯えざれば、彼は亡びゆくなり
老いては、白鷺の空池を伺うが、餌のなき池をまもり、
老いゆく白鷺のごとくに如からん 一五五
現代世相を思うに犯罪の低年齢化が危惧されています。今年も驚くような事件が発生いたしました。 若いときに自分の心身の整備を怠ると、のちに自分自身を滅ぼすぞ、との語りかけです。
お釈迦さまは、おこたりなまけることを戒めます。そいて励みをすすめます。
この法句経も「餌のなき池を守り老いゆく白鷺のごとくに」と絵になるような綺麗な言葉で諭しています。努力精進なしで、いい思いだけを夢に描きながらの人生。その果ては心の糧のない《空しい池のほとりで老い果てる白鷺》に変わりありません。
南無のこころは、空しい私の心に一滴の水をふりそそいでくれています。(M・K)
益なき千の言葉より 心の安らぎを得る一言こそ いのちの言葉なれ
世の中の生き物の中で人間が一番おしゃべりです。良かれと思い言った事が相手を傷つけたり、親切で言ったつもりが相手に大変迷惑をかけたり。知らず知らずのうちに罪を重ねているものです。ましてや意識をして舌を二枚使用するようでは論外です。よく喋るのは詐欺師だと言われています。私たちは話の内容を聞き分ける知識・能力を身につけていないと生涯悔いが残ります。一言多くても人から嫌われます。
お釈迦さまは弟子たちに質問しました。『この世の中で一番美味しい飲み物は何か。』
弟子たちは、「水、酒、ミルク、ジュース……」口々に答えました。すると、お釈迦さまは『本当に美味しい飲み物は口から出かかった悪口をグッと呑み干す飲み物が一番美味しいんだよ』と、諭されました。
一旦口から出た言葉はもどりません。その言葉が広く流れて自分の耳に戻った時には尾鰭がつきトンデモナイ言葉になっていたということはよくあることです。人間、口があり知識がある以上、喋らなければなりませんが、喋り過ぎはよくありません。「話し上手より聞き上手」になりなさいと、昔からよく言われます。スポーツが爽やかなのは喋れないからです。(G・K)
◆経集尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。
二六五
この経文は、ズバリ、南無の心そのものです。これをあなたが守って生きているならば、きっと幸せな人生を送られているはずです。でしょう?
また、「現代人に欠けているものは何か?」という問いに、答えを挙げるとしたら、この経文になってしまう気がするのは、私だけでしょうか。
「人に迷惑をかけないように生きているのだから、ひとに謝ったり感謝したり、なんで卑屈にならなきゃいけないのか。もっともっと豊かで便利な暮らしがしたいのに。一家の主がどうしてこんなことまでしなきゃならないんだ。仏教なんて抹香くさい、儀礼じゃないか。あー、やだやだ、なんて不幸な人生なんだ!」――こんな御仁をよく見かける?いやいや、誰あろう、これは私自身ですなぁ。
幸せとは、一体なんだったんだろう。二千五百年も昔のお経は、現代人にも投げかけ、考えさせるチャンスをくれます。謙虚になってじっくり考えてみませんか。
法句経は「人間の身をうけることは難しい。死すべき人に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい…」と説く。ここから始めなければならないなぁ。
※ 経文の「(適当な)時」と言うのは、古代インドや現在の東南アジアの仏教国では、陰暦の半月の第八日と第十五日に寺に参詣し教えを聞くらしい。現代の日本なら、お寺の盆・彼岸などの法会やご法事、月参り等もありますが、さしずめ南無の会もそれに当たるでしょう。ね、そうでしょう? (K・S)
◆応病与薬お釈迦様は衆生に説法なさるとき、そのひとその人にあわせてお話をされておられました。これを対機説法ともうします。
たとえば、『方丈記』の末尾に登場する周利槃特は―
お釈迦さまの教えがなかなか理解できず、舎衛の門のあたりに茫然と立ち続けていた。そこへお釈迦さまがやって来られ、周利槃特に事情を尋ねられ、ご自分の房舎につれていかれ、彼に新しい布を手渡された。そして彼に、「何も覚えなくても良い。《塵払い、塵払い》と言いながらこの布で皆の履き物を浄めなさい」といわれたのです。かれは、言われた通り履き物を浄め続けた。そのうちに、布は薄汚れ黒くなってきた。「あっ!」このとき彼はお釈迦さまの教えが理解できたのです。きれいな布もいつしか汚れるように人間の心もいつしか欲望という塵がつく。それをわれわれは浄めるのである。つまり、医者が患者に応じて最適な薬を投与するように―
