知識人への反駁

平成13年10月22日

平成13年10月22日の朝日新聞の9面、オピニオンのページに哲学者、鶴見俊輔氏の「テロとアメリカ」という題で、対話形式のコメントが載っていた。
鶴見俊輔といえば、戦後の反体制、反政府運動の旗手である。
60年安保からベトナム戦争反対の闘争の中で、多少ともこういう問題に感心を持った人間として、彼の名前を知らない人はいないだろうと思う。
彼は終始一貫して反政府、反体制であったわけで、戦後の日本のインテリゲンチャを代表する存在であった
私もいよいよ人生の終末を迎えようとしている身で、戦後の半世紀というものをゆっくり考えようとしているが、その中でも特に興味のある問題は、これら戦後の日本のインテリゲンチャの深層心理である。
何故彼らは自分の政府に反抗し、抵抗するのかという事を、自分なりに見極めたいと思っている。
言うまでもなく、日本の戦後というのは昭和20年8月15日から始まっているわけで、それ以前の日本というのは「鬼畜米英」「撃てし止まん」というわけで、アメリカというのはまさしく文字通りの敵国であった。
名実ともに敵国であったアメリカに占領されてみると、アメリカの占領政策というのは、かっての同胞が統治した政治、つまり軍国主義一辺倒の政治よりも数段と優れていたわけである。
あの戦争中の我々は自分達の政府に騙されていたわけである。
前線の敗北を転進という言葉で言いくるめられていたわけである。
いわば嘘ばかりを知らされていたわけである。
その意味では、我々は自分の同胞が信じられないという心境も判らなくはない。
しかし、そうは言うものの、自分達を騙した政府もやはり我々の同胞であったわけで、それも我々の国そのものが、一人一人の日本人の集合としての生き様であったわけで、それは統治する側の同胞の醜い姿であったわけである。
とは言うものの、その段階では、その事が我々の側の誰にも分からなかったわけで、騙される方も騙した方も、騙そうという気持ち,騙されていたという気持ちは毛頭なかったわけである。
それぞれの同胞が、それぞれの持ち場立場で自分の生業としての職務を一生懸命に励んでいたわけである。
それが結果として民族の同胞としての日本国民というものを騙した事になってしまったわけである。
それには価値観の転換というものが介在しているが故に、かっては大儀だと思って一生懸命精励した事が、歴史という時間を経過すると、同胞を騙したという事になってしまったのではなかろうか。
歴史という時間の経過というのは、価値観の転換をもたらしたわけで、昭和20年の時点で価値観の大転換が行われて、それ以降時間の経過と共にその新しい価値観が定着してくると、我々の先輩諸氏が一生懸命自分の職務に忠実たらんとした行為が結果として同胞を騙したという事になってしまったわけである。
価値観というものは時代と共に変わるものである。
この価値観の変遷を是とするか否とするかで物の見方が大きく変わると思う。
先の大戦中の我々の軍国主義というものは、今の価値観からすれば大間違いであったわけであるが、その時代においてはこの価値観に迎合しない事には生きておれなかったわけで、それを今日的な価値観から見て批判する事は出来ないと思う。
確かに、あの当時は日本全国津々浦々にいたるまで、日本民族は軍国主義一色であった。
心の中で自分は違う意見を持ち、少々可笑しいなあと思ったところで、それを人の前で言えば、自らが生きておれなかったわけである。
だから今日の朝日新聞も、当時は時の政府に迎合して政府の提灯持ちに徹し、戦意高揚に鋭意努力したわけである。
もしそうでなければ会社ごと潰されていたからに他ならない。
我々の先輩諸氏というのは、軍国主義でなければ生きておれなかったわけである。
こういう状況を、価値観が違ってしまった今日、正面から批判する事が正しい事であろうか。
「当時の体制に迎合した皆さんは間違っていた」という事は果たして言えるであろうか?
