071214002

今日の日ソ関係

 

今日の日ソ関係

 

ソ連のゴルバチョフ大統領が平成3年4月16日、日本にやって来るということで、海部総理大臣は急遽アメリカに飛んで、ブッシュ大統領と会談した。

始めはブッシュ大統領の来日の方が先になっていたものが、湾岸戦争の後始末で、延びてしまって、それで海部総理大臣の訪米が先になってしまった。

ゴルバチョフ大統領が訪日するとなれば、当然北方4島の返還の話も出るに違いない。

それで両方が牽制している。

しかし、最近のソ連の国内状況を見ると、ソビエット連邦そのものに相当がたが来ている。連邦制のタガがゆるんでしまっている。

このままではペレストロイカの先行きも危ない。ペレストロイカという言葉はよく聞くが、私はただ民主化運動とばかり思い込んでいたが、実際は経済改革の意味があった。

要するに今まで共産党の一党独裁による、計画経済から脱却して、市場メカニズムを導入して、市場経済に移行しようとする運動であった訳だ。

1987年ゴルバチョフが当時の書記長になった時点で、打ち出された基本政策であったが、計画経済を市場経済に移行させるためには、必然的に行政の民主化を行なわなければならない。

この民主化のみが先行してしまって、バルト3国においては、一種の民族独立運動になってしまっている。

このバルト3国、リトニヤ、エストニヤ、ラトビヤはもともとソ連邦に入る時点から無理があった。

例のスタ−リンが一種の恐喝にも似た外交で、無理遣りソ連に併合してしまったところであるので、ペレストロイカの民主化の波とともに真っ先に独立運動が起きてきた。

ソ連の共産党というのは一体何であったのかという素朴な疑問が起きる。

バルト3国の併合においても、ソ連共産党とバルト3国内の共産党が結託して、これらの国をソ連邦に率いれたと見るべきで、ソ連においては建前としては共産党でない人も居るわけであるが、党がイコ−ル国家となってしまっている。

この時代が半世紀以上続いたわけであるが、ペレストロイカとともにやってきた民主化の波によって、ようやくソ連の国民も共産党から開放される自由がやってきた。

民主化の波があまりにも急激であったため、中央の方にその対応の準備ができていない。

ソ連は15の共和国で成り立っている。

その一つ一つの共和国がそれぞれ主権を主張しだした。

これは取りもなおさず共産党のタガがゆるんできた事に外ならない。

この共和国が主権を主張し、ソビエット連邦より独立するということは、どうも我々の理解の枠を越えている。

バルト3国が独立し、ソ連邦最大のロシヤ共和国が独立し、その他の共和国も勝手に独立してくるとなると、アメリカにしろ、日本にしろ、ソ連と外交問題を語ろうと思ったとき、誰と話しをすればいいのか、という素朴な疑問が起きてくる。

海部総理大臣が、ゴルバチョフ大統領と北方領土の話をしたところで、ゴルバチョフがソ連に帰った後も、その効力が生きているのかどうかが疑問である。

北方4島は形の上ではロシヤ共和国の所管になっているようであるが、ゴルバチョフが返すといっても、ロシヤ共和国のエリツインが返さないといえば空証文になってしまう。

だいたいソ連に大統領が居て、ロシヤ共和国にも大統領が居るなんてことがおかしい。

我々にとって理解しがたいことである。

こと程左様に各共和国が主権を主張して、独立を主張し、共和国独自の軍隊をもつ等ということは全く理解しがたい事である。

その上、共和国同志で連合して協力し合おうという事態に至っては、一体どうなっているんだということになる。

こんな状態ではブッシュ大統領にしろ、海部総理大臣にしろ、誰を相手に話をしていいのか分からないのではないかと思う。

ゴルバチョフの意志が国家組織の末端まで行き渡らないということは、既にソ連は国家としての体をなしていないのではないかと思う。

そして、その反動として保守派が台頭している。

ソ連の保守派と言えばやばりの共産党員ということになり、それらの巻き返しとなれば当然ぺレストロイカを否定し、再び国家の統制経済、計画経済に戻るということである。

我々のような門外漢が率直に言えば、ソ連は一体何をやっているのかさっぱり分からないということである。

ソ連の経済は二つある。

一つは正統的な国家管理の統制経済、もう一つは闇の経済である。

昨今のソ連では食料品が不足しているということがよくニュ−スのネタになっているが、あれは国家の統制経済の方の話で、闇経済の方は順調とまではいかなくてもある程度効率的に動いているということである。

統制経済がうまくいかないのはソ連ばかりでなく、生活必需品を統制すれば闇がはびこるのは、洋の東西を問わず同じである。

これは日本も戦後同じ事を経験しているし、アメリカでも禁酒法や、麻薬において同じ事が起きている。

人の欲しがるものを統制すれば、ブラック・マ−ケットがはびこるのは当然である。

人間は倫理だけでは生きていけないことに、ソ連の首脳者は気が付くのが遅かった。

よって、国内的には統制経済がパンクしているにもかかわらず、ブラック・マ−ケットがあるため、食料品を2倍から3倍近く値上げしても、革命も起きずに済んでいるのである。

ということはソ連の国民の大部分が政府のやることを信じていないということである。

こうした大きなうねりが民族独立運動にも跳ね返っているいるわけである。

よってペレストロイカも、このブラック・マ−ケットに直接介入すればスム−スにいくに違いないが、あくまで建前にこだわっているのでなかなか思う様にいかない。   

ソ連という国は共産革命によっていきなり素人が政治をするようになった。

ロシヤの貴族はさぞ贅沢な生活をしていたことと思うが、政治ということにかけては少なことも、共産党の労働者よりは優れていたと見るべきである。

それが共産革命により貴族を追い出し、政治的には素人の共産党員が政治に関与してきたので、最初の頃、共産党員が政治を握っていた間は暗黒であったに違いない。

スタ−リンの政治なんて物は、アメリカ映画に出てくるギャングやマフィアと同じである。ゴッド・ファ−ザ−である。

これらと全くといっていいほど軌を一つにしている。

バルト3国の併合にしろ、ヤルタ協定による対日参戦、北方4島の問題など、政治家というよりもマフイアのやることである。

このスタ−リンがマフイアのドンであることを見抜けなかったル−ズベルトとチャ−チルの見識が、世界中にとって不幸の始まりであった。

 

共産党の政治家

 

ソ連内においては、共産党員から政治家になったとは言うものの、もともと教養も知性もないもので私利私欲を肥やす者が後を絶たない。

ソ連にはドル・ショップといって、共産党員の高級幹部だけしか利用できない店というのがあると以前から知らされていた。

なぜこんなドル・ショップが存在し得たのだろうか。

これはとりもなおさず共産党員が自分達さえ良ければそれでいいという発想である。

権力、権威の乱用に他ならない。

この矛盾にソ連の一般の国民が黙っていることが不思議である。

それも無理からぬ事である。

下手をすればすぐ密告である。私達からすれば全く暗黒政治である。

スタ−リンも自国民、自分の部下を何人、何百人という単位で殺している。

スタ−リンというマフィアのドンは政敵乃至は自分に対抗する者を暗殺する必要はない。堂々と罪名をつけて抹殺すればすむことで、秘密裏に暗殺する必要はなかったわけだ。

何となれば自分が権力の頂点に居るのだから。

それでも一般国民が黙っていたのは彼らが無知であったからである。

共産主義というものも理解できず、牛や馬のように扱われていたが、共産革命によって少しは良くなるだろうと期待していたにもかかわれず同じような処遇である。

搾取する側が貴族から共産党に変わっただけで、搾取される側の立場は少しも変わらなかった。

しかし、そうした中でも生活はしなければならない。

統制経済で無いものは無いでは済まされない。

人間の知恵でブラック・マ−ケットが自然発生的に出来上がる。

一般大衆はブラック・マ−ケットに依存し、党員は党員で昔の貴族と同じような不労所得で栄華を楽しんでいるわけである。

その付けが1990年代になってやってきたわけであるが、共産党の力がゆるんだソ連邦は一体何処に行くのだろうか。

対外的な責任は一体誰が負うのだろうか、それがはっきりしないことには話し合いのテ−ブルに着けないのではないかと思う。

 

ソ連の対日政策

 

日本人がソ連を語る場合、ヤルタ・ポツダム体制というものを抜きに語るべきで無い。

終戦の時点においては日ソ不可侵条約というのはまだ生きていた。

もっとも、ソ連が一方的に破棄したので生きていたとは言えないかもしれないが、一方的に破棄すること自体が日本に対する裏切り行為である。

なおかつ、日本人の60万人という人間を不法に監禁し、彼らを使役に使った。

このことはヤルタ・ポツダム条約の主旨に反しているとともに、国際的な不法行為である。

日本はこちらからソ連に対しては戦闘行為をしていないにもかかわらず、ソ連は60万人という多量の抑留者を強制労働に使っている。

抑留者の中で生きて返った人はもっとそのことを怒るべきである。

それでなければ死んだ同胞に対して申し訳ないでなないか。

ソ連は日本から60万人、ドイツから300万人という多量の強制労働を行なわせているのである。

ドイツに対しては敵対国であったので致し方ない面も有るかもしれないが、日本に対しては交戦国ではなかったはずである。

又、北方領土の問題においても確かにヤルタ協定で樺太、サハリンの件は記載されているが、他の4島についてはソ連サイドの勝手な拡大解釈で占領しているわけである。

こうした信義にも劣るようなことをスタ−リンという政治家はやっている訳である。

日露戦争の怨念とも言えないことはないが、ソ連は信用がおけないということを、我々日本人は肝に命じて忘れるべきでない。

ゴルバチョフが日本に来たいのは日本の経済援助を引き出したいためということは火を見るより明らかである。

当然、シベリヤの開発もテ−ブルに昇るであろうが、その時は満鉄の決済を済ませてからテ−ブルに着くべきである。

満鉄のアジア号も日本が作り、日本が走らせたということを思い出すべきである。

我々の先輩もスケ−ルの大きな事をしたものである。

中国は日本人が中国に進駐中に悪いことをしたといっているが、あれは交戦国同志である。こちらがやらなければ反対にやられる。戦争とは酷いものである。

中国も日本に対しては其の事を声高に叫んでいるが、自国民同志の内乱は反省しなくていいのだろうか?

中国赤軍も戦争状態である以上、綺麗事ばかりやっていられなかったと思うが、相手が日本だと見縊って来る。

中国も日本が経済力で世界に伸し上がってきたので、この辺で一本釘を刺しておかなければと思って、日中戦争当時の残虐行為をほじ繰り返しているとしか受け取れない。

残虐な行為を行なう人は何処の国の人だろうと擁護する気はないが、如何せん交戦国同志であるので致し方ない面が有るということも、認めなければならない。

中国の言い分によれば、アメリカ空軍の東京空襲、名古屋空襲、広島、長崎の原爆の投下はどう言えばいいのか。

中国は日本の残虐行為を許すと、恩きせがましく言っているが、日本人にとって広島、長崎の原爆でアメリカを許せるかといえば、許せないに決まっている。

しかし、それは戦争中の戦闘行為である。

負けてしまえば致し方ない。

その代わり日本人は戦後死に物狂いで経済発展に努めたことは世界の万人が認めるところである。

中国にしろ、ソ連にしろ、日本と同じように死に物狂いで経済復興に努めるという熱意が国民の側に欠けている。

その前に共産党という組織の問題がある。

党の幹部が私利私欲を肥やすという発想、これは人間の根源的な欲望である。

誰でもが持っている本質的な欲望である。

この本質的な欲望に共産主義というベ−ルのようなネットを被せてしまったので、一見平等の様に見えるが中身の暗いところで欲望が渦巻いている。

共産主義は階級社会である、封建主義時代には貴族、地主、農奴という階級であったものが、共産党の中に上級、中級、下級、その他という階級に入れ替わっただけで、上ほど権力を持っていた、この権力を持った者が低俗な人物の場合、現在のソ連ないしは中国となったといえる。

資本主義社会ではこのベ−ルが無いので、人間は自分のおもむくまま欲望を満たすことができた。

いいものを食べたい人、車の欲しい者、家の欲しい者、それらが自分の能力に応じて、能力の範囲以内で欲望を満たすことを追求する自由があった。

ところが共産主義の社会では個人の欲望よりも国家の欲望が優先されているため、人々はいつもフラストレ−ションを抱えている。

党幹部はけちな私利私欲を肥やすことに奔走することになる。

国家の利益、全体の利益といいながら、私利私欲に走っているわけである。

だから農作物が豊作でも、モスクワ市民には食料が無いのである。

しかし、この食料もブラック・マ−ケットには有るということで、いっその事、統制経済というのを止めてしまって、ブラック・マ−ケット一本にすれば、それこそペレストロイカも完成するというものである。

