北方領土と沖縄

小渕総理が新しい日米防衛協力の指針、いわゆるガイドラインを引っさげてアメリカのクリントン大統領と会談するために飛び立ったとき、小渕総理は西暦2000年の主要国首脳会談を沖縄で開く事を発表した。
これは沖縄にとって名誉ある措置ではないかと思う。
日本の歴史にとって沖縄と北方領土というのは常に辺境であり続け、そこに住む人々には陽のあたることが少なかった。
日本という国は北から南に細長い国であるがゆえに中心部から遠のけば遠のくほど、中央の影響が及ばなくなることはある意味では致し方ない。
それとは逆に、日本以外の国からすれば、帝国主義的領土拡張の触手を伸ばしやすいという事にもなる。
戦後53年を経た今日、戦後半世紀を越えた今日において、いまだに戦後が終わっていない地域である。
1945年昭和20年8月15日、日本は連合軍に対してポツダム宣言を受諾して降伏文章に調印をすることを決定した。
この時点で双方において、戦闘行為は終わっていなければならなかった。
ところが旧ソビエット連邦軍というのは、それ以降に侵略行為をほしいままにしたわけで北方4島をはじめ樺太、今のサハリンを不法占領いしてしまったわけである。
そして、それが今日まで不法のまま継続されているわけで、既成事実としてソ連の行為はうむを言わせず認知されてしまっているわけである。
一方、沖縄の方は、これとはまた逆に、8月15日以前にアメリカ軍が敵前上陸をして、アメリカ軍もそれを迎え撃つ日本の側も、血で血を洗う激戦地であったわけである。
こういう歴史的事実を抜きにしてこの問題を論ずることはできない。
ところが戦後の日本人というのは、戦後の世界が、米ソの冷戦時代において、2大陣営に分割されていたのを国内にまで持ち込んで、国内でも米ソ2大陣営の代理戦争を展開していたわけである。
北方領土に関して、ソビエットに肩を持つ日本の進歩的知識人というのは、旧ソビエット連邦の不法行為には一切言及しようとせず、ソビエットの肩を持っている立場上、アメリカに対する批判は公言して憚らなかった。
アメリカがアメリカ人の血を流してとった沖縄を返せといいながら、ソビエットが不法に占拠している北方領土に関して沈黙をしているわけである。
現在、沖縄のおかれている状況というのは、日本の0・8%しか占めていない土地に、日本の75%の基地を要しているという状況にある。
1945年昭和20年に戦争に負けた日本において、終戦直後はわれわれの身の回りでも進駐軍の存在は日常茶飯事であった。
米兵とパンパンが肩を組んでよろよろ歩き、それをMPが黒い警棒を持って巡回している光景というのは、幼い時の子供の目に焼き付いている。
そういう敗戦の姿というのも近頃ではわれわれの目に前から姿を消して、それが今沖縄に集結しているという事は理解できる。
しかし、沖縄からアメリカ軍がいなくなるということは、沖縄の問題ばかりでなく、アメリカの問題でもなく、ましてや日本の問題だけでもなく、沖縄にアメリカ軍がいるということは、地球規模の秩序に組み込まれてしまっているわけである。
沖縄の人は、日夜自分たちが基地のあることによる被害を受けているので、アメリカ軍が出て行くことを望んでいることは理解できる。
しかし、この地からアメリカ軍がどこかに移るということは、地球規模で力のバランスが狂うということになり、新たな軋轢が何処かに生じる可能性があるということを我々は知らなければならない。
アメリカ軍が沖縄にいる限り「トラブルが絶えないからすぐ出ていってくれ」というのは、感情論としてはもっともなことであるが、現実の問題としてはそう単純なものではない。
それに引き換え北方領土の場合は明らかに相手方の不法行為によって日本の土地が略取されているので、我々はもっともっと国際世論に声を大きくして訴えなければならない。
そういう積極的なアクションをとる前に、旧ソビエット連邦というのは崩壊してしまったわけで、厳密に言えば、今我々は抗議の矛先がなくなってしまった感がする。
しかし、日本の周辺のアジアにおいて、ロシアというのが昔からの伝統的な呼称で、ソビエット連邦が崩壊した後に出来た新生ロシアというのが交渉の窓口に違いない。
1945年昭和20年8月に日本が戦争に負けた。
この時点で、連合国側が日独伊という3国同盟に完全に勝利したわけであるが、その後の我々、日本の置かれた立場というのは、まさしく米ソの2大陣営の谷間に落ち込んでしまったわけである。
アメリカという大きな岩と、ソビエット連邦という大きな岩の間に挟まってしまったわけであり、アメリカとしては日本を自分の陣営に引きつけようと、援助という形で我々を取り込む努力をした。
しかし、ソビエット連邦という岩は、自分たちの内部の結束を固めるのに一生懸命で、この時点でまだ他国に干渉する余裕がなかった。
取ったものを必死になって抱え込むのに一生懸命で、日本などという小さな国の存在など眼中になく、その後に台頭してくるであろうアメリカに対して対抗意識を燃やし続けていたのである。
戦後の日本というのは、この2つの大国のハザマに落ち込んで、両側から大きな力で圧迫を受けて、その圧力が日本の内部でエネルギーとなり、アメリカよりの者とソビエット連邦よりの勢力に分裂してしまったわけである。
それも戦後の日本では知識階級がソビエット連邦よりの勢力となり、その他の大衆、政治的にノンポリの側がアメリカ側の勢力となったわけである。
特筆すべきは、日本のアメリカ側の勢力というのはいわゆるノンポリ、政治的にほぼ無関心層であり、保守的であり、知識人の対極にある人々であったわけである。
そのことは戦後の日本の政治がアメリカの力、影響というものを抜きには語れないわけで、日本が戦争に負けた時点で、我々は連合軍の占領を受けたわけであるが、その占領軍の実態がまるまるアメリカ軍であったわけで、1945年という時点で、連盟側の領地を武力占領し、一時的にしろ進駐し、軍政を行使できるのはアメリカ一国しかなかったということである。
