帰還した兵士達で雑然とする同盟軍本拠地のある城の門内で。
ビクトールは混雑する人ごみを乱暴に掻き分けながらフリックを探していた。
土埃の茶、誰のものとも解らない血の赤、鎧の燻んだ灰。
どこにも、あの鮮やかな青は見当たらない。
勝ち戦だった。
けれどフリックが還らない。
「どこ行きやがった…っ!…ちくしょう!!」
兵士の帰りを喜び合う人々の声、こぼれる笑顔、または泣き顔。
そんなものがビクトールの側を通り抜ける。
その日、ビクトールはついにフリックを見付ける事は出来なかった。
夕闇に染まる山道を走る荷馬車が数台。
その幌には王国軍の紋章が。
「くそうっ!俺達が…王国軍が、負けるなんて…っ!!」
「…落ち着けよ、また仕返しする機会はあるさ…それに、今回はただ負けて帰るだけじゃない。」
「ああ…そうだな。まさか捕虜に幹部クラスが捕まるなんてよ。」
「青雷…か。目を覚まさないかと気が気でないけどな。」
「はは、こんなチンケな荷馬車じゃ、直ぐに吹き飛ばされてしまいかねないもんなぁ。」
そう言って、男達は振り返った。
幌の隙間からは、青いマントに包まって横たわった男が見える。
意識がないのか、ただ荷馬車の動きそのままに体を揺すらせていた。
「おとがめなし、どころか昇格ぐらいあるかもな!」
「ははは!早く帰って一杯やりたいところだよなぁ!」
意気揚揚と笑って、男は握る鞭を走る馬に強く振り下ろした。
「ほう?これは面白いものを持ち帰ったな。」
ミューズ・グリンヒル国境沿い。
王国軍のキャンプ設営地に、ハイランド主要幹部はいた。
そして敗戦となった王国軍のその夜。
新皇王ルカ・ブライトの前に『青雷のフリック』は引き出された。
両腕は後ろ手に縛られ、膝を着いた側を衛兵が固めている。
勿論、愛剣オデッサはもとより、防具類も全て剥ぎ取られていた。
そのフリックが目の前のルカを睨み付け、静かに言った。
「言っとくが、俺に捕虜としての価値はない。さっさと殺すんだな。」
「それはこちらが決める事です。大人しくして下さい。」
「ジョウイ?!お前っ!」
最後にグリンヒルで会った、ジョウイの姿にフリックは目を見開いた。
ルカの妹姫、ジルと婚儀を挙げたと情報が入っている。
その堂々とした出で立ち、佇まいにフリックは複雑な心境になった。
「……」
「ふん。敵地の真っ只中でいい度胸だ…死ぬ事が恐くないか。」
王座に座っていたルカが立ち上がりフリックの顔を覗き込んだ。
見上げる格好のせいだけではない圧迫感がフリックを襲う。
唇を吊り上げて笑う、ルカのその瞳があまりにも荒んでいるように見えて、フリックは息を呑んだ。
「死よりも、もっと大事なものが俺にはある。」
「ふ…ふははははは!そうか!大事なもの、か?!」
威圧感に負けじと言い返したフリックの言葉をルカが笑う。
「仲間の命や勝利か?それとも己のプライドや信念か?!」
嘲笑って、ルカが声を上げる。
その様を見て、どこか普通じゃない、とフリックは思う。
何か、違う。人ではないもののような気がして、ぞっとする。
「ならばその大事なものを壊すまでよ!!」 「……っ」
乱暴にフリックの胸元を引き摺り上げてルカは立ち上がった。
「ルカ様っ?!」
「お前等、もう持ち場に戻っていいぞ。」
後ろに控えていたクルガンとシードが慌てて咎めに入る。
しかしルカは聞かず、フリックを肩に担ぎ上げると奥の天幕へと続く出口に向った。
「まぁ、覗き見したい奴は残ってもいいがな。」
肩の上で暴れるフリックを何なく抑えつけてルカは笑って部屋を後にした。
それを見詰めてクルガンとシードは溜息を漏らす。
「ったく、聞きゃしねーんだからよー」
「あー…ではもうお前達は下がってよろしい。シード、私達も行こう。」
衛兵達に指示を出すと、クルガンはシードを促した。
「あれ?覗き見してくんじゃねーのか?」
「シード!!」
「あははははは!」
ふざけるシードを嗜めてその背を押しやりながらクルガンは部屋を出る。
