時事問題4 平成12年11月21日
ケネデイー大統領の誕生前
今月の最初の頃NHK
BS放送で「JFK」というのと「ニクソン」という映画を放送していた.。
「JFK」というのは言うまでもなくジョン・F・ケネデイーのことである。
この大統領の死というのは一般にはリー・ハーベイ・オズワルドが単独でしたということになっている。
ところが、それにはいろいろな問題点があって、そう簡単に単独説を認め得るものではない、という点がその映画の主題であった。
私自身、ケネデイー大統領の死というものには大きな疑問を持っていたので、それなりの本も読んでみたが、一向に埒があかない。
ところが、この映画とは別に、やはりNHKが以前、「ウオーレン報告書」という番組を放映しており、そのビデオを見ると、ケネデイー大統領の暗殺というものの背景にあるアメリカの政治の暗黒の部分が炙り出されているように見うけられる。
私はアメリカ贔屓の人間であるから、アメリカの民主政治と民主主義というものを信じてきたが、アメリカの政治にも日本と同じような暗黒の部分というか、不条理というべきか、綺麗事では済まされないダーテイーな部分がかなりあるということに今更ながら気がついた。
日本とアメリカでは権力というものが本質的に違っているようだ。
アメリカ大統領の権力と、日本の内閣総理大臣の権力というものが同じ権力という言葉で表されていても、その基底に流れている本質的な発想の段階で大きな違いが横たわっており、それがためその影響力というものは決定的な違いを示しているのではないかと思う。
アメリカはやはり銃の国であって、日本は農耕民族として刀狩りの国である。
アメリカ社会は新大陸にわってきた人々が銃でもって築き上げた歴史を持っているが、我々の方は天与の農村社会であって、生れ落ちたときからそれは存在していたので、自分達で社会を築くという発想。および概念そのものがない。
我々の社会というのは常に出来上がっていたわけである。
この文化の違いが両国の政治の根底には潜んでいる、という事を知った上で議論を組みたてなければならないと思う。
アメリカにおいては、ケネデイー大統領のように、銃による暗殺が見事に成功した例が過去の歴史にはしばしばある。
大統領が銃によって狙撃されるということがしばしばあるにもかかわらず、アメリカ国民・アメリカの市民は銃を規制しようという動きには決して至らない。
日本ならば、その危惧があるからこそ、銃刀法というものが施行されて、豊臣秀吉の刀狩りの状況が未だに続いているわけであるが、市民の平和という観点からすれば、この方がはるかに進んでいる。
アメリカにおいて、自分の国の大統領が殺されても、その銃の所持を規制しようとしないところは、ある意味で「住民の自治」と「規制の上の平和」を秤にかけているということであろう。
その秤にかけた結果、それでも尚且つアメリカ国民は銃を持つほうを選んだわけである。
この辺りの国民感情というのは、我々、農耕民族からは計り知れないものがあるが、これもアメリカ国民の選択であるとすれば、我々にはなんとも致し方ない。
ジョン・F・ケネデイーが大統領に選出されたのが1961年1月の事で、日本では昭和36年、この時はニクソンとテレビで討論して、あらゆる視点からケネデイーの方が優位に立っていた。
テレビというものが政治の場で利用されたのはこの時が最初ではなかったかと思うが、その後、このニクソンとケネデイーのテレビ討論の模様が事細かに研究されて、テレビ映りが如何に選挙民の票を得るのに大事か、という政治手法が確立されたといってもいい。
この時代のアメリカの置かれていた政治状況、国際関係というものがどういうものであったかと問えば、米ソの冷戦は極限にまで高揚し、アメリカの庭先であるキューバにはカストロ政権が出来ていたわけである。
ソビエットは既に人工衛星の打ち上げに成功し、キューバに誕生したカストロ政権というのはソビエットと手を結び、アメリカを包囲しかねない勢いであった。
そういう状況下でケネデイーが大統領に選出されたのである。
ケネデイーが若くしてアメリカ大統領になったことで、ソビエットの当時の首相であったフルシチョフは彼を舐めてかかった節がある。
それがキューバ危機であってわけで、ソビエットがアメリカの庭先であるキューバにミサイルを持ち込んで、軍事的にもアメリカを囲い込もうとしたわけであるが、これはケネデイーにきっぱりと拒否されて、ミサイルをキューバから引揚げざるを得なかった。
この過程を「13デイーズ」という映画で如実に再現しているが、この映画、政治の裏面を推測するにはもってこいの映画である。
偵察機がキューバ内に持ち込まれたソビエットのミサイルを発見してから撤去させるまでのアメリカ政府及び、大統領府の要人たちの心の動きを虚実より混ぜて見事に再現している。
その前に、アメリカはキューバのカストロ政権を倒そうとして画策していたわけで、この辺りの状況というのは、まさしくスパイ映画もどきの面白さがあるが、国際政治というものが、こういう面白さで語られるということはあまり良い事ではない。
キューバという国も案外いい加減な国で、その国の成り立ちについてやはりアメリカが大きな影響力を行使していたわけである。
キューバはコロンブスのアメリカ大陸発見と時を同じくしてスペインからの移住者が多く入植し、キューバ内ではスペインからの独立運動が起き、米西戦争でスペインに勝利したアメリカはキューバにおいて非常に大きな利権を確保していたがそこに問題点が潜んでいたわけだ。
この過程そのものがキューバという国の悲劇に繋がっているわけで、基本的には先住民がいて、そこにスペイン人が入植して、このスペイン人の植民地経営がまずかったから近代国家になりそこなってしまった。
そういう国がアメリカという巨大国家の隣に細々と生存していたので、その大部分の社会的基盤がアメリカ資本に牛耳られてしまうのも歴史の必然であって、貧富の差が拡大するのも致し方ない面があった。
いわばアジアの植民地国と同じ状況に置かれていた、といっても過言ではないと思う。
このスペイン人の植民地経営がまずかったからアメリカ資本主義が利権を拡大し、それに反発する形でカストロがアメリカ資本主義と戦う戦士として出てきたものと解釈する。
キューバの人々はそれこそ民主主義というものを理解していないので、カストロはアメリカ資本主義に対抗する手段として、共産主義体制を取らざるを得なかったに違いない。
アメリカ資本と正面から戦うというポーズで人々の信望を獲得し、キューバ人の団結を獲得し、そういう状況を見て、1959年、腐敗しきったパチェスタ政権を倒して一旗上げ、政権を取ってしまうと、そのアメリカ資本というものを全部接収し、国有化してしまった。
こうなるとアメリカといえども個人の資産を守るという立場からも黙ってはおれないわけで、様々な関与をしなければならなくなったわけである。
アメリカとしては自分の庭先であるキューバという国を自由主義陣営に引き付けておきたい事はいうまでもないことで、そのキューバが事もあろうに共産主義国家となってしまっては、喉元に突き刺さった魚の骨のようなものである。
