070524001

「提言・日本の新戦略」その2

 

改正反対の思考

 

先の朝日新聞5月3日の「提言・日本の新戦略」という論説集は総論・地球貢献国家を筆頭として、全部で21の項目に別れ、それぞれに個別の論調が掲載されていた。

私の関心は、まず最初に総論に視点が向くのは当然としても、その次には17項の「9条の歴史的意義」に向いた。

当然のこと、日本国憲法の9条に言及したものであるが、日本国憲法そのものにも大いなる関心を持つのも日本人ならば当然のことである。

去る5月14日(平成19年)には第96回国会で憲法第96条に定める憲法改正について、国民の承認に関わる投票に関する手続きを定める国民投票法案が可決成立した。

これは戦後、占領下で成立した今の憲法、いわゆる日本国憲法を改正するかどうかを国民投票によって勘案し、その手続きを定めるというもので、憲法改正を前提とした改正案を今後3年掛けて考えましょう、という法案である。

日本の敗戦により進駐してきた連合国軍総司令官マッカアサー元帥は、日本が再び軍事力で世界制覇をすることのない様に極めて厳しい改正手続きを現行憲法の中に潜ませていた。

それによると、現行憲法の改正は

「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」

の手続きを経なければならないことになっている。

各議員の3分の2という条件、国民投票の過半数という数字は、極めて過酷な条件で、戦後の民主的議院内閣制の下での国会運営では極めてハードルの高い厳しい条件である。

戦後60年間、保守派は憲法改正を悲願としてきたが、革新グループは一貫して憲法改正には否定的、ないしは露骨に反対してきた。

地球的規模の視野から見て、主権国家の憲法は、その国の国民が自主的に、自分達の希望と願望を組み入れて制定するのが普遍的な在り方の筈である。

ところが我々の祖国の場合、占領下という特殊な状況下で、勝った側が自分達の都合の良いように制定されたものを押しつけられて、それがその後60年間にわたり日本国民の規範となってきたのである。

こういう憲法を改正しなくてもいい、改正する必要はない、という革新グループの論的根拠はいわばこの9条にあるわけで、この9条があるおかげで我々はその後戦争に巻き込まれることなく経済発展にいそしんでこれたというものがその論旨である。

ところが敗戦から60年も経ってみると、さすがにあの食うものもない、着るものもない、住む家もない状況とは違ってきたわけで、ここまでくるともう一国平和主義では通らないということに気がつき、改正反対の声が少しばかりトーン・ダウンしたことはいうまでもない。

問題は、戦後の日本の知識人が「憲法9条があったから日本は戦争に巻き込まれなかった」という認識に浸っているという現実である。

この憲法9条は日本が世界に誇る理念だから決して恥じ入る必要はなく、堂々と世界に向かって胸を張って誇示すべきだという論調である。

こういう知識人は、日本国憲法の前文に目を通したことがあるかと問い直したい。

その前文にはこういう文言があって、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」となっている。

確かに、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」という部分は日本の戦後の知識人は実践している。

この部分は、自らの能動的、自主的な努力で実践可能な部分であるが、後段の部分の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という部分は、極めて他力本願的な文言で、相手の有り様をこちら側が決めるわけにも行かず、先方の生き方をこちら側がコントール出来ないにもかかわらず、相手の好意を有り難く押し頂いて、彼らから言われるままに生きなさい、と言われているようなものではないか。

いくらこちら側が固い決意をしたところで、相手が無視すれば何もならないわけで、こんなバカな話もないと思う。

戦後60年の間に、日本を取り巻く近隣諸国の中に「平和を愛する諸国民」というのがあったであろうか。

「公正と信義」が信頼にたるものがあったであろうか。

確かに我々は戦後60年間ホットな戦争というのはしてこなかったので、相手も平和を希求していると思ったら大間違いで、相手は日本が手を縛られていることを承知しているからこそ、「公正と信義」を踏みにじっているだけのことである。

自尊心の高い民族ならば、当然、武力抗争も辞さない場面でも、我々は隠忍自重をしているだけのことで、ことは一向に解決されることもなく、ただただ先延ばしされているだけのことである。

事がだらだらと先延ばしされても、日本の識者たちは、自分達の政府を責めるだけで、相手の非をあげつらうことはしない。

相手の非をあげつらう前に、自分達の贖罪意識が先に出てしまって、そういう状況を生み出した日本、我々の祖国の方が悪い、という論法にすり替えてしまう。

日本国憲法の改正に反対をする識者たちの中には、あの憲法はアメリカの押しつけではなく、日本民族の意志を内包していると弁ずるものがいるが、日本の知識人がこういう見解を示すこと自体、日本民族の消滅を示唆していると思う。

日本民族の消滅の示唆ということの本質は、戦争の本質を知らないということに尽きると思う。

戦争というものが刀の斬り合いや、鉄砲の撃ち合いというレベルでしか考えていないということのれっきとした証明である。

我々を惨禍の渦に引き落としたあの戦争は国家総力戦であったわけで、自分達の受けた被害が想像を絶するものであったがゆえに、あの戦争の全体像を掌握出来ず、目先の被害のみがトラウマとなって戦争を遺棄する気持ちは理解できる。

こういう考え方は戦前の日本の軍部の中にもこれと同じものの考え方があったわけで、戦後の日本の知識人の発想と、戦前の帝国軍人の発想は見事に軌を一にしている。

戦争というものの見方、考え方が見事に一致している。

如何に戦争の本質、国家総力戦という戦争を知らないかという点で、見事に一致している。

人類は有史以来戦争を繰り返してきているわけで、その中でも19世紀から20世紀にかけては、その戦争の仕方、本質、意義というものは、従来の思考を根本的に覆すようになった。

ところが、戦前の日本人の軍人・軍部も、また戦後の日本の知識人も、旧来の戦争のイメージでしか戦争というものを見ていない。

戦争を回避する、戦争反対、無益な殺生は御免だ、という思考は何も日本のサヨクや日本の知識人や大学教授の占有的な思考ではないはずで、地球的規模知で見て、棺桶に片足突っ込んだ老人から、生まれたての赤ん坊まで含めて、この世に生を受けた万人共通の願いである。

