ヴァン、目覚めの時

あいつが死んだ。
この街には蘇生を行うことが可能な神官はおらず、ケイトの時のように大きな街まで送ってくれる魔術師もいなかった。
何より、肝心の魔神を倒せずに取り逃がしてしまった俺達から、無理をおして頼むことはできなかった。

奴は、最期まで戦士として最前線で戦って。
しかし最後までマイリー様の加護を受けられなかった。
神の加護を受けられる人間と受けられない人間は、どう違うのだろう。

「それは人にはわからないよ。神様にしかわからないんだ」

と言っていたのは誰だったか。
事実、そうなのだろう。神は気まぐれでもある。あの時も…
…いや、もうよそう。後ろを振り返るのは。

形見にうけついだセスタスを枕元に置いて眠りについたその夜。
子供の頃の夢を見た。

マイリー神殿の広間で、血だらけでばたばたと倒れている人々。
その間でちょろちょろかけずり回っている、十代前半ぐらいの、焦げ茶の髪をした子供。
あれは確か、鉱山を掘っていたら思いがけず大量のモンスターに遭遇して、被害に遭った奴らだったか…よくは覚えていない。
とにかくそのちょろちょろしてる真っ直ぐな瞳をした子供(自分のことをそう称するのもなんだが)は、
怪我人の手当に忙しく走り回っている神官にまとわりついて必死に何か訴えていた。
「なあ、おれにもなんかできることないか?!手伝う!」
「…子供がこんなところに来るもんじゃない。いいから外に遊びに行ってなさい」
「だって、こんなにみんなケガしてるのに!ほっといて遊べるわけないだろ!」
「じゃあ部屋で聖書でも読んでなさい」
「読めねーよ!」
「…」

ああ…今と変わらないな。
怪我人を放置してどこかへ行くことなんてできない、自分の立場をわきまえない子供だった。
聖書は読めるようになったが。

子供はウルウルした瞳で、さらに神官にすがりつく。
「魔法できないけど、なんかさせてくれよ!なんでもいいからっ!」
「…わかったよ。井戸から水を汲んできなさい。それから布を刻んで包帯を作って」
「おうっ!」
子供は言われた通りに水を汲み、ひたすら包帯を生産し始めた。

治療魔法を使える神官はそんなに多くはない。
命に関わる大怪我を優先して治療した神官達はもう精神力が残っておらず、魔法に頼らない包帯での手当にうつっていた。
それすらも、誰にでもできるわけではない。
包帯は明らかに供給過剰だった。
やっと自分にできることを指示された子供は、作業に夢中でそんなことには気付いていなかったが。

そんな折りに。
手当によって意識を取り戻した若者が、ふらりと立ち上がって神殿を出て行こうとした。
「どこへ行くのです。そんな体で」
侍際服をきた、背は低いが凜とした雰囲気の女性に止められる。
…俺の母親だ。
親父は剣の腕が立つのでモンスターの討伐に向かっていたが、治療魔法の力が強くこの場の責任者でもある母は、ここへ残っていた。
若者は止める手を振り切って言う。
「友達が…アレに殺されたんです。仇を討たなければ…」
「だからと言って、その体で何ができるというのです。死体が増えるだけですよ」
無念さをにじませた声で母がささやく。
あと一回治療魔法を使うこともできたが、この場の責任者が気絶するわけにはいかなかったのだろう。
当時の俺にはそんな仕組みは全然わからなかったが。
「そーだよ。死んじゃうかもしれないのにまた行くことないだろ?!他の奴がやっつけてくれるって!」
事情をよくわかっていない子供も、今目の前で生きている若者が死んでしまうのは嫌だったのだろう。
すがりついて訴える。
「ああ、君は…ヴァン君だったね。侍際様と戦士長様の息子」
「ウン。だから行くな」
全然意味がわからない理屈に苦笑しながら、若者は子供の頭をなでる。
「死ぬかもしれないと思っても…行かなきゃいけない時があるんだよ。マイリー様の教えを聞いて育った君ならわかるだろう?」
「でも…死んだらダメだ。もう強くなれない」
「…そうだね。でも、今行かなければ俺は後悔すると思う」
「死ぬより後悔する方がいいじゃんかっ?!」
「そう…かもしれないね……だけど」
若者は子供の頭に手を置いたまま、空を見上げた。
「申し訳ありません、侍際様。俺…行きます。」
母はしばらく若者の目をジーっと見つめた後、祈りの言葉を唱えた。
「…戦いに赴く勇者に加護を…」
「行かせちゃうのかよ!なんでっ!」
「戦う意志のある者を邪魔してはいけない。お前にもいつかわかるわ。」
若者から子供をひきはがしながら、強い意志を秘めた瞳で説かれる。
「邪魔なんかしたくないよ…だけど、怪我がっ…」

その時。
『戦う力を 与えよ』
聞いたこともない言葉で、でも意味のわかる言葉が頭の中にひびいた。
「…!」
それが意味するところを。
神殿の中で育った俺は知っていた。
母の手を振り払って、若者に追いすがる。
『戦いに赴く勇者に加護を!』

あたたかな光がともり、若者の傷が癒えていく。
目覚めたばかりの子供の唱える治療魔法など、効果は微々たるものだったが。
勇気の後押しをするには充分だった。
「ヴァン君…ありがとう!これで少しは戦えるよ!」
「…よかった…」
初めての魔法の余韻にひたり、自分の両手を見つめる子供。
そこへ追いついてきた母も、信じられないような顔で。
「ヴァン、お前…」
「母さん。おれ、聞こえた。マイリー様の声。力をって、言った」
「ヴァン…わたしに心の力を分けなさい。思いっきり」
「う…ウン」

思いっきりと言われて加減の仕方も知らずに母に精神力を分け与えた子供は、当然のように気絶した。
子供より何杯も回復効率のいい母の精神力補充と、丁度いい厄介払いを兼ねていたのだろう。
母の呪文によって傷が全快した若者は、ついでに回復された二人ほどと共に意気揚々とモンスター退治に向かっていったという。
だが…
帰っては、来なかった。

それから俺は、たしなみ程度に学んでいた武器の稽古を本格的に始めた。
今度は、治すだけじゃない。
いっしょに、ついていく。
いっしょに戦って、守る。

…そんなところで、目が覚めた。
冷静に思い返してみると、あの時の俺は、お世辞にもマイリー様の気に入る言動をしていたとは思えない。
ただ目の前の人間に死なれるのが嫌で、戦いに行くのを引き止めていた。
それなのに。
神は、俺に力を授けた。
神の加護を受けられる人間と受けられない人間は、どう違うのだろう。
…考えても、仕方がない。
今、俺にできること。
仲間を死なせないこと。
そのために戦うこと。

「…朝食前に素振りでもしてくるかね…」
愛用のメイスのジョニー君を手に取ろうとして、ふと枕元に置いたセスタスに目がいった。
「今日はちょっと気分を変えてみるか」
拳にはめてみる。
少し大きい。後で調整してもらおう。
そうだ、あいつは俺よりも筋肉があって、素早くて、戦士としての素質に優れていた。
だが…
…強さを決めるのは、体の素質だけではないと。
皮肉にも、気付かせてくれたのだろうか。
筋肉はついていても元が骨細な自分の体をしげしげと見つめながら着替えをすませ、拳にセスタスをはめて、俺は宿の庭に下りて行った。

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