 

ソ連社会の実態

 

ソビエット共産主義の基にあるマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」は、プロレタリア−トとブルジョアがテ−マになっている。

だからソ連の初期の計画は全て工業化に対するものであった。

ところがやはり社会というものは工業だけでは成り立たない、当然、プロレタリア−トに食料を送る農業というのも大きなテ−マになった。

それでソルホ−ズとコルホ−ズが出来た訳であるが、共産革命の初期においては党の幹部は農民に土地を分け与えると言って、日本の太閤検地のような事をして農民を扇動し、貴族、地主を追い出し、共産党に協力するよう呼び掛けた。

しかし、蓋を開けたその実態は、農民にとってみれば地主が共産党に変わっただけで、生活は少しも良くならないし、かえってノルマは重くなるしで、良いことなしである。

そこに持って来て、ソルホ−ズにしろ、コルホ−ズにしろ、集団農場である。

やってもやらなくても食物だけは与えられるとなれば、勤労意欲は誰もが失うに違いない。同じ事は工業でも言えていると思う。

やってもやらなくても賃金が同じなら、誰も一生懸命働かない。

共産主義の言っていることは理想には違いない。現実と掛け離れたユ−トピアである。

しかし、人間は獏ではないので夢を食べては生きていけない。

現実の問題となるとがんじがらめの社会的規制の中で少しでも得をしようという欲望にさいなまれる。

高級幹部はそれなりに、また下の方は下の方でそれなりに生活の知恵のようなものが働いている事と思う。

それと忘れてはいけないのはソ連全体の国防費である。

ソ連の国防費と軍人の数の正確な数字は知る由もないが、ただでさえGNPが良くないところにもってきて、この国防に要している金は相当なものと想像する。

国防費というのはソ連ばかりでなくアメリカにとっても国民の生活を圧迫する要因になっている。

ソ連、アメリカばかりでなく地球上に存在する159の主権国家の内、軍隊を持っている全ての国に共通する悩みである。

国が小さければ小さい国防費で済むが、ソ連のような大きな国においては国防費も国の大きさに応じて大きくなるのは当然である。

しかも、今までは冷戦の為ソ連サイドから見た仮想敵国アメリカに対抗して、アメリカと互角の国防費となればソ連のGNPの中で突出するのも致し方ない。

その上、地球上の反共産主義国からはココム規制で、優秀な機械や、コンピュ−タ−といったものは入手することが出来ないとなると、その分、数でこなすか、労働力でカバ−しなければならない。

どうしても民製品の生産を圧迫せざるをえない。

軍事専門家でないので詳しくは分からないが、同じ規模の兵器ならどうもアメリカより技術的に劣っている気がする。

ミグ25が函館に着陸した際にも言われたことであるが、技術的にはアメリカより一歩リ−ドされているにもかかわらず、人工衛星や宇宙技術ではソ連のやっている事の方がスケ−ルが大きく、雄大な規模になっているというのは一体どういうことなのであろうか。

モスクワの国営商店には肉やパンが不足しているのに、大きな宇宙実験は着々と進行している。

有人人工衛星を1年間も飛ばし、その間を行ったり来たりしている。

TBSの秋元記者を人工衛星に連れていったりして、宇宙ビジネスに一生懸命になっている。その技術と、肉やパンの作ることに技術の格差というよりも、技術に対する考え方があまりにもひどすぎるような気がする。

宇宙に人工衛星を上げるシステム工学があって、それを民生品や農産物の生産や、流通業界に対してもシステムとして考える手法を応用すればよさそうなものなのに、それが出来ていない。

国防とか宇宙開発というのはシステムとして考えないことにはプロジェクトが成り立たない。これはアメリカにしろ、ソ連にしろ、日本にしろ同様なことである。

日本においては軍用システムを民間が応用したわけではなく、民間は独自に自然発生的に生産システム、流通システムというものを確立していったのであって、むしろ軍、自衛隊の方が遅れている。

ソ連においても社会のシステム化が遅れている。

このことは国民の知的レベルが均一化されていないといえるかもしれない。

知能、特に群としての、国民としての、国家としてのト−タルとしての知能が、或るレベル以上でないと有機的に機能しない面がある。

100人の人間のうち2、3の者だけが突出して優れた人間で後は文盲の国よりも、100人の人間の内、全体が文盲でなく或る程度の知的水準を持っている国の方がダイナミックスに富んでいる。

前者は優秀な独裁者が君臨すれば或る程度は社会の秩序を維持できるが、民主国家では後者のように国民の全体が或るレベル以上に知的であったほうが、安定した社会が出来上がる。そういう視点から眺めると、ソ連は国民全体の知的レベルがかなり低いのではないかと思う。あれだけの広い国土で多民族国家の集合体を全部均一の知的レベルに引き上げようというのは不可能に近いことかもしれないが、国土は広く、人口密度は疎らで、学校教育そのものがうまく機能しないこともあり得る。

日本のように狭い国土に人口が密集しているのとは違って、日本とは違った事情があるので同一には論じれないが、しかし、我々の素朴な感じでは、片一方でソユ−ズを上げながらどうして肉やパンが国営商店にないのかという疑問が起こる。

民主主義の国なら当の昔に「ソユ−ズよりパンを」という声のデモが起きていることと思う。ここが共産主義国家の限界かもしれない。

 

社会のダイナミックス

 

地球上に人間が誕生した最初の頃は木の実を採ったり、魚を採ったり、狩猟生活から始まって、その後、人々は1か所に集まって農耕をするようになった。

その農耕生活のなかで次第次第に力を持ってきて大地主、荘園というものが生まれ、ここで労働をしなくて搾取する者と、搾取される側の二極対立が生まれてきた。

領主と臣民、地主と小作、呼び方は色々あるが一言で言えば封建主義社会である。

ソ連や中国以外の国ではこの封建主義社会が崩れた後、資本主義社会というものに移行した。資本主義社会に移行する過程には色々な紆余曲折があった。

重商主義、植民地主義、帝国主義という段階を経て今日に至っている。

しかし、ソ連と中国は封建主義社会からいきなり共産主義社会になってしまって、共産主義の鉄の枠があまりのも強かった為、他の国が経験したような試行錯誤をすることなく今日に至ってしまった。と考えていいと思う。

よって社会が硬直してしまっている。

人々は自分の欲望を満たすことを忘れ、ただ怠惰に流れ、けちな闇行為に走っている。

資本主義社会では人々は自分の欲望をおおぴらに追求できるので、社会がダイナミックである。

社会のダイナミックスというものは、そのまま国家の活力に通ずるものである。

日本は敗戦というきっかけで旧い植民地主義、帝国主義から決別して以来というもの、国民の全部が個人の欲望の追求に走ったわけである。

そのことが経済成長につながり、高度経済成長を生み、GNP世界第2位になってしまった。

GNPが世界第2位になったことは、国防費が0に近かったということもあるが、それが全てではない。

日本の国防費などはGNPの1%で来たわけであって、有っても無くてもGNPにはたいした影響はない。

その代わり残っているのは平和ボケという、主権の放棄に近い、国民感情である。

その代償としてパンも肉も車も市場にはあふれている。

ソ連人ならずとも日本は素晴らしい。

ソ連では封建主義からいきなり共産主義になってしまった。

大地主と小作という図式が、大地主が無くなった代わりに、共産党と労働者という図式に変わってしまった。

共産党といっても人の子、人間のやる事は共産主義でも資本主義でも同じである。

共産党のなかでも私利私欲を肥やす者、権力闘争に明け暮れる者、権威を振りかざす者、邪魔者を抹殺する者、全て資本主義社会の出来事と同じ事が起きているわけである。

ただ違っていたことは、共産党という鉄の枠、乃至は組織があまりにも強く、為政者が「裸の王様」になっていたことである。

民主的といいつつ独裁政治を行なってきたことである。

民主的と称しながら粛正をして反対意見、違った物の見方というものを許さなかった点である。

独裁者に有りがちな「裸の王様」であったところが、共産主義政治の最大の欠点であった。共産主義社会だって、それを構成しているのが人間である以上、その人間のやることは資本主義社会の人間のやることと同じである。

権謀術策、これは共産主義社会であろうと資本主義社会であろうと同じである。

ソ連の国民にとってまず食べることが先決である。

我々はまず自分の欲望を満たすことが先決である。

共産党幹部はソ連の国民を食わすという責任を負っていない。

その責任から逃れようとしている。

日本の官僚が問題に立ち向かうよりも逃げようとするのと同じである。

ソ連という国は全員が国家公務員と考えていい。

国営商店の売り子も国家公務員である、その客も国家公務員である。

その客が困ろうと自分とは関係ないと考えている。

社会のあらゆる段階でこうした考え方がはびこっているとすれば現在起こっていることは当然の帰結である。

これがドル・ショップ、要するに外貨の店、外貨の店が公認されているところが面白い。

ここでは資本主義社会と同じように物は豊富にある。

国営商店にいくベき物がこちらに流れている事は明らかである。

経済が二重構造になっている。

 

日ソ外交

 

平成3年4月16日 ゴルビ−が日本にやってくる。

ソ連の大統領ゴルバチョフが日本にやってくる。

そのため、昨今のマスコミはゴルビ−一色である。

ゴルバチョフをゴルビ−と呼ぶと何となくアメリカ的で親しみがもてるような感じがするので不思議だ。

ソ連の要人というのはどうも愛称では呼びにくい面があった。 

スタ−リンなんて愛称が似合わない。

その点ゴルバチョフが西側陣営で親しまれているせいかと思う。

平成3年4月14日の中日新聞は色刷りの大判で北方領土の問題を取り上げていたが、その中に簡単な年表が有って、1644年保元元年から1990年平成2年までの簡単な出来事が記されていたが、その中に日ソ不可侵条約の項が抜けていた。

マスコミは意図的にこの条項の事を無視しているが、日ソ関係を論ずる時にこの条約を抜きに語ってはならないと思う。

これはれっきとした国際条約である。

ヤルタ協定とか、サンフランシスコ平和条約はお互いに当事国が欠けた条約であったが。この条約に限っては日ソの当事国同志が固く結びあった条約である。

条約が一方的に破棄されたということは、世界史ではまま有ることであるが、日本サイドにとっては、世界に掃いて捨てるほど有るからといって、ソ連に対してそのまま容認する必要はない。

主張すべきは主張すべきである。

日本のマスコミは昔も今もソ連には弱い面がある。ソ連の悪口は言いたがらない。

日本の悪口とアメリカの悪口は平気で言うけれども、ソ連に対しては実に遠慮深く気を使っている。

ポ−ランドのヤルゼフスキ−が裸の王様であったのと同様、ソ連については臭いところに目をつぶり、真実を暴こうとしない。

数年前、「カチンの森」、でポ−ランドの将校の大量殺戮が暴かれたときも、その報道は実に控えめであった。

北方4島の問題も日ソ不可侵条約を抜きに語るべきでない。

考えてみればソ連にとっては日本など眼中にないのではないかと思う。

これは昔も今も変わっていない。

昔は昔でロシヤ帝国にしてみればシベリヤよりも、もっと最果ての地などまるで関心が無かったに違いない。

その証拠にアラスカを金でアメリカに売ったではないか。

開発に金を掛ける気も無かったに違いない。

だから囚人を使って開拓する以外に道が無かったわけである。

日本の土地であろうと、ロシヤの土地であろうとどっちでも良かったほどである。

しかしだからと言ってみすみす日本にくれてやるのも馬鹿らしいので、一応は主権を主張しておく程度の値打ちしか無かったはずである。

日本においてもこれはロシヤと同じ条件であったに違いない。

しかし、これもロシヤと同じようなもので、みすみす相手の領土にするのも馬鹿らしいので、その帰属をはっきりさせておきたいだけである。

それが今ではソ連も基地を配備してしまったので、ソ連側としては簡単に手放せなくなってしまった。

日本としても本当に帰ってきたら自衛隊を配備しなければならないと思う。

今ではソ連も手放したくないのは山々だけれど、日本の経済援助を引き出すためにはこんな島の一つや二つ交換しても仕方ないと思っているかもしれない。

しかし、目下の所、ソ連の内部の政治ががたがたになってしまったので、ソ連邦大統領の力が何処まで及ぶか定かでない。

ロシヤの大統領のエリツインは4島の返還に反対の意見だという。

こんなことは当然なことである。ゴルバチョフとエリツインでは立場が違う。

ゴルバチョウフはソ連邦全体のことを考えなければならないが、エリツインはロシヤ共和国の利益のみを考えなければならない。

その目指すところは似ているようで利害が反している。

50年前の日本は実に雄大なスケ−ルの事を考えていたものだ。

満蒙開拓からシベリヤ開発まで、全て考えていたとなると実に雄大なスケ−ルで将来を夢見ていたことになる。

シベリヤ乃至は千島列島に日本人が住み着く前にはコロボックルやアイヌ人が生活していたわけで、その土地を開発したのは全部日本人である。

その上にロシヤ人が日本人が作ったものを利用している。

50年前、太平洋戦争の時代というのは世界全部が帝国主義に浸っていた時代である。

イギリス、フランス、ドイツなど世界の国々はそれぞれ植民地を持って、植民地経営を行なっていたわけである。

ロシヤのみは海に面していなかったので自国以外に植民地というものを持ち得なかった。

その代わり、共産主義革命により自国の周囲の独立国を自国の属国としてしまった。

日本の進歩的知識人は帝国主義は「悪」で、共産主義は「善」とする図式で物を見がちであるが、その優劣は簡単に比較できるものではない。

日本も明治維新により富国強兵を図り、西洋の列強に引けを取らない強国になるにはなった。しかし、如何せん重商主義的資本主義の経験が浅く、植民地経営や、帝国主義的政策のやり方が下手であった。

