チェリー



Victor Side.



色褪せた水色の封筒の宛名には「オデッサ」の文字。
差出人は「フリック」と。
書いた本人の性格を思わせるその文字は固くて生真面目そのものだ。
その手紙は、きっと大事に肌身離さずに持たれていたのだろう。
四隅や折り目はすっかり擦り切れ、所々破れかけていた。



『出発の前に、行っておきたい所があるんだ。』
解放戦争の最後の戦いで負ったフリックの傷が癒えるまで一月程掛かった。
勿論完治などはしていないが、歩ける様になった本人が大丈夫だからと言ってきかないものだから出立の日を決めた。

今日からフリックと共に旅をする。
オデッサとの奇妙な約束や、彼女の死に責任を感じてという理由もあったが、何より自分がこの男と離れたくないと思ったのだ。
人より強いのも知ってるし、もう子供でもない。
けれど目が離せないというか、放っておけないというか。
オデッサの後を追うのでは、という不安があっての事もあるかも知れない。

兎も角、そうこうして一緒に旅立つ日の前夜に、フリックが『行きたい』と言い出した此処にやって来た。
最後の闘いの場。
グレッグミンスターの城跡に。
「こうして見ると、此処にあんな馬鹿でかい城があったなんて、信じられないよな。」
あの時崩れた落ちた城は跡形もなく、瓦礫ばかりが広大な敷地を埋め尽くしていた。
抜ける様な青空に、少し冷たい風。
静かで、穏やかで、遠くには淡い緑が揺れている。
「もう、本当に終わったんだな・・・」
「ああ、そうだな。」
辺りを見回して、フリックは小さく呟いた。
その胸中は表情からでは測りしれなくて。
けれど、きっと。
今は亡き彼女の事を思っているに違いないと。

二人して、ただ黙ったまま暫く佇んでいたのだが。
「なぁ。」
「ん?」
「実は、こんなものを預かっているんだけどよ。」
ふと、思い立って、腰の小袋を掻き回して目的のものを取り出した。

古い、水色の封筒。
宛名にはオデッサと固くて生真面目そうな文字が。

怪訝そうに差し出したそれを眺めていたフリックだったが。
「なっ、何で、お前が持ってるんだっ?!」
記憶を辿って行き当たったのだろう。
持っていたそれは、真赤な顔をしたフリックに思いっきり力任せに引っ手繰られた。
「さぁ、どうしてだろうなぁ〜?」
その予想通りの反応が面白くて、わざととぼけて返事を返した。

サラディからの帰り道。
最後にオデッサと飲み交わした時の事。
酔った彼女を部屋に送った帰りに、宿屋の廊下で拾った手紙。
次の日に返そうとして、返せなかった手紙。
そしてそれはそのまま自分の元で、行き場を無くしていたのだった。

「あれだけ、捨ててくれって言ったのに・・・」
自分から奪い取ったそれを見詰めて、フリックが言った。
困った様に、けれどそれは穏やかに微笑んで。
もっと早くにフリックに渡してやればよかっただろうか。
その笑顔を見て、そう思った。
もしかして、彼女の後を追うのではないかと思っていた。
その心配は杞憂だったのかも知れない。
あんな風に、笑えるのなら。

「まさかとは思うが、中身を読んだりなんかしてないだろうな?」
顔を上げて、こっちを見たフリックの表情は、いつものものに戻っていた。
「してねぇよ。」
「本当だろうな?」
まだ疑っているみたいで、眉間に皺が寄っている。失礼な。
大体、そんなもの読まなくったって、何が書いてあるかなんてくらい分かる。
さっきのフリックの慌てぶりと、オデッサが肌身離さず持っていた事を考えると。
きっと、あの文字同様の、固くて生真面目な文面で。
彼らしい不器用な言葉で、想いの丈が込められているのだろう。
中身は本当に読まなかったけれど、封を開けた事はあった。
封筒に収まった便箋も、淡い水色をしていて、その折り目もまた擦り切れていた。
大事に大事に持っていたそれを、彼女はきっと何回も何回も読み返していたに違いない。
独りの時に、迷った時に、辛い時に。
きっと。

