ビクトールが故郷に帰ったのは、旅に出てはじめての事だった。 8年前、ノースウインドウは一人の吸血鬼によって滅ぼされた。 そしてその時。 ただひとり生き残ったのがビクトールだった。 ビクトールは仇討ちの為に旅立ち、そしてついにその悲願を達成した。 その、報告に。 故郷へとビクトールは帰る。 行き交う人のいなくなった荒れ果てた道を歩く。 どしてだろう。 この道は、もっと、軽やかな足取りで歩く筈だった。 けれどもビクトールの足は重い。 仇討ちを成し遂げたのだと。 もっと胸を張ってもいい筈なのに。 なぜこんなにも前に進むのに力がいるのだろう。 まるで泥沼をゆくみたいだ、と思う。 夏の暑さも相まって、流れる汗が酷くうるさい。 もう村は見えている。 少しずつ、少しずつ、視界を占めていく。 そうして辿り着いた村の入り口で。 最初にビクトールを迎えたのものは。 簡素な木を組み合わせただけの幾つもの墓標だった。 それは嘗てビクトールが作ったものだ。 「今…帰ったぜ。」 誰に告げるでもなく呟く。 村はしんとしていたが、思ったよりもずっと明るい景色が広がっていた。 崩れた廃墟を緑が優しく包み込んでいる。 穏やかに吹く風に、時折小鳥の囀りが乗って辺りに響く。 日はさんさんと、全て晒け出すかのように惜しみなく降り注いでいた。 唯一そぐわない夥しい数の墓標でさえ、明るい光に照られている。 呆れるほど、和やかな風景。 それは、ビクトールが嘗て見た事もない故郷の姿だった。 それでもどこか面影は残っていて。 焼け崩れた壁の間を、ビクトールは迷いもなくざくざくと歩を進める。 そして一角で足を留めた。 もう殆ど何も残ってなくて、微かに間取りが読み取れる程のものでしかなかったが。 確かにそこは、ビクトールの家だった。 その脇に4つの墓がある。 「ただいま…」 記憶に残る玄関を潜って、ビクトールは立ち尽くした。 「おっかえり〜!」 ビクトールが扉を開けて中に入った瞬間。 まだ幼い弟が駆け寄って首に齧りついた。 「おう、いい子にしてたか?」 「うん!ねーねー、おみやげは?!」 満面の笑顔の弟を抱き上げて、ビクトールは笑った。 今回の仕事は2ヶ月掛かっていた。 死んだ父親を習って、傭兵業をしている自分は度々家を空ける。 歳の離れた弟に土産を買ってやるのは、この仕事をはじめた時からの習慣だった。 「おう、これな。ぶどうジュースだ。お袋達にはこっちな。」 「ありがとよ。ほら、お兄ぃちゃんは疲れてんだから、あんまりしつこくするんじゃないよ!」 シチューの鍋をかき回していた母親が、弟を嗜めながら歩み寄る。 「んで、こっちが今回の稼ぎだ。」 「すまないねぇ。」 「それで何か美味いもん作ってくれよな。」 葡萄酒と供に、小さな皮袋も手渡す。 父親は弟が産まれてすぐに死んだ。 それ以来苦労して働く母親の力になる事は、ビクトールにとっては当たり前の事だった。 「おかえり、ビクトール。怪我はないかい?」 椅子で編物をしていた祖母が優しい笑顔で尋ねる。 「おう、俺は頑丈に出来てるからな!それより腹がぺこぺこだぜ。」 「はいはい、もう出来てるよ。」 母親が呆れたように言って、それから笑う。 背中に齧りついたままの弟が、僕も、とはしゃいで声を上げた。 優しく微笑む祖母の笑顔。 そしてうまそうなシチューの匂い。 温かい空気に、家に帰って来たのだとほっとする。 そこに、扉が開いて明るい声が響いた。 「ビクトール、帰って来たのね!」 振り返ると、逆光の中でおさげに編んだ幼馴染が笑っていた。 「おう、お前にも土産があるんだぜ。」 そう言うと、嬉しそうに笑ってこちらに歩き出した。 「もう、夢だ…」 目の前に広がる床の残骸を見ながらビクトールが言った。 もう、ここに家族はいない。 ここには、何もない。 「夢だ。」 自分に懐いて可愛かったまだ幼い弟。 怒ると怖いけれど明るかった母。 厳しい面を持ってはいたが優しかった祖母。 何かと世話を焼いてくれ大切に思っていた幼馴染。 何故、彼らが死ななければならなかったのだろう。 それぞれに、明るく懸命に生きていた善良な人々だった筈なのに。 戦場で、人を殺して幾らの仕事を生業にしている自分が生き残って、何故。 理不尽な憤りが今更ながらにビクトールを襲う。 「くそっ…っ!」 地団駄を踏んで、拳を握り締める。 あの時。 弟を食う、母を斬った。 自分に襲い掛かる祖母も斬った。 他の村人も、顔見知りもそうじゃないのも。 恐ろしい化け物に成り果てた連中を見て。 絶望して、否定して、目に映る何もかもを叩っ斬っていった。 「何でだ…!」 ビクトールの声が、明るい世界で、酷く不似合いに響く。 「何で、仇は討ったのにっ…!何でまだこんな思いをしなくちゃなんねぇんだ!!」 明るい、優しい、笑顔が幾つも浮かぶ。 それは全部、自分が斬り捨てた村人のものだ。 「何でっ…!!!」 