5月9日のマスコミ各社の報道によると、8日の午後2時頃、中国遼寧省瀋陽の日本総領事館に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の家族5人が駆け込んできたところ、中華人民共和国の武装警官がそれを敷地内から実力で構外に連れ戻したということが報道されている。
ご丁寧にも写真入で新聞紙面のトップを飾っている。
確かにトップ記事に相応しいニュースである。
これは明らかに領事館という治外法権、つまり外交特権が犯された事といわなければならない。
領事館内に相手国の官憲が承諾もなしに入る、という事は国際法規上認められない行為である。
しかも、それを日本側の副領事というのが立って見ていた、つまり傍観していたというのだから、いくら平和ボケの日本人でも、それを黙殺する事は出来ない。
小泉首相が靖国神社に参詣するだけで中華人民共和国というのは厳重に日本に抗議してくるわけで、その対応に比べると、日本側のこの傍観というのは如何にも腑抜けた行為といわなければならない。
ところが、この小泉首相の靖国神社参詣に対する反感というのは、案外日本人の側にもあるわけで、これは一体どういうことなのであろう。
国益という事を考えたとき、この21世紀において、日本が中国とトラブルを起す事は日本の国益全体にマイナスの影響があるから、首相は靖国神社などに参詣をするな、という論調が多い。
今の日本人というのは非常に中華人民共和国に神経を使っているが、これも極めて日本的な思考であり、大和民族としての民族的本質ではないかと思う。
こういう今の日本の中で、物分りの良さそうな、一見整合性のある論理を展開する人は若者だけでなく、結構な大人、つまり老人クラスの階層にまでこの軟弱な思想に犯されている。
それはいずれも過去の日本が中国を侵略した、という贖罪の気持ちからそうなっている事は論を待たないが、この贖罪という点で、先方の言う事を鵜呑みにした結果である、という事に考えが至っていない。
先方の言う事を鵜呑みにして、自分で自分達の行為を反省するというか、考察というか、考えた事がなく、表層的なことだけで判断しているからこういう事態になっているのである。
それは戦争イコール悪という命題を鵜呑みにしているからであって、戦争にいたる過程を無視して、目の前のドンパチだけを悪だと認識しているからだと思う。
如何なる理由があろうとも、人が人を殺して良いわけはない。
出来れば、人など殺さずに事が解決れば、それに越した事はないが、何が何でもこちらから人を殺してはならないとなれば、今度は先方がしたい放題の事をしてくるわけで、それを黙って受け入れるだけ度量があれば、無抵抗のままで居れば人の殺し合いと言うのはありえない。
瀋陽の日本領事館でも、誰でも彼でも自由に出入できるのであれば、亡命者と中国官憲のトラブルも何らニュース足りえない。
これがニュースたる所以は、日本の主権が侵されたからニュースになっているわけで、「人間皆兄弟だから、北朝鮮の人も、中国の官憲も、皆自由に出入出来ますよ」というのであれば、日本の主権そのものの否定につながるわけである。
今、地球上に生きる人々が、国家としての主権というものを否定したとしたら、人間は幸せになれると思い込んでいるのが今の日本人である。
我々は島国の住人で、国の主権とか、国境とか、治外法権というのが身に沁みて理解されていない。
大使館、領事館というのは本国の延長である、という事が全く理解されていない。強盗や殺人犯でなければ、誰が何時入っても構わないのではないか、という発想だろうと思う。
この主権侵害ということに無頓着だから、首相が墓参りしただけで、相手国が文句言ってくることにも寛容でいられるわけである。
アメリカの大統領がアーリントン墓地に参詣したとして、誰が文句を言えるのか。中華人民共和国の江沢民は、アメリカ大統領に戦争の反省が足りないとか、軍国主義を助長するとか、戦争犯罪人を肯定する、などと文句を云うのかと言いたい。
国と国の関係と言うのは、当然、相手の出方を熟慮しながら、「こう言えば相手はこういう対応をしてくるに違いない」という読みに基づいて政治的発言があるわけで、アメリカ大統領がアーリントン墓地を参詣しても黙っているが、日本の首相が靖国神社を参詣すると文句を言ってくるということは、完全に政治的な発言なわけである。
相手が日本だからそういう事を言ってくるわけである。
相手がアメリカならばそういう事は言わないわけである。
中国の抗議というのは完全に政治的行為であり、外交の一環なわけである。
そして同胞として考えなければならないことは、そういう相手方に媚を売ろうとする人間が、日本の中では進歩的な人間としてもてはやされているという事実である。
自分の国の首相が自分の国の戦没者を参拝すると、「中国との関係が悪くなるから止めておけ」と言う人間がいることである。
