「…行かねぇよ。」 「え?」 予想と反した答えに、思わず顔を上げた。 また、頭を掻きながらビクトールは息を吐いた。 「行かねえ。」 「…何だって?!」 どこか不貞腐れたように横を向くビクトールに声を荒げてしまう。 「人が折角後の事はまかしとけって言ってるのに、何で行かねーんだよ?!」 「んなの、俺の勝手だろーが!」 「そりゃっ…そうだけど…」 ビクトールに怒鳴り返されて言葉を詰まらせる。 行くものだとばかり思っていた。 3年前の解放戦争の時。 ビクトールは仇討ちの報告に一度軍を抜けた。 だから今回もそうするものだと思い込んでいたのだ。 「俺は…前の時みたいに絶対行くって言うと思ったんだけどな…」 「ああ…そうだな…でも、俺も昔と今とじゃあ事情が違うんだ。」 「違う?」 「大事な…守りたいもんが、出来ちまったからな。」 「大事な…もの?」 ビクトールにとって、一番大事なものとは、ネクロードへの敵討ちだと思っていた。 それ以上に大事なものがあるのだろうか。 それも、この3年の間に出来たというのだろうか。 問い掛けるような視線を向ける自分に、苦く笑ってビクトールが肩を竦めた。 「奴は神出鬼没だからな…追い駆けてって、留守の間にこの城に攻め込まれちゃあ話になんねぇかんな。」 「ああ…」 そうか。 ビクトールにとって、大事なものとはこの城そのものなんだろう。 一度死んだこの町が。 日に増し活気を持って華やいでいく。 焼け野が原に、また、緑が戻って来るような。 そんな気持ちでビクトールはいるに違いない。 ここを守りたいと想う、その気持ちはよく理解出来る気がした。 「それにここに居た方が情報は入り易いしな。」 「そうだな。」 「ま、いずれきっちりカタは取らせて貰うけどよ。」 「ああ…すまなかったな。余計な事言って…」 「……」 「?」 本当に、悪かったと思ったので素直に詫びを入れたつもりだった。 しかしその言葉に、ビクトールは目を眇めて少し怪訝な顔をした。 そして。 また、少し不機嫌そうな顔になって踏ん反り返った。 「まったくだな。」 「…だから、悪かったって言ってるだろ。」 「謝まられてもな…どうせ肝心な事ぁ解ってねぇんだろうし…」 「何だよ?肝心な事って…?」 「……」 ビクトールは、そっぽを向いたまま答えなかった。 その態度に、唇を噛む。 「…ああ、解んねーよ!お前が、そうやって何にも言ってくれないからな!」 「……」 ビクトールは、まだ他所を向いている。 目を閉じて、苛々と髪を掻き毟って。 言うのを、酷く躊躇っているかのように見える。 それでもややあって、言い捨てるように言葉が出た。 「言え言えってなぁ!…言ったらお前が困るだろーがよ…」 「俺が?何で?」 「さあな。」 「さあな…って……何だよ?」 しらを切ったビクトールの手が伸びてきた。 そして、その掌が頬を滑る。 問うたのは、その突然の脈絡の無い行動の意味だ。 「お前が…言ってもいいってぇならちゃんと教えてやるよ。この手の…意味も、な。」 「この手の…意味…?」 頬に添えられた掌の親指が、唇をなぞる。 いつも、触れてくるこの手に、意味があったのだろうか。 頭を撫でたり、髪を梳いたり、肩を抱いたり。 子供扱いしているものだと思っていたこの手に、何か他の意味が。 「言ってくれなきゃ解らねーよ。」 「…ああ、そうかもな…」 動いたビクトールの唇が、そのまま近づいて来た。 そして、唇が重なる。 軽く触れて。 それはすぐに離れていった。 「な…に…?」 「俺の…大事なもんは、お前だ。」 また、顔が近づいて。 唇を舐められた。 「大事だから、守りてぇ。」 「この…手…は?」 「こうして触れて…俺のもんに出来たらなぁと思ってよ…」 頬に置かれていた掌がすっと耳の後ろに滑った。 指が、項をなぞるのにぞくりとする。 「それって…」 「お前に惚れてるってこったろうな。」 引き寄せられて、囁かれた。 かっと血が昇る。 惚れてる? ビクトールが、自分に? 「…嘘だ。」 俄かには信じられなくて胸元を押し返した。 それにビクトールが顔を顰める。 「なんでこの期に及んで嘘なんざ吐かなきゃなんねぇんだよ。」 「だったら…どうして…」 自分はずっとビクトールにとって、それほど大事な存在だとは思っていなかった。 