しかし、その後の50有余年にわたる戦後の歴史の中で、アメリカは日本に対する進駐・軍政を徐々に解除し、1951年には一応日本の独立を認めたわけである。
敗戦から6年しかたっていない時点で、世界の状況は中華人民共和国が成立し、朝鮮戦争では共産主義者が大挙して南朝鮮になだれうって侵攻していたわけで、こういう状況であってみれば、アメリカとしても日本に対して白紙の状態で独立を認めるわけには行かなかったに違いない。
もっともアメリカとしては日本の国益よりも、アメリカ自身の国益を優先的に考えていたことは致し方ないが、それでも占領6年で、曲がりなりにも日本の主権を回復したという事実は、我々はアメリカに感謝しなければならない。
アメリカが6年前には敵国であった日本という国の占領を切り上げるということは、彼らにはあの戦争中における領土的野心というものが全くなく、世界の警察官として、トラブルの対象がなくなれば撤去する、という感じである。
ところがそのトラブルの種が朝鮮半島に移ってしまったのが朝鮮戦争で、ここで米ソの代理戦争が起きてしまったわけである。
アメリカが日本の占領から撤退するにあたり、アメリカの世界戦略上、手放せなかったのが日本に点在する基地の存在で、アメリカは世界の警察官として、世界各地にその拠点としての基地を置くことがアメリカの国策でもあり、国益でもあり、外交戦略でもあったわけである。
だから1951年のサンフランシスコ講和会議でも日本の独立を承認する時に、日米安全保障条約を同時に取り付けていたわけである。
日本の独立の代替として沖縄には基地が残る事になってしまったわけであるが、日本内地の人々は、その後の経済発展が沖縄の犠牲の上に成り立っているということを肝に銘じながら、感謝の気持ちを持たなければならない。
日本人であれば、日本という土地からアメリカの基地がなくなることが理想ではあろうが、人は空想や理想のみでは生きておれないわけで、人が生きるためにはミリタリー・バランス、ポリチィカル・バランスという、空想や理想の枠の外にある概念によって生かされているわけである。
沖縄の人にとって「アメリカ人よゴー・ホーム」というのは切実な問題だということは良く理解できるが、現実に生きるということは、そういう理想だけでは成り立たないわけで、その裏には地球規模でのパワー・バランスが作用しているわけである。
沖縄の人々は北方4島の人々と比べると、基地があるとはいえ自分の土地に住めるという意味で、まだまだ恵まれている。
北方4島の人々というのは、敗戦の後、正確には8月15日以降9月に入ってから不法にソビエット軍によって占拠されてしまったわけである。
ここも沖縄と同じように日本の内地、固有の地でありながら、連合軍側との地上戦が行われた場所であり、日本が外国人に敵前上陸された場所である。
しかも日本がポツダム宣言の受諾を決め、日本側では戦闘行為を停止した後の出来事で、ソビエット軍にしてみれば何の抵抗もないところを不法に占拠、人々を抑留したという事になる。
人の生き方には許されることと許されないことがあるに違いないし、それは民族を超えて普遍的なことに違いないと思う。
日本人がするのは悪くて、ロシア人がすることは良い、という偏狭な考え方というのは通用しないに違いないが、ここにもパワー・ポリテックが作用しているわけで、我々はソビエット連邦の不法なパワーには対抗しうる力がないためにこういう状態が継続しているわけである。
世界の警察官としてのアメリカといえども、対日戦では共に日本と戦った戦友同志であるにもかかわらず、アメリカの言うことを聞くソビエットではなかったわけである。
歴史の、20世紀の、今世紀の、世界史を紐解けば、これはすべてパワー・ポリテックの歴史で、力のない主権国家は、力の強い主権国家に蹂躙されるのが常であった。
これは人類の普遍的な歴史であり、何も今世紀の特別な現象ではない。
人類というのは常に力のあるものが他を支配し、力のないものは常に支配される側にいたわけである。
太平洋戦争の発端も、アジアにおいて我々、日本が力を持ち、中国や朝鮮、台湾やベトナムは力を持っていなかったわけである。
この力というのはなにも武力のみではないわけで、武力に代わる経済力も力のうちではあるが、今世紀のアジアにはその両方がなかったわけである。
日本のみが明治維新を克服して、武力と経済力を持ち得たにすぎない。
ところが我々は真にこの両方を持っていると思いこんでいたが、第2次世界大戦というものを経験してみると、持っていると思いこんでいたことが全くの幻だったわけで、西洋列強の底力には太刀打ちできなかったということである。
中世から近世、近代から現代という時の流れというのは、科学技術の進化の流れでもあったわけで、地球上のあらゆる民族では、この科学技術の進歩に対する対応に違いがあったわけである。
科学技術の進化をより従順に受け入れる民族と、これを頑なに拒否する民族があるわけで、軍事力にしろ、経済力にしろ、パワーと称するものは、この科学の力抜きにはありえないわけである。
最先端の科学を如何に応用するか、という事がその民族なり主権国家の力になるわけで、第2次世界大戦の前の日本は、この科学の力を十分に持ったような錯覚に陥っていたわけである。
ところが蓋を空けて見ると、それが付け刃に過ぎず、自分勝手な思いこみに過ぎなかったわけで、我々は惨敗したわけである。
こういう科学の進歩というものも、人間の心までは改良することが出来ず、人間の心というのは人類誕生以来一向に進歩することがない普遍的なものといわなければならない。
科学の進歩というのは今の言葉で言えばハードウエアーの進歩であり、人間の心の進歩というのはソフトウエアーでなければならないが、このソフトウエアーのほうは一向に進歩しないわけである。
で、その結果として、殺人の合理化がめっぽう進んだわけである。
それが民族なり主権国家の力となり得たわけである。
