毎日がサンデーの今日この頃では、ゴールデン・ウイークの有難味も完全に消え失せて、日々惰性の延長線のような有り様で過ごしている。
この日、5月3日(2002年、平成14年)は、朝起きてコーヒーを飲みながら新聞のテレビ欄を覗いていると、NHKで憲法記念日特集として各党の討論番組が午前中の10時から有る事を知った。
それでこの番組を見ることにしたが、この日本国憲法というのは、もう55年を経過した事になったわけである。
その中でも特筆すべき事は、未だに日本共産党と、旧日本社会党、今の社民党というのは陳腐な議論を展開している。
この日本国憲法というものが55年も前に出来て、半世紀も前の状況下でできたという事を無視して、世界に誇りうる21世紀の憲法である、という議論を展開している。
しかし、他の政党は概ね「憲法改正止むなし」という認識になったことは良い事だと思う。
特に奇異に感ずる事は、日本共産党は「あの憲法は押し付け憲法ではなく、自主性が盛り込まれたものだ」という認識を崩そうとしていない。
各党の討論というのはどうしても党の見解にたって話をしなければならないので、個人的な見解を述べるわけには行かず、教条的な主張にならざるを得ないが、あの日本国憲法というものが我々の自主性に基づいて出来たなどという見解は、歴史認識として根本的に間違っている。
ここで共産党の本質を蒸し返すことはしたくないが、基本的に日本共産党というのは、日本民族を亡国の民にするのが至上命題である以上、こういう論法にならざるを得ない事は致し方ない。
日本共産党と旧日本社会党というのは、日本民族というものを滅亡の方向に導く事に血道を挙げているわけで、これらの党員がそういう思考に陥るのは致し方ない。問題は、確とした信念でもってこういう政党に組みする勇気の無い、いわゆるノンポリという階層が、こういう言質に惑わされて、それが正しいと思い込む事を我々は危惧しなければならない。
日本国憲法というのは昭和22年(1947年)5月3日に施行されたので、この日をもって憲法記念日と制定されたわけであるが、問題はこの昭和22年という年がどういう年であったのかという事を考えてみる必要がある。
憲法が施行されてもう55年も経ったということは、この年に生まれた人間はもう55歳にもなり、サラリーマンだとすれが定年になってしまう年である。
それ以降に生まれた人たちというのは、当然この昭和22年という年を知らないわけである。
日本が戦争に負けて連合軍に降伏したのが1945年、昭和20年8月15日である。
この年の9月にはアメリカを代表とする占領軍が日本に上陸し、日本全土を軍事占領したわけである。
日本を占領した連合軍、その中でもアメリカというのは、当然戦争の報復として日本の当時の指導者を戦争犯罪人として認定し、報復としての懲罰を科そうとしたわけである。
これは人類の生存としての基本的な本質だと思う。
善悪の問題を超越した、人間と言うものの持つ基本的な本質だと思う。
2002年の時点で、アラブ首長国連邦のアラファト議長と、イスラエルの確執と同じで、異民族同士の確執そのものであるが、これは人間の本質をあらわしているわけで、人間の理性ではコントロールし得ないものである。
それで、日本を軍事占領したアメリカが中心となって、日本の戦争指導者を捕らえ、それの裁判をして、アメリカ自身、ひいては連合国全体の戦争への整合性を築こうとしたわけである。
戦争という国家行為を遺棄するのは、戦後の日本の進歩的知識人ばかりではなく、地球規模で極普通のことであり、アメリカ国民だとて好きで戦争をしているわけではない。
アメリカ合衆国国家として日本と戦わなければならなかったわけで、そのためにはアメリカ国家として自らの正当性をアメリカ国民に知らしめなければならなかったわけである。
それが極東国際軍事法廷というもので、これによって当時の日本の指導者達がアメリカ国民の敵であった、という事をアメリカ国民に認知したわけである。
アメリカという国は太平洋戦争の前から日本を極度に恐れていたわけで、それを一番端的に具現化したのが、日本人移民を排斥すること(1907年、明治40年)であったわけである。
日系移民を締め出すことをアメリカの法律で制定し、これが日米決戦の隠れた原因でもあったわけである。
