国旗と国歌

今年の二月の始め頃に広島県立高校の校長先生が卒業式の国歌斉唱と国旗の掲揚をめぐり、組合員との板ばさみにあい、それを苦にして自殺した事件があった。
その問題に端を発して国歌と国旗を法制化する事が話題に持ちあがって来た。
この問題の根底には、校長が卒業式に国歌を斉唱し国旗を掲揚することに懐疑的であったからこそ、この校長は国旗を上げるべきか上げずに済ますべきか思い悩んだわけで、まさしく戦後50有余年の日本の民主教育の成果がここに露呈したわけである。
主権国家の国民たるものが自分の国の国歌と国旗に疑念を抱くという事こそ、戦後の日本人の民主主義が如何に曖昧模糊としたものであったのか、ということに他ならない。
主権国家の国民が自分の国の国歌や国旗を疑ってかかる状況というのは、被圧迫国の国民の心情であるわけで、19世紀においてイギリスがインドを支配していたような場合、インドの人から見ればイギリスの国歌や国旗を自分たちのものとして認めるわけにはいかなかったに違いない。
さりとて、インドも独立して自分達の国歌と国旗を持てば大威張りで公共施設にはそれを掲げる事がインド人としての誇りであり、愛国心の発露であり、それこそ主権の主権たる所以である。
不思議な事に、日本の国歌と国旗というのは、いまだに法律で決まったものではないという。
法律で決まっていようがいまいが、過去何10年間も、我々もそう思い、世界の人々も、日本の国歌と国旗は君が代と日の丸ということを認識している以上、それをいまさら否定する事もない。
50有余年前、我々の先輩諸氏は、この君が代と日の丸のもとに戦争に駆り出された記憶はそう安易に消え去るものではない。
アジア周辺諸国の人々も、この君が代と日の丸のもとで理不尽な扱いを余儀なく強いられた事は歴史の示す通りである。
だからと言って、君が代と日の丸が戦争の象徴であったわけではない。
君が代と日の丸の旗には何の思惑もなかったが、それを利用する事によって戦争を遂行しようとした日本人の仲間、つまりこの仲間というのも、もともと我々の先輩諸氏であったわけで、天皇陛下でもなければ戦争愛好家でもなかったわけである。
戦後の我々の歴史観というのは、あの戦争、大東亜戦争、太平洋戦争を日本人の中の戦争愛好家乃至は一部の極悪な日本人が引き起こした、というようなニュアンスで語るものがいるが、あの戦争は我々市井の人々の全部がその整合性を信じて行ったものであったわけである。
その整合性を信じさせる手段として、君が代と日の丸が利用された事は否めないが、決して一部の極悪な日本人が、日本国民とその周辺諸国の人々を苦しめるためにだけ引き起こしたものではない。
我々、市井の日本人の全部が良かれと思ってした事であったが、結果として大いなる迷惑を掛けてしまったことは弁明の仕様もない。
このときに君が代と日の丸が大いに利用され、名もなき人々がこの犠牲になった事は歴史の示している通りである。
だから、戦後の日本人が、この君が代と日の丸を軽視して良いということにはならないわけで、この地球上の主権国家たるものは、その主権の象徴として、それぞれに自分達を代弁する国歌と国旗を持つことが不偏的な慣習となっている。
法制化している主権国家もあれば、法制化などせずに慣習として存在するところもあるわけで、法制化するしないは、それぞれの国情によるものと推察する。
主権国家としてみれば、その主権の象徴として国歌と国旗を持つのが常識である。
日本に於いても戦後の一時期、連合軍に占領されている間は、日本の主権というものが存在していなかったので、その間は国歌としての君が代も、国旗としての日の丸も、なにがしかの制限を受けざるを得なかった。
この占領から解放された日本にとって、この独立を機会として、そこに住む日本人の意識が大きく変わってしまったため、今日日本の主権の象徴としての国歌と国旗に対する概念を失ってしまったわけである。
我々には古来から「熱さに懲りて膾を吹く」という俚諺があるが、まさしくそれと同じで、過去において君が代と日の丸で戦争に駆り出された記憶から覚めやらず、君が代と日の丸は戦争に直結するものである、という誤った思考に陥ってしまっている。
君が代と日の丸に見送られて戦場に散った人々が多々あったことは否めない。
しかし、これは日本だけのことではなく、あの戦争に参加した諸外国とても皆同じことで、アメリカ人もイギリス人もソビエット人も、皆祖国の国歌と国旗に送られて戦場に散った人がいる事は説明するまでもない。