その後を無言のままのジョウイが続く。
最後にもう一度振り返って、何かを決意したように拳を握り締める。
その手を解くと、あとはもう何事もない顔をしてジョウイはその場を去って行ったのだった。
フリックが連れて来られた奥の部屋は寝室になっていた。
大きく部屋を占領するベッドにルカはフリックを投げ出す。
縛られたままの身動き出来ない体であっても、フリックは何とか体勢を立て直そうともがいた。
そのフリックの目に、鎧を脱いでいくルカの姿が映る。
強靭な体だ。
きっちりと筋肉が付き、場数を踏んで鍛えられた体。
この男は強い。
ルカから溢れ出る覇気に当てられて、フリックは動きを止めた。
「青雷のフリック、その名は前々から聞いているぞ。」
ルカが近づき、フリックの顎を捕らえる。
「3年前のトランの立役者の一人だそうじゃないか。」
「……」
「今度はその仇敵国に加担か?どうだ、裏切りついでに王国軍に寝返る気はないか?」
「ふざけるな!!そもそも、裏切ってなんかいないっ!」
侮蔑された屈辱に、フリックの瞳が怒りで燃えた。
「威勢がいいな。そうでなくては、屈服のしがいもないがな。」
「誰がお前なんかに…!」
ルカが、高らかに笑う。
まるで、猛獣に小動物が本気で挑んでいるにも関わらず遊ばれているかのようだ、とフリックは思う。
まさしくルカにとっては自分を相手にしている事など、戯れでしかないのだろう、とも。
それでも自分はこの男に挑む。
いつか必ず倒すと強く思う。
世の中の優しいもの、暖かいものを土足で踏みにじるこの男を。
ビクトールと共に過ごした、ミューズの傭兵砦を潰したこの男を。
不利な状況にも怯まない、フリックの強い瞳を見据えて、しかしルカは笑う。
「…他の奴に使おうと思ったが気が変わった。」
「…?」
フリックの顎を掴んだままのルカが、サイドテーブルの中を探る。
そして小さな瓶を取り出すと、口でその封を切った。
「折角のお楽しみだ。貴様もイイ思いをしなくては面白くないだろう?」
そう言って、中身をフリックの口に流し込んだ。
無理矢理飲み込まされ、フリックは咽返る。
「な…何、を…」
「媚薬という奴だ。速攻性のな。すぐにサカってくる。」
「なっ…!」
目を剥いたフリックの体を押しやって、ルカは上着の裾から手を忍ばせた。
その感覚にフリックの体が飛び上がる。
媚薬という液体が、フリックの舌を、喉を、胸を焼く。
全身を巡る血流が盛んになって、体温も上昇したようだ。
たった一口飲んだだけなのに。
恐ろしい力を持って、フリックの体を作り変えていく。
うろたえるフリックに、ルカが更に追い討ちをかけるべく手を滑らせた。
「良く効く薬だ。じきに自分から腰を振るようになる。」
「ふざっ…けんな!てめぇ!」
身を捩るフリックの服を引き上げて、そこにある赤い痕にルカは目を留めた。
所有印と言われるそれ。
そこを上からわざと強く吸って、更に赤い痕を付ける。
「いつも一緒にいる男…ビクトールと言ったか?」
ビクトールの名が出て、初めてフリックの顔色が変わった。
「奴と出来てるのか?」
「てめぇには関係ねぇっ!」
「確かにな。だがあの男に、貴様を犯した、と言ったらどんな顔をすると思う?」
「?!」
さも可笑しそうに圧し掛かるルカを、蹴り飛ばそうとして叶わなかった。
脚の間に割り込んだ体はびくともしない。
それどころか、露になった肌に唇を落とされて、固まってしまう。
「とても歴戦の猛者の体とは思えんな…」
「ひっ…あ…」
白い滑らかな肌を舌が這い登って、赤い尖りに絡みつく。
甘く腰に走る疼きにフリックは声を上げて身を竦めた。
イヤダ、と頭で思う。
けれども、駆け抜ける快感に体が勝手に反応して意識を飛ばす。
舌で乳首を嬲りながら、ルカは手を伸ばしフリックの下肢を緩めて手を差し入れた。
「あっ…!や…」
すでに固くなったそれを指が形をなぞっていく。
