プロローグ 旅のはじめに

 

またまた海外旅行に出掛けることになった。

定年後2年おきぐらいに海外旅行をしているが、それはいずれもアメリカであった。

アメリカの何処にそれだけ惹かれたのかといえば、やはりアメリカの大自然である。

何故アメリカの大自然に惹かれたのかといえば、その理由は若い頃に見た西部劇が原因だろうと思う。

インデアンと幌馬車、カウボーイと拳銃の支配する荒野、こういうものが戦後、焼け野原となった日本を占領したアメリカ軍と共に彼らの文化としてはいってきたが、それは大きなカルチャーショックとなって私の脳裏を占有していたからである。

いってみれば私は軽薄なアメリカかぶれである。その軽薄さは自分でも解っている。

その軽薄なアメリカかぶれの頭脳を持ってしても、我々の古来からの日本文化と、アメリカン・カルチャーの大きな相違を実感し、その相違をくみ取ることは可能であった。

アメリカの自然の風物に直に接してみると、西部劇に登場する、インデァイン、駅馬車、カウボーイ、拳銃等々のものが風景を背景として成り立ていることが実によくわかる。

文化というものがその風土を背景として成り立ているということは当然であろう。

アメリカ旅行の最後にはワシントンとニューヨークにも行ってみたが、ここでもやはりアメリカ文化の神髄というようなものを感ずることが出来た。

文化の相違は発想の相違に行き着くと思う。

その発想の相違は風土の相違に関係していると思う。

よって文化の根源には人々の起居する風土が大きく関わりを持つものと考える。

ところが今回はヨーロッパである。

私にとってヨーロッパというのは少々取っ付きがたいところがある。

何といっても文化の伝統が長すぎる。アメリカ文化の比ではない。軽量浮薄ではない。

ギリシャ、ローマの歴史をひもといても私は彼の地のことを殆ど何も知らない。

私の思春期とテレビの登場は軌を一にしているが、学校で教わったことはすぐに忘却の彼方に飛んでいってしまうが、テレビで見た印象はずっと脳裏に残ってしまう。

私が西部劇を見ていた頃、ヨーロッパの映画というのはほとんど見る気がしなかった。

ヨーロッパの作品にも良いものがあることは承知していたが、そういう作品は大学教授のような教養や知性のあふれた知識人たちの専有物のように見えたもので、私のような落ちこぼれの学歴コンプレックスの人間には近寄りがたい気がしたものである。

戦後の日本の教養人はアメリカ文化を軽蔑し、ヨーロッパに垂涎のまなざしを向けていたように見えたものだ。

1945年、昭和20年8月15日の日本の敗戦、戦争に負けたという現実は、表向きは連合軍に負けたという形になっているが、実質はアメリカに負けたわけで、我々はアメリカ一国に負けたわけである。

ところが勝ったアメリカの日本占領政策というのは、我々が考えていたものに比べると意外なほど寛大であったので、相手が寛容な態度を示すとそこにつけ上がるというのが我々の民族の業であるが、それは密かな優越感につながっている。

戦争中、日本軍の兵士がアジアの諸民族に行ったことは、この優越感の誇示であったが、それと同じ心理が戦後の我が同胞の教養人、知識人にもあったわけで、例えてみればお釈迦様の掌の平の上で大暴れする孫悟空のようなものである。

つまり、許される環境の中では徹底的に増長しきって、自分で自分がコントロールできず、自己規制が出来ないということである。

自分達の上に君臨しているアメリカに対し、陰で皮肉を言ったり、軽蔑したり、少々たてついてみたり、権力に立ち向かうポーズをしたり、アメリカかぶれを軽蔑しヨーロッパこそ文明の地だと妄信したりすることが文化人、知識人、大学教授達の平均的でかつ革新的な意識となっていたのである。

日本の知識人がアメリカ文化を軽蔑するのはそれが極めて単純明快だからであって、それに比べるとヨーロッパの文化というのは実に複雑怪奇である。

この複雑怪奇という部分に思考を巡らす楽しみを見いだすわけで、それを勿体ぶって、ああでもないこうでもないと、インテリごっこに耽る余地があるからであろう。

今回の旅行に際して予備知識にと思って2、3の本を読んでみると、彼らの思いも少しは理解できるようになった。

こんな具合で若い頃にはヨーロッパの映画がというのをあまり見たわけではないが、定年後、NHKのBSで古い映画を放映してくれるので、その中では往時、名声を博した作品も数多く流され、近年になってそれらの名品を見るようになった。

私にとってアメリカはただただあこがれの地で、行ってみたい土地の筆頭であったが、ヨーロッパとなると少なからず尻込みするような気持ちになったものだ。

文化の認識が浅い分、近寄りがたい恐怖を感ずる。

世界史の一部分として中学生並みの知識しかないわけで、その中で第1次世界大戦、第2次世界大戦と歴史的事実を列挙してみても、これらの戦争をした国々は日本と同じような国家だと思いがちであるが、旅行のためのパンフレットを見ているだけでも、どうもそういう単純な思考では割り切れないものがあるようだ。