なにも日本のサヨクや、日本の知識人や、大学教授たちだけが特別にそういう願いが強いわけではない。

誰も、戦争に訴えることなく、相手がこちらの要求をのめば、こんな有り難いことはない。

ところが相手も人間としての自然人、こちらも人間として自然人であるとするならば、お互いに自尊心というものを持っており、話し合いで折り合いがつかなければ、自尊心の手前、拳骨の一つも見せびらかし、相手の妥協を引き出そうとするのが人間としての自然の姿だと思う。

お互いが自然人であるとするならばよけいそうだと思う。

双方が自然人ではなく、理性と知性にあふれた教養人であったとするならば、その時にはじめて日本国憲法のいう「公正と信義を信頼する」行為が生まれるわけで、我々の周囲に「公正と信義を信頼する」に値する主権国家があるというのだろうか。

「平和を愛する諸国民」というものが我々の近隣諸国の中にあるというのだろうか。

 

 

 

 

 

 

賢者の愚妹

 

前にも述べておいたが、我々戦後の日本は1951年、昭和26年のサンフランシスコ講和条約で独立を回復したと思い込んでいるが、教養知性豊かな知識人が、こういう思い込みに浸ることは、如何にも彼らの知識や教養の浅さを表しているわけで、その紛れもない証明である。

こういうレベルの人が、きちんとした民族的潜在意識を内包した人々であったとするならば、日本が独立を獲得した時点で、真っ先に憲法改正を声高に叫んでこそ、日本民族の一員として容認されて然るべきである。

ところが戦前・戦中を通じて、我々の民族意識は軍国主義に最大限都合よく利用されてしまったので、教養知性豊かな人こそ、その対極の方向になびかざるを得なかった。

戦後の第1世代は、日本の民族意識が軍国主義と同化した過程を身を以て体験しているので、民族の誇りも、民族の自尊心も、ことさら嫌う方向に意志が向いてしまったため、憲法9条で戦争放棄の条項をことさら有り難く思っていたのである。

食うや食わずの戦後の状況の中で、普通の国家並みに、普通の主権国家並みの軍備を整えるなどということは不可能であったし、戦争の災禍を再び繰り返すことを殊更忌み嫌った当時の国民は、自らが生きんがためにも、軍備に金を回すなどということはあってはならないことであった。

そういう状況であったればこそ、保守の親玉であった吉田茂は日米安保条約を身を挺して締結し、アメリカの要求した再軍備には抵抗を示したのである。

吉田茂は日米安保で日本がアメリカの軍事的保護下に入れば、日本国民から反撃を食うのではないかとそれを危惧していた。

その危惧の根拠は、あれだけ愛国的に闘った同胞が、アメリカの庇護の元に逃げ込んだ施策に当然反発して来ること予想していたのである。

しかし、そうはならずに日本国民はアメリカの暖かい懐の中で、経済の復興に邁進したのである。

吉田茂は日本の政治家の中ではまれに見る外交巧者であった。

アメリカの懐に飛び込んでおきながら、アメリカの要求した再軍備には必要最小限の協力しかしなかったわけで、いわば安保ただ乗り論を実践したわけである。

日本国憲法と、日米安全保障条約と、日本の再軍備は完全に矛盾が三つ巴になっている。

日本国憲法と日米安全保障条約、日米安保と再軍備、再軍備と日本国憲法は相互に矛盾を内包しているわけで、矛盾が矛盾を生んで結果的に混沌とした状態のまま今日に至っている。

よってこの矛盾を正そうとすると、反対勢力、いわゆる革新勢力というのが反対するわけで、憲法改正もその矛盾の解消の一環であることは言うまでもないが、その矛盾は戦後60年間も継続したということである。

日本の昭和の歴史というものをよくよく見てみると実に不思議なことがある。

戦前・戦中において日本の陸軍士官学校、海軍兵学校というのは日本の村々、町という町の一番、二番の秀才が集合した場所である。

そういう日本全国から集められた秀才が、結果的に日本を奈落の底に突き落としたことを我々はどう考えたらいいのであろう。

戦後の日本の革新勢力というのも、戦後とはいえ、日本の優秀な大学を出た人が主要なポストを占めているわけで、そういう人が何故に祖国の政府を貶め、自分達の行政機関を暴き、今日の混沌を是正しようとしないのであろう。

戦後の知識人は、日本の全国民を奈落の底に落とすようなことはしていないが、今日の社会的混沌は彼らの責任に帰するところが多いと思う。

憲法論議に話を戻すと、日本国憲法の前文でいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という部分は、現実の問題として成り立たないにもかかわらず、何故に「恒久の平和を希求」しなければならないのか、平和憲法として自信を持って世界に訴えなければならないのか、前提条件が破綻しているにもかかわらずどうしてそういう論理になるのか不思議でならない。

「平和を愛する諸国民」というフレーズも極めて綺麗な文言であるが、どんな国でも自分から「好戦国」という国はないわけで、一応表向きは平和を愛する国と標榜するのが普通である。

こんなこと真に受ける我々はよほどバカではなかろうか。

戦争反対をオウムがしに叫んでいる人たちというのも、これと同程度にバカではなかろうか。

「裸の王様」の話と同じで、王様が究極の衣装を追い求めた結果、最後は裸になってしまったが、誰も王様の怒りに触れるのが怖くて、「王様は裸で歩いている」と本当のことを言わないものだから、バカが罷り通っている構図と同じである。

日本国憲法では主権在民が明確に規定されているので、統治の主導権は国民の側にあり、為政者というのは国民に対するサービス機関であるべきが本来の姿であろうが、此処に日本の知識人の思い上りがあるように思う。

国民といった場合、国民という言葉の中には各級、各層が幾重にも重なり合っているわけ、知識人というのはそういう各級、各層の人々の声を代弁していると思い込んでいる節がある。

そういう彼らの自意識は致し方ない。

普通の社会で、普通に日常生活をしている人は、そうそう学問に触れる機会もなく、情報に接する機会もなく、物事を考える習慣も持ち合わせていないわけで、そういうことはそれの専門家に任せざるを得ない部分もある。

