070601001

「提言・日本の新戦略」その4

 

田舎の成り上がり者

 

「提言・日本の新戦略」には21の論説が載っているので、自分の関心のある順にその反論というべき言辞を弄しているが、17項が「9条の歴史的意義」、18項が「9条改正の是非」、19項が「自衛隊」となっていた。

しかし、これらの項目はお互いに関連しあっているので一つ一つを切り離して論ずることは非常に難しい。

よって相互にオーバーラップする部分もあるが、自衛隊の創建については既に述べた。

問題は、その自衛隊を今後どういう風にするかということであろう。

始めは朝鮮戦争の勃発で、我々の意志とは無関係に、アメリカの都合でアメリカの国益に沿って作られたわけであるが、憲法で戦争放棄しているとはいえ、丸裸の主権国家というのもあまりにも陳腐な存在であったので、独立後も何となくそのままの状態で温存され続けた。

本来ならば、日本が1946年、昭和26年のサンフランシスコ講和条約で独立を回復した時点で、憲法を改正して国軍とすべきであった。

我々がその手続きを怠ったが故に、今でも自衛隊という不可解な存在のまま今日に及んでいる。1946年の9月8日に日本の占領が解かれ、独立を再度確立したとき、我々はどうして憲法改正をして自衛隊を国軍としなかったのであろう。

時の総理大臣吉田茂は当時の我々の置かれた状況を正確に認識していたに違いない。

戦争が終わって7年も経っていない段階で、我々はまだ復興の緒にも就いておらず、アメリカの救援物資で自分達の糊口をしのいでいたわけで、そういう状況下では軍備に回す金などビタ一文もなかったという状況を明確に認識していたに違いない。

だから、自らが軍隊を持つよりも、日米安全保障条約を結んでアメリカに日本の防衛を肩代わりさせたわけである。

今で言うところの安保ただ乗り論の実践であったわけである。

この時の彼の判断はそれなりに評価できると思う。

日本が敗戦で丸腰になった途端、朝鮮の李承晩は早速日本海に李承晩ラインというものを引いて日本漁船を閉め出すという暴挙にでたではないか。

それも実に卑屈に、日本がアメリカ軍の占領下にあるときは、そういうことをおくびにも出さずに、日本が独立して独り立ちしようとした矢先(1947年1月)に日本の切っ先を制する形で露骨な態度に出てきたのである。

当時の日本政府は厳重に抗議しても、相手は聴く耳を持たなかったので、結局1965年の日韓漁業交渉まで解決が先延ばしされたのである。

日本が独立を回復したとはいうものの、その時点の日本はまだまだ復興も緒に就いたばかり、とても軍備に金を回す余裕はなかったのも無理ない話だと思う。

吉田首相が日本の防衛をアメリカに肩代わりさせた理由は、当時の日本の現状もさることながら、彼自身、日本の軍人というものを心から嫌っていたからだと思う。

その辺りのことも先に少し述べたが、彼の自由主義思想と軍隊という組織の中の硬直した思考方法には相容れないものがあって、彼は軍人というものを心から嫌悪していたに違いない。

彼の立場からすれば当然のことで、軍人というのは田舎ものの秀才の成り上がり程度にしか見ていなかったと思う。

実際にそのとおりで、明治、大正の日本の田舎で、村一番町一番という秀才が軍の養成機関に入学して、そのまま職業軍人になるわけで、あの戦争はそういう連中に振り回され、かき回された結果であった。

そういう状況を吉田茂の貴族趣味は嫌悪していたに違いない。

彼の目から見れば、軍人などというものは田舎の成り上がり者以外の何ものでもなかったと思う。だから彼にしても自分の国を守る必要は重々感じていたろうが、日本の軍人には任せられないと考えていたのではなかろうか。

だから、彼は自衛隊、正確には警察予備隊の創建にもかなり冷淡で、アメリカの要求に抵抗し、しぶしぶアメリカの機材をそのまま使って経費節減に努め、必要最小限の経費でアメリカの要求をのむ形で妥協を引き出したのである。

独立を回復した時点で憲法を改正して普通の国として国軍の建設ということも彼の脳裏にはあったに違いないが、その時の日本の現状を見るにつけ、彼とてもそこまでは時期尚早と考えていたに違いない。

憲法を変えれば当然第9条の見直しということにもなり、9条を弄くれば当然再軍備ということにも必然的に連動してしまうわけで、彼にとってそれはあまりにも時期尚早に思えたのではないかと想像する。

日本国憲法がまともなモノでないということは彼自身も解っていたに違いないが、彼の軍人嫌いの性癖から考えて、旧軍人をのさばらせないためにも9条の戦争放棄ということは有り難かったのかもしれない。

憲法を改正して9条を見直せば、必然的に旧軍人に活躍の場を与えることになるわけで、そうさせないためには、日本国憲法をそのままにしておいた方が当面は上策だと考えていたのかもしれない。

戦後、勝った連合軍は日本側の戦争指導者たちを極東国際軍事法廷で裁いた。

ここで裁かれた人たちは連合軍側から見て、つまり敵の視点から見て、戦争犯罪者といわれる人々であった。

あくまでも勝った側が、勝った側の価値観で「あいつは敵として許せない」と思われた人たちが裁かれたわけであって、日本人が内側から「同胞を奈落の底に突き落とした責任をとれ」、という趣旨のモノではない。

日本人の内側から沸々とわき出た、戦争責任の告発というのは当時も今も全くないわけで、そういう意味で、あの当時の日本社会の中には、内側からの戦争責任の告発に値する人物がうようよいたと思う。

吉田茂の世代の者からすれば、唾を吐きかけたいような旧軍人が、まだまだ一杯生存していたと思う。

勝った連合軍は、自分達で憎らしいと思った日本軍人をさっさと収監して、ハンギングツリーに掛け、そのことによって自分達の国民に対して、戦争に参加した意義を知らしめることが出来たわけである。