ただ単に、結果として、連合国側が戦争に勝ったので、彼らの側は意識の転換ということには至らなかった。
国歌と国旗を法律で制定するかしないか、という問題は、ひとえにその国の政治形態と密接に関係しているわけで、アメリカやソ連というような多民族国家では法律で国歌や国旗を制定しない事には収拾がつかないわけで、日本のように古来からほぼ単一民族で、海によって大陸から隔離されたような国では、わざわざ法律で制定しなくとも古来の慣習上の一環として使われている国歌と国旗で充分世界に通用するわけである。
しかし、国歌と国旗は国際的に主権を表明すると同時に、自らの国民にもその国民の誇りと自覚を涵養するためにも使われるもので、その事はそのまま戦争遂行につながるというものではない。
我々の戦後の民主教育というものは、戦争というものを「悪」と捉えることに主眼を置いてきた。
しかし、これは日本人独特の発想で、戦争というものがこの世から無くなれば、それに越した事はない。
この観念は全地球規模で共通しているに違いない。
然れども、この地球上から戦争というものが未だに消えて無くならないのは、人間の業として我々の心の中に争い事を実力行使で解決する事も止むなし、という思考が残っているからである。
話し合いでの解決というものには限界がある。
いくら話し合ったところで平行線のものは、その幅が縮まるわけがなく、歩み寄りのない話し合いを無理やり解決しようと思えば、最後は実力行使しかないわけである。
その事を突き詰めれば、双方に妥協する気持ちが微塵もなく、それでもなおかつ初志貫徹にこだわれば、相手に妥協を強いる事になり、そのためには実力を行使する以外道は無いわけである。
戦争というのはその結果であるわけで、先の大東亜戦争も、その原因を突き詰めれば、我が方も妥協できず、それかと言って相手の方も妥協する気持ちがなかったからこそ起きたわけである。
戦争遂行のために日本の側においては君が代と日の丸が最大限利用された事は歴史上否めない事実である。
だからと言って、戦後の我々が、国歌と国旗そのものを否定する事も論理の飛躍そのもので、これもまた新たな日本問題の原点になり得る問題である。
しかし、主権国家たるもの、戦争遂行のためにはある程度自国の国歌と国旗を前面に出し、そのもとで国威掲揚を図る事もこれまた世界共通の常識である。
戦後の日本人というのは、こういう世界共通の常識を否定するところに価値観があると思いこんでいる節があるが、これはまさしく日本人の非常識と言われるものである。
この問題は、外の世界から見ている限り、日本人の日本人感の問題であり、日本人自身のアイデンテイテイの問題であり、中国人、韓国人、インドネシア人を始め、イギリス人、アメリカ人から見れば「鴉の勝手」の問題である。
自分の国の国歌と国旗をどうするのか、ということは外国人から見れば預かり知らぬ問題で、何でもいいから勝手に決めさえすればそれで済む事である。
今、我々がこの問題で考えなければならない事は、自分の国の国歌と国旗を尊重しない人間に本当の民主主義が託せるかどうかという点に尽きると思う。
公立学校の校長が、自分の学校に、自国の国旗も掲揚できない状況というのが、果して本当に今後の日本を託すに値する教育を行えうるのか、という疑問が先に立つ。
週刊誌の情報によると、この自殺した校長は、在校生を引き連れて韓国に謝罪行脚の修学旅行を行ったと報じられている。
こんな馬鹿な歴史観の押付けというのも話にならない。
近代国家の初等教育というのは、ある程度、国益の何たるかを教え込むという要因が含まれる事は、21世紀もまじかに迫った地球上の人々が、未だに地球国家というものを形成しえない状況では致し方ない事である。
この地球上で主権国家というものが150以上も存在する以上、おのおのの主権国家は、自国民の教育には自国の利益に貢献する人を養成したい、というのが基本的な教育の原理になっているはずである。
国益といった場合、それがすぐ戦争を意味するものでないことは論を待たないが、主権国家が自国民に教育を施そうとする場合、まず第一に教育を受ける側が将来自国に貢献する人間になる事を願望するのが当然で、他国の利益のために働く人間を作る事が目的ではないはずである。
