教育について
日高義樹の報告から H11・4・18
4月18日,雨の日曜日の午後,昼下がり,することもなく手持ち無沙汰でテレビのスイッチを入れてみた。
すると画面に出て来たのはアメリカの士官学校の風景のようなものが写っていた。
制服を着た若者が整然と行動している場面を見たので、ついつい引きこまれて見てしまったが,この場面はVMIというものを写した場面であった。
テレビの報ずるところによると、このVMIというのはバージニア・ミリタリー・インステッチュードと言うバージニア州立大學と言うことであった。
こういう学校が全米にもう一つあるということであったが,今の時代にはいささか奇異に感じる。
学校の教育内容は他の大学と同じであるが,生活の面では軍隊のシステムそのもので,それ以上に厳しいのかもしれない。
日本の防衛大学もこれに近い様子であろうと想像できるが、防衛大学は軍隊の学校そのもので、日本に軍隊が認められていないから防衛大學という曖昧な呼称を使っているだけであり、基本的には士官学校なわけである。
VMIというのはあくまでも州立大學でありながら、その大學生活の部分にミリタリー調そのものを残している、という部分が大いに他の大學と違うところである。
私自身も若い時に自衛隊に五年間入隊した経験からすると、軍隊の生活様式というものは、その後の人生にも大いに役立つものであるという事を確信している。
人間が成長する過程で、子供の域を脱し、そろそろ大人の社会に踏み出そうという時期に、集団で軍隊式の教練のような団体生活の基礎を教え込まれると云う事は、人のその後の人生に大いにプラスするものであると確信している。
昔は何処の国でもほとんどが徴兵制をしていたわけで,本人が希望してもしなくても軍隊に徴用されたものである。
しかし今日では大方の国で志願制になっているので,嫌な者に無理やり軍事教練を押し付ける、ということは少なくなってきていると思う。
この番組は日高義樹の「ワシントン・レポート」という番組で,この日のテーマは「21世紀のリーダーはどう作られるのか」というものであった。
この番組の報ずるところによると,このVMIにおいては普通の大學のカリキュラムに加えて,士官学校並の軍事教練が余分にあるわけで,その目的とする所は、率先垂範して挑戦をする人間を養成する、というところに力点が置かれているようであった。
戦後の日本人は、規則に従うことは古い考えで、規則に反抗し,規則を蔑ろにすることが新しい民主主義の具現化だと思い込んでいる節がある。
が,これは基本的に大きな間違いで,民主主義というものは、自分達で規則を作り、その作った規則には率先して従い、それに反した場合は素直に罰則に従うことである。
こういう発想は、民主主義の基本を知らない人の言い草であって,既定の規則に率先垂範して従うという行為は、本人の確たる自主性がないことには成り立たないわけである。
昨今の日本の高校生は制服というものを着たがらないらしいく,着たとしても実にだらしなく着ている。
ここには既存のルールを自ら率先して遵守しようという気概は全くない。
あるのはルールから逃避して自堕落に陥るという精神の退廃でしかない。
人間の成長の過程で,15歳から20歳ぐらいの間というのは、自己の確立というか,精神の確立というか,自意識が固定化する時期で,この時期に正義だとか,信義だとか,忠誠心だとかを学ぶには最適な時期である。
軍事教練というのは、戦後の教育を受けたものには理解しがたい部分があることは否めない。
しかし、その本質は団体責任を強調することにあるわけで,一人の違反が全体の責任にかぶさるということになれば,勢い自分の属する集団のために違反は出来ないという気が起き、違反、脱落,落こぼれそうな仲間は自分達の仲間の力で救ってやらねば、という状況が起きるわけである。
自分だけ関門を潜ってしまえば後の仲間のことなど構っていられない、という状況は極力遺棄されるわけである。
その事はつまり民主主義に基本に通ずるものがあり、規律ある生活というのは、する方にとっては非常に苦しいわけで,出来ることならばそれを避けて通りたいと思うのが普通の人間である。
それを敢えてこの20世紀も末に近い時期に存続させているアメリカの底力というのも実に驚くべきことである。
軍隊でもない学校で、こういうことが行なわれている、ということはまさしく21世紀のリーダーを養成するという使命に根付いた発想である。