その後も日米開戦のずっと前からオレンジ計画というものを作成し、対日政策の基幹とし、開戦すれば日本人を強制収容所に押し込めるという政策をしているぐらいである。
日米が交戦中は日系二世の部隊を作って、それをヨーロッパ戦線に回して、この部隊はアメリカへの忠誠を示すため、果敢に戦闘し、連隊規模で最高の死亡率を示したといわれている。
というのも、日系二世達が忠実なアメリカ国民たらん事を欲したための結果であったわけである。
日系二世達は忠実なアメリカ市民になろうとしたが、日本人なるが故にアメリカという国家としてはそれを拒もうとしたわけである。
とにかくアメリカから日本を見ると、日本が恐ろしくて恐ろしくてならない存在であったわけである。
そういう背景があるからこそ、対日戦に勝利したアメリカは、アメリカ国民に対して、日本をこのように成敗した、このように懲らしめた、という事を示さなければならなかったわけである。
それが日本の軍事占領であり、極東国際軍事法廷であったわけである。
日本国憲法というのは、こういう状況下で出来たわけである。
今、我々は、この憲法が、アメリカのためのアメリカによるアメリカの国益にかなう憲法であるという事を知るべきである。
占領下に出来た憲法であるということを肝に銘じて考えてみる必要がある。
日本は占領されていて、我々には主権が無かったときの憲法である。
日本が占領されている最中に、自主性もへチクレも無いわけである。
牢屋に入れられている人間が、自由と平等を叫んでいるようなものである。
占領中は致し方ない。他に生きる術が無い。
言われるままに、占領下で、息をひそめている他に生きる術が無い。
殺傷与奪権は被占領国側が握っているわけで、生きるも死ぬも、相手側の出方次第である。
しかし、日本が独立を獲得、乃至は、独立を許された時点では、こういう占領下の憲法を当然変える事が必要であったわけである。
1945年、昭和20年8月15日を境にして、日本の国内においては、軍国主義というものは見事に根絶された。
アメリカ占領軍の民主化政策を待つまでも無く、戦争に敗北したという事実、神州不滅が虚構であったという事実、日本が焦土と化し、文字通り「戦い破れて山河あり」という実感からすれば、自ずから軍国主義のむなしさというものは全国民的に理解しえたわけである。
この1945年、昭和20年の日本の光景というものを我々は忘れてはならないと思う。
2002年の時点で、今の東京の姿からは想像も出来ない状態であった、ということを考えてみる必要がある。
我々は食うものも無く、職も無く、住む家も無く、焼け爛れたトタン板を集めてバラックを作り、アメリカ占領軍が捨てた空き缶で煮炊きをし、例の靖国神社の前では傷痍軍人が汚れた白衣を着てアコーデオンやハーモニカを吹いて喜捨を待つ姿というものを思い起こしてみる必要がある。
朝鮮人や中国人は、この日を境に戦勝国の人間になったわけで、今までの抑圧の対極としてのその傍若無人ぶり、無頼の限りを尽くしていた事を思い返してみるべきである。
こういう状況下で、アメリカ占領軍の最高権力者としてのマッカアサーは、アメリカの都合を代弁する形で、自分の理想とする憲法というものを作らせたわけである。
彼ら西洋人というのは、実に植民地統治に長けているようで、この憲法を日本人自らが自主的に作ったように見せかけているところは、旧敵国、被占領国の植民地統治の手法として実に心憎いばかりの仕儀である。
このアメリカ人、つまりマッカアサーの深遠謀略の罠に完全に嵌り込んでいるのが日本共産であり、旧日本社会党の面々で、彼らはこの憲法がアメリカの罠である事に未だに気が付いていないわけである。
アメリカの本音というのは、日本を未来永劫、永久に弱体化しておきたいわけで、それはアメリカというものが持つ、過去から未来にわたって連綿と続く国家思考そのものである。
アメリカにとっては、日本は第一子分で、それを超えてはならないが、それ以下でもならないわけである。
そして我々が自らの同胞をよくよく注意してみなければならないのは、日本の知識人と称するエスタブリッシュの人々の言動である。
既存の政党には属さないが、基本的に、自らが人から統治される事に潜在的に嫌悪感を露にする人たちで、一言で言えば文化人と称されている人たちの存在である。
こういう人達の強みは、マスコミを味方に引き入れやすいという特質である。
