21世紀における日本とEUの関係

21世紀における日本EU関係

EUの根元にある思考

日本が江戸時代から明治維新を経て近代化する過程において、ヨーロッパの影響というものを抜きには考えられない。
江戸時代の日本は鎖国をしており、門戸を完全に閉めていたが、それを砲艦外交で無理やりこじ開けたのは厳密にいうとヨーロッパとは一線を画したアメリカであった。
しかし、アメリカとヨーロッパというのは我々の目からすれば同根で、西洋文化という括り方をした場合には、その峻別は無意識のうちに消え去ってしまっている。
我々から見れば、アメリカ文化もヨーロッパ文化も皆同じに見えるわけで、その間に特別な違和感を全く感じないわけである。
人類の起源には諸説あるが、原始時代の人類は、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても異民族との葛藤というものは案外おおらかなものではなかったかと想像する。
我々が学校で習う歴史では、ゲルマン民族の大移動という言葉があったり、蒙古民族のヨーロッパ席巻という言葉があったり、元寇の乱があったり、という風に異民族の勢力拡大を、今日的な思考の言葉で表現するものだから、侵略したとかされたという概念につながりかねないが、人間の本来の姿というのは、そういう言葉では表現不可能な在り方をしていたのではないかと思う。
侵略という言葉を使うと、侵略された方にも、侵略した方にも、きちんと確立したテリトリーというものの定義がないことには、そういう言い方は成り立たないと思う。
しかし、近代以前の人間のあり方というのは、自分の生活の範囲に関して、ここからここまでが自分達のテリトリーだという意識はなかったに違いない。
即ち、国境という概念も、国家主権という概念も、全く存在せず、それがはっきりと現れたのは18世紀以降ではないかと思う。
ヨーロッパで大航海時代が出現して、ヨーロッパの人々が未知の土地を知ることによって、その知ったことをフィードバックして、改めて自分の住んでいる地域の独自性というものに気がついたのではないかと想像する。
それに気がついてみると、自分の住む地域と、その中に住む仲間としての同朋に対して、団結しなければならない、という意識に目覚め、その結果としてナショナリズムが誕生したものと思う。
大航海時代になって、ヨーロッパの人々が船で他の大陸にも行き交うようになり、その行った先の地に住む人々も、それなりの独自の文化をもって生活していることを知ると、その文化というか、異民族の持つ資源というものを、自分達だけの幸せの追求にもっともっと有効利用しようと思ったとしても不思議ではないわけである。
そういう発想が根底にあったものだから、そこではじめて、異民族に対して自分達の画一性を自覚するようになってきたものと思う。
それに輪をかけたのが宗教の存在である。
いわゆるキリスト教の分派争いが、自分達の画一性の自覚の上にのしかかってしまって、民族性の画一性と、宗教上の画一性とが重なり合った民族同士で一つのテリトリーを形成するようになったに違いない。
それでヨーロッパでは大小の民族意識で固まった集落・人の集団としての集落が、仲間意識を一つに結集すると同時に、自分達のテリトリーをかたくなに固執するようになったものと思う。
それぞれが同族意識と、そのテリトリーに固執するようになると、その辺境では常にその囲いの移動、つまり国境が伸張したり縮小したりするわけで、それには必ずしも武力闘争がついて回るとも限らないのではないかと思う。
その辺境に住む人々の意思で、あっちについたりこっちについたり、必ずしも中央の意向だけで国境線が定まっていたとは限らないと思う。
そういう経緯を経ながらヨーロッパというのは近代に入ったわけで、近代に入れば逆に主権という意識が、仲間意識という枠を越えて、殊のほか大事にする気分が生まれ、その仲間意識の高揚から、その仲間の住むエリアを、何処から何処までという国境線というものにこだわる風潮が普遍化したわけである。
だから日本の明治維新の頃のヨーロッパでは、スペイン、ポルトガル、ドイツ、フランス、イギリスと今EUで一括りにされている地域に大小の主権国家が林立していたわけである。
江戸時代の300年にわたる鎖国から目覚めた我々、日本というのも、この時代の流れには逆らえず、必然的にそれら個々の西洋主権国家と、個々につきあわさざるを得なかったわけである。
大航海時代を経、植民地を主体とする帝国主義の時代を経験したヨーロッパでは、主権という国家のエゴと、同族意識という仲間意識の壁を低くすることによって、自分達の仲間だけでなく、周辺の仲間をも一緒になって幸福の追求を致しましょう、という発想に落ち着いたのがEUの誕生だと思う。

