本との関わり

自分史 7

私と本の関わり方

20世紀に生きた人間で本と全く関わりを持たずに生きた人というのは殆どいないのではないかと思う。
私の場合でも、本との関わりは小学生時代からあるわけで、これは誰でも殆ど同じではなかったかと想像する。
あの頃、学年別の本があった。小学何年生という形で年代別に発行されていたように思うが、それが正月だかクリスマスだか定かに覚えていないが、朝起きると枕元にそれが置いてあったときは子供心に真から嬉しかったものである。
しかし、私はこの頃から少々天邪鬼で、内心少なからず不満に思った事がままあった。
私はそういう類の本には食指を動かさずに、もう少し高学年の「譚海」という本を読みたく思ったものだ。
ところがこの本はその後しばらくして店頭から見なくなってしまった。
少し小ぶりで、その分、厚くなっており、内容も少しばかり高尚であったように記憶している。
この本は私よりも上の世代は知っているが、私よりも下の世代では知る人はいないのではないかと思う。
今この「譚海」という言葉そのものが死滅してしまって、ありきたりの辞書には載っていない。
私自身も今の今までその言葉を詮索した事がなかったので、改めて広辞苑を引いてみると、「随筆。津村正恭著。天明・寛政頃の社会の見聞、世間話、噂話を集成」となっている。
終戦直後の時期に、子供相手の雑誌にこのような難しい題の本を出した発行元というのも偉いもんだと思うが、その意図はこういうところにあったにわけである。
とすると、子供心にそういうものに食指を動かした私も、如何にませていたのかということになる。
この頃貸し本屋と言うものが巷にはあった。今で云うところのレンタル・ビデオの漫画版である。
この貸し本屋というのはどういうわけか漫画を扱っていたが、いわゆる小説の類も置いてはいた。よく利用したものである。
そして、この貸し本の宅配便のような商売もあった。自転車の後ろの箱に本を入れ、契約した家に配達して、一週間毎に本を更新するという商売であった。これもよく利用したものである。
中学高校ともなればもう後は手当たり次第の濫読である。
しかし、人生のたそがれの時期に差し掛かってみると、若い時に読んだ本で記憶に残っているものといえば殆ど何もない。
綺麗さっぱり忘却のかなたに行ってしまって、内容を記憶しているものは何もない。
ただ「読んだ」という記憶だけがかすかに残っているだけで、内容は綺麗さっぱり忘れている。
内容は忘れたが読んだ記憶として印象に残っている事といえば、「野菊の如き君なりき」を読んだときは本当に涙なみだで読んだものである。
それとパール・バック女史の「大地」は、今でも中国というもの考える時に頭の中をよぎる。
今の東京都知事の石原慎太郎が「太陽の季節」と言う小説をデビューさせた時、新聞・雑誌はそれこそ「新しい時代の到来」などと大キャンペーンを張り、世の中の全部が不良でなければ人であらずの時代がくるかのような印象を受けたものであるが、読んでみたらたいしたことなかったように記憶している。
しかし、親に隠れて友達の間をまわし読みをしたもので、それから10年ぐらい経ったら、父がその小説を読んでいるのを見かけた。
何となく父を出し抜いたような気がして, 快い優越感を感じたものだが、父には10年前に読んだと言う事は黙っておいた。
昔、東京で生活していた時、まだ20代になったばかりの時であったが、東京と名古屋を往復するのに、「東海」という準急列車があった。
これの最終に乗ると朝方名古屋に着くわけで、その道中5時間ばかりの間に文庫本を3冊読み終えた事がある。
又、同じ時期に名古屋から悪童どもが連れ添って押しかけてきた時、その中の一人が本屋でエロ本を購入して、それにカバーを掛けさせたので、「勇気がある奴だ」と今でも仲間内で評判になっている。
その後妙な切っ掛けで自衛隊の試験を受けるはめになった。
友人が陸上自衛隊に入隊してジープで我が家に乗り付けたものだから、そのジープに乗ってみたさに、ジープに乗せるという交換条件のもとで試験を受けることを承諾した。
丁度その頃、推理小説に凝っていて、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズを読み漁っており、アガサ・クリステイーのポワロ・シリーズを読み漁っていた時であったので、「作文を書け」といわれた時、このホームズとポワロという二人の探偵の相違点をとうとうと書き連ねて、原稿用紙5,6枚書いたら試験官に「もう書かなくてもいい」と言われ、途中で止めた事があった。
がんで入院していた時も、この入院期間中は読書三昧に耽り、病院の図書室にあった本を手当たり次第読み漁ったものである。
私は生来我侭な性格で、本を読むについても、きちんとした姿勢という事が出来ないので、寝転がったり、腹ばいになったり、足を投げ出したりして気ままな格好で読んでいるものだから、読んだものが一向に頭の中に残らない。
世の中には「本の虫」という言葉があり、実際に四六時中本を離さず常に読書をしている人がいるが、読書の量が多ければそれだけ利口になるというものでもなさそうだ。
晩年そのことに気が付くと、もうあまり本を読まないように心がけている。
本というのは、買えば後で置き場に困り、それかといって可燃物で出すのも可愛そうで、最近はもっぱら図書館で借りる事にした。
図書館で借りた本ならば面白くない時にはそのまま返せばよい訳で、手元に置きたい本とわかれば、書店に頼めば良い。
それで結婚生活を始める頃には、金がなかったものだから本を買うことも出来ず、もっぱら図書館から借りてきて手当たり次第目に付く本は片っ端から読み漁ったものである。
その頃は小牧の住民であったので、もっぱら小牧の図書館で借りたが、あるとき自分の書棚を見ていたら、若い時には確かに読んだけれども、もう再び開く事がないだろうなあというような本を見て、今まで本を借りたお礼にこれを図書館に寄付してやろうと思い立った。
図書館に相談に行ったら受けてくれるということで、乗用車に一杯、図書館に寄付をしたことがあった。
ところがこれを今考えてみると、図書館もさぞ迷惑ではなかったかと、自責の念に駆られている。
我々程度がいくら貴重な本だと思い込んでいたとしても、それは多寡が知れているわけで、恐らく図書館の既存の在庫ともダブっていたに違いない。
自分では良い事をしたつもりでいたが、かえって迷惑をかけたのではないかと汗顔の至りである。

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