小説家とか、評論家、大学教授というのは、マスコミというものを味方に引き入れやすいので、その影響力が非常に大きい。
日本が独立を回復しようとしたとき、それに反対する国立大学の教授連中(平和問題談話会)の独立反対運動というのがあった。
独立そのものを反対したわけではないが、旧ソビエット連邦や、中華人民共和国が承認しない限り、日本は独立すべきではない、という議論を展開して、「自分の国が何時までも軍事占領されたままの方が良い」と主張した人たちを、我々はどう評価したら良いのであろう。
確かに、我々日本人は、自分達で自分の国を治めるよりも、外国人に日本の国を治めてもらった方がすっきりする、という面があるかもしれない。
平和問題談話会と称する国立大学の教授連中の集まりが、この日本という国を「外国人に統治してもらった方が良い」と考えているとしたら、それを我々はどう解釈したらいいのであろう。
これならば自己責任というものはないわけで、あらゆる問題を被占領国の所為として、相手にぶつけて済ませれるわけである。
自分達で「あれが悪い、これが悪い」と言って、責任の擦り合いを喧喧諤諤と議論をする必要がない。
アメリカの軍事占領というのは1951年、昭和26年9月まで続いたわけである。
サンフランシスコ講和会議を吉田茂が調印してきて、それの批准国会において、衆議院では307対47で可決、参議院では174対45という数で、この日本の独立回復というものを日本側で承認したわけである。
問題は、この衆議院で47票の反対票、参議院で45票という反対票である。
自分の国が独立するというのに、それに反対するというのはどういうことなのであろう。
素直に考えれば「アメリカの軍事占領下のままのほうがいい」ということだと思う。
物事には色々な考え方のあること承知しているが、自分の国が占領されたままの方が良い、というのは並みの神経では考えられないことではなかろうか。
率で言うと、15%から25%の人が、「日本は独立するよりも、そのまま占領されたままの方が良い」と思っていたわけである。
この数字から臆測すると、「日本国憲法を改正する必要がない」と思っている人たちと同じぐらいの割合ではないかと思う。
日本国憲法というのは、日本占領中のマッカアサーが、自分達の部下に作らせたわけで、スタッフの中には弁護士経験者を多く含むとはいうものの、僅か25人のスタッフにたった一週間で作らせて、その翻訳したものを日本国憲法としたものである。
ここで例によってマッカアサーの小憎らしいきほどの策略が潜んでいたわけである。それは、これを日本側の自主的な意志で作ったように見せかけたわけである。
それにも理由があって、日本占領というのは本来連合国の共同管理(極東委員会)で行われるべきものであったわけであるが、それを回避するために、日本側の自主性を前面に打ち出さねばならなかったわけである。
日本は自ら率先して、先の戦争に対して懺悔をして、再び連合国に刃向かうような行為はしません、という恭順の意志を連合国に向けてアピールする必要があったわけである。
そうしないと連合国、つまり極東委員会の他の戦勝国が、日本占領に嘴を入れてくる可能性が有ったわけで、事実、旧ソビエット連邦というのは北海道の分割占領を提案してきているわけで、そういう背景を考慮してアメリカとしては自分達だけで日本占領を独占したかったわけである。
無理も無い話で、日本を敗戦に追い込んだのは、名実共にアメリカ一国であったわけである。
旧ソビエット連邦の参戦などは、広島・長崎の原爆投下の後なわけで、それでいて同じ戦勝国を名乗り、分け前を横取りしようとしているとなれば、アメリカとしては納得できないと思うのも無理ない話である。
日本が戦勝国に対して恭順の態度を早いうちに表明しないと、連合国、つまり対日理事会(極東委員会)の干渉が出てくるのではないか、という危惧からマッカサーは日本国憲法の制定を急いだわけである。
その意味で、あの憲法はアメリカ占領軍にとっても間に合わせのもので、せいぜい占領期間中だけの暫定的なものという捉え方をしていたわけである。
それ故に、アメリカの理想主義というものが全編に流れ、戦勝国に対する恭順の意志が重視され、絵に書いた餅のように、ばら色の砂上楼閣として、地上で生きる人間、清濁合わせ飲む人間というものを無視した理想の憲法になっているわけである。