よって、この共産主義政権を倒して自由主義陣営に引き戻そうと、いろいろな画策をしたわけであるが、これがことごとく失敗に終わってしまった。
そして、この失敗するような計画を画策したのがアイゼンハワー大統領下のCIAであった。
その時の状況
アメリカの政治状況を語るときは、このCIAとFBIを抜きでは語れない。
CIAというのは言うまでもなくアメリカ中央情報局というもので、1947年アイゼンハワー大統領の時、国家安全保障法によって設立された情報機関である。
その設立の趣旨というのは、世界中の情報の収集と分析を行なって大統領に知らせるというものであったが、基本的なコンセプトは共産主義に関する情報を集めると同時に、それに対する工作を画策し、合わせてアメリカの安全保障に貢献することを目的とする機関であったように思う。
それがため、このCIAは、情報の収集という枠を越えて、得た情報から様々な画策に走ることを最初から容認されていたわけで、その画策の一つにキューバのカストロを失脚させる、というものまであったわけである。
勿論、そう言う事はおおぴらに行なわれたわけではなく、国家機密として長い間封印されてきたのは言うまでもなく、それが後年、情報公開で明らかになってわけであるが、アイゼンハワーからケネデイーに政権が移行したときには、このカストロを失脚させる案もそのまま引き継がれてしまったわけである。
国家の機関の一つの部署が、他国の政治にまで関与するというのはまことに困ったことで、かっての日本も関東軍という旧陸軍の中の一つの部署が単独行動に走り、その収拾に失敗して結局国そのものが奈落の底に転がり落ちた経験があるが、それと全く同じ轍を踏んでいたわけである。
国家の一部署が他国の政権の転覆をはかるなどということは考えるだけでもおぞましいことであるが、当時のCIAはそれを画策していたのである。
その時点でケネデイーはあまりこの案・つまりカストロの失脚を図る案に積極的ではなかったが、CIAが太鼓判を押したものだから渋々承認した。
ところがこの計画は挫折してしまった。
挫折の原因は色々考えられるであろうが、私の憶測では基本的にキューバ人の民度の低さだと思う。
キューバ人が自分の国という意識をもたず、その場限りの金に幻惑されて、将来的な視点、視野にかけた先の展望を何一つ持っていないという民族的なものではないかと思う。
一言でいえば、民度の低さということになろうが、これがため近代化に乗り遅れ、民主化の後塵を被ったわけで、そういう自覚そのものを持っていなかったと思う。アメリカは、アメリカの金で、アメリカの施設で、キューバ人を訓練し、反革命を画策したが、キューバ人はアメリカの思惑通り動かなかったわけである。
ここにキューバ人としての民族的特質が浮上してくるわけで、アメリカがいくら共産主義の抑圧からキューバ人を開放しようとしても、キューバ人はその意味を解せず、その日の日当さえ手にすれば、後は知らないというわけで、革命も反革命も意に介していないわけである。
日銭さえ手にすれば、あとは遁走するだけで、これが失敗の原因だと想像する。
キューバ人の本質を見抜けなかったアメリカ、つまりCIAも結構いい加減で無責任きわまりないと思う。
これがいわゆるピックス湾事件である。
これがきっかけとなってキューバではケネデイー大統領というものに恨みを持つ者が出てきたとしても不思議ではないし、その後に起きたキューバ危機においても、キューバからすれば、ケネデイー大統領に恨みを持つものが現れても不思議ではない状況があった。
このキューバ危機が1962年10月22日のことである。
ケネデイー大統領暗殺というのは1963年11月22日のことで、丁度キューバ危機から一年後という事になる。
この日、ケネデイーは次期大統領選に再出馬する為の遊説で、テキサス州ダラスに来た。
そして市民の歓呼に答える為、オープンカーで行進中に教科書ビルの2階からリー・ハーベイ・オズワルドにライフル銃で狙撃されたというものである。
これが普通の人のケネデイー暗殺の認識であるが、この普遍的な認識に大いに疑問があるところが不可解なところである。
この時の映像というのは、テレビで放映されていたわけで、アメリカ中の人、いや世界中の人が見ていたにも係わらず、その真相が未だに疑惑に満ち、不可解な解釈が横行し、その疑惑が今もって解明されないというのも不思議な事である。
この時の映像というのは日本でも放映されたわけで、1963年・昭和38年といえば私は23歳で、日本碍子で臨時工として汗水垂らして働いていた時である。
夜勤を終え、家でテレビをつけて朝ご飯を食べていた時であった。
丁度この日、アメリカと日本でテレビの同時中継が行なわれる最初の時であったように記憶している。
我が家の白黒テレビで、その画面が鮮明に見れたように記憶している。
そしてその時の状況というのは世の中の普遍的な認識と同じで、オズワルドに教科書ビルの6階から撃たれた、というものであった。
ところがその後いろいろな書物やら人の意見やらを聞くと、どうもそう単純なものではなさそうで、念入りに調べれば調べるほど解らなくなるというのがこのケネデイー暗殺事件らしい。
ケネデイーが殺されると、すぐにジョンソン副大統領が宣誓して大統領になったわけであるが この時彼は飛行機の中で宣誓したように記憶している。
こういう点が非常にアメリカ的だ、とすごく感心したものである。
疑惑に満ちた報告書
で、新大統領になったジョンソンは、このケネデイー暗殺に対する詳細な調査報告をすべく委員会を立ち上げ、調査をする事になったが、この委員会の責任者に指名されたのが最高裁長官のアール・ウオーレンであった。
ところがこのウオーレンの提出した報告書が疑惑の根源となったわけである。
ウオーレン報告書の結論というのは「ケネデイー暗殺はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯で、陰謀の画策があるという確たる証拠はない」というものであり、この結論が先にあって、その結論に無理に論旨を合わせようとしているので矛盾が多く、それによって多くの疑惑が浮上してきたわけである。
1963年という年は今から37年も前のことで、もう関係者の数が少なくなってきているため、再度検討をすると云うことは不可能に近いだろうが、我々、素人目からすると、非常に面白い事件といわなければならない。
暗殺が面白いというわけではなく、報告書の結論がどうして万人の納得しえない内容のものになったのか、という点に非常に興味が沸くし、好奇心がくすぶられる。
我々の知っている事実というと、大統領とテキサス州知事のコナリーが、オープンカーに乗ってエルム通りを白バイに護衛されてやってくる。
この時、その車に乗っていた人の配置は、大統領は後部座席の右側で、その隣にジャクリーヌ夫人がおり、大統領の前にコナリー知事がおり、その隣なりにやはり婦人がいた。
一番前はドライバーと警護の人であったに違いない。
テキサス教科書ビルを過ぎた辺りで大統領が撃たれ、ジャクリーヌ夫人が大統領を庇い、覆い被さるように、抱え込むようにしてオープンカーは走り去るというもので、この映像はおそらく世界中の人が見ていたに違いない.
