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「提言・日本の新戦略」を読む

 

綺麗事の羅列

 

私事で恐縮ですが、今年の5月から我が家の新聞は中日新聞から朝日新聞に変わった。

新聞の拡販員に家内が同情して一年おきに中日と朝日を交互に取るようにしているからである。

それで5月3日の朝日新聞は17面から24面まで8ページに及ぶ大特集を組んで、「提言・日本の新戦略」というものを報じていた。

その一つ一つを私なりに検証してみたい。

まず最初は、地球貢献国家と称する総論の部分であるが、やはり例に漏れず綺麗事の羅列である。

朝日新聞に限らず、あらゆるメデイアというものは大衆受けのする綺麗事しか俎上に乗せられないというのは報道機関の抱える宿命だろうとは思う。

反社会的なことは当然のことメデイアに掲載できないことはいうまでもない。

問題はここにあると思う。

人間の本心とか本音というものは決して公に言えないというところに内在しており、それが社会の混沌を引き起こしていると思う。

この論文の冒頭に出てくる「世界の人口はいま65億、2045年頃には100億を突破する。それに応じて経済も膨らむ。果たして地球は耐えられるであろうか」といっているが、これは明らかに統計上の事実に基づいた未来予測であることは論を待たない。

こういう未来予測に基づいて考えれば、2045年、今から38年後に100億の人間が豊かに生き続けるということが果たして可能であろうか。

過去の人類の歴史というのは、突き詰めていえば戦争の歴史だったわけで、今我々が「戦争は罪悪だから決してしてはならない」ということで、皆平和のうちに経済活動に励み、水も食料もエネルギーも使い放題に使えば、38年後の世界は惨憺たるものになることは目に見えている。

それではいけないということでこの提言が出てきているわけであるが、ならばどうするのか、という答えはこの提言の中には出ていないと思う。

「地球貢献国家」を目指せばいいとなっているが、これこそ絵に描いた餅以外の何ものでもないわけで、日本が過去のオイルショックや資源小国として省エネ技術を世界に向けて解放すれば、それが実現可能かのような言い方であるが、ここに先の大戦前の我々の奢りと同じものを垣間見ることが出来る。

60年以上というタイムスパンを経ているので、我々は既に我々自身の犯した過ちを忘れかけている。

今の日本の知識人、この論文を提言しているような知識人は、戦争さえしなければ我々は平和的な存在だと思い込んでいる節があるが、自分の陥っている奢りという状態には全く気がついていない。

それは自分以外の世界に目をつぶって、唯我独尊的な独りよがりの視点に立っている、ということに全く気がついていない。

日本という海で囲まれた小さな島国の中、いわゆる「葦の随から天を覗く」状態に自分がなっているということを完全に忘失した思考である。

これだけ情報化の中で、その情報に埋もれていながら、井戸の中の蛙の発想に自分が陥っているという現実に全く気がついていない。

裸の王様の状態で、人がどう我々のことを思っているかということに考えが至っていない。

地球規模でのグローバル・スタンダードの人間の思考に立てば、日本が世界でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国であるとするならば、軍事的にもアメリカに次ぐ世界第2位の軍事大国でなければならないはずである。

ところが我々はそういう道を選択することなく、防衛費というのは国民総所得の1%以内の枠で戦後60年間過ごしてきた。

それも占領下において、当方の自由意志でもない憲法を押しつけられても、それを有り難く受け容れて、自国の防衛をアメリカに委ねて、平和というものを60年間も享受してきたのである。

この事実の前に、我々の同胞の中には、この60年間の平和の期間というものを自分達の実績だと思い違いしているものが現われている。

これは事実の誤認もはなはだしいわけで、我々は端から押しつけられた憲法によって自衛権すら放棄していることを忘れて、60年間ホットな戦争に巻き込まれなかったことを自分達の実績などと思い込むこと自体思い上がりも甚だしい。

第2次世界大戦後の日米関係というのは、日本の国益はアメリカの国益と完全に合致していたわけで、戦後60年間日本が戦争に巻き込まれなかったのは、アメリカがアメリカの国益上の観点から日本を舞台として戦争をしなかっただけのことである。

アメリカの国益、つまり戦後の日本をアメリカ軍の基地として使うことがアメリカの国益であったわけで、アメリカはその国益を損なうようなホットな戦争に、日本を引き込まなかっただけの話である。

戦後の日本は完全にアメリカの属国である。

我々は、自分自身ではアメリカの属国などとは思っていないが、地球規模から見れば明らかにアメリカの属国に過ぎない。

属国だからといってアメリカは旧時代のように帝国主義的な植民地支配のような思考で我々を統治しているわけではなく、如何にも日本の主権を尊重しているかのように振る舞っているので、我々も自分達をアメリカの属国などと誰も認識していない。

属国に属国と思わせないところが、アメリカの外交の狡猾なところである。

これが世界に君臨するアメリカの真の姿であって、それを見抜けなかったという意味で、戦前の日本の統治者と、戦後の日本の知識人は見事に同じ轍を踏んでいる。

まさしく井戸の中の蛙で、外の状況が全くわかっていない。

戦後の日本は、民族の誇りというものを否定しているので、今の日本がアメリカの属国であったとしても、今生きている日本人が戦争に巻き込まれさえしなければ、属国だろうと植民地だろうと、そういう形式には一向にこだわりを持っていないということである。

ただただ今現在を面白おかしく過ごせれば、それで満足しているわけである。

38年後に人口が100億に達して、水も、食料も、エネルギーも、なにもかもが底をついたとしてもそれは政府の責任であり、統治者の責任であり、自分とは何ら関わりのあるものではない、という思考である。

もし、真剣に38年後のことを考えるとするならば、綺麗事などあり得ないはずである。

もっともっと地球規模で少子化を推進しないことには100億の人間を生かすことはどう控え目に見ても不可能ということになる筈だ。

従来の世界の知識人、日本ばかりではなく、世界的規模で眺めても、知識人、賢者、知性と理性の具現者と言われるような人々でも、今までの常識、良識、知と理性を覆すような発言は仕切れないわけで、「戦争反対」と言うことは声高に叫べても、「どんどん戦争をやれ」ということは口が裂けても言えない。

「戦争反対」というスローガンは、人類誕生以来の人間の理想であり、人間の願望であり、誰でもその実現を願っていたことに違いない。

ところが人間の支配するこの地球上では、それは今日に至っても実現できていないわけで、21世紀になって人間の知恵がより賢くなって、60年間、80年間、100年間と、我々が戦争というものをしない時期が続くとなると、世界の人口が100億に達する時期はもっと早くなると思う。