腰が浮いたところを見計らって、ズボンが一気に剥がされた。
「あっ…あっ…」
掌で包み込んで、緩やかに擦る。
先のくびれの上で何度も小刻みに摩擦されて、フリックは大きく体を反らせた。
縛られた腕が痛い。
痺れて感覚が無い。
それと同じように頭の中も痺れていく気がする。
「薬など使わなくとも良かったか…?流石、普段からヤり捲くってる奴は違うな。」
「ふうっ…うん…んっ…」
手の動きが速くなって、フリックの雄は涙を流した。
卑猥な濡れた音が聞こえ始め、フリックは硬く目を閉ざした。
もう何を言われても反論する事さえ出来ない。
体が、自分のものとは違う感覚に、大きすぎる快感に、翻弄されるのを堪えるのに精一杯だった。
「ここも、相当使いこんでるんだろう?」
肌を上気させて喘ぐフリックに目を細めてルカは口の端を吊り上げた。
すべやかな肌、感度の良い体、絶品の表情。
整った顔立ちが自分の与える快感で歪む様を見ているだけで、欲望に更に灯が燈る。
フリックの両脚を持ち上げて、あられもない格好をさせ、秘めたる部分に指を這わせた。
途端に跳ね上がる脚をがっしりと抱えて、指をそこへと差し込んだ。
「あぁっ、ん、んー…」
ゆっくりと入れて、中を探る。
その動きにフリックは体を震るわせた。
知っている。
そこは、ビクトールに何度も何度も突き入れられて、嫌という程快感を教え込まれたところだ。
頭の芯を突き抜けるような、悦びをもたらす、その行為。
ビクトールじゃない指が、ビクトールじゃない動きで。
けれど同じように、どうしようもない情欲を掻き立てる。
指が増やされ、抜き差しの動きに変わる。
フリックは自らもその動きに合わせ、腰を揺らした。
「ふっ…うん…」
増していく淫楽に、フリックの前は張り詰めた。
それをルカがもう片方の手で、きつく擦り上げる。
何回か扱いて。
フリックの体が緊張した。
際限まで極まったそれが、白い液を吐き出してうち震える。
「うー…」
「どうだ?敵役にイかされた気分は…」
「……」
指を引き抜いて、汚れた手をシーツで拭う。
ぐったりと力なく横たわるフリックの背中に手を回し、縄を解いてその腕を開放する。
そして、大きくフリックの体を開いた。
「―――!」
先程指で嬲られていたそこは、すんなりとルカを受け入れた。
一気に自身を沈め込んで、ルカは大きく息を吐いた。
「使い込んでるとは思えない締め付けだな。」
「あっ…!」
ぐっ、と更に奥まで突き上げて皮肉を言う。
ビクトールじゃない、その上憎むべき男のもの。
それが自分を犯している。
薬のせいだと解っていても、押し寄せる快感に、怒りさえ込み上げてくる。
それでも悦ぶ自身の体に吐き気さえ感じているのに。
容赦なく襲い掛かる快楽の渦が、物凄い力で意識を遠くへと押し流す。
「あっ…あっ…あっ…」
突き上げる衝撃に合わせて声が出た。
甘い、高い、感じ入った声。
ぐちゃぐちゃどろどろになったそこを、男のものが音を立てて出入りする。
奥を擦られ、もう何が何だか解らないのに、気持ち良い事だけは確かで腰が揺れる。
喘ぐ胸に唇が降りてきて、立ち上がった赤い突起を包み込んだ。
舌を押し付け押し潰される。
ちゅっちゅと吸いながら、腰の動きが強くなった。
「はぁっん…やっ…いや…」
直結で腰にキた痺れが、萎えていたものを勃ち上がらせる。
「イイ表情だな…貴様の情夫にも見せてやりたいものだな。」
「…っ?!はっ…あー…っ!」
言った後、深々と突き刺して、奥をしつこいくらいに擦り付けた。
フリックの眦から涙が零れ落ちる。
悔しさや、自分の不甲斐なさや、ビクトールへの申し訳なさ。
そして余りある程の快感の波。
それらの入り混じった雫が、流れては、また零れ落ちていく。
それは傍から見れば透明で綺麗で。
ルカの加虐心を一層煽った。
「貴様等の言うところの愛や信頼など、クズも同然だ。」
「…っ…」
「この世は全て、力だ。力こそ、全て…っだ!」