大統領が撃たれた時、当然ながら一番近い病院に緊急搬入され、緊急処置が成されたに違いないが、ここでの措置がウオーレン報告書ではいささか不自然である。
これは大統領暗殺ということで、当然の事ながら連邦検察局、いわゆるFBIの出番であろうが、このFBIの動きが奇怪そのものである。
アメリカの政治の局面でのこのFBIというものの存在も実に面白いというか、アメリカ的というか、我々にとっては興味の尽きないものである。
アメリカという国は広大で、日本一国よりも大きな州があり、その州がそれぞれに自治がしっかりしているので、州の機構と国家としての、つまりUSAとしての機構がダブった所が非常に多い。
そういう現実を踏まえてCIAもFBIも国家としてのUSAの機構なわけで、大統領直轄の機関である。
その意味あいからすれば、大統領直轄の機関であるFBIが、自分達の直属上司である大統領の暗殺に対して、杜撰な捜査をするということ自体、我々には不可解千万な事である。
FBIにしろ、州警察にしろ、緊急処置をした地元の医者の言を素直に聞き入れれば、もっともっと早い段階で暗殺の背景がいぶり出されたに違いないが、何故かFBIはそういうことをしなかった。
大統領が撃たれるなどいうことは明白な犯罪行為で、大統領が撃たれた後、一番近くの病院に駆け込むことは当然の措置である。
そして、その後の現場検証では、真っ先にその病院の医師、看護婦から事情徴収をするのが犯罪捜査の最初の一歩ではないかと思う。
事実それはなされている。ところがそれをウオーレン報告書では全く重要視していないという点が不可解千万である。
撃たれた被害者、つまり撃たれた大統領に一番最初に接した医者、看護婦の所見を無視するなどいうことは素人判断でも全く考えられないことだ。
常識的な発想では全く考えられないことだ。
患者、この場合は撃たれた大統領に一番最初に接触し、一番最初に現場、傷口を見たであろう医師、看護婦の証言を蔑ろにするなどということが権威ある報告書に書かれないなどということは考えられない。
しかし、それが起きているわけで、ウオーレン報告書というのは、FBIと同じで、悪意を持って事実を隠蔽しているわけで、この辺りが非常に不透明である。
このウオーレン報告書というのは、とにかく「陰謀というものがない」という方向に結論を導き出そうという意図が最初からあったに違いない。
真実の追究よりも、結論をそういう方向に誘導しようとする、しなければならない、という意図に忠実足らんとしたわけである。
「ケネデイー大統領を殺す」という陰謀が仮にあったとすれば、キューバとソビエットには充分その動機があったわけで、そういう状況下で、仮にキューバの秘密工作員がそれをしたとしたら、又はソビエットの秘密工作員がそれをしたことが明白になったとすれば、これはそのままストレートに第3次世界大戦になりかねない要因である。
だからウオーレン報告書というのは敢えてそういうことに目をつぶらねばならず、
最初から「陰謀はない」という方向に結論を持っていかなければならなかった。
その結論に対して論旨のほうを合わせなければならなかったので、矛盾を内包したものとなってしまったと想像する。
それともう一つ見落としてならないことが、FBIとCIAという機構の存在である。
ケネデイー暗殺というものがもし誰かの「陰謀だった」とすると、これら二つの機構の存在価値が問われるわけで、その陰謀を「事前に見つけ出せなかったと」すれば、「彼らは一体何をしているのか?」という批判が噴出する事になるわけで、その為にも陰謀の存在ということは否定しなければならなかったわけである。
ところが、この事件を詳細に吟味していくと、どうしてもオズワルド一人の犯行ではない、という結論に達せざるを得なかった。
そして、このオズワルドも、2日後にはジャック・ルビーに殺されてしまうわけで、大統領暗殺の直接の被疑者というものが口を聞けなくなってしまったわけである。
この辺りの事情というものが、オズワルドの単独犯行というものを否定的な方向に向かわざるを得ない。
そしてこのウオーレン報告書というものが、全くそういうものに蓋をしたまま、決論だけを記したところで、誰も信用しないわけである。
そもそも大統領を銃で撃ったとされるオズワルドの行動そのものが不可解であり、オズワルド自身の経歴もおかしなものである。
スケープ・ゴートにするためには余りにも格好の条件が揃いすぎている。
アメリカのマスコミの力を持ってすれば、オズワルドの経歴を洗うぐらいのことは意図も簡単な事で、それによると、彼は元海兵隊員でありながらソビエットへの亡命をしたり、キューバへの支援をしたり、不可解な行動をしている。
そして銃で狙撃したとされる教科書ビルには、如何にももっともらしく彼が購入した銃が置いてあり、丁寧に薬きょうまで置いてあるということで、その事は、「彼が犯人である」という事の状況証拠がこれ見よがしに並べてあったということである。
そこに持ってきて、その狙撃の後、彼は家に帰って着替えをして、再び拳銃を持って家を出、警戒中の巡査を射殺したということである。
彼の行動そのものが、彼を真犯人に思わせるようなものばかりで、それでいて捕まった後の彼の言い草では「自分はやっていない」という弁明をしている。
犯行後の最初の2日間の彼を取り調べた時の記録というものがきちんとしていれば、これほど不可解な事件にはならずに済んだに違いないが、全ての状況証拠というものが、ことごとく彼を真犯人に仕向けていたわけである。
そこにもってきて巡査を殺してしまえば、それに輪をかけて、極悪人となってしまうわけで、この辺りに何かしら胡散臭いものを感じないわけにはいかない。
大統領を狙撃した犯人の最初の尋問調書が無い、というのも実に不思議なことで、こんなことは我々の常識では考えられないことだ。
こんな馬鹿な話はにわかに信じがたいことだ。
大統領を狙撃したと思われる犯人、つまり重要な容疑者の最初の尋問調書が紛失するなどということは、常識的には考えられないことだと思う。
彼のおかれた状況というのは、スケープ・ゴートとしては完璧なまでに用意周到に準備されているわけで、大統領を撃った犯人としての状況証拠というものは完全に整っていた。
ところがこの完全なる状況証拠というものが、完全なるが故に余計に疑惑を拡大したわけである。
ウオーレン報告書には、大統領が撃たれた後、最初に緊急搬入され、最初に緊急処置をした医師の診断が蔑にされ、その後、ワシントンの海軍の病院に移され、それから2日後に正式の検死結果が発表された。
これもおかしな問題で、大統領が頭を射抜かれている以上、検死など一目瞭然のはずだが、結論を出すまで2日間も要したということは、そのこと自体不可解なことと言わなければならない。
ここで問題となることは、大統領を死に至らしめた弾道の問題である。
ライフルの弾が何処から飛んできたか?