人口が100億に近づくにしたがい、ますます水、食料、エネルギーの不足にも拍車が掛かり、新たな資源獲得競争が展開するに違いないと思う。

その闘争がホットな戦争になるかどうかわからないが、その場に直面すれば、恥も外聞もかなぐり捨てた場面が展開するものと想像する。

この地球上における人間以外の生き物には自然淘汰という作用が機能して、個体数があまりにも増加した場合には、自然の摂理によって個体数が適正な値まで下がる作用が働く。

草食動物があまりにも増えすぎれば、それによって肉食獣が増え、肉食獣が増えすぎれば草食動物の数が減ってお互いに適正なバランスを維持している。

ところが人間だけは、死は忌むべきことだというわけで、地球上のあらゆる種族が死を回避する手だてを考えている。

この世に生まれてきた人間は死んではならない、死なせてはならない、一秒一刻でも長生きさせるべきだ、という概念にとらわれている。

死は悪で、生は善だという概念にとりつかれている。

この呪縛が根底にあるものだから、生を絶つことは嫌悪の対象になってしまっている。

人間という種にだけ自然淘汰が機能しないというわけだ。

それで38年後の2045年には人間という種が100億にも達する中で、みんな仲良く暮らそうなんてことはあり得ない話だと思う。

当然、その間に中国もインドも、その他のアジアの諸国も南米の諸国も、それなりに経済発展をするわけで水、食料、その他のエネルギーも枯渇することは目に見えている。

戦後の経済復興の中で、2度のオイルショックを我々は経験したが、地球上のあらゆる資源は、基本的に有限だと思う。

水だって我々日本人は無限の存在だと思っているが、人間が飲める水というのは限られているわけで、今でも既に我々日本人は水道水が飲めないと言いかけているではないか。

これは明らかに贅沢な価値観であって、人間が生きるための最低限の水の存在とは異質の贅沢であり、ある意味で人間の傲慢さの現われでもある。

人は贅沢に慣れればもう元には戻れないわけで、生きるか死ぬかの極限状態にまで落ち込まないことには、自然の生態系にまで戻れないものと思う。

ここで問題なのが、世の知識人、大学教授とかメデイアの論説委員、学識経験者という人たちの提言がそういう危機に関して他人事として傍観者の立場で発言していることである。

傍観者として綺麗事を並べるだけで、自分達で担わなければならない、苦を伴う厳しい試練が待ち受けている、ということをはっきりと発言をしないことである。

彼らは、世間受けを気にして綺麗事だけを並べ、理想だけを展示して、人々に痛みを伴う提言をあえてしないようにしている。

その典型的な例が老人介護の称賛であり、延命措置の施策であるが、これは明らかに負の公共抗投資である。

進めれば進めるほど財政を圧迫することが明らかにもかかわらず、それを「後退させよ」という提言は決してしないわけである。

もしそんなことを口外すれば、自分が批判され、自己の糊口を凌げなくなるからである。

だから 世の知識人、大学教授とかメデイアの論説委員、学識経験者という人たちも、自らが生きんがために、実現不可能のような綺麗事を並べ、理想を述べ、オオカミ少年のように、オオカミが来る、危機が来る、人類の滅亡が迫っている、と騒ぎ立てて自らの正統性をアピールして糧を得ているのである。

彼らには、自分達が提言したことの結果には一切責任がないわけで、その責任を取るのは統治者としての政治家の方になる。

 

ブレーンの存在

 

世界各国の統治者、体制の如何を問わず、主権国家の国民を統治する立場のものは、それぞれに自分のブレーンというものを持っていると思う。

民主主義国であろうと独裁体制の国家であろうと、統治者が自分だけの判断で国をコントロールするものではないと思う。

日本の内閣総理大臣であろうとも、政府や、国会とは別に、自分のブレーンを持っていると思う。

要するに、統治するにあたり、さまざまな情報を集め、事を処するにあたり、どう動けば一番効果的かとアドバイスをするグループというものをもっていると思う。

それは私的なグループであったり、諮問機関としての公の団体であったりするであろうけれども、統治のトップにはそういうものの存在は欠かせないと思う。

こういうグループには当然の事ながら無学文盲の輩がなっているわけではなく、相当に学識経験の豊富な人がなっているはずで、だとすると、ここに統治するモノの判断と、一般庶民感覚のずれというものが内在してくることになる。

というのも、統治者のブレーンの人たちが学識経験の豊富な人たちであるということは、明らかに庶民とは異質の人たちということで、彼らには庶民の感覚というものが理解しきれないと思う。

人間の作っている社会というものは、誰が何といおうとピラミット型の組織を形成するわけで、その中で、人間を評価する基準は学歴というものが一つの目安になっている。

織田信長に目を掛けられた太閤秀吉のような例は現代ではあり得ないわけで、現代の統治者が自分のブレーンを作るときも、ある程度の学歴を備えた人の中からの選択ということにならざるを得ない。

この時点で、学歴があるということ自体が既に選ばれた人であるわけで、それは庶民を代表する存在ではない、ということに留意する必要がある。

大学を卒業したものが庶民の利益を代表するものでない、ということは当然のことで、大学の設立の理念そのものが庶民の存在を超越しているわけで、当然、そこで学問を究めた人は、庶民と同レベルの思考が否定されており、庶民よりも一歩先を読み、庶民を導く使命を負わされていることになる。

ところが、戦後の教育熱で、猫も杓子も大学に進学する状況が出来てくると、当然、大学の質的低下も必然の流れであって、かつての孤高の存在は許されなくなった。

従来のあらゆる統治者というのは、自分のブレーンの意見を参考にして統治をしてきたと思う。

自分自身の思いつきや気まぐれで統治をする独裁者というのも居るにはいたであろうが、それでも周りのブレーンの意見は聞いていたものと推察する。

全く100%完全なる思い付きや気紛れで統治する独裁者などというものは恐らくあり得ないと思う。

スターリンや毛沢東でも、数限りなく失政をしているが、その時の決定も100%の思いつきなどではなかったと思う。

そういう判断を下すには、それなりの部下ないしはブレーンの状況説明、背景説明があったと思う。

そういう説明を聞いて判断し、決定したところが、それが裏目に出て結果的に失政であったということだろうと思う。

政治というのは全てが結果オーライというわけで、失政をした時は批判が波のごとく押し寄せるが、それがうまく機能しあったときは全てが為政者の功績とされてしまう。

問題は、この時、失政の責任を為政者がブレーンの責任に転嫁しがちなわけで、その時の批判は全て為政者のブレーンが背負い込まねばならないというところに我々は不快感を拭い切れない部分がある。

民主的な政治システムの中では、失政の場合は為政者の交替ということで新たにスタートラインに並ぶことによって、リセットボタンを押すことによって次の展開に期待がもてる。

為政者の交替ということは、当然、そのブレーンも交替するわけであって、戦後の日本で政治批判をする人たちというのは、このブレーンの存在ということに目をつぶってきたのではないかと思う。

何処の国の為政者であろうとも、自分のブレーンも持たずに、自分勝手に思いつきのまま国を統治するなどということはあり得ない。

だから政治の善し悪しというのは、このブレーンの存在に大きく関わり合っていると思う。

政治の結果としての評価は、為政者が享受することになるのが普通であるが、基本的にはそのブレーンが負うべきだし、少なくとも時の為政者と同じ評価で語らなければならないと思う。

この時にいうブレーンというのは、公の場では内閣ということになるが、内閣に名を連ねるような人は、公的にも私的にもブレーンというグループを抱え込んでいるのが普通ではないかと思う。