我々、日本人も、明治維新で、この科学技術の進歩にいち早く順応しようと努力し、その結果として部分的には西洋列強をしのぐ作品を作ることが出来たが、そのソフトウエアーのほうは依然として島国根性の偏狭さが抜けきれず、唯我独尊的な発想を脱し切れなかったわけである。
戦後も半世紀を迎えている今日においても、日本列島の北と南で、その土地を外国のパワーのもとの押さえられている現状は実にゆゆしき問題であるが、他の日本列島に住む人々にとってはまさしく他人事である。
沖縄からアメリカ軍を追い出すという願望は、同時に北方4島をロシアから返還させる願望と重ならなければならない。
ところが、この二つの願望はかけ離れているわけで、沖縄の方はやいのやいのと大騒ぎであるが、北方4島のほうは細々と交渉が行われている状況である。
だいたい、ロシアの言うことに信用がおけないという点が全く我々、日本人として歯がゆいところであるが、戦後の我々が話し合いで事を解決することが至上とすれば致し方ない。
私に言わしめれば、話し合いで事が解決するということは、相手次第だと思っている。
相手によっては話し合いで事が解決することはあり得ないと思っているが、だからといって、武力で解決できるかといえば、これもそう単純には決めかねるわけで、結論としてはあきらめるほかないということになる。
第2次世界大戦後の世界では、日独伊という連盟諸国は実質消滅してしまい、米ソという2大強国が地球を2分割してしまった感がする。
アメリカは自由を標榜する世界の警察官らしく振舞おうとしていたが、旧ソビエット連邦というのは、警察官の対極に位置する夜盗の存在である。
夜盗という言葉はあまりにも主権国家を表現するにふさわしくない言葉かもしれないが、学者とかインテリと称する人々は、こういう単刀直入な表現をせずに、遠まわしの言い方をするものだから、人々が混乱に陥るのである。
共産主義といわずに社会主義と言ったり、侵略主義といわずに帝国主義と言ったりするものだから、その国が人道に反する行為をしていることがわからなくなってしまう。
第2次世界大戦が終わって、ソビエット連邦に占領された民族で、幸せな発展をした主権国家というのは全くなかった、というのは一体どう云う事なのであろうか?
東ドイツにしろ、北朝鮮にしろ、バルト3国にしろ、今のユーゴスラビアにしろ、ソビエット連邦に占領された国で、幸せな発展をした主権国家というのは一つも存在しないうことは、如何に共産主義というものが非生産的であるかということに他ならない。
アメリカとソビエット連邦の体制を比較すれば、アメリカは自由主義体制であるのに反し、ソビエット連邦というのは言うまでもなく共産主義体制であったわけで、第2次世界大戦後、同じように半世紀という時の経過を経た結果として、その体制の優劣がはっきりとしたといっても過言ではない。
基本的には共産主義というものの方が人間の理想に近く、人類の永遠の理念により近かったわけであるが、それを運用する側が人類としての煩悩を払拭し切れなかったわけで、科学としてのテクノロジーは日進月歩の勢いで向上したにもかかわらず、人間の精神というのはそういう進歩がなかったわけである。
考えてみれば、人間の脳というのは代替物がないわけで、その脳が考え出すアイデアにおいては、科学のように普遍的な原理で固定的な現象を捉えることは出来ても、人間の脳が生み出す多様性というものをコントロールする技術というのはこれから先も出現し得ないわけである。
人間は太古より不老不死を願望しつづけたにもかかわらず、それはいまだに出現していないわけで、人が月に行くことが出来ても不老不死の薬はいまだに出来ていないわけである。
しかし、人間が月に行くということも、今世紀の初頭では全く考えも及ばなかったことで、その半世紀前には考えも及ばなかったことが出現するということは、不老不死の薬の出現も全く夢ではないかもしれない。
人が月に行ったり、不老不死の薬を作ったりすることはいわばテクノロジーの領域である。
ところが、人が人を統治するということは、テクノロジーの問題とは違うわけで、これは政治の領域のことである。
ロシアが共産主義革命を成就して、ソビエット連邦という国を作ったことは、テクノロジーの問題ではなく、政治の領域のことで、人が人を支配するということは、人類誕生以来変わらぬ快楽であったに違いない。
第2次世界大戦でソビエット連邦というのは、自分のところの武器だけではドイツにも勝てないのでアメリカから巨大な支援を仰ぎながら、それが終わればアメリカに背いて、アメリカに対抗し得る武力の保持を望み、企み、それを実行したわけである。
アメリカの援助でかろうじてドイツに勝てたソビエット連邦の政治家・スターリンというソビエットの政治家は、革命家としてその名をほしいままにしているが、彼の最大の過誤はその革命を輸出してソビエット連邦と同じ版図を広げようとしたところである。
基本的に革命というのは不道徳な行為で、革命であるからには必ず血が流れるわけである。
その血は同胞の血であり、他民族の血を流す場合は、それを戦争というわけである。
我々の歴史が経験した明治維新というのも立派な革命であったわけであるが、そこでも我々の同朋の血が大いに流れたわけで、これが単なる政権交代ならば血を見ることはないが、革命である限り、必ず流血の惨事は免れない。
で、このスターリンが革命の輸出に血道をあけたものだから、第2次世界大戦が終わっても一向にこの地球上から戦争行為がなくならなかったわけである。
ソビエットの革命の輸出を受け入れた国、例えば旧東ドイツ、旧ポーランド、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国の発展というのは、共産主義なるが故にその発展が阻害されたわけである。
ソビエットをはじめとする共産主義国家が戦後半世紀の間に進歩し得なかった理由の一つは、共産主義というものが自然の摂理に反していたからだと思う。