仇を討てば、胸の闇は晴れるのだと思っていた。 そう、思いたかった。 仇を討ったからといって。 村が元通りにはならないし、死んだ人も還らない。 そんな事は充分解っていた。 けれど。 自分は、それ以外に、残りの人生を使う術を知らなかったのだ。 例えば別の人生もあっただろう。 折角助かった命なのだから。 大切に使って、別の街や村で地道に暮らす事も出来た筈だ。 現に。 この村とは少し違うけれど、戦争で焼き討ちにあった村の生き残りで、そんな風に生きている人間を少なからず知っている。 きっと、その方が賢いし、そうする方が多いのだろう。 しかし自分には出来なかった。 15で初めて戦場に立った。 それ以来剣を振るって生きてきた。 金の為に、裏で汚い事もした。 そんな自分は、やはり血生臭い方法でしか、生きる道を見出せなかったのだ。 けれど思う。 自分だったからこそ、化け物に成り果てた家族を、村人を、葬り去れたのだと。 死んでからも尚、辱められる事もなく、終わらせてやる事が出来たのだと。 あの場にいたのがもしただの農夫や商人であったなら。 逃げるか、もしくは新しく化け物の仲間入りにさせれていたかのどちらかであっただろう。 自分だったからこそ、腰に剣があって、それを振るう事も出来たのだ。 村が滅んで、一時期身を寄せていたミューズで。 仇討ちに行くと言った自分を諭した女もいた。 「あんたがシゴトで殺した人にも家族や恋人がいた筈だろう?なのにそんなあんたが、家族を殺されたからって、仇討ちに出るのかい?」 揶揄の込ったその言葉の真意は違うところにあったのかもしれなかったけれど。 言われたそのものの意味は痛いほどよく解ってはいた。 それでも行くと言うと、女は苦く笑って見送ってくれた。 「あんたにはあんたの真実や正義ってもんがあるんだろうね。」 真実や正義。 そんなものはその時にはなかったのだ。 ただ、そうする事しかできなかったのだ。 けれどここ数年で。 そうではいけないのだと思いはじめていた。 オデッサに出会ってから。 同じように大事な人を失くした境遇の彼女の。 ただ復讐に生きるのではないその生き方を間近で見るにあたって。 その彼女を支える青年を見るにあたって。 そしてオデッサが逝ってしまって。 側にいながらも守れなかった事を悔いるばかりの自分とは違って。 側にいなかったのに守れなかった事を悔いながらも、復讐だけではない生き方を選ぼうとしているフリックを見て。 自分も、また、復讐だけではない生き方が出来るのではないのかと。 そんな風に思いはじめる事が出来ていたのだ。 仇討ちが終わって。 それでも深く抉られた傷の痛みは消える事がない。 けれど。 自分の生きてきた道が、仇討ちだけのものではなかったのだと気付く。 トラン湖の中に佇む。 解放軍の本拠地で、自分を待つ人々がいる。 自分には、まだ、すべき事がある。 そう思う事で、どこか救われた気分になった。 ビクトールは顔を上げた。 振り返って家の敷地を出る。 そして。 傍らに立つ、墓標にぎこちなく微笑んだ。 「仇は討ったぜ…俺も…もう、先に進んでもいいよな?」 当然応えるものはいなかったのだけれど。 答えは胸の内にあるのだと。 ビクトールは身を翻して、勢い良くその場から去っていった。 歩き出したビクトールは、一度も留まる事をしなかった。 振り返る事もない。 そうしてこの村を出て行くのだ。 仇討ちの旅は終わった。 けれど。 還るところのない自分の旅はまだ続く。 今参加している解放運動が終わっても、まだ、旅は続く。 そんな自分でも、いつか留まる処が出来るのだろうか。 フリックの優しさに救われた。 そう遺したオデッサの死に顔は安らかだった。 そんな風に、自分も救いとなる相手に巡り会えるだろうか。 そんな風に、穏やかに笑みを浮かべて死ぬ事が出来るだろうか。 心休まる日は来るだろうか。 そうなればいい、と思う。 そうなるように、生きたい、と思う。 今はまだ。 その答えは見付からないけれど。 「とりあえず、早いとこ帰るか…」 自分を待つ仲間の元へと帰ろう。 城を出るとき見送った、心配そうな軍主の少年の顔が目に浮かぶ。 「煩いのもいる事だしな。」 そして。 何かにつけ挑みかかってくる、あの青い瞳も。 フリックの憮然とした顰めっ面を思い出して、ビクトールは笑みを漏らした。 はやく。 と、そう思うビクトールの足が自然と速くなる。 その足取りは。 ここへ来る時のものとは打って変わって軽く。 今にも駆け出しそうであった。 つづく。 2003.01.19 |
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正しくは「ノースウインドウ」ではなく「ケンタッキー」 歌詞は→こちら |
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