少なくとも閣僚に任命された時点で、官僚としてのブレーンがそれぞれの閣僚に付けられるわけで、日本の場合内閣総理大臣から指名を受けて、天皇陛下から任命されて閣僚になるわけで、所管の業務については、はっきり言ってズブの素人が掌握することになっている以上、ブレーンなしでは行政そのものが成り立たないことになる。

これを詳しく見てみると組織論に行き着くわけで、ピラミット形の組織の中の上の方の高級官僚の存在の在り方ということになってしまう。

ピラミット形の組織では、普通は上意下達というスタイルでものごとが処理されるが、問題は、この上意下達という中で、下のものが上のものに媚びるということが往々にして存在する。

組織の一員として、誰もが一つでも上のヒエラルキーに達したいと願うことは極めて普遍的な人間の願望だろうと思う。

そのための手段として、上のものに媚び諂って、自分の存在をアピールしようと努力する賤しい人間の存在も極めて普遍的なものである。

問題はこの時の媚び方である。

「こうすればきっと上のものは自分を評価してくれるのではないか」という先走った配慮が往々にして日本を奈落の底に突き落とした原因ではないかと思う。

朝日新聞の論説特集としての「提言・日本の新戦略」という論説集も、その類のもので、この時の上というのは、主権在民という国是から推し量れば、一応国民大衆ということになり、この論説を書いた人たちは、そういう対象を思い描いてこの論文を寄稿しているものと推察する。

メデイアと国民大衆は上下関係で結ばれた組織ではないが、メデイアというのは自分たちの思考を売りものにしているわけで、その商品としての思考を売らんがためには、国民大衆に媚び諂わなければ新聞も買ってもらえず、テレビ・ラジオも見てもらえないわけで、そうなれば自分達は路頭に迷うという事態が起きるので、その意味で彼らは国民に媚びていると思う。

伊達男が目の前の女性を口説くとき、女性の真実のみを言い立てたとすれば、決して女性の心を解きほぐすことは出来ない筈だ。

やはり、女性を口説こうとすれば、歯の浮くような綺麗事を並べ、見え透いたお世辞の一つも並べれば、相手の女性は嘘と知りつつも、その虚言を信じるから、心がなびくチャンスは多くなるわけで、これが女性に媚びるということである。

世の中の知識人と称せられる人々の言動もこれと同じで、理想を高く掲げ、その理想に向かって鋭意努力するというフレーズは、まことに綺麗で美しく聞こえるが、それは現実に即していないわけで、ただいたずらに目の前にニンジンを下げた馬に等しい。

そして、その結果には何一つ責任を取るわけでもなく、新しい事態が起きれば、また新しいニンジンを探し出してきて、それを馬の前にぶら下げれば知識人としての使命を果たしたつもりでいるわけである。

政治を語る時、必ず出てくる言葉に「政治家のリーダーシップ」というフレーズがあるが、こんなバカな話もない。

今まで述べてきたように、特に日本の政治家というのは独裁者ではあり得ないのだから、政治家にリーダーシップを期待すること自体無いものねだりであり、そういう発想自体、日本人の何たるかを知らない人の発言だと思う。

日本の政治家は、それぞれに自分自身のブレーンを持っているのが普通だと思う。

特にそういうものを持たない人であったとしても、自分の支持者というのは立派なブレーンなわけで、中でも閣僚になるような人は、それぞれに公的ないしは私的なブレーンというものを持っていると思う。

問題は、そのブレーンが国民の声を代弁しうるかどうかであるが、政治家自身も自分自身の保身が第一であることに変わりはないわけで、彼のブレーンとしても、ボスの評判の落とすようなアドバイスはあり得ないのも当然の成り行きだと思う。

よって皆が皆、組織の上から下まで、全てが綺麗事だけを言い立てるものだから、そこからは真の改善策というのはあり得ないことはいうまでもない。

現実の問題として80、90の年寄りの介護、食事をさせたり風呂に入れたりに、若い者が3人も4人も群がって介護している現実を見て、「あれは負の投資だから即刻やめるべし」と誰が言えるのだ。

日本中の100人が100人とも、「介護はいくら負の投資であろうとも続けるべきだ」という綺麗事以外の発言があり得るであろうか。

「その負担は誰がするのだ」という段階になると、それぞれに言いたいことを言うが、その中から答えというのは出てこないわけで、あくまでも不毛の議論が延々と続くだけである。

戦後60年間、我々は戦争に巻き込まれずにやってこれたが、それを今の日本人の大部分は、日本人自身の努力の結果だと思い違いをしている。

ところが実際は日米安保条約でアメリカの軍事力のおかげで戦争をせずにこれた、というのが真実だと思うが、日本の知識人というのは、その真実を国民の前にさらけ出して、我々の思い上がった思考を冷やさなければならないと思う。

ところが普通の国民と同じ視点に立って、普通の国民と同じ思考に陥っているわけで、これでは知識人としての矜持も誇りも全くないに等しいではないか。

並の国民以上に学識経験が豊富ならば、並の国民と同じ視点・思考であっては学識経験者としての存在意義を自ら否定しているようなものではないか。

 

モラルハザード

 

並の国民が良かれと思うことは往々にして大儀にすり替わることがある。

並の国民が近未来的にこうありたいと願うことは、安易に時の大儀となりうる。

戦前の日本では「富国強兵」「撃ちてし止まん」「贅沢は敵だ」というフレーズが当時の日本人の大儀であった。

大儀に反する行為をすると、市民、国民の間から、その当人を糾弾する市民運動、言い換えれば密告やイジメが幅をきかせ、非国民と罵倒し、市民や国民の側が当局に媚びる状況が日本の此処彼処に現われてきたではないか。

そして敗戦となれば、そういう一切の行為を為政者の責任に転嫁して、国民や市民の側は被害者の振りを装って口を拭っていたではないか。

現在でも、「嫌煙権」とか「ゴミの分別」とか「介護の促進」というのは今の日本の大儀となっているので、この大儀に棹さすような発言は周囲から白眼視されるわけで、そういう意味で、行政を盾にして自分は良いことをしているような気になっている同胞があまりにも多いではないか。

大儀というのは時代とともの価値観が逆転することがあるが、そもそも大儀というものは、本来、時代によってあっちにいったりこっちに転がったりしてはならないものだと思う。

その価値観の変転を防ぐというか、価値観の座標軸を固定すべき立場を担うべきものが、本来の学識経験者といわれる知識人でなければならないと思う。

昨年は小泉首相の靖国神社への参詣で中国から痛くもない腹を突かれたが、こんな時に日本の学者、学識経験者、知識人は、こぞって祖国防衛に立ち上がらなければならなかったと思う。

