戦後半世紀の日本 の姿

「お盆」によせて

今年は西暦2000年という事で正月には大騒ぎをしていたものであるが,それも半年を経過すると綺麗さっぱり忘れ去られて、いつもと同じ惰性の中の生活になってしまっている。
ついこの間まで戦後50年と言っていたが今では正確には戦後55年と言わなければならない。
50年と55年では差ほどの違いもないが、思えば私自身がこの西暦2000年には還暦を迎える事になってしまった。
還暦・満60歳を祝う民族的風習というのも私自身何の感激も沸いてこないのが不思議でならない。
世間ではこの日に赤いチャンチャンコを本人に贈呈する慣わしがあるようであるが、私自身はそんなものをもらいたいとも、もらおうとも思っていない。
けれども、私自身が60歳になるまで生きていた、という現実の方がよほど不思議である。
子供の頃50歳の大人とか60歳の大人というのは実に偉大な存在に映った。
私自身が果してそんな年まで生き長らえれるかどうかさえ疑問に思っていた。
私が生まれたのは昭和15年、西暦でいえば1940年である。
私の生涯は日本の戦後史とほとんど軌を一にしている。
20世紀という歴史的時間空間というのはこの地球上における人間の生き様ににとってまさしく激動の時であった。
この感慨から先に「20世紀の怪物・共産主義」と称する作文をしたためたが、この時期に生きた人間の生き様というのは実に興味ある対象である。
人の生き様を考察するには興味尽きない時間的空間である。
日本においては、毎年8月15日という日は、「お盆」と称して、死者の魂が生き残っている人々のところに帰ってくると云われており、遺族の方は迎え火でその魂を迎え、来た魂をねんごろに供養し、再び送り火であの世に帰ってもらうという民間信仰が定着している。
その民族的因習というか、宗教的セレモニーというか、その区別は極めて曖昧で、我々は何の根拠によってそういう行為をしているのか、その根拠は定かでないが、ただ何となくそれは連綿と継続されている。
私が「不思議だなあ!」と思うのは、この行事と日本の終戦が合致している点である。
55年前、昭和天皇が終戦を決意した時、この日が日本の古くからの因習として死者をお迎えする日であったことを意識して、この日に戦いを止める事にしたかどうかという点である。
この「お盆」という民間伝承というか、宗教行事というか、ただの因習か知らないが、そういうものを考慮のうえに、この日に戦いを止める事を決意しのかどうかという点である。
しかし、天皇というのは基本的に神道のはずで、「お盆」の行事とは直接的な関係はないように思う。
我々、日本人の宗教観というのは極めて曖昧で、キリスト教で結婚式を上げ、子供の成長のお祝いは神社で行い、葬式は仏教で行って何ら違和感を感じない民族である。
そうは云うものの、死者を弔う感情というのは、宗教の枠を越えて万人が共通に持つ敬虔な気持の現れだと思う。
そこで問題となるのが毎年やってくる8月15日という、日本があの戦争に負けた日に、祖国の為に戦った英霊に対して追悼の意を表する事の是非である。
日本の政治家の中にはこの事に対して非常に臆病になっている人々が大勢いる。
政治家がこの事に対して臆病になるという事は、その背景に国民の側にそれを好ましくなく思わない不特定多数の勢力があるからである。
戦後の民主政治に中で、政治家にとって一番怖い事は、国民の信頼を失う事であり、あの戦争の英霊を素直に弔うという事は、政治家個人の思考を国民の前に晒すことになり、成り行き次第では票を失うことになるわけで、それが怖くて表立って意思表示をする事を気遣っているわけである。
日本の将来を左右する立場の政治家が、祖国に殉じた英霊に対して、素直に弔うことを憚る風潮というのも、実に末期的な精神構造である。
そして、それを非難する日本の大衆の存在というのも実に不甲斐ない民族といわなければならない。
あの戦争が正義の戦争ではないとか、間違った戦争である、という認識がその前提にあることは理解出来るが、そういう戦争の定義そのものがまだ価値観が定まっていないわけで、如何なる戦争もそれが正しいとか、正しくないという断定は、人間がこの地球上に生息している限りありえない事である。
なぜかといえば、それはその時の状況、立場、持ち場、周囲の状況、時の流れという複雑な条件が重なり合って、一つの固定した観念では計り知れない要因を含んでいるからである。