作った当事者でさえもが、あれは占領期間中だけのもので、占領が解かれ、自主独立すれば、当然改正されて然るべきものと考えていたわけである。
これが55年も継続してきたという事は、あの中に憲法第9条があるからである。この第9条というのは、明らかに戦争放棄というものを高らかに歌っているわけで、戦後の日本人は、これがある限り日本はもう戦争に巻き込まれない、と思い込んでいるからである。
戦後の日本人というのは、戦争というものは、馬鹿な軍人が好き勝手に一般大衆というものを人殺しの行為に駆り立てている、と単純に思い込んでいるが、これは無知以外のなにものでもない。
こういう思い込みというのは、戦前、アメリカやイギリスを「鬼畜米英」と言っていたのと同じ轍を踏んでいるわけで、その事に我々、戦後の日本人は気付かなければならない。
無知ほど怖いものは無い。
戦前の我々の同胞が、アメリカやイギリスを「鬼畜米英」と言い、「勝って来るぞと勇ましく」と言いながら提灯行列に現を抜かしていたのと同じ程度に無知な行為である。
我々は戦争というものの本質を知らなければならず、先の大戦から将来の知恵を学ばなければならないが、憲法第9条があるから戦後の日本は平和であった、などという間違った認識は今すぐ改めるべきである。
戦後の我々は、アメリカから生かされていたわけで、我々が自らの力で生きてきたわけではない。
自分の力で生きてきたわけではない、という事を真摯に受け止め、これから先如何に自主性を具現化していくべきか、という事を悟らなければならない。
サンフランシスコ講和条約、対日平和条約で独立を回復したのだから、それ以降は日本人の本来もつ生命力で生きてきたなどと思ったら大間違いで、我々はアメリカから生かされていたわけである。
我々は、自らの欲望を満たすためにアジアを侵略した、という極東国際軍事裁判史観、東京裁判史観というものを今一度再検討してみる必要がある。
1950年、昭和25年6月25日、日本が近代国家としての礎を築いた朝鮮半島で、北から共産主義者たちが大挙して侵略してきた朝鮮戦争を、我々はどう評価すべきか再考してみる必要がある。
我々の五族協和、東亜新秩序というものを再考してみる必要がある。
極東国際軍事裁判、東京裁判の評価をそのまま鵜呑みにする思考も、人間の持つ考え方の多様性の一つでは有るが、それが「善」で「正しい」のだ、という捉え方は偏向以外の何者でもない。
日本がいなくなった朝鮮半島で、北の共産主義者と南の資本主義者たちが血で血を洗う諍いをしたとしても、それは彼らの問題である。
日本が統治していたときはそういう問題が浮上せず、日本がいなくなったらそういう問題が出てきたということは、一体どう解釈したいったらいいのであろう。
民族自立の生みの痛みだと解釈するほか無いが、民族自立に向けて、彼らの背中を後ろから押したのは、我々日本ではなかったのか、ということは言えないだろうか。
彼の地の社会的基盤を作ったのは一体誰なんだ、と言ったとき、彼らはどう答えるのであろう。
こういう事が、極東国際軍事裁判、東京裁判では日本の「悪行」として決め付けられているわけである。
中国東北部で、いわゆる満州で、この地の社会的基盤を作ったのは一体誰なんだ、と言うとき、こういう事をした我々同胞が極東国際軍事法廷、東京裁判では「悪人」として認定されているわけである。
南京大虐殺は日本軍の蛮行だと決め付けられたが、広島・長崎は果たして善行かと問い直さなければならない。
戦争が終わった後、つまり日本がポツダム宣言を受理して銃を置いた後から侵攻してきた旧ソビエット連邦の軍隊は、日本人を60万人もシベリアに抑留して、強制労働をさせたことが果たして善行といえるのか、という質問にどう答えるのかといいたい。
事の善悪と言うのは、時の統治者の都合によって、いとも簡単に逆転してしまうわけである。
戦後の日本人の中の進歩的知識人というのは、極めて積極的にこの極東国際軍事法廷、東京裁判史観にコミットしようとしている。
日本はアジアにおいて悪い事をしてきた。
靖国神社に祭られているのは、そういう犯罪者の墓である。
過去の日本の行為は、未来永劫、謝罪しつづけなければならない。
アジアの人々は皆善人で、日本の国益を損なっても彼らに奉仕しなければならない。
