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魂の堕落

 

日本文化の真髄・変革

 

我が家のハナミズキの花が庭一面に散っている。

今日(平成18年5月7日)の雨で満開に近かったハナミズキの花が散って、庭一面にその花びらが散らばっている。

私はこういうものをそのままの姿で愛でたいと思っている。

世間では満開の桜が散ったさま、桜のはなびらが道路の落ちたさま、秋の紅葉で、落ち葉が歩道に散っているさまを汚いと表現する人がいる。

私にはこういう人の美的感覚が理解できない。

確かに箒の掃き目も鮮やかな日本庭園の美しさというものは認めざるを得ないが、散った花びらや落ちた紅葉を汚いと感じ、それを掃き清めようとする人の感性が理解しがたいものに見える。

きちんと整備された日本庭園に箒の掃き目が鮮やかに見える庭というのは素晴らしいことだとは思うので、それ否定するつもりはないが、桜のはなびらが歩道の上に落ちているさま、紅葉が石畳の上に落ちているさまは、それこそが自然そのもので、それを「汚いから掃除しなければ!」という感性は理解しがたい。

それは、花びらにしても落ち葉にしても通常はそこに存在しないものが、ある日突然登場すると美意識が刺激されて、それを汚いという認識が先立ってしまうものと思う。

長年の既成概念がそういうものを汚いと認識してしまうのであろう。

ところが、花が散り、紅葉が落葉するのは自然の摂理なわけで、自然の自然のままの姿である。

それが地面という人間の規定したもの、つまり既定の概念として掃き清められた土の道であったり、きれいに舗装された道の上に落ちていると、そこに違和感が生まれ、その違和感を汚いと表現しているものと考える。

この違和感は人間が自分の既存の認識の中に自然のなす行為が入り込んでくるとそこに意識の乖離がおき、この違和感を何とか是正しなければならない、という意識になるものと思う。

要するに綺麗とか汚いという感覚はその人の思い込みによるわけで、自分の思い込みを善として人に押し付けることは良い事ではないと思う。

ここで、散った花びらや落葉が汚いと認識すると、それらを掃除する人の問題に焦点が移り、誰が自然の営みの後始末をするか、という問題に転嫁される。

戦後の民主主義の日本では、そういうことは当然行政の仕事と言われるであろうが、こういう発想そのものが非常に心の貧しい人の発想だと思う。

口では満開の桜が美しいと言ったり、紅葉した並木道が美しいと言いながら、それは自分が全く関与しない第3者の立場である限り、そういう言葉が口から出ているのだと思う。

自分は口先だけを動かして、後は他人にさせようという発想であるが、こういう心の貧しい人間が大声で騒ぐことこそ民主化の度合いが進んでいる社会と勘違いされそうなのが現状だと思う。

まあ昨今のことだから、道路に桜の花や落ち葉があれば、行政に電話すれば大きな機械が出動して綺麗にしてはくれるであろうが、桜の花や落ち葉を汚いと感ずる感性にはいささか滅入る。

目下、日本の盆栽というのは世界的に人気が出てきたらしいが、私にはこの盆栽というのも全く理解しがたいことである。

自然の生き物の木、仮に松でも、菊でも、楓でも、自然のままに生育させれば大きなものになるものを、わざわざ小さく小さく仕立てることは納得できない。

自然の摂理に反することだと思う。

小さく小さく仕立てて、家の中で自分だけで楽しむなどということは極めて日本的で排他的な行為だと思う。

こういうことは日本民族の潜在意識として刷り込まれているのかもしれないが、それはやはり我々の先祖が農耕民族だった、ということから来ているのかもしれない。

我々の先祖は稲作をするに当たってきわめて綿密に計画を立て、自然をこの上なく上手に利用する術を持ち、その延長線上に、本来の植物の自然のままの生育をコントロールする術を得たものと思う。

それが盆栽というものだと推察する。

本来すくすくと生育すべき木を、手間暇かけて小さく仕立てることに価値観を見出すということは極めて日本的なことだと思う。

だからこそ日本文化といわれるゆえんであろうが、この日本文化というものも極めて日本的な発達を遂げたように思う。

その代表的な例が茶道と華道だと思う。

お茶を飲むのに何故に儀式ばった形式に理屈をこねるのか、というのが私のいつわらざる本心であるが、華道についても同じことが言えるわけで、花を活けるのになぜこ難しい理屈がいるのかという思いがする。