「お前は、生まれ変わりとか、信じるか?」
ぽつり、と。
遠くを見て、フリックが言った。
「いや・・・俺は・・・」
そんなもの信じちゃいねぇ。
けど、そうとは言えなかった。
「もし、そんなものがあるのなら、俺はまたオデッサに逢いたいんだ。」
そう言って、手にしていた封筒を二つに破いた。
驚いて、呆然と見ていると、フリックは笑って手を止めず続けた。
「恋人としてじゃなくてもいい。此処で…この、平和になったこの国で、また、あいつに逢いたいと思うんだ。」
「・・・・・・」
淡々と言葉を吐くフリックの表情は、いっそ清々しい程で。
未練とは違う、オデッサへの想いを垣間見た気がした。

フリックの手にはもう、小さくなった紙片しか残ってない。
あれが手紙だったなんてもう、誰にも解らないだろう。
この、足元に転がる、元は王国の象徴であった城のなれ果ての様に。
「いいのか?」
手元を見詰めて問う自分に、フリックは静かに応えた。
「・・・いいんだ。」
少し、強い風が吹いた。
それを、まるで待っていたかの様に、フリックの掌が開かれる。
「形なんかなくなっても、ちゃんと、残るものがあるからな。」
風に乗って、小さな水色が舞い上がる。
まるで、春の風に舞う、花びらの様に。


淡い花びらは、瞬く間に散って、見えなくなった。
その行く末を、暫し目で追って、その先に広がる世界を見る。
そこに、これから、二人で旅に出るのだ。
「そろそろ行くか。」
「いいのか?」
「ああ。もう、終わったからな。」
戦いが。そして、多分オデッサとの事も。
綺麗に笑うフリックを見て、心がほっとするのが判る。
いつも、こんな風に笑っていてくれればいいのに。
こんな風に、自分が笑わせてやれればいいのに。

と、ヘンな考えをしてしまい、慌てて首を振る。
そしてそれを誤魔化すかの様に、殊更声を張り上げた。
「まぁ、また来たくなったら、いつでも連れて来てやるよ。」
「何だよ、その『連れて来てやる』ってのは?!」
「お前一人じゃどうもな・・・危なっかしくて、なぁ。」
「子供扱いするなっ!」
怒って背中を向けて歩き出す。
そういう所が子供っぽくて、つい構いたくなる由縁なのだが本人は気付いてないらしい。
風に翻るマントの端を掴んで引っ張ると、振り返って眉を吊り上げた。
「何だ?!」
「そっちじゃねぇよ。こっちだ。」
反対方向を指差してやると、ムッとした顔になって、凄い勢いでそちらの方へと足を踏み出した。
「何が可笑しい?!」
笑いは堪えたつもりだったが、どうやら顔に出てしまっていたらしい。
不機嫌な声が背中越に届く。
「いや、やっぱ、放っとけねぇなと思ってよ。」
「・・・・・」
まだ、何か言いたそうにしていたが、結局黙り込んでしまった背中を追いかけながら思う。

固くて生真面目なこの男が、彼女を忘れる事はないだろう。
けれど、幾つもの月日が経って。
もし、いつか、また、この場所で。
フリックとオデッサが、巡り逢う事があるのなら。
その時、さっきの様な笑顔でフリックがいられるよう。
今はまだ悲しい記憶が、優しい思い出に変われるよう。
側にいて、出来るだけの手助けをしてやりたい、と思う。
決して、彼女の死に対しての償いとか、負い目などではなく。
これから始まる、散り散りになって飛ばされた、あの水色の手紙の様な。
往く宛ての無い、旅路を共に歩きながら。


                    『Fric Side.』に続く。2002.03.18



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