「下手であった」という言い方も本当は少し妙である。

これは日本人の知識層、左翼系の人々が言っているだけで、ヨ−ロッパや外国の方から眺めてみれば、案外そういう見方はされていないのかもしれない。

日本も案外上手に植民地経営をしていたと見られていたのかもしれない。

北方4島ではないが、サハリン、昔の樺太の間岡の郵便局の電話交換手がソ連の入って来る直前まで電話交換業務をしていて、ソ連人が入って来たときに青酸カリを飲んで自殺したという話がある。

日本の植民地政策、帝国主義的植民地経営も、ソ連の60万人にも昇る抑留者を使って国土開発するのと比較すれば、よほど可愛いものであり、スマ−トであり、人道的である。

その点を日本の知識人はもう一度歴史的事実を調べるべきである。

日本が満州国を作ったという事実も、ソ連がバルト3国を併合したことに比較すれば、よほど人道的、なおかつ平和的であった。

ヨ−ロッパ諸国の植民地経営というものは、地元の原住民を上から支配するやり方であるのに比べれば、日本人は原住民を日本人と同化しようとするものである。

その方法に多少無理があったことは認めざるを得ないが、上から支配するというのに比べるとよほど人道的であると思う。

ただ被植民地人、原住民の側から見れば迷惑であったかもしれないが、これは差別を小さくしようとした手段の一つであって、もし仮に植民地が長く続いたとしたら、日本人と同等に扱おうという構想の元で行なわれた施策であったと思う。

その根本には富国強兵という思想があったことは当然であるが、原住民を上から搾取するという考え方は存在しなかった。

昨今はあまり聞かなくなったが、大東亜共栄圏という言葉も軍国主義華やかな時代のスロ−ガンであったので、ある世代の人々には良い印象が無いかもしれないが、あれも考えてみれば今のASEANに匹敵するものである。

ASEANは軍事同盟であるが、大東亜共栄圏は経済面も含めたアジア諸国が一緒に共存共栄しようというものであったはずである。

考え方としては決して侵略的では無かったはずだ。

それを当時の軍国主義と一緒に宣伝されたものだから、軍国主義の権化、侵略的拡大主義という目で見られていたが、基本理念は現代にも通用するものであると思う。

北方4島について言えば、以前サハリン、及び千島列島はロシヤになったり、日本になったりで政治的に安定していなかった。

どうしても辺境の地である以上、力の強い方に付かざるをえなかった。

逆の言い方をすれば力の強い方にくっつくと言った方がいい。

ただ北方領土について言えば、原住民にそれだけの自主性が無かったので、本国というべきか、母国というべきか、主権者が勝手にあっちにやったり、こっちにやったりしていた。

沖縄などはその点、島民の自主的判断で、その時の権勢の強い方にくっついた点が違う。

沖縄島民は日和見主義で時の権勢を見比べて、強い方に自由にくっつく。

それでなければあの孤島は存在し得なかったに違いない。

時には中国、時には日本、日本の政府が少し軟弱だと見るとすぐ思い上がってくる。

所詮、大和民族ではない。

北方領土の場合、アイヌ人にそれだけの自主性が無かったというか、アイヌ人にとっては国境などはどっちでもよかったのである。

日本の領土だろうが、ロシヤの領土であろうが、アイヌ人の生活には何ら関係の無い問題であったに違いない。

ところが今になってはソ連の人民がこの4島に2万4千人も生活している。

そこに軍関係の人間が加わる。地上軍が8千人、国境警備隊が3千人いる。

3人に一人が軍人である。

数字で示すと無味乾燥に映るが、違う表現をすれば、北方領土は要塞化した島と言う事が出来る。

冷戦が消滅したとはいえ、ソ連にとって一番の最前線である、という地理的な条件は変わるものではない。

基地及び国防的な地理的条件で有利な事は昔も今も変わることの無い歴然とした事実である。経済援助程度の餌で手放すようなことはないと見るべきである。

日本はソ連と係わりあって得したことがない。

ソ連から見れば日本など子供並みである。

アメリカ、イギリス等は対等の資格で取引に応じているが、日本などは子供扱いである。

子供騙しの外交しかしていない。

日ソ不可侵条約がそうであるし、200海狸漁業専管区域がそうである。

大韓航空事件でも相手が韓国であったので起き得た事件である。

あの飛行機がアメリカかイギリスの飛行機であれば決して落とすようなことは無かったと思う。

韓国も日本と同じで子供扱いのうちである。

ロシヤという国はもともとヨ−ロッパ指向の国である。

だからロシヤの囚人は東へ東へとシベリヤ送りになるのである。

これも昔も今も変わらないことと思う。

ロシヤ人がモスクワからシベリヤに送られるということは、計り知れない精神的苦痛であったに違いない。

こと程左様にシベリアはロシヤのとっても地の果てであり、ロシヤにとってシベリヤ問題、極東の問題というものは、第二次的な問題であったにすぎない。

ロシヤ人から見れば日本人も、韓国人も大した違いはない。人間の内には入っていないかもしれない。

過去に日露戦争というのがあったが、ロシヤの歴史にあの記述があるのかどうか分かったものではない。

日本においては勝った戦争であるので、いかにも大きなイベントであったように歴史的記述がなされているが、ロシヤ側から見れば負けた戦争の連続であるので、戦争の内には入ってないかもしれない。

北方領土とは話が変わるが、日本の満蒙開拓も大きなプロジェクトであったに違いない。

日本が生の帝国主義では国際的に非難されるので、満州国という国まで作って、間接的に満州を経営しようとしたが、あまりにも手が込み入りすぎて、経営に失敗したと見るべきである。

経営の失敗の原因は、軍人が政治をしようとしたところに、そもそも本質的な失敗の原因が潜んでいたのではないかと思う。

昔も今も軍人が政治に口を出すことによって、国そのものが滅ぶことは歴史上枚挙にいとまがない。

軍人というのは軍務に専念すべきであることに昔も今も変わりがない。

その点、近代的な国家群はシビリアン・コントロ−ルを何処の国でも実施している。

これは当然の帰結である。

軍人と政治家では将来の展望というところで根本的に視野の違いがある。

政治家というのは何処の国でも同じと思うが、海千山千、嘘も方便、時にははったりも言うだけのしたたかで、柔軟な考え方を持っていなければならない。

その点、軍人というのはそうした面に欠けている。

反面、純真なところがあって一途に思い込んでしまうところがある。

政治家には駆け引きの出来る手腕というものが入用であるが、軍人というのは謹厳実直な人が多い。

これは政治家なり、軍人なりが、そのなる過程で知らず知らずのうちにそのように形づくられるので、その違いをはっきりと見極めないと政局を見誤ることになると思う。

戦前の日本も軍人を政治の席に着かせたので国を誤ってしまった。

軍人の方も力を持つようになると政治に口を入れたという欲望にさいなまれる。

ここで約割り分担を上手に行なわないと国家の不幸が始まる。

その点、シビリアン・コントロ−ルというのは軍人が直接政治に口を入れることはないが、それとは逆に政治家が軍事的判断をしなければならない立場に置かれるという場面が生じてきた。

究極的に政治家が軍事的判断をしなければならないときはかなりある。

イギリスのフオ−クランド戦争、アメリカの湾岸戦争、全て然りである。

しかし、それでも軍人が政治をするよりもまだましである。

最近の近代国家では国家元首が軍の最高責任者になっているのでこれは当然である。

軍人は国家元首の下で軍事行動にのみ専念するのが本当の姿であろうが、昨今では戦争というものが主権国家の総力戦であるので、戦争のプロフェッショナルと言うべき軍人だけではなし得ない。

国家機構の全ての機能が戦争という目的に向けてベクトルを一致させないことには戦争を遂行することが出来ない。

戦前の日本においてはこのベクトルを合わせるということが陸軍と海軍というプロフェッショナル同志の間だけでも出来ていなかった。

日本人の特異性というべきか、どう言うものか知らないが、日本人というのはビッグ・イベントになると必ずベクトルの不一致ということが起きる。

戦後あれだけ成功した東京オリンピックでも反対する人がかなりいたし、日本とアメリカの日米安全保障条約の締結でも、日本の半分以上がベクトルを反対の方向に取ったわけである。ベクトルを合わせるということは国論を一致させるということであるが、戦争を目前にして、又戦争中においても陸軍と海軍が仲が悪いという馬鹿げたことが起きていたわけである。

日本の政治家が軍人に対して屈したのは、軍人が天皇陛下を戴いていたことによると思う。日本においては軍のトップが天皇陛下だったことが、政治家が軍人に頭を押さえ付けられた最大の理由ではないかとおもう。

軍人は何かといえば、水戸黄門の印籠ではないが、天皇陛下を持ち出すので、これにまいったのに違いない。

その点、今は自衛隊の最高責任者は内閣総理大臣であるので、自衛隊が国会議員や内閣を差し置いて発言するということはない。これがシビリアン・コントロ−ルである。

本来、日本では天皇が軍の最高責任者になり得たことはなかった筈である。

どこからそうなったかと思うと、やはり明治維新では無かったかと思う。

西洋の近代化した国家は既にシビリアン・コントロ−ルが始まっており、政治の道具として軍隊というものをとらえていたが、道具を使うにはその指揮権を元首におかなければならないので、必然的に当時の国家元首は政治の指揮権と軍の指揮権を兼任していた。

それに習って日本も天皇に軍のトップという地位を付与したと想像するが、それを勝手に拡大解釈して自分に都合のいい方に利用したのが戦前の軍部の在り方であった。

戦前の軍部は天皇陛下を最高司令官に戴きながら、その最高責任者の意向を全く汲み取ろうとはしなかった。

今の社会党と同じで、自分のグル−プのみを大事に、自分の所属グル−プの利益のみを優先させることに翻弄していたので、日本全体のことは眼中に無かった。

昭和のク−デタ−の首謀者の扱い等を見てもそうであるし、満州に進出した経緯を見てもそうである。

また当時のマスコミもこの点の追求が足りなかったことは論を待たない。

とは言うものの当時のマスコミはこのシビリアン・コントロ−ルの意味もまだ理解していなかったに違いない。

日本国中が富国強兵、八紘一有にうかれ、満蒙開拓にうかれ、日中戦争にうかれていたわけである。

その結果が敗戦・終戦という大日本帝国の終焉となり、生き残った偽インテリゲンチャは戦争責任を一人昭和天皇に負わそうと画策していた。

戦争に勝った連合軍が天皇の罪を追求しないのに、その臣下であった日本人、とくに高度の教育を受けたインテリが、手のひらを返したように天皇の責任のことを発言する。

民主主義の世の中になり、身の危険がなくなったら急に声高にさえずりだすという感じで、犬の遠吠えと同じである。

この一連の経過にはマスコミも大いに係わりあっていたにもかかわらず、マスコミサイドからは反省というものが一切ない。

悪いのは軍人であり、天皇陛下であり、戦後の知識人は全てのマスコミを利用して、それこそベクトルを合わせての一大合唱である。

満州の経営も陸軍がタッチせず、日本の財界が行なえばもっと違ったものになっていたかもしれない。

しかし、その時点においては日本も民主主義が未熟であったし、世の中の全てが、どうしても50年前、半世紀前の認識で動いていた。

全ての条件が今日に比べて未熟であったに違いない。

当時、満州なんて物は馬賊の世界である。

中国にしても日中戦争のきっかけになった張作林の爆死事件の張作林も馬賊の頭目であった。だから殺してもいいという理屈は成り立たないのは100も承知であるが、そういう点をとらえて今中国が日本の悪業という言い方をしているが、この言い方には少しクレ−ムを付ける必要があると思う。