今の日本では規律ある生活というものが存在しえない。
仮に高校とか大學で何か生徒の行動を規制するようなことをしたすれば、すぐに人権蹂躙と言う言葉でしっぺ返しされる。br>
だから高校生に制服を着せることさえ完全には出来ず,高校生に校則というルールをきちんと守るという事を教えることさえ出来ない。
規則というものが無い方向に仕向けることが民主化であり、人々を幸せにするものである、という間違った認識が人々の間に広がっているためである。
ところが今回知ったVMIバージニア・ミリタリー・インスチィチユドというのは、こういう発想とはまったく逆で,人間を規則、規則でがんじがらめにした環境の中で一定期間過ごさせることによって、その人間が生来引き継ぎ,内在している怠惰な精神をコントロールする力を付けることが目的であるかのような印象を受ける。
我々の先輩諸氏の間で、旧軍歴のある人の中でも、士官学校出の人は教練の効能をあまり語らない。
その反面、兵卒以下の経験しかない人にとって、軍事教練というのは監獄の扱いそのものの印象しかない。
この違いは軍事教練,一般に教練というものを実施する側の人間性の違いである。
人が人に命令して,人の集団が集団として、その命令の通りに動くというのは、ある意味で一種の芝居である。
命令権者を変わりばんこに交代して、お互いに権力者ごっこをしているわけで,指揮官を養成する士官学校では在校生にとってそれは通過儀礼である。
しかし,一般の兵を鍛えるべき機関においては、それは上級生が下級生をいたぶる格好の場で、自らの人間性を一番露骨に表現しえる場でもあったわけである。
またそこに集まってきている人々も 海千山千のしたたかな人間集団であり,隙あらば寝首をかかれ兼ねない状況下において,そういう人間を狭い一箇所に集め,権力でもって押さえつけ,戦闘集団として基礎的なことを教え込まなければならなかったわけである。
戦後の日本人というのは教練の効用などということは頭から信じない。
教練のみならず軍事システムそのものを悪としか見ない風潮がある。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があるが,あの大東亜戦争,太平洋戦争に敗北したということで、それ以前のすべてのものの価値を認めようとしなかった。
教育という事に関しても、その戦争の前と後では、その発想そのものが大きく違ってしまっている。
教育に関する発想が全く逆になっているのに、システムとしての学校制度というのは、進駐軍の命令で多少変ってはいるとは言うものの、基本的に戦前のシステムがそのまま維持されて来たわけである。
軍国主意的な教練をはじめあらゆる団体行動らしきものはGHQの指示で改めさせられた。その過程の中で、軍国主義に替わる思想として、新しい民主主義というものが取って代わられたわけであるが,如何せん,これも外来の思想で,我々の民族の内側から湧き出た発想ではないが故に、その本質を知らずに、表層のみを取り入れて帰依したつもりになっているところがある。
我々は太古よりほとんど単一民族として自らを律し,自覚しているので,我々同志では黙っていても通じ合うと思っている節がある。
その背景には発想の元になっている民族性というものがあり、これは極めて曖昧模糊としたもので,他民族からの大きな圧迫も経験することなく,又他民族を搾取したこともないので「友達の友達は皆友達だ」と言う安易な平和思考に陥っているからである。
そういう背景のもと、人間誕生以来、人の生きる為の倫理、道徳,願望,という事を深く考えることなく、連綿と農耕生活が継続されて来たわけで,人は生れ落ちたときから村の掟に縛られて生きてきたわけである。
この日本人の有り方そのものが新しい民主主義を真から理解し得ない大きな原因である。
民主主義の基本は、自らルールを作り,その作ったルールには率先して従い,違反したときは素直に罰則に従う、というものでなければならない。
自らルールを作るということは、昔のギリシャのような直接民主主義ならば可能であるが,今日のような代議制民主主義では、自ら選んだ代議員によって作られたルールという意味で、「その場に自分がいなかったから俺は関知しない」と言う意味ではない筈である。
我々は既にここのところから間違っているわけで,行政サイドが物をを決めると,「密室の中で決めた」という事をいうが,こういう表現の仕方もよくよく注意して見なければならない。