「俺を除け者にするんだ…」 「除け者ぉ?」 心外だと言いたげにビクトールは大仰に驚いてみせた。 「あの時…ノースウインドウに行く時…リィナに俺の事引き留めさせたじゃねえか。」 「あー…あん時なあ…」 ぐっと詰まって、ビクトールが少し離れる。 「俺に…惚れてる…って言うんなら、なんで連れて行かないんだよ。」 「そりゃあ…だってよ…」 言い難そうに目を泳がせるビクトールの視線を捉えて、答えを促す。 「…好きな奴にはよ、格好悪ぃトコなんざ見られたかねぇじゃねぇか…」 「はあ?」 「…ここに来てよ、やっぱり嫌な事思い出しちまって…うじうじしてるトコなんざ見せたかねぇよ。」 「何だ…それ…」 「お前だって男なら、そーゆーの解るだろ?」 男の矜持ってやつだ、とビクトールがバツが悪そうに答えた。 そんな事、今更。 「…馬鹿じゃねーのか?」 「ああ?!何だとお?!」 「今更、何格好付けてんだよ?!」 馬鹿だ。 こいつは大馬鹿だ。 「だって今更だろ?!この3年間ずっと一緒に居てっ…ずぼらなトコとか、ぐうたらなトコとか、浪費家で酒癖女癖悪いのとか全部俺は見てきたじゃねーか!!」 「う…それは…」 そんな、どうでもいいような所は嫌って程見せるくせに。 肝心な事は何も言ってくれなかった。 「そんなくだんねえプライドなんかに振り回れて…俺は…っ!」 そして自分はもっと大馬鹿だった。 何も、本当の事は見てこなかった。 だから勝手に好かれないと思い込んで。 勝手に落ち込んで。 「俺は…っ…」 「悪かったよ…」 一頻り怒鳴った自分の肩を抱いて、ビクトールは小さく謝った。 後ろに回った手が、背中をあやすように擦る。 「これからは…ちゃんと言う。から…怒んねぇでくれよ、な。」 「…もっと…早くから言え…馬鹿野郎。」 「んな事言ってもよお…」 ビクトールが、甘えるように首筋に鼻先を埋める。 少し、擽ったい。 「…こちとら繊細に出来てるんだ。お前に嫌われちまったら、何にも手に付かなくなっちまうだろーが。」 「良く言う…心臓に毛が生えてるくせに。」 「本当の事だぜ?…なのにお前ときたら『出て行け』なんてよ、平気で言ってくれるし…」 「別にっ……平気って訳じゃあ…」 ぐっ、と腕に力が込もった。 ぴたりと体を寄せて、息が詰まる程抱き締められる。 「行かねえよ…お前を、置いてなんかどこにも行きたかねぇんだ。」 重く苦しい声を。 きつく抱き締める腕の中で聞く。 それは言った本人が自身にも言い聞かせるかのようにも聞こえる。 葛藤、しているのかもしれない。 ここに残る事と、仇敵を追う事を。 「だったら…俺も一緒に行くから…」 「お前が?」 「ああ…」 「出来ねぇだろ…お前が、ここの連中を見捨てて行ける…訳がねぇ。」 「……」 「ヤマト達の力になるって…約束したんだろ?」 「それは…」 まだ、幼さの残る姉弟の顔が脳裏に浮かぶ。 自分達が戦いに巻き込んだ。 その責任を捨てて。 「お前には、出来ねえ。出来たとしても絶対後悔する。だから行かねえ。」 「俺が足枷だってんなら…」 「馬鹿、俺がお前と一緒に居たいっつてんだろ。」 「だけど…」 「あーもー!この話はこれでしまいだ!な!!」 言い淀む自分に強引な決定打が下される。 いつもビクトールはこんな風だ。 だけど、決してそれは自分の望むべくものではない。 「それに心配しなくても奴とは因縁があんだ…こっちから動かずとも、いずれ決着を着けられるだろうよ。」 「そうか…」 ネクロードへの復讐。 それが、ビクトールの何よりの悲願だった筈だ。 なのに。 それよりも自分を選ぶというのだろうか。 それだけ、ビクトールにとって、自分という存在は大きいのだろうか。 まるで、天地が引っ繰り返ったようだと思う。 けれど。 自分を包むぬくもりは確かなもので。 それはとても心地よく自分を包む。 「なあ、フリック…そんな事よりもだな…」 「?」 「さっきの続きが聞きてぇんだがな。」 「続き?」 「『俺は』の続き…俺が、お前を除け者にしたって思って…それでお前はどう思ったって?」 「…っ…それは…」 「な、聞かせてくれよ。お前が俺の事、どう思ってんのか…」 人の悪い笑顔でビクトールが問い掛ける。 