ところが、負けた我々は、負け戦の告発を誰もしていないのである。

ということは、ここで既に歴史への反省が仕切れていないということに他ならない。

ただ軍隊も、行政も、組織で機能しているわけで、上からの命令指示でことを行ってきた以上、責任の所在はあらゆる組織の長が負うべきであるが、軍隊や当時の行政機関が占領軍の命令で解散してしまった以上、責任者不在ということになってしまったわけである。

国民の側からの告発は閉ざされてしまったことになる。

日本が戦争に負けたということは、突き詰めていえば、軍人たち、特に高級参謀といわれる軍人たちの作戦がことごとく失敗したということになる。

このこと平たくいえば、海軍兵学校や陸軍士官学校を出た優秀であるべき筈の軍人たちの考えていたこと、考えたこと、つまり全ての作戦が全部徒労に終わったということになる。

ならば「優秀であるべき筈であった」、という実績は一体何であったのかということになる。

日本国民を奈落の底に突き落としておいて、何が優秀だという論旨にならなければおかしいではないか。

吉田茂が、サーベルをチャラチャラ鳴らして歩く軍人を見て、「田舎の成り上がり者メが」、と思うのも当然だと思う。

戦前・戦中の我々の同胞が、吉田茂のような思考で、軍人たちの動向を見ていれば、我々は又違った道を歩んでいたかもしれないが、当時の同胞は、そういう軍人に限りなく期待をし、羨望のまなざしで崇めていたことを忘れてはならない。

海軍兵学校や陸軍士官学校といえば戦争に負けるまでの日本では、全国民の羨望の的で、そこに入学できたということになれば、村中、町中の誇りでさえあったが、そこを卒業した本来優秀であるべき人々が、結局は、日本を奈落の底に転がり落としたことになった。

戦後の日本で、この点を追求した論説があったであろうか。

戦記物はたくさん出回って、誰がどう闘ったという話は掃いて捨てるほどあるが、明治、大正、昭和の日本のエリートが、最終的に日本を破滅に導いたという論を展開した人がいるであろうか。

このことは学校秀才の弱点ではないかと思う。

海軍兵学校や陸軍士官学校というのは基本的に学校秀才の集う場であった。

軍隊の養成機関として、当然、身体強健ということは要求されていたので、体が丈夫でその上頭脳明晰と来れば、人々が羨むのも当然であるが、問題は、そのなかで醸成された思考方法と年功序列というぬるま湯の世界である。

要するに、軍人養成機関として、その中では軍人の純粋培養が行われていたわけで、これが諸悪の根元となったわけだ。

戦時中の軍人の傍若無人の振る舞いも、自分達がエリートだという意識が根底にあるものだから、一般の国民を睥睨する気風がのさばったものと考えざるを得ない。

「自分はエリートだ!」と、奢った態度で人々を睥睨することが、如何に下衆な振る舞いか、ということも解らないほど教養知性に欠けた人たちであったということである。

海軍兵学校や陸軍士官学校がその国のエリートであるうちは未開発国に限りなく近いということである。

主権国家として名誉ある地位を占めようとすれば、何処の国もまず最初に軍隊をきちんと整備するわけで、それに付随して、その養成機関にその国の優秀な若者が集合するのも必然的な流れである。

そういう状態のうちはその国がまだ成熟しきっていないということだ。

成熟した社会、成熟した国ならば、若者の選択肢も他にたくさんあるわけで、軍人養成機関に入ったからといって、特別に栄誉なものではなく、その分職業軍人として本気の人が集まるということは言えると思う。

我々の場合、近代思想が未熟だったが故に、日本近代化の初期に、軍人が日本のエリートというものを形成したように見えたので、田舎者の成り上がり思考が、自らエリートになるべく軍人養成機関に群がったわけで、立身出世の一番の近道と勘違いしたところに、目的を履き違える最大の原因があったものと推察する。

栄誉が得られるからといって、エリートとして認められるからといって、猫も杓子もそこに群がるうちは、極めて未開発国に近いということである。

戦後でも高度経済成長のとき、土地投機や株式投機に人々が群がって、バブルがはじければ大火傷をした構図と同じで、時流に上手に便乗しようという潜在意識は、その心根の卑しさを見事に具現化している。

我々の場合、そういう機関に優秀な若者が集まったということは、その根底に貧乏からの脱出願望があったわけで、立身出世が保証され、合わせて名誉や栄誉も得られるわけで、そういう下心につられて日本全国の村々町々の一番二番の若者が集合したのである。

これこそ田舎者の成金思考というものであろう。

本来、優秀であるべき若者が、そういう機関で純粋培養されたが故に、思考能力が偏狭になり、本来の作戦に全神経を注がねばならないときに、先輩だとか、席順だとか、ハンモクナンバーだとか、卒業年次だとか、功績、実績の譲り合いだとかいう些細な心配り気配りに現を抜かしていたので、本来の戦闘がお留守になり、決断すべきところでチャンスを逃がしたり、判断を誤ったりしたわけである。

こういう人たちが、日本を敗戦という状況に陥れても、我々の内側からその責任の告発というのはついに出てこなかったが、その状況を目の当たりにした吉田茂にしてみれば、きっと不愉快な思いだったものと想像する。

だから彼は心から軍隊というものに信頼が置けなかったに違いない。

彼にしてみれば、日本国憲法はいづれは改正しなければならないにしても、戦争放棄は軍人をのさばらせないためにも、出来るだけその趣旨を温存させたいと思っていたのではなかろうか。

 

現実と理想の乖離

 

自衛隊の前史に関しては様々な思いがあるが、この提言19項の「自衛隊」の項目では極めて無責任な綺麗事の羅列でしかない。

「軍隊とせず、集団自衛権は行使しない」「国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく」「非核を徹底して貫き、文民統制をきちんと機能させる」等々、どれをとっても明らかなる認識不足だと思う。

自衛隊を軍隊とせずといったところで既に実質軍隊ではないか。

自衛隊も軍隊も言葉の違いだけで中身は全く同じではないのか。

これこそ不毛の論議というものではないのか。

自衛隊という言葉も憲法の制約から軍という言葉を使い切れなかったので、苦肉の策というか、解釈による言い逃れ的な発想からセルフ・デフェンス・フォースとなっただけのことで実質最初から軍であったことに変わりはない。