ルールというものは人々の行動を拘束するものではなく,基本的には人々の行動をよりスムースに動かすものである。
人々が決められたルールを率先して守ることによって、混沌とした情況を呈することなく、人々の行動をルーチン化するものである。
例えば、交通ルール一つとっても、交通規則を誰もが率先して遵守しているから事故を防ぐことが出来ているわけで,たまにこのルールを無視する輩がいるから交通事故が起きているわけである。
既存のルールでも時代遅れになるという事はままあることで,そのときには、それを改善しましょうというのが立法府の役目であり,その決まったルールを実践に移すのが行政ということである。
我々が真の民主主義というものを実践しようとしたら、挙ってルールには率先して従うという気持ちを持たなければならない。
ところが戦後の我々というのは、こういうルールに従わないことが民主化だと勘違いしたきらいがある。
戦後の価値観の転換のとき,アメリカから押し付けられた新しい民主主義というものに接し,古い価値観を全部捨て去り、新しい価値観を取りこもうとした際、間違って倫理観を捨て,替わりに得たものというのが既存のルールは守らないことが新しいモラルだという思い違いをしてしまったのである。
この傾向に輪を掛けたのが共産主義の解放である。
日本が戦争に負けた時点で,日本に進駐して来たアメリカ軍が最初にしたことが政治犯の釈放であった。
この事はつまり共産主義者の開放であったわけである。
解放された共産主義者が最初にしたことといえば「米よこせ」というデモであり,ストライキであったわけである。
このとき解放された共産主義者達は、進駐して来たアメリカ軍を解放者とよび、アメリカはすぐさまその誤りに気付いたものの、解き放たれた細胞はもう収拾がつかない状況に陥ってしまったわけである。
それは当然の成り行きで,自由解放を旗標に、日本の古い伝統を全否定してしまえば、後に残るのは「烏合の衆」と化した民衆の存在しかなかったわけである。
しかし,アメリカが押し付けた新しい民主主義が真の民主主義と相似性があるとはいうものの同一でないのと同様に,共産主義も真の共産主義とは掛け離れた擬似共産主義であったわけである。
日本は建国以来四周を海で囲われて大陸とは離れた地理的条件なるが故に,移入された文化というのは、大なり小なり日本化されてしまうわけで,真のオリジナルとは掛け離れてしまう。
戦後50年を経た今日においても、真の民主主義が確立されていないのと同じで,真の共産主義というのも日本では根付かなかった訳である。
ここのところ,つまり、移入したものが日本流に改造,改善されるという点が非常に問題なわけで,ここの部分で新しい民主主義に帰依したつもりが、心底帰依し得ず,自分の都合次第で、都合の良い部分だけ,自分の有利に利用する、という点が日本人の優れたところというべきか、ずるいところというべきか見解の分かれるところである。
古い封建思想を打ち破り、新しい民主主義で、人の意見を聞き、皆で決めた事は皆で守りましょう、と言いながら,自分の都合次第で、聞いたり聞かなかったり,多数決で決めたことでも少数意見を聞け、と言ったりするものだから事が停滞してしまうわけである。
戦前は「鬼畜米英」と言っていたものが,一夜明ければ「天皇はたらふく米を食っている,米よこせ」というスローガンになってしまったわけである。
これを変節と言わずしてなんと言うかである。
この価値観の大転換のとき,我々は倫理観というものも同時に失ってしまったわけで,その倫理観を失ったが故に、人の言う事を聞く耳を持たなくなってしまったわけである。
人の言う事というのは、つまり、昔からの伝統とか,価値観とか,風習とか,規律とか,思考方法とか、新しいものではないものを全否定してしまったわけで,新しい民主主義とか、新しい共産主義には見事にマインドコントロールされてしまったのに、古いものをその真の意味も考察することなく捨て去ってしまったわけである。
いわば民族の魂ごと、身も心も日本的でないものに帰依しようとしたわけである。
ところが、これも中途半端な帰依の仕方をしたものだから、今あらゆる場面で混乱が起きているわけである。
その最大の影響は教育界の堕落である。
如何なる民族においても、自分の種族の子供は自分の種族にとって有意義な活躍が出来るように仕向け,教育を施し,その種族の後継者たらんと欲して育てはぐくむものである。
