1 Victor 「よお、熊!また振られたんだってな。」 カタンと椅子を鳴らして隣にフリックが座る。 夜の食堂。いや、夜は酒場か。 美人できっぷも良い美人女将のレオナの采配で、今日もここ傭兵砦の夜は賑わっている。 「・・・今度こそはもつと思ったのによぉ。」 「まぁ、あれだな。そもそも熊が人間の女と付き合おうってのが間違いだな。」 カウンター越のレオナに「いつもの」と声を掛けたフリックは、人のツマミを頬張りながら、酷い事を言う。 「お前なぁ〜〜〜〜それが傷心の相棒に向って言う言葉かよ…」 「ははは。で、今度は何だって?」 「『他に好きな人がいるんでしょう』だとさ…」 「何だ。また同じか。」 「……」 フリックが「また」と言ったように、その類の言葉で振られたのは、もう数え切れないくらいだ。 「なぁ、ほんとは誰か好きな女がいるんじゃねーのか?ビクトール。」 出されたジョッキを受け取って、フリックはこちらを窺うように一瞥した。 「…いねぇよ。そんな女なんざ。」 ほんとは、女じゃないやつなら、いる。 何よりも誰よりも。 この世で一番好きな奴が、今、目の前に。 「そうか?…アナベル…とか。」 「あぁ?だーかーらー!アナベルとは、何でもねーって、何度も言ってんじゃねぇか。」 「ふ〜〜〜ん?」 「何だぁ?その疑わしい目は。」 「別にぃ。」 少し、憮然とした面持ちは、一口酒を飲み込めば瞬く間に消えた。 「熊の分際で、女なんか囲おうとするからそんな目に合うんだよ。」 そう言ってカラカラ笑うフリックは上機嫌だ。 思いおこせば、自分が女に振られた時の、フリックの機嫌はすこぶるいい。 今も、骨付きの唐揚げなんかに噛み付いて、にこにこしている。 「お前な…そんな、俺が振られたんが楽しーか?」 「そりゃお前。いつも俺に『女心が全然解っちゃいねぇ』って偉そうにほざいてる奴が、へこんでんの見るのは楽しいさ。」 「…左様でございますか…」 「ほんとにお前、女心なんか解ってんのか?」 「あーもーうるっせえなぁ〜!」 何だって俺はこんな奴に惚れてんだか。 「…ったく、一体誰のせいだと思ってんのかねぇ。」 「あ?何か言ったか?」 「べーつにー!」 好きで好きで好きで好きでしょうがない。 けど。 男同士でどうにかなるわけでもねぇ。 しかも、死んだ女に肩入れしまくって、周りなんか全然見えてないような奴が相手では。 そう思って、折角人が諦めてやろうと、手当たり次第女に走ってるってのに。 「まぁ、そー拗ねんなって。今日は俺がとことん付き合って慰めてやるからさ。」 「…っ?!」 ガシャン、と手にしてたフォークを思わず取り落としてしまった。 今、なんて? 「何やってんだよ、ビクトール。」 「えっ?いや、だって、おまっ…」 「今日は全部俺の奢りだ。朝まででも付き合ってやるから、気が済むまで呑めよ。」 落ちたフォークを手渡してくれながらフリックが綺麗に微笑んだ。 「あぁ。あー…そーゆー意味か。そーだよな。」 「他にどういう意味があるんだ?」 「ははは。」 頭を掻きながら、邪な想像を笑って誤魔化した。 まさか、体で慰めて貰おうと思ったなどど、口が裂けても言えない。 「聞こえたよ、フリック。」 きょとんと小首をかしげるフリックに、レオナから声が掛かった。 「このザルに奢りだなんて、後で後悔しても知らないよ?」 「はは、たまにはいいだろ。それに今日はこの熊の失恋10回目のお祝いだからな。」 「もうそんなになるのかねぇ。」 「おい、何で『お祝い』なんだよ?!」 「女達が熊の呪いから解き放たれた祝いだ。」 「呪いって何だあっ?!」 「あははははは。うまい事言うねぇ、フリック。」 あーもー!!何だって俺はこんな奴に!!! 「レオナも何か言ってやれよ。」 「そーさねぇ。熊の浅知恵ってゆーのかねぇ…」 「はははっ、お前、浅知恵とか言われてるぞ。」 「お前が言わせたんだろうがぁあ!」 機嫌がいいせいなのか、酔ってるせいなのか、フリックは非常に陽気だ。 ふと、レオナと目が合うと、にっこりと目を細めて笑われた。 「あんた達はいつもそうして隣にいるんだよねぇ。」 「ああ?」 「たまには、向かい合ってじっくりお互いの顔見てりゃ、解る事もあるだろうにねぇ。」 「何の事だ?」 「さぁてね。」 どん。どん。どん。 と、酒瓶が3つ、カウンターに並べられた。 「これはあたしからの差し入れだよ。部屋でゆっくり飲みなよ。」 「レオナ?」 「ほら、フリックも今日はとことん付き合ってやるんだろ?」 「あっ、ああ…」 そう言うとレオナは、もうとっとと出て行けと言わんばかりに片付けをはじめた。 仕方がないので、酒瓶を掴んで席を立つ。 「じゃ、じゃあ、行くか?フリック?」 「そうだな…」 促されて立ち上がるフリックも、妙な顔をしていた。 扉を抜けて、階段に向う。 「何だぁ?レオナの奴。いきなり部屋で飲めなんてよ。」 「さあな。お前が酔って暴れ出す前に、いいように追い出されたんじゃないのか?」 「失礼な…誰が暴れるか!」 「いつも暴れてんじゃねーか。」 フリックの突込みには聞こえない振りをした。 いやしかし。 このまま部屋で飲むのはまずいような気がする。 『向かい合ってじっくりお互いの顔見てりゃ、解る事もあるだろうにねぇ。』 解られては困るじゃねぇか。 ひとが今迄振られまくってまでしてきた苦労が水の泡になってしまう。 「なぁ、やっぱり、今日は独りで飲むわ。」 部屋の前で、フリックに告げる。 「…そ、そうか。そうだよな。解った…」 そうすると、フリックの表情が落胆の色に翳ったように見えたのは、自分の気の迷いが見せる錯覚なんだろうか。 「……」 「……」 「あーえっと、じゃあな。」 何故か気不味い空気が漂った気がして、取り繕って自室の扉を開ける。 体を滑り込ませたところに、後ろから声が掛かった。 「ビクトール。」 「な、何だ?」 「もし俺が…」 「お前が?」 「……」 「……?」 「…いや、何でもない。飲みすぎるなよ。」 「おぉ。わかってるって…」 振り返ると、フリックの薄く笑った顔が目に入ってきたと同時に扉が閉じられた。 部屋に一歩踏み出そうとして、動きが止まる。 最後に見えた、フリックの笑顔が目に焼き付いて、離れない。 さっきまで酒場で見せていたのとは全然違う。 どこか儚げで、切なそうな。 笑っていたけれど、泣いてるようにも、見えた。 その笑顔が。 目を閉じても、消えない。 「―――っ!」 体を翻して扉を叩き開けて。 短い距離を全速で走る。 そして、力任せにフリックの部屋の戸を開いた。 そこには、目元を赤くして、あの、切なそうな青い双眸を湛えたフリックが。 「ビクトール?」 「何泣いてんだ、お前は。」 「だっ誰が泣いてなんか…」 『向かい合ってじっくりお互いの顔見てりゃ、解る事もあるだろうにねぇ。』 解るだろうか。 いや、解りたい。 そのための一歩を、フリックへと俺は踏み出したのだった。 |
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