自衛隊が、「軍か、軍でないか」という議論そのものが極めてナンセンスなわけで、そのナンセンスさが判らない日本の知識人の思考回路そのものが極めて危険であり、こういう言葉遊びをさも深刻な議論と勘違いする愚昧さも、合わせて危険で、民主主義を内側から蝕むものだと思う。

それを今になって「軍隊とせず」など言っても全く整合性がないではないか。

モトはといえば、憲法で手足を縛られているので、言葉の拡大解釈で現実を追認しようとしたから、奇妙奇天烈な論議になっているわけで、そういう矛盾のモトを先に正さないからいつまでも妙な不毛の論議となるのである。

現実というのは、憲法があろうがなかろうが、憲法にどういう風に規定しようがしまいが、そういうものとは関係なしに推移するわけで、日本が戦争に負けたということは、大日本帝国憲法の有無、ないしそれを如何様に規定しようとも、我々の目の前に流れてきたわけである。

戦争に負けたという現実は、我々が如何様に新制日本の憲法を作ろうと思っても、占領中という状況下で、占領軍の圧力に屈せざるを得ず、それを為し得ない不可抗力的な要因があったわけである。

そういう現実が積み重なってくると、そこに必然的に矛盾が内包されて、現実との乖離が出来てしまうのもある意味では致し方ないことである。

人の世の中というのは「篭に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と、社会的には大きな役割分担があるわけで、その中でこういう現実との乖離を埋める作業をすべきは、本来は学識経験者といわれる賢者でなければならない。

市井の庶民は、その日の糧を得るために東奔西走して働いているわけで、そんなことに関わっている暇はない。

だから、それは当然学者といわれる知識人という部類に属する人々の使命の筈である。

政治家というのは、本来、国民の安寧秩序を最優先に考えるべきで、その過程において現実に素早く、しかも適正に、その場を切り抜け、国民の負担と将来のリスクを最小限のするように、その施策をとることが期待されている。

当然、その場その時で、国民の負担を最小にして最大の効果をねらうわけで、そのためには目の前の現実に対して論理的には整合性のないことでも推し進めなければならないこともあろう。

例えば、日本国憲法の件についても、警察予備隊の創設についても、整合性を持った議論をして、論理的にも何ら瑕疵のない方法などとっている暇はなかったと思う。

その場その時の状況に素早く順応して、応急措置として論理的整合性を超越した処置を執らざるを得なかった時と場合と状況が多々あったに違いない。

これが度重なると、現実と法的な整合性が乖離してしまうわけで、自衛隊の存在のように憲法と現実が大きく乖離するということになってしまう。

そこで問題となることが、世の中で一般にいわれている知識人といわれる人たちの世間に対する貢献の度合いである。

これにも大きな幅があるわけで、一枚のお札にも裏表があるのと同じで、同じ一つの法案でも、左側から見るのと右側から見るのでは評価が相反するわけで、それがあらゆる問題の基底の部分に内在している。

憲法改正の問題も、自衛隊の存在も、この立つ立場の違いでその確執が60年も続いているわけである。

戦前・戦中は、海軍兵学校や陸軍士官学校という軍人養成機関が日本全国の優秀な若者を吸収したが、戦後はそういうものがなくなってしまったので、本来そういうところにいくような優秀な若者が普通の大学に行かざるを得なかった。

ところが、そういう普通の大学、正確には旧帝国大学に居残って戦前・戦中を生き抜いてきた教授連中にとって、敗戦という現実は、彼らの視点からすれば、暗黒のトンネルを抜けたようなもので、精神的には非常に開放感にあふれ、僥倖の中に身を置いたように歓喜に満ちあふれていたものと想像する。

戦前・戦中に大学教授という身で生き残れたということは、極端な話をすれば、兵隊として使うには歳を取りすぎていて、つかいものにならなかったということである。

まさしく彼らの視点からすれば占領軍は解放軍であったに違いない。

治安維持法は廃止され、内務省は解体され、特高警察は解散され、何も恐れるものはなかった。戦前・戦中であろうとも、大学教授というような種類の人種は、共産主義とか社会主義というものに非常に寛大で、そういうものに一種のあこがれを抱いていたことも事実だと思う。

ところが戦中は例の治安維持法があったが故に声を出し口で言えなかったにもかかわらず、意識の中では極めて近親感を持っていたに違いない。

彼らがそういうものに引かれる理由は、彼らの出自が豊かで、その上そういう裕福な環境の中で良家のお坊ちゃんとして育てられ、心がすれておらず、素直で、尚かつ純粋で、博愛主義に嵌り、純粋に虐げられているものを解放しなければならないと思い込み、その為には革命も致し方ないと、真顔で信じていたものと思う。

こういう人たちが戦後の左翼陣営を形成していたわけで、それに反し、政権を担っている側は、現実に直面して、その時その場で臨機応変にことを処していかねばならないので、綺麗事の理想論を言っている暇はなかったに違いない。

物事には必ず表裏があるとするならば、あらゆる政策施行の中で賛否両論、ないしは国論を二分する事態が起きるのも何ら不思議ではないが、この時、知識人というのはどういう態度に出るべきなのであろう。

何でもかんでも政府に反対するでは、知識人としての価値は半減しているのではなかろうか。

普通の一般国民よりも数段と優れた知識を持った人たちが反対する、賛成できない法案などというものは実質何の価値もない、ということに理路上はなるはずで、ならばそういう人に政治を託せばいいということになる。

ところが現実はそうはならないわけで、ここでも現実と実際の政治が見事に乖離していることになる。

仮に、そういう人が政治家になって自分達が良しと思うことを実施したとしても、当然それにも反対意見はついて回るわけで、結局のところ、誰が施策を講じても万人が納得しうるものはないということになり、何が一番人々の生活の向上に貢献しうるものか、という命題に突き当たってしまう。

「何が一番人々の生活の向上に貢献しうるのか」が政治の大命題だとして、それを実現しようとするものに対して、左右どちらの側が政権を担ってとしても、必ず反対意見というものが存在する。皆が納得するまで施策を講じないというのであれば、物事は一歩も前に進まないということになる。日本の、特に戦後の民主的で革新的と自他共に認めている知識人は、このジレンマに如何様に答えを出すのであろう。