ただ一つ言える事は、人間の生存にとって一番大切な事は、力がものをいうという事である。
戦争というのは軍事力と軍事力の衝突なわけで、この力の強い方が弱い方を吸収合併、併合してしまうという現実である。
これは理性とか、理念という人間の英知を超越した現実である。
力が弱ければ強い相手の言う事に従属する以外に自己の生存そのものがありえないわけである。
あの太平洋戦争後の日本というのは、まさしくこれの具現化された姿を露にしていたではないか。
戦後55年を経過した今日においても、強い相手から従属を強いられている姿が今日の日本の姿ではないか。
強い相手に従属を強いられるというのは致し方ない。
抵抗の仕様がないからこれは致し方ない。
しかし、昨今の日本というのは、弱い相手にさえも従属を強いられて、嬉々としてそれに従がっている節がある。
つまり、戦後の日本というのは、相手が強かろうが弱かろうが、とにかく日本以外の国から何かを言われれば、言われるままに相手に屈服しているわけである。
確かに、日本の戦後民主主義の具現化そのままで、話し合いをモットーとして相手の言うがままになっていれば紛争は回避出来る。
平和主義そのものである。
しかし、ここには国益という観念が抜け落ちている。
国益というのも所詮は金の問題なわけであり、戦後の日本は高度の経済成長で金だけはふんだんにあるので、相手から言われるままに金を出していれば、紛争は避けられるわけである。
この日本の在り方というのは、日本の外側から見れば馬鹿な国という事になる。
こんな馬鹿な国からは、取れるだけの金を引き出してやろう、と思うのは当然の成り行きである。
そして、その金というのは究極の所、日本の納税者が負担しているわけである。
昨今の日本は、よその国から馬鹿にされても致し方ない面がある。
話を前に戻して、祖国の英霊に対してその国の指導者が素直な弔辞を表しないという、これほど馬鹿げた行為を、よその国の人々はどういう思いで見ているのであろうか。
我々、同胞の中から、自分達の祖国の為に命を落とした人たちを弔う事になぜ躊躇する必要があるのであろうか。
戦後の日本人は祖国の為に戦った人々を、敵と戦ったという事で、何故、鞭打つような事をして羞じないのであろうか。
この深層真理を説くことが戦後の日本人を語るに最大のポイントだろうと思う。

ルーズベルトの罠

戦後の日本人がこのように民族の魂を捨て去ってしまったのは、アメリカの占領政策の成果であり、アメリカの占領政策が如何に日本人の魂をスポイルするのに貢献したかという事である。
あの太平洋戦争のとき、アメリカは日本に対して非常な恐怖心に駆られていたに違いない。
しかし、あの戦争というのは、日本人とアメリカ人のものの考え方の違いの軋轢が嵩じてホットな摩擦となり、起きるべきして起こってしまったわけである。
日本を占領したマッカアサーは「自分達が40歳だとすると日本人は12歳の子供である」と言ったが、確かにそれぐらいの考え方の違いがある。
あの戦争の最初から最後まで日本はアメリカに騙され続けていたわけである。
1枚も2枚もアメリカの方が役者が上だったわけである。
まさしく40歳の大人が、12才の子供を騙しつづけた構図そのものである。
そしてそれは占領政策においてもいかんなく発揮され、日本は自ら、自らの同朋を卑しめる行為に荷担しているわけである。
そしてそれがアメリカの国益であったわけで、アメリカという国は徹頭徹尾、資本主義の国であり、利益の追求ということが国民の隅々にまで浸透しているので、その意味からしてもアメリカの対日占領政策というのはアメリカの国益に則った施策であった。
利益の追求という言葉を聞くと、我々は悪徳商人が暴利をむさぼっている姿を思い浮かべるが、アメリカ人の持つ利益の獲得というのは、自己の生存そのものを指し示しているわけである。
よって、その事は利己主義に陥りのやすいが、まず自分が生き残って、その後周囲のものを救うという発想である。
物事に優先順位をつけ、優先度の高いものから逐次処理していく、という合理主義そのものである。
それに反し、我々・日本人の発想というのは、徹頭徹尾、付和雷同である。
人がやれば自分もやる、バスに乗り遅れるな、人の振り見て我が身を正す、長いものには巻かれる、というものでそれは非合理性そのもので、行き詰まると最後は神頼みになり、精神主義に落ちってしまうわけである。