アメリカへの戦争協力は拒まなければならないが、中国の軍拡には積極的に賞賛しなければならない。
アメリカは悪人だが中国は善人である。
実に陳腐な論理を展開しているのが、戦後の日本の知識階級と称する進歩的知識人である。
ナショナリズムという言葉がある。
自分の国の事を優先的に考える思考のことだと理解しているが、我々の同胞の中には、自分の同胞よりも他国の国民の利便を優先させる、まことに善意に満ちた人たちがいる。
それは逆に、自分の国の同胞は全く信用しておらず、他国、他民族には全幅の信頼を置いているわけである。
先に述べた平和問題談話会と称する日本の国立大学の教授連中の人々は、まさにこういう類の人たちで、自分の同胞の統治には我慢ならないので、他民族、他国に統治してもらう事を願っているのように見える。
ナショナリズムに反する行為、つまり自国の利益を阻害して、他国を利す行為をする人間を売国奴と称した事がある。
日本の戦後の知識人というのは多分にこの傾向がある。
日本の独立に反対した、国立大学の教授連中と言うのは、自分の国から俸給を受けていながら、旧ソビットに媚を売り、同胞を軍事占領下の状態につなぎとめておき、自分だけはアメリカの庇護の下で生きていたいという発想だろうと思う。
ところがどっこい、アメリカも彼ら以上に利口で、日本をアメリカ一国で再建させるには荷が重いと感じたわけである。
そう思っている矢先に、日本人がいなくなった朝鮮半島で、北から共産主義者たちが雲霞の如く押し寄せてきたものだから、日本を共産主義の防波堤にすることを思いついたわけである。
それで敗戦で丸裸の日本に対して、使い古しの武器を与えて、それで再軍備するように仕向けたわけである。
その過程で、既に憲法の発布している日本側では、その武装集団としての団体を軍隊とは呼べないわけで、始めは警察予備隊と称し、その後保安隊と改称し、独立と共に自衛隊と更に改称したわけである。
しかし、これは明らかに軍隊である。
日本国憲法第9条の条文からすれば、今の自衛隊というのは明らかに憲法違反である。
憲法違反であるにもかかわらず、それを憲法解釈で自衛隊と称し、アジアで最強の武装集団にもかかわらず、それを国軍と呼ばない、呼べない事、それ自体が我が日本の最大の矛盾である。
主権国家として、軍隊を持たない主権国家というのは論理的に有りえないわけで、その事は日本の独立の時点で、占領下で作られた日本国憲法を改正して、軍隊の保持を明確にすべきであったわけである。
それを怠ってきたのが我々の祖国日本である。
このことに関し、この日の討論で、保守党の二階氏が政治家の責任、政治家の怠慢と言っていたが、それは政治家だけの問題ではない。
日本国民全部の責任である。
戦後の日本人の全部が、責任回避していたわけである。
一人、政治家を責めるわけには行かない。
日本人全部が憲法の持つ矛盾を正面から正そうとしてこなかったわけである。
アメリカ占領軍が作った、アメリカ人に都合のいい憲法を、戦後の日本の国民は、「平和憲法だ!」称して、大事に大事にしてきたわけである。
サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安全保障条約によって、日本に攻めて来る敵はありえないと安心していたわけである。
若し日本に誰かが攻めてきても、それはアメリカが追っ払ってくれる、と勝手に思い込んでいたわけである。
それでいてアメリカにも不満をぶつけ、自衛隊にも非協力を決め込み、何か不都合があると日本の政府が悪く、アメリカ一辺倒の外交だからこうなるのだと、傍観者として高みの見物を決め込むわけである。
問題は、日本の国民が、この傍観者としての高みの見物を決め込む事である。
戦前は徴兵制の基で、国益の衝突、軍事的小競り合い、軍隊の動向を傍観者として高みの見物する立場というものがありえなかった。
好むと好まざるを当事者にならざるを得なかった。
それが戦後は志願制度のもとであろうとも、本来ならば自衛隊が理論的には一線に立たたねばならないが、有り難いことに日本の革新勢力というものが、「自衛隊を危険な第一線に配備する事は罷りならぬ」と云って禁止しているので、弾の飛んでこない後方に居れるわけである。
弾の飛んでくる第一線には、マスコミとしての民間人や、NGOの人達が行くわけで、戦闘訓練を受けた本職の武装集団というのは、弾の飛んでこない後で、弾薬の補給や燃料の補給に従事することによって、国際貢献をするというわけである。