今世紀に日進月歩した科学技術、テクノロジーというものも自然の摂理には真正面から対抗するものではあったが、テクノロジーに対抗する自然というのは、定理、公理という不変のものの克服であり、人間が関与する自然というのは、人間の心を左右する非条理に根ざしているわけで、それがため有史以来人間の精神には進化が見られないわけである。
如何にも精神の進化と見間違うばかりの共産主義といえども、そこの克服が出来ないでいるうちは人間の心の内のジレンマから逸脱することは出来ない。
人間が人間の英知を結集して構築した思考であっても、その思考を司る側の人間が、有史以来の煩悩をぶら下げている限り、理想の社会は構築し得ない。
同じように構築し得ない夢の社会ならば、人間の煩悩をよりよく満たす社会のほうを我々は望むわけである。
共産主義社会がこの半世紀の間低迷をかこったのは、それを運用する人間のほうに欠陥があったからである。
自由主義陣営においては、統治する側の人間を統治される側が選ぶことが出来る。
しかし、共産主義社会では、統治される側の人々というのは、全く牛か馬と同じで、人間として認知されていない感じがする。
人間の形をした木偶の坊で、統治する側の人間から見れば働き蟻か働き蜂にしかすぎない。
かぎられた共産党員だけが人間として認知されているだけで、他の人々はそれこそ奴隷かそれ以下の人間でしかないわけである。
だから限られた共産党員が年次計画を作り、その計画どおりに事を運ぼうとしても、本当の働き蟻や働き蜂ならば計画達成も可能かもしれないが、その計画を実行しているのが他ならぬ人間であるから、計画が計画どおりに行かないのもむべなるかなである。
共産主義の根本の思想は「働かざるもの食うべからず」に尽きると思う。
この思想は明らかに平等という事に主眼があるわけで、同じ仕事をすれば同じ賃金ということが永遠のテーマになっているわけであるが、皆が同じ仕事をして同じ賃金をもらうというところに共産主義社会の弱点があるわけである。
自由主義陣営では、これとは逆に、如何に少ない仕事でより効果のある賃金を得るか、というところに発想の原点がある。
つまり共産主義社会では目標達成の結果の平等が問題であるが、自由主義陣営では目標達成の過程の平等に力点が置かれているわけで、人々のもっている能力を如何に結実させるか、というところに人間の英知を結集することが出来る点が大いに違うところである。
個々の人が、如何に英知を絞って自己の欲望達成に努力するチャンスが得られる社会というのが自由主義であり資本主義社会であったわけである。
共産主義と資本主義の優劣は、この半世紀の歴史が明らかにしているわけであるが、体制の優劣がいくらはっきりしたところで、民族の潜在的なナショナリズムまで払拭することは出来ない。
日本がポツダム宣言を受諾することを表明した後になって北方領土を占領したソビエットに対して、どういう風に問題解決の説得をしたらいいのか、あれば教えてもらいたいものだ。
戦後の日本の知識人は、二言目には「話し合いで解決すべきである」、ということを常に言っているが、旧ソビエット連邦、新生ロシアに対して、話し合いで北方領土の事が解決すると思っているのであろうか。
100年も200年も掛かって、ということであれば話し合いで事が解決するということもありうるかも知れないが、我々としてそんなに長くは待てれないわけである。
戦後だけでも既に50年以上経っているわけで、その間に既にソビエット連邦というのはなくなってしまったわけで、ソビエットがなくなればソビエットの不法占拠という問題も雨散霧消してしまうように思う。
だからといって日本が不用意にその土地に行けば、恐らく新生ロシアの官憲が実力でもって阻止してくるに違いない。
現に北海道の漁民が災難に遭っているわけで、北方4島を不法に占有していたのが旧のソビエット連邦という主権者であったが、その主権者がいなくなったので元のさやに収まるか、といえばそうは問屋がおろさないわけで、ソビエット連邦という呼称はなくなっても、ロシアの在住の主権というのが存在するわけで、そんなところにのこのこ出てい行けば逆に主権侵害で拉致されるのが落ちである。
地球上のおのおのの民族が、それぞれに主権を主張している現代という時代においては、その主権を維持するのも、主権を侵すのも力以外にありえない。
その力というのは、必ずしも武力ばかりではなく、経済力も力になりうるが、なんと言っても力として一番強力なものは武力以外にありえない。
いくら経済力があったとしても、武力で制圧されれば、なんとも致し方ない。
それがソビエットによる北方領土の不法占拠という形で具現化されているのが今の日本の置かれた現実の姿である。
戦後の日本人は、あの戦争の犠牲があまりにも大きく、我々は勝った側のアメリカに押し付けられた日本国憲法というもので、戦争放棄ということを詠っている手前、武力の行使を極力嫌悪し、物事は話し合えば解決できる、という認識から逸脱しようとしないが、その結果として、ソビエットの不法占拠は一向に解決されていないではないか。
同じ意味合いからすれば、アメリカが沖縄に基地を置くことも話し合いでは一向に解決できていない。
つまり、物事を真に解決するには、話し合いということは無力であって、話し合いで解決できることと出来ない事の両方がこの世にはあるわけで、その一方のみを信奉していても埒があかないということである。
だから21世紀の我々、日本人は武力を持て、というつもりはないが、実効に値する軍事的パワーを持たないことには、主権の維持そのものが不可能である、ということを知る必要がある。
戦後50年以上、半世紀以上経過した今日の日本で、北方領土の主権回復、沖縄からの米軍の撤退というものが実現し得るかどうかは実に微妙なところで、おそらく21世紀の初頭においても、この問題は解決できていないと思う。
日本列島の細長い列島の両先端は、あの第2次世界大戦・太平洋戦争の末期には、連合軍が実力で占領し、実力で統治し、アメリカにしろ、ソビエットにしろ、それ以降も占領した土地の利用価値を見出しているわけで、先方にその利用価値を失わしめる動機でもないことには手放すことはないと思う。