お釈迦さまは、その人の煩悩に応じて最善の法を説かれたのです。仏教の教えとは薬であり、煩悩とは病気なのです。
煩悩の数は八万四千といわれます、そのため仏教にも八万四千の法門(教え)があるのです。(K・K)
私の好きなお祖師さまの言葉W(2003)
仏道をならうとは、自己をならうなり。自己をならうということは、自己を忘るるなり
昔の時代と比べ科学と技術のおかげで快適に過ごしています。でも、心は満たされません。豊かで便利な社会に暮らしているのに、なぜ私たちは不安なのでしょうか。
「方法」を英語でメソッドといいますが、この語源は「道にそっていく」ことです。ところが私たちは効率ばかりを問題にしています。その考え方のベースは数字での比較なのです。つまりデジタル式に物事を数字におきかえ、それを自分の損得で判断しているのです。
仏教はこうした考えとは対照的です。技術や知識は、本で学べます。しかし、大宇宙の真理は、足下にあるばかりか、自分自身の中に脈々と働いているので本では学べません。自分自身の中にある「すばらしい資質(仏性)が誰のなかにも眠っている。これに気づいて自分を磨け」と仏教は説いています。自分のメリットのために肩ひじを張るから、不安になるのです。自分にはすばらしい資質(仏性)があり、人々皆に平等に備わっていると思うだけで、人にはずいぶんとやさしくなれる、それが禅への入口となるのです。
発無上覚心同到華蔵界 『理智不二礼讃』
無上の覚心を発(おこ)せば華蔵界到るに同なり
仏さまの教えを信じ、それを実践すれば、今いるこの場所が華蔵界つまりお浄土で生活しているのと同じである、という意味です。般若心経に代表される到彼岸の思想では、お浄土は別の処に存在し、我々衆生はそこに向かって進んで行きましょう、と説かれています。しかしながら真言宗は違います。ゆるぎない(=無上)の菩提心(=覚心)をたもち日常生活を送ることができれば、此の世が彼岸つまり華蔵界になると説かれています。
医眼のみる所は百毒、薬と変じ、仏慧の照らす所は衆生即ち仏なり。
『平城天皇潅頂文』
【大意】医師がみればあらゆる毒は薬となり、仏さまがご覧になれば、生きとし生けるものはみな仏である。
仏さまは、私たち生きとし生けるものすべて《仏》だ、と仰言っておられる。なんとありがたいことだろうか。
でも、ちょっと待って下さいナ。ということは、あの時、スリッパの裏で叩いて殺したゴキブリも仏で、私も仏。もし、お浄土に往ったなら、隣にあの時のゴキブリがいたりするの?怨まれたりしないだろうか。「一生懸命生きていただけなのに、悪いことなんてしていないのに、なんでいきなり私がゴキブリというだけで、スリッパで叩いたんだ!」って。その時はどう答えようかしら。
罪が有ろうが、無かろうが、軽かろうが、重かろうが、加害者だろうが、被害者だろうが、仏さまからみれば、みな「仏」だなんて、とてもそんな気持ちにはなれないなぁ。悪いことをしたから苦しい結果となる、善いことをしたから楽しい結果となる、この方が納得できるのに。
お地蔵さんが地獄でさえも出向いていくのは、地獄にも救われる者=仏と成る者がいるから。
うーん、仏さまと同じ眼で見るって難しいことです。あぁ、修行が足りないんだねぇ。
夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。…我や先、人や先、今日とも明日とも知らず、遅れ先立つ人はもとのしずくすえの露よりも繁しといえり。されば、朝には紅顔あって夕べには白骨となれる身なり。…されば、人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