物事を理詰めで考えることが不得意で、データが自分の気に入らないと数字を変えてしまう、というアホな民族である。
あの太平洋戦争というのは、最初から最後まで、日本はアメリカの罠に嵌りとおしであった。
戦争といわず他民族同志の生存そのものが騙し合いの連続である、と云う事は人類の生存上致し方ない摂理であるが、そのこと自体が国益につながっているわけである。
昭和の初期の段階でアメリカの国益というのは何であったかと問えば、日本をアジアの隅に押し込めておく事であり、日本の国益は何であったかと自問して見ると、それは逆にアジアへの飛躍であったわけである。
この両者の国益は真正面から衝突していたわけで、問題は、この国益の実現の手法である。
日本はその実現に向けて無手勝流というか、泥縄式というか、なんの理念も、理想も、手法も持たず、ただただその場その場の状況に合わせて、中国大陸に足場を築いて行ったわけである。
この状況というのは当然アメリカの国益と衝突するわけで、それに対してアメリカ側は用意周到な計画の内に、日本を罠に嵌め込んでいったわけである。
このあたりの事情というのは、戦後50年も経つと、様々な資料が公開されて徐々に明らかになりつつあるが、知れば知るほど我々の愚昧さが身に沁みて感じられる。
そして罠に嵌めたアメリカの対日占領政策の呪縛というのは未だに抜けきれず、日本はアメリカの従属国になり下がっている。
アメリカの巧妙なところは、我々・日本人がアメリカの従属民であるという事を意識させないように振舞っているところである。
その最大の特徴は、日本人の中でも進歩的知識人という人々を全く自由に泳がせているところである。
しかしそれはアメリカの側からすれば、日本の戦後の進歩的知識人というのは、アメリカの国益を代弁しているわけで、彼らは日本人の民族の魂をアメリカに売っているわけである。
私は戦後の日本の知識人というのは、旧ソビエットや中華人民共和国の利益を代弁しているのかと今まで勘違いしていたが、その事は同時にアメリカの国益にも貢献しているわけである。
アメリカにとってみれば、日本人が民族の魂を失えば、それが何処の国に向けられた行為であろうとも歓迎すべきことであったわけである。
戦後の日本がアメリカと対等の立場に立ってものを云えるようにするとなれば、日本の経済復興はありえなかったし、その事がアメリカの一番恐れている事であったわけである。
アメリカの占領政策というのは、日本が再びアメリカと対等の口が聞ける状態にしない、という点にあったのである。
対等の口が聞ける状態というのは、取りも直さず、対等の軍事力を備えると云う事が後ろに隠されている状態を指すわけである。
日本がそうならない為の施策がアメリカの対日占領政策であったわけである。
私は昭和15年生まれで、直接の戦争体験はないが、あらゆる書物を読む限り、マッカアサーが言った「日本人は12才の子供である」という言葉はズシンと重みを持って私の心の内に響いてくる。
まさしくあの時の日本の戦争の仕方というか、政治の在り方というか、我々のやってきた行為というのは愚昧そのものである。
B−29が1万メートルの上空から爆弾を雨霰と降らせているのに、その下で竹槍で敵を倒す訓練をしているわけで、これを愚昧と言わずして何と言ったらったいいのであろうか。,br> この愚昧さに当時の日本人は誰一人気が付かなかったのであろうか。
私の思うところ、その馬鹿馬鹿しさには誰もが同じ思いをしていたに違いないが、裸の王様に「貴方は裸ですよ!」という勇気が無かったに違いない。
問題は、その一言を云う勇気があるかないかである。
日本の近代の歴史を見てみると、あらゆる場面で、この一言が無かったばかりに我々はしなくてもすんだ苦労させられてきたように思う。
そして、提言とか忠告というものを有りがたがらない組織の雰囲気というのも、我民族の持つマイナスの要因である。
太平洋戦争を始める前に日本側としてもアメリカの実情を探って、勝ち目はない、という結論に達していたにもかかわらず、そのデータを改ざんしてまで戦争を推し進めた、という点は当事者の「面子」のみでこういう大事な事が決められていたという事である。
この「面子」という言葉というか、状態というか、状況というのは、我々だけの特異な感情であろうか?