祖国防衛という言葉は穏やかでない表現であるが、これは何も武力行使を指し示すものではなく言論の上で日本国民が意思を一致させるべきという意味である。

日本と中国という二つの国の事柄なので、中国には中国としての言い分のあるのは当然のことである。

問題は、その中国の言い分に日本の知識人が媚びたことである。

人の意見はそれぞれ十人十色であって、どんな意見を持とうがそれは個人の自由である。

だとしたら、中国に媚びた発言というのは当然のこと日本にとっては不利益をもたらすわけで、自らの祖国に不利益をもたらすような発言には、それなりのペナルテーを加えるのが主権国家としての自然の摂理ではないかと思う。

ところが我々には思想・信条の自由が保障されおり、このことが大儀になっているので、自分の祖国に不利益をもたらすような発言にペナルテイーを科そうという思考に至らず、この祖国を蝕む大儀には何ら違和感を感じていないわけである。

再び治安維持法でもってこういう発言を禁止せよとまで言うつもりはないが、人間の基本的生存権を蚕食しようとする発言に対して、何ら違和感も感じず、祖国を不利に導く発言を嬉々として受け容れる同胞に対して、何も危機感を感じない同胞の知識人の存在をどう考えたらいいのであろう。

今の日本の中には学識経験者、学者、知識人、大学教授というのは、それこそ掃いて捨てるほどいるが、こういう人たちというのは日頃一体何をしているのであろう。

こういう人たちが地球貢献国家を説いたとしても何も得るモノがないのでは無かろうか。

ただただ綺麗事並べて国民に理想という絵に描いた餅を掲示するだけのことで、それを馬の前にぶら下げたニンジンのようにして、国民を煽り立てて、自分は端からかけ声だけを声高に叫び、馬の尻に鞭を当てている図ではなかろうか。

私は日本の新戦略という前に、日本を本当の意味の日本民族の国家にする方が先だと思う。

それは外国人を排除するという意味ではなく、日本人のモラルハザードを少しでも改善する方向に、あらゆる知恵を出し合うということである。

何度も述べるように、人間の織りなす社会というのは、どのような主権国家であろうともピラミット形の組織を形作っている。

今の日本のモラルハザードは、この組織のトップで起きていることがあまりにも多すぎる。

組織のトップともなれば、昔の松下幸之助や田中角栄のように学歴のないものがなっているわけではない。

明らかに優秀な大学を優秀な成績で卒業した人士がなっているはずであるが、こういう人たちが収賄、贈賄、公金横領、脱税、報告義務違反、不祥事隠し、天下り等々の刑事犯罪を犯しているわけで、この現状を見るにつけ、日本の高等教育は一体どうなっているのかと言いたくなる。

こういう犯罪は、こそ泥とか、暴力団の抗争とか、強盗の類の犯罪とは明らかに違っているわけで、戦後の民主教育の極めて顕著な悪弊の露呈だと思う。

大学を卒業して、張り切って有名企業に就職して、30年40年とその企業の中で仕事に追われ続けると、世間一般のモラルから完全に乖離してしまったということだと思う。

して良いことと悪いことの区別が付かなくなってしまっているということである。

こんなバカな話もないと思う。

大学を出るまでは、それこそ並以上に優秀であったはずのものが、企業や官庁に就職して長い年月の間に世間一般の普遍的モラルを失うなどということがあっていいものだろうか。

世間一般の普遍的モラルの喪失ということは、突き詰めていえば人間神格ということである。

人間は如何に貧しくとも、普遍的なモラルを遵守して生きていれば、立派な社会人として認められるわけで、いくら金を得、地位を得、社会的に立派な人と見なされても、人間の基本的な普遍化したモラルを欠いていれば、完全なる人間失格である。

こういう犯罪者に偏見を持つ気はないが、過去にいくら金を得、地位を得、社会的に立派な人と見なされても、一端警察の世話になれば、それは水泡に帰してしまうわけで、その人の人生はいったい何であったかということになる。

また普遍的で恒久的な、なおかつ基本的なモラルを欠いた人には、厳しい制裁を科しても当然だと思う。

高学歴であればあるほど情状酌量の余地は厳しく制限すべきだと思う。

優秀な大学を出て、優秀な企業に入社して、営々と築き上げた地位と名声をつまらない端した金、ないしはほんのちょっとした良心に従えば失うこともなかったろうに、此処に人間性の謙虚さのありようがにじみ出ている。

モラルを遵守するということは突き詰めていえば人間性の発露だと思う。

組織のトップにまで上り詰めれば、そう自分自身で身を粉にして働くことも無いはずで、口先で部下に指示しさえすればことが済むはずだからこそ、モラルの遵守さえしていればことが起きなかったと思う。

法に触れる行為をしたということは、その指示を与えるときにモラルを欠いていたわけで、それは本人の奢り以外の何ものでもないと思う。

江戸時代の武士階級というのは今でいえばサラリーマン階級と同じであって、禄と称する給料で生かされていたわけだが、彼らは自らが統治する側の人間だという矜持を持っていた。

いわゆる「武士は食わねど高楊枝」などと揶揄されているが、江戸時代のサラリーマンというのはことほど左様に自らの誇りを失わなかった。

映画やテレビでは、悪代官などと誇張されて描かれることもあるが、基本的には武士道というものでモラルハザードを厳に戒められていたと思う。

ところが敗戦後の日本では、戦後の民主教育の中で、モラルというものが否定されて、人間は好きなように好き勝手に生きればいい、という風潮が蔓延したわけであるが、それをセルフコントロールすべきが、いわゆる高等教育というものではなかろうか。

今の日本社会のトップにいる人たちというのは、戦後世代としては第2世代のはずである。

この第2世代の人たちというのは、まさしく戦後の民主教育の中での教育を受けてきた人たちであって、戦後の民主教育の成果がこういう形で見事に露呈したということだと思う。

しかし、戦後の民主教育の結果だとしても、彼らはそれぞれに高等教育も受けてきているわけで、その過程で当然セルフコントロールの術も身につけてきているものと考えざるをえない。

にもかかわらず、こういう不祥事が後を絶たないということは、戦後の日本の高等教育は一体どうなっていたのかと言わざるを得ない。

 

 

戦後の民主教育の成果

 

今の日本の知識人の全ても、この世代の人々と同じなわけで、だからこそ自分の祖国に自ら唾を吐いても何の感慨もないのである。

恐らく彼らには祖国という概念すらも存在していないではなかろうか。

この朝日新聞の「提言・日本の新戦略」を執筆している面々も、恐らく戦後第2世代の人たちではないかと想像するが、この戦後第2世代をリードしてきたのがいうまでもなく戦後の第1世代である。

いわば旧大日本帝国の存在を身を以て体験してきた世代だと思う。

旧制中学や旧制高等学校で軍事教練を体験し、学徒動員を体験し、外地からの引き揚げを身を以て体験した世代だと思う。

この世代は、戦前・戦中の体験を身を以て体験したばかりではなく、戦後の価値観の大転換も身を以て体験しているわけで、だからこそ、その体験がトラウマとなって身に染みついてしまっている。