そして、それらに対して胸を張って庶民、国民の声を代弁していると強調するのがメデイアである。

メデイアとくれば当然、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌となり、最近はインターネットもメデイアの一端を担っているが、そういうものの活躍が期待されるということになる。

ところが日本のメデイアというのは基本的にその大部分が民間企業で、民間企業であるからには売れるものしか俎上に載せないわけで、いくら人々が健気に暮らし、平穏な日常生活をおくっていても、それはニュース・ソースとして売り物にはならないのである。

普通の痴話げんかではニュースにならないが、痴話げんかで警官が二人もピストルで撃たれたから、ビッグニュースになるわけで、メデイアというのはそういう宿命を背負っている。

日本国憲法の成立でも、日本側では自分達の意志で密かに案分を練っていたにもかかわらず、それを毎日新聞がスクープしまったので、時の占領軍、いわゆるマッカァサーのGHQは慌てて、日本側に彼らの理想とするGHQ案を押しつけてきた。

この時、毎日新聞が暴露した日本側の憲法案をみた占領軍、いわゆるマッカァサーは、何故に慌てたかというと、その時の日本案があまりにも旧態依然としていたからである。

それともう一つ、日本占領に関しては、極東委員会というものが日本占領の重要事項を取り決めることになっていたにもかかわらず、アメリカ軍は自らを極東委員会の下に置きたくなかったので、マッカァサーは極東委員会を無視して独断専横したわけである。

日本占領を極東委員会に任せれば、中国と旧ソ連がアメリカの意向を無視する危惧があったので、マッカァサーは彼らの先手を打って事を処したのである。

この二つの要因が絡んで、日本国憲法はアメリカ占領軍から押しつけられたという形になった。

この時に毎日新聞が日本の憲法草案をリークしなければ、それこそ知識人のいう日本の主体性を盛り込んだ憲法が出来ていたかもしれない。

この歴史的事実は、日本の新聞社というメデイアが、日本の進路を誤った方向に導いた顕著な例だと思う。

日本人の主体性に欠いた憲法を押しつけられたという意味では、それこそ平和憲法を押しつけられたわけで、今の日本の知識人からみれば、世界に誇りうる立派な憲法をアメリカ占領軍から押し頂いたという論法になる。

問題は、この時、毎日新聞がリークした憲法草案の旧態依然たる内容で、日本が焦土と化し、首都の東京が壊滅した状況に陥っても、尚我々の同胞は民主的思考というものを会得出来なかったという点である。

ということは、我々は、自らの力で自分達を民主的な手法で統治するノウハウを全く持ち合わせていなかったということになる。

毎日新聞がリークした日本の憲法草案が、旧来の封建主義思想を脱却して、民主的なものであったとすれば、占領軍も慌ててGHQ案を押しつけることもなかったろうと考える。

我々は、自らの政治体制を選択するに、外圧がなければ改革が出来ないというのは、まことに情けない話だと思う。

明治維新は、日本人の内からの内圧による革命と取られがちであるが、あれとても外圧という諸外国の軍事力が日本の近海に遊弋していたわけで、全く自らの力のみの改革とは言い切れない。

日本の敗戦というのは、旧の日本人の軍人、特に高級軍人たちが、アメリカの底力というものを見誤っていたからに他ならない。

この認識の齟齬は一体どこから生まれたのであろう。

あの時代でもアメリカに留学し、アメリカの事情に詳しい日本人も大勢いたに違いない筈なのに、どうしてこういう齟齬が生まれてしまったのであろう。

これも当時の日本の知識人の責任ではなかろうか。

相手をよく知りもしないのに多寡を食って安易に取りかかって結果であるが、これと同じ思考が、日本の自主的憲法草案にも見えたのではなかろうか。

対米戦において、我々の側がアメリカを見くびっていたことは、弁解の余地のないはっきりとした事実であって、こういう思考回路はいったどこから出てきたのであろう。

戦前の日本人も、戦後の日本人も、中身は同じ日本人なわけで、そこに何か共通するものがあるはずである。

戦後の日本の知識人も、憲法を少しでもいじくると、そのまま戦争に突入するかのような言い方で、保守陣営を糾弾しているが、こういう場面に戦前の日本人のものの見方が生き残っているのではなかろうか。

それはいうまでもなく、理性と知性で現状を分析することなく、感情論というよりも、ただ単なる思い込みによって将来予測をしているということではなかろうか。

憲法を改正すると戦争に巻き込まれる、というのは単なる素人の思い込み以外の何ものでもないはずで、その関連性は極めて根拠のない迷信的なものに過ぎない。

戦争に巻き込まれる云々ということは、こちら側、いわゆる我々の意志次第なわけで、巻き込まれるか巻き込まれないかは、我々に選択権があるわけで、それをあたかも他力本願に巻き込まれると思い込むことは極めて幼稚は発想であり、幼い思考だと思う。

民主主義というのは言葉の戦いなわけで、ああ言えばこう言う、というのが常態ではあるが、その言葉の応酬があまりにも幼稚で見るに耐えない。

それは突き詰めていえば、ものごとを知らないということに尽きると思う。

思考が幼稚で、ことの重大さが判別出来ていないということだと思う。

ただただ野党の面々も、知識人の面々も、国民を欺くためにコ難しい用語を散りばめて、如何にも高尚な論文のような体裁は整えているが、中身はまさしく子供の喧嘩の域を出るものではない。

日本が戦争に負け、その後6年半にも及ぶ占領から解き放たれるかどうかというときに、日本の自主独立に反対した日本の大学の教授たちがいたが、この時の彼ら大学教授たちの言い分も、「日本がこの時点で自主独立すれば再び戦争に巻き込まれる」というものであった。

ところが我々は、アメリカ軍の庇護の元ではあるが、その後経済発展に努め、アメリカに次ぐ経済大国になったが、この時に「日本が独立したならば再び戦争に巻き込まれる」と間違った未来予測をした大学教授たちはその後どういう責任の取り方をしたのであろう。