マスコミは中国の言うことは全てご尤もという態度で、その尻馬に乗っかっているが、戦前の日本にも思い上がった面があったが、最近の中国もかなり日本に対して思い上がったものの言い方をしている。

日中戦争という戦争状態の中での戦闘行為である。

殺さなければ殺されるという状況であった。

満州という広大な国において、日本は満鉄という大陸横断鉄道を敷いた。

これなどは今でも現地の住民というより、ソ連なり中国で人々の利便に大いに貢献している筈である。

満州にしろ、中国にしろ共産党に占領されて50年、半世紀経っているが、あれが共産党に占領されるのではなく、日本と協力していたらもっといい生活が実現されていたのではないかと思う。

日本には資源というものが一切ない。

一切ないのにこれだけの高度成長が可能であったのである。

この高度成長に天然資源が備わっていたら、完全にアメリカを追い越していたかもしれない。そのかわり太平洋戦争の終決はまだ4、5年後になっていたに違いない。

ただこの地域で日本が覇権を握っていたら、共産党に占領されるよりも、一般の国民の生活は向上していたのではないかと思う。

少なくとも共産党の指導よりはスム−スに生活向上があったのではないかと思う。

日本人はビッグ・イベントにベクトルを合わせないと言ったけれども、共産党内部においてもベクトルが合わないことがあったにもかかわらず、そういう面は粛正という荒治療で抹殺してしまっているので、一見ベクトルが合っている様に見えるが、その点が民主主義国家と違うところである。

又、日本が近代的な資本主義社会、民主主義社会に成り得たのも、敗戦という大きなエポックを経験したからである。

だから一から出直す事が出来たのであって、中途半端な終戦であっらもっと混乱が長引いた可能性がある。

半世紀前、日本も未熟、中国も未熟、東南アジアも全て植民地であった。

つまり言い換えると、全員が近代化というスタ−トラインに並んでいたわけである。

半世紀前には皆同じスタ−トラインに並んでいたものが、50年という年月の間にこれだけの差異が生じてきた訳である。

同じ意味で、ソ連も少し離れた所でスタ−トラインに並んで、我々と同じドンの合図で駆け出したわけである。

これは共産主義と資本主義のレ−スと言い換えてもいい。

そうするとその差は歴然としてくる。

この現実を1960年代の日本の左翼、知識人はどのような気持ちで眺めていることだろうか?

ソ連もペレストロイカになってようやく人気が出てきた。

それまでは鉄のカ−テンの向こう側の存在でしかなかった。

半世紀というのは、ロングレンジのレ−スで、資本主義国家群が共産主義国家群を一歩も二歩もリ−ドする結果となっている。

戦前の日本と戦後の日本、中身は同じ日本でありながら、どうしてこのような差が出てきたのだろうか?

軍部が無くなった、封建制が崩壊した、という単純な理由だけではないと思う。

けれども軍部が無くなったということは相当大きなファクタ−ではある。

国防費、軍事費というものがGNPに占めている比率を見れば、正確な数字は知らないが、戦後のように1%以下という数字に押さえていれば、戦前の日本の社会も相当ゆとりがある生活をすることが出来たに違いない。

戦前の人の話を聞くと、あの軍事費の中でも、庶民の生活は相当ゆとりがあったような話を聞く。

ちょっとしたサラリ−マンなら女中さんを置くことが出来たということである。

莫大な軍需費を抱えて、社会的にまだゆとりがあったということは、どこかに無理があったと言う事である。

けれども戦前の日本人のベクトルと、戦後の日本人のベクトルが合致したというのもおかしな事で、戦前と戦後では日本人の何かが変化したのである。

その変化したものが何であるかが問題である。

しかし、何かが変わったことは確かである。

戦前にあって戦後に無いもの、それは軍隊。

戦前に無くて戦後にあるもの、それは民主主義。これがキ−ワ−ドかもしれない。

私個人の意見としては、日本の民主主義は本物ではないと思っているが、本物でなくても、限りなく本物に近い民主主義といっていいのではないかと思う。

アジア諸国を眺めてみると、この日本のキ−ワ−ドが全て逆になっている。

中国にしろ、フイリッピンにしろ、ベトナムにしろ、朝鮮にしろ、戦前無くて戦後あるもの軍隊、戦後あって戦前無いもの民主主義、となっている。

全てが日本と逆向きになっている。

この点がアジア諸国の中で日本のみが突出している原因かもしれない。

もう一つ日本が特異な面は、日本の戦前には戦艦大和や零戦を作り上げた技術があったが、アジア諸国では軍隊を持っていても、今だに自国であれほどの物を作り上げる技術を持ち合わせていない。

軍隊を持っているとは言うものの、その装備は全部保護国からの輸入か、援助物資である。自国では兵器を開発する能力を持ち合わせていない。

現代がそういうものを必要としないので作らないということは言えない。

作る能力が存在しないのである。

その点日本は作る能力を持っているという点で他のアジア諸国に比べると特異である。

戦前、戦後を通じて日本が今日あるのは、全て明治維新乃至は明治政府がその種子を播いたものが、この時期に芽生えたものと見ていいと思う。

その一つは教育であったろうと思う。

思えば教育ということは、社会生活のあらゆる面で大なり小なり影響を及ぼしている。

小学校から大学に至るまでの教育制度の確立が、日本をこれだけの物にした原動力であったろうと思う。

その他には鉄道の布設も含まれるであろう、又重工業の育成ということも含まれるであろう。しかし、この二次的な面も教育があったればこそ成し得た実績であろうと思う。

郵便制度も三次的ぐらいの実績はあったに違いないが、全ての面で教育が普及していたことによる二次的、三次的な相乗効果の結果であろうと思う。

国民皆兵という言葉があるが、国民全部が字が読めるということはどういう言葉で表現するのであろう。

識字率100%というのは世界でもあまり例がないのではないかと思う。

国民の100%が字が読めるということは、その裏側に労働者のレベルが高い、質の高い労働者と言うことが出来る。

何故100%の識字率に成り得たのかという理由は、明治維新の学制の賜であったろうと思う。

日本全国津々浦々に小学校を作って、義務教育で6年乃至8年、無理矢理というべきか、半ば強制的に教育を行なったからに違いない。

又日本人の場合、必然的に向学心が旺盛であった。

向学心乃至は好奇心というべきか、小学校で学ぶ生徒自身に向学心が旺盛だったことも見逃せない。

これも日本人の特性の一つであろうと思う。

社会の底辺の人の生活は世界中何処でも似たり寄ったりである。

日本人でも、フイリッピンでも、朝鮮でも底辺の人々は世界共通である。

その同じ条件の中で日本人のみが学校制度を維持し、利用し、人間が向上心を満たすのに最低限の知識のみは、明治政府が責任を以て果たした結果である。

字さえ覚えれば後は本人の努力次第で好奇心を満たすことが可能である。

この小学校の教育を完全に実施することは、簡単な様でなかなか難しいことだと思う。

無償で子供を教育しなければならない、又底辺の人々にとっては、子供というものは労働力になっているので、親の方としても労働力を取られるという意味で、親の立場としても犠牲を強いられるわけである。

その全ての条件をクリヤ−しないことには識字率100%という結果は出て来ない。

だからアジア諸国ではこの一見簡単な様なことがなかなか成し得ない。

ヨ−ロッパ諸国はアジアよりましな状態であったかもしれないが、そうなればなったで別の問題が生じてきている。

というのは自国民の教育が普及したら、社会の階層化が顕著になってきた。

教育の有るものが社会の上層に集中して、教育の無いものや、植民地から来た人々が社会の底辺の仕事を分担する様になってしまった。

社会が二極に分裂してしまった。

ところが日本においては学歴が無くても社会のリ−ダ−に成り得るし、また学歴あっても下積みの生活を余儀なくする人もいて、それらが混在している。

この教育の有るもの、無いものが同じ条件の下に混在するということが社会のダイナミックスの元になっている。

これが階層化していると下剋上の渦が停滞し、ダイナミックスに欠ける。

日本のようにダイナミックスに富んだ社会では読み書き算盤が出来るという同一条件の元でダイナミックスな競争が展開できる。

この点がヨ−ロッパ諸国とは違っている所である。

もちろんアジア諸国とは比べものにならない。

共産主義というのも理想としては日本の教育制度と同じようなものを持っていたに違いないが、それが実施できない所に問題がある。

何故出来ないか?それは国民全体のことを考えるのではなく、党のことを優先して考えるからである。

資本主義社会というのは金儲け優先の社会だと勘違いしている知識人が多いが、金を儲ける人もいるが、その金は税金で吸い上げられ、その税金はまた福祉という形で国民全体に還元されている。

ところが共産主義社会では上から下がってくるものはあっても、税金として取られる程儲ける手段が無い、言葉を換えて言えば、人間の金を儲けたいという欲望が押さえ込まれていると言ってもいい。

この人間の欲望が押さえ込まれているために、人々は他の人に貢献しなければならないという使命感に欠けてしまっている。

戦前の日本においても封建的工業社会の中で労働者が搾取されていた事実もあったが、安い給料で僻地に赴任していた小学校の教師も大勢居たのである。

こうした人々の社会的貢献が有ったため、日本の津々浦々で小学校の教育が維持できたのである。

工場経営者は確かに労働者から搾取に近い事をしながら、片一方で納税をしていたわけである。

そのダイナミックスさが共産主義社会と違うところである。

教育の恐さはあの元北朝鮮のスパイ、キン・ヒョウヒの言動に表れている。

韓国でどういうことを吹き込まれたか知らないが、ころりと転向してしまって、北朝鮮の内情を白状してしまったが、教育というのはああした極端な例もある。

又戦前の軍国主義というのも多分に教育のせいが有ったのかもしれない。

識字率100%でも、思想の面までも教育が入り込んでいたのかもしれない。

この軍国主義思想も戦前にあって戦後に無くなった典型的なものである。

この思想教育というのは識字率とは別の物かもしれないが、なまじ字が読めるものだから簡単に感化されるということも言える。

しかし、これは日本国内の問題であって、アジア諸国においても日本政府というのは、台湾でも、朝鮮でも、この小学校の普及を図ろうとした。

この日本の恩典に浴した人は日本のことを良く言ってくれるが、その恩典に浴せれなかった人は反日感情が強い様な気がする。

だから戦前の日本は帝国主義を振りかざして、これらの国を圧迫したとは言うものの、その狙ったところは日本人のレベルまで引き上げようという腹であったと見るべきである。

それを戦後の日本の知識人は理解しようとしない。

西洋列強の植民地支配とは微妙な点で違いがあったわけである。

ただ軍部のやったことは非難されても仕方がない点が多かったことも事実である。

西洋の列強は植民地から取るものを取ればそれだけでいいという感覚で、現地の人々の生活や知識のレベル・アップを図る意図は始めから持ち合わせておらず、教育の面でも、行政の面でも、現地人に対しては何一つ貢献していない。

その点、日本の支配の仕方というものは、それと違っていた。

これは人種的な違いがそうさせたのかもしれない。

西洋人からアジア人を見れば黄色人であるが、日本人からアジア人を見れば全ておなじモンゴリアンである。

同じ顔形をしている。

そんな面でも日本人はアジア人に対しての近親感が植民地支配にも影響したのかもしれない。政治というものは軍事とは切り離しては語れないが、戦前、戦中の日本の対外的な帝国主義的支配も悪い面ばかりではなかった。

日本の過去の不具合な事実も、歴史の流れの中での通過行事というか、避けては通れなかったというか、どの先進国も通った道というか、決して誉められた事ではないが、支配する側も、される側もお互いに未熟であったということは言えると思う。

未熟であった故に試行錯誤を繰り返し、終戦というナショナル・ショックで生まれ変わることが出来た。

被害にあった国々、アジアの国々、中でも中国は日本を恨む心情も分からないではないが、日本も同じような被害者の立場であったことに違いない。

ともに民主主義が未熟であったことによる不幸である。

この不幸な出来事を他山の石として、同じ轍を踏まないように経済発展した日本と、同じようにその後半世紀経っても、自立というか、発展できないままでいる国は、この大きな差を生じさせた責任はその国の国民自身にあると思う。