それでいて、あの戦争の反省には極めて甘いところがあると思う。

というのは、あの戦争責任の追及という点に関して、極めて曖昧にしか言及しない。

この世代の中には、自ら特攻隊に身を投じた人もおり、海兵や陸士に身を投じ、本気で本土決戦を迎えようと思っていたが、天皇の詔勅でそれが沙汰やみになり、生き残った人もいるわけで、そういう彼らは、自分達の先輩をずたずたに切り裂いて貶めることは忍びなく、彼ら自身の手でそういう先輩諸氏を断罪することが出来なかった、という状況もわからなくはない。

そういう彼らは、自らの体験から「もう戦争は金輪際嫌だ」という感情を持つことは致し方ない。

ところが問題は、こういう場合の感情である。

政治や外交、国の在り方というものを人間の感情で処して良いかどうかの問題だと考える。

国内政治や外国との外交を、感情でもって処して果たして良いものだろうか。

政治にしろ、外交にしろ、冷徹な現実論で、現実を直視して損得を考え、将来のことまで考慮に入れて、どう対処すべきかと考えるのが政治であり外交ではなかろうか。

それで、戦後の第1世代というのは、戦前・戦中の体験がトラウマとなって身に染みこんでしまったので、その後の全ての発想が「もう戦争は嫌だ」という感情に支配されてしまった。

このことは、物事をその場とその状況によって感情で判断するということになってしまったので、それが戦後の第2世代まで引き継がれてしまった。

「そういう状況ではいけない、国の在り方を感情で処してはならない」という警告を発すべきは、本来ならば高等教育を受けた知識人でなければならないはずであるが、我々の場合はそうならなかった。

我々が敗戦をむかえてもう62年も経つわけであるが、この間不思議でならないことがいくつもある。

例えば、沖縄が陥落しても尚本土決戦を本気で考えていたのは一体どうしてなのであろう。

B−29が落す爆弾にハタキで対応しようとした滑稽さをどう解釈したらいいのであろう。

終戦の詔勅が出た後でも、厚木基地から特攻攻撃をしようとした同胞の気持ちは一体どうなっていたのであろう。

考えれば考えるほど不思議なことではなかろうか。

こういう意味のない無駄な抵抗を誰がどう指示したのであろう。

此処にも、組織の中で、上のものに媚びたいという人間の欲望が潜んでいたのではないかと思う。

この「上のものに媚びる」という行為は、往々にして国民のためとか、天皇のためとか、後に残されたもののため、という風に言い換えられることがある。

誰も自分から「俺はあいつに媚びを売る」とはいわないわけで、国民のため、臣民のため、納税者のため、天皇のため、後に残されたもののため、と称して自分は「良い格好しい」を実践するというわけである。

これを端から見ていると、そういうことをする人は如何にも国家に忠実で、鋭意国民のため、国家のために仕事に励んでいるように見えるわけで、人々の見本と崇め奉られるわけである。

戦後の知識人は、これらの行為を全て日本政府、ないしは為政者、ないしは天皇に結びつけようとしているが、その陳腐さに本人が全く気がついていないというのも実に不思議なことだと思う。

これらの全てが、「現実を直視していない」の一言に尽きると思う。

希望的観測、ないしは自分勝手な思い込みによる発想の域を出るものではなく、現実を素直に直視すれば、その陳腐さは一目瞭然と理解できるのに、それをしなかった、出来なかったというのは一体どういうことなのであろう。

その理由は、隣人の目だったと思う。

隣近所に住んでいる同胞の監視の目であったと思う。

隣近所ばかりではなく、職場でも、軍隊の中でも、隣人の密告を恐れて、誰も現実を直視できなかったと思う。

それは本土決戦が大儀となっており、その大儀の実現に棹さすものは、国益を損なうものだ、という思い込みによる密告だったと思う。

密告をし、その密告を受け側は、国策遂行上極めて忠実な臣民ということになるわけで、この忠実さなるが故に、我々は今アジア諸国からの批判に晒されているのである。

そして戦争を体験した戦後第1世代は、自分達があまりにも国策遂行に忠実であったことの反省に立って、新制日本では国家や為政者には徹底的に反抗することを心の中に決めてしまったので、それが戦後第2世代にも引き継がれたものと考えざるを得ない。

これらは全て感情論である。

冷静な理性と知性で語られるのではなく、感情によって支配された論理である。

物事を感情で論ずればまた我々は同じ轍を踏むものと思う。

先の中国の靖国神社への参詣の批判も、冷静に考えれば日本の首相が何処に参詣しようと、何時参詣しようと、A級戦犯が合資されていようといまいと、余所の国からとやかく言われる筋合いは全くないにもかかわらず、日本のメデイアが大騒ぎするものだから中国側としては、そのことが押しも押されもせぬ外交交渉の切り札になってしまったではないか。

そんなつまらないことが中国側の外交の切り札になったということは、完全に日本の国益を損なっているわけで、此処でも日本の知識人たちは、自分の祖国の為政者にたいして感情論を展開して、不信感の赴くまま国益を損なう方向にミスリードして憚らなかったのである。

この時にも、戦後第1世代の過去のリーダーたちは「中国の言い分を聞くべし」と、小泉首相に諌言していたが、これも明らかに先の戦争のトラウマの呪縛から解き放たれていない証拠である。

我々は歴史を語るとき、その時々の指導者、為政者、ないしは統治していたものを俎上に据えるが、確かに国家の舵取りは何時の時代でも為政者であり、統治者の責任である。

ところが為政者や統治者が実施する施政というのは、国民の願望を内在しているわけで、独裁者が勝って気ままにしているわけではなく、国家が戦争という施策をとろうとするときは、国民の側にもそれを期待する声が醸成されていたと思う。

日本軍が中国戦線を拡大したときにも、内地の人々はイケイケドンドンを期待していたものと思う。

日本が中国の地に兵を進めると、蒋介石や張学良、はたまた毛沢東は、ドンドン兵を引っ込めてしまった。

これは戦争を避けていたわけではなく、自らの戦力を温存するための作戦であったが、日本軍がドンドン占領地を拡大したかに見えたので、内地の国民は大喜びで、万歳、万歳の歓呼の声が巷に響き渡ったわけである。

当時の日本国民は決して戦争を遺棄していたわけではない。

そして、その実績が念頭にあったからこそ、内地にいた若者は我も我もと軍隊に志願したわけである。

内地の若者ばかりではなく、朝鮮人の若者もわんさと日本軍に入隊希望者が集まって、結果的に、この時に日本軍に入営した朝鮮人兵士たちが、日本の兵士全体の評価を貶めた。

この時に日本の陸軍は明らかに判断ミスをしたわけで、中国軍が奥に引っ込んだのは、日本の軍隊が強くて怖いから逃げたのではなく、彼らの作戦で兵員の消耗を避けたかったからだ、ということに誰一人気がつかなかったのである。

日本が押せば相手は何処までも退却するものだから、日本軍としては自分達が恐れられていると勘違いするのも無理ない話ではあるが、これも表層の現象だけを見て、ことの裏を詮索する配慮に欠けていたということに他ならない。

この時の日本側の浮かれようというのは、どう説明したらいいのであろう。

こういう同胞のバカさ加減というのは、この時ばかりではなく、戦後も立派に引き継がれており、高度経済成長の時、成り金の中小企業のオッサンや、開業医の医者がパートや清掃員まで引き連れて海外旅行に出るなどという点にも如実に現われている。