アメリカは沖縄という土地、島を世界戦略の拠点としてみているわけで、アメリカが今までどおり世界の警察官としての自負を失わない限り、沖縄という島の価値は変わらないわけで、いくら軍事的技術革新が進んだとしても手放さないに違いない。
今、軍事的技術革新というのは人間の考え得る極限の域に達しているように思う。
原水爆という極限の爆弾は開発され尽くし、その運搬手段としてのミサイルも極限の域に達しているわけで、これ以上の革新というのは我々、人間の頭脳では考えられない。
殺人の究極の兵器もあり、その運搬手段としてのミサイルも、極限の域にまで達したならば、前線基地としての沖縄などという島は不要ではないか、という素朴な疑問が我々、日本人の中には生まれているだろうが、それは戦略というものを知らない人間の発想である。
米ソの冷戦が解消してしまった今、もう北の脅威論というものは不要ではないか、という発想も人間の真理を知らないが故の平和ボケの発想である。
戦後も50年以上、我々、日本人は武器を持って他国と戦ったことがない。
これはこれでまことに結構なことで、喜ばしいことである。
しかし、そういう状態がなぜ実現し得たのかと反省してみると、これは平和憲法があるからなどと太平楽な思考ではなく、現実の問題として日米安全保障条約が機能して、沖縄にアメリカ軍が常駐していたからである。
我々はそういう現実を直視する必要がある。
ソビエットが北方領土を不法占拠しても北海道にまで侵攻してこなかったのは、アメリカの存在がブレーキを役を果たしているからに他ならない。
我々は、戦後50有余年も戦争というものと無縁に生きてこれたので、我々の中で戦争とか武力という概念がいびつなものに変わってしまっている。
平和と言うものは、自分さえ力を行使しなければ相手も分り合えると思いこんでいる。
こういう発想は、人間そのものを知らないということである。
そして人間の集団としての民族の真理も知らず、その集合体として国家の主権ということに関しても無知ということに他ならない。
人の心は太古以来いささかも進歩することなく、人類誕生の時からその権勢欲、支配欲、独占欲というのは連綿と継続しているわけで、テクノロジーの進化とは裏腹の関係にあるわけである。
アメリカが沖縄に基地を置き、ソビエット・新生ロシアが北方領土を日本に返還しないのは、日本の事情よりもアメリカなりロシアの事情でそれが継続されているわけで、われわれがいくら東西冷戦が解消したから返してほしいといったところで、相手は聞く耳を持たないわけである。
一度実力で取ったものをみすみす返すということは、相手にしてみれば納得できることではないわけで、相手の立場に立ってみれば「返還してほしければもう一度戦争をするか?」という言い草になる。
我々、戦後の日本のインテリと称する人々は、二言目には話し合いで解決という事を呪文のように唱えているが、それは事の解決をあきらめるか、それとも永遠に先延ばしするということに他ならない。
事を解決するのに明らかにものを言うのは力である。
それは必ずしも武力のみとは限らず、経済力も十分に武力に変わりうるものではあるが、決定打にはなり得ない。
北方領土に関しては、鳩山首相から橋本総理にいたるまで連綿と交渉が継続されているにもかかわらず一向に埒があかないではないか。
沖縄に関しては、アメリカの方針により、いくらかでも改善が見られるが、これは沖縄がソビエトの占領されたのではなくアメリカに占領されたので、状況の変化に応じて徐々に返還されてきたわけであり、相手がソビエットならば決してこうはいかなかったに違いない。
沖縄に関してアメリカは徐々にではあるが日本の希望を入れてきたわけで、これも見方を変えれば、アメリカに対して声高に叫べばアメリカは譲歩するに違いない、という錯覚を沖縄の人に植え付けた感がある。つまり、奢りである。
日ごろ虐げられている人々が、少し温情を掛けられ、待遇改善されると、相手が自分達に妥協し、虚勢を張ればそれが実現すると思い込むところが浅はかなところである。
こういうところも人間の心が太古以来変わらない顕著な例である。
「無理がとおれば道理が引っ込む」式で、自分の方の言い分を声高に叫びまくれば、ひょとすれば相手が妥協してくれるかもしれない、というわけで、アメリカが妥協した事をアメリカが弱みを見せたとでも勘違いした発想である。
アメリカの底力というのは早々安易に見誤るべきではない。
アメリカが沖縄から徐々に兵力を撤退したのはアメリカの国益を最優先した選択の結果であって、けっして日本人が沖縄の返還を声高に叫んだからではない。
アメリカが沖縄を返すも返さないもアメリカの国益次第である。
今回の新しい日米防衛協力・ガイドライン法案というのは、小沢一郎の言うようにある意味で、戦争参加法案ということは紛れもない事実だと思う。
東西の冷戦が解消して、本来ならばもう地球上で戦争というのはなくなってもよさそうに思われるが、近頃の戦争というのは、東西の力の均衡が破れたからこそ起こっているということを我々は再認識しなければならない。
湾岸戦争にしろ、ユーゴスラビアのコソボの紛争にしろ東西の冷戦がなくなったからこそ起きているわけで、東西のイデオロギーの対決が顕著なときには起こり得なかったことである。
その上、今の地球上では、主権国家といえども、他の主権国家との協調なしでは主権の維持さえ不可能な時代にいるわけで、主権国家同志の横の連携が国家存続の必須条件となっている。
ならば今までの日本のように、戦争放棄した国が戦争の準備をする必要などない、と思うのが戦後の日本人の平和ボケの最も顕著な発想である。
つまり、日本の以外の主権国家というのは、東西冷戦華やかなりし頃から、主権の最大の象徴として軍事力の維持ということをしていたわけで、日本以外の国というのは、戦争放棄などを憲法に入れていないわけで、人たるもの自分の国は自分でも守ることは主権国家の国民の義務でさえある。