又、その答えはあり得るのであろうか。

そもそも万人の納得する答えがあると信ずること自体が、夢を追い続ける獏の存在と同じで、そういう万人の納得する答え、万人の納得する施策というものは、この世にあり得ないというのが現実なわけで、にもかかわらずこの世にあり得ない夢を実現しなければ、と思い込んでいるところに現実離れした理想論を弄ぶ知識人の奢りがある。

理想の実現、理想を追いかける、理想に向かって努力するということは人間の生き様にとって非常にプラス思考で捉えられているので、それを実践することは生きた人間にとって美しいことであり、健気な態度であり、人として善人であり、人間ならば誰しもそれに共感すべきこととして、どの世界でもそれは称賛に値する行為と見なされている。

ところが世の中というのは、こういう綺麗事で回っているわけではなく、生き馬の目を抜きかねない熾烈な駆け引きの中で回転しているわけで、善意の人々の集合などではあり得ない。

日本国憲法の前文では、第2次世界大戦後は世界中の人々が「もう二度とああいう悲惨な戦争の再現を望まない善意の人々ばかりだ」という前提で、「平和を愛する諸国民の」というフレーズが書かれているが、現実の世界はそうなっていたであろうか。

 

草の根の軍国主義

 

今、地球上に氏族とか民族という人間の種類がいくつあるか知らないが、人間の種の中では種固有の生き方というものが数限りなくあるものと思う。

それは、昔から両親を経て種(種族や民族)としてのグループ内の伝統と秩序によって維持され、そのグループが必然的に拡大すれば、その辺境では他民族との軋轢が生まれるのも自然の流れだと思う。

このグループ内の結束を維持し、その伝統や秩序を維持することが国内政治であり、辺境で他民族やその他の障害を克服することが、その国の安全保障だと考えられる。

その辺境のトラブルにグループの長が出て、お互いに話し合いでことが解決すればこれほど目出度い話もないが、そうはならない場合が人類の過去の戦争というものである。

これは今の国家の在り方というものを原始社会に置き換えて見た概略であるが、民主主義的な社会の中で、自分達の文化の伝統や秩序というものを否定するような人たちがいるとすれば、その国家は存立のエネルギーを消滅させる方向に向かうと思う。

例えば今の日本のように。

人間の過去の歴史を見ても、今、滅び去った諸国家ないしは諸民族はサインカーブと同じ軌跡を歩んでいたわけで、最初はゼロから出発して、徐々に右肩上がりの軌跡を歩み、それが頂点に達すると今度は右肩下がりで衰退に向かうわけで、我々の国も戦後の復興をなし、バブル経済の頂点でサインカーブの頂点を極めたのではなかろうか。

歴史上で隆盛を極めたあらゆる諸国家、諸民族において、外部からの武力で国家が滅亡した例というのは皆無ではなかろうが極めて少ないものと考える。

ただ外部からの武力で、ある民族なり国家が滅亡したとしても、それには前提条件があって、その国家の内部が既に崩壊していたから外圧によって消滅に至ったと考えなければならないと思う。ただ国家が滅亡しても、そこに住んでいた人々は一人もいなくなったわけではない。

一人残らず殺されてしまったわけではないはずだ。

アメリカの先住民を例にとっても、彼らが21世紀にいたって一人も生きていないというわけではないが、彼らの自分達の国家というものはこの世に存在しないわけで、アメリカ合衆国、ないしは南米の諸国家の中に埋没してしまっているではないか。

戦後の日本の知識人というのは、将来の日本という国、日本民族というものが、こういう状態になったとしても、日本人が戦争で死にさえしなければ、こういう状態になっても構わない、甘んじてその状態を受け容れる、という観点に立っているとしか言いようがない。

ここで話を原点に戻してみると、国家として如何なる施策を講じようとしても、それには必ず賛否両論、いわゆる対抗する意見というのが出てくるわけで、万人の意見の一致と言うことは極めて難しいことは火を見るより明らかなことである。

問題は、それを解決するのが知識人の使命ではないかと言うことである。

為政者がしようと思う施策に対して反対するということは、誰でも何処でも出来ることである。

小学生から棺桶に片足突っ込んだ老人まで、それは可能である。

ならば為政者というのは毎日持ち上がって来るあらゆるトラブルに何の手も講じずに放置しておけばそれで良いのかと言うことになる。

凡人として世の中の動きをメデイアを通して眺めていると、施政者というのも、それなりに対応はしている。

サラリーマン金融の弊害が出ればそれに対応し、公害が出ればそれに対応し、年金受給者の救済の問題が出ればそれに対応しているが、世の中のことが粛々と機能しているときは、メデイアはそれをニュースとして報道しない。

そりゃそうだ。

人々が毎日自分の職分を汗水垂らして働いているときは、それはごくありふれた普通の光景なわけで、これではニュース・バリューというものが露ほども存在しないわけで、為政者が粛々と業務をこなしているときに、野党の国会議員なり有名な大学教授が行政の瑕疵に大きな不満をぶち上げると、それは特異な現象なわけで、メデイアに取ってはまたとないニュース・バリューが生じるのである。

それをメデイアを通して眺めている凡人は、為政者とか行政は悪いことばかりしている許せない存在だ、ということになってしまう。

これは我々の同胞の過去の経験からこういうことを習得したわけで、戦前・戦中の日本のメデイアは、真実というものを報じず、嘘八百を流し続けてので、メデイアの側では為政者、統治者、行政というものは決して信用してはならないという確信が刷り込まれてしまった。

それで自分達の政府を批判することによって社会の木鐸と自負するようになってしまったわけである。

政治、国内政治というものは、我々同胞の場合、ある程度は民意の反映だと思う。

我々の国に、ヒットラーやスターリンのような独裁者というのはあり得ないわけで、戦前・戦中の我が同胞の施策というのは、東条英機の独裁ではあり得なかった。

彼に権力が集中したことは事実であろうが、彼は毛沢東やスターリンのように自らその権力を奪い取ったわけではなく、なり手がいない、つまり他の人が辞退したので自らそれを背負ったわけで、断じて独裁者ではなかった筈である。