ところが我々は、そういう教育の指針を失ってしまったので,子供を育てる目標を見失ってしまい,子供も大人と同じ人格があるものとして,教える事を強制しなくなってしまった。子供に競争を煽って優劣をつけることが民主化に反することである、という風に考え、子供社会の競争をスポイルするように仕向けてしまった。
何も知らない子供が,知らないが故に過ちを犯しても、それは子供のせいではなく、世間のせいであり、社会の責任である、という風にしてしまったわけである。
こんな馬鹿な話もないが,現実にはそうなっている。
だから今、学校崩壊が起きているわけで,学校が崩壊する前に、家庭が崩壊し,その前に親の存在が崩壊しているわけである。
子の親が、親としての値打ちもない人間にもかかわらず、子供だけ一人前に作るものだから,その育て方がわからず,家庭が崩壊し,そのしわ寄せが学校の現場にきているわけである。
親としての値打ちのない人間が、親をしているのと同時に,教師としての資格にない人間が教師をしているので学校も崩壊するわけである。
こういう大人を作ったのが、まぎれもなく戦後教育の結果であり,戦後の民主化教育の結果である。
こういう環境で育った若者は、いわゆる「烏合の衆」とでも言う他ないわけで,立派な体格をしていても、何一つ社会に貢献しようという意識も、気力も、冒険心もないに違いない。こういう状況を見なれた我々、今日の大人から見ると、このテレビの画面に出てきたVMIの学生達の姿は実にすがすがしく頼もしい存在に映る。br>
青年が規則ずくめの青春を送ったとしても、それは長く続くものではないわけで,ある一定期間の通過儀礼であることは始からわかっていることである。
日本の高校生の制服の問題でも、制服を着なければならない期間というのは在校生の期間だけで,卒業してしまえば晴れて制服とわかれられることは自明の事実である。
ところが、この「制服を着なさい」という規則が気に入らないわけで,「なぜ自分達が決めたわけでもない制服着用の規則に従わなければならないのか」という点に不満があるわけであるが,制服着用の規則は本人が入学する前からあるわけで,その制服着用の規則が気に入らなければ、入学してこなければいいわけである。
その前提条件を全く無視して、在校生になってから自分の属する社会,この場合は学校という小社会に反抗するわけである。
高校に入学するということは、学校の名声というか,評判というか,メリットが大いにあるわけで,そのメリットを損なうことなく、自分の欲望を貫こうこうとするから様々なトラブルが起きるわけである。
学校の当局側としても、校則に従わない生徒は即刻放逐するぐらいの毅然たる態度を取れば差ほど問題は複雑化しないけれど,学校当局においても、制服ぐらいの事で生徒を放逐するのは教育上芳しくない、という腰の引けた態度を示すから収拾がつかなくなってしまっているのである。
ルールに従わないものは、それ相応の処罰をするというのが民主主義の基本であるが,我々,談合体質の民族では、こうした態度を血も涙もない扱いだ、という烙印を押しがちである。違反者に対して毅然たる態度を取ることに腰が引けてしまう。
これくらいの違反なら大目に見てやるのが大人である、などと間違った正義感にしたりきってしまっている。
ルール違反に対して、ルールの方が間違っている、という妙なことになり兼ねない。
この曖昧さが戦後の日本人が堕落した最大に原因であり,杓子定規に事を構えると、あれは堅物でどうにもならない、というマイナスの評価になってしまう。
しかし,これからの将来を担う青年が、ある一定期間、規律ある、規則、規則でがんじがらめの生活をすることは、その人個人にとっても、彼の属する社会にとっても,広く人類一般にとっても、実に有意義なことだと思う。
人間,堕落することには、なんの訓練も経験も必要ないが,確とした人格を形成しようとすれば、今日の日本の青年のような、だらだらとしたふしだらな生活をしていては人格形成すらしえないに違いない。
それが今日の大人の社会を形作っているわけで,自分の子供の躾もできず、自分の子供を叱ることも出来ず,学校に子育てを任せて,何かあれば学校に責任を押し付ける親が出来あがってしまったわけである。
夫婦共稼ぎでなければ一家が生きていけなかった、という事実を覆い隠すために共産主義社会になれば保育所も完備し、母親でも安心して働ける、ということが大いに宣伝されたわけである。