この地球上に、国連に加盟している主権国家が150以上もあるということは、150以上の国益があり、今の世界、世の中というのは、この国益のバランスの上に成り立っているわけである。
北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国がミサイルを開発し、その事を餌にして、アメリカから食糧援助を引き出させようとする行為など、国益のあからさまな発意に他ならず,これほど露骨な国益というのも近代まれに見るものである。
よって、主権国家の初等教育というものには、潜在的に自国の国益に貢献する人物を養成するという願望が入り込んでいるわけで、その第一歩が自分の国の国歌と国旗を大事にするという事に他ならない。
人間というものは自分一人では成長できないし、家庭と社会という二つの外部要因に囲まれて成長するわけで、この外部の要因、人間の思考を確立する二つの要因が戦後自信を失ってしまったのが戦後の民主主義というものである。
確かに、今まで鬼畜米英と言っていたものが、ある日から突然、民主主義と言うものを押し付けられたとすれば、そこで大きな価値観の転換を強いられた事は致し方ない。
そして、転換後の我々には、新しい状況に対して、自信を持ち、誇りを持って自分たちの子孫を教育する意欲を失ってしまい、自分自身が食うにいっぱいの生活を強いられていたとすれば、ある程度の混乱は致し方ない。
しかし、戦後だけでも半世紀以上を経過した我々は、もうそろそろ自分達の自信を取り戻してもいい時期である。
その事を考えると、公立高校の先生が生徒を引き連れて、謝罪行脚をするという事の是非は自ずと解ると思う。
戦後の価値観の大変換の中で、我々が失ったものは、公の心というものではないかと思う。
先の戦争が公、公共、日本民族の為というものを、天皇陛下のため、という風に摩り替えて遂行され、その象徴として、君が代、日の丸が利用されたので、戦後、民主主義が我々の前に紹介されたとき、我々はその時の反動で、今までのものを全否定する事を良しとしてしまったわけである。
我々は一度ブームというものの渦中に落ちると、自己のアイデンテイテーを見失ってしまう民族である。
先の戦争においても、軍国主義というブームの渦中に身を置いたわけで、戦後は戦後で、再び民主化の渦中に身をおいてみると、ブームという渦に身をゆだねる事によって、物の本質を見失ってしまったわけである。
戦後50年有余年を経過して、歴史から学ぶとすれば、我々は何故にブームに左右される民族か、という点を究明しなければならないと思う。
このブームというのは、物の真理とは全く関係がなく、ただただ今がそのブームの渦中であるというだけの理由で、日本のすべての人間に整合性を与えてしまうところが恐ろしいわけであり、そこのところを究明しない事には、我々、日本民族というのは真の民主主義というものを成就し得ないに違いない。
この世の中には絶対の善、まごう事なき正義、偽らざる真実などあろう筈がない、と否定的な気分に陥ってしまえば一種の開き直りになってしまうが、人間の進歩というのは、こういう不合理を解明し、追及し、それを是正する事から生まれるわけで、成り行きだから致し方ない、では人間の進歩はあり得ない。
先の戦争中の軍国主義だって、一夜にして日本の国民の全部が軍国主義に取りつかれたわけではなく、それにはそうなる要因が必ず潜んでいたわけで、それを究明する事が歴史からの教訓になるはずである。
戦後の進歩的な知識人が、自分の国の国歌と国旗を軽蔑するというのも、一種のブーム的な精神構造であり、その事によって自分は人と違うんだ、というパフォーマンスに違いない。
我々、日本民族というのは基本的に農耕民族で、西洋人のように狩猟民族ではない。
この潜在的な人間の種としての相違というのは、教育とか訓練で是正できるものではなく、明らかに人種としての相違であり、民族固有の性癖である。
我々は農耕民族なるが故に、集団の中に自己を埋没させる事に何ら違和感を感じない。
逆に、集団に違和感を抱かせるような行為を自粛する事を良とする潜在意識がある。
この発想は基本的に民主主義というものとあい入れないわけで、西洋人の唱える民主主義というのは数の原理、多数決の原理で、少数意見には極めて苛酷な思想なわけである。
ところが我々農耕民族というのは、こういうドライな発想は苦手なわけで、何とか全員の合意を取り付けよう、と努力するのが我々の行いである。
