外務省の醜態

2002年、平成14年1月29日の朝日新聞朝刊によると、予算委員会が「外務省がNGOをアフガン復興支援会議に参加させるか否か」という問題で、鈴木宗男衆院議事運営院長が外務省に圧力をかけたかどうかの問題で紛糾している、という事が報道されている。
前日のテレビ・ニュースでも詳しく報道されているが、これはまさしく茶番劇である。
問題の発端は、アフガン復興支援会議の開催される前日、つまり1月20日に外務省からNGO代表の大西健丞氏に「参加させない」旨、連絡が入ったということから騒動が始まったわけであるが、このあたりの外務省の対応は実に稚拙というか、馬鹿馬鹿しいというか全く話にならない。
事の起こりの伏線には、自民党鈴木宗男衆院議事運営委員長が外務省に「政府を批判するようなNGOを、今回のアフガン復興会議に出席させるな」と圧力をかけたと言われることから始まっているわけで、それをまともに受けて、鈴木宗男の言うとおりに行動した外務省がアホである。
大西氏に電話をしたのは、外務省中東2課長宮原信孝と実名で報道されている。
その前に外務省幹部からも電話があったということが記事として載っている。
この記事の報道されたのが会議の当日の21日の朝刊であり、その記事には鈴木氏のコメントも載っている。
鈴木氏はコメントで「どんな団体を呼んでいるのか?と聞いただけ」とコメントが記されている。
この新聞報道を読んでみれば、鈴木宗男が外務省に電話をかけて、本人の言った事を信用するとすれば、問い合わせただけで「出すな」とは言っていないという事になる。
こういう前提条件の備わった中で、29日の報道では、田中真紀子外務大臣、そして野上義二事務次官、重家俊範中東アフリカ局長、の三者の答弁が実に曖昧模糊として核心を言っていない。
核心は言っていないが、言外には鈴木宗男氏から電話を受けてNGOに伝えたという事を外務省側は認めている。
これは政治家と外務省という官僚の能力がここに露呈しているわけである。
外務省の官僚というのは、全く自分というものの判断力というものを失っているという事が露呈しているわけである。
仮に代議士が部外者の声として発言すると、代議士の発言というだけで震え上がってしまって思考能力が全く機能停止に陥っているということである。
こんな事があっていいものだろうか。
テレビで野上事務次官と重家局長の話を聞いていると、全く答弁になっていない。
質問が、自分の不能力を露呈する急所を突いた問題であった所為か、しどろもどろで答えになっていない。
外務省がこれでは日本の先行きも全くおぼつかないといわなければならない。
小泉内閣になって、外務大臣に田中真紀子がなってからというもの、外務省というのは徹底的に大臣に泥を塗る事ばかりに専念している節がある。
大の男が女の足を引っ張って喜んでいる図である。
田中真紀子が外務省は伏魔殿というのも無理ない話である。
行政の改革というのは、外務省だけが集中砲火を浴びているわけではなく、外務省だけが改革の対象になっているわけではない。
自分達の足元に火がついているのは外務省だけではないはずで、それを外務省の高級官僚たちは全く理解していない。
鈴木宗男氏の政治認識というのもまるで低レベルである。
それを外務省の高級官僚と言うものが丸呑みするという事は、まさしく呉越同舟で、外務省の高級官僚といえども、政治感覚はゼロに等しいという事を晒しているわけである。
大西健丞、鈴木宗男、重家俊範、野上義二、田中真紀子、この5人の中で一番の低レベルな人間は言わずと知れた外務省の二人である。
これを我々国民はいったいどういう風に解釈すればいいのであろう。
鈴木宗男の言った事をストレートに大西健丞氏に流すという事は、その間にものを考えるという作業がなかったのであろうか。
鸚鵡返しに一方の言った事を片一方に伝えているのであろうか。
これが大人のすることであろうか。
鈴木宗男氏の言った事をストレートに言っただけならばこれほどの問題にはならなかったと思う。
問題は、鈴木氏が新聞で報道されたコミットメントのように「どんな団体か聞いただけ」であるとすれば、外務省は鈴木氏の話に尾ひれをつけて、拡大解釈、話を捏造をして、大西健丞氏に伝えたということになる。