当時の若者は、当時の価値観に則って学徒出陣で出征し、学徒動員で勤労奉仕に応じ、工場に通ったわけで、こういう行為を「間違いだった」と言い切れるであろうか。
これはその当時の人々、つまり我が同胞が、当時の価値観に極めて積極的に応えようとしていたわけで、国家の大事に自分の国家に弓を引くような行為は考えられなかったわけである。
その意味では、今日的な視点で見れば、民主主義というものが死滅していたという事も言えるが、民主主義というものも一夜にして出来上がるものではなく、その出来上がりつつあった民主主義の芽を摘んでしまったのも他ならぬ我々の先輩諸氏であったわけである。
そして昭和20年を境にして、我々はアメリカ占領軍に民主主義というものを否応なく押し付けられてしまったわけで、このアメリカ流の自由を充分に謳歌したのが戦後の進歩的文化人と称する鶴見俊輔等に代表される人々である。
彼ら、戦後の民主主義の旗手としての知的文化人というのは、不思議な事に、アメリカに留学した経験を持っているわけで、我々、凡人からすると、アメリカに恩義はあっても恨みはないと思いがちであるが、彼らの思考というのはどういうものか、反アメリカであるところが不可解である。
夏目漱石がイギリスに留学して、イギリスを嫌いになったのと同じ現象が見える。
こういうも精神的な思考の変遷が日本民族の根源的なエネルギーになっているのかもしれない。
我々、日本民族というのは太平洋の東端に浮かぶ小さな島国で、古代より文化というのは大陸から流れ着いたわけで、外来文化の影響というのは太古からあったわけである。
中国の唐の時代には、我々の先祖の文化人というのは、猫も杓子も唐にあこがれたわけで、いわば戦後のアメリカン・ドリームと同じ状況であったわけである。
ところがそれが行き詰まると、今度は日本回帰現象が起き、中国の「唐なぞ何するものぞ」という雰囲気で、日本の文化の熟成が起きたわけである。
それと同じで、戦後アメリカに占領され、アメリカの思し召しで、アメリカ文化というものに接してみると、民族の根源のところで、アメリカ文化に融合する事が出来ない事を悟ったのが、これら戦後の進歩的文化人ではないかと思う。
戦後の日本の復興というのは、アメリカの力に寄与する部分がある、という事はなんびとも否定しきれないわけで、それ故に繊細な知的感覚に研ぎ澄まされた人々は素直にアメリカに迎合し、自分の潜在意識をアメリカに適合する事が出来ないのかもしれない。
あの文豪夏目漱石が、イギリス文化に迎合できなかったのと同様、戦後の日本の進歩的文化人というのも、日本を占領支配したアメリカの恩典をこうむり、アメリカ文化に接しえたけれども、心の底からアメリカに迎合する事が出来ず、口を開けばアメリカの悪口を言い、文を書けば同胞の政府の悪口を綴るのではないかと思う。
相手の悪口を言っても何ら処罰を受けない、という事はつとに恵まれた事といわなければならないが、自分がそういう中にどっぷりと身を置いてしまうと、その有り難さというのは感じなくなってしまうわけである。
それと同時に、そういう環境というのは、極めて民主的な環境に自分の身が置かれているということでもある。
戦前に我々の国が軍国主義に凝り固まってしまったのは、反対意見というものを封殺してしまったからで、反対意見というものを考えるゆとりというものがあれば、あのような奈落の道を転がり込む事はなかったに違いない。
だから、戦後の進歩的知識人の存在というのも、大いに民主主義の安寧という事には貢献しているわけである。
民主主義社会なればこそ、反対意見で以って飯が食えているわけである。
しかし、凡庸な人間から見ると、自分の祖国の悪口を言って糊塗を凌いでいる人間というものを好きになれないのも当然の事である。
単純な祖国愛からすれば、自分の国の恩典に預かりながら、何ゆえに自分の祖国を悪し様に言うのか理解しがたいところである。
世の中の人が全部同じ方向に向いてしまうというのは、明らかに民主的な社会ではない事は理解しえるが、それは政策決定の段階の事であって、思想的には、乃至は民族の潜在意識として、自分の祖国を否定するという事はあってはならない事だと思う。
アメリカで起きた同時多発テロに対して、アメリカの国民が一致団結する事は、主権国家の構成員の国民にとっては当然の事だと思う。
ああいう状況下で、テロに対する報復に異を唱える人は、あの事件に対してどういう処置で応じれば良いと考えているのであろう。
武力行使で応じてならないとすれば、他にどういう対応の仕方があるのであろう。
「テロの起きる元を断たなければならない」という事がまことしやかに言われているが、それは一体どう言う事を指しているのであろう。
日本の識者がアメリカの武力行使を非難しているが、テロの元を断つノウハウを示さずに、武力行使のみを糾弾するというのは、ある意味でこれほど無責任な発言もないと思う。
鶴見俊輔の言っているように、テロ行為というものはあってはならないが、そのあってはならないテロをする人間に対して、どういう説得方法があるのであろう。
それに対抗するのに武力行使をしてはならないというのであれば、他にどういう手法があるのであろう。
あの事件の犠牲者に対してどういう言い方をすればいいのであろうか?