乳飲み子を抱えて母親が働かねばならない状況というのは、貧困の典型的な現象で,日本でも戦後しばらくの間は否が負うでも家族全員で稼がなければ時期があった。
人々はそういう状況から早く脱出したいと願って、死に物狂いで生きてきたわけであるが,それが今日では、主婦が主婦としての欲望を満たすための金儲けという位置付けで、母親が日銭稼ぎに働きに出ているわけである。
そのためには安い保育所を増やさなければならないという論法になっている。
母親が子供を置いて働きに出ることが美徳と思いこんでいるが、これが間違った生き方である、という事を誰一人声高に言わないものだから、非常識が常識に摩り替わってしまった。br>
乳離れしていない子供、親離れしていない子供を置いて母親が働きに出るということは、生きんが為の究極の選択のはずであるが、昨今の風潮は、母親が自分の欲求を満たすための夫婦共働きに成り代わっているところが最大の錯誤である。
日本の戦後の民主主義というのは、個人の我が侭を実現することだ、と思い違いをしている節がある。
民主主義というのはそれとまったく逆で、個人の我が侭をいかに押さえて全体のために尽くすのか、という点が大事であるにも関わらず、それが逆転してしまっている。
個人の我が侭を通しやすくする社会の基盤整備が整うことは理想には違いないが、こういう理想的な社会を目指すためには、その前提条件として、社会の構成員としての人間のほうがもっともっと倫理を重んじ、道徳を尊重し、ルールを守るという理想的な人間に生まれ変わらないことには、そういう理想的な社会は実現不可能である。
我々は50有余年前に戦争に負けるまで、いわゆる封建主義という思想体系の中で生きてきたわけで、それが明治の近代化を経たことにより帝国主義に変わり、また新たに敗戦という外部要因により、民主主義というものに変わってしまったわけで、まだまだ民族としての思考が固まっていない。
問題は今に生きる我々の同胞にとって、新しい民主主義・日本の戦後民主主義というものが、我が民族の内部崩壊を促すような、危険な方向に向かっているのではないかという危惧である。
自分の祖国の国旗も国家も否定するということは、自己のアイデンテイーを捨てているに等しい。
ところがこの事を当人は新しい民族の誇り、とでも思い違いをして、こういうことが新しい日本を形作るとでも思っている節があるが、これは全くの世間知らずというか、馬鹿としか言いようがない。
最も困ることは、こういうことが学校の現場で行われているということである。
主権国家として近代化された国々では、自分の国の子供には愛国心を植え付ける教育というのは極々最低限の教育理念であり、教育の基本目的になっているはずであるが、それが戦後の日本に限っては、全くおざなりにされているわけで、自分の国を愛することができなければ、その国の国民として何事も成り立たないわけで、この愛国心を否定するということは、人間の存在として考えられないことである。
人は生まれ落ちたときから一人で生きるということはありえないわけで、その生育の過程から死に至る全過程で、国家の恩恵を受けているわけであり、自分の国を捨てる、乃至は嫌う、嫌悪するということはありえない。
自分の国とその政治を司っている人を分けて考えるということは、多少弁解辺がましい言い分として、わからないでもないが、自分の国の政治家が嫌いだから、自分の祖国をその延長線上において、主権を放棄するという馬鹿な話もない。
政治家が嫌いだから、自分の国の国旗も国家も拒否する、ということは何ら整合性がないわけで、もしそうだとすれば好きな国に行けばいい。
しかし、こういう我が侭な人間をそうやすやすと受け入れてくれる主権国家というのもそうざらにあるとは思われない。
人は生まれ落ちたときから周囲の社会と関わり合って生きているのであって、その事実こそ国家の恩恵の中で生きているということに他ならない。
愛国心などと大層で仰々しい言葉を持ち出すと、大上段から構えた発想になり勝ちであるが、自分の周囲の社会に、いくらかでも恩返しをする気持ちがあれば、それがすなわち愛国心というものになり、社会を少しでも明るく作用を内示する事になる。
そういう社会の一員ともなれば、自分の属している社会の象徴としての国家と国旗には敬意を表しても一向に差し支えないはずである。
それを無理にこじつけて、愛国心イコール軍国主義と結び付けて物を考えるから事がややこしくなっているわけである。
