070611001

「提言・日本の新戦略」その5

 

最初の安保条約

 

例の「提言・日本の新戦略」の14項は、日米安保を取り上げて、見出しで「国際交易にも生かし、価値を高める」と題し、3つの題目を並べている。

1,米国との同盟と自衛隊で日本を守る。

2.9条との組み合わせこそが、政治の現実的な知恵である。

3,同盟の信頼関係をアジアの安定に役立てていく。

と、日米安全保障条約を肯定的に捉えているが、朝日新聞の過去の日米安保に対するスタンスはこんなものではなかったはずである。

それまでの朝日新聞に代表される日本のメデイアの日米安全保障条約に対する対応の仕方というのは、この条約があることこそが日本が攻撃を受ける原因になりかねない、という極端なものであったではないか。

戦前は、当時の国策に積極的に貢献し、草の根の軍国主義の中で戦意高揚に尽力し、嘘八百の報道をし続けた自責の念から、戦後はそれが極端に左傾化したことは、ある面では致し方ない部分も認めざるを得ない。

問題は、オピニオン・リーダーとして、世論の動向に右往左往するような「社会の木鐸」であって良いものかどうかという点である。

オピニオン・リーダーとして確たる信念を持っているとするならば、世論の風潮によって右に行ったり左に行ったりとふらふらすることはないと思う。

「社会の木鐸」を自認しているとするならば、時の時流に左右されず、信念を持って自己の意見に固執し、特定政党にすり寄るなどということがあってはならないと思う。

私個人の考えでは、人間が生きていく上で「正しいとか正しくない」という生き方はあり得ないと思っている。

ただし、人間の集団の中に法律というものが出来れば、その法に対して正しいかどうか、法に則っているかどうか、法の定める規範からはずれているか否か、という争点は否定できないが、それは法という枠内のことであって、人間の生存と法のあいだには「正しいとか正しくない」という規範は当てはまらないと思う。

法に触れたからその人は正しくないとか、法を犯さなかったからその人は正しかったという言い方は成り立たないと思う。

そのことと、法に触れたら罰則が科せられる、ということは全く別の次元の問題だと思う。

法の枠内では、法を犯せばそれに規定された処罰を受けることは当然であって、人間と法の間には、法で規制しきれないもうひとつの何かがあると思う。

それが倫理というものではなかろうか。

電車の中で年老いた人を見たら席を譲る、階段で困っている人がいたら介助する、弱者をいたわり、公共の福祉には積極的に介入するということは、法律の枠の外の話で、こういうことは「正しいとか正しくない」という価値観では計れないではないか。

それが国と国の関係においてもなり立つわけで、国と国が約束を交わしたからといって、その約束が厳格に守られるという保証はどこにもないわけで、人類の過去の歴史では、そういう約束の破綻というのは掃いて捨てるほどあった。

1939年の独ソ不可侵条約、1941年の日ソ中立条約、その他数え上げたらきりのないほど約束不履行、約束の反故というのはあるわけで、そういう意味では日米安保に反対した戦後の日本の知識人の方が正しかったかもしれない。

ところがここでも出てきたように、国際間の取り決めにおいて「正しいとか正しくない」という価値観は最初から存在していないわけで、あるのは損得勘定しかない。

国と国の離合集散は、それぞれの国の事情による損得勘定で動いているわけで、信頼関係で成り立っているわけではない。

戦後60年間、我々はホットな戦争に巻き込まれずに生きてこれたが、これはアメリカが日本を守ってくれたからではない。

結果的にはそういう形に見えるので、我々はアメリカの軍事力の庇護の中で、のうのうと平和をむさぼることが出来たという風に見えるが、現実はアメリカの国策であったわけで、アメリカのための日本の平和であったのである。

日本という国を平和な状態にしておくということは、アメリカの国策上も得策であったわけで、平和憲法があったからでもなければ、自衛隊があったからでもない。

日米安保条約というのは、我々の側からすれば、「安保ただ乗り」論でいければこれほど有り難いことはないが、現実にはただではないわけで、応分の負担を負わされているが、それでも日本が独自で日本の領土を守るよりは安価である。

ここに条約としての利害得失が反映されている。

又、アメリカにとっても、今、日本から撤退することはアメリカの国策上も極めて不利なわけで、日米安保を通じて日本の基地を利用し続けたいというのが本音だと思う。

ここで問題となるのが為政者とメデイア、特に朝日新聞や大学教授を柱とする知識人との見解の相違である。

日米安全保障条約の最初は1951年、昭和26年サンフランススコで講和条約が締結された際、ときの全権代表の吉田茂が、単独でアメリカに日本を守らせることを決断して、条約を締結したが、彼の脳裏には祖国防衛を他国に任せることに対して、日本国内から突き上げがくるのではないかという恐れがあった。

その時の日本のメデイアは祖国防衛よりも単独講和、つまり共産国が同意しない講和条約をしてはならないと、日本の独立そのものに反対していたわけである。

共産主義国を含めた全面講和が出来るまで、我々は独立をしなくてもよいという論陣を張ったのが、あの戦前・戦中を生き抜いた大学の諸先生方であったわけである。

日本はアメリカに占領されたままでよいという思考であったが故に、祖国防衛などというところまで知恵が回っていなかったと思う。

戦後の左翼内では、戦前・戦中に治安維持法で牢獄に繋がれていた連中が生粋のコミニストとして羽振りがよかったわけで、そういう連中が有頂天となって騒ぎまくっていたが、当時の日本の知識人というのも、そういう連中に大いに感化されていたことは否めない。

牢獄に繋がれたことが仲間内で勲章となるという意味では、暴力団の世界と全く同じなわけで、教養知性豊かな左翼的知識人の深層心理もその程度のものであったということだ。

そういう連中も、この時点では安保条約の本当の意味も解していなかったに違いない。

この時の安保条約は全くの片務的なもので、アメリカは日本の基地を勝手気ままに使えるが、何かことがあれば共同で対処するという担保がなかったので、その時にアメリカに対して約束の拘束力というものがなかった。

これでは全く独立国としての威厳も立場もないわけで、保護国の立場でしかない。

この当時は、それこそ戦後の復興もまだ道半ばで、あらゆる面でアメリカに協力できる部分は何一つなかった。

 

民意としての軍国主義

 