その答えを出さずに、「話し合いで解決」だとか、「テロの元を断たなければならない」とか、口で言うことは簡単であるが、具体的には如何なる手法を提示できるのであろう。
これらの論調は、テロを憎むところまでは皆同じであるが、それに対処する手法ではアメリカ政府というか、ブッシュ大統領の取った措置に反対を唱えているわけである。
統治者の取る行動に反対意見を言う、ということは民主主義の基調ではあるが、それは往々にして無責任な発言となる。
アメリカ政府としても、またブッシュ大統領としても、趣味で戦争をしているわけではない。
武力行使という選択をするについては、嬉々としてそれに関わっているわけではない。
やはり、止むに止まれぬ危機感で以ってそれに対処しているわけで、戦争をすればアメリカ側の人命も損なわれるし、金もかかるし、誰一人嬉々として戦場に向かうわけではない。
一番戦場に行きたくないなのは前線に配属された兵士なわけで、アメリカ政府も、ブッシュ大統領も、そういう人々の気持ちを理解していないわけではない。
しかし、あのテロという行為には、誰かが何らかの措置を講じなければならないわけで、アメリカの武力行使を諌める前に、タリバンなり、オサマ・ビン・ラデインに裁きの場に出るよう説得する事が進歩的文化人の役目であり、それが既存の国家に対する使命でもあるわけで、ただただアメリカの武力行使を非難するだけでは、弱い犬の遠吠えと何ら変わるものではない。
ああいうテロ行為がなければ、アメリカは何もわざわざアフガニスタンまで行って戦端を開く必要はないわけである。
それと、あの事件に関する日本の報道では、日本人の犠牲者に関しては全く報道の量が少ないというのはどうした事であろう。
我々の同胞も、あのオサマ・ビン・ラデインのテロの犠牲になっているわけである。
確かに犠牲者の割合では6千人の中の30人程度だから小さいといえば小さいが、罪もない同胞が犠牲になっているという事をどうして我々は無視するのであろう。
戦後の日本の知識人というのは、戦争という言葉に異様に嫌悪感を露にするが、これは平和というものが念仏を唱えていれば向こうからやってくると思っている事の証左ではなかろうか?