どこか取り憑かれたように、ルカが言う。
けれど、その顔は苦渋に満ちている。
「力だ…!力さえあれば、そんなものはっ…」
その続きは告げられなかった。
後はひたすら言葉も無く、ルカは腰を打ち付けた。
「あぁっ!あっ…!」
きつくシーツを掴んだフリックの体が萎縮した。
穿たれながら、精を自らの腹に吐露する。
恍惚と放心するフリックを見て、ルカもまた絶頂を迎えるべく、身を固くした。
息も絶え絶えに、しかしこれで終わりだと安堵したフリックのその希望は尽くうち破られた。
暫くうとうととしていたフリックに、また、ルカは覆い被さった。
そして、フリックが完全に意識を失ってしまうまで。
その責め苦は幾度と続けられたのだった。
フリックの消息が途絶えたその翌日。
ビクトールは極秘裏に軍師に呼び出されていた。
軍主であるヤマトも同席している。
「フリックの居所が掴めた。」
「ほんとか?!」
およそ眠っていないだろうビクトールの憔悴し切った顔色が、軍師の一言で輝いた。
「そこでビクトール。お前に迎えに行って貰いたい…が、しかし条件がある。」
朗報である筈なのに、一向に顔色の冴えないヤマトを見遣って、ビクトールは表情を固くした。
「条件?まぁ、いいだろ。兎に角フリックを迎えに行けりゃあな。で、何処に行きゃあいいんだ?」
「……」
「ハイランドの駐屯地だよ。」
難しい顔をして一瞬口を噤んだ軍師の代わりにヤマトが答えた。
「ハイランド…だと?」
「うん。やっぱり、あのあと捕まってたみたいなんだ。」
「向こうからフリックの引渡しの話があった。今日の深夜、国境に来いとの事だ。」
「ふぅん?しかしそりゃ真偽の程は確かなんだろうな?わざわざ呼び出したりして罠って線もあるんじゃねぇか?」
それに折角捕まえた捕虜を帰すという話もおかしい。
ビクトールは感情的になるのを抑えて、極力冷静に応えた。
「その点は大丈夫だよ…この話を持って来たのはジョウイだから。」
「何だって?!…ジョウイ?!」
「うん。だから、信じてあげてよ。お願い。」
「ヤマト…お前…」
グリンヒルを脱出する際に、ジョウイと対面して敵に回った事実確認があった事を聞かされた。
しかし幼馴染である目の前の少年が、顔色一つ変えないでいるのに自分が騒ぐ謂れは無い。
それに、今は何よりフリックの事が最優先であるのだ。
「交渉には私が同行する。安心しろ、完璧にフリックは譲り受ける。」
「ほんとは僕が一緒に行きたいんだけどな…」
「そんな危険な事はさせられません。」
後ろでぼそりと呟いたヤマトにすかさず軍師が釘を打つ。
「まぁ、そんな訳だからよろしく頼むよ、ビクトールさん。」
その軽い口調とは裏腹に、その目は赤い。
きっとこの少年も心配であまり眠ってないのであろう。
「ああ。言われるまでもねぇよ。」
「お前を連れて行く条件は『絶対に手を出さない』事だ。それが守れないようなら、置いていく。解ったか?野蛮人。」
「…解ったよ。絶対に手は出さねぇ。これでいいんだろ?」
「何があっても、だ。」
「何があっても、手は出さねぇよ。」
ビクトールにとっては大変不本意な約束である。
しかし、固く握った拳を見詰めて頷いた。
「…いつでも出発出来るようにしておけ。それまでは部屋でも綺麗にしてろ。」
「今すぐでも大丈夫だぞ。」
「いいから、部屋で大人しく待ってろ!」
「へーへーへー…じゃあな、ヤマト。」
「……」
軍師に一喝されて不貞腐れてビクトールはヤマトに手を挙げた。
それに無言でヤマトも手を挙げて応える。
そして、ビクトールの姿が消えてから声を漏らした。
「僕が…もっとしっかりしてたら、何か、違ってたのかな…」
「……」
軍師は聞こえなかったのか、聞こえない振りをしているのか。
その返事を返す事はしなかった。
部屋を出てビクトールは、廊下の壁を蹴り付けた。
「畜生!くそったれがっ!!」
人に命令を下して、自分では決して動かない鬼軍師が同行すると言う。