戦前・戦中の軍国主義というのは、上からの軍国主義の押しつけではなく、下からの草の根の軍国主義の勃興ではなかったかと思う。

要するに、貧乏からの脱出を願うあまり、富国強兵が手段であったわけで、明治維新を経て、大正時代にはデモクラシーに浮かれすぎたが、現実には日本社会に貧困が幅広く横たわっていたわけで、人々は皆この貧困からの脱出を夢見ていたものと思う。

それには富国強兵が必要不可欠の条件であったわけで、その当時の日本の若者のうち有能なものほど軍にあこがれ、海外雄飛に夢を託したものと考える。

この思い、この感情が軍国主義の根底には潜んでいたに違いない。

当然、当時のメデイアも抜け目なくそれに便乗したわけで、軍国主義を吹聴、宣伝、煽りに煽ったわけである。

当時の日本人の中にも、世界的視野をもった人たちは確かに存在していたが、日本の大衆、日本国民が富国強兵という大きな理想に向かって怒濤のような精神の流動化の中で、大きな渦に巻き込まれたようなもので、如何に正論を述べても、それは世論の流れに抗しきれなかったものと推察せざるを得ない。

昔も今も、高等教育を受けた知識人、押しも押されもせぬ知識人、学識経験者といわれる人たちの使命は、こういう世論を如何に正すかということでなければならないと思う。

ここに述べたように戦前の日本の政治は、日本の民衆の民意を見事に汲んでいたと思う。

ただ結果が敗北であったので、結果論として昭和天皇が悪い、東条英機が悪い、近衛文麿が悪いということになっているが、本当に悪かったのは我が同胞が富国強兵にあこがれ、貧乏からの脱出のための海外雄飛の夢であったわけで、それこそ草の根の軍国主義であったに違いない。

民意という言葉には、こういう面も併せ持っているわけで、世の知識人といわれる人々は、これを如何に正しい方向に導くかということであろうが、この世に正しいというものがあると思うこと自体が既に矛盾を含んでいるわけで、正しかろうが正しくなかろうが、民族の将来、つまり我々の行着く先は滅亡という終着点なのかもしれない。

人間の集合では必然的に組織が出来、その組織は必然的にピラミットの形をなし、独裁政治であれば施策というのは上意下達で一方通行で終わってしまう。

ところが民主政治ではボトムアップで、下からの意志、意向、願望というものが上に登っていって、そのフイードバックが施策となる。

だから戦前・戦中の我々の政治も、昭和天皇や東条英機が、ヒットラーや毛沢東やスターリンのように独裁政治をしたわけではなく、民意をくみ上げた結果として太平洋戦争という結論にフィードバックしたわけで、そのことと敗戦の責任とは別の次元の問題の筈である。

軍人・軍部の専横ということが姦しく言われ続けているが、その軍人なり軍部というのも他の星からきたエイリアンではなく、彼ら自身が当時の国民の願望や期待を具現化していたわけで、どこからどうきっても我々同胞であったではないか。

ある意味で日本の全国民の羨望の的であった事実を忘れてはならない。

問題は、こういう状況に高等教育を受けた人たちはどう対処すべきだったか、という点に尽きる。

戦後の民主政治においても国論が二分されたときにこういう文化人、知識人、学術経験者といわれるような知識人は政府を批判するだけでは能がないと思う。

政府や行政が行おうとする施策について、その結果はその時点で解らないわけで、解らないからと言って不安材料だけを並べて反対すれば、全体として社会が一歩でも二歩でも前進するであろうか。

結果はやってみなければわからないので、見切り発車して良いかどかは誰にとっても極めて難しい判断であり、その失敗例が先の太平洋戦争であったではないか。

政府ないしは統治者が、何かの施策を講じる、行政が何らかの措置を講じる、あるいは何らかの法案をつくろうとする時は、既に直ちに対処しなければならない事態が起きている筈だ。

現実に何らかの問題が起きているから、それの是正措置として何らかの手を打とうするわけで、その是正措置に対して賛否両論が出ることは致し方ない。

ここで本来ならば学識経験者の登場があって、その賛否両論の意見を一本に集約するのが彼ら知識人の使命ではないかと思う。

 

変わらぬ愚昧さ

 

ここで登場する学識経験者という人たちは、なまじ教養・知性が豊かなるが故に、綺麗事の理想論に一歩でも二歩でも近寄った結論を出したがるが、現実には綺麗事では済まないわけで、清濁併せ飲む器量が要求されるのが通常である。

一つの案件に対して賛否両論が出ることは致し方ないが、この問題を論ずるときに、後ろに党利党略を背負ったまま議論をすると、それこそ不毛の議論に巻き込まれるわけで、そこでは普通の常識に沿ったものの考え方が重要だと思う。

100%の正確さだとか、絶対無比の安全性だか、完璧な仕上がりだとか、こういうものを持ち出すと、それは極論というものになるわけで、それでは子供の口喧嘩の部類になってしまう。

やはり普通の人の普通の常識で物事を考え、普通の常識に則って議論をし、結論を出すべきだと思う。

この時、日本の常識は世界の非常識、世界の非常識は日本の常識ということもあるわけで、これも脳裏に描きながら物事を考えなければならないと思う。

ただ学識経験者といわれている人からすれば、普通の人の普通の常識で物事を考えていては学識経験者としての沽券に関わるわけで、どうしても普通の人よりも優れた面を強調しなければならない。

すると極論にさも立派な理由をつけて、それが如何にも整合性を持っているかのように見せなければならないわけで、1%のリスクでもそれを負う国民はどうなる、1%の犠牲でも許せない、国民の存在をどう考えているのだ、と綺麗事を羅列して開き直られると議論はもう先に進めなくなってしまう。

綺麗事を言うことは誰にとっても心地よいもので、戦争は悲惨だからもうしないでおきましょう、弱者は気の毒だから救済の手をさしのべましょう、老人の介護は個人では限界だから社会全体で見ましょう、働くお母さんを支援しましょう、ということは実に綺麗な文言で、この文言に対して誰も正面から反対しづらい。