ところがそれから10年もすると、これではあまりにも情けないではないかということで、その安保条約の中で多少とも日本の独自性を主張しようとしたのが60年代の安保闘争であった。

この時の日本の知識人の反対闘争というのは一体何であったのだろう。

この時の反対派のスローガンは「安保を改訂すれば又戦争に巻き込まれる」というものであったが、この時代の日本の知識人、特にメデイアや大学教授という日本の知性を具現化している筈の人々の未来予測の出鱈目さは一体どこからきていたのであろう。

自分達のおかれている現状が全く理解されていないということは、一体どういうふうに考えたらいいのであろう。

知識人といわれる人々が、こんな浅はか、愚妹、馬鹿な現状認識でよくも知識人として人前に出てくると思う。

ただちょっと彼らに同情する余地があるとするならば、時の総理大臣岸信介は戦前にもすでに閣僚として活躍し、日米開戦の時には商工大臣であったが故に、彼に対する妬みや羨望の気持ちが押さえきれずに、恨みに思っていた節がなきにしもあらずだと思う。

どういう理由があったにしろ、60年代の安保闘争における日本の知識人の喧噪は、日本民族独特のお祭り騒ぎの域を出るものではない。

我々は政治のことをマツリゴトと言うぐらいで、おまつりであるかぎり面白くなければならないわけで、それを演出し、踊りに踊ったのが当時の日本の知識階層であったわけである。

その意味からすれば、本当の意味の草の根の政治活動で、下からのボトムアップの政治行動であったが、問題の本質が本当はここにある。

草の根の下からのボトムアップの行動・運動ならば極めて民主的と思われるであろうが、それはそのまま衆愚政治につながっているわけで、戦前の軍国主義というのも国家が上からそれを国民に押しつけたわけではない。

こう言えば当然反論がある。

「冗談ではない、学校で強制されたのだから上からの押しつけだ」、という意見が当然出てくると思う。

「教育勅語を丸暗記させられたではないか」という反論が当然出てくる。

確かに、当時の文部省がそういう指示を出したのも事実であろう。

ところが、そういう一遍の指示を、後生大事に押し頂いて、有り難く承ったのは庶民、国民、大衆の側であって、個人的にそれを無視したとしても、誰にも実害はなかった筈である。

そして、その指示を無視したものを密告したのは、我々の同胞で、戦友であったり、職場の同僚や近所のおじさんおばさんであったり、隣り組の隣人であったわけで、何のことはない自分達で軍国主義というものを下からボトムアップで作り上げていたではないか。

小学校の先生が、教育勅語など丸暗記する必要はないと個人的に思ったとしても、隣の先生や同僚から白い目で見られれば、児童に強制せざるを得なかったと思う。

息子が戦死した母親に対して、「軍国の母」と煽て上げたのは、地域の顔役であったわけで、それを戦意高揚のために麗々しく報道したのが当時のメデイアではなかったのか。

「勝った!勝った!」と提灯行列をしたのは国家の指示というよりも下からのボトムアップの祝賀行事でなかったのか。

要するに、戦前の我々は、上からの強制で軍国主義になったのではなく、下からのボトムアップでイケイケドンドンという軍国主義に被れたのである。

主義主張などというものは、上から強制したからと言って国民に浸透するものではなく、下からのボトムアップだからこそ、国民各層に浸透するものだと思う。

ここで政治のリーダーシップというものが問われるわけで、国民が要求することに答えさえすればそれが善政だと思うと、これがとんでもない大間違いで、その見極めが大事だ。

為政者は大衆の求めることに応じたら衆愚政治に嵌ると思わなければならない。

その良い例が戦前の日本であったわけで、当時の日本大衆は貧乏からの脱出を願うあまり、軍国主義にはまり、イケイケドンドンに期待し、それが成功したときには提灯行列で歓迎したわけである。

当時は軍人が幅を効かせて、大衆の声などなかった、という反論が聞こえてくるが、その軍人こそ大衆そのものであったではないか。

当時は徴兵制で、国民の中の若年男子はイコール軍人であったわけで、2・26事件の反乱軍の上から下まで見事に日本の大衆の縮図であったではないか。

兵を率いた青年将校、及び兵そのものも、日本の中の大衆、若者、田舎の青年達の仮の姿であって、当時の日本の姿そのものではないか。

田舎出の優秀なものは青年将校となり、そうではない田舎出の若者は兵として、軍隊というものを形作っていたではないか。

当時の軍隊は日本の国民そのものと考えてもいいと思う。

時の時流に逆らったり、当時の当局の指針に抵抗した人を糾弾し、告発したのは全て我が同胞の隣人であったわけで、日本全国津々浦々で庶民レベルでそういうことが起きていたではないか。「上海だより」という軍歌の中にも明らかに当時の日本国民の願望と期待が込められているではないか。

「見てろこんどの激戦に、タンクを一つぶんどって、ラジオニュースで聞かすから」と。

美濃部達吉氏の「天皇機関説」を糾弾したのは当時の大学教授達ではなかったのか。

斉藤隆夫の粛軍演説を糾弾したのは当時の国会議員達ではなかったのか。

この当時の大学教授の大部分は、戦中を生き抜いて、戦後、左翼陣営に身を置いたではないか。

ことほど左様に、昭和初期の日本は軍国主義そのものが下からのボトムアップの草の根の軍国主義に埋没していたではないか。

今の言葉に言い換えれば、それこそ民意そのものではなかったではないか。

その民意を最終的に具現化したのが東条英機であったわけで、彼はヒットラーやスターリンや、毛沢東と同じような独裁者などではなかったではないか。

戦後の左翼的な知識人は、昭和初期の日本の軍部というものを、日本の大衆と切り離して特別な星からきたエイリアンのような扱い方で、何んでもかんでもあの戦争の災禍を軍部、軍隊、軍人達に押しつけているが、そうではないと思う。

私は旧軍人達を弁護する目的でこう言っているわけではない。

むしろ旧軍人達に対する恨みは誰よりも強く感じているが、物事はその本質を見極めなければならないわけで、像の尻尾を握って、それが全体だと思い込むととんでもない過誤を再び招きかねないので、そこを指摘しているつもりである。