「面子をつぶす」という事が我々日本人にとっては最大の迷惑行為という風に受け取られており、面子がつぶされれば怒って当然という風に認知されている。
相手を怒らせるには、相手の面子をつぶせば、まんまと罠にはまってくるわけである。
「面子をつぶす」という事は、相手の自尊心を傷つけることで、これをすれば相手は必ず自分に襲い掛かってくる、と云う事を充分計算して外交をしたのが太平洋戦争前夜のアメリカ大統領ルーズベルトであったわけである。
そういうことを成し得たと云う事は、相手が我々の手に追えないほど狡猾であったわけで、それに反し、その手にまんまんと嵌った我々の方は実に単細胞であったわけである。
この「外交の狡猾さ」というものは我々も学ばなければならない。
それを学んでこそ、歴史から何かを学んだ事になるわけであるが、我々はそういう視野に立って物事を見ようとはしない。
我々はどうしても物事を考えるとき、己の感情に左右されて、後の結果に思いを致すことが不得手である。
ルーズベルトが「中国大陸から手を引け」といったのは、日本がその条件を飲む事で「日本人の自尊心を充分に傷つけられた」と思うように仕向けたわけで、その相手の信条を考察することなく、真正面からそれに反発したのは、怒りの激情以外の何物でもなかったわけである。
ルーズベルトは、日本が怒り心頭に来て、自暴自棄になるように仕向けたわけで、それが彼の手であったわけである。
我々は、その彼の手の内を何ら疑いもせず、真っ正直に受け止め、罠に嵌ったわけである。
基本的に、相手に戦争を仕掛けるに際しては、これぐらいの用意周到な思考は必要なわけで、日本側の真珠湾攻撃も戦術的には用意周到な計画のもとに成されたよう見えるが、あれはあくまでも戦術的な事あり、ルーズベルトの仕掛けた罠というのは戦略的なものである。

外交のカード

この「戦術と戦略」という発想は、日本人には無いものではないかと思う。
第2次世界大戦後、半世紀以上も経過した今日でさえ、我々は戦術と戦略の違いをほとんど認識していないようである。
我々が「戦争と平和」と安易に言う場合も、この「戦略と戦術」の意味を曖昧にしたまま、味噌も糞もいっしょにしたまま叫んでいる節がある。
「戦略と戦術」をきちんと峻別しない発想というのは、合理主義というものを全く眼中に置かないということで、常に感情が状況を掌握し、その感情によって思考が決定されるということに他ならない。
先に述べたようにB−29の絨毯爆撃に竹槍で立ち向かう事の不合理さ、という事とあわせて考えてみれば、我々・日本民族というものが如何に合理主義と懸け離れた存在かということがわかる。
ここ数年来、アジア諸国による先の大戦の謝罪のことを考えてみても、我々は相手の言うこと至極尤もな事と受け止めているからこそ、相手の言うなりに謝罪を繰り返しているわけである。
今の世界の状況を見てみるに、日本というのは国防力、つまり軍事力というものはアジアでは突出しているにもかかわらず、政治又は外交の場ではそれを「決して使いません」ということを公言しているわけである。
これは外交にとって一番下手な手法で、最初から自分の手の内を相手に見せてしまっているわけである。
日本がこういう態度を最初から表明していれば、日本に対して少々無理難題を吹っかけてもしっぺ返しはないに違いない、と相手が思うのは当然の帰結である。
昨今の日本というのは、平和憲法のもと、自衛隊の行動には制約を課しているわけで、昔のように安易には行動に出ない事を十分承知の上で、アジア諸国は日本から金を引き出させようと考えているわけである。
私のような一介の市井の人間がそう思うのだから、日本の外交や世界の外交を研究している学者や政治家には、こういう認識が一般化していても不思議ではない。
彼らもこういう認識は持っていると思うが、それを口に出して言うか言わないか、という点で日本人の全部が評価されてしまうわけである。
民主主義というものは国民が政治の主役なわけで、それを逸脱すると独裁政治と化してしまう。
大戦前のアメリカ大統領ルーズベルトというのは、日本を戦争の場に引き込むのに、アメリカ国民の民意を取り込まなければ、戦争をする大義名分が成り立たなかったわけである。
その為の罠が真珠湾であったわけで、日本がその罠にまんまんと嵌ったが故に、ルーズベルトはアメリカ国民に対して晴れて日本と交戦する口実を作り得たわけである。
その事は見方を変えれば、ルーズベルトは日本だけではなくアメリカ国民をも罠に嵌めた、といっても過言ではないかもしれない。
それに引き換え、戦後の日本の外交というのは、駆け引きというものが全く存在しないわけで、相手の言うがままになっている節がある。
自衛隊というのも、この外交の場におけるカードの一つには成り得るわけであるが、その為には、我々・日本の側に国民全般にわたる了解事項というものを取り付けておかなければならない。
ところが今日、我々の側には自衛隊というものに対する嫌悪感が先に立ち、合理的に自衛隊を見る、という視点が欠けてしまっている。
ここに今まで述べてきた感情論と合理主義の軋轢が潜んでいるのである。