こんな馬鹿な話もないはずである。
一国の首相が祖国の戦没者に参詣する事にとやかく言う事自体が内政干渉である。
厳密に言うと、内政干渉以前の問題だと思う。
主権国家の国民が、自分達の祖国に殉じた人達を参詣、参拝することに文句を言うという事は、人間そのもの、社会そのもの、相手の国の存在、相手の主権そのもの、つまり相手の国民もろとも、その存在そのものを否定する事になるわけで、こんな馬鹿な話もない。
その提灯持ちをする同胞を我々はどう見ればいいのであろう。
今回の瀋陽の日本領事館で、亡命者を傍観していた日本側の係官の意識の中にも、日本人全体の意識と同じものがあったわけで、中国とトラブルを起すと、将来の日中関係に遺漏が起こりかねない、という深慮から敢えて傍観ということになったものと推測する。
自分達の領事館というものが、日本の国土の延長という意識などさらさらないわけで、治外法権という言葉は知っていても、自分達には何ら関係ないという意識でなかったかと思う。
それにしても、領事館の建物の中の待合室にいた人間までさらわれて平然としている係員というのは一体日本人なのかといいたい。
外交官の第一線、外交の前線にいる人間がこれでは空いた口が塞がらない。
こんな外交官を我々は税金で飼っているのであろうか。
まさしく国賊ものである。
我々、日本民族というのは、物事の筋道に沿って事の解決を図るということが非常に苦手である。
物事の黒白をはっきりさせる事が非常に苦手で、黒と白の間にグレーのゾーンを容認することで、事が解決をしたと思い込むところがある。
しかし、これでは事が解決したことにはならないわけで、それは問題が先送りされただけである。
問題を先送りすれば、事が解決したと思って、忘れてしまうわけである。
我々の政治と言うのは全てがこれで、その端的な例が憲法第9条である。
一つしかない真実を、いろいろな言葉で表現して、自分に都合の良い解釈をするわけである。
先の大戦中に、前線から離脱する事を撤退と言わずに、転進と言って、さも自分が負けている事を誤魔化して来たわけである。
憲法9条でも明らかに不合理であるにもかかわらず、「戦力無き自衛隊」などと言い包めて、憲法改正を回避してきたわけである。
憲法9条を素直に読めば、自衛隊は明らかに違憲で、ならば完全なる丸腰、無防備のままになる勇気があるかといえば、そんな勇気は持ち合わせていないわけである。
それが為、違憲のまま半世紀近く問題を先送りしてきたわけである。
何も解決にはなっていないではないか。
憲法も改正されなければ、自衛隊もそのまま温存しているわけで、憲法違反の軍隊を半世紀近くも存在してきたのが我々日本人の政治というものである。
今回の領事館の事態傍観というのも、戦後の日本人の生き様があそこに見事に反映されているわけである。
あの係官の態度と言うのは、彼一人の問題ではなく、日本人全体の姿なわけで、日本人の誰があの場に居合わせても、傍観する以外の対処の手法がなかったに違いない。
以前、何処かの高校で、遅刻してきた生徒を締め出す目的で正門の扉を勢いよく閉めたら、それに挟まれて女生徒が死亡した事件があった。
あの時の世間の批判と言うのは、遅刻した女生徒は不問に付し、勢いよく扉を閉めた先生が悪いという事であった。
あの事件と同じで、あの入り口の扉を勢いよく閉めて、若し中国側の官憲が怪我でもして、文句を言ってこられたら困る、という配慮が先にあったに違いない。
ビザ申請の待合室にまで中国側の官憲が押し入って、亡命希望者を拉致したとしても、それは中国人同士のトラブルとしておけば、事が穏便に収まるという判断があったに違いない。
主権、主権と言い立て、それが元で鉄砲の撃ち合いになっても困る、という配慮というのは今の日本の全国民に共通する認識ではないかと思う。
鉄砲を撃ち合う前に話し合いを、という事がさも民主的なことのように錯覚しているが、この亡命者の妨害という事を、中国側がどのように反応してくるかが見ものである。
恐らく日本側の対応としては、中国側に良いように言い包められて終わるのではないかと思う。
話し合いというのは、双方が同じ認識の上に立たないことには、話し合いでの解決という事にはならないわけで、いくら話し合っても認識にずれがあれば、事は少しも解決しないわけである。
事は少しも解決していないが、鉄砲の撃ち合いには至らなかった、というだけ我々の側は平和解決と言って喜んでいるが、こういう点が外交音痴であり、政治音痴である。
長々と話し合っても、一向に我々の側の満足する解決に至らないが、鉄砲を撃ちあう事だけは避けれたので、そのことを喜んでいるが、問題が先送りされただけということを忘れてしまっている。
中国は古の昔から喧嘩上手で、口喧嘩では日本人など足元にも及ばない。
小泉首相の靖国神社参詣の問題でも、あちらから口喧嘩を仕掛けてきたわけである。