防衛協力をして、自国の防衛を他国にゆだねる、などということをしていないわけで、自分の国は自分で守ることが法律以前の倫理であり、それでこそ主権の維持が可能なわけである。
だから第2次世界大戦が終わって50年以上も過ぎた時点で、いまさら戦争参加法案を作る必要はないわけである。
ただ日本だけが、自衛隊を継子扱いにして半世紀近くになるわけで、自衛隊というのは、いまだに軍隊として我々日本国民が認知していない状況であるからこそ、戦争参加法案が必要なわけである。
戦争参加法案というと、自衛隊が鉄砲を持って、アジアに行ってむやみやたらと人殺しをするという印象で受け止めている節があるが、こういう発想こそ平和ボケの最たるものである。
事ほど左様に、今の日本人というのは、戦争の本質というものを知らなすぎる。
本質を知らない者が、無知に基づく議論をしているので、まるで盲人が像を撫ぜるに等しく、実りある議論にならない。
新聞の投書欄に見る戦争に関する発言でも、実に不毛の議論でしかない。
感情論がその大勢を占めているが、戦争という行為は、感情論では律し切れない事柄である。
物事を感情でコントロールするということは、人間の普遍的な行為であるが、人と人との争いごとを感情で論じている間は、この世から戦争を撲滅することは出来ない。
人の感情に訴えるという事は、非常に刹那的であり、受け取る側は、感情に訴えられるとその整合性を信じやすい。
「若者を戦場に送るな」ということは、それこそなんびとも反対できないほど説得力を持った言葉であるが、その戦場で何が起きているのか、という事とは別の次元のことで、誰しも戦場に前途ある有望な青年を送り出したくはないわけである。
これは感情論で説明がつくことであるが、それでもなおかつ主権国家の主権の行使の一環として、誰かをその場に送り出さなければならない時と場合があるわけで、その時は国家の誇りを背負って、その任につくということが主権国家の国民、特に若者としての義務である、というのが普遍的な主権国家の国民の在り方なわけである。
イラクのフセイン大統領がクエートに侵攻したとき、国際連合は一致してフセイン大統領をいさめる発言をしたが、フセイン大統領が国連の言うことを全く聞かなかったので、アメリカが国連を代表した形で警察官の役をかって出た。
この時、日本は金だけ出して、後は事後処理として機雷の除去に貢献した程度であったが、中近東の紛争はこの地方の石油に依存している日本にとって「他山の石」では済まされないわけである。
この地方の石油に依存することの少ないアメリカの青年が、血と汗を流して灼熱の砂漠で戦っているのに、日本の青年が平和憲法を盾にしてのうのうと遊んでいて良い訳がない。
そういう意味で、新しい日米防衛協力の指針、ガイドライン法案というのは、戦争参加法案なわけである。
日本に平和憲法があるからというわけではないが、戦争などというものは無いに越したことはない。
アメリカの母親は、喜んで自分の息子を戦争に送り出しているわけではない。
かっての日本の母親も同じであった。
自分の息子が戦場に行くことを好む母親などというものはこの世にいるわけが無い。
アメリカの母親だろうと、中国の母親だろうと、ロシアの母親だろうと、インドの母親だろうと、母親ばかりでなく父親とて同じであるが、自分の息子を戦場に送り出したいと思っている親などこの世にいるわけが無い。
しかし、時と場合によっては致し方ない場面も在るわけで、そう云うときには、嫌だけれども自分を育んでくれた祖国のために命を落とすかもしれないが、それも致し方ないという状況があるわけで、そのときは潔く出征しましょう、というのが日本以外の主権国家の国民の感情である。
それに反し、我々の置かれている状況というのは、とにかくいかなる理由があろうとも、戦争、戦場には行かない、と云うことを憲法で詠っているわけで、国民の側もそれを金科玉条として、いかなる理由にしろ戦うことを拒否する、という思考である。
第一日本に侵攻して来る勢力というのは、この地球上に存在しないという発想である。
自分の方から先に手をださなければ、けっして日本に攻めてくる勢力というのはありえない、という思考に凝り固まっているわけで、自衛隊というのは災害救助だけをしていれば良いという発想である。
こういう発想の裏には、人間を知らないという事があるわけで、我々の国土というのは、四週を海で囲まれて他民族との交流を目の当たりに見る機会が少ない。
日本に流れついた人がいたとしても、それは限られた小数で、他民族の集団が大挙して日本の国土を席巻したという経験が無い。
第2次世界大戦後に日本に進駐してきた連合軍のうちでも、我々はアメリカ軍によって占領されたわけで、このアメリカ軍というのは非常に紳士的に我々を扱ってくれたため、日本に来る侵攻勢力というのはみなアメリカと同じだという思いこみがあるように思う。
日本に侵攻してくる勢力がみなアメリカ並におとなしい勢力であるとすれば、話し会えばきっと分り合えるに違いないという「甘え」がある。
こういう「甘え」は、我々が海で囲まれた地理的条件による認識不足であり、そのことによって他民族との軋轢というものの経験が不足しているので、それ以上の発想にいたらないわけである。
そこを克服するのが人としての知性でなければならず、そこにこそ日本人の英知と理性を結実させるべきである。
人というものが自分一人では生きておれないということは、島国の日本も、他民族国家の他の主権国家の住民も全く同じなわけであるが、我々は限られた地理的条件の元でしか、人間の深層心理を究明する機会に恵まれなかったわけである。
だから日本の常識が世界の非常識になり、世界の常識が日本では非常識に映るわけである。
我々の歴史を振り返ってみると、特に第2次世界大戦の時の我々の行動をつぶさに見てみると、アメリカ軍のB−29爆撃機が1万メートルの上空から爆弾を投下している下で、我々の側は竹薮から竹を切ってきて竹槍で応戦しようとしていたわけである。
この馬鹿さ加減というのは一体なんであったのであろう?
