文を綴る遊び

平成元年に長男がストレートで北海道の大学に進学してくれた時は本当に嬉しかった。
自分の出来なかったことを息子が果たしてくれたと思ったら、心の芯から喜びが湧き上がってきた。
家内は「一浪させて、地元に行かせた方が良いのではないか」と言ったが、私は「折角のチャンスを見送る手はない、GOだ」と決断した。
この喜びを友人にはストレートには語れないことは先に述べた。
ところが後がいけなかった。
卒業して帰ってきてしばらくしたら「親の為に大学に行ってやった」ということを口走ったものだから、親子で取っ組み合いの大喧嘩になった。
それが祟って私が癌になった、とは妻の見解である。
4年後、この息子が卒業して帰ってくる時、下宿の引き払いの手伝いに行ったが、車があったものだから、小樽から敦賀までフェリーで来た。
その道中、船内で退屈だったので、取り留めのない文章を書きなぐっていた。
カバンの中のちょっとした紙切れに、小さな字で書き綴っていた。
ところがそのうちに書く紙がなくなってしまった。
仕方がないので、船内の売店でお土産を買って、その包装紙の裏に書き連ねた。
それを家に帰ってからワープロに移してみたら、これが自分なりの自分史になっていた。
ワープロでプリント・アウトしたものをコピーして、それに表紙をつけたらどうにか本の形にはなったので、それを他界する前の父親に見せたら大いに驚いていた。
けれども出版する気は毛頭ない。
その時、「あれ!俺も文章が書けるではないか!」と自分の能力を自分で見直した。ワープロを買った直後ということもあって、何でもかんでもワープロに入れてみたい時期であったのかもしれないが、とにかくそれ以来というもの文章を書き綴ってきた。
その後、テレビの討論やNHKスペシャルなどをビデオでとって、それをワープロで起して本のスタイルにして遊んでいた。
これは最近テープ・リライターなどと称して専門にそういう事をするものがいるらしい。
しかし、この遊びは考えてみると馬鹿らしくて止めた。
テレビなどというものは、放送する前にものすごく下調べがされているわけで、それを又本の形にしても面白くもおかしくもないと気付きやめた。
その代わり、自分で考えた事や、感じた事を徹底的に文字で表現してみようと思い立って、それ以降は全くのクリエイテイブな主観のみを書くことにした。
しかし、主観といったところで、無から有が出るわけはないので、主観を形作る核というものはいるわけである。
それはテレビなり新聞なり雑誌なり、あらゆる媒体から吸収しなければならない。特に、勉強になるのがNHKスペシャルという番組である。
この番組を見て、その見た事を自分の主観で考え、考えた事を文字にし、それを限りなく続ける事で、ある程度の纏まった文章にして、プリント・アウトし、保存している。
本当はプリント・アウトしなくても済むようにしたいのだけれども、一番確実な資料の保存ということになると、やはりペーパーで残すという事になりそうである。
以前からの資料は全部フロッピーに保存しているが、これが案外当てにならない。
というのは、フロッピーはそのまま保存されているが、ハードの方が常に進化しており、そのプロッピーが解読できなくなってしまうからである。
いくら日進月歩の世界だとて、こんなことはあってはならないと思うが、事実10年前のフロピーと言うのは使い物にならない。
それを呼び出せる機械の方が此の世から消えてしまっているわけで、こういうことこそ通産省が指導監督すべきではないかと思う。
そうして出来上がったのが「20世紀の怪物・共産主義」であり、「20世紀の日本とアジア」であり、目下「日本再生・1945」に取り掛かっている次第である。
文章を書く人間にとっては、最終的に自分の作品を出版したいという願望があることは否めないと思う。
ところが、この今現在という時代は、出版のみが媒体ではないわけで、自分の考えや思考を人に伝達するには様々な媒体がある。
中でもインターネットは最良の媒体である。
出版ならば、原稿の校正から、版下の作成、装丁等々、様々な人の手を煩わさねばならないが、インターネットならばそれを全部、自分一人でできるわけである。
人の手を煩わせば金も掛かるが、逆に運がよければ見返りも大いに期待できる。
ところがインターネットの場合、金もかからないが、見返りもないわけで、私のように遊びで文章を書いているものにとってはそのほうが良いわけである。
文章を読む立場から書く立場に変わったのは、今までの人生では人の本ばかり読んできたので、これからは自分で発信しよう、という気持ちが有ったことは否めない。
今まで随分といろいろな本を読んできた。
下はエログロ・ナンセンスの本から、上は「世界」「中央公論」昔あった「朝日ジャーナル」まで硬軟取り混ぜ手当たり次第読んだものである。
三十数年前、ある面接で、「趣味は!」と聞かれ、「読書です!」と答えたら、「読書など趣味のうちに入らない、そんな事は現代人なら常識だ」といわれて、読書というものを少々高踏的なものと思い込んでいた私はショックを受けたことがある。
そういうインパクトがあったわけでもないが、50の坂を越える辺りから、そろそろ受身ではなく、発信するときではなかろうか、とうすうす感じるようにはなっていた。
名前は失念したが、さる著名な人が言った言葉で「いくら好きな事でもそれで金を稼いだら趣味ではなくなる」というのがあるが、まさしく名言だと思う。
その意味からすれば、私のしている事は、押しも押されもせぬ立派な趣味ということになる。
しかし、なんびとにとっても毒にも薬にもならない、いわば知のマスタベーション、猿のセンズリである。
これはあまり金がかからないので、「金の切れ目が縁の切れ目」ということにはなりそうもないが、そろそろ挫折の理由も考えておかなければならない。
最後に笑い話を一席。
退職後、もう神経や気を使う仕事は一切遠慮するつもりでいたが、先日春日井市の公園の世話をする係りの募集があったので応募してみた。
その時「仕事と生きがい」というテーマで作文を書かされた。
私は「仕事などというものは労苦以外のなにものでもない。仕事が生きがいなどという人は偽善だ」という趣旨のことを書いてきたが、これでは確実に落第だろうね!
採用する側の神経を逆撫でするようなものだもんね!
2002.1.19

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