本来ならば大学教授たちの未来予測というものは間違ってはならないはずである。

巷には床屋談義というのがあって、床屋さんの未来予測というのは間違っても誰一人実害を被るわけではないが、大学教授の未来予測というのは、国民の大勢の人がアテにしているわけで、そういう人がでたらめな天気予報のように、アテにならない未来予測をしてはならないことはいうまでもない。

こういう無責任な未来予測が戦前にもあったのではなかろうか。

戦前の日本人が、アメリカの底力を見誤ったということは、こういうことではなかろうか。

戦後の日本の知識人というのは、戦前・戦中の日本の過誤、災禍、無意味な殺傷の責任を全部軍部に覆い被せているが、その時々に、当時の日本の帝国大学の教授たちは一体何をしていたのであろう。

当時の日本のメデイアは一体何をしていたのであろう。

確かに当時は治安維持法があって、思うように言いたいことが言えなかった状況があったことは認めざるを得ないが、それがなかったとしたら日本の大学教授たちは正しい未来予測をしたであろうか。

治安維持法が有ろうが無かろうが、大学教授といわれるような日本の知識階級の人々は、正しい未来予測など出来なかったと思う。

何となれば、あまりにも相手のこと、つまりアメリカについて知らなすぎると思う。

日本がアメリカに敗北するまでの日本の知識人の視点の方向は、ヨーロッパには向かっていても、アメリカには向かっていなかったからだと思う。

日本の知識人も、アメリカに敗北してはじめてアメリカを見るようになったわけで、それまでは心の中では彼ら自身アメリカというものを軽蔑していたに違いない。

その良い例が松岡洋右ではないか。

彼は幼少のころアメリカに渡り、その地で辛酸をなめ、苦学の末、日本にきて地位を占めたが、心の内にはアメリカ蔑視が渦巻いていたと思う。

だからナチス・ドイツに真っ先に被れ、結果として日本を奈落の底に突き落とすことに手を貸したことになったではないか。

松岡洋右のように、アメリカの実情を身を以て体験したものでさえ、アメリカの底力を認識しえなかったのだから、象牙の塔に立てこもっている帝国大学の教授たちが、アメリカの底力をまともに推し量ることが不可能であったとしても致し方ない。

しかし、大学の教授ともなれば、現実を直視することの意義を国民に説くぐらいの器量はあってもいいと思う。

治安維持法があったからものが言えなかった、という言いぐさは明らかに事後の言い訳に過ぎない。

治安維持法に抵触しない言い回しや、解釈の仕方や、法の網の目をくぐる手法とかは、彼らがその気になれば十分可能であった筈である。

治安維持法があったからものが言えなかった、という言いぐさは、上官が命令したから捕虜を殺した、という言い分と全く同じなわけで、そこには自己の意志は何一つ介在していないということである。

そのことの言葉の裏を深読みすれば、法に極めて従順に従ったということでもあるわけで、極めて説得力のある自己弁護であり、究極の保身でもある。

こういう風に、法、法律に極めて謙虚な人が、戦後になると法律とか行政に対して極めて戦闘的に振る舞うようになったわけで、これは一体どういうことなのであろう。

日本の敗戦で、アメリカ軍が日本を占領して、日本に民主化の嵐が吹きあれると、まさしく風見鶏と同じように、極めて素早く時流に乗った知識人たちの態度を我々はどう考えたらいいのであろう。

戦後の日本の民主化というのは、我々の民族が内側から築き上げたものではなく、アメリカの占領という形で、外圧としての民主化であったわけで、これはアメリカの独断専横の占領政策ではあったが、連合国側の極東委員会もおおむねアメリカの占領政策を容認せざるを得なかったということでもある。

彼ら、つまり元連合国側としては、日本が再び戦前のような軍事大国になっては困るわけで、その目的がかなえられれば、アメリカが多少独断的に先走っても一向に構わなかったわけである。

それほど元連合国としては日本の存在が恐ろしかったのである。

日本に進駐してきた連合国軍の代表としてのアメリカ軍は、我々がかって中国でしてきたような残虐非道な態度はとらなかったので、それを見た旧大日本帝国の知識人は、一気に今までの鬼畜米英というスローガンをかなぐり捨てて、旧の敵も恐れるに足らず、と慢心したわけである。

此処が、戦前には軍人のサーベルの音に怯えていた旧日本人のインテリーの極めて日和見なところで、価値観が180度転換すると真っ先にそれに飛びついたわけである。

この態度の豹変は、戦前・戦中に我が同胞が軍国主義に身も心の投げ出していたにもかかわらず、価値観の転換が起きると、今度は新しい価値観にそれこそ前にも増して身も心も捧げる、というのめり込みようであったと言うことだ。

この不摂生な日和見な態度を我々はどう考えたらいいのであろう。

町の床屋さんや、八百屋さんや、魚屋さんのオッサンが時流の先読みをして変わり身するというのならばまだ許せるが、戦前・戦中は治安維持法の下で沈黙をしていた日本の知識階級、大学教授やメデイアに携わっていた人たちが、一夜にして価値観の転換に率先して身を挺するということをわれわれはどう考えたらいいのであろう。

こういう学術経験者といわれる人たち、大学教授を頭とする日本の知識階級の人々が、日本が占領を解かれて独立するかしないかというときに、「日本の独立はまかりならぬ」と言い立てたわけである。

厳密にいえば、国連で共産主義国が反対する以上、単独講和はまかりならぬといったわけで、ことほど左様に共産主義国、いわゆる社会主義国に肩入れしていたわけである。

此処で注意しなければならないことは、戦前の日本の軍部がアメリカの力を見くびっていたように、戦後の左翼的大学教授たちも、共産主義国の実態を殆ど知らずに、そういう国々に甘い期待を抱いていたという陳腐さである。

戦前の軍部が、敵の正体を見くびって奈落の底に転がり落ちたのと同じ轍を、戦後の日本の左翼的知識人も犯そうとしたということである。

しかし、それは保守の巨頭としての吉田茂の判断で、日本は独立をし、日米安保でその後60年間も平和が維持できたわけで、戦後の国立大学の教授連中の近未来の予測の出鱈目さというものが見事に露呈したではないか。