その国の国民の怠慢である。

政治家や政府に責任を転嫁することは簡単であるが、それをしていたから国民自身に自覚が出来なかったのである。

そういう意味でも日本は世界でも特異な国民であると思われる。

ベトナムの人間も、支那人も、朝鮮人も全て同じ人間である。

それが属している国によってこれだけの差異が生じると言うことはやはり国民性というより他に言いようが無い。

個々の人間は同じような姿形をしているが、集団となって国家というものを形成すると、団体、集団としての差が歴然と生まれてくる。

ベクトルが合わないとか、軍隊が無くなったといっても、同じような条件の国は、この世の中に日本以外にも有るはずである。

それから見ると戦後の日本が世界経済の中で突出する理由が明確には説明付かない。

何故なのかそれは分からない。

 

ソ連の政治体質

 

1991年、(平成3年)6月、ソ連のゴルバチョフ大統領が日本にやってくる月というもの、NHK TVはソ連の事について度々報道していた。

そのVTRを見ていて、まず思ったことは、よくぞここまで報道することが許されたものだという驚きである。

ゴルバチョフがチェルネンコ書記長の後を引きついて書記長になったのが1985年、ペレストロイカはその翌年からという風に記憶しているが、ペレストロイカ−民主化の成果で、ソ連内部が我々西側の外国人にもよく解るようになった。

それまでは鉄のカ−テンで仕切られて、ソ連の内部というものはさっぱり解らなかった。

ベルリンの壁の向こう側からは亡命者が後を絶たず、亡命の途中で命を落とす人も数知れず、このソ連の内部が我々によく見えるようになったということはゴルバチョフのペレストロイカの大きな成果だと思う。

しかし、ゴルバチョフが何故この時期になってペレストロイカに取りかかったのか、この時期が前のチェルネンコの時では何故出来なかったのか?その前のアントロポフの時では何故いけなかったのか?という素朴な質問にはマスコミは応えていない。

ゴルバチョフの時代になって急に共産党が崩壊したとも思われず、共産党乃至はソ連中の政治的な腐敗がこの時期になって急に噴出したわけでもないだろう。

共産党の腐敗、政治の堕落はもっと前から潜在的に存在しつづけに違いない。

その改革は誰かがしなければならないはずである。

それがたまたまゴルバチョフの時にあたっただけのことかもしれない。

大体20世紀の近代国家が共産党による一党独裁、専制政治というのは時代遅れである。

ソ連だからこそ75年間も永らえたと思う。

これは政治的指導者の管理能力と手腕によるところが大であるが、それよりも前に国民サイドの問題でもある。

国内の政治に不満があれば、当然内部から不満が噴出してくるのが自然な成り行きである。現にペレストロイカを実施したら一気に吹き出してきたではないか?

ペレストロイカが無かったから噴出できなかったというのは理由にならない。

つまり国民の全部が共産党の専制政治に黙って追従していたということである。

ソ連国民に政治改革に対する意欲が無かったということである。

あるいは共産党の締め付けがそれほど厳しかったということとも取れる。

この時期、つまりゴルバチョフが来日する直前になって行なわれた、NHK TVの大型企画で、ソ連人100人と日本人100人の市民レベルの討論会というのがあったが、その中で日本人の参加者の中から「物不足で行列が出来ているのに、何故市民サイドから暴動が起きないのか?」という素朴な質問が出ていたが、これは我々日本人が感ずる素朴で素直な疑問である。

ソ連の国民は共産党の専制政治の中で75年間もだまって従っていたわけである。

これがロシヤ人の国民性であったのかもしれない。

思えばナポレオンに攻め立てられた時も、ドイツのヒットラ−に攻められた時も、忍の一字で切り抜けていた国である。

共産党の専制政治といっても衣食住が何とか確保されれば、それで何とか我慢できたのかもしれない。

 

支配階級の変化

 

ソ連という国はメインがロシヤである。ロシヤといえば皇帝と農奴の国である。

貴族か農民かの両極端の階層社会で、中間階級が無いことは今も昔も変わりが無い。

ほんの少数の貴族と大多数の農民がロシヤ乃至はロシヤ共和国、又はソ連邦というものを構成していた筈で、その農民の大部分は文盲であった。

その無学文盲の者が共産革命により学校に行ける、医療は無料、保養所も利用できるとなれば、これは彼らにとってこんな幸いなことはない。という状況だったろうと思う。

しかし、これは人間の本性で、一番最初の時は確かに有難く、共産革命はこんなに有難いものだと感じていても、それが当たり前になってしまえば、感謝の気持ち急に薄れ、惰性に流れ、マンネリズムに陥る。

これはどこの世界でも同じで、どの民族でも同じである。

けれども資本主義社会においては次々に惰性を打ち破り、マンネリを打ち破る刺激がある。他動的な外部要因もあれば、個人の内面から欲望を満たすという内面的な要因、刺激というものがある。

共産党専制政治においてはこの刺激が無い。

下手に刺激を与えようとすれば中傷、密告、投獄という恐怖政治である。

これを目の当たりにした国民は、それではかなわないということで、見ざる、聞かざる、言わざるという考え方に陥ってしまう。

この無気力が共産党の専制政治を75年間も継続させた要因であろう。

昔は貴族と農奴しかいなかったものが、革命後は共産党と労働者という図式になった。

労働者の中には元の農奴、農民も含まれている。

そして共産党というのは知的にレベルが高いとは思われない。

これは何処の国でも同じであろうが党の組織というのは、その構成員の知的レベルとは何の因果関係もない。

革命前の貴族というのは貴族なるが故に、金にあかせて教育、教養というものがあったはずである。

帝王学というと大げさであるが、今の言葉で言えば経営学のようなものが大なり小なり有り、幼い頃から人を使う訓練がなされてきたことと思うが、そうした背景の中で共産党という組織が政治の実権を握ると、この共産党の知的レベルというのはそれこそばらばらで、人間の欲望がもろに表面化してきたものと思う。

教条主義を盾に自分の私利私欲を肥やすという不貞の輩が一杯あふれ出て来たのではないかと思う。

それでなければドル・ショップの存在なんてことは考えられない。

ドル・ショップというのは共産党の高級幹部専用の売店のことであるが。ここではドルでなければ買物が出来ないと聞いている。

だいたい自国の通貨をその国の高級幹部が信用しないという馬鹿げた事は我々日本人にはとうてい理解できない事である。  

これなどは共産党員の共産党のための共産党員だけの政治であって、その大部分のソ連国民というものが全く無視されている。

こんな状態が75年間も続いて国民がだまって見ている方がおかしい。

 

教育の違い

 

それと教育の問題である。

教育の問題というのは日本では学校教育が問題になるが、ソ連においては共産党による洗脳教育が問題だと思う。

ソ連国内においても国民の全部が共産党員ではない。

こうしたものに対する共産主義を植え付ける洗脳教育というのは実にすさましい事と思う。ソ連の教育の実体というのはまだマスコミが取り上げていないので正確には解らないが、北朝鮮などは幼稚園から徹底した洗脳教育である。

多分あれに近いことをしていたのではないかと想像する。

洗脳ということは実に恐ろしいことである。

これは前に述べたことであるが、北朝鮮のキム・ヒョウヒの新聞報道を見ても、本人は事の善悪を全く考慮せず、ただ単に命令一本であれだけの事をしでかすのである。

洗脳ということは人間の選択の幅を一つにしてしまうことで、他の考え方を、違った考え方というものを全く認めようとしないところがある。

ソ連においてもこうした教育が75年間続いており、この教育を受けて育った人々がいま社会を形成していると考えると、資本主義の何たるかも、民主主義の何たるかも、さっぱり理解し得ずに、市場経済に移行するといっても、市場経済という概念さえ失われてしまっている。

統制経済、計画経済から市場経済に移行するといっても国民の全部が75年間の空白を取り戻す迄には今後も相当な日時が必要なことは確かである。

日本が今日これだけ経済的に成功できたのは、戦後45年間の日本人の努力もさることながら、その前に既に国民の間に経済成長し得るだけの基礎が出来ていたと言えると思う。

終戦で物質的にはゼロになったが、そこに住み続けた人間の方に、45年後に花開く基礎が日本人全体に出来上がっていたのではないかと思われてならない。

例えば教育の問題一つとっても、日本では農業から工場の労働者に至まで新聞の読めない人がいないという程、識字率100%に近いと思われる。

又、流通の面に於いても、流通の概念、サ−ビスまで含めた流通の概念が出来上がっており、金融においても為替なり手形なり、信用取引の概念というものが既に江戸時代に出来上がっていたわけである。

終戦でゼロから出発したといっても、この人間の持っているソフト・ウエヤ−の面ではゼロではなく、昔からの概念、考え方、思考方法というものはそのまま継承されて、生き続けたわけである。

江戸時代300年間というもの、既に資本主義の洗礼を受けていたのである。

昨今のヨ−ロッパ諸国が日本の発展に驚異し、日本を手本にし、見習おうと思っても、このギャップはそう簡単に埋められるものではないと思う。

特にソ連においてはその基盤が根底から欠落している。

貴族と農奴からいきなり共産党と労働者の社会である。

初歩的な資本主義乃至は商業主義が芽生えた形跡が無い。

それと大事な事は国土があまりにも広すぎるということである。

目下、ペレストロイカの元で各共和国が独立の方向に進んでいるが、その中でもロシヤ共和国一つ取っても、その大きさたるや日本の何倍もあるとなると、日本と同じ条件を望むほうが無理で、ロシヤにはロシヤのやり方があって当然である。

となると日本を見本として、手本としても同じ道を歩くことは出来ないということになる。ロシヤにとってモスクワやその他2、3の都市以外は全くの荒野ではないかと想像するが、ロシヤの東、シベリヤの開発というのは何百年も前なら囚人の仕事とされていた。

アメリカは西部がフロンテイヤであったが、ロシヤは東部がフロンテイアであった。

ロシヤ人にとってシベリヤは辺境以外の何物でもない。

当然、ここには流通も金融も教育も存在しなかった。

要するに資本主義乃至は商業主義を支える何の要因も存在し得なかったわけである。

都市の近郊においても貴族と農奴しかいないところではこれと似たりよったりである。

よってソ連の大部分の国民は資本主義や商業主義の概念さえも持ち得ずに75年間生き永らえてきたわけである。

先の討論でも国民の側に、国に期待するのではなく自分達で作らなければならないという日本側の意見があったが、我々にとっては常識でもソ連人には理解できなかったのではないかと思う。

共産党と密告と処刑の国である。それ以外の概念が無い国である。

自らの勤労意欲に欠けるという、日本側の意見があったが、これなどもソ連人にとっては理解できないことであろう。

長年、専制政治のもとで、共産党の洗脳を受け、自らの勤労意欲を持てといわれても彼らは困ってしまうに違いない。

彼らは余りにも管理されることに慣らされてしまっており、管理の枠が外れたとき何をすればいいのかさっぱり解らないというのが現実であろうと思う。

日本の管理教育の大きなサンプルがソ連であると思えばいい。

日本の管理教育の善し悪しは別として、これは3年間だけのことで、後はそれこそ管理の枠を出るわけであるが、日本の場合は社会が色々なタイプの集団、組織があるので管理を外されても自分の選択に迷う事無く、自分の好みの道というものが確立されているが、彼らは管理の枠を外されると何をしていいのかさっぱり解らないという状況が今のソ連の実態ではないかと思う。

これは先のテレビ討論の中でソ連側の映画監督というのがいみじくも言っていたが、今まではこれをやってはいかん、あれをやってはいかんと言われていたものが、それが一切無くなってしまうと空白状態になってしまって、何をしていいのか解らないという本音を洩らしていた。

 

ペレストロイカの効果

 

ゴルバチョフが政権の座について6年、ペレストロイカが始まって5年、今、ゴルバチョフの人気が落ち込んでいる。

このゴルバチョフの評価は我々とソ連国民の間では大きなギャップとなっている。

我々にしてみれば。ソ連の内情をマスコミを通じて知ることが出来る現実というものはゴルバチョフの民主開放路線のお陰だと思う。

それまでは人民大会の模様だとか、共産党大会の様子などは伺い知ることが出来なかった。それがこうしてテレビで見れるということはゴルバチョフのお陰である。

又、ベルリンの壁の開放から、ドイツ統一への流れ、ル−マニヤ、ポ−ランドの開放といったものも、ゴルバチョフの政治の成果だと思う。

東西冷戦の終焉というのもゴルバチョフの政治の最も大きな成果だと思う。

こうしたゴルバチョフの対外的な大きな影響をソ連国民が理解せずにいるというのも、ソ連国民が対外的なことよりも目先の事を追っ掛けていることの証拠だと思う。

ゴルバチョフがペレストロイカを唱える事により、誰でも自分で不平不満をぶっ付け、発言出来ることが許されるようになると、真っ先に出てきた問題が民族主義の噴出である。

民族主義が噴出する要因はソ連邦が成立した時点から内在していた問題とはいえ、これも程度問題にしておかないことには、最終的には血を見ることになり、結局はその通りになってしまった。