今回の問題の対応でも「日本領事館を守ってやったのだ」という言い方である。
我々の側からすると、空いた口が塞がらない。
こういう喧嘩の手口というのは、中国人の常套手段なわけで、全く関連のないことを大声でわめきたて、支離滅裂な事をさも関連があるかのごとく言い立てる手法と言うのは、中国人の喧嘩の常套手段なわけである。
こちらは、そんな理不尽な理屈は通らない、といくら言っても、相手は聞く耳を持たないわけで、論理に整合性があろうがなかろうが、彼らの側では全く無視して、自分の言いたいことを殊更大きな声で繰り返す、というのが彼ら中国人の喧嘩の手法である。
だから一度喧嘩を売られると、もう論理も、常識も、整合性も関係無しになってしまうわけである。
あるのは自分の意思を相手に押し付ける強引さのみである。
問題は、そういう中国の地に赴任している日本の外務省の外交官というのが、そういう認識を欠いたまま、中国から喧嘩を売られることをのみを恐れ、万国共通の認識となっている外交特権、領事館内の治外法権という国際的なコモンセンスさえも認識していないという事である。
大使館、領事館というのは日本企業の敷地ではないわけで、また合弁会社の敷地でもないわけで、大使館員、領事館員というのは、そのくらいの気概を持った人間でなければならない。
大使館員、領事館員の対応を非難する事は、第三者として非常に安易なことではあるが、問題は、こういう外交官の心構えというか、職業意識というか、職業上の倫理観と言うのは、今の日本の体制としての潜在意識を代弁しているのではないかと思われる事である。
つまり、日本国民の誰であろうとも、あの現場に居たらやはり傍観していたと思う。あの瀋陽の日本総領事館に、日本人の誰が赴任していたとしても、やはり同じ事をしたのではないかと思う。
つまり傍観する以外に手法がなかったのではないかと思う。
事が起きた後ではどんなことでも言えるが、現場に居合わせたとしたら、自ら進んで中国の警官を囲いの外に追い出すような事はしえなかったに違いないと思う。
朝鮮民主主義人民共和国と日本は国交がない上に、日本人拉致の問題もあるわけで、そういう状況を鑑みると、あの領事館で、あの状況を見て、中華人民共和国の官憲を自ら体を張って追い出すという行為は考えられない。
我が国においては、政党の党首でさえも、自分の国の誇りというものを持ち合わせておらず、「人類皆兄弟」という理念だけが先走って、民族としての誇りも名誉も否定する事が、人が仲良く生きていく最大の理念だ、と勘違いしている始末だから手におえない。
自分の国、自分の属する民族に誇りを持たない人間が、相手から信用される事もないということが判っていない。
相手も自分と同じ考え方に立っている、と思っているわけで、これほど危険な事も又とない。
相手も自分と同じように考えていると思っていたら大間違いで、もしそうだとすれば、相手の方が怒り出すに違いない。
「日本人如きと一緒にされてたまるか」という気持ちになると思う。
「エコノミック・アニマルと一緒にされてたまるか」と思っているかもしれない。
それを態度で現したのが中華人民共和国であり、大韓民国であったわけである。
こんな事で中国が大国ぶるというのもおかしな事だ。
日本に亡命しようとしたのは、北朝鮮の人たちで、中国の人たちではないわけで、中国してみれば、なんら沽券に関わるような事ではない。
これが中国人ならば、国家に対する裏切り者として、それなりの処罰という事も考えられるが、日本に逃げ込んできたのは北朝鮮の人たちであったわけで、中国としてみれば、それこそ傍観したとしても痛くも痒くもないはずである。
困るのは日本なわけで、それこそ中国としては高みの見物をしていれば済む事であった。
外務省の不祥事に関して言えば、日米開戦の時の駐米日本大使館の三人の日本人を我々は決して忘れてはならない。(ところが綺麗さっぱり忘れている。)
奥村勝蔵、寺崎英茂、井口貞夫、この3人が日本からアメリカへの最後通牒の翻訳を怠り、タイプによる清書を怠ったので、「日本は騙まし討ちをする卑怯な国」と烙印を押されたのである。
「タイピストが居なかったので書類が出来ませんでした」で通る外務省なのか、と言いたい。
しかも、これから戦争になるかならないかで緊張し、緊迫した中で、「今日は日曜日だから休みです」で通るのが外務省かと言いたい。
その大悪人を戦後我々の先輩諸氏は性懲りもなく、またまたサンフランシスコ講和会議に随行させている。
我々は外務省というと無条件で秀才の集まり、エリートの集まりと思い違いをしているのではなかろうか。
外務省もアホなら政治家もアホである。
我が日本民族に煮え湯を飲ませた極悪人を出世させている。
他の国なら左遷か若しくは反逆罪になるべき人物を出世させている。
我が祖国の外務省というのは国民不在のセクションではなかろうか。
こんな国ならば中国が馬鹿にするのも当然である。
2002.5.11