60年安保の反政府運動というのも、戦前の軍国主義の勃興とあまりにも似ているので、その点に注視しなければと考えている。

60年安保の時の世論の高まりというのも、時の感情が時流に迎合していたわけで、日米開戦の時に大臣を務めていた岸信介が再度大事な条約に手を貸していることが気に入らない、という個人レベルの感情論が先走っていたわけで、安全保障条約の中身については殆ど議論がないまま反対、反対というスローガンのみが声高に叫ばれていたものと察する。

この時、「極東の範囲」という言葉が国会審議の答弁のなかでやりとりされたが、こういう質問をする野党の知的レベルが国を危うくするわけで、戦前の政治でもこういうレベルの質疑応答のまま我々は奈落の底に転がり落ちていったのである。

人間としての普通の常識が普通に通らないから、それは常軌を逸し、抜き差しならない方向に向かってしまうのである。

政治とか外交というものを大局的な視点から見てみると、民意を無視して、常識に則って、常識にそった政策を自己の信念として押し通したときに、それが善政として歴史に残る。

戦後の日本の発展は、相対的に見て保守陣営の政策が善政であった証拠であると思うが、それを戦後の日本の知的レベルの高い人たちはなかなか素直に認めようとしない。

個々の内閣では、それぞれに個々の失敗もあったことは認めざるを得ないが、総体として右肩上がりで此処まできたということは、保守陣営の国の舵取りが成功であったということになると思う。戦後の60年の我々の歴史というものを眺めたとき、その時々の政府の施策にことごとく反対してきた野党の政治家、それとその野党の肩を持ってきた知識人と称する日本のオピニオン・リーダーの人々は、この60年間の歴史の中でどういう地位を占めるのであろう。

戦前の我々は確かに貧しかった。

その貧しさからの脱出のためには、海外雄飛が必要だと草の根の感情として存在していたことは間違いないと思う。

それを具体化したのが、貧しい農民からかり集めた若者の集団としての軍隊という組織であったわけで、そういう軍隊は貧乏からの脱出ということを潜在意識として内在していたと思う。

昭和初期の日本の軍隊には、軍隊に入ってはじめて革の靴を履いた者や、米の飯にありついた者や、自分の名前も書けない者がいたわけで、そういう人たちは後世に文字として資料を残すことがない。

同じ兵隊でも知識人は自分の置かれた境遇を文字として残しうるが、徴兵制度でかき集められた田舎の若者の中には、それが出来ないものも数多くいたに違いない。

資料がないものだから、戦後の日本の左翼的な知識人は、そういう者の存在を無視して、高級参謀としての軍人や、政策や作戦に直接携わる高級官僚、ないしは高級将校を標的にして糾弾しているが、このことが戦前・戦後を通じて日本のオピニオン・リーダーの最大の欠陥である。

つまり、グローバルな視点が欠けているわけで、国益と称しながら、自己益を追求しているわけで、ものの本質、物事の真相、人間の普通の倫理というものを蔑ろにして、目先のことばかりに目を奪われているからである。

例えば、戦時中、日本は英語を一切禁止して、野球の用語を無理矢理日本語で行っていた。

ところが同じ時、アメリカは日本の研究者を集めて、日本民族の本質をあばこうと努力していたわけで、この発想の相違をどう考えたらいいのであろう。

此処には、田舎の若者を集めて純粋培養した弊害が見事に現われており、我々日本側では見事に視野狭窄に陥っていたわけで、文字通り井戸の中の蛙の状態であった。

こういう学校を出た人も、若いときにはそれぞれ国費で外国に学ぶ機会もあったに違いないが、そこで彼らが陥ったのはカルチャーショックによるコンプレックスであったに違いない。

そのコンプレックスが高じて精神主義に陥り、西洋人はチャラチャラと浮ついて、人前でも平気でキスをするような軟弱な人間ばかりで、日本が一撃を食わせれば尻尾を巻いて逃げ出すと、自己中心主義に陥ったものと考えざるを得ない。

こういう思考に至るところが、日本の田舎の若者で、物事を知らないが故の、西洋文化の何たるかを知らない、田舎者の発想であったものと思う。

昭和初期、日本の陸軍でも海軍でも、前途有能な若者に海外の事情を知らしめるために、様々な理由付けをして海外に派遣していたはずである。

ところが軍人の養成機関において、一番多感な時期に完全に純粋培養されてしまったので、思考が一定の方向に凝り固まってしまい、視野を広くすることにまで気がまわらなくて、唯我独尊的な思考に至ったものと推察する。

日本では田舎出身であろうとも、日本の最高の教育機関で学び、押しも押されもせぬエリートと見なされているが、西洋にきてみれば町中にいくらでも彼らと同じレベルのエリートらしき人間がいるわけで、そこでその西洋人の本質が如何なるものかという風に好奇心が向かえば、そのことが戦略思想につながったであろうが、そうはならずにコンプレックスが高じて精神主義になってしまったので、日本は奈落の底に落ちてしまったのである。

 

知識人を映す鏡

 

ここでは人間の本質を伺い知るべきだと思う。

例えば、代々百姓で虐げられた生活を強いられた者が、いきなりエリートコースに乗ったとしても、代々引き継いだ百姓根性というのは一代では払拭しきれないということである。

その人の教養知性とか品位というものは一代では築きえないわけで、それを詮索すると出自の問題に行き着いてしまう。

戦後の日本のエリートも、エリートなるが故に海外に学んだものは大勢いるが、戦後はそのベクトルが完全に逆向きになってしまって、自分の祖国を貶める方向に向いてしまっている。

戦前の日本はアジア全域に軍事力を行使して、軍事力でもってそれらの国々をコントロールしようとしたので、それが海外で学んだ戦後のエリートにとっては大きなトラウマとなって、日本という国の行動は全て否定しなければいけないという思考に至ったものと推察する。

自分の祖国に対する不信感であるが、その不信感があるが故に、普通の人の普通の倫理、常識というものを不信感でもって眺めるというようになってしまった。

戦争に負けた国は一時的には勝った国に占領され、その国の信頼が回復すれば、しばらく後には当然独立を認めるというのは、現代の世界の人々の普通の常識である。

又、独立した主権国家ならば当然自主憲法を持ち、自分の国を自分で守る自衛権も当然保有するというのが普通の世界の常識である。

戦後の日本のエリートは、こういう普通の世界の常識を全否定するわけで、60年安保騒動は、その顕著な例だと思う。

それは戦前、軍のエリートが西洋各国を見て回ったとき、出自の貧乏人根性なるが故のコンプレックスから、唯我独尊的な精神主義に傾倒したのと同じで、戦後のエリートは、ある程度裕福な出自であるが、周りの同胞の頑迷な封建主義に抗しきれず、共産主義革命を夢見ているが故のある種の視野狭窄に陥っていたものと思う。