ソ連は15の共和国からなっているが、2、3の共和国を除いて残りは半ば強制的に、乃至は詐欺的な行為でソ連邦に併合されている。

これはスタ−リンのせいと言ってもいいかと思うが、その元の所には各共和国の共産党の売国的な裏切り行為があったことは否めない。

各共和国の共産党とソ連邦があい携えて各独立国をソ連邦の中に組み入れてしまったものと想像する。

このソ連邦の最後の悪あがきがアフガニスタンへの侵攻であった。

各共和国においてはこうした不満がペレストロイカで一挙に噴出して、発言の自由が保障されるとなると真っ先にこの問題が噴出してきた。

無理もない事とは思うが、この各共和国の自主独立ということも我々の立場で傍観しているだけで済むという生易しいものではない。

 

ソ連邦崩壊の影響

 

ソ連邦の各共和国が勝手に独立を主張すると、これは地球という一つの宇宙に又新しい秩序転換の危機を内在することになる。

我々西側陣営の諸国に取っても、東西冷戦とは又違った意味でのやっかいな問題が降りかかってくる。

ソ連邦が弱体して、各共和国が独立して困る問題というのは軍縮の問題である。

核の問題、核の拡散の問題である。

ソ連邦に核が幾つ有るか正確な数字はともかくとして、考え方としてはソ連の核兵器というものが全部モスクワに有るとは限らない。

当然、ソ連邦全土にプライオリテイ−にしたがって、又は軍事的な見地から各共和国にも配分されているはずである。

ソ連邦が弱体し、地方の発言権が大きくなり、地方が中央の言うことを聞かなくなった場合、この核兵器がどうなるかという危惧がある。

核兵器が一番極端な問題であるが、現実の問題でもある。

核兵器ばかりでなく通常兵器においても当然同じ事が言える。

地方が独立して、中央の言うことを聞かなくなったとき、この兵器類がどういう風に取り扱われるかということは、我々はよほど注意して眺めていないことには、核の恐怖というのは冷戦の時以上に大きくなっている。

東西冷戦時代は核兵器は抑止力であった。ところが今後は現実の兵器となってしまったのである。

この現実は東西冷戦中よりも今の方がもっと悪い。

危ない綱渡りをしているのではないかと思う。

チェルノブイリ原子力発電所の事故の例を見てもわかるように、ソ連においては日本人程放射能というものに対する認識が甘い。

我々程神経質にはなっていない。

認識の違いというのはなかなか相手に理解させることが難しい。

それは経済の市場導入についても言えることであるが、我々と同じ認識を相手の国民に教え込むということは至難の業で、ほとんど不可能と言ってもいいと思う。

これが簡単に出来るなら市場経済だってもっと簡単に導入できるはずである。

核兵器の恐怖、放射能の恐怖を先方に教え込むことは困難な事と思うが、そういう事を知らずに各共和国は核兵器を持ったまま、温存したまま、中央から独立するということはこれまで以上に恐ろしいことではないかと思う。

日本のマスコミはまだここまで突っ込んで報道はしていないが、ソ連邦の各共和国の主張を手放しで喜んでいるわけにはいかない。

 

ゴルバチョフの領袖

 

NHK TVの報道によると、ゴルバチョフは国家元首になった時点で、エリツインとリガチョフを自分の領袖として起用したが、この二人が全くゴルバチョフに協力する気がない。エリツインはペレストロイカ急進派と称し、リガチョフは穏健派と称しながら両方ともゴルバチョフの足を引っ張ろうとしている。

こうした政権争いというのは何処の国の政治にもあるかと思うけれども、その政権争いをテレビで家に居ながら寝転んで眺めていれるというのもペレストロイカの賜である。

それにしてもソ連国民不在で政権争い、覇権争いというのは見ていても見苦しいものである。私の個人的な見解ではエリツインもリガチョフも自分の言い分をもう少し押さえてゴルバチョフに協力して、市場経済の移行にもっと専念すべきではないかと思う。

エリツインのやっていることなどスタ−リン時代なら、とっくの昔に粛正されているに違いない。

折角ゴルバチョフが国内の民主化を進めようとしているときに、エリツインにしろリガチョフにしろ、勝手なことばかり言ったら、ゴルバチョフにもう一度後戻りせざるをえない立場に追い込んでしまう。

現に結果的にはそうした方向に進みつつあるのが見えている。

バルト3国の独立にしても結果的には血を見ることになったではないか。 

今、ソ連は日本の明治維新の様な転換期を迎えているのではないかと思う。

社会体制の変換、価値観の変換が急激に求められようとしている。

それにソ連人が何処までついていけるかということが大きな問題点である。

日本の明治維新でも無血革命とは行かなかったが、ソ連では流血の末、既に75年を経過したがいまだに血が流れ、ソ連にとっての二度目の大変革は尚いっそう時期が悪い。

この世に原子力兵器という物が生まれた後で、それがソ連各地に温存したまま革命を遂行しなければならないという、時代が一番悪い。

この時期に二度目の革命を迎えなければならないという点が世界の不安の種である。

こういう状況を考え合わせると西側諸国としてもゴルバチョフをバック・アップする必要がある。

ゴルバチョフが失脚しないように後から支えてやる必要があると思う。

今、世界の安寧秩序はゴルバチョフのソ連国内におけるリ−ダ−・シップに掛かっているように思われる。

ゴルバチョフのたづなが切れた時、ソ連国内において独立国同志の抗争が表面化しなければいいが、これは共産党という強力な権力が消滅した段階ではどうなるか分かったものではない。

現にエリツインは共産党を脱党してしまっている。

こうなるとソ連邦内において群雄割拠の状態になってしまい、現にそうなっている。

日本の戦国時代と同じで、又又覇権争いが熾烈にあることは火を見るより明らかである。

 

不毛の民主主義

 

このソ連邦内の各共和国がお互いに主権を主張し、共和国同志が同盟を結び、各共和国が独自で軍隊を持つに至っては、これはもうソ連邦の崩壊としか言いようがない。

ペレストロイカもここまで来ると当然揺り戻しということが起きてくる。

これは必然的なものと思われる。

今まで一枚岩として共産党一本で来たものがペレストロイカで連邦内の絆ががたがたになってしまったので、その反動というものが大なり小なり起こることは必然的なことである。

部外者の我々でさえエリツインやリガチョフは少し行きすぎだなあと思うぐらいであるので、当然体制内においてはそういう声が出て当たり前である。

そこにソユ−ズのアルクスニス大佐の様な反動勢力が台頭してくる下地が存在するわけである。

時計の振り子の揺り戻しと同じである。

ゴルバチョフは現行の共産主義体制を少しでも変えようとして1988年、第19回共産党大会で自分をソ連の大統領にしてしまった。

この意図は共産党という組織から離れた立場で政治をしない事にはペレストロイカが遂行できないと考えたのかもしれない。

それで従来、党の最高会議を政策決定の最高機関としていたものを、人民代議員大会というものの上に自分が乗っかるという形にしたところ、この人民代議員大会というのはメンバ−の数が多すぎて収拾がつかない状態になってしまった。

この代議員大会の様子をテレビで報道していたがあれでは収拾がつかないのも無理はない。代議員が各々勝手に演壇に出てくる状態ではまだ民主主義が不毛だとしか言いようがない。この画面を見ている限り、ソ連の人民というのは管理されなければ何も出来ない人達で、自分を律することが出来ない人々だと言わざるをえない。

このゴルバチョフが大統領になったことがリガチョフの決別の原因となっているのは、リガチョフから見るとゴルバチョフが独裁者と見えたためだと思う。

何処の国の元首でも自分で決断を下さなければならない立場というものは多分有ると思うが、アドバイスは受けても決断は自分で下すという意味では何処の国の国家元首といえども、ある意味では独裁者である。

テレビを見て感じた範囲ではリガチョフはこうした認識に欠けていたのではないかと思うが、リガチョフにしろエリツインにしろ政策論争抜きで相手を誹謗するのみで、これでは民主主義不毛という状況である。

テレビの画面で2・3秒のショットから全体を判断することは危険であるが、テレビに映ったことは映らないところでもそういうことがあり得るということの証左にはなる。

 

ソ連政治の不安定

 

このゴルバチョフの命令というか、言うことを各共和国が聞かないということは、これはもうソ連邦が死に体になっているということである。

ソ連邦の各共和国の関係が一体どういう風になっているのかという点が今一つ分からないところであるが、各共和国同志で安全保障の同盟を結ぶということは一体どういう意味を持っているのであろう。

ヨ−ロッパのECのようなものを目指しているのか、その点が今一つ理解できない。

ECのような各共和国の連合を目指すとすれば各共和国同志仲良くやってもらはなければ我々部外者としては困るし、合衆国になったとしても外交、安全保障の面でしっかりしたタズナを取ってもらはないことには、元西側の諸国としては困る。

核が各共和国にそのまま残ったままで独立ということになると、それこそ我々は枕を高くして眠れない。

冷戦中よりも核の恐怖が大きくなってしまう。

従来のソ連の軍部というものは、以前も今後も厄介なものである。

ソ連の軍部というのは共産党の内部に位置するのか、それとも共産党とは別の組織なのか定かでないが、太平洋戦争当時は赤軍という言い方をしていたところを見ると共産党の軍部なのかもしれない。

大体、共産党一党独裁という政治形態からして我々の理解の枠をはみ出している。

共産党最高会議というのが我々の言う政府というものであろう。

書記長というのは我々の言うところの総理大臣と思えばいいと思うが、この最高会議の中に内務省と、国防省があると考えればいと思う。

この国防省というのがどういう形で動くかということが一番問題である。

今までのペレストロイカの前ならば書記長の命令で行動すれば良かったろうけれども、今後は誰がどういう風にするか分からないところに我々の恐怖の種がある。

各共和国が国防に関しては連邦政府に委ねるというなら素直に理解できるが、各共和国が独自の軍隊を持つという事になると、今までの軍隊はどうなるかが不安の種である。

共和国同志で安全保障の同盟を結ぶということは、ソ連の正規軍が入ってきたときには共同して正規軍と戦うということになる。

こうなると我々の理解の枠外のこととなってしまう。誠に不可解なことである。

ソ連の政治の不安定というものは、ソ連国民の民度、民主主義の意識の欠落、自助努力の欠落、など幾らでもその理由は上げられるが、上は最高会議のメンバ−から下は農民、工場労働者まで全てにわたって、その悪口の全部が当たっているので、これはもうしょうがない。ゴルバチョフが折角ペレストロイカ、グラスノスチで民主主義、市場経済を導入しようとしても、国民の方にそれを受けとめる用意もなければ、受けとめ方も知らない現状では、ゴルバチョフの今後も大変だろうと思う。

当然、保守派も台頭し、ゴルバチョフも保守派の言い分を聞かざるをえない立場になると思う。

振り子の揺り戻し、保守派が台頭して力を付けるということは、又がちがちの共産党一党独裁に戻るということである。

要するにソ連国民は管理されなければ生きていけないということである。

不思議な事に人間というのは自然環境にも順応すれば、人為的な環境にも順応して生きていけるものである。

ただしこの生き方は端的に飯を食って寝るだけの単純な生活である。

昨今のようにソ連の国営商店に品物がなく、長い長い行列があっても、国民の大多数はその中で生きているのだし、共産党独裁政権が75年間続いても、市場経済でなく計画経済の中でも、75年間も生き長らえてきたのである。

シベリヤの苛酷な労働でも人々が全滅したわけではない。

人間は自然環境にも人為的な社会環境の中でも与えられた条件下で、うまい具合に順応するものである。

先日、NHK TVが北朝鮮のことを報道していたが、あの北朝鮮も我々の目から見ると全く奇異な社会態勢でキン・ヒョウヒが受けた洗脳教育が今でもそのまま行なわれている。