反対のトーンが低いと、それが社会的な整合性をもってしまう。

社会的な整合性を持つということは、それがその時の大儀にすり替わってしまうわけで、こうなるともう誰も反論をし得なくなる。

世の風潮となって、それは誰も止められなくなる。

21世紀の日本では、既に戦争は悲惨だからもうしないでおきましょう、弱者は気の毒だから救済の手をさしのべましょう、老人の介護は個人では限界だから社会全体で見ましょう、働くお母さんを支援しましょう、等々のフレーズが大儀となってしまっているわけで、これに棹さすような言辞は完全に封殺されてしまう。

この現状に対して知識人はどう対応するのかということであるが、戦争の悲惨なことは今更言うまでもないが、ならばどうすれば戦争を避けることが出来るかとなった場合、知識人といえども答えがないわけで、それは日本の知識人が答えを見つけ出さないのではなく、世界的に見て答えそのものが存在していないからである。

だから我々にとって現実的なもっとも整合性のある解決の方法は、憲法を改正して自分の国をしっかり守る軍隊を持っているということを内外に知らしめることである。

そしてそれは時と場合によって使うことがあるかもしれない、ということを内外に知らしめることで、そのことが抑止力として機能することとなる。

日本は戦後60年も平和憲法の下で戦争に巻き込まれずにこれたのだから、今更、普通の国になる必要がない、日本は戦争を放棄した特異な国として世界にアピールし続ければいい、という議論もあったが、これも見事に綺麗事で貫かれた理想論を絵に描いたようなもので、教養知性を積んだ知識人の思考ではあり得ない。

戦後60年間も戦争に巻き込まれずにこれたという言い分も、現実を知らないものの無知以外の何ものでもないわけで、一発触発の事態は山ほどあったが、その現実を知らずに盲人が像を撫でている図でしかない。

現に、北朝鮮の日本人拉致の問題でも立派な戦争の口実にもかかわらず、被害者である我々の側が言わないだけのことで、あの件でも見方を変えれば拉致被害者を日本政府が見捨てている図である。

普通の国ならば、ホットな戦争に訴えてでも早期解決を図らねばならない事項である。

正確には日本人の何人が拉致されたのかわからないが、日本本土から他国の人が、罪もない日本人をさらっていったとなれば、きちんとした主権国家ならば、国家の威信をかけて取り戻すのが普通だと思う。

最初は当然外交交渉で問題の解決が図られるであろうが、双方で血を見るのが嫌ならば、当然この段階で解決を見るであろうが、血を見ても妥協するのが嫌だとなれば、当然ホットな戦争になる。日本人の拉致被害者の数が正確にわからない段階で、今の我々の同胞は「ホットな戦争をしてまで被害者を救出せよ」という世論の高まりがあるであろうか。

今の我々の感情としては、それまでして被害者を救出するリスクを負うのは嫌だ、というものであろう。

国民感情としては、被害者を救出できないのは日本政府の対応が悪いのであって、それは政府の責任であるが、そのためのリスクは極力避けるべきだ、という極めて虫の良い要求で、政府を攻めることは厭わないが、自分達がリスクを負うことは勘弁して欲しいというのが本音であろう。

外交でも戦争でも相手があるわけで、相手がある以上、こちらだけの意向では何ともならない。

「拉致被害者を帰してくれ」と北朝鮮にいくら言っても、相手が聴く耳を持たないことには何ともならない。

日本が外交的に抱え込んでいる懸案事項は全てこういうもので、北方4島の問題でも、東シナ海の石油掘削の問題でも、相手が聴く耳を持たない以上、何とも解決の方法がない。

こういう場合、日本の知識人たちの言いぐさは、日本政府の対応が悪いからと言うものであるが、これほどバカな話もないと思う。

一つ一つの交渉では細かい瑕疵はあったかもしれないが、論理的には相手が理不尽な行動を取っているわけで、日本人の知識人であるとするならば、一致協力して相手に対して抗議のキャンペーンを張り、相手の非を高らかに糾弾してしかるべきだと思う。

こと程左様に、我々は戦後60年間、平和りに生きてきたわけではなく、本当は拳を上げる場でも敢えてそれをせずにきたわけで、決して平和を愛する諸国民の慈悲の中で生かされてきたわけではない。

怒るべき時にも怒らずに、拳を上げるべき時にもあげず、隠忍自重して、ただ耐えてきたわけだが、結果として血を見ることがなかったので、平穏無事にこれたと思い込む日本の知識人の思考ほど愚昧なものも他にないと思う。

こういう愚昧さは、戦前に軍人が威張り散らした愚昧さと軌を一にしているわけで、その意味で我々の同胞は戦前も戦後も全く変わっていないということに通じる。

それは思い込みから抜けきれないということである。

 

倫理観の低下

 

この論旨で語られている集団的自衛権は行使しないということは、そのまま日米安保を否定するということになるわけで、これほど無責任な言い方も他にないと思う。

日本の防衛はアメリカとの連携の上に成り立っているわけで、集団的自衛権を行使しないということは、アメリカが攻撃されても日本は知らん顔をしておれということで、これほど人をバカにした思考も他にない。

「自分さえよければ他はどうなっても構わない」ということで、こんなことが本気で通ると思っているのであろうか。

知識人という前に人間として最低の論理ではないか。

国家と国家の取り交わした約束というのは、人と人とが取り交わした約束とよく似ているわけで、そこには約束したからといってそれが決して破綻しないという保証はないので、相手が裏切ることも多々ある。

しかし、約束をする前提としては、それが守られることを前提に約束を取り交わすわけで、その約束をこちら側から「破りなさい」というようなもので、こんなバカな話はないと思う。

人類の歴史の中には、相互に約束を取り交わしながら、恣意的に一方的にそれを破る為政者というのも掃いて捨てるほどいたことも事実であるが、普通に良心的な人ならば、そういう風には振る舞はないものである。