お茶を飲んだり、花を活けるのにこ難しい理屈を言うことで、その道の奥義を究めるという発想そのものが極めて日本的で井戸の中の蛙式の発想だと思う。

あの江戸時代の文化爛熟の時代に、我々の同胞、先輩諸氏は、天下泰平の世を満喫していたわけで、その中で暇をもてあました粋人たちが、愚にも付かない理屈をこねたのが、その後日本文化として花開いたのではなかろうか。

考えても見よ!お茶を飲んだり、花を活けるのに何故あのようなこ難しい理論、理屈、手順が要るのかと。

西洋にもマナーといわれるものがあることは承知しているが、そのマナーの上に理屈を積み重ねたようなものではないか。

そして西洋人のマナーはいわゆる貴族のものであって、下級階級はマナーとは縁遠い生活をしていたわけで、それは貴族が自分の地位と存在感を誇示するための自己満足に類するものあった。

日本の茶道や華道も、最初は極限られた人々の占有物であったのではないかと思う。

それが下々のものにまで普及してきたところに、日本の文化のバイタリテーがあると思う。

このバイタリテイーというのは我々が日本人である限りやはり付いて回るようだ。

というのは、戦後の日本の高度経済成長の中で、我々はモーターリゼーションの波をもろにかぶったが、このとき、車、自家用車というのは、それまでの日本社会ではごく限られたひとの占有物でしかなかった。

それが一気に垣根が取り壊されて、猫も杓子も、車、自家用車が持てるような社会に変わってしまった。

車に関して言えば、我々のテクノロジーというのは実に目覚しいものがあって、一昔前ならば競技用の特殊なエンジンでしかなかったものが一般の大衆車のレベルまでそれを搭載するようになったことを考えると、こんな例は世界中捜してもないのではないかと思う。

これは車というテクノロジーの分野での話であるが、こういう変革が我々の社会ではしばしば起きているように思う。

もの作りの現場における技術革新が、良いものを大量に生産するという結果を招き、そのことが昔あった貴族とか庶民という隔壁を取り除いてしまった。

貴族だけしか持てなかった、いわゆる貴族や金持ちの占有物であったものを大量に生産することで、それが庶民にまで行きわたるようになると、それは貴族としての存在感まで失われるという結果を招き、社会はきわめて平等化したことになる。

日本の文化として茶道、華道が定着したのもこういう変革の結果だと思う。

以前ならば一部の限られた人の間の約束事が庶民レベルにまで広がってきたということだと思う。

 

文化と金の関係

 

私の日本文化に対する疑問は、こういう変革をいうのではなく、茶を飲んだり花を活けるのに何故小理屈をつけるのかという点である。

お茶を飲むときは注がれたものを素直に飲めばそれ以上の理屈はいらないのではなかろうか。

花を活けるのに、自分がいいと思う風に活ければそれでいいではないか。

なのに何故ここで理屈をつけるのかという疑問である。

この疑問を自分なりに考えてみるに、これはお茶を出す側、花を活ける側の論理がまかり通っているのではないかと想像する。

俺がこのように儀式張ってお茶を出しているのだから、それを受ける側も、それに応じた対応が必要だ。俺がこのように見る人の心を慮って活けているのだから、見る側もその活ける側の心を察すべきだという、独善の押し売りではないかと思う。

