one-way traffic of love. 1



砦に着いたのは、休む間もなく馬を走らせ通しても、明方に近い頃だった。


こんな時間に、しかも一緒に同行していた小隊も連れずの、たった一人の帰還に、驚いた門番が走り寄って来る。
「副隊長!お一人で、何かありましたか?!」
「いや、大した事じゃないんだが・・・取り敢えず、ビクトールに至急伝えたい事があって・・・」
目の前の門番の隊員が、おかしな顔をするまでもなく、自分でも言っている事に矛盾がある事に気付く。
けれど、それが事実なんだから仕様がない。
「・・・馬を頼む。そんな緊急事態じゃないから、心配はしなくていい。あぁ、けど、気は抜くなよ。」
「は、はいっ!」
手綱を押し付けて、その場を後にする。
思い立って、今一度振り返って一応釘を刺しておいた。





本来なら、明日の夕方頃に皆と一緒に帰って来る筈だった。
しかし、宿を取る事に決めた宿屋の酒場で、とある噂話を耳にする。
真偽の程は確かではないが、ハイランドの兵士達が、国境近くに集結しているらしい。しかも我等が砦の近くと来ている。
もしかして、良からぬ企みがあるのかもしれない。
しかし、小競り合いは今迄幾つもあったが、突然夜襲を掛けて来るなんて事はないだろう、とも思う。
けれど。万が一を思うと、どうしても居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。
自分をはじめとする小隊は、その、良くある小競り合いに刈り出されてもう一週間近く働き通しだった。疲れ切った他の隊員を連れてまでの強行軍は流石に気が引けて、自分だけ砦に帰る事にしたのだ。

夜通し馬を駆って、砦の近辺まで戻って来てみて。
見慣れた風景に何の異常も無い事が知れると、ひどく安堵したものだった。





もう時間が時間だけあって、食堂兼酒場は明かりが落とされている。
ビクトールは今頃きっと、自分の部屋で夢の真っ只中の事だろう。
一旦自室に寄って、旅具や荷物を放り込む。
執務室を通り過ぎ、ビクトールの部屋の前に来て、一瞬だが躊躇した。

何も寝ている所を叩き起こさなくとも、夜が明けてからの報告でもいいのではないのか?

しかし、それならばこうして帰って来た意味がないと思い直して、扉を開ける。

当たり前だが部屋は真っ暗で、目を凝らしても良くは見えなかった。けれどビクトールの寝ている気配がする。何故だかほっとして、足を踏み出した。
大分目が慣れて来ると、寝台の上に伸びているビクトールを見つけた。きっと酒場から帰って来るなり直ぐに倒れ込んだのだろう。ブーツは履いたまま、掛布も無しに転がっていた。

どうして俺が―――と思いながらも、ブーツを手早く脱がせてやって、小さく呼び掛ける。
「おい、ビクトール・・・起きろよ・・・」
軽く、肩を揺さ振ってみた。
「あ・・・?」
目を開けたように見えた。
「・・・・・・なのか?」
そう言った途端、頭を掴まれて、胸の上に引き摺り倒された。
どうやら、寝惚けているらしい。それとも酔いが残っているのか。
掠れた声だったので、良くは聞こえなかったが、誰かの名前を呼んだのだろう。
きっと、その誰かと、自分を間違えている。
「・・・俺だ、フリックだ。」
重い腕に頭を押さえ付けられて、身動き出来ないまま、一応自己の存在を主張してみた。
「そうかそうか。」
「おい・・・?」
やはり、一発殴らなければ目覚めないのかと。そんな物騒な考えをしていた時に。
「好きだ。」
「何?」
目の前が急に反転して、何を言われたのか理解しようとしていたのに、頭の中が真っ白になってしまった。気が付けば何時の間にかビクトールが圧し掛かっていて、頭の下には丁度いい具合に枕があった。
突然の事に呆然としていると、ビクトールの両の掌が頬を包んだ。
額をこつんと合わして、鼻の頭を擦り付けてくる。
思わず瞳を閉じてしまったら、唇が降って来た。

思っていたより、それはずっと柔らかで温かかく。

ビクトールの掌が、ゆっくりと遡って、髪に分け入った。
優しく、何度も髪を梳く。
最初、唇に合わさったビクトールの唇は、頬に、目蓋に、目尻に、こめかみに。
そしてまた頬を辿って、唇に。
今度は深く、けれど優しく。
それはそれは、愛しむ様に。

こんな、ビクトールは知らない。と思った。
自分の知る目の前の男は、ガサツで、粗野で、うるさくて、繊細とは程遠い。
こんな風に、誰かを大切そうに愛するビクトールなんて、俺は知らない。

「好きだ。」
唇が離れると、耳元に囁かれた。
こんな、甘い声なんかも知らない。
そう思った瞬間、圧し掛かる体を思い切り突き飛ばしていた。
寝台からビクトールが落ちる音と同時に、部屋を飛び出した。





自室に慌てて舞い戻って、寝台に突っ伏した。
視界がぼやけている。
そこで、はじめて、自分が涙を流している事に気付く。
「くそっ・・・!何で・・・っ」

知りたくなかった。
あんなビクトールを。
誰かをあんな風に、愛おしく想う、ビクトールなんかを。
相手が誰かなんて解らない。
過去の想いなのか、今、現在の想いなのかさえ。
けれど、自分と間違った『誰か』である事には違いないのだ。

知りたくなんか、なかったのに。
それが、自分であったなら。と想う自分なんかを。
自分でない事に、こんなに傷付いてるなんて事実を。

今日、こうして無理をしてまでも帰って来たのは、ビクトールが心配だったから。
ただ、自分が早く、ビクトールに逢いたいと、想っていたから。

こんな想いが自分の内にある事など、知ってしまっても、どうしようもないのに。





涙は止め処なく溢れて、酷く胸を苦しくさせた。
服の上から胸を掻き毟って蹲る。
ただただ、そうして泣き続けながら、朝が来るまで、そうしている事しか出来なかった。


                               続く。



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