こんなことをしていればバブル景気が続くはずがないことは火を見るより明らかで、その後の軌跡は、その通りの轍を踏襲したではないか。

この現象は民族の奢りと言わざるを得ない。

我々は一寸成功するとすぐに奢り高ぶるという民族的性癖を克服し切れていないようだ。

で、為政者の行為には、その背景にその時々の国民の願望が内在されているわけで、過去において我々が戦争という選択をしたのも、全て国民の秘めたる願望の現れであったといわなければならない。

戦争を本当に嫌っていたのは昭和天皇一人であったのかもしれない。

戦後の日本の知識人は、天皇に戦争責任の一端があるかのような発言をしているが、政治のシステム上、天皇の立場としては国会が承認した事柄を覆すことは出来なかったに違いない。

それよりも前に、我々国民の側が極めて好戦的であったということを知るべきだと思う。

美濃部達吉の「天皇機関説」を排斥したのは当時の大学教授たちであったし、斉藤隆夫の予算案に対する質疑を反軍的と称して除名処分したのは当時の国会議員たちであったわけで、当時の大学教授や国会議員という知識人たちは、一体何をどう考えていたのだと言いたい。

軍人のサーベルの音が怖くて縮み上がっていた図でしかないではないか。

まともな論議を封殺して、当局に、ないしは為政者に媚びを売っていたのが、これらに代表される当時の知識階層であり、我々の戦前の歴史であったではないか。

彼らこそ当時の国民の願望と期待を代弁していたではないか。

それこそ軍国主義そのものであったではないか。

あの時代の軍国主義というのは為政者が上から押しつけたのではなく、国民の下からの突き上げて、いわゆる草の根の思考であったように思われる。

国民の草の根の思考、ないしは願望、期待というものを煽りに煽ったのは、言うまでもなく今の状況からすれば未熟だったとは言え、当時のメデイア、ラジオであり新聞であり雑誌であったと思う。

戦後の知識人は、自分を良い子に見せたいばかりに、同胞の陰の部分、負の部分、陰部はことさら表に出さないようにして、責任の所在を曖昧な政府とか当局とか為政者というものに責任を被せようとする。

とはいうものの、朝日新聞に代表される日本のサヨクは、我々の恥部を中国に献上して、同胞を貶めることによって、中国に媚びを売ろうとする意図が明白である。

人間の織りなす社会活動には、綺麗事では済まされない汚い部分も掃いて捨てるほどあるが、その汚い部分も我々は直視しなければならない。

汚れを知らない乙女のように、絵に描いた綺麗事だけを並べて、少女趣味に浸っているわけには行かない。

 

 

「奢り」の構図

 

世界の何処の民族にもグループ内で威張りたがる人間というものはいるものである。

自分をことさら大きく見せたいと画策する人間は、我々の民族ばかりではなく、どの民族にも多かれ少なかれいるものであるが、この威張るという行為は、大儀を背にしたときことさら顕著に表れる。

冷静な人間からすれば、人前で威張っている人間など噴飯ものであるが、これが大儀を背にしていると、始末に負えなくなる。

時の大儀には誰も逆らえないので、威張っている人にとっては、それが水戸黄門の印籠のような効果を発揮して、ますますエスカレートして止まるところがなくなってしまうのでことさら人迷惑である。

戦前の軍国主義というのも、こういう風潮に便乗して全国に広がったのではなかろうか。

戦後日本が負けたとき、戦中に威張り散らした大政翼賛会の人々や、町内会のボスに、一般市民が反撃を食らわしたという話は聞いたことがない。

そういう意味では我々は市民レベルで先の大戦の総括をしていないのではなかろうか。

たしかに戦後占領軍の管轄下で極東国際軍事法廷というもので日本の戦争指導者たちは連合軍の裁きを受けた。

しかし、それはあくまでも勝った側の視点での日本の戦争指導者の処罰であったわけで、我々国民の側から、同胞を奈落の底に突き落としたことに対する責任追及ではないわけで、それに関しては戦後の日本の左翼も一向に声を上げようとしなかった。

これもおかしなことだと思う。

戦中に意味もなく学徒動員や町内の国防訓練にかり出されて、ハタキで消防訓練をさせられたり、竹槍訓練にかり出された人々の恨み、というのは一体何処に行ってしまったのであろう。

食うや食わずの生活を強いられて、そんな恨み言をいっている暇はなかったということであろうか。

この特集の冒頭の部分に「世界のための世話役になる」とサブタイトルが大きくでているが、これこそ日本の知識人の奢りそのものである。

我々日本人が世界からいかに嫌われているかということを忘失した発言である。

戦後、日本の経済発展がめざましく、日本人も海外に出、海外からも日本を訪れる人が多くなったが、日本を本当に理解している人はごく少数の人でしかない。

世界中から日本の経済発展は称賛されているが、だからといって日本人が彼らに受け容れられていると思うことは認識不足だと思う。

ただ経済界の交流、政治家同士の交流の場で、相手国の悪口をあからさまに言うようなことは、人間としての普遍的な礼儀に反しているわけで、公の場では決して相手国の悪口を口にしないものである。

いわゆる外交辞令というものであるが、これを真に受けるとはいかにも認識不足だと思う。

アジアの中で、第2次世界大戦で、あらゆるものが無と化した裸の日本が、戦後30年ないし40年でアメリカに次ぐ経済大国になったということを、他の国から見れば羨望と妬みとがない交ぜになっているのが当然で、彼らにしてみればゴマを擂ってでも金を引き出させたいというのが本音の筈である。

相手には、妬みの感情が渦巻いている、という人間としての自然の在り方を日本の知識人は全く意識しようとしていない。

無理もない話で、外国と交渉しようとするような人々は、巷の魚屋のオッサンや八百屋のオッサンとは違うわけで、学識経験豊富な日本のインテリーなわけで、向こうも当然それに見合う人間が対応に当たるわけで、要するにインテリー同士の会談である以上、双方が綺麗事に終始するのも当然のことである。

ところが先方の本音には、日本に対する妬みが潜在化しているわけで、その部分を無視するから、我々は相手から煽てられるといい気になって舞い上がってしまうわけである。

相手の本音は正式な会議では決して聞けるものではないが、ちょっとしたゴシップの記事なりニュースでは不用意に流されることがあるので、それに注目すべきである。

我々は世界にしろ、アジアにしろ、決して他民族、他国間の主導権というものを握ってはならない。

あくまでもサポーターに徹すべきで、リーダーシップは余所の国に任せるべきである。

ただし、サポーターでありながら金だけはしっかりと握って、金という切り札でもって影武者に徹すべきだと思う。

ところがこういうことが我々日本民族にとっては一番苦手なわけで、我々は極めて均一的な国民であって、他民族との折衝ということには極めて不慣れである。

ついつい自分達の価値判断で相手を見てしまうが、相手は長い歴史の中で、他民族との折衝になれているので、我々は見事に手玉に取られてしまう。

そういう民族のおかれた地勢的な条件からしても、我々が世界にしろ、アジアにしろ、他民族の間の世話役になるなどということは、思い上がりも甚だしく、奢り以外の何ものでもない。