【大意】そもそも、人間の生命のもろく定めないありさまをじっくりと考えてみると、およそはかないものは、この世における全人生、夢まぼろしのような一生である。自分が先になるか、他人が先になるかその寿命の尽きるのは今日かも明日かも知れない。昔の人も、「木の葉の末に宿る露が風に散るように先立つ人もあり、元に置くしずくが消え去るように、人よりも後れて寿命の尽きる人もあるが、いずれにしても日々に命終える人の数ははかり知れない」と言っている。したがって、朝には頬に紅の色つやがあろうとも夕べには白骨となる我が身である。そのような次第で、人生のはかないことは老若の区別もないことであるから、人は誰でも早く来世の浄土往生という人生の一大事に思いを寄せて、阿弥陀如来を信じ頼み申して「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるべきである。
「無常観」をしみじみと感じ得る蓮如上人のお言葉である。意義ある人生を過ごすためにも無常の道理(真実)を得ることが大切だと教えられる。それによってたった今の大切さ、早く仏法を求める必要さに気づいてくださいと願っている蓮如上人である。
親は十人の子を養へども、子は一人の母を養ふことなし。
『刑部左衛門尉女房御返事』
今から七百年以上前にも、こういう親不孝者がいました。また、二千五百年前、お釈迦さまの時代でも、お経の中に「父母は常に子をへども、子は父母をはず」という言葉があります。心というのは神代の昔から現代まで変わりありません。ただ物が変わったから見方が変わるだけであります。親不孝者は昔からいましたが、親が子供をいじめたり殺したりはしませんでした。
ところが、この頃のニュース。母が我が子を殺し、祖母までが孫を虐待死させている。「子はカスガイ」なんて言葉はもう死語なのかもしれない。若い二人が一緒になるために両家一家皆殺しを考えないと付き合えない。また、大分県では留学の際、お世話になり面倒を見ていただいた恩人を殺害した外国人留学生。
何かが狂い始めている。特効薬はないものだろうか。今飲ませないと日本国総狂人化してしまう。今こそ仏法という良薬を飲ませなければならない。仏法の基本を学び実践したならば、現代のこの醜い世の中はなくなるでしょう。このお経の中には、世の中の迷い苦しみの答えがすべてあるからです。
私の好きなお祖師さまの言葉V(2001)
◆理源大師 聖寶さま◆早知衣裏宝珠者也 『修験心鑑書』
「早かに衣の裏の宝珠を知るべきものなり」とは、つまり、仏法とは着ている服の裏に隠されている宝石のようなものであることを、早く知りなさいという教えです。
「衣裏宝珠」については、『法華経』に以下のようなお話があります。―あるところに、身持ちのよくない男がいて、とうとう故郷では暮らせなくなり、他国へ旅立つ事になりました。友に別れのあいさつによったところ、友はその男との別れを惜しみ、二人は酒を酌みかわしました。その男はすっかり酔いつぶれて寝てしまいましたが、友は夜中に急ぎの仕事で出かけて、男を見送ることができませんでした。その男は次の朝早く旅立ました。そして、苦しい旅に疲れ果てて、再び友のもとに帰り、旅の苦労を語りました。すると友は、「そうだった、私も急用で君に言っておくのを忘れていたが、実は君が眠っているうちに、もし苦しいことがあったときに役立つようにと、高価な宝石を襟の裏に縫い込んでいたのだ。それに気づかなかったのか。」と言うのです。男は垢に汚れた襟をたぐると固いものがありました。ひきだしてみると目にもまぶしい宝石でした。―と。
人間は皆生まれながらに仏性をもっているのだから、仏のこころを知ろうとせず、自分を救ってくれるありがたい神様を探し回ることが、いかに愚かなことであるかを知りなさい、と戒めておられます。
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳は骨を砕きても謝すべし『恩徳讃』
【大意】み仏のお慈悲からいただく《めぐみ》に対して、一生懸命にこたえていきましょう。
師匠・真の友からいただく《めぐみ》に対して、一生懸命に感謝しましょう。
この『恩徳讃』は、各種の集いでは必ず全員でうたわれ、いちばんポピュラーなものです。このような和讃と呼ばれるものは、漢文で書かれた経文を七五調の和文でうたいあげた讃歌です。平安時代から仏教讃歌として盛んに作られました。一説によれば、当時のはやり「今様」から生まれたとも言われています。
親鸞聖人は、関東より京都に帰られてからの七十六歳から八十八歳ごろにかけて、その数、五百数十首におよぶ和讃をつくられました。