この軋轢が我々の側にあるが為、自衛隊というものを外交のカードとして使えなくなってしまっている。
東西の冷戦華やかなりし頃の核兵器というものも、外交のカードとして充分に利用されてきた。
我々の反核運動の基調というのは、核兵器によるホットな戦争をイメージしていたが、核兵器というものを外交のカードとして利用するというのが核保有国の共通の認識であったわけである。
ここでも感情論と合理主義の相克というものがあり、戦術と戦略の曖昧さの思考があるわけである。
昨今の日本で、外交上のブラフとして何がカードとして使い得るかと問えば、それはやはり金だと思う。
「金持ち喧嘩せず」という日本の俚諺は尤もな事であるが、我々の場合、武力を背景に外交交渉はしない、という事を内外に宣言している以上、このカードが使えないわけで、使えるカードといえば金だけしかないわけである。
日本は、国連にも、アジア諸国に対するODAでも、世界で一番金を出しているわけで、相手の出方に対してこの金の多寡をコントロールする事によって、相手の態度を改めさせる事は充分可能だと思う。
このことは金を戦略的に使うという事になるわけで、今までのように相手の言うなりに金を出していれば「馬鹿」としか言いようがない。
日本が馬鹿な事をしているから、相手は何時までも図に乗ってくるわけで、それが戦略的でない外交の結果だ、ということは論を待たない。
これは即ち、ばら撒き行政と同じ轍を踏んでいるわけで、過去の贖罪に苛まれて相手の言うがままに金をばら撒いているに等しい。
これでは外交が外交になっていない。
内政面においても、地方自治体の言うがままに金をばら撒くだけの行政では、行政ではないのと同じである。
外交である以上、相手も国益の確保を目指して日本に擦り寄ってくるわけで、そういう相手の狙いは、率直に言えば金の獲得以外にないわけである。
日本が湾岸戦争のとき130億ドルの金を出しながらクエートから感謝の言葉もなかった、という問題に照らしても、日本の外交というものが外交になっていない事の現れである。
湾岸戦争というホットな戦場に対処するのに、平和憲法に束縛されて、金を出すしか人類に貢献できる方法を持たなかった、という状況なかで、外交というものをもっともっと戦略的に、効果的に利用する術を考えるべきであった。
アメリカに言われるまま金を出すだけでは、あまりにも能がないといわなければならない。
よってクエートにしてみれば「俺達の為に日本は一体何をしてくれたのか」という事になる。
当然の帰結である。
日本は戦後55年間、外国と戦火を交えることなく、文字通り平和な状態で経済復興のみに専念できた。
それは厳密に言えば、アメリカの核の傘の下でのうのうと自分の事だけに専念していればよかったわけである。
外交という点についても、アメリカの顔色を伺いつつ、アメリカを怒らせないように、持てる金を充分に振りまいてきたわけである。
我々はアメリカ以外の主権国家と、外交ということを真剣に考えてこなかった。
相手は金さえ得られればそれで納得していたわけである。
その事は同時に、何か口実をつけて金をせびれば、日本は必ず金を出す、という印象を相手に植え付けてしまった。
「謝罪」を要求するということは、相手の策略であり、同時に相手の戦略でもあるわけである。
「金をよこせ」と、真正面からは言いにくいので、「謝罪しろ」といっておきながら、金額を吊り上げているわけである。
高度な商取引の手法である。
「謝罪しろ」ということは、相手の非をあげつらうことで、相手に自尊心があるとすれば、そうやすやすと謝罪には応じられないことに付け込んで、値を吊り上げる巧妙な戦略である。
ところが戦後の日本人というのは自尊心というものを持ち合わせていないので、あっさり謝罪してしまうわけである。
謝罪してしまえば金の話しはそこで立ち消えになるかといえば、これがそうはならずに、「謝罪の仕方が悪い」とか、「誠意がない」とか、ヤクザの嫌がらせさながらの難癖を付けることによって、盗人に追い銭を与えるような事になっているわけである。
戦前の日本人は貧しいながらも自尊心を持ち、民族の誇りを持っていたので、そこに付け込まれて自尊心や誇りを傷つければ怒らせる事が出来、それでもって戦争に引き込む事が可能であった。
ところが戦後の日本というのは、武力も持たず、国家としての自尊心も持たず、民族の誇りも持っていないので、他国からいくら愚弄されても、それに反抗する術を持たない。
それでいて金ばかりはしこたま持っているので、相手の国にしてみれば格好の金蔓には違いない。
まるで中学生の虐めの構造と酷似している。
民族の誇りというものも、ルーズベルトのような狡猾な政治家の手にかかると国家存立の危機にさえなり兼ねないが、一般論としては国家の存立の根幹を成すものある。
太平洋戦争において、日本はアメリカの罠に嵌って戦争に引きずり込まれたが、戦後の我々というのは、その過程をつぶさに研究して、世界規模で外交のノウハウを習得しなければならないと思う。
それが戦争から教訓を学ぶ、ということではないかと思う。

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