アジアの世話役になる、というこの発想が戦前に日本陸軍を中国大陸の推し進めた潜在力であったものと思う。

我々は相手のことをあまりにも知らなすぎる。

日本と中国は同じ漢字という媒体で意思疎通が可能だったので、我々は中国人も我々と同じ発想をするものだと勝手に思い込んでいたが、先方は全く違う発想に立っていたのである。

我々は、アジア大陸と離れた海のなかの孤島に住んでいたので、文化の面では大いに隣のアジア大陸の文化を参照にして、我々からアジア大陸を見れば、日本文化の師の立場で崇めたい気持ちでいたが、先方から我々を見れば、ただ単なる化外の民、いわゆる野蛮人でしかなかったわけで、そういう点にも我々は相手の本質を全く理解し切れていなかったということだ。

戦後の日本は、国連の供出金もアメリカについで多額に納付しているし、ODAに関しても気前よく振る舞っているが、金を出すと言うことは立派な外交カードを持っていることなのだが、我々の側にはそういう認識がないように思う。

ただ相手が可哀想な貧乏な国だから、金を出して慈悲で助けてやる、という奢りが内在した発想だったと思う。

金を出すからには、それに見合う何かを獲得するという発想を持たないことには、出した金が死に銭になってしまうではないか。

ODAも乞食に銭を投げ与えるという感覚であってはならないと思う。

金だけ出して何も見返りを期待しないということは、金持ちが乞食に銭を投げ与える構図と同じなわけで、相手に対しても失礼だと思うし、我々の奢り以外の何ものでもないと思う。

相手を対等の人間と認めれば、ただで金を投げ与えれば相手が「バカにするな」と怒って当然である。

この相手の怒りを我々は斟酌し切れていないように思う。

相手を自分と対等だと認識すれば、金を出す以上その見返りを要求することが人間として対等の立場に立つということだろうと思う。

国際協調の場で無償援助ということが話題になるが、我々はキリスト教的な慈悲を施すほど恵まれた資源大国ではなく、極めて自転車操業的なバブリーな経済に支えられていることを忘れてはならない。

外交ということは、何もアメリカや中国との交渉のみが外交ではないわけで、今の地球上には190以上の主権国家が存在するが、そういう小さな国とも対等の立場で話し合うということも大きな課題だと思う。

そういう小さな国々と日本が同じテーブルを囲む場面を想定すると、我々の側は、国土は小さいといえども経済力はアメリカに次いで世界第2位なわけで、その経済力を背景として尊大な態度になるのではないかと、そこが心配である。

我々の国の経済が世界第2位といったところで極めてバブリーな状態であることを忘れてはならない。

この問題は、その事案を担当する担当者の器量の問題であるが、誰がそういう外交交渉をするにしても、我々が民族として普遍的に抱えているコモンセンスがその場で露呈するかどうかの問題である。

この特集で掲げているように、「日本が世界の世話役になる」ということは、今の日本のおかれた状況から見てきわめて理想的な思考であるが、そもそも、このフレーズの中に我々の奢りが潜んでいると思う。

まず最初に述べたように、我々は世界の嫌われ者だという認識が欠けている。

この論説を書いた人は日本でもトップクラスの知識人なわけで、彼が外国人と会って話をすれば、先方は決して日本のことをけなしたりはしない。

だから、彼としては、それが外国人一般の認識だと思い込んでしまいがちであるが、それは盲人が像を撫でているのと同じ構図で、事実の一部しか認識していないということである。

我々は、21世紀以降の地球上を生き抜くためには、決して他民族、他国の前面に出ることなく、徹底的に影武者に徹すべきで、しっかりと金を握って、その金を武器として、相手の使用目的に応じて出したり出さなかったりして全体をコントロールすべきである。

「世界の世話役」などとは、あまりにも驕り高ぶった慢心以外の何ものでもない。

日本のメデイアのトップにいる最高の知識人が、こういう驕り高ぶった発想をしていていいものだろうか。

我々の同胞は、65年前、大東亜共栄圏という構想をぶち上げたが、戦後はこの構想そのものが日本人の恥という感覚で我々を呪縛し続けたではないか。

それを今更何を血迷って「世界の世話役」などとシャシャリ出るのであろう。

歴史から何も教訓を得ていないではないか。

経済大国になったらからといって、いきなり「世界の世話役」などと見栄を切っても、それは我々の奢り以外の何ものでもなく、誰も真に受けてくれないのが当然である。

我々の国がアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国といったところで、それは極めてバブリーな存在で、自分の国を自分で守れないものが世界から認知されないのも当然の話で、我々は海が閉ざされたらそれだけでもう死に絶える道しかないではないか。

こんな陽炎のような危なっかしい国が、「世界の世話役」など務まるわけもないではないか。

 

 

大儀の恐ろしさ

 

自分の国を自分で守れないという意味は、何も軍事的なことばかりではなく、貿易立国として海を遮断されたらそれだけで自然消滅しなければならない定めにおかれているという意味である。

この論説を書いているような知識人は、綺麗事をならべ、他人が反論できないような理想論を述べ、絵に描いた餅を追い求めるように世間を煽り、他人を責めさいなんでいれば、それで飯が食えるが、現実の日本は日の当たらない場所で、黙々と働いている庶民によって回っているのである。

人間の織りなしている社会は、ピラミットのような構造の組織によって運営されている。その組織の中で、人々は一歩でも二歩でも上に登りたいと日夜努力しているが、そういう人々は実に健気である。

こういう組織の階段を一足飛びに駆け上がる手法として、学歴というものが幅をきかすわけで、そういう学歴を獲得して組織の上層部に駆け上がった人たちが、モラルハザードを起こさず、普通の常識の範囲内の思考であったとすればその社会は健全である。

ところが、戦後の民主教育では人々の考え方の多様性を容認する方向に向かってきたので、この部分で齟齬をきたし、世は混沌となってしまったのである。

組織の上層部を形勢する高学歴の人々の間に、モラルと人間の欲望の葛藤を制御しきれない状況が現われてきたのである。

人間の普遍的なモラルというのは一つだと思う。

人のものを盗んではならない、人の命は大事しなければならない、という人間にとって普遍的なモラルは、何時の世でも、如何なる世でも、時代が変わっても、その本質が変わるものではない。

ところが、このモラルに「多様性を求める」ということは、それを否定することにつながるわけで、人のものを盗んではならないが時と場合によってはそれも仕方がない。

人の命は大事にしなければならないが、時と場合によってはそれを無視しても致し方ないと、拡大解釈が許されるわけで、それがモラルの多様性というものだと思う。

そういうことは「何が何でも弁解の余地がない」、「誰が何と言おうとも許されない」、という確たる信念を否定するわけで、極めて物わかりに言い寛容さを示すことが、民主的だと思い違いをしているわけである。