ヤマトがいつもの軽口を叩かない。
ナナミがいない。
くどいくらいに自分に『手を出さない』と約束させる。
全てが、フリックの置かれた状況の悪さを物語る。
本当は、今すぐにでも飛び出して行って、殴り込みに行きたいのだ。
ぎり、と歯軋りする。
解っている。
これはもう、自分とフリックだけの問題ではない。
自分の身勝手な行動で、夥しい数の死体が出来上がるかもしれないのだ。
解ってはいる。
けれど、この行き場の無い憤りや怒りや不安をどう、抑えればいいのだろうか。
こんな時程、フリックがいない事に打ちのめされる。
そのフリックに何かあったなら…
頭をもたげる最悪のシナリオを掻き消すように。
ビクトールはもう一度、壁を蹴り飛ばした。
夜深まって。
ルカ・ブライトが所用で皇都ルルノイエへと帰路についたのを見計らい。
ジョウイは見張りの目を掻い潜り、王族専用テントへと忍び込んだ。
意識を失って昏々と眠るフリックの肩を担ぐ。
人目と明かりを避けるように天幕を掻い潜ったジョウイは、気配を消してその場を足早に去った。
夜の森の道。
暗く躓きやすいその道を、危なげにジョウイは歩いていた。
自分の背よりも幾分も大きい、しかも意識の無いフリックの体は重く、ジョウイの足取りはふら付いていた。
それでも黙って先を急ぐ。
しかしジョウイは、自分達を待ち構えるかのように立つ二人の姿を見とって足を止めた。
クルガンとシードである。
一瞬、迷った素振りを見せて、しかしまたジョウイは歩き始めた。
二人の丁度前まで来た時。
「そのまま担いでいかれるおつもりですか?」
「…ルカ様に言いつけるなら、それでも結構です。今は其処を通して下さい。」
口調は丁寧だが、何が何でも通るのだと、意思の強い瞳が言っている。
挑みかかるかのように歩み寄って来るジョウイに、二人は肩の力を抜いて少し笑った。
「変わりましょう。重いでしょう?」
そう言ったクルガンが、フリックを抱き上げる。
思いもしなかった行動に、呆然として見詰めるジョウイに、今度はシードが話掛けた。
「大体、そんな格好で放り出されたらそいつが困っちまうんじゃないですかね?皇子様。」
「……っ?!」
フリックは殆ど裸に近い格好で。
申し訳程度に薄い服とブーツを履いている程度だ。
シードはいつの間に手に入れたのか、フリックの防具一式と剣を抱えていた。
「あの…?」
「別に国を裏切ってる訳じゃありません。」
不思議そうなジョウイに答える。
「私達だって、こんなのは好きではないのですよ。」
「それにこいつとは、戦場でちゃんと決着を付けたいしな。」
シードが、クルガンに抱えられたフリックの髪を指でぴんと弾く。
「で、これからどうするつもりです?」
「この先の国境で同盟軍の人を呼び出してあります。そこへ…」
「へぇえ?さっすが策略に長けるお方は違いますねぇ〜」
「シード!では、そこへ参りましょう。」
一言多いシードにクルガンが名を呼んで諌めて歩き出した。
それにシードも続く。
その後姿に向って、ジョウイは素直に頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「…礼はいいから、さっさと行きましょうや!」
「はい。」
頭を上げたジョウイの目に、シードの笑顔が映る。
ジョウイもまた笑って二人の背を追い掛けた。
ミューズ・グリンヒルの国境、その落ち合う約束の場所。
ビクトールとシュウはビッキーのテレポート魔法で瞬時にここへ来た。
指定された関所は他に人気が無く、ただ松明の明かりが煌々と辺りを静かに照らすばかりだった。
そこに、ジョウイは既に来ていた。
その後ろには、フリックを抱き抱えたクルガンと荷物を持ったシードが控えている。
「貴方がハイランド皇女ジル・ブライトの夫であるジョウイ・ブライトか?」
シュウが口火を切って、ジョウイに歩み寄った。