日本は文化・経済で貢献

それに引きかえ我々の住む日本というのは、東海の小島であることは太古から変わりのない現実であって、それまでの日本というのは、アジアの文化の吹き溜まりであったわけである。
我々の今ある姿というのは、アジアの影響なしではありえないわけで、その上にヨーロッパの文化というものが接木された形で現在があるものと思う。
我々、日本というのは、アジア大陸の主人公である中国から見れば、何時までたっても野蛮人のままに見えているものらしい。
その野蛮人が西洋の文化、いわゆるキリスト教文化に接して約150年間のうちに、アジアの王者になってしまったのは、我々の民族が精神的に非常に柔軟であったからに他ならない。
もともと我々、大和民族というのは、外来文化に対して非常に寛大わけで、それ故に太古から文化的なものを外来のものに頼ってきた、という長い伝統を形作ったわけであるが、その背景として、我々の民族の潜在意識の中に柔軟性があったからだと思う。
中国は4000年の歴史があることを誇りにしているが、その潜在意識に柔軟性がないものだから、4000年の歴史を誇るのみで、他の意見、思考、発想というものを排除する方向に人々の意識が向かっているので、近代化がなかなか軌道に乗らなかったわけである。
東海の小島に過ぎない日本というのは、今現在の時点で、大方の部分でヨーロッパの域に達してしまっている。
地球規模で21世紀の世界というものを俯瞰してみると、アメリカの優位は覆しようがないが、ヨーロッパと日本というのはアメリカに対抗しうる2大勢力だと思う。
EUというものはユナイテッド・ステート・オブ・ヨーロッパと考えて良いと思う。
とすると、21世紀の世界というのは、アメリカ、ヨーロッパ、日本という枠組みが成り立つように思える。
日本とEUの関係を考えるとき、双方の間で、安全保障に関する思考はほとんど無視してもよいように見える。
但し、終戦後から今までの日本というのは、国防というものをアメリカと国連に依存しすぎたという面があり、直接的な防衛というのはアメリカに依存し、国連活動の面から、国連から普通の主権国家なみの協力を要請されると、日本国憲法を盾に、この50年間逃げ続けてきたわけで、21世紀になってもそれが許されるかどうかは定かに分からない。
その件に関して、ヨーロッパがどういう目で日本を見ているかは推察しかねるが、おそらく、不思議な感を抱いているようには思える。
日本とEUの間には、安全保障に関する直接的な問題は皆無といってもよいので、残る問題は、文化の面と経済の面ではなかろうかと思う。
ヨーロッパの人々というのは、あの地形が複雑な上に、地続きの大陸に生きてきた影響もあって、かなりの人々がバイリンガルで、2カ国語、3ヶ国語が堪能であるが、我々はそうはいかない。
その意味からすれば、我々はコンプレックスに陥りそうであるが、文化というものは基本的に異文化であるからこそ興味が沸くわけで、バイリンガルで文化を共有してしまえば、興味も半減してしまうことになる。
文化に関しては、お互いの相違点を尊重しあうことが肝要で、同化してしまうことはあまり得策ではないと思う。
しかし、21世紀という時代は非常にコミニケーションが密になる時代で、それは文化に貢献するというよりも、むしろ経済に貢献する度合いの方が大きいのではないかと思う。
文化というのは、その相違というものを尊重し合える余地があるが、経済というものは、その尺度を一つに統一しないことには成り立たない。
物の売買にしても、価値というものに基準を作っておかないことにはアンバランスになってしまうわけで、文化の交流よりも、経済の交流に我々は意を傾注しなければならないと思う。
ただ忘れてはならないことは、ヨーロッパの人々というのは、アジアの人々、日本人だけではなく、アジア地域に住んでいる人々一般、いわゆるモンゴロイドに対しては潜在的に差別意識を持っているということを忘れてはならないと思う。
これは彼ら自身意識せずに、潜在的に無意識のうちにそういう意識をもっているわけで、意識すればそれを表にあらわさないように気を配るが、意識せずに持っているものだから、悪意なしにそれが露呈することがある、という点をしっかりと我々の側で認識しなければならないと思う。
戦後、池田隼人が首相で、その彼がヨーロッパを周ったとき、「トランジェスターのセールスマン」と揶揄され、最近でも我々の家屋をウサギ小屋と揶揄されたことを思い浮かべるべきである。
その事は、彼らヨーロッパ系の白人から我々を見ると、アジアに住むモンゴロイドが、ヨーロッパの諸地域を越える経済発展をする、という事実が彼らにしてみると信じられないわけである。
これは彼らの無知が、日本の経済を評した事例なわけで、そういうトラブルを避けるためにも、密接なコミニケーションというものは欠かせないないことは論を待たない。
その点に関しては、文化交流のように、異端であるからこそ尊重しなければ、という道理は通らない。
もう一つ注意しなければならないことは、ヨーロッパというのは精神的にかなり成熟した社会である、ということである。
我々の社会は、まだ精神的に成熟するというところまでは到達しておらず、発展段階にあるということで、欲望を剥き出しにヨーロッパに乗り込んでしまうが、彼らにしてみれば、精神的なゆとりがあるだけに、価値観の座標が我々とはずれている点に注意を払う必要があるように思う。
我々の社会が未成熟であるという論拠は、社会的な地位を得た人のノーブル・オブリッジの意識が低く、成金趣味で、人の心を慮るという行為が未熟なところである。
社会的な地位の高い人が、犯罪を犯してまで富を得ようとしたり、富を得るためならば、何をしてもかまわないという発想が我々の民族意識から抜けきっていないという点である。
ヨーロッパでも犯罪というものが皆無でないことは理解しえるが、社会的な地位と犯罪という関係において、日本との比較はどうなっているのであろう。