しかし、こういう農耕民族の中に、狩猟民族の発想であるべき民主主義、デモクラシーというものが持ちこまれたので、最初のうちの戸惑いというのは致し方ない。
ところがそれも50年、半世紀以上も経過したとなれば、もうそろそろ我々も真の民主主義と云うものに目覚めてもよさそうに思う。
我々が時のブームに流されやすいというのも、農耕民族なるが故の集団主義の顕著な例である。
戦後の知識人が猫も杓子も左翼思想にかぶれ,自分の国の古来からある国歌と国旗を軽蔑する風潮というのも一種の流行であり、そう云う事を言ったり吹聴する事が戦後の知識人の使命とでも勘違いしているわけである。
この思い込みというのは、戦争中の兵士が「天皇陛下の為に戦っている」のだ、と云う思い込みと同じで、自己の意思というものが確立していなく、周囲の状況に自分の思考を沿わせているわけである。
いわゆる時のブームに便乗しているわけである。
我々、日本民族が時のブーム、風潮に極めて敏感に影響を受けやすい、ということはある意味で民族の本質でもあるわけで、いくら歴史から学ばねばならないと言ったところで、民族の本質まで是正する事は不可能に違いない。
だとすれば,ブームの方を人間の英知,いわば日本人の本質に合せて変える他ない。
現にそうして出来上がったのが日本流の民主主義で,いわゆる日本の戦後民主主義というのは、日本人の民族性に合せた、日本人向きに改良を加えられた民主主義なわけである。
それは当然民主主義の本質とは掛け離れた、日本人のための民主主義であって、民主主義の本質とは大きく掛け離れた思考になってしまっているわけである。
人類の発展、乃至は進歩のためには、思考、宗教、思想は本当は二の次である。
大事な事はその結果にあるわけであるが、その進歩なり、発展の渦中にいると、人と人との軋轢が生じ、その軋轢の中で、人の考え方というものが大きく作用しているように見える。
戦後の日本の民主主義が今日の日本人の体たらくを作り上げたと嘆く事も一種の思考の軋轢の結果であって、自分もブームの渦中に入ってしまえば一向に気にならないのかも知れない。 そういうことが出来る状況になった、と云う事を深く考えてみると、日本は果たして戦争に負けたの勝ったのか解らなくなってしまう。
確かに50年有余年前には日本はアメリカに宣戦布告をし、アメリカのB−29は日本中の町を焼き尽くし、明らかに戦争の結果というものは日本の至るところで散見された。
しかし、今の日本ではあの戦争の結果らしきものは何一つ存在せず、今の日本の若者はかって日本がアメリカと戦争をし、朝鮮、台湾を支配し、アジアを隷下に治めようとしたという事実さえ知らないに違いない。
一介の学校の先生が、生徒を引き連れて、外国に謝罪の旅に行くということは、この当時の日本では考えられないような奇想天外な行為であったに違い。
そういうことが出来得る世の中になった、ということは変な言い方であるが、あの戦争に負けた結果だとしか言い様がない。
人間の進化、日本人の精神的発展の結果、ということも言えるわけで、我々が民主主義の本質にてらしてどうこう云う筋合いではないかもしれない。
ただ惜しむらくは、その結果が我々のこれから先、将来に対して、どういう影響を与えるのか、という点に一抹の危惧を抱かざるをえない。
主権国家として、自分の国を象徴する国歌と国旗に敬意を表しない国民の存在というものが、日本の将来に対してどういう影響をもたらすのか、という点が少なからぬ危惧として残る。
地球上の主権国家の一員として、こういう民族が、このグローバル化した世界で、威厳を持って、世界から尊敬される主権国家として認知されるかどうか、大きな心配である。
人が簡単に謝ると云うことも、ある意味で民族固有の文化であるように思う。
謝るという行為には、当然自分の非を自ら認めるという事と繋がっているわけで、その意味で我々は安易に謝罪の言葉を述べがちである。
過去に戦争をしたからと言って、負けた方が勝った方に謝ると言う馬鹿な事も無いわけで、これこそ陳腐という言葉そのものである。
大東亜戦争、太平洋戦争、第2次世界大戦というのは、日本が連合国側に負けたわけで、韓国、中国,その他のアジア諸国というのは、いずれも戦勝国側にいたわけである。
戦争である以上勝ち負けは当然あるわけであるが,負けた方が「どうも負けてすみません、今度するときは必ずあなたに勝って見せます」という馬鹿な話もないわけである。
昨今の日本の謝罪外交と言うのはこういう事である。