国家から俸給を受けている国立大学の教授連中が、近未来の予測も出来ないようでは、きちんと仕事をしているうちには入らないわけで、まさしく給料泥棒ではないか。

これが戦後の左翼的大学教授の真の姿であった。

 

三流政治

 

戦後、こういうレベルの人たちは、口を開けば憲法改正反対とオウム替えしに言っているが、それもまさしく戦前の軍国主義の吹聴と軌を一にしているわけで、自己の思考でものを考えているのではなく、時流としての反対論に迎合しているに過ぎない。

普通の人が普通に考えれば、占領下に出来た憲法であれば、勝った側の意向がその憲法の中に内在していることは自明なわけで、それでも憲法を変えてはならない、という論拠は9条が変更になって再度軍国主義が復活することを恐れているに過ぎない。

第一、戦後の我々の生き様から勘案して、我々が再び軍国主義などを復活させたいなどと考える人がいるであろうか。

あまりにも現実離れした思考ではなかろうか。

今の自民党内の若手議員の中に、そういうことを考えている人間がいるであろうか。

戦争を知らない戦後生まれの若手議員、特に、自民党の若手議員のなかに、昔の軍国主義や、軍拡競争や、先制攻撃などということを考えているものが見あたるであろうか。

こういう現実から遊離した、取り越し苦労のような危惧を根拠に、憲法改正反対を唱えるということは、あまりにも現実を無視した発言であり、ある意味では現在の日本の同胞をバカにした発言でもある。

選挙民を愚弄していると思う。

戦前の日本の軍部というのは、当時の日本国民の願望と期待をある程度具現化していたと思う。

戦後の民主政治の中では、その国民の願望と期待は、与党と野党に別れているが、最大多数の最大幸福という民主主義の根底からすれば、与党の政策実践が当然であって、民主政治の多数決原理からすれば少数意見は切り捨てられても致し方ないということになる。

ところが与党もあまりにも露骨な多数決原理を振りかざすことは、その後の反動が恐ろしくて、そういう強硬手段は執り得ない。

問題は、この与党と野党の間の論議が国民不在のまま党利党略で争われるという点にある。

与党と野党の間の政策論議が、本来の政策論議に集中するのではなく、お互いの足の引っ張り合いに終始し、覇権争いに転化している点にある。

双方が建設的な論争をするのならば、それはいくらしても良いが、本来の政策とは全く関係のない枝葉末節的な論議になってしまい、感情論で議論をしているので、いくら時間を掛けても建設的な論議にならないところに問題がある。

我々の国が経済一流、政治は三流と言われてかなり久しいが、その根本のところにあるのは、我々の民族性だと思う。

我々は極めて均一性に富んだ民族で、他民族との混交があったとしても、それは古の過去において我々と同化してしまって、極めて均一的な民族となっており、我々の民族の内部では、言わず語らず、以心伝心ということが普遍的になっている。

ものごとを100まで言わずとも70%ぐらい言葉にすれば、後は相互に理解し合えるという特質を持っている。

いわゆる相手の意を汲むという言い方で、100%完全に言葉で言い表さなくても理解し合えると、お互いに思っている。

それにもまして、極めて平等意識が強く、グループのトップを務めるにも、相互にその地位を交替することに何の違和感も感じていない。

トップの地位に固執して、何時までもそのイスにしがみつき、独裁的な采配をふるうという態度を下碑な人間と見なす気風がある。

要するにグループを独裁的にリードすることを、相互に警戒して、回り持ちでリーダーを務めるという具合であった。

リーダーになったときは、皆さんの協力を得なければならないので、リーダーになったからといって、唯我独尊的な行為は厳に慎むことが暗黙の了解となって生き続けた。

そういう伝統の元、口から泡を飛ばして議論するという習慣が我々には醸成されなかった。

そういう国民性ないしは民族性の中で、近代的な民主主義で政治を牽引しようとする際に、どうしても議論の組み立て方の稚拙さが目につき、自分の考えを人に知らしめる手法というものに稚拙さが残り、それを克服せずに今日まできているわけで、腹芸、裏芸、袖の下、待合い政治というものをせざるを得ないわけである。

民主主義の根幹であるところの、議論で相手を納得させるという手法が極めて不味いので、往々にして大事な政治課題が不毛の議論になってしまう。

西洋の映画を見ていると、西洋人というのは、口から出たった言葉に非常に厳粛に従う場面がある。

我々には、不言実行ということがある意味で良い価値観で迎えられているが、西洋人は有言実行を日々実践しているわけで、自分の言葉に極めて忠実である。

ところが我々は、自分の言葉に対して、それほど責任を感じておらず、「嘘も方便」などと、自分の発した言葉に極めて無責任である。

この言葉に対する我々の民族性が、我々の政治を三流にしているのではなかろうか。

民主主義というのは言葉の戦いが前提となっているわけで、言葉で相手を納得させることが必要条件であるが、我々の国の国会審議では、相手を言葉で納得させることなどただの一つもなかったのではないかと思う。

国会審議では、あらかじめ文書で質問事項を掲示して、言葉はその文書の補足説明に過ぎないわけで、合意形成は文書によって行われる。

我々の民族は、人間が口から発する言葉には価値を認めず、文書に価値の重さを認めるので、国会における質疑応答というのは、ある意味でセレモニーに過ぎない。

不毛の議論を何時間と繰り返して、最後に採決を採ろうとすると、まだまだ「審議が足りない」といって、採決に反対する態度は、党利党略以外の何ものでもなく、明らかに国会審議を冒涜する行為だと思う。

「国民の合意」を得るという言い方も、極めて民主的な発言のように見えるが、それは基本的には実現不可能なことを言っているわけで、言っている側としては国民の100%の合意を求めことによって、相手をただただ追い詰めている図でしかない。