それが江戸時代の平和な時代なればこそ、そのもてなしの心が嵩じて、こ難しい理屈になったのではないかと思う。

理屈というのはこねればこねるだけ難しくなってしまって、最後は哲学に行き着いてしまう。

その行き着いた先が茶道であったり華道であると想像する。

哲学であるから、それは形式美に終始するわけで、実態が伴うものではない。

良い悪いといったところで、その基準は最初から存在していないわけで、雲を掴むよう話に過ぎない。究極の禅問答に尽きる。

このわけの判らないことが文化と称されるようになると、それに階級をつけたがるというのも真に日本的な傾向だと思う。

それが最終的に家元制度と昇華するわけであるが、私の感性によれば、この家元制度というのはそれなりに合理性があると思う。

つまり、金儲けの手段として、ねずみ算式に増えた弟子たちを階層的に位置つければ、それは立派な金つるになるわけで、それが家元制度の根本のところにはあると思う。

本当の文化人ならば、自分のかかわった文化を広めよう、伝播しよう、伝承しようとする際には、金をとってはならないと思う。

その意味で、私は個人的には特許の制度や実用新案登録などという制度を否定するものである。

いい発想、いいアイデア、いい発明ならば万人がその恩典に浴すべく特許権やその他の権利で、それを作ろうとするものを束縛してはならないと思う。

特許権や実用新案登録は、最初に考えた人のアイデアを保護する趣旨はよく理解できるが、それを利用して金儲けをしようとする人と、それを最初に考えた人のアイデアを保護するという問題は、次元の違うことではないかと考える。

昔は「武士は食わねど高楊枝」というざれ言葉あって、貧乏な武士を揶揄していたが、これは金に誘惑されない誇り高い武士のことを言っているわけで、貧乏だからこそ寺小屋で教鞭をとって糊口をしのいでいたが、それは生活にいくら窮しても金儲けという汚い仕事までする気はないぞ、というその精神の気高さを褒めた言葉と解釈しなければならないと思う。

自分のアイデアが万民の利便に叶うものであるならば、それが万民の難儀を救うことの誇りと名誉を感じ、それを作ることに制限を加えてはならないと思うが、そのアイデアを借用して金儲けのためにそれを使うものが現れるから、発案者を保護するという目的でこういうものが出てきたものと考える。

基本的には、万民がそれで利便を得ることが出来る、つまり社会全体を豊かに、便利にするものであれば、それを作ることを制限してはならないと思う。

家元制度というのもこれとおなじで、誰でも彼でも無制限に弟子を取れば、金つるが金つる足りえないので、それを独占するために家元制度などというものが確立されたものと考える。

これは日本という小さな4つの島、いわば井戸の中の蛙的な発想で、小さなパイの分け前を如何に守るかという発想につながっていると思う。

その根本のところには金儲けの思考が漂っていると思う。

金儲けということは決して悪いことではない。

しかし、それにも節度があるわけで、農民が汗水たらして米を作り、それ売って金を得るのならばまさしく実業としておおいに許されるが、家元制度というのは物を生産するわけでもないのに、弟子のピンはねをすることによって利得を得る行為だから極めつけの虚業だと思う。

茶を飲むのに作法など全く必要ないわけで、ただ口を潤せば茶を飲む行為の目的は完遂されるが、それにああでもないこうでもないと理屈をこねて、もっともらしい教養を見せびらかすのが茶道だと思う。

その小理屈を如何にももっともらしく見せるために家元制度などという上納金システムを作り上げて、如何にも権威があるように見せかけて生徒から金を巻き上げるのが日本の文化と称せられるのはまことに不可解千万なことだと思う。

茶道のみならず華道にも全く同じことがいえる。

家元制度というのはこの架空の権威に対して金を払わせる集金システムだと思う。

しかもこの傾向は西洋文化をも侵食しつつある。

例えばバイオリンとかピアノの世界はまさに一時代前の徒弟制度に戻りつつあるような気がしてならない。

一般的にヨーロッパで修行をつんだ先生が日本で弟子を取るとこういう状況が生まれる。

先生にしてみれば、自分が修行した経費を弟子から回収しようという魂胆が見え見えだ。

異国で西洋文化を吸収すべく修行して、技術的には西洋人を凌駕するようなテクニックを習得したとしても、その心根の方は日本人の魂を完全には捨てきれず、民族のDNAを引きづっているということである。