戦後、マッカアサーが5大改革をなして、民主化されたとはいうものの、国民、庶民レベルの日常生活ではまだまだ封建主義が蔓延していたわけで、草の根レベルで民主化が浸透したわけではない。

60年安保闘争で、デモに参加した学生や労働者も、自分の故郷に帰れば、どっぷりと封建主義思想に浸かっていたわけで、そういうものに対する個人的な反発が、マスとしてのデモ行進に参加することで一時的な発散の場所になっていたともいえる。

デモに参加した大部分の学生や労働者にとって、安保条約の中身などどうでもよく、ただ同じような境遇の仲間とデモすること自体に動機があったのかもしれない。

まさしくオマツリ気分の変形に過ぎないではないか。

この時の日本の若者というのは非常に残酷な集団だと思う。

わずか20年前、中国大陸でシナ人に極悪非情な仕打ちをしてきたのも、この年齢の我々の同胞であったわけで、南京大虐殺が先方から非難されているが、先方のいう数字は必ずしも正しいとは言えないにしても事件があったことは確かだと思う。

その事件を起こしたのは、60年安保で暴れ回った我々の同胞と同じ年齢の人間であったはずだ。適地の中に派遣された若者の心理としては、ある程度の過剰反応は許されてしかるべきだと思うが、我が同胞のこの世代の残忍性というのは、時代が変わっても払拭されることのない現実だと思う。

日本民族の20代から30代の人たちというのは極めて凶暴性が高いと思う。

そして、その世代が世の中に一番影響を与える世代で、日本の兵隊が外地で行った意味のない殺戮も、この世代の仕業だろうと思うし、戦後の60年安保で東京の町をまるで内乱状態にまで陥れたのも、この世代の若者であったわけで、その意味で日本人の20代から30代の若者の行動には注意を要すると思う。

戦前は、軍隊という組織の中で、その構成員の一人として現地の人々を蔑視していたが故の乱暴狼藉であったと思う。

これは軍という組織の上の方の堕落とは別に、下の方、つまり下級兵士かものを知らないが故の奢りであったと思う。

ところが戦後の若者の行動は、こういう旧体制の中で抑圧されていた知識人の、現体制に対する反動のための喧伝や煽動から若者が暴れたわけで、その意味からして戦後の若者の行動には知識人のものの考え方が大きく作用していると思う。

我々、戦後の日本人の生き様を詳細に見てみると、実によくその辺りのことが浮かび上がってくるが、知識人には自分達の姿を映す鏡がないわけで、結局、最後まで判らずじまいで終わってしまった。

例えば、教科書裁判で名をはせた家永三郎氏などは、戦前も大学教授であったわけで、例の治安維持法があったので、沈黙を余儀なくされた。

ところが日本が戦争に負けてアメリカに占領されると、治安維持法も廃止になり、内務省も解体され、特高警察も解散させられたわけで、彼ら大学教授達にしてみれば、もうこれで怖いものは完全になくなったわけである。

つまり彼らは完全に身の安全が保証されたわけで、こうなると今まで抑圧されていた我が身の不甲斐なさが沸々とわき出てきたものだから、それ以降というもの自分の政府に楯突くことばかりをしてきたわけである。

戦前の大学教授というのも、軍人と同じように案外純粋培養の趣があるようで、それだからこそ「象牙の塔」と言われるのではなかろうか。

家永三郎氏にしてみれば、岸信介が戦前何をしていたかも知っているわけで、「そんなものが牛耳る政府などの言うことが聞けるか」という信条も判らないではない。

彼にこういう発想があったとすれば、それはあまりにも子供っぽい思考だと言わなければならない。問題は、こういう世代、戦前・戦中に既に大学教授として地位を占めていた人は案外共産主義に寛大あったという点である。

彼らはインテリなるが故に海外の情報を得やすく、その中でも共産主義の栄光を実にあっけなく、全く疑うことを知らず、共産主義者の言うことならば頭から信じていたわけである。

自分の国の政治家のいうことには猜疑心を働かせるが、海の向こうの共産主義者のいうことは頭から信じていたのである。

あの戦後という時代状況の中で、自分の国の政治家が信じれない、騙された、政府とは嘘ばかりつく存在だ、という心境はわからないでもない。

戦中は日本政府つまり祖国の政府に騙され続けていたわけで、自分達の政府が信用できないと言う気持ちはわからないでもない。

此処で感情論が又登場してくるわけで、自分の祖国は国民に対して嘘ばかりついてきたが、共産主義国、ないしは社会主義国というのは人民の国家ならば決してそういうことはないであろうという思考は、これまた盲人が像を撫でる図と同じだ、ということに気が回っていなかったのである。

終戦直後の日本の知識人の思考も、戦前に軍人政治家ないしは官僚が陥った轍と同じことであったわけである。

つまり、対象の本質を知らないまま、その表層面にのみに気を取られ、その対象を崇め奉り、その他の付随的なことが眼中に入らなかったのである。

これは、それぞれの対象が違うとは言え、やっていることは戦前の我が同胞のしてきたことと、終戦後の我々の知識階層が陥った轍は全く同じであるということである。

まさしく我が民族、大和民族の民族的本質ではないかと思う。

自分達の目指す対象、戦前ならば富国強兵、戦後ならば平和で活力のある民主制という対象の実現に直面して、その実現を願うあまり、感情論ないしは思い込みによって思考の視野が狭められてしまって、他を顧みず、他の選択肢を忖度することを拒否し、周囲に気配りすることを忘れ、その目標に一途に走り込もうとし、それが大儀となってしまい、それに異を唱えるものを異端者として葬り去ろうとする思考は戦前・戦後を通じ、我々の民族には脈々と流れている民族的本質ではなかろうか。

