旨そうだな


「おっ?うまそうだなー」

もう夕暮れ。
仕事を終えたビクトールが部屋に戻って開口一番にそう言った。
ビクトールの見詰める先には、リンゴを齧るフリックの姿がある。
「ああ、おかえり」
リンゴを咀嚼しながら、フリックは迎えの言葉を出してテーブルの上を指差した。
そこには、数個のリンゴが籠に盛られて置いてある。
「ナナミがくれたんだ。お前も欲しいなら食えよ」
言って、またフリックはリンゴに齧り付いた。
かしっ、と軽やかな音がして、爽やかだけれど甘い香りが漂う。
滴る果汁に気付いたフリックが、ぺろりとリンゴとそれを持つ手とを舐めた。
「ん?食わねーのか?」
「…そっちのがうまそうだなあ」
「お前な…」
突っ立ったまま、テーブルに手を伸ばさないビクトールにフリックが問い掛けると。
ビクトールはにやりと笑ってやっと足を進めた。
「な、ちっと味見していいか?」
フリックの傍まで歩み寄ったビクトールはどこか楽しそうだ。
寄越される笑顔を胡散臭げにフリックは眺めていたけれど。
「ま、いっか。ほらよ」
別にリンゴはひとつきりでもなし。
味見と称して全部奪われたとしても、また新しいのを手に取ればいいだけの事だ。
人の食べくさしを欲しがるビクトールには多少呆れるものの、フリックはリンゴを持つ手を差し出した。
それにビクトールの笑みが更に深くなって。
「じゃ、遠慮なく」
そう言うと、腕を掴んでぐいと引き寄せて。
果汁で光るフリックの唇に自らのを押し当てた。
「〜〜〜っ?!」
驚くフリックの隙を突いて。
ビクトールの舌が中へと入り込む。
そして好き勝手に暴れて、舐めて、吸い取って。
存分に堪能してから、ビクトールはフリックの唇を開放した。

「ごちそーさん、やっぱうかまったぜ」
「おっ前…!」
「怒るなよ、ちゃあんと俺は味見していいかって訊いたぜ?」
「味見…って?!ふつーはリンゴの事だろ?!!」
「俺はそんな事ぁ一言も言ってないぜ」
怒って出された蹴りやパンチを躱しながら、ビクトールは人の悪い笑みを作った。
「俺がうまそうだな、と思ったのはよ、そのリンゴをうまそうに食べるお前の唇だったってこった」
「…っ、な、何言ってんだ!」
「実際うまかったけどな」
「〜〜〜っ、言ってろ、アホ」
悪びれずいけしゃあしゃあと言ってのけるビクトールに。
フリックが赤い顔をして目を逸らせた。
そしてまた、手にしたリンゴに齧り付く。
しばらくしゃくしゃくと小気味のいい音が響くだけだったけれど。
もぐもぐと怒ったように食べるフリックに、ビクトールの腕が伸ばされる。

「な、そのうまそうなの、食ってもいいか?」
「…どっちをだ?」
「そりゃー勿論…」

その続きはビクトールの唇からは出てこなかった。
ビクトールが思う。
うまそうなの、を食べるのに夢中になっていってしまったので。




久々に甘いの。
2007.10.11