経済圏という枠

日本の社会というのは、戦後、スクラップ・アンド・ビルドということが日常茶飯事で、何時までたっても完成するということがない。
だからこそ何もかもが日進月歩しているということが言えるが、日本中どこに行っても、家を壊して新らしいビルを作ったり、道路が出来たと思ったら、それを又を掘り起こして工事をしている、という姿は感心できるものではない。
それと比べれば、ヨーロッパでは古いものを大事に補修し、何時までも昔のままの姿で残そうという発想は、大人の成熟した精神の現われとみなして良いと思う。
我々は明治維新の前からヨーロッパの影響を受け、その文化とか、経済の面で、ヨーロッパを模倣し、追いつけ追い越せをスローガンに20世紀を終え、21世紀を迎えたわけであるが、ヨーロッパ人の心の隅にあるキリスト教というものだけは日本の全国民が受け入れたわけではない。
ヨーロッパにおいてもこれだけ情報化が進み、物の考え方が多様化してくると、キリスト教を信仰する人々も少なくなってきているが、信仰に頼る生き方というものは、ある意味で人間の精神の弱さをあらわしているわけで、我々、日本人の多神教というのは、ある意味で精神性の曖昧さをそのままあらわしているものと思っても差し支えないと思う。
ヨーロッパの人々の間には、その精神の奥底には現在でもキリスト教の影響が色濃く残っているわけで、EUの枠組みというのは、その精神で統一された人々の集合である。
我々は、そういう人達からさまざまな知恵と知識を学んだわけで、今、EUという大きな枠組みの中で、昔の主権という概念を越えた、民族意識を超越した発想の中で、彼らがそれぞれに幸福の追求を目指そうとしていることは、我々にとっても大いに学ぶべきものを含んでいるように思われる。
EUの版図をよくよく地図で見てみると、ヨーロッパ大陸をはさんだ北海と地中海によって形成されている。
その大部分は、北に北海を持つか、南に地中海を持つか、という海で囲まれた国々で出来ているわけで、その事はまさしくヨーロッパ全域を一つの大きな輪で包んでいる。
この南北で、海に囲まれた国々が、過去の確執を全部捨て、偏狭なナショナリズムというものから決別したことで、彼らは新しい貿易圏というものを得た事になる。
それがEUになったと見なしてよいと思うが、これは我々にとって大きな示唆を表しているように思える。
考えてみれば、これは太古より人々の行き交った範囲とオーバーラップしているわけで、それが中世から近世という時代の中で、多少、舞台から降りたという感が免れないが、この間というものは、先にも述べたように大航海時代から植民地を基盤とする帝国主義の時代であったわけで、ヨーロッパの人々の目がアジアとかアフリカ、はたまた新大陸としてのアメリカ大陸の方に向いていたわけである。
そのアメリカ大陸において、アメリカ合衆国という巨大国家というものが誕生すると、北海・地中海に面した諸国家ではアメリカに太刀打ちできないので、国家連合を作ったというのが、今日のEUとみなしていいと思う。
第2次世界大戦後の太平洋では、環太平洋構想というものが語られて久しいが、この中に内包されるアジアというのは、非常に多様性に富んでいて、一つにまとめるには非常な困難が伴うわけである。