この「提言・日本の新戦略」の中で、日米安保を取り扱っている14項の論説の中には、日米安保に対する過去の歴史というのは一言も触れずに、あたかも国民の総意でそれが存在しているかのように記されているが、40年前には国民の半分がそれに反対し、国論が二分されていたわけで、朝日新聞の側から「米国との同盟と自衛隊で日本を守る」とか「同盟の信頼関係をアジアの安定に役立てて」などという綺麗事が出てくることなど考えられない状態であったではないか。

「安保条約は日本を再び戦場に追いやる」と主張した40年前の彼らの言い分は今どうなっているのだ。

戦前の日本政府は結果として日本国民を騙したが、戦後の日本の知識階層も、結果として日本の民衆に対して嘘ばかりを流し続けていたではないか。

ところが戦後は結果として我々は60年以上も戦火に巻き込まれることなくこれたわけで、それは戦後の政治家の功績として素直に認めなければならないと思うし、それは同時に戦後の日本の知識人の反省を促す大きな動機にならなければならないと思う。

戦前でも戦後でも、知識階層というのはある種の純粋培養された人々の筈である。

戦前の軍人養成機関のような明確な純粋培養ではないにしても、高等教育を享受できるということは、既にそのことだけでも一般大衆とは異質な存在なわけで、そのことは逆にいうと、一般大衆の気持ちを理解し切れていないということである。

生まれ落ちたときから教養と知性に囲まれ、いくつもの関門をパスした結果として知識人となっているわけで、その間の彼らの価値観は、文字で書かれた文献のみが彼らにとって信ずるに値する本質であったに違いない。

ところが市井の一般庶民というのは、日夜額に汗して労働をしているわけで、そこでは人間としての生存競争が展開しており、綺麗事の通用するような甘い環境ではないはずである。

この現実の二極化を是正しなければならないというのが、人の良い、お坊ちゃん育ちの、教養と知性に溢れた象牙の塔の住人としての知識階層である。

浮世離れした象牙の塔の住人から、現実の生き馬の目を抜く俗世間を眺めれば、まさしく薄汚い社会に見えるのも当然のことである。

人の良い、善意の固まりのような知識階層は、こういう薄汚れた社会を何とか綺麗で明朗で、生き生きとして活力に満ちた社会に作り直さなければならないと思い、その思いが共産主義社会の実現に力を傾注させるものと想像する。

現時点では共産主義大国の旧ソビエット連邦が崩壊して20年近くなっているので、共産主義というものに対するあこがれも消滅し掛かっているが、終戦直後の状況は、こんな様子ではなかった。共産主義こそ人類の生存に欠かせない永久不滅の理念だ、という思い込みは日本の知識階層に根深く、伏流水のように流れていたわけで、その風潮を煽りに煽っていたのが朝日新聞であったことを忘れてはならない。

現在の日本社会の不祥事というのは、終戦直殿の日本の左翼系知識人達の一番弟子、ないしは二番弟子たちが引き起こしているわけで、こんなことは彼らの年齢を見れば一目瞭然である。

今、50代から60代の人は、昭和22年から昭和32年の間に生まれた人で、彼らが大学に進学したころは、まだ戦前・戦中を生き残った大学の先生方が大勢生きていたころだと思う。

こういう、大戦を生き抜いた先生方は、当然のこと共産主義にも寛大で、戦後の混乱を目の当たりにして、活力のある民主社会の建設を願うあまり、それを学生達にもとくとくと講義されたに違いない。

ぶっちゃけて言えば、共産主義の宣伝を大学教授が率先して行ったと見なしていいと思う。

共産主義の考え方そのものは、一つの主義主張として認めざるを得ないが、問題は、その実践の過程として、旧秩序の破壊、現行の法体制の破壊ないしは無視、それに付随して共産主義的手前味噌の解釈等々の問題があるわけで、つまり現状の全否定という大きな問題を抱え込んでいるということである。

法律や規則がある。

自分の行為がそれに抵触する。例えば自分の思うこと、したいと思うこと、しようと思うこと、が法律や規則に縛られてそれが出来ないとなると、法律や規則の方が悪いという論法である。

自己の我が儘が通らないと社会の方が悪いという論法である。

先の大戦を生き残った大学の先生方は、敗戦による進駐軍の民主化の波を蒙ることによって、やっと長くて暗い、暗黒のトンネルを抜けた思いがして、開放感に満ちあふれ、その反動は先の時代に蒙った沈鬱さや、我慢の量に比例して大きく、活躍の場が開けたと思ったに違いない。

この戦後の第一世代の大学教授達は、徹底的に旧の軍隊や旧の為政者を扱きお下ろし、この人達を同胞とは認めてはならないというような言い方で糾弾しながら、一方では次世代、つまり戦後生まれの大学生に共産主義の綺麗な部分のみを教え、共産主義社会が実現すればこの世はバラ色に輝くというような綺麗事を並べ立てたわけである。

今の50代から60代の人は、こういう教育を受けきているわけで、この過程の中では倫理というものが全く存在していないのである。

戦後第一世代の大学教授達にしてみれば、日本古来のものの考え方、つまり封建思想というのは新しい文明にとって弊害あるのみで何も残すべきものはないと、切り捨てて構わない存在であったに違いない。

民族として、あるいは人間の生存には、法を遵守する前に、法以前の存在として倫理というものがあるはずである。

倫理の乱れを法が規制するわけで、法律で規制されたことというのは、倫理の最低限の規範なわけで、法律を守っているから正しいというわけではなく、倫理に則っているかどうかが、真の人間性を見る基準となるべきだ。

ところが、戦前・戦中を生き抜いた大学教授達でマルクス主義に被れていた人たちは、そこまで思考が練れていなかった。

こういう大学の先生方が、非常に柔軟な思考を持っているはずの若者たちに、つまり学生達に共産主義賛歌を説き、自己の我が儘を法の前に優先させなさい、などと説けば世の中は良くなるはずがないではないか。

昨今の社会的な不祥事は、組織のトップが引き起こしているわけで、本来問われるべきは、組織のトップに如何に倫理観の欠けた人間がついているか、ということでなければならない。

官僚の天下りの問題、官製談合の問題、公金横領、選挙資金記載漏れ、脱税、等々の問題は市井の一般市民、国民、庶民の問題ではないではないか。

まさしくモラルハザード以外の何ものでもないではないか。

本来ならば人間的にも一番円熟した時期で、世の中の裏表もわかり、あらゆることに達観しなければならない50代60代の事実上の組織のリーダーたるものが、司直の手を煩わすなどということはあってはならない筈である。