この第2次世界大戦という地球規模で混迷した動乱の前には、戦争に負けた方の国の復興ということは至難のことで、負けた方は徹底的に奴隷というか、勝った側に隷属した立場に置かれたわけである。
だからこそ負けた側は勝った側に隷属せしめられるのがそれまでの世界の常識であったわけで、それは世界の万人が認めていた事実である。
立場上負けた側は勝った側に抵抗する術を持たなかったわけであり、勝った側も負けた方を徹底的に自国の国益のために利用するのが常識として通用していた。
しかし、第2次世界大戦後というのは勝った側が名実ともに勝ったわけではなく、名目上勝っただけで、その国力の実態はとても戦争に勝ったと言うには程遠いものであった。
いわば第2次世界大戦というものは従来の先進国の国力を根こそぎ削いでしまったといっても良い。
日本、ドイツ、イタリアも連盟国として国土を焦土にされてしまい、文字通り裸一貫になってしまったが、従来の先進国も、敗戦国と紙一重という状況に追いやられてしまったわけである。
ただアメリカだけが例外で,地球上でこの国だけが戦場にならなかっただけ、戦後は一番有利な位置におれたわけである。
第2次世界大戦の前の時代というのは、戦争で勝つということは相手の国を隷属せしめ,相手の国から搾取する事が主権国家の生存権として容認されていた時代である。
世界の人々がそれを容認し,それが主権国家の主権の具体的な存在意義でもあったわけである。
人としてこの世に生を受けた人々は、誰一人としてそれを悪い事とは思っていなかったわけである。
これは日本だけのことではなく、世界中がそう思い込んでいたわけで、その意味からすれば、日本の常識も世界の常識もこの時点では見事に一致していたわけである。
過去の日本が日清戦争、日露戦争の結果、朝鮮、台湾を手中に収め,それを植民地として活用する事は、第2次世界大戦前の常識では充分許される事であったわけで,戦争に負ければ相手の隷属させられる事が常態であったわけである。
それはかなわないからこそ、その時代の主権国家たるもの、富国強兵を目指したわけで,富国強兵を目指すレースが近代化のレースでもあったわけである。
とにかく第2次世界大戦というのは、アメリカ以外の勝者のいない戦争であったわけで、その中で朝鮮の人々、中国の人々というのは、自分達は日本に勝った側の人間だと思いこんでいる節がある。
勝った側の人間が、50年経って見ると、負けた側の人間よりも惨めな生活を強いられている。
ならばもう一度、負けた側に戦争の責任を言い立てみれば、なにがしかの利益を引き出せる事が可能ではなかろうか、と思いつくのも卑しい人間ならば考えかねない発想である。
日本が戦争で負けたままの状態を引きずっていれば、相手、心卑しい人々も、日本に対して金をねだる事は思いつかないが、戦争に負けたはずの日本があまりにも発展してしまい、自分達の生活とは雲泥の差がついてしまった現実を知るにつけ、何とか口実をもうけて金をせびる方法を思いついた結果が、戦争責任の追及という姑息な手法である。
戦争責任という意味では、勝った側は思う存分,負けた側の我々を隷属せしめ,支配し,高圧的に,有無を云わせず、当時の日本側の責任者、彼らが戦争遂行に貢献したとみなした人々を裁いたわけで、それを黙って受け入れた日本側としては、それで充分戦争責任を果たしたと言っても良い。
その当時、勝った側として、日本を裁いた側に、中国もオランダも入っていたわけで,彼らから今更戦争責任云々ということは一切聞く必要はない。
それをよりによって負けた側の我々のうちから尚且つ未だに「謝罪がたりない」という発想そのものが、極めて売国奴的な思考で,こういう民族で形成された主権国家というのはこの地球上には他にはあり得ない。
他国の国益を優先させるという思考は、昔のスパイの発想そのもので,昔のスパイというのは自国を他国に売る事によってその相手国からなにがしかの金品を受け取るというものであったが、金品も受け取らずに、つまり自分の利益、自己の利益も省みず、他国に奉仕すると云うことは、近代の人間のする行為とはとうてい考える事が出来ない。
今の日本の中で、こういう発想を持っていても尚且つ生存し,職を維持できるということは、今日の日本の置かれた状況が極めて恵まれているから、としか云いようがない。
負けた側の日本が極度に繁栄し尽くしているのに比べ、勝った側の朝鮮の人々、中国の人々,はたまたアジア諸国の人々は日本ほどは恵まれていない。