相手が出来ないことを承知の上で要求しているのであって、結局は先方の言うことには反対で、妥協する気はありませんよ、ということを歪曲に言っているに過ぎない。

ならば「この事案に対して反対で、妥協する気はありませんよ」と言葉で素直に実直にいえば良さそうに思うが、それでは相手にあまりにも強硬な印象を与えるので、こういう歪曲な言い方をするわけである。

こういう論議の積み重ねが不毛の議論となる。

世論がある方向に向かおうとするとき、大筋ではそれを容認しなければならないが、ただ安易に妥協しては沽券に関わると感じたとき、「国民の合意がなければならない」と国民をダシに使うわけで、その案件が必要不可欠のものであるとするならば、さっさと賛成票を投じればことは済むわけである。

「国民の合意がなければならない」といいながら、その「国民の合意はどうやって取り付けるのか」という段になると、最初からの議論の蒸し返しになる。

それと、物事にはあらゆるものに裏表、表裏、メリットとデメリットを兼ね備えているわけで、如何なる案件でも、それで万能ということはあり得ない。

だから提出された法案にも、反対する理由はいくらでもこじつけることが可能なわけで、そのデメリットのみを強調して、その案件の可決成立に反対するということは、国民不在の党利党略以外の何ものでもない。

法案が国会審議に出されるということは、そうせざるを得ない状況が既にあるわけで、その状況を打開するために、新たな法整備をするという趣旨を考えれば、修正動議の提出は致し方ないにしても、法案そのものの反対は、国民を愚弄するものだと思う。

憲法改正の論議も、改正したいと思う人が多くなってきたから、それをそろそろ真剣に考えましょう、ということのはずである。

今すぐに改正するというわけでもなければ、憲法を改正すればそれがそのまま日本の軍国主義の復活につながる、という主張は明らかに論理の飛躍以外の何ものでもない。

「風が吹くと桶屋が儲かる」式の、荒唐無稽の論理である。

ただただ反対のための反対に過ぎない。

「憲法を変えてはならない」と考える人がいても、それは何ら不思議でもなんでもないが、ここでメデイアの存在が大きく関わってくる。

憲法を時代に合わせようと考えている人は、憲法を変えたところで、それによって再び軍国主義などの戻らないと確信しているが、改正に反対をしている人は、軍国主義の復活が必然の成り行きだと考えているのである。

この両者の考えを秤に掛けたとき、メデイアは、このどちらが金儲けにつながるか、と考えるわけである。

そうすると、為政者の側が改正したがっているのに対して、それに反対する側というのは、反体制、反権力の闘士に映るわけで、こちらの肩を持った方が金儲けにつながると判断する。

それに反体制、反権力というのは格好が良いわけで、悪賢い権力者に対して、正義の騎士が立ち向かう構図を連想させるわけで、それは戦前の御用メデイアであったことの反省と同時に、その時のことがトラウマとなって、政府批判に拍車が掛かったわけである。

ところが、此処には事の本質は問われていないわけで、お互いの水掛け論に終始しているが、これこそ政治の稚拙さそのものであり、我々が言葉で事の本質を掘り下げることの下手さ加減でもある。

憲法を改正すると軍国主義の復活につながるとか、軍備の増強につながる、という論理は完全に言葉の遊びの域を出るものではなく、軍国主義についても、戦争についても、全く無知に等しいということの現われだと思う。

完全なる思い込みによる論理であって、軍国主義についても、戦争についても、その本質を全く知らないまま、言葉を弄んでいるにすぎない。

そして、それについて縷々論説を書いている本人も、それと同じ轍を踏んでいるわけで、結局、盲人が像を撫でている構図と同じで、それぞれが自分の持ち場立場で自分が思い描いている弊害が、その後の日本全体を支配するに違いないと思い込んで、それぞれがかってに心配し、危惧しているのである。

 

愛国心と政治家

 

この思い込みの羅列がメデイアを賑わしているが、そのメデイアで好き勝手に自らの思い込みを吐露している人たちというのは、この朝日新聞の論説委員のように、日本の最高の権威者といわれる面々である。

大学教授から、評論家から、新聞各社の論説委員から、文筆家から、日本の全ての知識人が自分の祖国の政府に反旗を翻しているのである。

こういう面々だとて、日本国憲法が占領軍の監視下で出来上がったことを知らないわけではないはずだ。

その憲法の中に、我々日本人の意志が一辺たりとも組み入れられていないことも承知のはずである。

ただ第9条の戦争放棄の条項は、戦争で疲弊した当時の我々同胞の理念と、アメリカ、ないしは旧連合軍の利益とが完全に一致していたので、この項目に関しては未来永劫引き継ぎたいと思うことは当然の帰結ではある。

尚、その上、彼らのような頭脳明晰な人々からすれば、その後の日本の発展も十分に理解しており、世界で第2位の経済太閤の日本が、国際貢献を求められる立場にいることも承知している筈である。

だが彼らは、そういう全てのことを理解した上で、自分の居る立場が為政者の側ではないので、為政者に対しては、あくまでも反旗を翻す態度を崩せないのである。

彼らは、為政者にすり寄ったら最後、自らの社会的使命を放棄するに等しく、あくまでも社会の木鐸として、反体制、反政府、反自民でなければならないわけである。

ということは、事の本質を何処かに放り投げ、捨てておいて、反体制というポーズを取ることによって、自らの保身を図っている構図でしかない。

その本心は、1億2千万の日本の国民のことなどどうでも良く、自らの身が安泰で、自らの会社が儲かればそれで良いわけである。

今日のように交通機関が極めて発達して、誰でもが何処にでも安易に移動できるようになれば、国益というもの態様も大きく変わってきていると思う。

20世紀初頭のように、国土を広げて、その中で殖産興業を起こすなどという古い資本主義はもう既に彼方に行ってしまって、国境の壁はますます低くなり、こちらからも人は出て行き、向こうからも人が来る時代になれば、国家の主権という概念も大きく変わらざるを得ないはずだ。

しかし、地域に根ざした意識、地域に引き継がれた伝統、地域の人々の結束、自分の育った地域への愛着、自分の同族・縁者が生きている国、自分が育てられ、学問を授けられた社会的基盤にたいする恩返しをしたい、という願望と期待、等々これらのことを勘案すると、好むと好まざると自分の祖国というものを意識せざるを得ない。

