「あ〜〜〜疲れた!早く帰ってひとっ風呂浴びたいぜ!」 「ほんとですね…」 春、とは名ばかりの冷たい風が吹く。 ざあっと、夕暮れ時の野が音を上げる。 その風に吹かれてビクトールが呟いたのを受けて、ヤマトが空を仰いで応えた。 最近敵国のハイランドで王位継承があったらしい。 その情報を得る為に、ヤマト達はサウスウインドウまで出掛けていたのだ。 「もう、おなかもぺこぺこだよぉ〜」 「アタシも…」 ナナミがおなかを擦りながら情けない声を出す。 アイリも相槌を打ちつつ溜息を漏らした。 それに殿を歩く騎士二人が肩を竦める。 今日は新しい情報が飛び交うのを必死に集め、もう皆くたくただったのだ。 帰りに馬車を拾えなかったのも拍車を掛けている。 「お?!見えて来たぜ。懐かしのわが家がよぉ!」 ビクトールの声で、皆の疲れで落とされた視線が上がった。 前方にあったくすんだ灰色から、僅かながらも城の形が浮き上がりはじめる。 一同にほっと安堵した空気が広がった。 「もうちょっとだー!」 両手を天に伸ばして、ヤマトが声を上げた。 「でも…ビクトールさんたら今日一日だけなのに、『懐かし』だなんて大袈裟だなあ〜」 「ん?そうか?」 その隣でナナミがくすくすと笑う。 「でもまあ仕方ないか。ビクトールさんにとってはほんとの故郷なんだもんね。」 「え…?」 「あっ…ナナミ!」 「なぁに?」 そして、ひとりごちたナナミの言葉が。 騎士の二人に不思議そうな顔をさせ、ヤマトとアイリに気まずそうな顔をさせた。 ビクトールは応えることなく、ただ少し苦い笑みを浮かべている。 「ビクトール殿の本当の故郷とは…あの、本拠地の城がですか?」 「うん、まぁ…」 マイクロトフが疑問を投げ掛けたのに、ヤマトが曖昧な声を漏らす。 「でもあそこは同盟軍が城を置いてから人が集まったと…」 「あそこにはな、以前村があったんだよ。」 ノースウインドウという名の村が。 10年程前、滅びた、忌まわしい村が。 それをマイクロトフが知らないのは無理もない。 同じ都市同盟の領地だからといって。 湖を挟んだ遠く離れた異国の小さな村の、その最期など。 戦時中のご時世に、他にも滅びた村などいくらでもあるのだから。 「村…?そうでしたか。でも確かビクトール殿はフリック殿とミューズから来たと…」 「マイクロトフ…」 尚も言い募るマイクロトフに。 敏感に機微を察したカミューがその背中を抓るよりもはやく。 「ねえ、マイクロトフさん達はマチルダに居たけど、やっぱりマチルダ出身なの?」 ヤマトが振り返ってにっこりと尋ねた。 「え?ああ…そうです。カミューは違いますが…」 「私はグラスランド出身なのですよ。」 話題が一気に変わって、カミューはそのきっかけを作ったヤマトに目で感謝の意を表しながら答える。 「へえ〜行った事ないなあ。アイリならあるかな?」 「ううん、アタシも行った事はないよ。」 「確かすっごく遠いんだよね?」 「そうですね…ここからはとても遠い。ですが、いつでも思い出す事は出来ますよ。」 はるか前方、北を見据えて、カミューが言った。 その視線の先に、彼の故郷はあるのだろう。 「あのさ、僕とナナミはね、今はこんな事してるけどさ…」 歩き出し、ヤマトは少し俯いた。 「ほんとはキャロ…ハイランドにいたんだ。」 「それは…」 都市同盟の主として名を冠するこの少年が。 ほんとうは敵国出身だったと知って、騎士の二人は些か怯んだ。 「ねえ、馬鹿な事してると思う?それとも、僕の事信じられなくなった…?」 「ヤマト殿…」 背中越に聞こえてくる声は、風に揺すられて少し、頼りない。 その後姿に、大きな掌が伸びた。 「ばか言ってんじゃねえよ。」 「うん。」 ビクトールの掌が、ヤマトの頭を掻き回す。 短く応えた弟の腕を、黙って姉が取って自分の腕を絡ませた。 その後ろで、アイリが伸ばしかけた手を引っ込める。 そして。 「いいえ!思いません!」 一際大きい声が響いた。 驚いて振り返った一同の目に、マイクロトフの真摯な表情が映り込んだ。 その隣で、伏せていた瞳をカミューが上げる。 「私達だって…主君を裏切って来たようなものです。でも…」 「自分の信じた道にいる!ヤマト殿もそうなのでしょう?!だったら、何故疑わなければならないのです?!」 マイクロトフの熱い檄に、しばし呆然としていたが。 「…そうですね。ありがとうございます!」 にっこりと。 ヤマトはとびきりの笑顔でそう言った。 そして少しはにかんだ後。 勢い良く振り返って歩き出す。 「あーのーやーまーをー」 大きく息を吸い込んだヤマトが、殊更ゆっくりと歌声を上げた。 ぎょっとした周りの注目が集まる。 けれど。 それをものともしないで、歌は続く。 「いつかーこえーてー」 「かえろーおよーわーがーやーへー」 少女の声が重なった。 