この世代、本来ならばトップリーダーたるべき人たちの受けた高等教育、つまり大学での教育が、倫理を軽んずる教育であったが故に、モラルハザードの深刻さというものが理解されていないからだと思う。

法を守るということは、社会生活を営む人間ならば当然のことである。

ところがその法の前には、成文化されていないとはいうものの、人間として守らなければならない倫理というものがあるわけで、電車の中で老人に席を譲る、体の不自由な人には手助けをする、弱者をいたわる、等々ということは法律に書かれていなくても人間ならば誰しも共通の習得だし、身につけなければならない習慣であり、民族の伝統でなければならない。

ところがこれを戦後のマルクス主義に被れた大学教授を始めとする知識人の思考で考えてみると、電車の中で老人に席を譲らないのは教育が悪いのだから文部省の責任だ、体の不自由な人に手助けをするのは国家でなければならない、弱者をいたわるには施設が入用だからまず施設を作らなければならない、となるのである。

こういう論旨も悪いことではないし、本質的にはそうかもしれないが、現実を無視し、人間の持った善意を考慮せず、自分が賢者と思い込んでいる人が、自分の理想像として考えた綺麗事の羅列にすぎない。

本来、同胞として、人間として、極自然に手をさしのべればそれで済むことにもかかわらず、様々な屁理屈をつけてそれを他に、特に体制側に転嫁しようとするのである。

こういう知識人が陥っている思考の最大の欠陥は、この例でも判るように、普通の人が普通に極自然に手をさしのべればそれで済むことにもかかわらず、ああでもないこうでもないと理由付けをして、自己の損失、ないしは自己の要求が通らないとき、それを体制の所為に責任転嫁することである。

ここで展開されるのが「風が吹けば桶屋が儲かる」式の奇妙奇天烈、全く整合性のない論理の展開である。

戦前・戦中を辛くも生き抜いた大学の先生方は、戦後の民主化の波の中で、こういうことを若い人たちに煽動したわけで、その教育の効果が見事に今花開いて、戦後の復興から右肩上がりの経済成長を経験し、それが頂点を経て下降気味になった途端、戦後教育の弊害がモロに露呈して、戦後日本人が栄達を得た結果として司直の手を煩わしているのである。

 

綺麗事の羅列

 

戦後の日本の左翼化した思考を大いに喧伝したのはいうまでもなく朝日新聞を筆頭とするメデイアであったが、「安保条約を更新すると戦争に巻き込まれる」と言いつのって政府に反対していた彼らは、自分達が言った近未来予測の過誤をどう説明するのだ。

そういう過去の日本のメデイアの提言、いわばこの朝日新聞の「提言、日本の新戦略」の中の14項で、日米安保についての3項目、「米国との同盟と自衛隊で日本を守る」「9条との組み合わせこそが、政治の現実的な知恵である」「同盟の信頼関係をアジアの安定に役立てていく」、というものの信憑性が全く疑われてしかるべきだと思う。

歴代の朝日新聞の踏襲してきた路線を一歩も出ることなく、何時の時代も時流に迎合して、オオカミ少年の役を演じているだけで、所詮は庶民というものを食い物にしているに過ぎない。

「米国との同盟」などという言葉を朝日の論説から聞くとなんだかこそばゆいような気になるが、これに一番反対していたのが朝日ではなかったではないか。

アメリカに対して従属的な日本政府を非難中傷する急先鋒が朝日であったわけで、ならば戦後の日本がアメリカと対等の立場になることが現実の問題としてあり得るのかどうか、という視点が朝日にあるかどうかである。

そんなことは普通の日本人が普通に考えればあり得ないわけで、戦後の日本は如何なる政党が総理を出そうとも、アメリカとの決別はあり得ないはずである。

まさしく戦後の日本はアメリカの属領であるわけで、アメリカの属領であるからこそ、憲法で戦争放棄を唱えていても生存し切れているわけである。

元々が普通の主権国家ではないわけで、アメリカの属領的疑似主権国家なわけで、普通の主権国家などではないはずである。

朝日新聞を始めとする戦後の日本のメデイアは、自分達の祖国が普通の主権国家になることを頑なに拒んできたわけで、地球的規模で日本という国を眺めれば、脅せばいくらでも金の出る打ち出の小槌でしかない。

戦後の左翼的知識人からすれば、日本の憲法の9条は世界に誇りうる平和憲法であるし、そういう憲法を持った国は、もっともっと胸を張っていればいいし、要求されればいくらでも金を出すことは血を流すことよりも良いことなわけで、金などいくらでも出せばいいわけで、それでこそ日本は世界から崇め奉られる国家になり得ると勘違いしている。

実に綺麗事のオンパレードで、世間知らずのお坊っちゃまの思考でしかないではないか。

この3項目の中で、一番最初の項は活字を読んでストレートに理解できる。

「米国との同盟と自衛隊で日本を守る」ということは要するに日米安保条約と自衛隊で日本の国が危機にさらされたときには対処するという意味だ、とストレートに理解できる。

ところが第2項と第3項では全く意味不明ではなかろうか。

「9条との組み合わせこそが、政治の現実的な知恵である」ということは一体何が言いたいのであろう。

「9条との組み合わせ」と言うことは一体どういうことを指しているのであろう。

「政治の現実的な知恵」とは一体どういうことなのであろう。

前段で言いたいことは、日本国憲法第9条と日米安保条約の整合性を「解釈論で切り抜けなさいよ」ということではなかろうか。

こういう場面で、双方の解釈論で整合性を持たせようという魂胆が、まさしくいじましい日本の知識人的発想である。

元々、日本国憲法第9条には最初から大きな瑕疵があるわけで、その大きな矛盾を抱え込んだまま、無理矢理その中から整合性を見つけようとするから、不毛の議論に陥るのである。

そもそも主権国家の国民が自衛権すら持たずに、戦争放棄して一切の「武力行使をいたしません」と宣言するなどということは、自分達の生存権そのものを否定しているようなもので、不合理きわまりないことであるが、そんな不合理と現実がマッチするわけがないではないか。