今回の旅行もドイツに入って、オーストリアを抜け、イタリアにはいるが、これはアルプスを北から南へと横断するわけで、こういう感覚はどうも私の理解の枠を超えている。

3カ国を通過する旅行というのは、昔、日本が中国大陸に地歩を固めていた頃(戦前のこと)、東京から下関まで行き、そこから釜山にわたり、朝鮮半島を北上して中国東北部(満州)に行くようなものではないか。

大東亜共栄圏の一部分として日本、朝鮮、満州が一体化していた(戦前の)状況では、国境の壁が低く比較的安易に行き来できたように思えるが、日本の敗戦でそれが全否定されたので、アジアの多様性という名の下にかえって差別化が顕著になってしまった。

今のヨーロッパでは、昔の日本の大東亜共栄圏のようなものがEUという形で出来上がっているが、アジアでそれが出来ないということは、やはり文化(民度が低く、皆で、民族を超えて協力しあって底上げをしようとしない文化)という以外に説明にならないのではなかろうか。

アジアにおいて、それぞれに主権国家が主権をふりかざして、国境の壁を高くするということは、それだけ人々の民度が低い、民主化の度合いが低い、ということを如実に表していると思う。

朝鮮の人々、中国の人々に言わせれば、「日本がかつて侵略したのだから、相互理解は日本の反省がなければなりたたない」、という言い分であろうが、ならばドイツ、オーストリア、イタリアのあいだに戦争などというものがなかったかといえば、我々以上に何度もそれを繰り返しているわけで、そういう過去を乗り越えて現在EUという枠組みを作っているのであり、「過去の戦争でひどい目にあったから相互理解が出来ない」というのは理由にならないと思う。

その部分で理解し合えないというところに、民度、民主化の意識の低さがあると考える。

相互に理解し合えない最大の原因は人という生き物が持つ潜在的な偏見だと思う。

ヨーロッパの人々は過去の何度にもわたる戦争の応酬を経て、20世紀の最後にはそのむなしさに気がつき、その偏見を乗り越えるに至ったものと考えるが、そこにヨーロッパの人々の民度の高さを思わずにはおれない。

「戦争の、ないしは侵略の反省が足りない」、という先方の言い分も、無為な言葉の遊びに過ぎないわけで、日本の首脳は今まで何度も謝罪しているにもかかわらず、それを素直に受け入れず、何度も蒸し返すということは、ただ端なる偏見に過ぎない。

謝罪にしろ、反省にしろ、それを具体的にどうすれば相手が納得するか、ということは答えのない事柄なわけで、相手がこちらを信じない以上、如何なる和解も成り立たない。

ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うでは相互理解はありえないわけで、結局のところ、突き詰めれば「金寄こせ!」ということに尽きる。

本心は日本の金、言い方を変えれば経済援助が欲しいだけで、それが実現しない限り、仲良くしたくないということの現われである。

本心は明らかに金が欲しいだけで、仲良くする気など最初からない。

相互理解をしようという気にならないという点において、アジアの人々は民度が低いということになると思う。

東西冷戦が崩壊し、ヨーロッパがEUで統一されたとき、「アジアは多様性に富んでいるからああいう風にならない」と言われたものだが確かにそうだと思う。

アジアの多様性という言い方は極めて欺瞞性に富んでいるわけで、もっと直截に言えば、「お互いに仲が悪い」と率直に言うべきである。

ヨーロッパでも、戦争とか侵略という言葉を使えば、この地方の人々はそれを何度も何度も相互に経験しているわけで、それは領地が地続きという地勢的な条件から必然の流れであっただろう。

その度重なる歴史の教訓として、「民族を超えて仲良く暮らそう」という示唆を得て、EUという仲良しクラブが出来上がったと見なしていいと思う。

ところがアジア大陸の内部、つまり中国ではそういうことは必然として存在していたが、そこに日本という海を隔てた、彼らの認識では野蛮人だと思っていた民族が、19世紀の後半に一躍勃興してきたものだから、彼らにすればその認識を素直に受け入れることができなかったに違いない。

今まで野蛮人だと思っていた日本が、彼らの先祖伝来の地を踏みにじったわけで、そこで日本に対する恨みというものは一朝一夕では払拭しきれない、というのが今の状況ではないかと思う。

これこそ偏見そのものである。

その意味では今回訪れる地域は極めて歴史的な意味の大きい地域だと思う。

ところがこちらはその歴史というものをまるで知らないわけで、ヨーロッパの旅というのは大自然を見るというよりも、人々の作った人工のものを見る機会の方が多い筈だ。

アメリカのイエローストンNPやグランドキャニオンの景色を眺めて帰るのとはわけが違う。

おそらく見るものすべてが人工のもので、その建造物や塑像の一つ一つに作者の意図とそれにまつわる物語がついて回るのではないかと思う。

いわば歴史探訪の旅になるのではないかと思うが、私はその歴史に疎いので、今までヨーロッパは敬遠していた。

 

次に続く