どちらの方向から撃たれたか?
大統領のドノ部分に当たったのか?
弾の侵入経路と出た方向というものを綿密に調べなければならなかったわけであるが、それが十分でなかったようだ。
これら一連の捜査というか調査というのは全てFBIの所管であろうが、このFBIがウオーレン委員会には少しも協力する事がなかった、ということである。
この辺りの事情が実に不可解千万である。
ウオーレン報告書に関しては不可解な記述であるが、最初に運び込まれた病院の医師の所見というのはその後のインタビューの映像として残っているわけで、それを報告書が無視している点がいかにも作為的である。
FBIというのが連邦検察局のことである事は前にも記したが、その創設は非常に古く、1908年、明治41年にアメリカ合衆国司法省の部局の一つとして設立された。
1935年、昭和10年にFBIと名称変更になり、FBIとなるずっと前からフーバーが長官として君臨していた。
1928年から38年頃にかけてアメリカでは州によって禁酒法が存在し、その禁酒法をめぐってギャングが暗躍した時代があり、その中でアンタッチャブルのエリオット・ネスが活躍した時代である。
当初の設立の目的は、各州にまたがる犯罪捜査や公安情報の収集が目的であったことは論を待たないが、時代が下ってくると市民運動や公民権運動を監視するという風にその使命が変わってきた。
市民運動を監視するということは、黒人問題と隣り合わせの公民権運動にその標的を据えたという事でもある。
しかし、その基本的な使命というのは、やはり連邦全体にかかわる事件の捜査ということにかわりはないわけで、大統領が暗殺されたとなれば、FBIが動く事に誰も疑いを持たなかった。
ところが、このFBIの初動捜査というものが全くいいかげんなもので、その為にウオーレン委員会というのは動きが取れなかった節がある。
その点を加味したとしても、このウオーレン委員会というのはいささか誠意のない動きをしている。
そのメンバーというのは、当時のアメリカを代表する知性の持ち主と言いたいところであるが、これが案に相違して食わせ物であったわけである。
アール・ウオーレン 最高裁長官
リチャード・ラッセル 民主党上院議員
ジョン・マックロイ 世界銀行総裁
ジェラルド・フォード 共和党下院議員
ジョン・シャーマン・クーパー 民主党上院議員
エール・ボックス 共和党下院議員
アレン・ダレス 元CIA長官
こういう7人のメンバーであったが、この中でも一番の食わせ物が元CIA長官のアレン.ダレスであった。
この委員会が食わせ物であったということは、アメリカの政界においても私怨、怨恨、敵意、という個人の感情が渦巻いており、国家としてなすべきことが、私情に左右される場面が多々あるということを指し示している。
CIAもFBIもケネデイー大統領のやり方に相当な不満を持っており、それが大統領暗殺の原因究明にも露骨に表れたということである。
この委員会の発足は暗殺のあった日から一週間後であったが、その時既にオズワルドの口はふさがれてしまっていたわけで、あるのは彼の状況証拠のみであった。
この彼の状況証拠というのが見事に揃っている所もかえって不自然である。
彼が暗殺のその日に逮捕され、その日のうちに報道陣に公開された時、彼は警官殺しは認めたものの、大統領の暗殺については「記者に教えられて始めて知った」ということを言っていた。
そして「尋問は簡単なものであったが、大統領暗殺については、何も教えてくれなかった」という趣旨の事を述べていたが、これが案外真実かもしれない。
彼に関する状況証拠というのは、彼の購入した銃がテキサス教科書倉庫の6階の窓付近から空薬きょうと共に見つかったというものであるが、後からの実地検証では、そこからの狙撃は無理であったということになっている。
その上、彼にはソビエットに亡命した経歴がある、ということで彼を大統領暗殺の犯人に仕立て上げるにはまことに都合に良い情報ばかりが集まってきたわけである。
しかし、歴然たる事実からさかのぼって検証すれば、オズワルドの犯行を否定しなければならない状況が出てきたにもかかわらず、その検証をしていない所が実に不思議である。
例えば、大統領の受けた傷一つ取っても、正確な分析がなされないまま、ウオーレン報告書ではオズワルドの狙撃のせいにしてしまっている。
犯罪捜査の基本は、何時の時代も、また何処でも、現場を徹底的に調べるというところにあるように思う。
銃で狙撃された場合の捜査は、その傷口を調べる事が基本ではなかったかと思う。
だとすれば、ケネデイーが最初に運び込まれたバークランド病院の外科医の発言をもっともっと厳密に受け止め、彼が「その傷口は後ろから撃たれたのではなく、前から撃たれた傷である」と言っていることを素直に受け止めなければならなかった。
大統領の命を奪った銃弾は2発あったわけで、一つは首筋の下の背中に命中しており、もう一つは完全に頭を撃ち抜かれていた。
そしてもう一発が大統領の前に乗っていたコナリー・テキサス州知事に命中しているわけで、この弾の弾道をきちんと調べれば、ウオーレン報告書の疑惑というものは最初からありえないことになる。
真実を書けない何か
この状態を今の我々の立場、37年前という時の流れを加味した状況から推考してみると、このウオーレン報告書には真実を書けない何か大きな理由があったとしか考えられない。
この報告書は「陰謀があったという証拠は見出せなかった」と結論つけているが、この結論そのものが疑惑に満ちているわけで、その裏側の事情というものを勘ぐれば「陰謀があった」としか取れない。
この事件の、そもそもの関係者としてのリー・ハーベイ・オズワルドという人物も、非常に疑惑に満ちた男で、この事件をフレーム・アップする為には格好の登場人物である。
彼がこういう経歴を持っていたからこそ、大統領の狙撃犯にさせられた、ということもありうる。
ソビエットに亡命した事があり、FBIとも関係を持ち、CIAとも繋がっており、銃は通信販売で購入して、その銃を持った写真まで後生大事に撮っており、その銃で撃った証拠としての薬きょうまで綺麗に揃えられていれば、客観状況としては彼が犯人である、ということを誰もが信じて疑わない。
これほど彼を取り巻く状況証拠が完全に揃っていれば、彼が犯人であると決めつけても誰も疑わないであろう。
それにしてもあまりにも状況証拠が綺麗に揃いすぎている。
そしてその当時のアメリカの知性としてのウオーレン委員会のメンバーが、これをそのまま素直に信じるとは思われないし、事実結論に至る段階では意見がわかれるのも致し方ない。
問題は、何故に、ウオーレン委員会なるものが本当の真実に迫らなかったかということである。