民族の名誉と誇りは別の次元の民族性を克服することが出来ず、生き様としての民族性というのは基本的には拭い去ることが出来ないのではなかろうか。

本当に文化を愛する人ならば、弟子から金を取ってははらないと思う。

自分が本当の文化人、教養人だとすれば、それを人に伝えるのに金を取って教えてはならないと思う。

それでこそ本当の文化の伝承であり伝播であると思う。

それでは食っていけないではないか、という疑問が起きるが、基本的にヨーロッパに修行に出るような人が今時のニートやフリーターとして行っている訳ではなく、きちんとした大学に籍を置く研究者として海外に出ているわけで、ならば姑息なアルバイトは厳に慎むべきだと思う。

「武士は食わねど高楊枝」式に、毅然と赤貧に甘んじて、後輩の育成に当たるべきだと思う。

日本の文化というと、やはり真っ先に浮かぶのは、茶道、華道ということになるが、演芸も立派な日本の文化であり、この文化も昔と比べると相当に様変わりしてしまった。

これは地球規模で万国共通であるが、芸人、演劇人、俳優、役者という家業は正業ではなかった筈である。

古代までさかのぼれば、ギリシャの円形劇場では奴隷と猛獣と戦わせて、一般市民、この時代の貴族と市民権をもった市民たちは、それを見ながら楽しんでいたわけである。

今でも劇場の一番良い席は高いところにあって一番良く見渡せる場所であるが、それは貴族や王様の席であったものが、最近は金さえ出せば誰でもそこに座れる時代になってとは言うものの、基本的には貴族や王様の席であったことに変わりはない。

江戸時代の日本の芝居というのは、升席で持ち込んだ弁当を食べながら見るのが普通で、それこそ特権階級の贅沢の典型的なものであったはずである。

だから芝居の上演中に客同士が歓談するのは当たり前のことで、演者はそれを前提として芝居を演じていたに違いない。

だから演ずる側からすれば、三波春夫の台詞ではないが「お客様は神様」というのが本音であろうと思う。この言葉は演ずる側の謙虚な言葉だと思う。

何万円もする入場料を取っておいて、お客に対して「黙れ!静かにせよ」とか「携帯電話を切れ」とか「私語を慎め」などということは本当は筋違いなのではなかろうか。

ところが昨今はお客のほうの質が低下して、昔の特権階級が贅沢三昧で芝居見物に来るのではなく、貧乏人がなけなしの金をはたいて見に来ているものだから、演目が堪能できないと客が損をした気分になるものだから、興行側が客に対して「黙れ!」と言うような仕儀に相成るもの推察する。

そして芝居を演ずるもの、いわゆる俳優や役者という稼業は、農民や商人や職工よりも卑しい身分として蔑まれていた。

ところが、そういうものが時代とともに大勢の人が見に行くようになり、それが産業として大衆に受け入れられるようになると、それを演じている人たちがあたかも文化人のように扱われる機運が出てきた。

メデイアの発達で、演じている人の影響が大勢の一般大衆に及ぶようになると、演じている人もそれを見る側の人も、そういう人たちを文化人の仲間に入れることに躊躇するものがいなくなってしまった。

考えてみれば、毎日テレビに顔を出している芸能人のほうが真面目な政治家よりもよほど知名度があるわけで、知名度があればそれは文化人だと勘違いする大衆がいても不思議ではない。

そしてそれが大学の学問にまでなっているが、こんな馬鹿な話もないと思う。

演劇や芝居、映画やテレビなどが学問であるはずがないではないか。

それはお茶を飲む作法を茶道と言ったり、床の間を飾る生け花が華道などと称することと同じことであって、文化の堕落だと思う。

何でもかんでも文化とさえ呼べば価値が上がるという発想の延長線上のことだと思う。

文化というものは経済とは対極に位置するものではないかと思う。

問題は、様々な文化的作品が高額な金で売買されるという点にあると思う。

金持ちが文化の何たるかもわからずに、金に飽かせて購入すること自体は、咎められるべきことではないが、そのことによってそれを生み出す側が金の誘惑に負けてしまうことである。

文化ということはクリエイテイブな活動で、「赤貧洗うが如し」の状態では良い作品が生まれないこともある面では真実であろうが、作品そのものの評価よりも作者の評価が先にたってしまって、あの作家の作品は高いということが世間に認知されてしまうことのほうに弊害がある。