つまり、人間としての欲望を満たす余地が、我々、日本の側にはほとんど存在しないのに比べ、他のアジア諸国の人々には人間の欲望を赤裸々に表現する余地が残されている、と言った方がいいのかもしれない。
「金持ち喧嘩ぜず」という俚諺の通り、金持ちになった日本は、既に喧嘩する意欲を失い、どんな言いがかりを受けても、口先のみの言い訳に徹し、金で解決しようという発想なのかも知れない。
そして、そういう気持ちを世界に向けて発信してしまっているので、相手から見れば、どんな無理難題を言ったところで、日本が今後実力行使に出る事は絶対に無いという確信のもと、日本に対して言いたい放題のことを言ってくるわけである。
それを真に受ける馬鹿が我々の側にいるから、尚ますます我々は世界から馬鹿にされるのであって、これでは主権国家の体を成さない有り様である。
どんな堅牢な城郭も内部から壊れ、どんなに強い国家も内部から崩壊するということは、こう言うことだと思う。
過去に繁栄を極めた主権国家の栄華盛衰も、外敵に破れて衰退するという事の前に、内部において、既に外敵に負ける要因が醸成されているわけで、それだからこそ、外敵の侵略にもろくも打ち砕かれるのであって、国家として上昇気流に乗っている間は外敵に敗れるということはないわけであり、自分の方が勝っているからこそ戦争にも勝ち、栄華が極めれたわけである。
そういう意味からすれば、我々が歴史から学ばなければならない事は、何故に我々はあの大東亜戦争に負けたのか、という反省を自らがしなければならない筈である。
アメリカという戦勝国が日本の戦争犯罪者を裁いたからあれで事が解決したなどと満足していてはならない。
あれは勝者の論理であって、我々、日本民族の内部からふつふつと沸きあがった、民族としての反省ではないわけである。
広島の県立高校の校長が日本の民族を代表したつもりで朝鮮に謝罪の旅をするという事は思い上がりも甚だしい。
こういう思い上がった行為が、戦争遂行にも大きく関わり合っていた訳で,自分の国の国歌や国旗を尊重する事を恥だと思う心もその最たるもので、これほど不遜な考えも他に存在しないと思う。
自分の生まれ育った土地や、周囲の人々、風物、習俗、その他諸々の事を一切合財否定するという事は、売国奴以外の何物でもない。
そういう日本人が日本の至る事にいる、ということは既に日本という主権国家は、主権国家たり得ていないということである。
ただの「烏合の衆」の集まりに過ぎず、世が世ならば他の主権国家に切り取り自由になるところである。
清朝末期の中国がそうであったように、朝鮮半島がそうであったように、18世紀から19世紀のアジア諸国がそうであったように、こういう状態の土地は、早い者勝ち,強い者勝ちで植民地にされた、というのが世界の過去の歴史である。
今そういう状態にならないのは、日本が主権を放棄した状態であったとしても、今のままの状態で金だけ出させた方が周辺諸国としても有利だからである。
仮に戦後の日本が主権を持っていようがいまいが、周辺の主権国家からすれば、労することなく利用できるだけ利用できる状況の方が望ましいわけで、日本を実力で管理しようとすれば、あらぬ軍事費の支出を余儀なくしなければならないが、口先で金だけ出させる方が、外交として一番効率良く、労少なくして最高に国益にかなうものはないわけである。
今の日本の置かれた状況というのは、日本民族という「烏合の衆」が太平洋の小さな4つの島に住んでおり、この島に対して無理難題を吹っかければいくらでも金を引き出せる打ち出の小槌のようなものである。
日本の周辺諸国から見れば、難題を吹っかけると言うよりも、願い事を言えば、その願いが叶えられる、という状況に近いと思う。
この事実をもってしても日本には果して本当の意味での主権国家たる主権があるのかという事が言えると思う。
この4つの島の中に住んでいる人々は、自分の集団に尽くすよりも、自分以外の集団に貢献する事を良としているわけで、こういう民族、こういう国家は、暖かくその生存を保障しておいた方が日本の周辺国家にとってより有利なわけである。
4つの島に中の事よりも、周辺諸国の要望にこたえることを優先させる民族というのは、この地球上でも我々の日本民族以外にないのではないかと思う。
日本の公立高校の先生が生徒を引き連れて韓国に謝罪の旅をすると言う事はこういう事である。