迫りたかったけれど誰かに邪魔をされたのか、迫る勇気がなかったのか、ケネデイー大統領に恨みでも持っていたのか、という点である。
私の憶測では、ケネデイー大統領は陰謀によって暗殺された、と思っている。
ケネデイーを亡き者にしたいと思っている第1の容疑者は、キューバの支援者達であり、第2にはFBIであり、第3はCIAである。
これらの団体は全てケネデイー大統領をこの世から葬り去りたいと思っている連中であった。
不思議な事に、アメリカの過去において、アメリカ大統領を暗殺した犯人というのは皆アメリカ人であったわけで、外国人がアメリカの大統領を殺した例というのは全く無い。
その意味からすれば、FBIやCIAが、自分の国の大統領を殺す、と言う事も考えられない事ではない。
その証拠というか、それを裏付ける行為として、事件発生以来あらゆる証拠を握っている筈のFBIが、ウオーレン委員会にきちんとした資料を渡していないわけで、その事はFBIそのものがこの事件をオズワルド一人の犯行にしておきたい、と云うことの顕著な証拠である。
ウオーレン委員会というのは新大統領ジョンソンの直轄機関で、国家機構の一つとしてのFBIが、こういう重大事件を単独で握りきっているというところに不自然さがある。
この国家機構のFBIにしろCIAにしろ、ケネデイー大統領にはえもいわれぬ嫌悪感を抱いていた。
FBIの基本的使命は、当初の理念であった各州にまたがる犯罪捜査というものから、公民権運動や市民運動の内偵の方に傾いてしまっており、その世論の動きというものは、ケネデイー大統領としては擁護する方向に進んでいたわけで、FBI長官のフーバーにして見れば、自分の意に沿わない方向に進んでいた事になる。
よってケネデイーにしてみれば、フーバーには引導をわたして更迭したかったわけである。
一方、CIAの方もケネデイーには恨みを持っていたわけで、それは例のキューバ進攻における失敗が、ケネデイーが海軍と空軍の出動を拒否した事にあると思っていたので、その時の恨みが残っていたわけである。
その時のCIA長官がウオーレン委員会に名を連ねているアレン・ダレスであった。
よってこの新大統領ジョンソンの大統領直轄の機関といえども、アメリカの国家システムとしてのFBIとCIAの協力が全く得られず、真相究明は頓挫してしまったわけである。
つまり、大統領暗殺の犯人をオズワルド一人にしておけば、誰も傷つかないし、誰も損害をこうむらないし、下手なところを突ついて、藪から蛇を出すような事にはしたくなかったわけである。
そしてもう一つ大きな要因として、国家の大儀と言う事も潜んでいたように思われる。
ということは、もし仮に陰謀があったとすれば、その陰謀の究明にさらなる調査が必要になるし、それの延長線上には、米ソの冷戦に大きなファクターがかかるような事態になるとも限らないわけで、そのリスクを考えれば、オズワルド一人の所為にして、この事件に蓋をしてしまえば、そのリスクは避けられるわけである。
この時期というのは、キューバ危機の1年後ということで、米ソの冷戦が最高潮に達していたわけで、アメリカとしては国民感情を平安なものにしておきたい時期でもあったわけである。
ここで陰謀説が浮上してくれば、またまた国内が喧騒の渦に巻き込まれてしまうわけで、その配慮からも、新たな陰謀説というのは封じ込めておきたかったわけである。
より深まる疑惑
ところが事実はそう単純ではないわけで、その後の検証では、あの暗殺は複数の犯人による狙撃であった、ということが解ってきた。
そして、あの時に、あの場所に居合わせたパレードの見物人の事情聴取を丹念に考察すると、オズワルドが教科書ビルの6階から狙撃した、という説は整合性を持たないことになってしまった。
オズワルドの狙撃が整合性を持たない、ということは最初の段階から露呈していたわけであるが、FBIはそれを最初から問題視していなかった。
その事は、大統領が最初に搬入されたバークランド病院の外科医ロバート・マクレーランドによって、「大統領の傷は前から撃たれたものである」という証言を全く無視していることにも現れている。
そしてその後、アブラハム・ザブルーガーという人が、パレードの様子を8mm映写機で撮影していた事が判明、そのフイルムを見ると大統領が撃たれた瞬間の状況が克明に記録されていた。
そのフイルムでは大統領が前から撃たれたことが、一目瞭然とわかったが、それをフイルムの一こま一こまを詳細に検証してみると、オズワルドが狙撃した場所と時間からは、それが成り立たないということが判明した。
その場所を大統領が通過するときには、街路樹が邪魔をして、ライフルのスコープを覗きながら大統領の頭を狙う事は不可能ということが判った。
それと同時に、大統領が撃たれた場所と時刻の位置から、進路の左前方にクラシノールという小高い地面があり、そこに人がおり、その時間に閃光が走り、硝煙の匂いがした、と言う証言があった。
そして、同時に撃たれたコナリー・テキサス州知事の証言も、「大統領の撃たれた弾ではない別の弾にあたった」、という証言も全く無視されている。
こんな馬鹿な話はないと思う。
最初に診察した医師の話を無視したり、同時に撃たれた州知事の話を無視したり、オズワルドの居たビルの参考人の話を無視したり、これでは寄ってたかって、オズワルド一人に罪を覆い被せ、冤罪で裁こうとしているようなものである。
それに輪を掛けて、このオズワルドをジャック・ルビーという人物が殺してしまったのである。
これでは明らかに「口封じ」という要素が強い、と思われても致し方ない。
このジャック・ルビーという人物もいささか怪しげな人物で、本名ジャイコブ・ルビンスタインと言い、ダラスではストリップ劇場のオーナーということになっていた。彼の劇場では使用人と労働条件の事で諍いがあり、その関係で全米のギャング共とつながりを持ち、このギャングの糸を手繰って行くと、CIAに行き付き、CIAの関与が浮上してくるという仕儀になっていた。
ケネデイーはギャングとの撲滅運動でもCIAと悶着を抱えていたわけで、先に述べたキューバとの確執の中で、CIAはギャングを使って対キューバ作戦を行なおうとした事があった。
ケネデイーはそういう作戦には不寛容で、ギャングの撲滅をしようとしていた矢先に、CIAがそういう動きを示したので、CIAとも歩調が合わなかったわけである。
これは兄のケネデイーよりも弟のロバート・ケネデイーのほうが司法長官としてギャングの撲滅に熱心であったわけで、その意味からすればケネデイー一家というのは、FBIからもCIAからも命を狙われる運命にあったわけである。
それでウオーレン委員会の中のアレン・ダレスというのが非常な食わせ物で、彼はやはりいろいろな情報を握っていたにもかかわらず、それを報告書の中にいれることを故意に怠ったように思われる。