少し後ろを歩く、アイリの声だ。 「こーのーむーねーにーいまもーのこーるー」 ナナミも、楽しげな声で混ざる。 「ふるさーとのーいーえじーよー」 ビクトールの、低いけれどよく通る声も加わった。 「ああーわーがーやーよーひのひーかりーかーがーやーくー」 騎士の二人は顔を見合わせ。 そして穏やかに笑い合う。 「くーさーのーみーちーうたいーながーらー」 夕暮れで茜色に染まった空に、歌声は響く。 各々の目には、今は還れない遠い故郷の風景が見えている。 「ふるさーとへーかーえろーおー」 歌い終わって。 自然と足取りが速くなる。 はやく、はやく。 家に帰りたい。 あの温かな場所へ。 その想いが。 いつの間にか皆を駆け足にさせていた。 「おっ?!」 短く声を上げたビクトールが、突然スピードを上げて駆け出した。 「よっし!ここから城まで競争な!!」 「あっ!ずるーい!」 「大人気ないですよ!ビクトールさんっ!!」 ひとり群を抜いてから宣戦布告したビクトールに、非難が轟々と浴びせられる。 けれど。 ビクトールは決して足を緩めなかった。 その視界に。 見慣れた青が次第に大きくなっていく。 「おおーい!フリックーっ!!」 「あっ!姉さーんっ!」 「ピリカー!」 後を追う子供達からも、声が被さった。 近づく城門に、3つの影がある。 声が届いたのだろうか。 小さな幼子と、その後ろに控えている女が手を振った。 「なに走って来てんだよ?」 はあ、はあ、と息を吐くビクトールを、フリックは苦笑混じりに出迎えた。 「…だっ…お前の…すが…見え…っ…からっ…」 「別に、お前の帰りを待ってた訳じゃねーよ。」 息も絶え絶えに答えたビクトールの言葉に、フリックが顎でピリカとリィナを指した。 「私は別にいてもらわなくても平気だって、言ったんですけどねぇ。」 おや、と小首を傾げながらリィナが微笑む。 「女子供だけでこんな時間に放っとける筈ねーだろ?!」 それにフリックが顔を赤くしながら反論した。 そこへ。 「たっだいまー!」 「ただいま、姉さん、待っててくれたんだ!」 「おかえりなさい。」 「ピリカ、ただいま。」 「……」 「お出迎えとは嬉しいですね。」 「よう、お疲れ。」 「ご無事でなによりですわ。」 どやどやと残りの連中が雪崩れ込んで来る。 「はやくごはん食べに行こうよぉ〜!」 ただいま、おかえり、と。 互いに笑顔を交わしていた一行は。 ナナミの一言でばらばらと移動をはじめた。 駆けて行くピリカを姉弟が追う。 アイリがそれに続こうと、早く、とカミューと談笑するリィナを急かす。 そんな遣り取りに溜息を漏らしつつ、けれど笑顔で後に続くマイクロトフ。 そして。 「おかえり。」 残ったフリックが、同じく残ったビクトールに、改めて告げた。 「おう、ただいま…」 「…何だよ?」 「いや…」 じっ、と。 黒い瞳がフリックを見詰めている。 その表情が今にも泣き出しそうに見えて。 フリックはビクトールを覗き込んだ。 この城を本拠地にするようになってから。 こうして出来る限り、フリックはビクトールを出迎えてくれる。 それは傭兵砦ではなかった事だった。 ここに来てから。 この、一度滅んだビクトールの、故郷に来てからの習慣だ。 「出迎え、ありがとな。」 「別に…大した事じゃない…」 もう、すっかり沈んだ陽の名残が城を黒く浮き上がらせる。 血のような、赤。 かつてここは、そんな色に染まった。 何もかもに絶望して。 何もかもを自分の手で壊した。 村を滅ぼした仇敵を討ち取って。 ここへ報告に来たあの時でさえ。 その冥い塊りは胸の奥に残っていたというのに。 「俺に取っちゃあ、大した事なんだよ。」 「……」 どう言えば、伝わるのだろうか。 ここは、辛く苦しい思い出がある場所で。 ここには、もう、家族はいなくて。 それなのに。 ここへ還る道は。 同じである筈なのに、あの時とは明らかに違う。 足取りも、目に映る景色でさえ。 ただ、ここに。 「おかえり」と言ってくれる、この青年がいるだけで。 こんなにも泣きたい程に。 「還りたい」と。 そんな想いを。 どう言えば、伝える事が出来るのであろう。 「だったら…ちゃんと待っててやるから。」 必ず還って来いよな、と。 最後は小さくなった声でフリックが告げた。 その言葉が、またひとつビクトールの胸に温かな灯りを燈す。 そっと手を差し伸べて、その頬に触れた。 「還るさ…いつだって、お前のいる処なら、何処へだって。」 そのまま顔を近付けて。 耳許へ囁く。 暗がりでフリックの顔は見えなかったけれど。 背中に回った腕に。 それに確かに込った想いを、感じる事が出来たビクトールは。 硬く目を閉じ。 強く強くその温もりを抱き締めた。 終。 2002.01.22 |
←back |