ここでも、この論説を書いた人の倫理の低下が露骨に現われているわけで、戦後の知識人の倫理の低下というのも実に由々しき問題だと思う。

彼らは、自分ではそういうことを全く意識していないわけで、それは戦前・戦中の軍人が如何に驕り高ぶっていようとも自分では全く気がついていなかったことと同じである。

戦前・戦中の軍人は、彼らの権威がその奢りの根本に横たわっていたが、戦後の知識人は、それと同じように彼らの知性と、教養が普通の人よりも過分にあるが故に、それが内心の誇りに転嫁して、非常識な論理も世間に受け容れられると高を括っているのである。

物事は極端から極端に走るから収拾がつかなくなってしまうわけで、ごく普通に考え、普通の常識で物事を処すれば、そうそう大きな失敗はないと思う。

ただ知識人、教養人としては、普通の人と同じような発想や思考に立っていては知識人、教養人としてのメンツが立たないわけで、少しでも普通の人と違う思考と発想を発表しないことには立つ瀬がないわけである。

そういう意識が脳裏の奥に少しでも残っていると、常識を越えてもあまり違和感を抱かなくなってしまうわけで、唯我独尊的な思考に陥るものと想像する。

大体、憲法を素直に読めば自衛隊の存在が違憲であること一目瞭然であるが、それを解釈論で容認しているのは保守陣営の戦略であったとしても、自分の国の自衛権さえ認めない憲法というものがそもそも不自然なわけで、そこに普通の常識というものが作用すれば、「憲法を変えなければならない」という思考に行着くのが当然の帰結である。

今の憲法を「平和を希求するありがたいものだ」という認識が前提にあるものだから、それを「変えてはならない」という理想論に固執するあまり普通が普通でなくなっているのである。

人間が自分の理想や夢の実現に向けて鋭意努力する姿というのは人間の評価としてプラス思考であって、若者に対して誰もが奨めて止まないことであるが、分別ある大人、それも学識経験豊富な知識人ともなれば、そういう子供っぽい思考からは脱却して、現実に即した思考にならなければいつまで経っても夢追い人で終わってしまうではないか。

人々が潜在意識として心のうちに秘めている願望とか期待とか夢というのは、時代の潮流として国民大衆の間には脈々と流れているものだと思う。

戦前・戦中の我々の軍国主義というのも、そういう潜在意識の奔流、潜伏した大きな地下水流として、我々日本民族の中に伏流水として流れていたのではないかと思う。

それと同じことで、戦後の平和主義というのも、あの大戦で様々な被害を被ったのだから、我々はもう二度とああいうことは経験したくない、という願望と期待が潜在意識として、大衆の中に伏流水として流れているのではないかと思う。

そういう伏流水を民衆の率直な声として前面に出して、世論という名で大儀として容認してしまうと、又先の戦争の轍を踏むものと考える。

大衆の願望と希望というのは、ある意味で極めて無責任なわけで、それが間違っていたならば、その責任を全部政府に転嫁してしまえば、国民大衆としては免罪されてしまうわけで、悪いのは政府であり、軍人であり、政治家であったと言うことになってしまう。

こういう状況下で、本来ならば真の知性と理性を具現化する知識人が登場して、新しい指針を表明するべきであろうが、人間の作る社会、いわば人間の生き方として「善し悪し」という価値基準はあり得ないわけで、自分達にとって「最善か、そうでないか」という価値観しか存在しないのではなかと思う。

地球上に生きる人々が、自分たちのしていることが「正しいか、正しくないか」という価値基準で生きているものなどいないと思う。

自分達のしていることが自分達の子々孫々まで、未来永劫、存続しうるかどうか、後に残されたものにとって「最善かどうか」という価値基準で自分達の行為を律していると思う。

その中で我々、日本国のみが自分勝手に、唯我独尊的に、自分達の思い込みによって、戦争放棄という理念を高々と掲げて、周辺諸国の平和を愛する諸国民の善意と好意の中で、そういう慈悲に守られて、極めて他力本願的な自主性を欠いた生き様を呈して、未来永劫、我々の子孫たちが安逸な生活が保証できるかどうかという点に尽きると思う。

そうありたいと願い、そう願望するのは、日本の知識人のみならず、日本の全国民がそう願っているに違いないが、現実はそうならないわけで、日本が戦争放棄しているからこそ、平和を愛する諸国民は日本に干渉し、日本の領土を犯し、日本人を拉致し、日本から金をむしり取ろうと画策しているではないか。

我々の周りにこういう状況が現出しても、日本の知識人にとっては痛くも痒くもないし、日本のメデイアにとってもこういう事件は金つるではあっても抑圧されるわけでもないし、大学教授が職を失うわけでもないし、評論家がホサれるわけでもないので、誰一人実質的な被害を被っているわけではない。

まさしく、名誉や誇りで飯が食えるわけでもないので、誰一人、国家が侮辱されても憤慨するものがいない。

人々はお互いに安逸な生活がそのまま続いているわけで、誇りや名誉を盾に争うことの無意味さを知っているのである。

 

無い物ねだり

 

ここで言うところの「国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく」というフレーズも、見事に綺麗事の開陳なわけで、自衛権も持たない国にとって出来るわけがないではないか。

平和構築ということは、平和でない内紛のまっただ中に分け入って、その紛争を収め、平和を構築するということであって、土俵の外、蚊帳の外からはやし立てるだけの平和構築であるはずがないではないか。

言葉上の見せかけの綺麗事とは裏腹に、こんなに難しいことが我々平和ボケの国に出来るわけがないではないか。

現実に今イラクで起きていることを眺めても、世界最強の国アメリカでさえ、イラクの平和構築に完全に振り回されて、解決の糸口さえ見つからないではないか。

平和構築などということは、その国の国民の自覚がないことにはあり得ないわけで、そのことはとりも直さず内政干渉に踏み込むということにもつながるわけで、こんな事が我々に出来る事ではないではないか。

アメリカはイラクの平和構築、ないしはイラクに民主主義を根つかせようと躍起になっているが、イラクの人々が自分の国は自分たちで治めるという意識が芽生えないことにはそれはあり得ない。