クルガンに抱えられ、ぐったりとしているフリックを射るような目で見ていたビクトールが、ジョウイに目を移す。
そのビクトールにとっては、問うまでもなく見知った顔であった。
「あなたが…同盟軍の軍師を務めてらっしゃるシュウさんですね?あなたの策には手を焼きます。」
「ふん、心にもない事を…まぁ、今日はそんな事はどうでもいい。ビクトール!」
互いを値踏みするかのような遣り取りに、シュウは鼻で笑った。
そしてビクトールを顎で使って、フリックを受け取るよう指示する。
それにジョウイもフリックを引き渡すようクルガンに目で合図した。
無言で、しかし体中から怒気を吐き散らして、ビクトールがフリックの体を抱き留める。
その時、目に入ったフリックの赤い痕に、ビクトールの体が硬直した。
緩い胸元から覗く、幾つかの吸い痕。
首筋にも、数個。
「そんなに睨みつけんなよ。ソイツがやった訳じゃねーんだからよ。」
ぎっとビクトールの視線がシードに移る。
猛将、と呼ばれるシード。そして反するかのような冷静さを持つ、同じハイランドの上幹部知将クルガン。
ビクトールもその存在は知っていた。
こうしてジョウイの手助けをしているという事は、この件に関して彼等が原因だとは考え難い。
そして、思う。
ジョウイを含めてそんな彼等が表立って行動できない理由。
止め立て出来ないその相手。 しかしそれが解ったからといって、それが何になるというのか。
「ビクトール!」
「解ってらぁ!!」
今にも飛び掛らんかの気配に、シュウが逸早く叫んだ。
それにビクトールも叫び返してぎりりと奥歯を噛む。
意識のないフリックの頬には、まだ、涙の跡が残っている。
ずしりとくる、体の、その存在の重みを噛み締めて、ビクトールは抱く腕に力を込めた。
「馬鹿だな、ジョウイ…戦争なんてもんはな、どんな汚ねぇ手を使ってでも勝ちゃあいいんだよ。」
「…あなた方には、助けて貰ったカリがありましたから…今回だけは特別です。」
「こんななったフリックを俺に返して…もう、ハイランドに勝機は無いも同然だぜ?いっそ殺しちまった方がよかったかもな。」
「…いいえ。僕は僕のやり方で…勝ちますから。絶対に。」
毅然とした、態度だ。
自分の見知った、どことなく焦って、心許なく、いつも気を張っていたジョウイとは違う。
己の道を知ったのだと、思わせるような。
「…礼は言わなねぇぜ。これは、お前の甘さだからな。」
「元より…謝りこそすれ、礼なんて貰おうとは思ってません。」
「そりゃ結構…」
遣り取りに区切りを見出したシュウが、シードから荷物を受け取ると声を出した。
「敵地に長居は無用だ。行くぞ、ビクトール。」
「おぉ。」
ビクトールを促して、シュウが踵を返して歩き出す。
しかし、一歩歩んで振り返った。
「この貸しは必ず返して貰う…!」
一言、言い終えると、長い髪を翻して歩き出した。
その後にビクトールが続く。
二人の姿は、暗い森の中、すぐに闇に溶け込むように見えなくなっていった。
「『貸し』だってよ!『借り』じゃねぇんだ?!当たり前ちゃあ、当たり前だろうけどー」
二人の背中が見えなくなって、シードがどこか感心したように声を出した。
ずっと暗闇を見据えていたジョウイが、その声ではっとして振り返った。
「…すみません。お世話になりました。有難う御座います。」
そしてシードとクルガンにきちっと向き直ってお辞儀した。
「あぁ…えーと…」
「礼を言う謂れは貴方にはありませんよ。それに、仮にも皇子となられるお方は、部下に頭を下げるべきではありません。」
少し驚いて焦るシードを傍目に、クルガンがジョウイをやんわりと諭した。
それに少し、考え込んでからジョウイは言い返した。
「頭くらい幾らでも下げます。僕の…往く道に付いて来て頂けるのなら。」
そう言って、またジョウイは深々と頭を下げたのだった。
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