■ビクフリリレー小説 第四話  (作:穂高一希)■


 どう動くべきか、頭の中ではわかっていた。それなのにその一歩が踏み出せない。
 できあがった菓子を受け取ってはしゃぐ子供の高い声が市場の雑踏に紛れて消えてしまう前にどうにか後を追うことは出来たものの、呼び止める機会などとう に逸してしまっている。
 子供だろうがなんだろうが悪いことは悪い。簡単な道理ではあるが、しかしこの時勢に親の無い子供達が生きていく術など、そうは多くないことをフリックは 知っている。
 子供の手にある財布が確実に自分の懐から摺られたものだと確信できるのならばまだ良かったのだ。自分の手元から失われたことに気付くまでの短い記憶を反 芻してみても、フリックの記憶にあの子供達の顔は見あたらない。見覚えのあるあの財布が、一体どんな経緯で彼らの手に渡ったものか、皆目検討がつかないの だ。
 頭ごなしに問い詰めるような真似はしたくはない。屈託のない笑顔で物取りを生業とする子供がいることくらい知ってはいるが、だからといって根拠もなく疑 うのはいいことではない。



 押し合いへし合いしながら、明るい声で人混みの中を進んでいく子供の後をついて歩く。物珍しさに釣られてか、あるいは手にした財布の中身に気が大きく なっているのか、いつしか表通りから外れていることにどうやら子供達は気が付いていないらしい。
 一見賑やかな屋台やどこからか漂ってくる肉の焼ける食欲をくすぐる匂いやら、人を浮き立たせるような楽曲やらにまぎれて、頭の芯が痺れるような脂粉の香 りや酒の匂い、それらにかすかにまざる胸の悪くなるような吐瀉物の臭いにここの通りの素性が察せられる。
 屋台の天幕の向こうや道端に立つ大人から投げかけられる、まるで値踏みをするような視線に気付いてフリックは胸の裡で小さく己の運のなさをののしった。

 ――どうやらまた厄介ごとに首を突っ込む羽目になりそうだ。

 ラダトはさほど大きな街ではないものの、交易で栄える街である。人や物資が集まる場所には当然ながらおおっぴらに出来ない品も集まってくる。後ろ暗いと ころのあるそうした荷を扱うあまり治安のよくない場所は、一見のどかに見えるこの街にも当たり前のように存在している。表通りとは別の規則で動いているこ うした裏町で、どうみても身よりのない子供が大金を手にして歩いているのである。よからぬことを考える人間がいないほうが不自然だ。
 こちらに気配を向けている人間の数を数えて軽く方を竦める。何も気付かずにはしゃぐ子供の大通りにもどる道をふさぐように、剣呑な影がすでにいくつも見 え隠れしているのだ。
 物珍しい屋台の売り物や一見華やかな人々の装いにはしゃいで先を進む子供の背中を追いながら、フリックは頭の中で街の地図を思い起こす。
 このあたりの小路は色を商う一角だったように記憶している。
 この手の界隈では人一人姿を消してしまうことなどさほど珍しくもない。身よりのない子供を金に換える手段などいくらでもある。小金のためなら拐かしだろ うが人殺しだろうが、平気でやる輩も決して少なくはない。ましてやこんなに年の瀬も押し詰まった、そんな晦の市なのだ。みよりのない子供の幾人かが姿を消 したところで誰一人騒ぐ者などいないだろう。
 見て見ぬふりをするのは簡単だ。しかしそれでは財布は決して戻るまい。なにより後味だって最悪だ。
 鮮やかな異国の鳥や動物をかたどった水煙管に心惹かれたか、ひときわ高い歓声とともに道端の天幕に駆け寄った子供達の背を数える。
 入れ代わり立ち替わり、立ち位置を変えては物珍しい道具に見入っている子供の数を把握するのは難しい。
 十人には満たないだろうが、いくらフリックといえどもそれだけの人数の子供を庇い立てしながら大通りまで戻るのは手に余る。

 ――それでも見捨てるわけにはいかないもんな

 フリックは一つ大きく息を吐き出し覚悟を据えた。
 どのような事情で手にしたのであれ、子供らがこんな物騒な界隈に迷い込んできたのはその手に握りこまれたビクトールの財布を手にしたせいだ。持ちつけな い大金がなければおそらくこの子たちはこんな裏通りまで入り込んだりなどしなかったろうし、また、ろくでもない大人に目をつけられることもなかったに違い ない。
 自分が財布を摺られたのかどうか、いまだ確信は持てなかったが、少なくともあの財布がフリックの手から離れることがなかったならば、あの子供たちは危険 な目にあうこともなかったはずなのだ。
 はしゃぐ子供に寄せられる視線に眉を顰め、フリックは己の右手に意識を集中させる。
 色とりどりの様々な意匠の煙管は確かに子供の心を惹き付ける代物だろうが、実際に商われているのはおそらく煙管よりもその中身の方だ。
 ざわりと、あたりの気配が動く。どこか居心地を悪くさせるような落ち着かない匂いがフリックの肌を泡立たせる。禁じられている薬が絡むとなるとさらに話 はややこしいことになる。剣で切り抜けるにしろ、厄介な事態に拍車がかかることは間違いない。
「坊主、どこのお大臣から手に入れてきやがった?」
 異国風の装束をまとった店の主が、財布を手にしていた一行の中でも僅かに年長の少年の腕をねじり上げた。蜘蛛を散らすようにその場から逃げ出そうとした 他の子供達は、しかし行く手を遮る大人の影に立ちすくむ。
「ガキのうちから盗みを憶えるとロクな大人にならねぇぜ?」
 あからさまに指を鳴らし、笑って自分たちを見下ろす大人に子供達は声もないまま身を寄せ合った。
 助けを求めて彷徨う視線からフリックは敢えて目を逸らすようにあたりをざっと見渡した。
 まともにやり合うのでは分が悪い。子供達に対し決定的な一撃が与えられぬよう気配を向けながらフリックは素知らぬ顔でこの場を打開する方法に頭を巡らせ ていた。