鈴木宗男氏も天下の朝日新聞から取材、コミットメントと求められて、嘘を言うとは思われない。
朝日新聞だとて、言わない事を言ったと書くわけにも行かないと思う。
第三者が推測するところでは、鈴木宗男氏がアフガン復興支援会議に呼ばれたNGOに関して、外務省に対して何か言った事は確かだろうと思う。
ところが、それを聞いた外務省の高級幹部が、鈴木宗男の意向を先取りして、護摩を擦ろうとした人物がいたわけである。
だからそれを大西健丞氏に伝える段階で、少しばかりオーバーに言ったわけである。
そして丁寧にも、大西氏から鈴木宗男氏に詫びを入れるように、親切心で言ったところに問題がある。
それを伝え聞いた田中真紀子外務大臣は、直ちにNGOの参加をさせるよう手配したものと思う。
そこで野上氏の参考人発言で、苦しい言い訳となっているわけであるが、こんな問題はそもそも大臣を煩わすほどの問題ではないはずで、鈴木宗男氏が言ってきた時点で、軽く聞き流しておけば何らトラブルになる性質のものではない。
これをマスコミ流の言い方をすると、外務省はNGOの実力を蔑ろにして、自分達が外交を担っているという自尊心に凝り固まっているという論調になるが、もし本当に外交を担っているのであれば、衆議院議事運営委員長の鈴木氏といえども、外交に関しては門外漢なはずだから、自信を持って論駁すればよかったわけである。
そこで鈴木宗男に護摩を擦ろうとする下心があったものだから、その意図を先読みしすぎて、鈴木氏から「良くやった」というお褒めの言葉欲しくて、過剰反応したわけである。
サラリーマン社会にはよくある話である。
上の人の意図を先読みして、こうすれば上の人は喜ぶに違いない、と早手回しに行動する事が裏目に出て重大な結果を招くという事例である。
ここで外務省の側で、鈴木宗男氏の言った事をどうしてそう重大に捉えたのであろう。
鈴木氏が「どんな団体か聞いただけ」なら、「どんな団体か教えるだけ」にとどめておけばよかったわけである。
それを「鈴木氏が怒っている」と言ったものだから事がおかしくなったわけである。
大西氏が朝日新聞のひとこと欄で「お上の言う事はあまり信用しない」と記述した事を「鈴木宗男氏が怒っている」と外務省が言うものだから事が段々おかしくなったわけである。
この程度の事は、一般庶民は、通常、誰でも彼でもが言っていることで、そのことで鈴木宗男が外務省に文句を言うという事も低次元な事である。
テレビのニューズ映像でみる限りにおいて、野上局長とか重家俊範氏の答弁というのは、日本語になっていないし、会話になっていないし、もちろん答弁になっていない。
自分のミスを隠そうとしている事が見栄みえで、実に情けないが、追求するほうも突っ込み方が的を得ていない。
藪を棒でつついているようなもので、要領を得ない質疑応答である。
問題は外務省の高級官僚、大臣を補佐すべき立場の人間が、大臣の足を引っ張ろう引っ張ろうとしている点である。
これはもう明らかに私利私欲の世界である。個人的な怨念である。
外務省という大きな組織、しかも外交という日本の将来を左右するような大事なセクションで、組織のトップが、私利私欲に走り、個人の怨恨で事を決め、本来の組織としての目的遂行の足を引っ張っている事を愚かしさである。
官僚が代議士の一言一言に敏感に反応し、代議士の一言で一喜一憂するのは、やはり日本の長い官僚の伝統の上に根ざすものではないかと思う。
戦後の民主化も50年以上経過しているわけで、戦後から今までの中で、官僚が代議士の不当な関与で冷や飯を食わされた事が度々あって、官僚経験が長ければ長いだけ、そういうケースを目の当たりしてきたものと思う。
官僚がしようと思っていることに、門外漢の代議士が嘴を挟んで、そのしようと思ったことが極端に捻じ曲げられたり、挫折したり、骨抜きになったり、運が悪ければ左遷という事が度々あったので、官僚というものは代議士に非常に卑屈になっているのではないかと思う。
その原因は、やはり組織のトップの大臣の責任と統率力ではないかと思う。