私の個人的な意見としては、アメリカはイラクなどに関わることを止めて、イラク人自身に決めさせればいいと思うが、テロの撲滅ということがきちんと証明されない限り、それもあり得ないはずである。

平和構築という言葉は極めて綺麗に聞こえるが、その実態は「アメリカにイラクの介入を止めよ」と言えばアメリカの政治に干渉していることになるし、イラクに「お互いの内紛を止めて平和にしてくれ」といえばこれもイラクの治安に介入するということになる。

憲法の制約上からも、また実際の運動としても、そんなことが我々に出来るはずもない。

ここにも、あまりにも世事に疎いということが如実に現われているわけで、綺麗な言葉に感情的に酔っている節がある。

そもそも国際連合というものを、世界の女神とでも思っているところが、無知の象徴なわけで、国際連合の安全保障理事会の決議を水戸黄門の印籠のように崇めること自体が不見識である。

あんなものは世界的マフィアの談合以外の何ものでもないわけで、自分達の利益の山分けの会議でしかないではないか。

確かに、国際連合の掲げる理念は素晴らしいが、マフィアの連合でも言葉そのものは極めて綺麗事の羅列なわけで、綺麗な言葉に惑わされること自体、極めて幼稚な思考でしかない。

やはり、現実に生きていくためには言葉の裏もさることながら、言葉と同時に相手の出方、立ち居振る舞いを詳細緻密に観測することが重要なわけで、相手のねらいを間違いなく探ることが極めて重要だと思う。

国際社会というのは、何処まで行っても狐と狸の化かし合いの場で、そういう中に日本だけが善意でもってシャシャリ出れば、相手に良いように利用されるだけのことである。

先の湾岸線戦争の時、1990年、時の総理大臣海部俊樹の出した130億円の金は、多国籍軍にいいように使われたが日本の貢献は何一つ評価されなかったではないか。

これは一つの主権国家に対する極めて無礼な侮辱であったが、我々はそういう侮辱を受けても、それを侮辱と感じておらず、教訓としていないではないか。

後のイラク戦争、2003年の時は、先の失敗に懲りて、日本はイラクに自衛隊を派遣したが、実際にイラクの本土に派遣された陸上自衛隊が一人の怪我人も、一人の死傷者もださずに帰還したので政府として大きく胸をなで下ろしたに違いないが、ここで仮に一人でも死者が出た場合、我々の反応はどうなっているであろう。

それこそ上から下まで大騒ぎを呈するであろうが、こういう国民感情の内在した我々に、それこそ本気で大手を振って「国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく」ことなど出来るであろうか。

それこそ無いものねだりではないのか。

政治の場で、与党と野党という立場の違いは当然であるが、この二つは何でもかんでも相反する意見でなければならないということは本来ならばおかしいわけで、自分の国の名誉がかかった問題ならば、当然、意見は一つに収斂してしかるべきである。

国際貢献として平和の構築に寄与するという気持ちがあるならば、当然、手段の相違はあるにしても、結論は同じでなければならないが、そうならないところが我々の民族の政治が3流といわれる由縁なのであろう。

国際貢献の手段と方法に意見の食い違いがあるといって、国際貢献そのものを全否定するという態度は極めて幼児的な思考で、そういう点から日本を占領したマッカアサー元帥は、日本人の民主化の度合いを12歳の子供と揶揄したのであろう。

マッカアサーでなくても普通に常識のある人ならば当然そう言いたくなる。

イラク国内の紛争地域が、危険に満ちているから自衛隊を派遣してはならないという論拠は極めて陳腐な議論であるが、この陳腐さを日本の知識人、野党の議員、文化人、大学教授、評論家、メデイアのトップ等々の人は理解していないわけで、そのことはまさしく「日本の常識が世界の非常識で、世界の非常識が日本の常識」に転嫁している見事な事例である。

こういう思考の乖離、常識はずれの思考の最大の原因は、結局のところ綺麗な言葉の余韻に幻惑されて、観念論に陥り、念仏さえ唱えていれば災禍は向こうの方から避けてくれる、という極めて他力本願で日和見な思考態度で、自分で事の真相を考えないからである。

自分で自分の身の振り方を考えないものだから、周りの状況に追従するのみで、事の本質が見抜けていないまま、大騒ぎを演じている。

それで済んでいるうちは良いが、そういうぬるま湯の中にどっぷりと浸かりきってしまっているものだから、自分が積極的に打って出るという意欲がわかず、御身大切で命をかけて新しい境遇に挑戦する勇気を持たず、「今更何を言っても変わるものではない」というあきらめの境地がなさしめていると思う。

一言でいえば無責任である。責任回避である。悪いのは何でもかんでも政府であるという極めて軟弱な思考のみで、命さえあればどんな屈辱でも致し方ないというものであろう。

自分が何を言ってもなるようにしかならないし、言ったところで自分が損するわけでもないし、国民の誰にも害はないし、いわゆるシラケの現象で、綺麗事さえ並べていけば何となく評価されるという安易な思考が根底にあるものと思う。

イラクの現状を見るにつけ、あの紛争は既に内乱の域を逸脱して、宗教戦争の感を呈している。我々日本人のように宗教についても確たる信念も持たずに生きている人間が、宗教戦争に首を突っ込んだところで何も得るものはないはずである。

得るものがないで済ませればまだ良い方で、反対に人一人死亡したともなれば、国内では大騒ぎになるような国が、平和活動に首を突っ込めるわけがないではないか。

この程度のことは、特別な知識人でなくとも、我々レベルの普通の常識人でも解るわけで、それをさも立派そうに言うところが朝日の傲慢さである。

普通の常識を普通に理解せず、さも勿体ぶって常識を超越した高踏的な思考かのように言いくるめる態度が気にくわない。

国連安保理というものを、さも高貴で、自由と博愛に満ちあふれ、善意に満ちた、慈愛に満ちた敬虔な国かのように思い違いすることは極めて危険なことで、こういう無知が先の大戦の開始前にもあったわけで、国民は自分たちの奢りに全く気がつかないまま奈落の底に転がり落ちていったではないか。

 

目次に戻る

 

次に進む