こんな馬鹿な話があってたまるかと言いたい。
しかし、こんな馬鹿な話も、現行の日本の憲法がある限りにおいては整合性があるわけで、如何ともし難い。
日本国憲法というのは、今まで何度も述べてきたように、日本が占領されていたときに、被占領国の都合によって、被占領国の都合のいいように出来ているわけで、アメリカ側からすれば占領中の間に合わせの憲法であったから、たった25人のスタッフと僅か一週間でこしらえて物であったわけである。
押し付けた側も、当然、独立を回復した暁には日本が作り直す、と思っていたわけである。
それを後生大事に守り通して、これを弄くる事は、日本がそのまま昔の戦争に突き進む道を選択するに違いない、という思い込みからこれを触る事をタブー視してきたわけである。
その主流が戦後の日本の革新勢力と称するアメリカの手先であり、アメリカの回し者である。
日本の革新勢力がアメリカの手先と言うのは一見矛盾しているように見えるが、アメリカの対日戦略というのは、占領期間中から一貫して日本民族愚民化政策をとってきたわけである。
日本の革新勢力が、日本政府に対して売国奴のような態度をとっている事は、アメリカ側からすれば非常に有り難い事なわけで、アメリカが一番恐ろしく思う事は、日本が挙国一致で事に当たるときである。
戦後の日本で、日本の革新勢力、その中身は大学教授等を柱とする日本の知識階級であるが、こういう人達が日本の政府の足を引っ張っている限り、アメリカは枕を高くして眠れるわけである。
国際関係というのは狐と狸の化かし合なわけで、奇麗事では済まされない。
1945年、昭和20年、アメリカが最初に日本を占領しに来たとき、アメリカは日本が極東委員会で共同管理される事を恐れていた。
連合国の立場からすれば、ドイツと同じように共同管理を主張する事も出来たわけである。
そうなればアメリカの国益が損なわれる事は当然で、そうならないようにアメリカ占領軍最高司令官マッカアサー元帥は、日本がいち早く恭順の意を現したように見せかけて、日本が素直に恭順すれば、アメリカ一国で日本を占領する事が他の連合国にとってもベターであるかのように見せかけたわけである。
その為には日本に早い時期に憲法を作らせて、日本はこのように恭順な態度を示している、という事を世界に向けてアピールする必要があったわけである。
そういう意図の元に、つまり日本の恭順の意を特に強調するために、マッカアサーは日本国憲法の中に戦争放棄という第9条の項目を入れたわけである。
こんな項目は、世界の主権国家にとっては論理的に大矛盾なわけで、主権の根幹を欠いた主権国家などありえないわけである。
尤も、この時の日本は主権国家ではなかったわけである。
占領下の民族で、主権というものはアメリカ極東軍司令官マッカアサー元帥にあったわけで、我々、日本民族には全く無かったわけである。
ここを我々はよく考えなければならない。
戦後の日本の革新系の人々、特に大学教授連中となれば、そんな事が判らないはずは無い。
日本国憲法が占領下の憲法で、我々の自主性というもの、民族の自決権のかけらも入っていないという事ぐらいは革新を唱える人達ならば当然理解しえることのはずである。
ならば講和条約締結のとき何故改めなかったのか、といえば、それこそ日本の革新勢力というものがそれを許さなかったではないか。
そして講和条約の締結のとき、つまり1951年、昭和26年という時代は、日本はまだまだ戦後の復興も軌道に乗っておらず、貧しい時代であった。
とても国防費、つまり自分の国を自分で守るだけの経済のゆとりというものがなかったわけで、アメリカに国防というのをゆだねるほか道がなかったわけである。
1945年、昭和20年の日本と言うのは見事に何もなかったわけである。
この事実は忘れてはならないと思う。
日本の統治していた朝鮮や台湾というのは連合軍の攻撃をそれほど受けていない。
全く受けなかったわけではないが、我々内地にいたものに比べると、台湾が艦砲射撃を受けたといっても東京空襲や名古屋空襲とは比較にならない。
という事は、かっての日本の植民地であったところは、日本が作った社会的基盤整備というのは概ね無傷で残っていたわけである。
それに比べると日本の内地というのは全く何もなかったわけである。