ある意味でその事は、国家に対する裏切りでもあるわけだが、大統領の暗殺と言う物が、それよりももっともっと大事な関心事の為に封印された、という感がする。
大統領の暗殺よりももっともっと大事なもの、というのはおそらくアメリカの国益そのものである筈であるが、こういう抽象的な観念は、人それぞれに違うわけで、その温度差の違いが、この事件を曖昧模糊としたものに追いやったに違いない。
日本にも不可解な事件というのは山ほどあり、その解明の不完全さを我々、一国民としては無責任にも糾弾しているが、民主主義の殿堂としてのアメリカでも、こういう不可解な事件というのは存在しているわけである。
FBIにしろ、CIAにしろ、国家に忠実でなければならない機関でありながら、その国家に背いているわけで、日本の悪口ばかりを言ってはいられない。
このウオーレン委員会のメンバーは、先に上げた7人の面々がそれぞれに直接捜査にあたったわけではなく、その下に26人の若くて優秀なメンバーが直接の捜査にあたったが、如何せん、情報を握っているFBIが詳細な情報を渡さないものだから、独自に捜査を進めなければならなかった。
その結果として、今まで述べてきた結果が明るみに出たわけであるが、報告書の結論としては、それが全く加味されておらず、そこにこの報告書に対する疑惑が集中したわけである。
その中でも、ケネデイーを直接死に至らしめた銃弾の件に付いても、その報告書ではたった一発の銃弾であったようになっているが、こんなバカな話もないわけで、それでもそれが押しとおされてしまっている。
事件に対する先入観が先にあり、その先入観に合わせて結論が無理やり嵌めこまれた、としか言い様がない。
事件の端緒から、誠実に事実を追っていけば、オズワルドの単独犯行というのは明らかに整合性を失っているにもかかわらず、無理やり彼に責任を負い被せようとするものだから可笑しな事になっているわけである。
オズワルド一人ではなかった、とすれば当然、「陰謀があった」と言わなければならなくなるわけで、それでは誰かが非常に困る事になるわけである。
今までの検証をつなぎ合わせれば、明らかにケネデイー大統領は前方からの狙撃で死亡したということになる。
ケネデイーの体には違う場所の2ヶ所に銃弾の跡があったわけで、その他のもう一つが、コナリー州知事に傷を負わせているのである。
この傷に関する検死の結果も噴飯ものである。
検死の発表をするのに2日間もかかっていると事自体不自然である。
しかも体内に残ったとされる銃弾が、最初に担ぎ込まれたバークランド病院のストレッチャーの上から忽然と発見される、という不思議さはなんとも茶番劇としか言い様がない。
狙撃から数時間後にはケネデイーの遺体はワシントンに運ばれ、そこで海軍管轄の病院で2日間も掛けて検死が行なわれ、それでもって尚且つ、弾の弾道が明確にされなかった、という事は明らかに誰かの作為がそこに働いていたといわなければならない。
そういう情報を伏せられたまま、ウオーレン委員会のメンバー達は、手探りの状況の中から真実を掴み出そうと心掛けたけれど、その結果は委員会の上層部のメンバーによって骨抜きにされてしまったわけである。
その中でも、ザブルーダー・フイルムを一こま一こま時間と照らし合わせて検証していく手法というのは圧巻である。
そして、その検証の中で、オズワルドはあのテキサス教科書ビルの6階からは大統領を狙撃し得ないという結論が出たわけであるが、それも黙殺されてしまったわけである。
そしてオズワルドの状況証拠のみは山と出てきたわけで、その過程において、ジャック・ルビーの背景もつまびらかにされてきた。
ジャック・ルビーの警察における犯人公開の席において、彼は「その真相は私だけが知っている」ということを公言している。
彼の言い分を信ずるとすれば、それは明らかに陰謀があったということを示唆している事になる。
しかし、アメリカという国で、こうした陰謀が罷り通るというのも実に不思議な気がしてならない。
アメリカ大統領の死をも超える隠さねばならなかったことというのは一体何であったであろう。
確かに、この暗殺事件の後、アメリカ軍が厳戒体制を取ったことは事実であるが、その事は、仮に大統領の暗殺がソビエットやキューバによるもの、という事がはっきりされた時には、戦争になるという危惧が潜んでいた事を示唆していると思う。
その事は、軍とか、政府とか、行政の枠を越えて、国民一般の声として、全国民の希求する大合唱となった暁には、民主主義国として国民の声に応えなければならなくなる。つまり、戦争ということである。
アメリカ人の国民性として、やはり彼らにはガッツの精神があり、「やられたらやり返す」、という人間の基本的欲求としての敢闘精神というものがある。
日本が真珠湾を攻撃した時の合言葉が「リメンバー・パールハーバー」で、彼らは日本と死闘を挙国一致で行なったのである。
「やられたらやり返す」というのは人間の基本的な欲求であると思う。
理性とか理念では押さえきれない、人間の根源的な感情ではないかと思う。
ケネデイー大統領の暗殺が、もし何処かの国の陰謀であったとすれば、こういう事態を引き起こす事になるので、この場合は、なにがなんでもオズワルド一人の単独犯行にしておかない事には、国民を納得させ得るような説明が出来ない、という点に無理があったようである。
その無理に、それこそ無理やりに、結論を嵌め込んだものだから、全く整合性を持たないウオーレン報告というものが出来あがった、と見なさなければならない。
事件の復習
1963年11月22日の出来事を最初からおさらいをして、疑問点を全部列挙してみると
大統領の乗った車がエルム通りを進行してくる。
大統領は沿道の民衆に向かって手を振っている。
大統領の車がテキサス教科書ビルを右手に見ながら通過した直後、前方にはクラシノールと称する低い丘陵が見えていた。
ここで3発の銃声が響き、2発が大統領に命中し、1発がコナリー・テキサス州知事に命中した。
その直後に警官が教科書ビルに駆け上がると、2階でオズワルドと鉢合わせしたが、この時彼は平静で、息も切らしていなかった。
他の警官はクラシノールで何か異変を感じ、すぐにそこに直行してみると、硝煙の匂いがしていた。
ここには2人の人間がいたが、シークレット・サービスの身分証明書を提示した。
オズワルドは全体の経緯を知らず家に帰り、着替えし、拳銃を持ち、警官を射殺し、その後映画館にいたところを逮捕勾留された。
ケネデイーはもよりの病院、バークランド病院に運ばれ、そこで蘇生手術として喉の切開を受けたが、それは銃弾の傷の上に成された。
ウオーレン報告書では弾は後頭部から入って喉に抜けたとされているが、それは誤りである。