良い作品の評価というのも実に曖昧なもので、その評価を測る尺度というものはこの世に存在していないわけであるから、誰かがその評価を煽ることで、作品の評価が上がるということだと思う。

その良い例が、例えば池田万寿夫氏などは東京芸大に落ちて、それで渡米してアメリカでイラストレーターとして名を上げると、帰朝するやいなや日本でも寵児として受け入れられたではないか。

ということは、日本の画壇というのは彼の才能を見抜くの能力に欠けていたわけで、その時点では無視していたにもかかわらず、それがアメリカで人気が出たとたんに、彼は只者ではないという評価が日本で沸きあがったということである。

こんな馬鹿な話もないと思う。

画壇ではこういう話が掃いて捨てるほどあるわけで、それならば日本の画壇には他人の作品を評価する能力が全くないということを暴露しているに過ぎないではないか。

一度出来上がった評価を後追いしているだけで、自分たちでは新しい価値観、新しい良さと言うものを全く見出せないでいるということに他ならない。

画壇でも、音楽界でも、文壇でも、様々な賞があって、それぞれがそれなりの登竜門の役割を果たしていることは認めざるを得ないが、こういうもの、いわゆる芸術の分野というか、文化というものの評価というのは物差しで計るわけにはいかないわけで、ある作品の評価というのは人によってまちまちだと思う。

文学作品などでも、審査員の多数決で賞が確定すると聞いたことがあるが、多数決ならば非常に民主的に聞こえるとはいうものの、その評価は絶対値ではないわけで、ならばその価値は一体何なのかという疑問に突き当たる。

よってこの様々な賞を設けるということは自分たちの価値観を捏造しているわけで、様々な賞を設けて、それに入賞したものは良い作品だから皆さん大いに購入してください、という販売戦略と取らなければならない。

文学作品の場合はそれが本の販売促進につながり、音楽の場合はギャラのアップにつながり、画家の場合は作品の価格にストレートに影響していると思う。

ということは、賞を受賞するということは、業界内において作品の評価を意識的に高めるということであって、それは経済的に大きな影響力をアップさせるということである。

何のことはない、経済活動の中の談合と同じで、自分たちの仲間内で、自分たちの価値を高める場の提供に過ぎない。

賞がたくさん増えれば増えるだけ、自分たちの価格アップのチャンスが増えるわけで、それは経済の場面で業者が談合して受注価格を上げている構図と全く同じではないか。

談合で仲間の結束を固くして、その中では師弟関係を強固にし、排他的に振舞おうとしている。

この仲間内の結束というのも非常に問題だと思う。

「とかくメダカは群れたがる」という言葉があるが、全くそれと同じである。

何処までも自分たちの井戸に固執して、井戸の中から天を覗くという格好にならざるを得ない。

逆に世界から見ると、それだからこそ日本独特の文化ということにもなるが、現代ではそれは時代遅れだと思う。

日本の文化の進展というのは、この井戸から飛び出して、世界という大きな場で活躍した人の影響が非常に盛り沢山あると思う。

そういう人たちが、井戸の壁を低く低くするようになって全体のレベルが世界基準に近づいたとは言うものの中身の人間のDNAは少しも変わらないわけで、その輪の中では日本的な感覚や感情が渦巻いていると思う。

 

寿司と箸

 

今、世界中で日本食ブームとなっているらしいが、その中でも寿司というのがアメリカで大人気だと聞く。

この寿司と称する日本の食文化も、以前ならば寿司職人というのは完全に職人気質を身にまとっていて、素人の客を馬鹿にする雰囲気があった。

寿司を食べに来る人間は、ある種の食通で、粋な雰囲気を持った上得意な客だけのものだ、という雰囲気を露骨に示していた。

それは当時の時代背景を考えれば無理からぬことで、寿司職人になるためには、何年も修行が要ったわけで、そういう苦労の末に職人になった人が、一見の素人がそういう背景も知らずに金に飽かせて注文されれば腹の立つこともある程度は頷ける。

ところが昨今ではそういう苦労をして修行する人間がいなくなってしまって、回転寿司でアルバイトの学生が握っている状況になれば、昔気質の職人の出る幕はなくなってしまった。