我々は宗教的に極めて寛容な民族だから、我々の精神の内面を呪縛する規範というものを持ち合わせていない。

だから「そんなことは神様が許さない」という言い回しがないわけで、我々の個人の欲望をセーブする精神的支柱というものがない。

ついこの間までは「お天道様に顔向けが出来ない」と、よく年老いた人たちが言っていたものだが、これも古い封建主義の旧弊として、民主的と称する平等思想に追いやられてしまった。

だから、古いモラルを壊すごとが大儀となると、大儀を実践するのに歯止めがなくなってしまう。

確かに、人様の考え方は様々で、十人十色であるが、この考え方は良いがこの考え方は有害だと認定する基準がない。

人様の考え方を有害だと認定すること自体が、思想・信条の自由の権利を侵すものだという認識が先に立つものだから、当然のこと、モラルそのものが規範を失ってしまうわけである。

本来、知識人のあるべき姿というのは、世間にそのモラルの規範を説くべきことではなかろうか。

ところが現実には世間の乱れがあまりにも自堕落に広がって、行政サイドが何とか措置を講じなければならない、というところまで行着いても、知識人の集団は、そういう事態に行政が権力でもって関与することに非常に批判的な態度を取りがちである。

世間の乱れは政治が悪い、政府が悪い、自民党が悪い、だからそれを権力で押さえることは尚悪いという論法である。

そのことは、これら日本の知識人は、日本という国、ないしは日本民族を、この地球上から抹殺しようとさえ思っている、としか見えない。

凶悪な殺人犯が善良な市民を殺傷しても、殺人犯の人権は声高に叫ぶが、被害者や取り締まり当局の苦悩は何一つ理解しようとしない。

ただただ、これら知識人のねらいは、行政や権力に反抗することのみで、国民の一般的な幸せな生活を築き上げよう、という発想は微塵も見あたらない。

先にも述べたように、日本の知識人でありながら、中国の国益に貢献しようとする同胞を、我々はどう理解したらいいのであろう。

中国に対しての思い入れがことのほか強いということは、逆に中国のことが何もわかっていないということにつながる。

21世紀の世界は、確実に国境の壁というものが低くなるとはいうものの、自らの同胞を不利な立場に追い込んでおいて、自らの国が混沌の中に陥ったとしても、彼らの言い分はその責任を政府に転嫁することは火を見るより明らかなわけで、その負債は我々同胞の上に降り掛かってくる。

戦前、戦中から戦後の日本の政治、つまり日本の昭和期の歴史というものは、国民の最大公約数的なものを施策として実施した場合、往々にして失政につながっている。

政治家、日本の舵取りをした面々が、国民の最大公約数的な施策と反対の施策を施したときは、その場では混乱の渦に巻き込まれるが、長い目で見ればそれがその後の発展につながっている。

特に、戦後の民主政治の中で、国民の大多数の反対を押し切った施策が、その後の日本の発展に大いに貢献していると思う。

問題は、その時、政府がしようとした施策に、「そんなことをすれば日本が滅亡する」と反対論を展開した当時のインテリー、学者、知識人、大学教授等々の未来予測のでたらめさである。

吉田茂も、岸信介も、佐藤栄作も、その場その時には国民の大部分の反対を押し切って自分の信念を持って持論を推し進めたではないか。

彼らに反対した当時のインテリー、学者、知識人、大学教授等々は、この歴史的事実にどう自己弁護をするのだといいたい。

戦前の日本の政治が、坂道を奈落の底に向かって転げ落ちたのは、当時の政治家、いや軍人たちが政治家の首根っこを押さえた結果であるが、その軍人や軍部は世論に迎合して、国民の声を代弁して、国民の潜在化した願望、期待を実現しようとしたからではないか。

その事実をふまえて戦後の政治というものを見ると、戦後の政治家というのは、国民の最大公約数的な意見を無視して、我が道を進んだ結果ではないか。

その意味では明らかに政治家のリーダーシップであったわけで、この例に見るように、政治家がリーダーシップを取るということは、国民の意思と反対のことを推し進めるということに他ならない。

政治家が国民の声に迎合すれば、また戦前の状態に舞い戻ってしまうではないか。

民意を汲んだ政治というフレーズは、極めて民主的で綺麗に聞こえ、耳障りが良いが、往々にして失政につながり、衆愚政治に陥りがちだ。

戦前の日本の政治をよくよく見てみると、確かに軍人がのさばって政治家は軍人のサーベルの音に怯えていた節があるが、だからといって軍人が直接軍政を敷いたわけではない。民主的なシステムの中で、純粋な政党政治家が軍人政治家に媚びを売る形で軍出身の政治家にスライドしていったわけで、その背景には国民のフォローがあったと思う。

つまり、国難を目前にして政党政治家が党利党略に現を抜かしている現状に嫌気がさした国民が、軍部のイケイケドンドンという雰囲気を歓迎したことによって、当時の日本国民の間に軍部を支持する空気が醸成されたものと推察する。

戦後の日本の知識人は、あの戦争の災禍を全て軍人、軍部に覆い被せようとしているが、当時の軍部の行動は、国民の期待と願望を内在していたわけで、それは当時の軍部、軍隊の構成員が全て日本の各級、各層、庶民、国民から出来ていたので、軍人、軍部そのものが国民各級各層の潜在意識を内包していたからにほかならない。

純粋な政党政治家は党利党略に明け暮れ、彼らは当時の日本国民の目前の国難に対して期待や願望をどこかに忘れ去ってしまっていたので、国民からソッポを向かれていた。

軍人政治家といっても軍政ではなく、軍人の独裁政治でもなく、民主主義的な議会制度の中での軍人の発言権の拡大であったわけで、そういう状況下で我々は奈落の底に転がり落ちていったのである。

地球規模で見て、兵隊、下級兵士というのは世間から蔑まれた地位に甘んじているのが普通であるが、我々の国、特に戦前・戦中の我々は、それを「神兵」とか「軍神」などと崇め奉るようになった。

それは時の為政者が上から命令してそうしたのではなく、国民の草の根の運動として、下からの盛り上がりで、そういう風潮が全国的に蔓延したものと考えられる。

乃木希典や山本五十六を「軍神」としたのは為政者が国葬をしたことによって、国民の側がそれに呼応して神様にまで崇め奉ってしまったのである。

また戦死した人の遺族には「軍国の母」などと煽て上げ、国威掲揚に努めたのも、為政者の意向というよりも下からの盛り上がりの現象ではなかったかと思う。

これこそ民意というものではなかろうか。

此処には為政者の意を汲んで、それに媚びた人間がいるものと思う。

それは同時に、そのことが大儀となったので、日本全国でその大儀を忠実にフォローすることとなったと考えざるを得ない。

「国葬をするぐらいの人物ならば神様にしようではないか」、と言った人間がどこかにいて、それが大儀となってしまったので誰一人抗することが出来なくなったというわけだ。

だから戦争が終わった時点で、国民の草の根の軍国主義であったからこそ、その責任の所在は完全に出所不明となってしまい、我々の内側から戦争責任を追及することが無かったものと推察する。

 

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