こういう観念というのは、我々には特に顕著だと思う。
我々は太古より外界の影響下に生きてきたわけで、自ら率先して平和というものを自らの力で作り上げた経験がない。
明治維新で平和を築こうと思ったら、それが行過ぎてしまって、富国強兵を願うあまり、奈落の底に転がり落ちてしまったわけである。
あの時代には、富国強兵で国の軍事力を強くすれば平和を得られると思ったが、それが間違いだったと分かったのが戦後の平和主義の勃興だと思う。
我々は自分の考えで世界に出ようとすると、間違いを犯しがちなわけである。
それはある意味で、日本の常識は世界の非常識、世界の非常識が日本の常識になっているところに由来すると思う。
いわゆる何処まで行っても「井戸の中の蛙」の状況から脱する事が出来ず、地球規模のワールド・ワイドの視点から見ると、我が民族が自らの意思で世界に足がかりを得ることはありえないという事である。
そういう文言を世界に向けて発信すると、世界中から袋叩きに合うという事である。
それが日支事変から、日中戦争を経て、太平洋戦争となり、第2次世界大戦であったわけである。
考えてみれば、それも当然なことで、地球儀で日本を見てみれば、この小さな日本が世界に影響力を与え得るわけがない。
我々は外からの外圧に翻弄されながら生きるほかないわけである。
その中で、戦後という時期に、日本の知識人というのは、アメリカ占領軍の影響を骨の髄まで染み込ませたわけである。
これらの人々は、普通の凡人よりも神経が細かく繊細であったゆえに、人並み以上に敏感にそれを感じ、民主主義の真骨頂を極めたわけである。
ところが日本民族の歴史というものは、外来文化というものを日本流に昇華することが我々の生き様として根付いているものだから、アメリカ流のデモクラシーというものを、日本流の民主主義というものに位相の転換をしてしまったわけである。
アメリカン・デモクラシーには国家への大儀というものが21世紀に至っても残っているが、我々のジャパニーズ・デモクラシーには、自分の祖国を否定する事が美徳という価値観が生まれたわけである。
国家は国民に奉仕するだけの存在で、国民は権利として国家の恩典を受ける、というのがジャパ二ーズ・デモクラシーの基底に流れている。
戦後の日本の混乱期にアメリカにわたり、アメリカのデモクラシーに触れ、その空気を吸って来た人々が、しばらくすると嫌米感情に陥るというのも、彼らの神経があまりにも繊細すぎたからだと思うが、そのことが逆に日本の潜在意識としての我が民族の曖昧模糊としたものを浮き彫りにしてしまったに違いない。
我が民族の潜在意識というのは、言うまでもなく農耕民族として、その生産様式に根ざした村落共同体意識である。
そこには日本式の政治形態があり、長老政治が跋扈していたわけである。
この長老政治というのはどうしてもデモクラシーにとっては大きな矛盾を内在しているわけで、競合する部分もあるが、長老政治の合議制というのは話し合いという事に通じ、戦後の進歩的な知識人が最も好むフレーズであるが、これを近代的な多数決原理にすると少数意見というものを尊重せよという大矛盾と衝突するわけである。
この大矛盾を克服しようとして、話し合いをしようとすると、「談合だ」といって糾弾するわけで、ならばどうすればいいのかという事になると、結論はないわけである。
結論がないということは、事柄は一向に解決されず、問題を先延ばしにしているだけである。
そして「話し合いで解決せよ」と言っている者は、事が先延ばしになった事に対して何ら責任を感じていないわけで、それは当事者の問題だといって言葉を摩り替えるわけである。
政治家、特に国家を担っている側の政治家というのは、自分の国民に対して責任を感じているわけで、アメリカで起きたテロ事件に対して、アメリカ政府、アメリカ大統領が何もしないという事は、アメリカ国民に対して責任を放棄した事になるわけである。
普通の人間ならばそういうことはしえない。
「テロに対して報復をするな」という事は、言外に「何も対抗手段をとるな」ということで、アメリカ国民に対して、アメリカ政府とブッシュ大統領は責任を放棄せよ、と言っているに等しい。
「テロの元を断て」と言うことは具体的にどういうことを指しているのか不明なままで、奇麗事のみを並べ立てているに等しい。 実際にはどういう手法をとればいいのかわからないままの極めて無責任な発言で、もしそういう方法があるとすれば、テロそのものが存在しないものと思う。
