妻のつぶやき

一昨年の暮れ、小学校の同窓会があった。
私は中学から名古屋に通学したので、小学校の仲間とはこの時から別れた。
同級生は皆地元の中学に上がったが、私だけは違っていたので、殆ど50年ぶりの再会であった。
丁度、同窓会の前に自宅の物置を整理していたら、セピア色に変色した小学校時代の写真が出てきた。
それは小学6年の時、修学旅行で伊勢志摩国立公園に行った時のもので、鳥羽の二見が浦の夫婦岩の前でとった写真であった。
このときの写真を見ると、私だけがまだ夏服を着ている。
34、5人の生徒の中で、一人だけ服装が違っていたので、すぐに自分だという事が解る。
そして、そのセピア色に色あせ写真をコンピューターのスキャナーで取り込み、同じ大きさの写真に再生してみた。
キャビネ判という大きさにしてみたが、これが案外綺麗に出来て、それを当日の同窓会で皆に見せたら、そのころの写真を手元に持っている人が少なく、「是非、私達にも焼き増しして」という声が多かったものだから、後日それを希望者の数だけ作って、それぞれに手渡した。
それはそれでよかったが、その写真を家で妻に見せたら、「貴方は可哀相だったんだねえ!」とさも憐憫の情を込めてつぶやいた。
「どうして俺が可哀相なんだ!」と聞きかえすと、「修学旅行に服もきせてもらえない子は可哀相!、親の気が知れない」という。
そう言われてみれば、自分一人が霜降りの夏の制服を着ているのはどうにもおかしいが、そんなことは妻に言われるまで全く気にもしなかった。
考えてみれば、この修学旅行に行った時期というのは晩秋であった。
そして、私の生みの母親が病に伏せた挙句、薬石効なく天国に旅立ったのが、この修学旅行の前であった。
そういう事情で、私は夏服のままで修学旅行にいったようだ。
妻が言うには、「私なら、自分一人だけ違う服装ではとても修学旅行などに行かない」と言っていたが、私は服装に無頓着なのか、恥を知らないのか、そのどちらかであったのであろう。
そういえば、この年の夏に小学校の林間学校に行ったとき、同級生はみな海水パンツで写真に写っているが、私だけつなぎの水着であった。
今ならば女子生徒が着るようなもので、まるで明治時代か大正時代のファッションである。
今時のように個性が尊重される時代ならばともかく、あの50年も前に、一人だけ違う服装でよくも苛められずにいたものだと思う。
しかし、私にはこういう鈍感なところがあるので、案外苛められていたのかもしれないが、本人は苛められたと思っていなかったのかもしれない。
妻に言わせれば「一人だけこんな人と違う格好をしていれば、きっと苛められたに違いない」と心配してくれたが、当の本人は一向にそんなことを感じていなかったわけである。
服装が人と違うからと言って、それを恥じだと思う気持ちは毛頭なかった。
それが証拠に50年経っても、その事に全く気が付いていなかったではないか。
服装の事で引け目を感じたり、苛めにあったりという経験はなかったが、母親の病気では大いにコンプレックスを感じたものである。
私の母親は当時結核を患っていた。
結核という病気の呼称はまだ親切な表現である。
当時は肺病と呼ばれ、まさしく死の病であった。
そして2軒となりの産婆の息子は、私よりも3歳ぐらい年上であったが、これは明らかに我が家に対して苛めというか、あけすけに不快感を露にし、嫌っていた。
今、冷静に当時の事を振り返ってみると、子供が他所の子に苛めをするというのは、その子の親の所為だと思う。
親が他人に対してそういう行為をしたり言ったりすると、その子供は確実にその親の影響を受けて、親と同じ事をするように見える。
そういう事とは別に、母親の病気ではいささか恥ずかしい気持ちになっていた。
自分の母親の病気が恥ずかしいというのは、この病気は言うまでもなく伝染病で、他人に感染する性質のものであったからである。
この他人に迷惑を掛ける病気という意味で、その「他人に迷惑を掛ける」という部分に非常にコンプレックスを感じたものである。
自分自身が我慢すれば済むと言うものでもなく、自分さえじっと辛抱すれば他人には一切迷惑が掛からない、というものではないわけで、何時どういう形で他人に迷惑を掛けるか分からない、という部分に、非常にコンプレックスを感じ、人に迷惑を掛ける事を恐れ、身の細る思いをしたものである。
恥じる気持ちというのは、多分自分自身の中にあるもののように思う。
私の小学生の頃は、まだ朝鮮系の人の子弟が同級生として普通の仲間と同じように机を並べていた。
その中の一人が「家に遊びに来い」というので、遊びに行ってみると、我が家よりももっともっと貧乏のように見えた。
まさしく豚小屋のようなところで、その家族は生活を営んでいた。
家の上がり框に樽があり、その中には芋から作った水あめが入れてあったが、それを棒切れで掬って、舐めるようにと親切に勧めてくれた。
しかし、汚くて素直には食べれないような代物であったが、子供ながらに人の好意を無視してはいけないと思って舐めた。
その友達も一向に貧乏を恥じる様子はなく、堂々と振舞っていた。
その事を思うと、恥というのは自分自身の内側にある信条なわけで、他人は本人が恥ずかしいと思っているような事でも一向に気にしていないようだ。
それとは逆に、恥を知らないという事ほど恥ずかしい事もないと思う。
服装が人と違ったり、家が貧しい事は恥ではないが、金持ちが貧乏人の振りをする事は恥ずかしい事だと言わなければならない。
人間の織り成す社会というのは、大方の人の考えを集約した常識というものがあるわけで、常識を逸脱するということは大いに恥じと思わなければならない。
ところが問題は、この常識の幅である。
私が同級生の中で一人だけ違う服装をしていることが、妻からすれば常識から逸脱しているように見えたわけで、その意味で「可哀相に!」という憐憫のつぶやきとなったものと思う。
しかし、当時の我が家ではその常識に添えるだけの心と経済のゆとりがなっかたわけである。
親心としてはきっと不憫と思っていたに違いない。
2002/1/9

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