それに反し、北海・地中海諸国というのは、多様性があるとはいうものの、そのバラツキの差が非常に穏かであったわけで、アジアよりはまとまりやすかったわけである。
その理由としては、やはりキリスト教という共通の精神的なバックボーンの存在を抜きには語れないと思うが、アジアにはそういう共通の精神的なバックボーンというものが存在しない。
その上、アジアの主役であるべき中国の人々は、太古から日本という国をあくまでも夷狄と捉え、野蛮人としか認識していないわけである。
朝鮮の人々も、中国に追従して、中国と同じ発想にしたりきっているわけで、環日本海国家連合という発想は生まれ得ずして今日にいたっているわけである。
中世から近世における主権国家というのはある意味で民族のエゴイズムの象徴とみなしていいと思う。
自分達の民族のみが幸福になれれば、あるいは、自分達の同朋のみが益するためには、という発想で、他の人を多少犠牲にしても構わない、という発想が根底にあったわけで、俺が、俺が、と言って垣根をより高く、より頑丈にすればするほど、その枠の中で自分の仲間内の利害得失が混乱を極め、今度は個人の欲望との確執で、枠の中の社会が混乱し、成り立たなくなってしまったわけである。
その結果として、その垣根を低くしてみると、金の移動、物の移動、人の移動というものが多くなり、それに伴いお互いがより幸福になれるということに気がついたわけである。
ところがアジアにおいては、いまだに中国は4000年の歴史を引っさげて、日本を夷狄と思い込んで、なかなか心を開こうとしていない。
これでは、なかなか環日本海経済というものは出来上がらない。
もしこれが実現するとすれば、21世紀の世界というのはアメリカとEU,そしてアジアの環日本海経済圏という大枠が出来、それに南アジアのインドを中心としてオーストラリアを包み込んだもう一つの経済圏が出来るものと思う。
これらはお互いに牽制するのではなく、融合する方向にベクトルが向けば、いよいよ地球連邦というものの可能性も見えてくる。
19世紀から始まった帝国主義というものは、お互いのナショナリズムに固執するあまり、自分の家の垣根をことさら高く、堅牢にし、あわよくば隣家が没落すれば、それをも取り込んで、自らの富を増やそうと思っていたが、第2次世界大戦後というのは、そういう狭い了見では立ち行かなくなってしまったわけで、自分が幸せな生活を望もうとすれば、隣人、同朋とも、共に仲良くしなければ、お互いの将来がない、ということに気が着いたわけである。
お互いの将来がないということは、核兵器というものが究極のところまできてしまって、その究極の兵器というのは、アメリカと旧ソビエットのみに独占されてしまい、それをヨーロッパの小さな国が独自で開発し、お互いの垣根を強固にしようと思えば、その中の国民は耐乏生活を強いられるわけで、それならばお互い垣根を低くして人、金、物の行き来をしやすくすれば、アメリカやソビエットと伍して核兵器を開発する必要もない、という事に気がついたわけである。
戦後のアジアにおいては、日本のみが経済的に突出してしまったわけで、アジアの諸国を一つの枠に括ろうと思っても、その力量があまりにもアンバランスであるために、それがなしえないわけである。