バークランド病院の医師は、弾は前方から来ていることを証言している。
ワシントンの海軍病院の検死では、背中に入った弾が見つからなかったが、それはバークランド病院のストレッチャーから見つかった。
検死の時の写真は、関係者といえども見ることが出来なかった。
3発の弾が発射された時間は6秒間であったが、手動ライフルで6秒間に3発発射することは不可能である。
ザブルーダー・フイルムを検証すると、その発射時間帯は大統領の姿が樹に隠れて見えなかった。
ほんの事実を列挙するだけでも、これだけの不審点があるわけで、そこにもってきて、オズワルドの個人的状況証拠というのは山ほどあるわけである。
まず第1に、
教科書ビルで発見された銃は明らかにオズワルドが通信販売で購入したものであり、その銃を誇らしげに持っている彼自身の写真もある。
空薬きょうも銃と共に発見された。
彼自身ソビエットに亡命した経歴がある。
FBIの情報提供者でもあった。
CIAとも関係があった。
キューバの反革命運動とも、カストロ支援とも両方に係わりを持っていた。
本人は警官を殺した事は認めたが、大統領の狙撃は否認している。
ウオーレン報告書によれば、大統領暗殺はオズワルドが教科書ビルの6階から手動式ライフルを3発発射し、その内の1発が大統領の体を貫通し、それがコナリー州知事に傷を負わせた、と言う事になっているが、これは事件の最初から否定され続けていたわけである。
その最も有力な根拠は、教科書ビルの6階から撃たれたとすれば、大統領の受けた傷は後部からでなければならないが、彼は前から撃たれていた、ということであり、なおコナリー州知事は一貫して別々に撃たれた、ということを言っているわけで、そこにもってきて、あの手動式ライフルでは6秒間に3発撃つということは不可能である、ということが判っている。
そこに輪を掛けたように、オズワルド自身の行動に関する限り、不可解な行動が目に付くわけで、例えばソビエットに亡命してみたり、FBIに情報を提供して見たり、キューバに行こうとしてメキシコの大使館に出没したり、ニューオリンズではカストロ支援の運動に参加したりして。
そうかと思うと、反カストロ運動に首を突っ込んだりしているわけで、これだけ不可解な行動をしていれば、スケープ・ゴートに仕立てられてもしかたがないような振る舞いをしている。
国家機関の関与
市販された本を読んだ限りにおいて、私の感想としては、彼、リー・ハーベイ・オズワルドは、ケネデイー大統領暗殺に関しては白だと思う。
彼の使命は、暗殺犯としてのスケープ・ゴートであり、遅かれは早かれ、彼自身の命も失う運命にあったと思う。
いわば大統領暗殺の犠牲者ということになる。
ならばオズワルドを殺したジャック・ルビーが大統領暗殺の黒幕かといえば、彼も末端のヒットマンで、彼の奥にいるものこそ、本当の陰謀者であろうと想像する。
そこで想像を巡らせれば、その真の殺害を計画した者は、案外、ギャングである可能性があるように思える。
その根拠は、アメリカの国家機関たるCIAが、キューバ進攻、いわゆるカストロ失脚を狙ってギャングを使ったという点で、それはアメリカの汚点でもあるが、その時の確執が尾を引いているものと想像する。
CIAがギャングを使ったという点を、ケネデイーが大統領になって時点で、弟のロバート・ケネデイーを司法長官に据える事によって排除してしまった事に根があるような気がしてならない。
その時点でCIAの長官はアレン・ダレスであって、彼はキューバに対するあらゆる画策を承知していたに違いない。
その彼がウオーレン委員会のメンバーに名を連ねている以上、その報告書が公明正大なものになるはずがない。
ギャングが大統領を殺す、などということは非常に恐ろしい事で、この現代の民主的な政治体制の中で起きてはならないことである。
日本に例えれば、暴力団が総理大臣を殺してしまうようもので、日本でもアメリカでも、政治家が凶弾に倒れるということはしばしば起きるが、それはあくまでも個人としての怨恨の発露としての行為であって、犯罪組織が報復の為にするものではなかった。
もしそうだとすると、そもそも国家機構としてのCIAが、キューバ問題に関して、何故にギャングまで使って工作をしたか、ということである。
カストロが政権を取った1959年以降というもの、カストロの政治というのはキューバのアメリカ資産を凍結したり、アメリカの企業を国有化したり、というアメリカにとっては国益を損なうことばかりであったわけで、その為のアメリカ側の恨み、というのも相当根深くあったに違いない。
その恨みというものが、民間企業からギャングにシフトしてしまったわけで、それを利用しようとしたのがCIAであった。
この時、米ソの間柄というのは、冷戦の最もピークの時で、双方に緊張感が張り詰めていた時期でもある。
そういう状況の中で、アメリカのCIAが、一政府機関でありながら、共産主義国とはいえ主権国家を転覆させようと思う事自体、ゆゆしき問題であったわけである。
かって日本の軍隊が中国に傀儡政権とはいえ、主権国家もどきのものを作ったのと全く同じ構図なわけである。
そういう下地のある所に、若くして正義感あふれるケネデイーという大統領が出現して、そういう暗黒の部分、ダーテイーな部分を排除しようとしたものだから、既得権益を冒されたギャングが反撃に出たものと推測せざるを得ない。
そして、その真相は藪の中に隠されてしまったわけであるが、その隠す段階で、再びFBIとCIAが国家の機関として手を貸したわけである。
ケネデイー大統領暗殺にアメリカの国家機関が相当深く関わりあっているというのはかなり信憑性のある推測のように思えてならない。
というのはあの日、あの場所にはシークレット・サービスは配置されておらず、警察無線はオフになっており、こういう官の側の措置というのはギャングではありえないが、官の内部ならば簡単に工作できると考えられるからである。
ウオーレン報告書というものは、アメリカ国民を騙す為にだけ存在したわけで、その内容が全く信用ならない、という事は逆にアメリカ国民の疑惑を招いた事になる。
この不信感というのは、その後、大きくアメリカの政治に影響を及ぼしているように思う。
ケネデイーが殺され、ジョンソンが大統領になってからというもの、アメリカはより深くベトナムに戦火を広げ、ベトナム戦争の深みに嵌り込んで行くことになる。
アメリカがベトナム戦争に嵌り込んで行く過程は、米ソの冷戦という環境下において、ある意味では致し方ない面がある。
アメリカがベトナム、特にあの当時の南ベトナムの政府を支援しなければ、南ベトナムは意図も簡単に共産主義国になってしまうと予想されたので、アメリカとしては支援せざるを得なかった。