それでも個々の人間は生活し、社会を形成している。

これなどは人為的社会環境に順応しているといっていいと思うが、よその国のことを知らないということはある意味では幸せなことなのかもしれない。

価値観が違うといってしまえばそれまでであるが、我々が気の毒に思っても彼らにしてみれば至福のかぎりかもしれない。

ゴルバチョフがペレストロイカ、グラスノスチを行なったということは、我々サイドから見ると共産主義の破綻、共産党の一党独裁政治の終焉ということである。

しかし、日本は今資本主義的民主主義でGNP世界第二位、実質世界No1の経済大国である。

けれどもかっては日本も共産党の国にしなければと思って奔走した人間が数多く居たわけである。

2、3例を上げればゾルゲ事件の尾崎秀美、大逆事件の伊藤律、映画女優の岡田喜子等、資本主義体制の日本を嫌って共産化したいという願望、ないしは共産主義に心から心酔した人々であった。

このような人々はゴルバチョフの政策を知った時どのような反応を示すであろう。

実に興味深いところだ。

又、終戦後ソ連に抑留されて、あちらで洗脳されてきた人々、又60年安保、70年安保で日本の反体制主義者で赤旗を振りかざした人々、或いは日本赤軍のリ−ダ−重信房子等はこのゴルバチョフの政策をどのように評価しているのだろう。

日本赤軍のメンバ−で北朝鮮に行った当時の若者は今どのような心境であろうか。

 

ソ連に対する不信感

 

我々としてもソ連の共産主義がこの時期に崩壊するなどとは思っても見なかった。

ドイツを分けていたか壁がこの時期に取り壊され、東西ドイツの統一がこの時期に実現するとは考えても見なかった。

ただ一つポ−ランドのワレサ議長の行動は少しは予想がついて、ポ−ランドはおかしな動きをしているなということは感じており、ポ−ランドのみは比較的早い時期に民主化が進むような気配が感じられた。

しかし、その他のことではそのあまりにも早い展開に驚くばかりであった。

1990年、イラクがクエ−トに侵攻した湾岸戦争の際、ソ連がアメリカ側に付いたことによりゴルバチョフのペレストロイカが本物であった、という事を世界が改めて認知したのではないかと思う。

それまではソ連とイラクとは密接に国交を行なっていたのである。

イラクの兵器は全てソ連製である。

そのソ連製の兵器がアメリカ製の兵器に対してさっぱり効果がないのでソ連の軍部も危機感を持ったという事もニュ−スに有ったが、ソ連にしてみれば全くその通りだと思う。

我々日本人からソ連の政治を眺めてみると、どうしてもソ連という国のやる事に信用がおけないところがある。

まず第一に、日ソ不可侵条約の一方的な破棄という事が拭い去れない。

又、戦後日本人の抑留者を60万人も無理遣りに不法就労させたという点もさることながら、200海里漁業専管区域の設定などでも、日本の漁民から見れば全く一方的な、強権的なやり方である。

相手の立場というものを一切考慮しない、自分達さえ善ければ知った事ではないという独善的な事があまりにも多すぎる。

人の痛みを理解しようとしない、他人の苦労は関係ないという共産党流の考え方かもしれないが、話をしても分からない、分かろうとしない、共産党綱領と照らし合わせて物事を計るという態度がどうにも我慢ならない。

漁業の問題でも、日本側が一つ妥協すればもう一つ問題点を出してきて、自分の方では決して妥協ということをしない。

だから両方が話し合いで折れ合って、妥協点を探すということが出来ない。

最初からイエスかノ−のどちらかで後は時間の無駄というものである。

イラクがソ連製の兵器を買ったのも、イラクがだまされて、二流乃至は時代遅れの物を掴まさらたに違いない。

こうした政治的な態度というものは対外的な面ばかりではないと思う。

おそらく自国民に対しても同じようなことをしていると思う。

つい1年程前にも食料品の公式価格が65%アップしたという。

こんな馬鹿な話はない。ソ連かブラジルにしか起こりえない。

食料品を一気に65%もアップするなんて事は我々では信じられない。

それでもソ連国民が生き長らえているということは、その社会体制に上手に順応しているということである。

事程左様にソ連政府、乃至は共産党のやることは信用できない。

戦後ソ連に抑留された人々はもっとソ連に対して抗議をすべきである。

生きて帰れた人はもっともっとソ連に対して抗議すべきである。

運悪くソ連で亡くなられた方は、損害賠償を請求すべきである。

あのソ連の抑留者の件は、戦争とは別の次元の話である。

戦争とは切り離して、国連なり、赤十字社なりにもっともっと抗議すべきである。

日本の左翼が嫌っているアメリカは、太平洋戦争中の在留邦人を差別したことに対して、きちんと保障をしている。

ソ連に不法に抑留された人々は、もっとソ連に対して強烈な抗議をすべきである。

今、バルト3国が独立したがっている気持ちも無理無い面がある。

あの3国は、スタ−リンに国を乗っ取られたのも同然である。

2、3の国内の共産党シンパとスタ−リンが組んで、あの小さな独立国をソ連邦に併合してしまったのである。

共産党のタヅナがゆるめば真っ先に独立したいという民族感情は無理もないことだと思う。

スタ−リンというのは政治家というよりもマフイヤのボスという雰囲気である。

やる事なす事がマフイヤと同じである。

それにアメリカのル−ズベルトとイギリスのチャ−チルが騙させれた事が東西冷戦のきっかけである。

ゴルバチョフが来日したとき抑留者名簿を持ってきた。

戦後、半世紀近く経って抑留者、死亡した人の名簿を持て来た。

これなんかも考えてみればソ連に於いても何ら価値の無い物である。

日本にとっては大いに価値があるかもしれないが、ソ連側にとってはなんの値打ちもない。ゴルバチョフが日本への手土産という値打ちは有ったといえばいえるが、こんな物をソ連サイドで50年近くも秘密にしておく必要は全くないのである。

最後の抑留者が引き上げるときに持たせて返しても、ソ連側にとって何の不都合もないけれども、それを50年、半世紀近く後生大事に保管し、秘密にしていたという、このセンスは一体何であったのだろう。ナンセンス以外の何物でもない。

共産党の政治というのは国民不在の政治である。

国民の為に政治をするんではなく、共産党の為に政治をするんである。

共産党の為の政治というのは党内の覇権争いである。主導権争いである。

ゴルバチョフはまだ大局的な立場に立っているが、エリツイン、リガチョフに至ってはその話が相手をけなすことだけである。

大体、共産党の党内というのはこんな雰囲気ではないかと想像する。

それにしてもスタ−リンというのはソ連人、自分達の同胞をあまりのも多く粛正しすぎたと思う。

一説によるとその犠牲者は400万人とも言われている。ちょっと信じられない数字である。ヒットラ−がガス室で行なったユダヤ人の数に匹敵する数字である。

自国民をこれだけ殺害した政治家というのも歴史上ヒットラ−とスタ−リンぐらいではないかと思う。

こういう共産主義に憧れた日本人がおり、なおかつ現在でも憧れている日本人がいるということを我々はどう理解したらいいんであろう。

日本は思想信教の自由が保障されているので憧れるのを止めよとは言えないが、一度本人達の反論が聞きたいものだ。

 

共産党の倫理

 

ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチでソ連内の共産党一党独裁政治は終焉した。リトアニアの民族紛争で血が流れたことにより、ペレストロイカも終焉した。

後にくるのは保守派の台頭、言い換えれば再度共産党の復権である。

強いアメリカならぬ強い共産党の巻返しである。

ここでゴルバチョフは政治の方向を少し後戻りさせなければならないであろう。

そして民族独立運動が全土に広がると、それはそのまま核の拡散となってしまう。

我々、西側の陣営としてはそうならないようにゴルバチョフの後ろ盾をしなければならないと思うが、何を以て後ろ盾にするかとなればそれは経済援助だろうと思う。

しかし、日本はソ連に対しては何時かは寝返る、ということを肝に命じて対ソ政策を取らなければならないならない。

経済援助も借款では還ってくる見込みはない。

援助するなら無償援助にして、恩を売っておくべきだ。

まあ恩義も通じないとは思うが、それにしても一体誰と話をすればいいのだろう。

連邦政府なのか、地方の共和国政府なのか、こっちの方がさっぱり分からない。

合弁企業の設立も目下さかんになりつつあるが、これもよほどしっかりした心構えで取り掛からないことには騙される恐れがある、騙されるというと言葉が悪いが、先方が騙すつもりが無くても結果的には騙したことになる。

北洋漁業でも現地買い付けの場合、金を払う段になると値上げをしたりしてくる。

個々の担当者は騙すつもりではないかも知れないが、結果的には騙したことになる。

だからソ連との取引はよくよく注意が肝心だと思う。

漁業専管区域の設定などでも全くひどい話である。

公海上に勝手に線引きして、違反者をだ捕するなんて事は国際法上許されることではないことだと思うが、国連もアメリカも何も言うことが出来ない。

漁場を保護するという美名のもとで違法が罷り通っている。

今までは核の抑止力でだまっていたが、ソ連邦が崩壊したとなればこれなども元に戻すべきである。

北洋漁業の関係者はもっともっとソ連の非をPRすべきである。

ソ連が弱体化してからでは遅すぎる。

ソ連のやり方を全世界に向けて意見公告を出すべきである。

ソ連人というのは個々の人間をピック・アップすればそれなりに好感が持てるが、一旦政治絡みの話になると全く融通が利かず、人を騙し、欺くようなことを平気で行なう。

これは共産党のせいなのか、それとも個々の政治家の裁量かは知らないが共産主義者というのは全く心を許すことが出来ない。信頼しきれないところがある。

ソ連は外国人に対してもこの有様であるので、ソ連邦の同胞、ソ連の国民に対してはこんなことは日常茶飯事かも知れない。

とすると共産主義が悪いのか、ソ連の人間が悪いのか、一体どちらにその要因があるのであろう。

ソ連の共産主義というのは、党員の何%が共産主義というものを本当に理解しているのであろう。

共産主義が悪いのか、人間が悪いのか、はたまた管理が悪いのか、一体どこにその本質、共産主義が破綻した原因があったのであろう。

 

社会主義の成果

 

ただ世界中の国を眺めてみると、共産主義を掲げている国はソ連だけでなく、中国、北朝鮮、ベトナム、キュ−バ、その他アフリカの一部の国も含めてみても、共産主義国家で大きく発展しているところは一つもない。

ソ連も軍事力こそは世界一であるが、経済的には既に破綻してしまったし、中国などとても発展しているとは言えない。

中国にしろ北朝鮮にしろ大きな建物は作っているが、ビルや記念碑なんて物は国民生活や国力を計るバロメ−タ−には成り得ない。

あんなビルなどはピラミッドと同じで、墓ではないにしても記念碑的な存在でしかない。

共産主義国家としての新秩序が確立して75年間の内に、資本主義国家は紆余曲折が有ったとは言うものの、どんどん発展して、国民は豊かになり、政治は安定してきているのに、共産主義国家の方は軍事力のみは突出しているとは言うものの、何一つ世界に向かって誇り得る物が無い。

中国にしてもソ連にしても昔いた貴族が、共産党に成り代わっただけで、これらは昔も今も非生産階級で、非圧迫階級であり続けたわけだ。

昔の貴族や豪族、大地主に代わって共産党員が国民を搾取する立場に成ったわけである。

計画経済は大きな破綻をきたしたわけである。

何故破綻をきたしたか?その理由は国民が働かないからである。

大体、働いても働かなくても賃金が同じでは、人間は勤労意欲をそこなわれるし、又効率というものを人間の能力に依存しようとしている。

つまり、一つの物を単位時間に沢山作る人はそれなりに評価されるが、この沢山作る人間を温存したままで、これを機械でやらせたらどうなるか?人間の仕事を機械にやらせたらどうなるか?というアイデアを提供する人の評価が低い。

ただ単に目の前のノルマを消化する人のみが評価され、効率を考えたり、能率向上を考える人の評価が低い。

又、管理する人が管理される人より収入が少ないなどということは我々では全く考えられない。

ただただノルマの達成のみに目を奪われて、仕事を通じて自己を研くとか、企業なり組織なりに貢献しなければという、また効率を上げようとか言う、近代工業社会の根本の考え方が欠落している。