ほんとは言わなくても、解っているんじゃあないのかと疑いたくなる程の。 「なあ…?」 促すように囁かれる。 その唇が滑って、頬を掠める。 そして顎骨を沿うように何度も唇が押し当てられた。 きっと、もう。 この男には言わなくても解られているのだろう。 そうして振り返ってみれば。 今までもこうしてずっと。 解ってきてくれていたのだと。 そう思うと胸が痛い。 そして解らなかった、否、解ろうとしなかった自分に酷く歯噛みした。 「ビクトール…」 「ん?」 「…お前、顔洗って来い。」 「へ?」 口吻けの合間に。 名を呼んだ自分の言葉を待っていたビクトールが間抜けな声を出した。 「お前、髭まで生えて、ほんとの熊みたいになってるぞ。」 「……」 ビクトールは待っていた答えをはぐらかされて、不貞腐れた顔をする。 「それで、ちゃんとしたら、一緒に飯食いに行こう。」 「おう…」 それでも、一応返事が返ってくる。 そして踏ん切りを付けるようにしてぱっと体を離すと立ち上がった。 その後姿からはぶつぶつと小言が聞こえる。 明らかに拗ねた様子になった熊を見て、笑みが浮かぶ。 楽しいような、嬉しいような。 愛おしいような。 「…っと、お前は休んでた方がいいんじゃねぇのか?何か持って来て…」 振り向き様言って、途中で言葉が途切れてた。 呆けた顔でこちらを見ている。 「何だ?」 「…いや…笑ってっからよ。」 「ん?ああ…」 行きかけた体がまた戻って来た。 いつもの、笑顔だ。 昨日まではそれを向けられて、酷く傷付いていたのに。 どうしてだろう、今は、とても温かく感じられる。 その、顔に。 手を伸ばして触れる。 ちくちくと短く伸びた髭が手の平を擽った。 「飯は俺も一緒に食いに行く。」 「でもなあ…」 「なあ、ビクトール。」 「んん?」 「俺も…お前とずっと、一緒に居たいんだ。」 「…っ?!」 とても驚いた顔をした。 けれど次の瞬間には、凄い力で抱き締められる。 そして。 甘い、蕩けるような口吻けを。 背に回った腕が、熱い吐息が。 心臓をぎゅうぎゅう締め付けて、頭をくらりと痺れさせる。 うっとりとさせられて。 でも、どうしてかとても切ない。 胸に灯る熱に、自分が、どれほどビクトールを求めていたかを思い知らされる。 きっと、あの自分でも持て余す程の苛立ちは。 ビクトールの事を、どんなに手を伸ばしても遠く届かない存在だと思っていたからなのだと。 自分を、特別だと思ってくれないからだと。 そのせいだったと、そう、認めざるを得ない。 もっと、と追い縋る唇から逃れて、体を離す。 「ほら、早く用意しろよ。」 「うぅ〜」 もう一度。 名残惜しげに啄ばむようなキスをして、ビクトールは立ち上がった。 その背中が、備え付けの浴室へ消えていく。 『惚れてる』 と、そうビクトールは言った。 けれどそれ以上に。 自分は、ビクトールに焦がれているように思える。 これが恋とか愛とかいうものなのかは解らないけれど。 もうすっかり上がり切った日の光が瞳に突き刺さる。 それが痛くて、涙が出そうになった。 欲しいものを手に入れた。 恍惚とする程の幸福感。 けれどそれは。 それと同じだけの胸の痛みを伴っていた。 終。 2002.11.28 |
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がっくし…!(色んな意味で) 時間を掛け捲くった割にはえらい支離滅裂なカンジでがっくし。 切ないのも甘いのも中途半端でがっくし。 そしてあまりにも熊が情けなくって…かなりがっくし… 設定として、できてるかできてないか迷いに迷って、結局できる話に(笑) 自分の趣味に走ってしまいまいた…すみませんです。 その上、ちゃんとリクにお応え出来てません(ただの怪我じゃなくて大怪我でした!) ↑今頃気付いた!ほ、ほんとにすみませんー! さいこさん、何だか恩を仇で返した気もしないでもないですが… お納め下さると嬉しいです。 大変お待たせして申し訳ない…不束者ですがこれからも宜しくお願い致しますです。 |
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