戦争末期、アメリカ軍の本土決戦が現実化しそうなとき、当時日本の主権の範囲であった沖縄とか今の北方領土の住民に武器の配給をしたであろうか。
この当時の日本人の頭の中には、武器を持って戦うのは正規の兵隊だけで、民間人や女や子供が銃を持って敵と戦う、という発想は根本から欠如していたわけである。
我々の側がこういう状況であれば、敵前上陸してきたアメリカ軍、ないしはソビエット軍というのは、何の抵抗もないところに敵前上陸したと同じである。
こういう事実をつぶさに見てみると、敗戦の原因は我々の側に最初からあったわけで、近代の戦争に対して、我々は潜在的に、それを遂行し得る発想が欠けていたわけである。
アメリカとの開戦をするかしないかの御前会議において、開戦を支持する側がデータを改ざんして、自分の主張を通すに不利なデータを開示することなく、事を進めてしまうなどということが罷り通っていたわけである。
こういう状況を見るに付け、敗戦の原因は我々の民族の内にある組織疲労が原因であり、それは我々、日本人というものが、人間の研究ということを怠ってきた結果であろうと思う。
戦後の日本の知識人が、日本国憲法は平和憲法で、世界に誇り得る憲法である、などと声高に叫んでいたが、これもB−29に竹槍で応戦する発想と同じレベルの思考である。
勝った側が負けた側に押し付けた憲法を後生大事に抱えている民族など、地球上に我々以外にありえない。
占領が継続中ならば致し方ない面があるが、独立した後までも、戦勝国が押し付けた憲法を金科玉条として継続する自尊心の欠けた民族も我々以外にありえない。
日本列島という海で囲まれた島国に生息している関係上、他の状況に疎く、唯我独尊的な発想から脱しきれないところが極めて日本的である。
そして日本が戦後50有余年にわたって他国に対して武力を行使しなかったのは平和憲法があるから、などというぬぼれも、日米安全保障条約があったからに過ぎない、という現実を直視しようとしないところが、大戦前の日本の指導者の発想と軌を一つにしている。
これを一言で表現すれば「井戸の中の蛙、世間を知らず」ということである。
狭い井戸の中で喧喧諤諤の議論をしたところで、世間の状況に疎いものだから、どうしても自分に都合の良い結論に陥りがちである。
主権国家たるもの自国の国益を最優先させることは常識の中の最も不変的なことであるが、我々のように、狭い井戸の中だけで議論をしたところで、我々の国益というものが世間一般としてどこまで通用するか、という視点に欠けているので、どうしても世間並の思考から浮き上がってしまう。
つまり、世界の常識から浮き上がってしまって、湾岸戦争にいくら金を出しても、クエートから何の賛辞も得られない、という結果になってしまう。
我々がいくら世間に対して貢献しようとしても、その思いが空回りするだけで相手に通じないわけであり、結果として、相手から見れば金だけを出させる「打ち出の小槌」ぐらいにしか思われていない。
我々の側にしてみれば、金で済む事ならば金を出してさえいればそれで結構であり、日本人が血を流すことは金輪際御免をこうむりたい、というところが我々の本音でもある。
この民族としての本音は、戦後の日本人には徹底的に染み渡っているようで、本音がこうである以上、他の主権国家とは足並みが揃わないのも致し方ない。
まさしくエコノミック・アニマル以外の何物でもないわけで、そうである以上、相手も我々の事を並の主権国家とは見なさないようになるのも致し方ない。
北方領土の返還と沖縄からアメリカ軍が撤退することは、戦後の日本人の民族的願望ではあるが、我々がいくらのそれを希望し、願望し、こいねがっても、それには相手がいるわけで、相手次第である。
この日本列島の両端の土地が、いくら日本古来の領土だといったところで、戦争によって相手に取られ、占領され、統治されているという現状を見ると、相手が早々素直に我々の側の言い分を聞いてくれることはないと思わなければならない。
ならば沖縄の人はどうすれば良いのか、ということになればあきらめるほかない。
現に北方領土の人々は、自分の土地から放逐され、着の身着のままで日本に逃げ帰ってきているではないか。
そのことを思えば、沖縄の人が家をたたんで内地に引き上げてきても、それは運命のいたずらとしてあきらめるほかない。
ただ沖縄の人はソビエットに占領されたのではなく、アメリカに占領されたという点で、北方領土の人に比べれば数段に幸せであった。
アメリカという国が自由主義の国であり、ソビエットのように共産主義の国ではなったので、統治する側に対してさまざまなことを言うことを許されていた、という点で恵まれていたわけである。
ただ惜しむらくは、文句を言う矛先を直接の統治者であるアメリカに言わずに、日本の政府に向けているところが筋違いである。
これも現代の主権国家の構造からすれば一見筋がとおっているように見えるが、筋を通すという意味からすれば、日本政府の統治の元に生きているという意味で、もっともっと政府に協力的であっても罰はあたらないように思える。
すなわち、戦後の民主主義というのは沖縄にも満遍なく浸透したわけであるが、そのことは、弱そうな相手には、徹底的に言葉の暴力を浴びせて反政府運動、反体制運動を盛り上げて、政府に対して非協力な態度を取るということである。
ただただ政府を困らせて妥協を引き出す、ないしは自分の願望を実現させる、ということが民主的と思いこんでいる節がある。