東京の国会議事堂の前で百姓をしている写真を見たことがあるが、まさしくあのとおりで、東京、大阪、名古屋という大都市は見るも無残に焼け野原になってしまっていたわけである。
こんな状況では憲法もへチクレも無いわけで、民族自立も、民族自決権も、主権もあったものではない。
目の前の一個のおにぎり、一個のサツマイモ、一切れのコッペパンの方に人々の関心があったわけで、そういう状況下でアメリカが日本にあの憲法を押し付けたわけである。
その状況というのは、当時の大人たちならば、右翼左翼にかかわらず理解しえたはずである。
こういう経緯の日本国憲法を、「平和憲法だから改正する必要がない」という土井たか子社民党党首を始めとする、日本共産党の面々と言うのは、アメリカの日本愚民化政策というものに真正面から諸手を挙げて協力しているようなものである。
そしてアジアからは先の戦争の反省が足らないと言われつづけ、相手国の軍備増強に日本のODAが使われているにもかかわらず、相手の軍拡には口をつぐみ、日本が少しでも兵力を増強すると、「相手に脅威を与えるから駄目だ」と、相手の利益を代弁するわけである。
これを見たアメリカは陰でほくそんでいるに違いない。
アメリカからすれば、日本がアジアで外交上とはいえ、不穏な雰囲気になれば、それはアメリカの利益につながるわけであるし、それは同時に日本に恩を売る事になるわけで、どちらに転んでも日本がアジアから叩かれる事は、アメリカの国益につながるわけである。
アメリカから日本を見て、日本の一番好ましい状況というのは「生かさぬよう殺さぬよう」のバランスの上に置いておくことなわけである。
日本国民が一つに結束する事が一番恐ろしいわけである。
しかもアメリカは利口だから、それを日本に悟られないようにしているわけである。
このアメリカの狡猾なところは、日本国憲法を日本国民が自主的に作ったように見せかけている点に顕著に出ているが、それを知ってか知らずか、「あれは戦争放棄した素晴らしい憲法」などと称している能天気な知識人をあざ笑っているに違いない。
アメリカにしても、中華人民共和国にしても、大韓民国にしても、彼らの日本に対する本音と言うのは「日本は金持喧嘩せず」でいてほしいわけである。
少し言いがかりをつければいくらでも金を出す金持であってほしいわけである。
日本はいくら経済大国になってもいいが、再度、武力で事を解決する気にだけはなってほしくないわけである。
彼らから日本を見て、日本の恐ろしいところは、日本人、日本民族が、再度、挙国一致で団結する事である。
日本の中で意見が分かれて、喧喧諤諤の議論をしている限り、彼らはしたい放題の事をするわけである。
日本の政府を、日本の知識人たちがこき下ろしている間は、彼らは安心して日本に喧嘩を売っておれるわけである。
日本に喧嘩を売りつつ、ODAを臆面もなく要求するわけで、これこそ泥棒に追い銭であるが、これも戦後の日本の知識人というものが、名誉とか誇りというものを持ち合わせていないので、ただただ血を見るのが嫌で、政府に金を払うよう仕向けているわけである。
だから金大中大統領を東京のホテルから拉致(1973年、昭和48年、8月8日)しても、日本人を北朝鮮が拉致しても、不審船を日本海に遊弋させても、日本は「金持喧嘩せず」でいることを見抜いて、そういう行為を繰り返しているわけである。これらの件はアメリカには全く関係ないわけで、我々は、アメリカ占領軍の民主化政策という愚民化政策で、人間としての精神的な去勢をされたようなものである。
ただただ金儲けに奔走するエコノミック・アニマルとしかみなされていないわけである。
いくら恥を掻かされても、いくら汚辱にまみれても、湾岸戦争で金を出したにもかかわらず馬鹿にされても、それでも尚汗を流し、血を見える事を忌み嫌うわけである。
アメリカの青年はいくら死んでも構わないが、我々日本人の青年だけは国際貢献で死なしてはならないというわけである。
憲法9条を変えると戦争につながる、という論法は、風が吹くと桶屋が儲かる式の陳腐な議論にも関わらず、それをまともに理性的に議論しようとしない。
戦前の「鬼畜米英」と同じで、全く根拠のない馬鹿の鸚鵡返し、としか言い様がない論法にもかかわらず、それを日本の知識人と称する人々が大声で合唱しているわけである。
2002.5.3