聖人は、和讃を「やわらげ(和)、ほめ(讃)」と読まれているように、文字を知らずとも、読み書きできなくとも、覚えやすく声に出して唱えやすい和讃によって、一人でも多くの人に「南無阿弥陀仏」のいわれが行き渡るようにと、願われました。三部作となる『浄土和讃』、『高僧和讃』、『正像末和讃』の合計三百五十三首は、『三帖(さんじょう)和讃』とも呼ばれ、その内容は、浄土真宗の教えの拠り所となる浄土三部経を中心に、阿弥陀如来のご本願によっておこされたお名号のお徳を讃嘆するものです。また、インド、中国、日本へと尽力し伝道された七人の高僧のご功績をほめたたえ、本願念仏が今この時代の人々にとってふさわしい教えであることを奨められています。これら和讃と、浄土真宗の本髄が述べられている正信念仏偈とを組み合わせて称える形式を、第八代目の蓮如上人が始められ、現在でも門信徒の日常の勤行として受け継がれています。
禽獣卉木、皆これ法音なり。 『中寿感興詩』
【大意】空飛ぶ鳥も、地を行く獣も、花咲き実のなる草も木も、皆みほとけの説法のお姿です。
セミのやかましいほどの鳴き声から、秋の虫の音にかわり、落ち葉が舞い散る。自然は、黙々と淡々と姿を変えて行く。そこには常にみほとけの声があり、私たちに語りかけているのだ、と弘法大師はお説きになっている。
でも、普段の生活では、お大師さまの言葉のようにはいかない。その声を聴く「心」というラジオを持っていながら、私たちはそのラジオがあることすら、気づいていないのだから。このラジオのスイッチを入れると、単なる自然の営みさえ、永遠なる御仏の説法に変わってしまう素晴らしいものなのだ。
さて、私たちには、いつ、その素晴らしいラジオのスイッチを入れるチャンスが来るのだろうか?
昔の方は、こういうことをお坊さんでなくても知っていた。
音もなく香もなく常に天地は 書かざる経を繰り返しつつ (二宮尊徳)
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷りなく 衆生の外に仏なし
『白隠禅師坐禅和讃』
人間は、生まれながらにして、どんな人でも等しく尊い”仏性”を持っている。
オギャアと生まれたその瞬間、大字宙に響きわたる産声をあげる。赤子のいのちそのままに仏をみいだす。母親、父親をはじめ、まわりの人々の愛情を一身に受けながら育っていく赤子は、周りの人々に笑顔と優しい心を施してくれる。しかし、一、二歳になると、自我がめばえ、自分と他人、好きと嫌いがわかってくる。ここからが迷いの出発である。
正しい愛情と心を施していかなければ、自分のことしか大事にできない利己主義者になってしまう。たとえ、そうなったとしても、氷のようなエゴの心も本来は水のような清らかな心であったはずだ。
年を重ねていくと、体も心も固くなってしまう。太陽の暖かい光が氷りをとかして水に変えてしまうように、仏さまの教えに学び「柔軟な暖かいこころ」をとりもどしましょう。
日蓮が父母の伊豆の伊東、川奈という処にうまれかはり給ふか。法華経第四に云く「及び清信の士女、法師を供養す」云々。法華経を行ぜん者をば諸天善神等或は男となり女となり、形をかへ、さまざまに供養して助くべしといふ経文なり。
『船守彌三郎許御書』
日蓮大聖人四大法難の中の伊豆御法難での出来事をつづったお手紙の一節です。
弘長元年五月十二日伊豆伊東沖の岩に流されました。やがて潮が満ち、岩がかくれ潮が胸まできた時、まだ大聖人は身動きしませんでした。
それは法華経の中に「正法を説く者には諸天善神が変化して必ず助けにくる」ことを信じていたからです。我々凡夫の考えるには、大聖人は漁師の子ですから泳げばいいのにと考えますが、違っていました。法華経を寸分疑わず只お題目を唱えておりますと、そこに一艘の舟が近づいてまいりました。船守彌三郎との出合いです。以後、彌三郎夫妻は二年間大聖人に対し給仕につとめました。
千葉・小湊の父母が伊豆伊東の彌三郎夫妻に変化して身の回りのお世話をしてくれているのだと、仏法を守っている法師への供養に対する感謝のお手紙です。
困っている時、思いもかけない手助けがあると、天の助けと感じることがあります。それがためには天に恥じない、人に恥じない人生を日々送らなければならないと、我々は肝に銘じなければなりません。