自分の国の主権を認めないから、必然的に自分の国の国歌と国旗に疑義が生まれるのであって、ある意味で同胞愛、昔の言葉で言えば、愛国心というものがないわけである。
同胞同志で助け合う心、お互いに助け合って生存しようという気持ち、隣人愛、相互扶助の気持ちというものが喪失しており、日本民族には管理する悪者と、哀れな被管理者の2種類の人々がおり、管理する側というのは常に悪者でしかない、という発想があるように思う。
この事実は、戦後の日本の民主主義の大きな成果であり、民主主義の世の中では、人の意見を封殺する事が出来ない。
前向きで建設的な意見も、独り善がりで極めて偏見に固まった特異な意見でも、公の場であろうとなかろうと、一旦意見として公表されたものをマスコミが取り上げたら最後、それは巨大な力を得た事になり、もうこれを封殺することができない。
今日ではマスコミというのは巨大な権力と化しており、マスコミというものを如何に上手に取り込むかで、自分の意見が人々に共感を与えるかどうかの試金石となる。
だからマスコミを自分の側につければ、今日のように、自分の国をよその国に売るような行為でも堂々と罷り通り、主権の象徴であるべき国歌と国旗に対しても嫌悪感をあらわに出来るわけである。
マスコミに取り入ろうとすれば、それは反政府で、反権力で、進歩的というポーズでなければならない。
日本の歴史の中で、第2次世界大戦の前の時代までは、日本でも人の意見を権力の側が封殺する事に整合性があった。
だいたい、我々の民族的特質としては、談合体質なわけで、村の寄り合い的な物の決め方できたわけであり、いわばこの事実は原始民主主義に近い形態ではなかったかと思う。
極端な意見でも通るという事は、その集団の思考が非常に柔軟性に富んでいる事の裏返しで,あまりにも柔軟性に富んでいるからこそ、端から見ると何が良くて何が悪いのかという規準がぼやけてしまうわけである・。
この曖昧さこそ日本民族の最大の特徴で,それがあるが故に、我々は他から誤解を招きやすいわけである。
極端な意見が時流に乗ってしまうと、もう冷静な判断を失ってしまうわけである。
この時、時流というものにマスコミが大きく関わり合っているわけで、第2次世界大戦の前までのマスコミというのは、今の規準から云えば未発達であったが、それでも新聞とラジオぐらいは有った。
マスコミの発達というのも近代化の象徴なわけで、明治維新、日清戦争、日露戦争と時代を経るに従い、それなりに発達してきたわけで、その中で軍国主義というのもマスコミの好餌にされ,戦後の左翼思想家は日本国民は天皇陛下のために戦争に駆り出されたと云っているが、その裏にはマスコミの世論操作に翻弄されたという事実には口を拭っている。
我々、日本民族にとって、時流というものには非常に神経を研ぎ澄まさなければならない。 我々は古来から時流というものに流されやすい民族で、時流に逆らえば、それこそ「出る杭は打たれる」ことになり、異端として差別され、変わり者という烙印を押されかねない。
その根底のところにはマスコミの世論操作というものが潜んでいるわけであるが、我が,日本民族が、こういうマスコミの論調に、いともたやすく同調して時流に乗ってしまうということは、我々には個の確立という精神の自覚がないからだと思う。
「付和雷同」という言葉があるが,人の尻にくっついていけば間違いないであろうと言う安易な自己判断によって、事を処する風潮があるからだと思う。
時流の真中にいれば安心する、という面があり、それから外れると不安でたまらないわけである。
これは個としての自己の確立に自信がないということで、人のやっている通りの事をしていればなんとなく安心するという事実である。
この事実は戦後50年を経,半世紀以上も経って民主主義というものが日本の全国津々浦々に浸透しているかに見える今日でも依然として我々の民族の内部に残っている。
今の日本において売国奴的な左翼思想家といえども、そういう思想に被れる事が一つの時流になっている、という事実に気がつこうとしていないだけで、その根底に有る民族的特質から逸脱するものではない。
戦後定着した言論の自由というのは、あらゆる意見が時流になり得ると言う事であり、誰も人の意見を封殺する事が出来ない、という事は時流の渦というものが数多出てくるという事である。

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