 あまり気の乗らないことではあるが、折りを見て女をねじ上げ、革袋を入手したいきさつを問い質すしかないだろう。
 そう考えながらも、市の雑踏になかなか実行に移す機会もなく、なんとはなしに姉妹の後をついて歩いていたビクトールがたどり着いたのは、役場の前にある 小さな広場だった。
 両腕に抱えた大きな荷物を縁石の上に下ろし、娘達は屈託のない顔で笑って一息ついている。その様子からはこれっぽっちも疚しいところなど見いだせない。
 いかにも郊外から出てきた素朴な姉妹に対して、いきなり自分のような大男が、金の入った革袋をよこせなどと声をかけたりなどした日には、下手すりゃこっ ちのほうが犯罪者呼ばわりは間違いない。
 落ち着いて話しさえ聞いてくれるのならば言いくるめる自信はあるが、人通りの多い役場の前で衆目を集めてしまっては、出来る話も出来なくなる。ああいう 素朴な手合いと言う奴は、まずビクトールのその巨躯で見下ろされただけでも肝を潰して騒ぐこともあるのだ。正当な財布の持ち主であるこちら側に疚しいこと は無いのだが、それでも騒がれでもした日には、傍らからはまるきりならず者が買い出しに来た女二人を恐喝しているようにしか見えないではないか。
 賑やかな大通りからはやや離れているとはいえ、この広場にもいくつか屋台は立っている。ビクトールはあたりをぐるりと見渡し、懐だの小銭入れだのからか き集めたなけなしの小銭で、焼き栗の屋台の裏で火に当たっていた小僧を呼び寄せた。



 役場の中にいるはずの連れと、それからついでに役人を呼ぶよう言いつけてから、あらためて二人連れの女から少し離れた場所に腰を下ろした。
 買い込んだ荷を詰め直している姉妹の表情は華やいでいる。ああでもない、こうでもないと取り出す品物は確かにさっき二人が話していたとおり、暖かく冬を 過ごすためには不可欠の厚手の古着や織物、それに身体を暖める香草の束だの干果だのの素朴な日用品ばかりで、身なりにそぐわない贅沢品の類は一つもない。
 少しは飾ればいいものを、白粉をはたけとはいわないが、せめて櫛の一つ、髪飾りの一つもありゃあ、あのひっつめ髪ももう少しなんとかなるだろうに。
 気のない素振りで横目に様子を窺いながらビクトールは人ごとのようにそう思う。
 他人の金をかすめ取ることを生業としているのなら、あるいはまったく悪びれたところも疚しいところも感じられないこの態度もそれなりに得心がいくが、そ れならば暮れも押し迫ったこの時期に、明日の食べ物の心配をせねばならないほど実入りがないというのもおかしな話だ。出来心で摺ったか、あるいは拾ったと いうのならば、もう少しは人目を気にする影があるものだ。
 考えたところで革袋が彼女らの手に渡った経緯がわかるものでもない。革袋の中身を数えはじめた娘らの無防備さに思わず目を剥きながら、ビクトールは袋の 中身が思いのほか減っていないことに気が付いた。
「――さ、いきましょう。こんな大金ですもの、どれほどのお金持ちでもきっと困っているに違いないわ。ちゃんとお役人に届けないと」
「ええ、こんなに助けて貰っているんですもの。あとはきちんと持ち主の方にお返ししないと罰があたるわね、姉さん」
 一回りほどは小さくなった包みを抱え直し、娘達はさっさと役場の建物の中に入っていく。思わずその背中を見送ってしまったビクトールは、一瞬の間のの ち、慌てて役場の入り口に駆け込んでいったのだった。


 そうして姉妹がまっすぐ向かった先のカウンターで、先に紛失物の届けを出していたリーダーとその姉と、それから役場の人間と、らしくもなく慌てて追いか けてきたビクトールとで事情を聞き出そうとしたまさにその時、俄に役場の入り口が騒がしくなった。
 裏町中を巻き込んだ乱闘騒ぎが勃発していることの、第一報を携えた男が、満身創痍で駆け込んできたのは、その直後だった。


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<作者コメント>

……色気も素っ気もなくて申し訳ありません〜。ビクフリといいながらも二人ばらばらのまんま、仲直りもしないまま、次の方に引き継いでしまいました。殺伐 としておりますが、その分前後の皆様の分が素晴らしいので、引き立て役としてお許し頂けると嬉しいです。
こんな私ですが、今年もビクフリ界の片隅でひっそり地道に何かやっておりますので、どうぞよろしくお願い致します。