その全てを網羅した概念が愛国心といわれるものであるが、日本の識者たちは、この愛国心という言葉を聞くと、すぐに軍国主義と結びつけてしまう。

これも明らかなる論理の飛躍である。

戦前・戦中に、愛国心の名の下に大勢の若者が散華していった事実は認めざるを得ないが、それは当時の先導的軍国主義者に煽りに煽られて、愛国心の名の下で国難に準じたわけで、煽られようと煽られまいと、当時の国難に身を挺したという事実に対しては、残されたものとしては謙虚に受け止めなければならないと思う。

愛国心でもって当時の若者を煽りに煽ったのは、当時のメデイアであったことも我々は決して忘れてはならない。

当時のメデイアが、愛国心を機軸にした軍国主義をことのほか若者に無責任に吹聴した事実も我々は忘れてならない。

当時のメデイアは、軍人・軍部と同じように、加害者の側であったことを我々は記憶に止めるべきである。

若くして散華していた人たちの愛国心を政治の道具、ないしは党利党略の道具として、軽々しく使うということは、散華していった人たちに対する冒涜だと思う。

愛国心というものは戦前・戦中は不幸にして軍国主義に良いように利用されたが、本来は自分のふるさと、自分の友人、自分の家族を大事にする心、自分を育んでくれた社会全般に対する感謝の心だと思う。

そういうものを破壊しようとする外圧に対しては、断固抵抗するということは自然から与えられている自然権だと思う。

生きた人間としての基本的人権だと思う。

それを軍国主義と結びつける思考は、極めて不健全な考え方で、今の日本人の中でそんなことを考える人間は極めてひねくれた人間であり、反論のための根拠のないねつ造された論理でしかない。

愛国心というものは、我々同胞が自分の祖国をいくらかでもより良いものにしよう、という心懸けさえあれば、それが立派な愛国心なわけで、そういう気持ちを持ったからといって、いきなり軍国主義と結びつける必要はない。

そういう意味では、熱烈な共産主義者も、彼らなりに自分の祖国を共産主義的成熟社会にしようと願っているという意味で愛国者といえる。

共産主義者が革命をすることによって自分の国をよりよいものにしよう、という健気な気持ちを持っているとすると、現行の政治家の施策では飽き足らないわけで、まず最初に現行の政府を転覆し、現行の秩序を全て破壊してからでないと事が運ばないわけである。

だから彼らは現行政府のあらゆる施策に大反対なわけである。

戦後の日本の知識人は、こういう考え方に極めて近親感を持っているので、現行政府の施策にはことごとく反対をいうわけである。

そのことが反対のための反対を生むわけで、事の本質をまじめに議論することは、彼らに取ってみれば時間の浪費に過ぎないのである。

そういう意識を持っているものだから、自分の祖国の為政者に唾を掛ける行為にも、何ら整合性を求めようともせず、ただただ反対のために反対を唱えているだけである。

戦後の日本の識者の意識の中には、国民と為政者というものを区別して考える傾向があるのではなかろうか。

為政者というのは、地球以外の星からきたエイリアンのようなもので、どうにもならない悪者で、国民をそういう悪者から守らねばならない、庇護しなければならない、という認識が日本の識者の中には蔓延しているのでではなかろうか。

もしそういう認識が日本の知識人の中にあるとすれば、これほど驕り高ぶった思考もまたとない。

自分達の同胞をあまりにもバカにした発想だと思う。

戦後の日本の識者から一般国民というものを眺めれば、バカに見えるのも当然だと思う。

国民の大部分、厳密にはおおよそ過半数の人が自民党支持なわけで、こういう識者の目から自民党支持者を見れば、それこそバカに見えていたものと思う。

戦後の民主政治の中で、我々は国会議員を選挙で選び、選挙で選ばれた国会議員に政治を託しているわけで、その国会議員の中から政府、つまり内閣の閣僚がまたまた篩いに掛けられて選別されているではないか。

閣僚として立派な人もいればそうでない人がいるのも、人間の織りなす社会であってみれば致し方ないことで、閣僚に100%完全な人格を求める方がよほど子供っぽく、幼稚であり、理想論であり、夢見る阿呆でしかない。

一言でいえば現実を直視していないということだ。

政治家に聖人君子を期待する方がよほど現実離れしており、それこそ子供の思考から一歩もでるものではない。

戦後の日本の知識人が、政治家と国民を全く別の生き物と認識するほど国民を愚弄する発想はまたとない。

けれども、現実には、そういう視点に立って日本の知識人は、ものを言い論説を書き綴っているではないか。

選挙というシステムの中で、「こんな人物が選ばれるとは何としたことか」と思いたくなるような人が選ばれたからといって、政治システムそのものを否定して良いわけがない。

自分の意中の人が選ばれなかったからと言って、為政者に唾を引っ掛けて良いわけがないではないか。

左翼的で革新的な思考の人から自民党の議員を見れば、薄汚くて、こす辛くて、収賄・贈賄に手を染め、裏で何をしているかわからない、という不信感の固まりに見えるであろうが、現実にはそういう人たちが国民の過半数の支持を得ているわけで、国会という場では、そういう人たちとも物事の本質論で論議をしなければならないはずである。

こんな事は知識人ともなれば十分わかっているのであろうが、政治的戦略として、審議すべき事の本質を脇に置いておいて、党利党略に明け暮れているから政治がいつまで経っても三流のままで終わるのである。

憲法と言うものは明らかに国の指針を拘束するものである。

国の行動を縛るものである。

為政者は憲法の枠を越えて行動出来ないわけで、その意味で、憲法第9条というのは我が国が外国から攻撃を受けても反撃できない、してはならないと規定している。

しかし、それもアメリカの占領下ならば致し方ない条文であるが、自主権を回復した独立後においても、尚それを堅持するというのは明らかに自虐的な思考だと思う。

戦後の日本の知識人が、時代が変わっても尚自分の祖国を守るということに消極的な態度を崩さないのは、21世紀においては国境の壁が低くなり、人々は自由に何処にでも好きなところに出て行けるという間違った認識から抜け出していないからである。

