温度


酷く、茹だるような暑さの夜だった。

あまりの暑さに睡魔さえもどこかへ逃げだして行ってしまったようで。
全く眠れる気がしないビクトールは、自室のテーブルに着いてちびちびと酒を嘗めていた。
そしてその向かいの席では、同室のフリックがやはりだるそうにして酒を飲んでいる。

とくに何を話すでもなく。
というか、暑さで口を開けるのさえ、だるい。
眠りたいのに眠れず、かと言って他に何かをするのも億劫すぎて。
時折思い出したかのようにグラスを口元に運ぶ以外は、二人は椅子にだらしなく腰掛けてただぼんやりとしていた。


けれど。
ふと、ビクトールは気付いた。

部屋は、微々たる熱でさえも許す気にはなれなかったので灯りは燈していなかった。
かと言って暗くもなく。
むしろ差し込む月光で、明るいと思える程であった。
その、青く白い月明かりが。
フリックに惜しみなく降り注いでいる。
俯き加減で首を少し傾けたフリックの、髪に、肩に、唇に。

暗い部屋に浮き上がったそれらは、なんだかとても冷たくビクトールの目には映った。
それに。
今は身に付けていないけれど、いつもフリックが纏う青。
それは目に心に焼きつきすぎていて、薄い夜着のみであってさえ、フリックを青み掛からせている。
だからだろう。
ビクトールには、フリックが青く、白く、冷たく映ったのだ。



「なん、だ…?」
冷たそうだ、とそう思ったビクトールは突き動かされるようにフリックに触れていた。
白く見える頬に掌を押し当てる。
冷たいのだろう、と思ったそれは。
冷たくはなかった。
けれど熱いかと言えばそうでもなく。

暫しの時が流れても、期待外れであった筈であるそれから、ビクトールの掌は離れなかった。
冷たくなんてなかった。
けど。
ビクトールは掌を退ける事が出来ない。
訝しそうに、そして半ば気怠げに向けられるフリックの青い瞳を見てしまえば尚更に。

そのビクトールの掌が頬を滑り耳元を掠め、うなじへと。
擽ったいからか、フリックが眉を寄せ、僅かに肩を竦める。
それでもゆっくりと確かめるかのように奥へと進む掌は止まらず。
武骨な、太い指が、フリックのうなじを下から上に撫で上げた。
「っ…」
途端に、フリックは目を瞑って小さく震える。
ビクトールはそれから目が離せず。
何度か同じようにうなじを撫で上げ、その度に震えるフリックを凝視していた。


暑かったから。
冷たいだろうと思ったから。
だから、フリックに触れたのに。

なのに何故か、今は触れると体温が上がる気がする。
熱くて。
暑いのに、手が、止められない。
今はもう、席すら立ってもう片方の腕でフリックを捕まえてさえいる。

「ちょ…っ、何なんだ、お前っ…」
当然、フリックからは抗議の声が。
けれどビクトールは答えず、夜着の裾をたくし上げ掌を背に滑らした。
「あっ…」
背筋を撫でられ、肩をびくりと揺らしたフリックの顎が上がる。
晒された喉に、ビクトールは吸い寄せられ、軽く口付けて。
「お前、気持ちいいな」
ビクトールが低く囁く。
「えっ…?」
「…気持ちいい」
「んんっ!」
訊き返すフリックに。
もう一度音を立てて首筋にキスをして。
背から脇腹へと掌を滑らせながら。
諭すようにビクトールは答える。

フリックの体は決して冷たくなどはなく。
それどころか、さっきよりかは何度か温度が上がったのは確実で。
それなのに。
ただそこに居るだけで汗が流れるような暑さの中であるのに。
フリックの肌はとてつもなく気持ちが良かった。



「あぁっ…!あっ…ア…っ!」
白くて冷たい光の中で、フリックが乱れている。
暑さと、熱さと、汗と、涙でぐちゃぐちゃになりながら。
自分に貫かれ、突き上げられ、揺さぶられるフリック。
圧し掛かり、突き上げ、腰を振る自分もまた、流れる汗やなんやかやでぐちゃぐちゃだった。

その、ぐちゃぐちゃの頭で考える。


暑かったから。
冷たいものに触りたかったから。
だからフリックに触れたのに。

なのに、どうして今。
冷たくはなかったフリックに触りたくて仕方ないのか。
さっきよりも、もっともっとずっと。
熱くなるような事をこんなにも必死にやっているのか。



馬鹿みたいだ、と思う。
それでも。

暑くても。

馬鹿みたいでも。



フリックから目を離す事が出来なかった。










目が覚めると部屋は日の光で明るかった。
眩しい位の白い光が目に痛い。
目を擦ろうとして上げようとした腕が動かず、ビクトールはその腕を敷いて眠るフリックにやっと気付いた。
「あー…」
昨夜の事はよく憶えている。
あんなに冷たく見えたフリックは、今は陽の光で温かいように見えた。

穏やかに眠る顔。
昨夜の嬌態の片鱗など欠片も見い出せない。
どこか幼ささえ残る寝顔は、元々の端正な作りのせいもあってとても綺麗に見える。

触りたい。

そう、思って。
ビクトールはそっとこめかみにキスをした。
気持ちいい。
そう思って今度は瞼に唇を落とす。
「ん…」
そうすると、流石にフリックが身動ぎをして眠りから覚醒した。

目を開けたフリックは、少しの間ぼんやりして。
それから、ゆっくりと目線を上げビクトールの顔を見詰める。
目が合ったビクトールがにっこり笑うと、フリックは慌てて身を捩って背中を向けてしまったのだった。
そのフリックにビクトールが腕を伸ばして。
後ろから抱え込んで抱き締めた。
抵抗はないが、何も言わない。
そんなフリックに内心ビクトールは少し焦った。


昨夜、我を忘れて、無茶苦茶に遣りたい放題やってしまった。
怒っているのかもしれない。
いや、そもそも手を出した事自体もしかすると許されなかった事なのでは。
そう思ったビクトールの肝が冷える。
自分はとても気持ちいい思いをして、今もフリックを抱き締めていて、満足というか、満ち足りているというか。
後悔なんてものは微塵もなく、ともすれば幸せなんかも感じたりして。
だけど。
フリックはどうだったのか。
突然襲われたフリックは一体どう思っていたのか。
ビクトールは血の気が引いて、嫌な汗が出るのを感じた。
慌てて昨夜の記憶を探ってみる。

青く白く、冷たく見えたフリック。
触れると小さく震えて、少しずつ体温を上げていった。

「……」
自分に揺すられて涙を滲ませていたフリックは。
だけど。
でも。

ビクトールは軽く身を起してフリックを覗き見た。
「お前…そう言えば、あんま嫌がってなかったよな…?」
記憶にあるフリックは、不安そうだったり泣きそうだったりにも見えたけれど。
怒ってはなかったし、非難の声も、拒否も、蹴りもパンチも雷も寄越してはこなかった。

「なあ」
ビクトールからはフリックの顔までは見えない。
頬のラインと耳だけが見えるだけで。
その頬が僅かに動いて。
「うるさい」
小さな抗議の声が上がった。
けれど、それは否定ではない。
「…嫌じゃあ、なかった、のか?」
ビクトールは半分呆けたような声で訊く。
フリックの頬がまた動いて。
「……うるさい」
また、抗議の声が。
やっぱりそれは否定ではなくて。
言った、フリックの耳と頬が、みるみる赤くなっていく。
それを信じられない思いで見る、ビクトール。



明らかに温度の上がったフリックを見て。
ビクトールの温度もまた、一気に上がったのだった。





リハビリに微エロ。
2010.02.26