民族の潜在意識

第2次世界大戦の前からその最中において、日本が太平洋の覇権を取ってアジアを一つの経済圏に括ろという機運があった(大東亜共栄圏)が、これは当時の日本の政治家が、外交とか経済に非常に疎く、アジア諸国に誤解を植え付けてしまったので、その誤解はいまだに解くことが出来ない。
それに時期尚早でもあった。
時期尚早という意味の中には、当事においては日本の民主主義の発達が不十分で、当時の政治家が軍部の独断専行を許してしまったが故、当時の日本の指導者達が、アジアの人々に嘘を言った形になってしまった、という意味である。
政治の理念と現実の統治が乖離してしまったわけで、その意味で政治も経済運営も軍事も下手であったということである。
日本がアメリカと戦争をしたその根底のところには、アジアの民族の解放ということがあったにもかかわらず、負けた側の戦争の意図というものは全く省みられることなく、日本の侵略という概念のみが一人歩きしてしまったわけである。
繰り替えしになるが、侵略という言葉をもっと深く吟味すれば、侵略される側にきちんとした垣根、つまり主権国家として確立した国家像の存在が成り立っていないことには、侵略という言葉は成り立たないような気がする。
水が低い方に自然に流れるように、アメーバーの自然増殖のように、乾いた土に水が浸透していくような形で人や、金や、物が浸透していった場合、これを侵略と言い切っていいものかどうか、はなはだ疑問である。
どちらにしても我々はアジアにおいて5族協和を願っていたことは事実であるが、そういう立派な理念を掲げてはいても、戦争に負けてしまった以上、いくら弁解してもそれが通らないのは致し方ない。
そして第2次世界大戦後半世紀もすると、再び日本がアジア地域において突出してしまったが、半世紀前の醜態があるが故、日本の発言というのは信用されないわけである。
それと対極的に、ヨーロッパにおいては約半世紀前までは、おのおのの民族意識がまだ残っており、それこそ侵略したりされたりの連続であったにもかかわらず、EUという連合組織を作ろう、という合意の形成は立派であり、成熟した大人の思考であると思う。
それぞれの民族が、「もうナショナリズムは時代遅れだ!」、という認識を持つに至ったからこういう意思の統合が可能であったに違いない。
だからこそ、かっては敵国同士であったものが、「お互いに協力し合おう」という合意が形成されたわけである。
お互いに、過去の事は忘れて、新しい将来に希望を見出し、過去のことよりも未来に価値を求め、未来の夢に期待をかけたからこそ、EUというものが出来上がったわけである。
ところがアジアではそういう合意がなかなか形成しづらいわけで、日本は経済で突出しているにもかかわらず、中国や朝鮮の人々達は、この日本の経済的発展をはなはだ面白く思っていないわけである。
4000年も前の思考から一歩も脱却しようとしていないわけである。
それには、それぞれの地域に根ざした、潜在意識が大きくかかわりあっているように思えてならない。
ヨーロッパのキリスト教については先に述べたが、アジアではヨーロッパのキリスト教と同じ役割を果たしている、元となる思想というものが多様化している。
人々の潜在意識の中にある思考というものは、仏教あり、儒教あり、回教あり、ヒンズー教ありと、多様化している。
日本では、古来からある日本独特の神道の上に仏教が接木されて、我々というのは、どちらかというとほとんど無宗教に近い情況を呈している。
結婚式をキリスト教で執り行い、葬式は仏教で行い、正月には神社にお参りする、というのはキリスト教というよりも世界の信心厚い人から見れば、宗教のご本尊を冒涜するほどの破天荒な行為であると思われても致し方ない。
しかし、アジアの中でも中国と朝鮮の人々というのは、この21世紀においても儒教を心の支えにしているわけで、儒教というのは年寄りを敬い、前例を重視し、先祖の序列を重んずる思考なわけで、この思考を持っている限り、新しいことの挑戦することが「悪」とみなされるわけで、これでは何時まで経っても意識改革が成就されないわけである。
それが為、近代化に遅れをとってしまったわけである。
儒教の教えから脱却できないでいるものだから、19世紀後半から20世紀にかけて、西洋の文化圏に蹂躙されてしまったわけである。
その上、中国の人々と朝鮮の人々というのは、中華思想というものからの脱却もできていない、ということも重なって、自分達がこの世で一番優れた民族である、という自負心を払拭できないでいる。
だから周辺の人々を蔑むということがある。
その事は、「お互いの垣根を低くして、人、物、金の移動を容易にしましょう」ということにつながらないばかりでなく、移動すること自体を締め出そうとするわけで、ますます孤立化を推し進める方向に向かうわけである。