憲法の前文で言っているところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という部分を真に受けているわけで、日本は相手に対して先制攻撃を仕掛けるかもしれないが、相手は決してそんなことをするはずがない、という思い込みからきている思考である。

自分の祖国は、先の大戦の時のように、他国に出掛けていって極悪非道なことをしでかすが、相手は決してそんなことをするはずがない、という論理でもって、自らがあくまでも戦争放棄を貫けば、相手は決して日本を攻めるようなことはしない、という思い込みに過ぎない。

もしそういう場合には、日本脱出すればいいという発想だろうと思う。

これは日露戦争までの軍人が極めて厳格な倫理観でもって武士道的な戦をした場合のことであって、今日では国家総力戦が並の戦争であるわけで、こういう古典的な戦争ではあり得ない。

ことほど左様に戦争の本質を知らないものが、戦争という言葉だけに酔って、それのみを忌諱すればことが丸く収まる、と思い込んでいるところが稚拙であり、世間知らずだと思う。

その一方で、我々の国は世界第2位の経済大国になっているわけで、それほど経済力の強い国が、自分の国を自ら守らないというのは如何にも馬鹿げた論理だ。

こういう発想の根底には、戦争というものの本質、あるいは安全保障というものの本質を全く知ろうとしていないと言うことである。

戦争とは、他国に押し入って、相手の人々をむやみやたらと殺しまくることだという、前世紀の認識のままの概念から一歩も脱却していない。

戦争が嫌いだから、戦争に関することには一切目をつぶり、耳をふさぐでは、あの戦争中に日本側では英語を一切禁止した精神構造と全く同じで、こういう発想をしていたからこそ、我々はアメリカの底力を見誤ったではないか。

戦争が悲惨で、すべきことでないことは全人類が解っていることであるが、それでも尚そういう手段で国益の追求、ないしは妥協を引き出そうとする人々が現実に居るではないか。

戦争は悲惨で、すべきことでないことが十分解っているからこそ、スイスは永世中立国として長年の実績を誇っているが、彼らは決して戦争放棄をしているわけではない。

中立宣言をすることと、戦争放棄をすることは全く次元の異なることで、スイスは永世中立を宣言しているが、決して戦争を放棄しているわけではない。

日本の知識人の発想ならば、「永世中立を世界に向けて宣言するならば軍備などいらないではないか」という思考になるところであるが、そこは長年戦争にまみれてきたヨーロッパの国だから、戦争というものの本質を知り抜いた結果としての施策である。

スイスは、もし自国の中立を犯すような事態になれば、敢然と国民が武器を持って祖国防衛に立ち上がる気概と勇気を持っている国である。

銃器は各家庭に持ち帰って、そこで保管され、手入れされ、その扱い方の訓練も国民の義務として科せられているわけで、あの国は国民皆兵で徴兵制以上に過酷な試練を国民に科している。

そういう伝統があるからこそ、ヨーロッパ諸国も安易にスイスを戦争に巻き込めないのである。

戦争に巻き込まれないためには、それ相応の努力が必要で、口先で平和、平和と念仏を唱えているだけでは、そこを見透かされて、自分達にとって不利な条件を飲まされることは火を見るよりも明らかである。

20世紀後半から21世紀にかけての戦争というのは、もう一国ではなしえないわけで、守るも攻めるも、国際協調なしではあり得ない。

この現実を直視する事は極めて肝要であるが、だからこそ、憲法改正の論議の中で、改正すれば戦争に巻き込まれるという議論が出るのも当然といえば当然である。

問題は、21世紀においても、我々の国が一国平和主義で国際協調の時流の中を泳ぎ切ることが可能かどうか、という選択の問題だと思う。

憲法前文でいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ことが、21世紀においてもそのまま通用するかどうかの問題だと思う。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」というものが国際協調の中に見えるかどうかであり、そういうものを信頼しておれば、我々の安全と生存か確保できるかどうかという問題である。

これはいうまでもなく実に他力本願な思考で、相手は疑いの余地無く、平和を愛する国民であり、公正と信頼に足る国民であり、安全と生存は無条件で補償される、という事が前提で出来ている文言である。

ところが我々を取り巻く近隣諸国の有り体は、この絵に描かれたように綺麗事の羅列であるだろうか。

中国・韓国の反日運動、北朝鮮による拉致の問題、北方4島の未解決の問題等々、「平和を愛する諸国民の公正と信義」というものが我々の身の回りに存在しているであろうか。

日本のメデイアに代表される知識人は、これらの問題に対する解決には極めて冷淡である。

無理もない話で、彼らはいくら口先で立派なことを述べても、日本を代表する立場ではないので、極めて無責任な放言をしても責任を問われる事がない。

いくら日本政府の悪口を言い、中国や韓国に媚びた発言をしても、その結果に責任を負うこともなければ、いくら国益が失われようとも、一切責任を負うことはないわけで、事態がどう転ぼうとも、その責任は政府に転嫁しさえすれば彼らとしては事なきを得るのである。

問題がトラブレばトラブルほど彼らは儲かるわけである。

憲法が改正されようとされまいと、彼らはどちらでも良いわけで、騒ぎが大きければ大きいほど、彼らの収益は上がるわけである。

メデイアが政治をネタにして金儲けをする構図というのは、倫理的には由々しきことではあるが、資本主義社会ではそれも許されるわけで、政治家の方も党利党略を図る段界でメデイアをうまく使うことに苦慮する。

ただ、メデイアに取っては、反政府、反体制、反自民の方が見た目の格好が良いわけで、それをしている限り、権力の監視役としての存在意義を自ら証明している図である。

問題は、メデイアの報じていることが世間では正しいことと認知されがちなことである。

普通の人は「テレビでこう言っていた」、「新聞にこう書かれていた」、といわれるとそれを真実と思い込みがちであるが、メデイアの報ずる内容は、玉石混淆で真実もあれば虚報も紛れ込んでいるということを忘れがちである。

 

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