門外漢の代議士、国会議員が肩書きを傘にして嘴を入れてきたときに、上に立つ者が、毅然たる態度を示さなかったので、下のものは十分な仕事が出来なかったというケースが度々あったのではないかと思う。
今回のケースでもアフガン復興支援会議というのは、外務省がセット・アップしたものと思うが、その準備段階で大西氏の所属するNGOも、その規定路線の中には入っていたわけである。
それを門外漢の鈴木宗男が横槍を入れたものだからおかしくなったわけで、その外務省の中で、その高級幹部が、直属上司であるべき田中真紀子よりも鈴木宗男に忠誠を示したものだから、こういう馬鹿な事件になったわけである。
組織の中で、上意下達がきちんと機能していないとなれば、その組織はもう既に壊滅していると同じなわけで、そんな組織ならば解体して新たな組織を作り直す必要がある。
組織が崩壊しているわけである。
ところが明治時代から続いてきた、省庁の中でも日本という国の存続にかかわる基本的な省庁であるから、そう簡単に解体するというわけにはいかない。
だからこそ、小泉内閣になって小泉首相は、田中真紀子という少々型破りの人材を投入したわけである。
外務省の高級幹部からすれば、田中真紀子の省内改革は承服できない事は重々判っている。
それは何も外務省だけの事ではなく、あらゆる官庁で、改革を迫られれば、高級幹部が穏かな気持ちでおれないのは皆同じなわけである。
しかし、遅かれ早かれ、現状のままで許されるわけはないのだから、何時かは改革の波はくるわけである。
そこは高級幹部であろうが下級幹部であろうが、組織の宿命として、それは是認しなければならない。
田中真紀子が外務大臣になったからといって、彼女が永久にそこに君臨するわけではないのだから、彼女がトップにいる限り、下のものは彼女に忠誠を尽くさねばならない。
それが組織というものである。それがサラリーマンというものである。
子供が駄駄をこねているような態度は大人気ないし、幼稚であり、頭脳の発育程度が知れる。
官僚というのは、昔も今も、登用試験という登竜門を潜って採用されるわけで、こういう登竜門を潜らなくてもなれる政治家よりは頭脳のレベルが均一化している事は認めなければならない。
登竜門を潜る時点では、同世代の人たちよりも知能指数は上であったに違いないが、中に入ってからの切磋琢磨という点では、そういう機会が全くないものだから、そこで知能指数が固定化してしまっているわけである。
中に入れば入ったで、同じ仲間だけのなあなあ主義というぬるま湯に漬かって、馴れ合いが日常化し、お互いに傷の舐め合いで事を収めてきたものだから、田中真紀子のような異質の分子がトップに立つと、どうにも腹の虫が治まらないと思う。
それで大の大人の男が、女の足を引っ張る方向にしか頭脳が機能しないわけである。
彼等の意識の中には、「女に何がわかるか」という女性蔑視の観念がきっと根付いているに違いない。
こういう時にこそ、小泉首相はリーダー・シップを発揮して、外務省幹部に何か一言いうべきであると思う。
外務省が組織ぐるみで大臣に反抗するということは、由々しき問題で、大臣の首を挿げ替えるというような姑息な手段はとるべきではなく、首を挿げ替えるならば外務省の幹部の方の首を挿げ替えなければならない。
組織には甘えに甘え、判断力は極度に鈍っており、外部の人間が何を言おうとしているのか推測も出来ず、そのことの結果にも思いが至らず、これではまさしく無能といわなければならない。
我々は、外務省という大事なセクションに、無能な官僚を飼っている余裕もゆとりもないはずで、一刻も早く嘘を言った人間を炙り出さなければならない。
言った言わないの水掛け論では済まされないと思う。
立場が不利になると「記憶にない」などと子供じみた答弁を繰り返しているわけで、「記憶にないということは自分に不利な事を隠している」とはっきりと質問者が駄目押しをすべきである。
2002年、平成14年1月30日のニュースによると、この問題で、田中外務大臣更迭、野上義二事務次官更迭、鈴木宗男衆院議事運営委員長辞任という事が報ぜられている。