経済摩擦のない貿易の模索

だから21世紀において、EUと対等に付き合える国というのはアジアにおいて、日本だけしかそれに値する国家が存立しないという事になってしまう。
日本というのは、明治維新以来というもの、ヨーロッパからあらゆるものを学び、その学んだものを日本独自の発想でもって自家薬籠中のものとしてきたわけである。
我々が過去に学んだ先輩、乃至は師としてのヨーロッパというのは、そのことごとくが今のEUの版図に入ってしまっているわけで、我々はEUからいろいろなことを学んだと言ってもいいぐらいである。
しかし、日本の国民総生産、いわゆるGNPがアメリカの次、一人あたりに換算したGNPはアメリカを追い越して世界一という事になれば、既にヨーロッパの基準を追い越してしまっているわけで、それでいてなお我々の国は目下発展途上にあるわけである。
ヨーロッパでは既に成熟しきってしまって、人々は大人の思考に浸りきっているが、我々というのは、まだまだ生意気な、成り上がり者という域を脱していない。
考えてみれば、太平洋の東の海に浮かぶちっぽけな島国の日本が、アメリカに匹敵するほどの富を作り、かっては師であったところの中国やヨーロッパを追い越してしまっていることを思えば、中国やヨーロッパの人々が、この日本という国を面白くないと思うのも無理ない話である。
アジアの人たちは我々のことを夷狄と呼び、ヨーロッパではイエロー・モンキーと蔑視したくなる気持ちも分かる。
我々、日本人の行動というのは、ある意味で猪突猛進の節がある。
あの戦争中の神風特攻隊の死に方もそれであるし、戦後の経済戦争における洪水のような輸出攻勢というのでも、後先をのことを全く考えない猪突猛進的な経済行為ということがいえる。
我々が戦後50年にして、世界的にトップのGNPに至るまでの経済活動というものをよくよく分析すれば、まさしく猪突猛進型の行為の結果ということが言える。
だからこそ、ここまで来る間にさまざまな経済摩擦を生じさせてきたわけで、その事は、我々の民族というのは、自分の行為の後先のことを全く考えないということで、思い込んだらわき目も振らず、一途に前に突き進む、という民族的性癖があるのかもしれない。
「これをもう少し続けると、相手はこういう反撃に出てくるかもしれない。
それに対処するには、こういう手法でもって、こういう風に交わさなけれならない」、という戦略的発想にかけているわけである。
あの戦争中に、アメリカ側にもっとも恐れられたゼロ戦による特攻攻撃というのも、きわめて戦術的かつ刹那的な発想からああいう戦法が編み出されたわけであるが、そこには戦略的発想というものが全くなかったわけである。
我々には戦術と戦略の概念すら持ち合わせていなかったに違いない。
だから物を輸出し、輸入するという経済行為についても、戦略的発想というものを持たず、「行け行けドンドン」というわけで、猪突猛進、真実一路というか、自分のしていることを一歩下がって考えてみるという発想を欠いているわけである。
こういう面で我々はまさしく成熟しきっていないということが言えると思う。
EUのように、相手が成熟しきった大人の感性を持っているところに、未成熟なまま、猪突猛進型の経済行為というもので押し通せば、相手から軽蔑されても致し方ない。
21世紀に我々は、そのような不様な面を露呈しないように振舞わなければならないと思う。
それには、相手を思いやる気もちさえあれば、そう事を構えて考える必要もないわけで、自然の行いの中で、こうすれば相手はどう思うであろうか、ということを常に考えていればいいわけである。
人は欲に絡まれていなければ案外冷静に自分の行為を反省しえるが、欲に目がくらんでしまって、自分の富を際限なく追い求めようとすると、往々にしてこういう落とし穴に自ら引っかかってしまうわけである。
ヨーロッパというのは我々同様長い歴史があるわけで、その歴史の重さというものは決して侮れないものがあると思う。
その上、彼らは陸続きの地勢的な条件から、我々以上に国際政局に処する手腕というものには手馴れているわけで、そういうところを決して侮ってはならないと思う。
21世紀には20世紀以上にテクノロジーというものは発達するわけで、その発達の進歩の度合いというのは、文字通り日進月歩で、とどまるところを知らないわけである。
既に、地球上の距離の概念というものは無いに等しいわけである。
物事は瞬時に伝わり、リアルタイムで事が決せられるわけで、我々の生きている状況がこういう風に変わってしまった以上、それに合うように我々の生活の方を合わせなければならない。
よってこれからは我々がEUのニーズに合わせられるような、彼らの嗜好にあったものをさがしだして、そのニーズに合わせられるようなものを提供しなければならない。
そのためには綿密なオペレーション・リサーチが必要なわけで、その結果として、摩擦のない経済交流というものが可能になると思う。
それはとりもなおさず戦略的思考で以って物事を考えなければならないということである。

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