世にも馬鹿げた夢

札幌農学校のクラーク先生が、任期を終えて帰国するさいに、学生たちに残していった言葉で、「少年よ大志を抱け!」という言葉は、その後の日本人に大きな影響を与えた言葉だと思う。
しかし、私に限って言えば、こういう大志というものを考えた事も無かった。
「大志を抱け!」ということは「大きな夢を持て!」ということだと思う。
私よりももう少し上の世代の子供の夢といえば、恐らく大将だったり、大臣だったり、機関車の運転手になると言う事が、普通の子供の子供らしい子供の夢であったに違いない。
ところが戦後に小学校に上がった我々は、あまりそういうものにあこがれたという記憶はない。
子供心にも、終戦で夢も希望も失ったというわけでもなかろうが、子供の頃にそういう夢を語り合った記憶はない。
終戦による買出し人生と、病気と、貧困という三重苦の中で、私はとてもそういう子供らしい素朴な夢も持ち合わせてはいなかった。
そのことはある意味で、大将とか大臣というものがどういうものか自分自身が理解していなかったに違いない。
機関車の運転手というのは、現実の生活に根ざした至近距離にある職業であったので、まだ現実味があったが、大将とか大臣などというものは具体的なイメージが湧かず、思考の外にあったのかもしれない。
終戦で進駐軍がこの小牧の町に進駐して来たとき、小牧の飛行場を拡張するのに小牧山の土を掘って、それで飛行場の滑走路を埋め立てる工事を始めた。
そのために我が家の近くを一日中あの軍用トラックが行き交っていた。
青洟をたらした小学生の私は、弟の手を引いてそれを飽きずに眺めていたものである。
その時、進駐軍が使っていたトラックに、どういうものか自分でも理解しがたい憧れを抱いた。
敗戦国の貧乏な小学生は、GIにまじって、戦勝国の奴隷に成り下がったような同胞が運転するあの軍用トラックに無性に愛着を募らせていた。
この憧憬の気持ちは今でも説明がつかない。
色は最初の頃は恐らく陸軍の所管であったのであろうオード色が主であったが、空軍が主導権を握った辺りから空軍のネイビー・ブルーというか濃紺の塗装に変わった。
恐らく軍用車輌としての究極の合理的な美をそこに見出し、それにひきつけられたのかもしれない。
虚飾、無駄、無意味なもの、余分なものを一切排除し、機能のみを最大限に追及した物を運ぶための機械・トラックは、既にこの時点で、米軍では使い捨ての精神で作られていたに違いない。
使い捨てを前提として機能の塊になっていたものと思われる。
あの無骨な、合理主義一点張りで、運転席の屋根は幌のまま、ドアは無くて紐が一本有るだけ、それでいて1mぐらいの水も平気な水陸両用の軍用トラックが、日本の木炭車よりも性能面で格段にすぐれていたわけで、合理性を極限まで突き詰め、本来の荷物を運ぶという性能を極限まで引き出しているトラックというものに言い様のない魅力を感じたものだ。
当時の日本のトラック、木炭車というのは、確かに運転席は屋根付きでドアもきちんとついていたが、その性能たるや比較にならない。
煙だけ一人前に出して、いかにも働いている風に見えるが、その実、何一つ荷物の運べない代物であった。
この相違を子供ながら実感して、これでは戦争に負けても致し方ない、と思ったものである。
そして、あの進駐軍が乗り回していたジープという乗り物の合理性には、子供ながらに大いに感心したものである。
あのジープをオープンにして、体格の立派なGIが、白いヘルメットにMPとかいて、MPの腕章をはめ、腰には右側に大型の拳銃を下げ、左側には黒い警棒を携行して小牧の町を巡察している姿は、子供の私の目を釘つけにしたものである。
こういう日米の発想の違いというものを、子供ながらにも実感したものであるが、この当時の私自身の夢というのは、あの合理主義の塊のような軍用トラックを自分のものとして持ってみたいというものであった。
運転するだけならば、進駐軍の奴隷として、ついさっきまで鬼畜米英と言っていた我々の先輩諸氏がやっているのわけで、運転するだけでは納得できず、自分の所有物にしたいというのが子供の頃の夢であった。
成人に達して自分の車も何度か買い換えては来たが、未だにあの軍用トラックを自分のものにするという夢だけは実現していない。
恐らくこれから先の生涯においてもありえないことであろう。
今まで出された課題の中でもしばしば述べてきたが、家庭というものを持ってみると、家族を犠牲にしてまで自分の馬鹿げた夢を追い求めるということは出来ないわけで、ここに夢は夢で終わってしまうわけである。
クラーク先生が「少年よ大志を抱け!」と言った真意は、こういう低俗な夢のことを言ったわけではなかろうと思う。
考えてみれば、札幌農学校に集まった青年たちというのは、新渡戸稲造から内村鑑三等々、後の日本の本当の意味での知性であったわけで、そういう面々が集まっていたからこそ、クラーク先生はそういう若者に夢を持ち、夢の実現に努力せよ、という意味のはなむけの言葉であったに違いない。
ところがこちらは凡人なものだから、その持つべき夢も稚拙で、偏狭で、唯我独尊的で、何ら世のため人のためになるものではなかったわけである。
しかし、この世に生を受けた人間で、夢を持たずに生きてきた人というのもありえないのではないかと思う。
大なり小なり、この世に生を受けた人は、夢を追い、夢の実現に努力して生きていたに違いない。
私のように軍用トラックを持ちたいなどという馬鹿げた夢を持つ人は、この世に私以外にいないと思う。
まさしく「馬鹿は死ななきゃ治らない!」である。
2001/12/26

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