これに対しNGO代表の大西健丞氏は、朝日新聞の紙上で「喧嘩両成敗は納得いかない。悪いのは鈴木宗男氏と外務省であって、田中外務大臣のクビは納得できない」という主旨のコメントを出している。
私も全くその通りだと思う。
田中外務大臣というのは、終止、正論を吐いているわけで、その正論が通らないという事態の方がおかしいわけである。
30日の朝のNHK TVのニュースでも、この三者、田中外務大臣と野上事務次官、鈴木宗男のインタビューが放映されていたが、この三者の言っているところを吟味すると、田中真紀子は事実を事実として淡々と語っているが、野上事務官の発言には考えなければならない事が含まれていた。
というのは、彼は今回の更迭を受容するのに「一回の報告をしなかったからではなく、前々からわだかまり、日頃の鬱積がこういう形になった」という主旨の事を言っている。
つまり、自分自身が鈴木宗男からの圧力を大臣に伝えなかったからではなく、田中大臣が就任してからの不満が、こういう形で露呈した、という意味のことを言っている。
これが一番悪いわけである。
これが諸悪の根源なわけで、本人はそれがわかっていない。
外務大臣の就任以来というもの、外務省というのは、省内こぞって田中大臣に反旗を翻していたわけで、彼等から見れば「少々人気者であろうとも、この外務省を改革などさせるものか」という意気込みを露骨に表していたわけである。
だからこそ、鈴木宗男が言ってきたとき、その部外者の意見を尊重し、直属上司の意向を無視したわけである。
これ即ち、組織疲労というか、腐敗した組織というものである。
組織というものは基本的には上意下達で機能するのが正常な姿で、チェック・アンド・バランスが作用するのは、トップが暴走しかけた時、そこで人間としての倫理や正義感や判断力が機能しなければならない。
今回の事件でも、鈴木宗男が最初、外務省の誰に電話をかけたのか知らないが、その電話を受けた者が通常の倫理観を持ち、常識的な判断力があれば、その段階で暴走は防げたわけである。
それは当然、外務省という巨大な組織の中間の位置の者が電話を受けたに違いない。
その電話を受けた者にきちんとしたチェック・アンド・バランスの感覚があれば、そこで外務省というのは外部の圧力を回避できたわけである。
その機能が正常に作用していれば、それをいちいち大臣にまで報告する事はないわけで、事は穏便に済んだはずである。
官僚の弱点は、この中間の位置の者が、独自の判断で対処すると、電話をした方はもっと上のほうに再度電話を入れ、「誰それは俺の言った事を少しも聞いてくれない」という、そうするとそれを聞いた上司は部下を叱り付けるので、下のものは部外者の言う事は何でもかんでも聞くという事態になっているわけである。
このことは組織全部がそういう風に動いているということである。
そんなことは日常の生活でも普通にあることで、窓口でわかってもらえない時は、その上司のところに行けば何とか糸口がつかめるという場合が往々にしてある。
これと同じ事なわけで、野上氏はテレビの前で、そのことを悪びれずにもらしたわけである。
鈴木宗男の横槍を、大臣に報告する事を一回ミスったから更迭された、というならばまだ納得がいくが、そうではなくて、「前々から面白く思っていなかったからこういう事態になった」、では余計悪い。
同情の余地はない。
それに引き換えNGOの大西健丞氏のバランス感覚というのは素晴らしい。
「大臣が悪いわけではない、鈴木宗男と外務省が悪い」というのは私も正論だと思う。
小泉氏の今回の措置は、国会正常化の一つの手法であったわけで、この場ではこれも致し方ないと思うが、基本的には鈴木宗男のような人物を同じ党内に抱え込んでいる事の不条理さは承服できない。
鈴木宗男というのは「総理総裁の意向を汲んで潔くやめる」というようなポーズをしているが、自分が誰に何をどう言ったのかという事には口をつぐんだまま、格好ばかり気にしているというポーズである。
彼が「真相はこうだ。私が外務省の誰それにこう言った」といえば、何も問題はないわけである。
結構な茶番劇でした。
2002・1・30

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