その当時の日本の知識人というのは全く無責任で、アメリカのベトナム戦争を批判していたが、大きな目で見れば、この地球上で共産主義国が次から次へと登場して、スターリンや毛沢東、はたまたポルポトのような暗黒政治をするかもしれない、という状況を考えれば、そう無責任にアメリカを批判ばかりしておれなかったと思う。
その後の推移ではベトナムは共産主義に占領され、ボート・ピューピルとして大勢の人が海に放り出されたが、これらを放り出した側は非難されず、それを助けた側が、助け方が悪い、と非難される事態に至ったわけである。
こんな馬鹿な話もないと思うが、世の知識人というのは至って無責任なわけで、アメリカがベトナムで血を流そうが、共産主義者がいくらボート・ピューピルを出そうが、自分の利害とは無関係な所で起きている事なので、現行体制のみを批判していれば、それで飯が食えたわけである。
戦争するが良いかしないが良いかといえば、しない方が良いに決まっている。
そんな事は百も承知で、それでも尚且つしなければ成らない時と場合があるわけである。
ベトナムが共産化しようとしまいと、日本にとっては海の向こうのはるかに遠いところの出来事で、直接の影響というのはそれほどない。
それがため、日本の知識人というのは、飽食で温かい日本の精神的土壌の中から、犬の遠吠えのようにベトナム戦争反対を唱えていたわけである。
1960年代初頭のアメリカとキューバの関係というのも、共産主義を仲介としたイデオロギーの格闘の中におかれていたわけで、アメリカとしてみれば、キューバが共産化するということは、目の上のたんこぶに等しいわけである。
キューバの政権というものをどうにかして自由主義陣営に引き込みたかったに違いない。
しかし、その前提として、アメリカの資本主義、民間企業というのは、あまりにもキューバの人民を搾取しすぎたように思う。
その反動として、キューバの人々というのは、反アメリカ的になってしまったに違いない。
それにしてもアメリカの反カストロ政策というのはお粗末であった。
もっともこれはアメリカの政府として、国家の意思としての行動ではなかったわけで、あくまでもCIAの独断専行に過ぎず、その事を大統領としてのケネデイーは糾弾しようとしていたのである。
そもそもキューバに反攻しようとして集められた人材が、かなりいい加減な連中であった、というところに問題の本質があったわけである。
キューバとアメリカの関係といえば、キューバからアメリカへの不法侵入、不法就労等々、非合法な手段でもってアメリカに渡ってきた連中を駆り集めて、それらを使ってキューバに攻め入ろうとしても、所詮、そういう人々が優秀な兵隊・軍隊には成り得ないわけである。
その場の金だけの仕事しかする気も無く、それ以上の意思も無いわけで、所詮浮浪者の集団にしか過ぎない。
彼等にしてみれば、命を張って戦う意義も、大儀も、無いわけで、ただただその日の日当さえ得られれば、作戦が成功しようが失敗しようがどちらでもよかったわけである。
そういう連中を信用して、その作戦が成功すると思い込んだCIAというのが軽率であり、オペレーション・リサーチが不足していた事であり、現実を知らなすぎたということである。
これはキューバ危機の前の事で、この失敗があったればこそ、キューバのカストロはソビエットのミサイルを受け入れたに違いない。
アメリカは今世紀に入って数々の戦争をしてきたが、その戦争で勝った戦いというのは例が少なく、第2次世界大戦は例外中の例外で、その他の戦争ではことごとく敗北している。
その理由はと問えば、第2次世界大戦ではアメリカとして戦う大儀があった。
対日戦に関していえば、「リメンバー・パールハーバー」は立派なアメリカの大儀であり、ドイツ戦においては、アメリカ国民の先祖の地に於けるナチズムの撲滅ということがアメリカにとって大きな大儀であった。
ところが、キューバへの進攻とか、ベトナム戦争というのは、アメリカにとってその大儀が不充分で、アメリカの国民感情としては、再びモンロー主義に立ち帰って、外国の争いには手を出したくなかったわけである。
そういう時には、アメリカ国民の間に非常な反戦気分が高揚し、政府批判というものが噴出してくるわけである。
アメリカ国民にとっては、キューバやベトナムが共産主義になろうが自由主義陣営になろうが一向に関係ないことで、従来の生活がそのまま続けば、それでよかったわけである。
ところが政府という立場になると、それではいけないわけで、キューバが共産化し、その上ベトナムまでが共産主義の国家になれば、自由主義陣営というものは限りなく侵略されて、この地球上がすべからく共産主義国家になってしまうのではないか、という危惧を払拭し切れなかったものと考える。
事実、あらゆる先進国で、進歩的といわれる人々というのは、そのことごとくが共産主義というものに理解を示し、それの対極の立場にいる現行政府というものを非難していたわけである。
アメリカの青年が血を流したベトナムでは、中国の支援を受けた共産主義者が全ベトナムを支配してしまったが、その結果がポルポトによる大虐殺であったわけで、そういう世界の現実を世の知識人というのは望んでいたわけである。
そしてボート・ピュープルの流出が下火になったと思ったら、共産主義国家の本家本元のソビエット連邦というものが自壊、自ら崩れ去ってしまったわけである。
キューバ危機とケネデイー大統領の暗殺というのは、東西の冷戦が一番ホットな戦いを演じていた時の事件である。
冷戦がホットというのも可笑しな事であるが、一番厳しい状況の時であった、と言い換えるべきかもしれない。
そういう状況下で、アメリカ大統領が殺され、それがソビエットかキューバの送り込んだスパイの仕業ともなれば、それこそ第3次世界大戦になりかねない。
アメリカという国は、戦争の大儀さえあれば敢然と戦う事を厭わない国民性があるので、もし大統領が他国からの差し金で殺されたともなれば、第3次世界大戦は避けられない。
それを恐れたからこそ、大統領暗殺をオズワルド一人の犯行として口を封じてしまったのかもしれない。
仮に大統領がギャングによって殺されたとしても、間違った情報、例えば他国のスパイがやった、というような故意に意図した謀略によって、間違った情報を流されたとしたら、結果的にはこれも戦争に繋がりかねない。
どちらにしても、大統領を殺したのはオズワルド一人にしておけば、他に累が及ぶ事は無いわけで、これがアメリカの国益にとっても一番賢い選択であったのかもしれない。
それにしてもウオーレン報告書というのは不可解な代物である。
日本でもこれと同じような事件は起きており、それは戦争前の昭和11年2月26日に起きた事件である。
世に2・26事件として知られているが、これの処分も非常な政治的な意図の元に不
可解な処罰が成されている。