それと同時に、規律ある生活がそのまま軍国主義と同じである、という発想も大いに間違っている。
人が自然のままに生きるというのは実に理想的なことである
。
しかし、それでは野生動物と何ら変わるところがないわけで、人には理性があるからこそ、戦争を忌諱し、平和を好むわけである。
人は自然と理性の間をどういうふうにバランスを取るのかが、いわゆる文明であり、文化である。
理性ばかりの社会というのは、いわゆる社会主義であり、共産主義である。
しかし、これは1989年のソビエット連邦の崩壊という事実で持って、この人類最初の広大な実験は終了したわけで、人は理性のみでは生きていけれない、ということが判明したわけである。
だからといって理性というものを全否定するわけにはいかない。
人の集団が形成する社会というのは、お互いに譲り合わない事には物事は円滑に進まないことは自明のことで、その為には、お互いにルールは尊重しなければならない、ということも自明なことである。
この極々自然なことが今の日本では蔑ろにされている。
既存のルールを全否定するということは、まさしく無法者の発想であり、こういう人間は、いかなる社会でも受け入れいてはもらえないに違いない。
けれども今日の日本というのは、これが進歩的な考えだと思い違いをしている向きがある。
こういう発想の根底には、戦後の進駐軍の開放でもたらされた共産主義の残滓が垣間見れるわけである。
戦後も50有余年を経過してみると、この共産主義者というのも、かなりの世代交代しているわけで、今の共産党員には、共産主義の本質そのものを知らない世代が多いのではないかと思う。
1955年の保守合同以来、保守勢力が政治の舵取りをして長い年月が経った中で、保守陣営も革新陣営も、ともに世代交代を繰り返し、ともにその本質を見失いがちの中で、安易な発想、安易な生き方、安易な処世術のみが取捨選択されてきた結果が今日の社会の状況ではないかと思う。
ここで言う安易という言葉は、自ら行動することなく、他人を批判するだけ、という意味で安易という言葉を使ったわけであり、ある意味で傍観者として外野席からのみ大声でスローガンを叫ぶと言う意味である。
共産主義の本質というのは、有能な人が、無能な大衆を指導監督して、階級のない、貧富の差のない、同一労働同一賃金というユートピアを作るというものである。
このスローガンだけを取り出してみると、まさしく無知な若者はそういう理想にあこがれるのも無理ない。
階級もなく、貧富の差もなく、男女とも平等な賃金が支払われれば、こんな良い世の中は又とないわけで、まさしく人間の理性で築きあげるべき社会そのものである。
ところが、ここに大きな落とし穴があるわけで、それは前段の部分の、有能な人が無能な大衆をリードするという部分である。
このジレンマに若者は気付かないわけで、知らないからこそ、表層的なスローガンのみ信じ込んで、共産主義に帰依してしまうわけである。
つまり、戦後の日本の知識人が革新勢力に身を寄せたということは、この自分の都合に良いところのみを自分にとって都合の良いように利用してきた、という部分が拭い去れない。
これと同じことは保守勢力にとっても同時に言えるが、保主勢力の側が革新勢力よりも狡猾なところは、革新勢力の唱える部分で極めて理性的なところをちゃっかり自分たちの政策に取り込んで、票を確保したところである。
革新勢力の側が何でも反対といっている間に、革新の側の提唱した、万人に共感を呼ぶような施策をちゃっかり横取りしてしまって、保守としての勢力を維持してきたところである。ただし、この場合でも、徹底を欠いているので、所詮は中途半端な施策でしかない。
例えば、国旗と国歌の件についても、強制することにためらいがあるので中途半端な施行になっている。
だからこの狭間で悩む個人があるわけで、まだ悩む人は、人間性が認められるが、悩まずに自画自賛、、唯我独尊的になってしまうと、堕落した大人が出来上がってしまうわけである。
幼稚園児から小学生までくらいの子供は実に天真爛漫であり、見ているだけでも微笑ましいが、これが思春期をむかえ、青年の域に達するにしたがい、実に憎たらしい存在になってくる。
親の躾ができていないものだから、人の形をした野生動物に等しく、傍若無人というか、自分一人で成長してきたような態度で、実に鼻持ちならない。
こういう若者を一定期間強制的に躾る機関というものは、これから先も必要ではないかと、つくづく思われる。