その裏にある思想というのは、共産主義という悪僧が、衣の下に鎧を着ている姿と瓜二つである。
民主主義、民主化という衣の下に、革命を引き起こさねば、という鎧が潜んでいるわけで、それに有象無象の大衆が便乗して、お祭り騒ぎを呈している感がする。
これは沖縄だけの現象ではなく、戦後50年近く、半世紀近く、日本人が歩んできた我々の戦後史そのものであるが、それが沖縄にも漁火のごとく広がったということだ。
反政府運動とか反体制運動というものを大衆が担ぎ、お祭り騒ぎを呈するという状況は、あまり政治的に喜ばしき事ではない。
民主主義の見本市のようなアメリカでも政治的スローガンを掲げた大衆運動というのは時折起こるが、こういう運動のインパクトは非常に大きなものがあるわけで、こういう運動に迎合する事の良し悪しというのは微妙な問題を含んでいる。
大衆運動が掲げるスローガンというのが常に正しいとは限らないわけで、大衆が求めていることの本質を見ぬく事が政治家として極めて重要な資質だと思う。
日本のおいても1960年代の安保条約反対運動というのは、それこそ革命前夜と思われるような情況を呈して、モノを言う文化人のほとんどが、反政府、反体制、反岸首相であったわけであるが、条約が自然承認されてしまえば、潮が引いたように挫折感にさいなまれた経験がある。
あのときの知識人、文化人の言っていたことは一体何であったのか?
という疑問を我々はお祭りに参加しないで冷静に見ていた人間にとっては不思議でならない。
これと同じ事が戦前にも数多あったわけで、そのことは大衆の掲げるスローガンというものが何時もいつも正しいとは限らないということである。
これも当然といえば当然のことで、統治される側の願望と、統治する側の思惑は、食い違って当たり前なわけで、統治される側の願望に沿った政治というのはありえないわけである。
「アメリカ人よゴー・ホーム」というのは、沖縄に住む人の切実な要望ということは重々理解できるが、だからといって日本政府がそれをそのままアメリカ政府にぶつけてみたところで、そう単純に事が解決するわけではない。
沖縄に住んでいる人々、つまり沖縄で統治されている側の人々の願望というのは、それを統治している側の願望とは常に食い違っているわけで、この落差をいくらかでも解消しようというのが政治の課題なわけである。
統治する側としては、国民の願望を冷静な判断力で取捨選択する努力が必要になってくるわけで、国民世論の大部分が反対した安保改定も、結果的に見て当時の岸首相の判断力のほうが国民の思考よりも一歩進んでいた事になる。
先の第2次世界大戦の前においても、日本の中で、政治をする側ではなく、される側の国民の方に、戦争を肯定し、戦争に訴えることをよしとした要望があった、ということも我々は肝に銘じておかなければならない。
日本の国民の全部が全部、常に正しい選択をしていたわけではなく、国民の側の願望にも好戦的な部分が少なからず存在していた、ということを我々は知る必要がある。
ここ数年来というもの、日本はアジア諸国から先の大戦の反省が足りない、という言い方をされているが、これは尤もな事である。
我々はあの戦争の責任追及ということを我々の民族の内からは全くしていないわけで、勝った側が勝手に裁いた極東軍事裁判・いわゆる東京裁判で事が終わったという認識に立っている。
そこに主としてアメリカによる民主化の波が押し寄せてきて、その大波を頭から被った戦後の日本人というのは、政府というものには常に反対すれば、それが新しい民主主義である、というような妙な民主化を植え付けてしまったわけである。
古い日本の政治は、政(まつりごと)として、統治をする側のお祭りであった。
ところが戦後の日本では、統治をされる側のお祭りになってしまったわけで、統治をされる国民、一般大衆の方が、統治をする側を酒の肴にして、お祭騒ぎをするという構図になってしまっている。
そこに持ってきて地方分権という新しい概念も、戦後の民主化の副産物として現れてきたわけで、この地方分権というのは、もともとアメリカ合衆国の政治システムであったものを、狭い日本で同じように考えるのでその整合性に無理があるわけである。
日本と同じぐらいの面積の州を、50も寄せ集めて合衆国という共和政治体制を維持しなければならないアメリカにおいては、それぞれの州の自治権を大いに認めて、州の細部の事柄については、各州でそれぞれ独自の判断で統治しなさい、というのが地方自治の精神であり、日本のように小さな島国では地方も中央も存在しない。
そういう状況であるにもかかわらず、日本でもアメリカと同じような感覚で、地方自治という言葉を使うものだから話がややこしくなってしまうのである。
そうは言うものの、やはり沖縄と北方領土というのは、日本の辺境であることに変わりはないし、こういう地理的条件なるがゆえに、アメリカは沖縄に基地を置き、新生ロシアは北方領土を外交交渉の切り札として手放そうとしないわけである。
ソビエット・新生ロシアにしてみれば、北方領土の話を小出しにちらつかせれば日本から援助という金を「打ち出の小槌」よろしく引き出せるわけで、これは大事なカードである。
早々安易に日本に返還しえないに違いない。 沖縄とて同じで、アメリカもアジアに置ける発言権をこのまま維持するためには沖縄の存在というのは欠かせないわけで、そう安易に返還するとは思われない。

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