資本主義社会では人間は欲望を満たすため全知全能を傾けて努力するが、共産主義社会ではそれが無い。

金持ちになりたい、車が欲しい、大きな家に住みたいという欲望が欠落している。

こういう社会では当然勤労意欲というものは後退せざるをえない。

一時イギリスでもこうした状況であったものをサッチャ−が建て直したことがあった。

ソ連の場合にはサッチャ−がやったような小手先の改革では手が付けられないほどの瀕死の重傷と見ていい。

社会保障というのは理想としてはもっともな事ばかりであるが、それを受ける側には甘えの構造が抜けきれない。

どうにかして一銭でも余分に勝ち取ろうとする心理が働く。

そこが社会保障でもらう金と、労働でもらう金の違いである。

働いても働かなくても受給できるとなれば、人間はどうしても怠惰の方向に流れる。

そして甘え、むしり取ろうとする。この心理がソ連社会を崩壊させたものと思う。

それと社会主義者は労働という言葉を多用する。

労働という言葉からは農業従事者、工場の労働者、鉄道の建設作業員というような肉体労働のイメ−ジが拭いきれない。

こういう分野でノルマを達成する人はそれなりに評価されるが、これはどんな社会でも同様なことであって、同じ単位時間に能率を上げる人は共産主義社会ばかりでなく、資本主義社会でも高い評価を受ける。

しかし、共産主義社会の価値観の中には如何にしてその厳しい労働から抜け出て、楽が出来るかという発想が沸いてこない。

そういう発想を資本主義的と決め付けて排除しようとする。

共産主義社会では全部一様にそうした状況である。

中国、北朝鮮、全部人海戦術で事を成そうとしている。

個々の単純労働以外に価値観を見いだそうとしない。

 

合理化に対する考え方

 

たとえばテレビ討論で吉田弘子が指摘していたように、アイロンを10年も20年も同じ方法で作っている。

製品が10年前と同じ物であるということは、生産手段も10年前と同じ事をやっているに違いない。

そこにはアイロンをどうしたらもっと沢山作れるか、その方法はどうしたら能率よく出来るのかという、合理化に対する発想は全く芽生えていないということである。

一人の職人が一日10個作っていたものを、どうしたら一日20個作ることが出来るか、そのためには工具や設備をどのように改善、改良すればいいのかという考え方が微塵も伺えない。

恐らくアイロンばかりでなくソ連国内のべての産業、生産現場で同じ事だろうと思う。

農業、工業、鉄道というあらゆる分野で合理化ということを考えているところは無いだろう。共産党幹部もノルマの達成は声高に叫ぶばかりで、ノルマを上げるためにはどういう工夫がいるのか、というところまでは知恵が回っていないのではないかと思う。

そうでなければ現在のソ連の経済状況など考えられない。

ソ連の社会全体が単純な肉体労働には価値観を見いだしているが、考える仕事、工夫をする仕事には価値観を見いだしていないのではないかと思う。

共産主義の理念は労働により自己の充実を図るということだと思う。

それをソ連の国民の大部分は労働により自己の安寧を図っているのである。

党の幹部から押しつけられたノルマのみを達成すれば食うに困らない、ただそれだけに満足している。

そして今までは鉄のカ−テンで閉ざされて、井戸の中の蛙の様な状態におかれて、世の中こんなもんだと思い込んでいたに違いない。

西側諸国ではきれいな服を着て、娯楽も、車も、テレビも有るということ知らされていないので、世の中の人間は全て、ノルマを達成して食わせてもらえばそれで極楽だと思い込まされていたに違いない。

人間、他人と比較しなければ欲望も起きてこない。

きれいな女性を見るから、胸をときめかし、立派な家を見ることにより、自分もあんなのを手に入れたいと思うし、金を貯めたいと思うのである。

そういうものを知らなければ、自分の周囲のみが全世界だと思い込むのも無理ない話である。その労働のノルマというのも、肉体労働という限定された観念で、知的労働、考えたり、工夫したりする仕事は最初から仕事と見なされていない社会では、発達ということは望めない。

それで革命以来75年が経過したわけである。

しかし、ここでとりわけ不思議なことは、軍事力のみはそういうことと無関係にどうして世界一になり得たかという疑問である。

ソ連が最初に人工衛星を打ち上げた時、あれはドイツからつれ去った技術者がやったのだとまことしやかに言われたものだ。

これもある面では真実であろう。

しかし、ドイツの科学者が携わっていたとしても、あのような大きなプロジェクトは一人や二人で出来るものではない。

あれは組織として、システムとして機能しないことには成し得ないことである。

そして社会的にも裾野の広い技術的な基盤が無いことには成り立たない。

ソ連の軍需費用がGNPの35%ぐらいだったとしても、それだけでは成り立たないと思う。

人工衛星やICBMとソ連市民の窮乏の状態、このアンバランスが実に不思議である。

我々、西側陣営では軍事技術の波及効果ということがよく言われる。

軍事技術が発達すると、その技術が民生用の技術として民需品にフイ−ド・バックしてくるという通念である。

それがソ連ないしは共産主義国ではない。

人工衛星やICBM、核兵器のみがソ連の産業の中でも突出している。

軍事技術の波及効果というのは西側諸国では極ありふれた事柄であるが、これが無いということを考えると、共産主義社会と資本主義社会では、同じ人間同志が生活し合っている中、住み分けている中にははっきりとした相違点が有るに違いない。

それは多分価値観の違いだろうと思う。

価値観と一口にいっても漠然としているので共産主義と資本主義の違っているところを全ての面で比較してみると、

 


    共産主義                             資本主義

 

1 共産党一党独裁                        1 複数政党

2 共産主義                              2 民主主義

3 ノルマ至上主義                        3 合理化、効率化、生産性至上主義

4 福祉充実                              4 弱者のみ福祉依存

5 統制経済、計画経済                    5 自由競争

6 軍事費巨大                            6 軍需費のみならず福祉にも金が要る

7 過去においては勢力拡大をめざした      7 諸外国とは同盟により結ばれた

8 生活用品の不足                        8 生活用品は充実

9 食糧難、住宅難                        9 全て解消の方向に進んでいる

10  資源は豊富にある                      10 資源を融通し合っている

11  情報が閉鎖的                          11 情報は氾濫している

12  マスメデイア未発達                    12  マスメデイアが発達している

13  個人の自由が抑圧されている            13  個人の自由は保障されている

  思想、信条、言論の自由の抑圧            思想、信条、言論は自由

 

こうして列挙するとまるで切りがない。

しかし、ソ連の社会が現在のように低迷している原因は案外、マス・メデイアの未発達と自由の抑圧が大きく影響しているような気がしてならない。

例えば、先程のアイロンが10年間同じという話にしても、アイロンの生産を合理化しようとした人がいても思想や言論の自由が無いことには、又、マス・メデイアの公正な報道というものが存在しないことには、それを他人に認知させることが出来ない。

現状より変わった、進歩的なアイデアでも、それを発表、公報する自由が無いことには他人に認めさせることが出来ない。

そういう意味でソ連革命75年間の共産党によるメデイアの締め付け、思想、信条の自由の抑圧、これがいちばんソ連社会を低迷させた元凶かもしれない。

 

ソ連崩壊の不安

 

よってゴルバチョフがペレストロイカでこの二つのネックを取り除いたら、急に民族意識がぶり返してしまったに違いない。

そしてそれが今度は反動の方向に成りつつある。

ソ連社会を維持しようとしたら反動に対する絞め付け以外に道はない。

ゴルバチョフが反動政策を取るか、ソ連国民が自覚して民族意識の高揚を程々の所でセ−ブさせることが出来るかどうかが今後の問題である。

今の西側諸国の各国の首脳としてはソ連国内の共和国同志の民族意識は程々の所で収拾して、ソ連邦を今迄通りのソ連のままであってもらいたいというのが本心ではないかと思う。

前にも述べたように、ソ連邦が崩壊して各共和国が独立するような事態になれば、それこそ手放しで喜んでいられない。

本気で核の拡散の心配をしなければならなくなる。

ソ連邦というのはあまりにも大きな領土であるため、ソ連邦内でも産業の分業化が必然的に行なわれていた。

例えば、小麦等の農産物は西の方のバルト諸国、石油のような地下資源はシベリヤ地方、綿花、羊毛等は中央アジア、そして石油掘削等の機械工業はコ−カサス地方というように、地球規模で分散している。

この15の共和国の中で資源が分散しているため、それぞれの共和国が勝手に独立を宣言したりするとソ連邦の経済というものは完全に麻痺、破綻してしまう。

15の共和国が連邦という強い絆で結ばれていた間はまだ良かったが、各共和国がそれぞれ勝手なことを言い、勝手な行動を取るようなことになると、それこそ収拾がつかなくなる。これらの共和国は我々日本人のように戦争を放棄した様な有り難い憲法を持つとは限らない。主権侵害があればすぐにでも武力行使をすることを憚らない人々ばかりである。

その上、核兵器はそのまま温存されているし、ソ連邦の軍事力、陸軍、空軍、海軍、KGBなどの組織は一体どうなるのであろう。

恐らく各共和国にそのまま残ると考えるべきである。

そうなるとSALT戦略核兵器削減交渉の締結も意味がなくなる。

有名無実の存在でただの紙切れになってしまう。

それよりも指揮、命令系統の混乱が恐ろしい。

ソ連邦という一枚岩が15に分割されたとき、現存する核兵器の管理を誰がするのか、誰がそれらをコントロ−ルするのか、そこの所をもっと我々は真剣に考えるべきである。

ソ連邦が崩壊するということは、ソ連邦内のみに終わることはなく、西側諸国にも大きな影響を及ぼすことになる。

日ソ間の経済援助にしても交渉相手が定まらない。

又、仮に一時的に定まったとしても、それが今後普遍的に安定するかどうかが分からない以上、真剣に考慮することすら出来ない。

東西冷戦が終決したといって喜んでばかりはおれない。

 

国連の理念、理想

 

湾岸戦争の際、日本国内においても国際連合という言葉がよく飛びかった。

「国連決議がなされた!」とか「国連中心主義」とか言う風に、国連という言葉がよく使われた。

まあ無理もない話で、我々は国連が世界の平和に大いに貢献しているものと頭から思い込んでいるので、国連といえば何か有り難いものだというイメ−ジが抜け切れず、後光が射しているような感じがしたものである。

しかし、国連というものも1945年に設立されているところから考えれば、もう46年も経っており、半世紀を経過している。

この46年間の世界の変化は目を見張るものが有ることは万人が認めるところだろうと思われる。

設立が1945年、昭和20年、第二次世界大戦で最後に日本が破れた時点である。

日本の敗戦の2ヵ月後に国際連合というものが結成されたわけである。

その理念は再度にわたる世界大戦の反省の上に立って、二度とあのような地球規模の戦争を防ごうとしたものであったに違いない。

しかし、その後においても世界各地において戦争が撲滅されたわけではない。

朝鮮戦争、ベトナム戦争、フオ−クランド戦争、中東戦争、アフガニスタン進攻など、国連発足以降も国連の理念とは無関係に地球上においては各地で戦争、紛争が勃発した。

これはその裏を返せば、国連が戦争、紛争の抑止、抑制に何ら力を持ち得ないということである。

国連の安全保障理事会は常任理事国と非常任理事国があって、常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国と、1945年当時の戦勝国がなっている。

この時点での戦勝国と、その後46年も経った時点においての戦勝国では力の関係に変化がきたしている。

力関係というよりも、国力に大きな差が出来てしまっている。

とりわけこの5大国の中に共産主義国家が二つも入っている。

資本主義国家が三つに、共産主義国家が二つという配分である。

いまでこそ東西冷戦が終焉したとは言うものの、この46年間というものは文字どおり東西冷戦の真っ最中である。

主義主張の違う、全く相反する体制の国家が同一のテ−ブルについても話が纏らないのは火を見るよりも明白である。

その上、この常任理事国のみが拒否権を持ている。

話が纏らないもの同志が拒否権を持ていれば、纏りそうな話も余計纏らないのが当然である。

国連の安全保障を司る機関がこのような状態では、世界の警察官としての機能が全く行使し得ないと言える。

その設立の理念は理想に近いものであっても現実の問題となると、そう理想通りには行かないという証左である。

大体、1945年当時の戦勝国というのもあの時点では国力が疲弊困憊していたのである。一人アメリカのみが本当の意味で戦勝国であり、世界のリ−ダ−でありえたのである。

イギリス、フランスというのは戦勝国側に座を占めているとはいえ惨憺たるものであったし、ソ連も中国も国内的には相当疲弊していたし、中国に至ってはまだ革命中である。

この中国が中華人民共和国を取るのか、中華民国政府を取るのか微妙な所であるが、結果的には国土も人口も大きい中華人民共和国が採用されたが、この点においても最初の設立の時点から問題点を含んでいた。

又、一番の問題点はなんといっても主義主張の違う国同志が同一のテ−ブルに着くというところだろうと思う。

だからといって主義主張を同じくするもの同志が集まれば、ただの集団安全保障になってしまう。

これでは全世界をカバ−することにならず、国連というものの理念とは離れてしまう。 

 

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