日本国憲法第9条と日米安保条約の組み合わせをしたところで、片一方は不合理の固まりなわけで、それと現実に即した安全保障条約がきちんとかみ合うわけがないではないか。

後段の「政治の現実的な知恵」などという文言も極めて抽象的な表現で、ぶっちゃけていえば、憲法解釈で現実を回避して、9条の改正などするなということなのであろう。

こういう言い回しは実に巧妙で、こういう調子で何時までも議論しているから不毛の議論に陥ってしまうのである。

言葉を弄んでいるだけで、現実的な解決には何一つ近づいていない。

ただただ言葉を労しているのみで、時間の浪費でしかない。

それでいて、さも立派なことを議論しているかのように見えることは確実で、議論をしている人たちは大きな仕事をなした気分になっているのであろう。

次の第3項もこれと類似の論理構成で、「同盟の信頼関係をアジアの安定に役立たせる」とは一体どういうことなのであろう。

これも言葉の綺麗さにおいては他に類を見ないものであって、この文言の真意はわかりかねるが正面から反論しにくいことは確かである。

日米安保条約による日米間の信頼関係をアジアの安定に役立たせるということはまさしく綺麗な文言の羅列であるが、意味不明ではないか。

ところがこの文脈でいわんとする、「安保条約がアジアの安定に寄与している」と思われているところが近隣のアジア諸国に中にもあることは確かなようだ。

つまり、近隣のアジア諸国の中には、日本が安保条約でアメリカと結ばれているので、日本の暴走が抑止されていると思っているところもあるわけで、そういう意味では日米安保がアジアの安定に役立っているということが言えなくもない。

然し、この言葉の裏の意味は、日本の独自性がアメリカのよって押さえらつけられている、という意味もあるわけで、先方にしてみれば侮蔑のニュアンスを含んだメッセージだろうと思う。

アジア諸国にしてみれば、日本はアメリカの属国でいて貰った方がどれだけ安心かわからないという思いがあるに違いない。

日本が再び戦前のように、独断専横的な態度になって貰っては困る、という思いはあるのが普通だろうと思う。

日本が戦争放棄して金だけ出してくれる国であれば枕を高くして眠れるが、なまじ再び独自性を出すようになれば、それこそ困ったことになると思っていても不思議ではない。

アジアの周辺諸国から日本を眺めれば、不思議でならないことばかりではないかと思う。

特に韓国や中国の視点で日本を眺めれば、彼らにとって不可解なことばかりではないかと思う。我々の経験した明治維新だって、彼らにはあれと同じことがあり得ないわけだし、戦後の復興だって、あの時点で日本は丸裸どうぜんで、文字通り何もなく、日本の大部分の都市はまさしく焼け野原であったわけで、そういう状態からわずか半世紀、50年でアメリカに次ぐ経済大国になってしまったことは、彼らにしてみたら理解不可能なことではないかと思う。

そして、アメリカから押しつけられた憲法を後生大事と崇め奉り、中でも戦争放棄を明確に明文化しているわけで、まさしく普通の国の概念からすれば、もっとも極端な異質な国に映っているに違いない。

世界で第1位と第2位の国がアジアで手を結んでくれていれば、アジアの周辺国家としては、それこそ安心で、こういう関係が長くつづくことを期待していると思う。

戦後の日本の知識階層も、日本がアメリカの属国であるという現状は素直に認めたがらないが、現実にはそうなっていると思う。

そこがアメリカ外交の老獪なところで、占領中のアメリカの占領政策も、間接統治でアメリカは日本に軍政を敷いたわけでもなければ、直接統治をしたわけでもない。

然し、我々は完全にアメリカの国益に貢献させられたわけで、その意味からすればアメリカがしてくれた経済援助から食料支援に至るまで、我々は助けられたと同時にアメリカの国益に貢献していたわけである。

主権国家同士の同盟というのは基本的にこういうものでなければならないと思う。

片一方がさも助けてやるという尊大な態度では、有効な信頼関係は得られないと思う。

ならば「日本は完全に自立した主権国家ではないか?」という反論になろうが、我々が自主防衛、自分の国の防衛が自分達だけで出来ないという点は譲れない厳格な事実で、日米安保条約がなければ自主独立が維持できないという点で我々はアメリカの属国でしかない。

アメリカの属国という事実は極めて不名誉な言い方であって、自尊心の高い民族ならば決してそういう事実は認めないであろうが、我々、日本国民というのは自ら率先してそういう境遇を選択しているのである。

そういう深層心理が根底にあるからこそ、日本国憲法第9条の改訂に反対をしているのである。

普通の国でいる、普通の国として他から認知される、ということは非常な努力を強いられることなわけで、我々はそういう努力を払うことを回避してきたのである。

血のにじむ努力を回避し、臥薪嘗胆に耐えることを避け、アメリカの国策に身を売ることで安逸な生活を欲しいままにしてきたのである。

先に自分の祖国の政府に騙されたので、今度も我々の同胞の政府は、我々を騙すのではないか、と猜疑心に凝り固まって、政府のしようと思うことに反対し続けてきたのである。

ただ我々の民族には謙譲の美徳というものがあって、自分で考えたリ思ったりしたことを人前で公表することをハシタナイ行為だと見る向きがあまりにも多いように思える。

これが我々の民族に中では奥床しい行為として評価されるが、こういう我々の生き方そのもの中にこそ、本当の真実が内包されているが、国民大衆といういわば烏合の衆は、それに気がつかないわけで、メデイアで大々的に喧伝されたことを大儀だと勘違いしてしまう。

メデイアもメデイアで、何が真実かということに全く無頓着なものだから、声が大きく何度も何度も繰り返して聞かされると、それが大儀だと勘違いしてしまう。

何時の時代にも、如何様な世の中になろうとも、教養知性を積んだ知識人というのは絶えることはないわけで、そういう人ならばこそ、我が民族の中の奥床しい意見を集めて、それを政治や外交に反映させるべく努力すべきだと思う。

朝日新聞のこの提言などの文言も、綺麗事だけが並んでいるが、その言葉の本旨は一体何なのか理解に苦しむ。

このような綺麗事の言葉の羅列で真実をごまかすべきではないと思う。

 

沖縄の地位

 

とはいうものの、日本の戦後60年というタイムスパンの中には様々な世界情勢の推移があったわけで、その中でも1991年の旧ソ連邦の崩壊と、2001年の9・11事件はこの日米安保にも少なからぬ影響を与えた。

