我が師は我が娘

「先生」というキー・ワードを与えられれば、普通の人は小学校の先生や、中学、高校、はたまた大学で教えを受けた先生方を連想するに違いない。
しかし、私はどういうものかそういう人たちへの思い出というのは皆無である。
小学校の先生だけは今でも印象に残っており、先回の同窓会にも出席していただいて話をし、懐かしい出会いではあった。
この先生は結婚前の若い女性で、小学校の5年から6年と2年間持ち上がりで、その間に私の家庭ではいろんな事があったので、それで私も印象が深かったに違いない。
壷井栄の「24の瞳」の大石先生と情景がオーバー・ラップしてしまう。
我が60年の人生の中で、先生といえばやはりこのときの先生が瞼に浮かぶ。
中学、高校の先生というのは名前も忘れ、顔も忘れて、まさしく空白である。
大体、私は親が学校の先生をしていたので、先生というものに畏敬の念というものを最初から持っていなかった。
父親というのは師範出ではないので、同じ先生でも肩身の狭い思いをしていたようだ。
ただ終戦という変革の時期に巡り会わせて、妻子を食わせんが為に、不本意ながらその職についているといった感じで、教師という職業の不平不満を我が子の前で言っていたのが大きく影響していたのかもしれない。
だから私には、若い時に先生から受けた薫陶というものは一切存在しない。
しかし、齢60にして、人に教えを乞うて、その教えで以って、目の前がパットと開けた事がある。
それは昨年の夏頃の話であるが、自分の娘からホーム・ページの作成を教わって、それによって異次元の世界が体験できたことである。
私の娘は普通に短大を出て、家の近くの会社に就職し、会社では人と同じようにコンピューターに接していたようだ。
特別にコンピューターの専門学校に通ったわけではないが、この頃では我が家で一番のコンピューター通であった。
去年の4月に私は町内の役員になり、その関係で知り合った人の中にコンピューターの大ベテランがおり、その人が我が家に遊びに来たとき、丁度娘は出産前の自宅待機で家に戻ってきていた。
それで、家族ぐるみで話をし、娘とも知り合いになった。
娘はその人から薫陶を受け、出産前に自分で自分のホーム・ページを立ち上げてしまった。
娘が自分のホーム・ページを立ち上げたのを見た私は、どうしても自分のホーム・ページを持ってみたくなったので、娘に頼み込んで教えてもらうことにした。
今までの生活では私は親の権力を振り回して、頭ごなしに叱りつけていたが、このときばかりは低姿勢で、自分の娘に護摩を摺って、娘の言うとおりにしなければならなかった。
分厚い参考書を持ってきて「ここからここまで声を出して読め」と言われれば、その通りにしなければならなかった。
こういう言い方は少々屈辱的でもあったが、まあこれも芝居だと思って我慢した。
ところがこの芝居と思った事を見抜かれて「もっと真面目にやれ」という叱責である。
親子でこんなやり取りを2,3日、延べ時間にして3,4時間もしたであろうか、後は自分で参考書を見ながらどんどん先に進む事が出来た。
それで念願の自分のホーム・ページを持つ事が出来た。
一応、持つには持ったが何かトラブルがあると未だに娘のアドバイスがない事には埒があかない。
その点では実に情けない有り様であるが、自分のホーム・ページを持つということは実に素晴らしい事である。
この自分史講座の今までの習作も全部ホーム・ページにアップしてある。
ホーム・ページを持つということは自分の持っている情報を世界に向けて公開しているという事である。
インターネットを見るという事は、人のホーム・ページを見るという事である。
個人レベルで、自分のことを人に知られたくないと思っている人は、ホーム・ページを作っても意味がない。
自分の考えや、自分の書いたものを人に見てもらいたいと思っている人にとっては、こんな素晴らしい媒体は他にありえない。
企業サイドの視点に立てば、企業として自社をPRするのに、これほど優れた媒体も他にありえない。
個人レベルでは、自分の意見や考えを不特定多数の人に公開する事に躊躇する人もいるが、そういう人は無理に自分のホーム・ページを持つ必要はない。
自分で苦労して習得したものをただで人に公開するのは損だと思っている人もいるに違いない。
しかし、人間というのは基本的に自己顕示欲というものがあり、自分が持っていて人が持っていないものは人に見せたい、という欲望があるのではないかと思う。
そういう人にとってはホーム・ページの作成という事は実に有意義な事で、趣味の領域に入れておくことは惜しい気がする。
自分のホーム・ページを如何にするかという事は、完全にクリエイテブな作業で、クリエイテイブであるからこそホビーとしても奥行きが深いはずである。
インターネットを見てみると一つとして同じデザインのものはないわけで、それは一人一人がそれぞれに自分のアイデアでデザインしているからである。
そこが面白いし、自分が作ったものでもいつでもデザインを変更して、常に斬新なものを目指すという意欲が湧く。
嫁いだとはいえ20歳代の娘と、60を過ぎた私とでは当然世間に向けてアピールしたい事の内容は違っている。
だからお互いのホーム・ページを覗くことはあっても干渉する事はしていない。
ホーム・ページの作り方を教えてくれた人という意味で、我が娘は私の最良の先生であった。
その教えを受けたことは、私の目の前を一気に明るくし、展望が開けた。
「背負うた子に道を教えられる」というのはこのことであろう。
60年の人生の中で、人から教えを受けて、それで自分の人生観が変わるというような大きなインパクトを受けたのは、この我が娘の特訓のみである。
教育の効果というのは教えた時間でもなく、その内容でもなく、教えを受けた者が如何なる影響を受けたかが問題なのではないかと思う。
札幌農学校のクラーク先生の言葉から、吉田松蔭の塾生のあり方などを見ても、教育というものは教えた時間やその内容では測れないということがよくわかる。
何を得たかが教育の最大の効果であろう。
2002.・1・10

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