テロという行為が先にあり、それによって罪もない人々が殺されたからこそ、報復措置として武力行使があるわけで、報復としての武力行使というものを認めないのならば、先にテロを止めさせる手法を提示してしかるべきである。
それが解らないから人々は苦悶しているわけで、「戦争をするな」「戦争に行くな」「武力行使は事の解決にならない」という事は誰でもわかっている。
ならば、あの犠牲者には「君達は運が悪かったからあきらめてくれ」とでも言っておけばいいのかと言いたい。
あの事件に関してアメリカ政府とブッシュ大統領というのは当事者であるわけで、被害を受けた当事者に対して、「泣き寝入りをしなさい」ということは、非常に無責任かつ無慈悲な発想だと思う。
アメリカで2001年の9月11日に同時多発テロ事件が起きたとき、アメリカ国民はこぞってタリバン勢力に対して報復攻撃をする事を容認したわけである。
その後しばらくして冷静になってくると、アメリカ国内にいるイスラム教徒の存在を気にしだして、その直情的な動向にもいささか熟慮の気運が盛り上げって来た様子であるが、基本的にはテロの悪循環を断ち切るためにも武力行使は仕方がないという論調である。
ところが対岸の日本においては、進歩的文化人と称する人々が、同胞に犠牲者がいるにも関わらず、アメリカ政府とブッシュ大統領に同情のコミットメントをしようとする我が政府に対して、冷ややかな主張を繰り返しているわけである。
戦後の日本的風土の中で、戦争の是非をデイベートした場合、戦争を肯定する側は非常に不利になるわけである。
戦後の我々の価値観では、戦争は「悪である」という認識が一般化しているわけで、これが「錦の御旗」になってしまっているわけで、戦争も致し方ないという意見は、整合性を持たないわけである。
誰でも戦争を好むものはいないわけで、それでも尚且つせざるを得ない状況というものがある、という事を全く理解しようとしないわけである。
世の中には戦争でしか解決の仕様のない問題もある、という事を理解しようとしないわけである。
戦争によらずに解決できれば、これほど目出度い事もないわけであるが、戦後の日本の文化人というのは、物事は全て話し合いで解決する事が可能であると思い違いをしている。
湾岸戦争の直前、イラクのサダム・フセインに国連総長が出向いても、日本社会党の土井たか子が出向いても、一向に埒があかず、アメリカ軍が武力行使をして初めてイラク軍というのはクエートから撤退したわけで、あの時アメリカ軍が出撃しなければイラクというのはクエートに居座ってしまっていたではないか。
イラクがクエートに居座ったところで、クエートの人々を皆殺しにするわけではないので、「我慢しなさい」というのが戦後の日本の進歩的文化人の言っていることである。
それではクエートの人々の民族の誇りは一体どうなるのかと言う事には、何ら答えた事にはならない。
アメリカのテロ事件と同じで、テロは忌むべき事であるが、報復する事は再びテロの再発を招くから「泣き寝入りに徹しよ」という事である。
こんな馬鹿な話もないわけで、こういう識者というのは、自分が当事者ではないので、外野席から無責任な野次を飛ばしているという構図である。
政治というのは国民の至福を追及するもののはずである。
ところがこの場合、国民の至福というものが各人各様で、人それぞれに国家に期待するものが違っているわけである。
アメリカの国民は、ああいうテロに対しては断固戦わねば再びテロの再発を招くと、断固戦う事がアメリカ国民の至福につながると思っているわけである。
ところが戦後の日本の知識人にとって、国家に期待する国民の至福というのは、強権的な国家に奴隷のように隷属しても、戦争で命を落とすよりはまだましだという発想で、これこそ乞食の発想である。
自分の命を永える為には奴隷に身を落としてかまわないというものである。
奴隷に身を落としても尚自分の同胞の統治する国家には属したくないというものである。
税金も納めたくないが、関与もしてもらいたくないというものである。
ロビンソン・クルーソウーのように、離れ小島で、誰にも干渉ざれず、ユートピアを築きたいというものであるが、これが如何に非現実的な夢物語かという事に気が付いていない。

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