ソ連の崩壊ということは、日米にとってまさしく仮想敵国がなくなってしまったわけで、平和ボケの戦後日本人的な発想をすれば、もう軍備など必要ではないのではないか、という思考に直結しかねない。

沖縄の米軍基地ももう不要なのではないか、という短絡的な思考に陥りがちである。

戦後の日本人は、戦時中に日本軍が中国でしてきたようなことが戦争だと思い込んでいるが、それはそもそも戦争ということの本質を知らないものの無知のなせることである。

古くに遡れば、1952年昭和27年の李承晩ラインの設定、1973年昭和48年の金大中氏の拉致事件、それに付随して日本人拉致の問題等、これらは明らかに戦争なわけで、ただ武力行使を伴っていなから戦後の日本人はこれらを戦争とは思っていないが、明らかに戦争行為である。

武力を伴っていない戦争行為というのは他にいくらでもあるわけで、それを全く認識していないということは、戦前に西洋人は軟弱だと思い込んでいた無知に等しいことである。

それはともかく冷戦構造が崩壊し、仮想敵国が消滅してしまった以上、もう軍備は不必要だという論拠は無知も甚だしいわけで、日本の周辺には戦争の火種はいくらでも転がっている。

当然といえば当然なことで、我々は一方的に戦争放棄して「もう武力行使はしません」と宣言しているが、近隣諸国ではそんな非人間的な宣言はしていないわけで、必要と思えば何時でも武力に訴えることを辞さない筈で、今までそれをしてこなかったのは、アメリカという軍事的抑止力が効いていたからに他ならない。

冷戦構造が崩壊し、ヨーロッパがEUとして結束を固めたとき、「アジアは多様性に富んでいるから早急にはそういうことはあり得ない」、という論評が出たが、それは正当な評論だと思う。

アジアの安定に一番寄与できるのは本当は中国だろうと思う。

あの国土の広さと人間の数の多さからいけば、それが妥当な選択だと思うが、残念なことに中国の人々には民族的潜在意識として周囲の人々を夷狄として見下す性癖が中国の何千年にもわたる歴史の中で連綿と生きているわけで、それがある限りアジアは中国と腹を割ってはなすことはあり得ない。

多様性を内包したまま、中国とバランスを取りながら生きざるを得ない。

我々にしても、中国とのつきあいには極度に神経を尖らせて、揚げ足を取られないように細心の注意を払わなければならない。

その中国も、我々がアメリカと手を組んでいる限り、そう安易に事には当たれないが、中国人から日本人を見れば、相も変わらず夷狄としての認識を捨て切れていない。

彼らは紅毛碧眼の西洋人にはある種の畏敬の念を抱き続けているのも昔から変わらない普遍性である。

そういう状況から日米安保を見れば、この条約は大いにアジアの安定に寄与しているが、その要のところにはいうまでもなく沖縄の存在があり、それを抜きには語れない。

沖縄の位置というのは、まさしくアジアの安定の要石なわけで、沖縄住民のかこっている不便、不安、不具合、嫌悪感というのはアジアの安定のための代価であろうと思う。

これは沖縄という土地の置かれた地勢的な欠陥であって、その欠陥が逆にアジアの安定につながっているともいえるが、沖縄という土地は東シナ海の中の孤島なわけで、太古より外来の民族に犯され続けてきた。

島自体が小さいので、外からきた人々によって常に侵略され続けてきたが、これはその島の持ったある種の宿命だろうと考えざるを得ない。

その都度その都度、外来のものに迎合するしか彼らの生きる道はないのだと思う。

そう割り切れば、21世紀の沖縄は、徹底的に要塞都市として開き直って、アジアの安定のための要石に徹するほかないと思う。

彼らが仮に如何なる国家に所属しようとも、その国家から見れば辺境であることに変わりはないわけで、常識的に考えて沖縄を支配した国家が沖縄に首都を持ってくるということは考えられない。仮に、中国が支配したとしても、韓国が支配したとしても、フイリッピンが支配したとしても、首都から遠く離れた辺境であることに変わりはないはずである。

辺境なるが故に、また新たな勢力に支配されかねない危機が残るわけである。

だとしたら彼らの置かれた地勢的な条件を逆利用するしか生きる道はないのではなかろうか。

沖縄の人々が米軍の撤退を願っていることは心情的にはよく理解できる。

ところが、仮に米軍が撤退した後、中国が侵攻してきたと想定したとき、今の内地の我々が、総力を挙げて奪還する気構えがあるかどうかはなはだ疑問があると思う。

我々内地に住む日本人から見れば、沖縄の存在というのは、遠く離れた観光地でしかないわけで、それが侵略されたからといって、内地の人々が血を流してまで、その奪還に協力するだろうか。

今の我が同胞にはそれだけの熱意、同胞愛、愛国心というのはないと思う。

血を流してまで同胞・沖縄を救済しようという気はないと思う。

彼らにしてみれば、あらゆる諸悪の根源は政府にあるのだから、政府が何とかすればいいわけで、内地の若者が血を流してまで沖縄救済に駆けつけることはまかりならぬ、という論旨になるだろうと思う。

当然、自衛隊は侵略に対して対抗措置を執ることは当たり前であるが、その自衛隊の行動に足枷手枷を掛けるのが革新を標榜する内地の知識人の階層である。

内地に住む日本人にしてみれば、沖縄の問題は、遠い遠い辺境の出来事なわけで、そんな島の一つや二つどうでもいいわけで、それが証拠に北方4島の問題も戦後60年間も放置されっぱなしではないか。

如何なる時代でも、沖縄の地勢的な位置というのは変えられないわけで、辺境であるという事実は、今後も変わることのない普遍的なものであるとするならば、そこに住む人々の意識の方を変えるほかないと思う。

つまり、徹底的に要塞都市として、軍事基地のまちに徹し、それに伴う弊害、例えば騒音問題とか訓練地域の問題とうは、技術革新で克服しなければならないと思う。

それは同時に日米安保条約を通してのアジアの安定に直結すると考えられる。

沖縄から米軍が撤退してしまえば、東シナ海に大きな真空地帯が出来ることになり、そのことは新たな紛争の種を蒔くことにつながると考えられる。

この項の提言には沖縄につては一言も触れていないが、嫌なテーマを避けて通るという意味でも朝日の行き方というのは非難されてしかるべきだと思う。

 

目次に戻る

 

次に進む