問題は、本当の寿司職人が一様に経験した苦しい修行というものの本質である。

米とぎ何年とかいうような修行が果たして寿司を作ることに影響があるのかという疑問である。

技術を習得するのに、誰でも彼でもすぐに出来るということはありえないわけで、あらゆる職業にも基礎知識とそれに根ざした応用技術が必要なことは理解できる。

寿司職人の米を研ぐだけで何年も修行しなければならないというのは、その時代背景から考えれば当然の成り行きであったかもしれない。

その当時の日本では人が多すぎて、大勢の人間を抱え込んで事業が成り立っていたわけだから、今で言えばリストラ対象の人間を内部に保留している状況であったので、仕事の細分化という意味で、そういう形態が修行という形で露呈していたのかもしれない。

そういう苦労の末初めて人前で寿司を握れる立場になったとき、やはり客に対しても自分の苦労を理解してくれる人が客であってほしいという願望は理解できる。

一見の客が金に飽かせて、その料理人の心を理解しないまま、無粋な食べ方をされては、彼らの自尊心が傷つくことは当然だと思う。

ところが時代がそういう時代ではなくなったわけで、今の回転寿司では客はハンバーグやホットドッグを買うような気持ちで寿司を口に運んでいるに過ぎない。

昔気質の職人には耐えられないものだろうと察して余りある。

ところが日本の文化を論ずる場合、この昔気質のというのが非常に難問である。

日本人独特の昔気質というのが、日本独特の文化を形作っていることは論を待たないが、これがあらゆる分野で大きな存在観を示している。

家元制度でも、柔道、剣道の昇段試験でも、この昔気質の修行のつらさを慮った処置ではないかと思う。

日本の文化にはあらゆる分野で階段を上るような昇段試験に匹敵する関門が設けられている。

その階段を一つづつ登っていく過程で、それぞれに上納金が要るわけで、それこそ家元なり、師範なり、先生の糧となっている。

この昇段試験というのも、子供相手のときはそれこそ階段を一つづつ登るということが本人の励みにもなり、教育効果としては認めざるを得ないが、ある程度の実力が備わってくれば、その実力は伯仲しているわけで、甲乙つけがたいというのが現実ではないかと思う。

昔気質の職人技というのは、その数が少なくなった分、巷ではちやほやされてマスコミにも取り上げられ、それが日本の文化の象徴でもあるかのように喧伝されているが、日本文化というのはその閉鎖性の中で練り上げられた究極の技ということも可能かと思う。

この閉鎖性の中で練り上げられた究極の技なるが故に世界に類をみない文化となっているわけで、それが日本文化の真髄でもある。

文化というものはあらゆる文化に地域性があるわけで、その地域性というのは言葉を変えれば、ある種の民族性でもある。

しかし、世の中がグローバル化という傾向の元、寿司なるものが世界的規模で普及すると、日本人の究極の技というものとは関係なく、世界のセンスで寿司というものが好まれるようになってきた。

それが本当に良いものであるならば、その文化は地域性を乗り越えてグローバル化し、世界的に普遍性を持つようになる。

すると本来の意味を喪失しかねない状況が生まれるわけで、寿司一つとっても我々が日本の寿司だと思い込んでいる既定概念を乗り越えて、寿司のようではあるが全く新しいものの出現ということになりかねない。

我々は、寿司というものは職人が何年も修行して始めて握っているのだ、という事実を知っているが、世界の人から見れば、職人が何年修行しようがしまいが関係ないわけで、目の前のものがおいしく食べれればそれで良いわけである。

彼らは彼らで我々には思いも付かないような寿司ネタで握っている。

だから今海外で出回っている寿司というのは、日本の職人からすればあくまで寿司モドキというもので、本当の寿司ではないと言いたいだろうが、客の方は全くそんな思惑には無頓着なわけである。

彼らにしてみれば寿司モドキで十分なわけである。

それよりも、彼らには箸を使うことがステータスになっているといわれており、箸で食事をする、つまり日本食をすることが社会的にも認知されているということである。

ところがこの箸の使い方というのも、日本人自身が相当に廃れかかっている。

箸の使い方、鉛筆の持ち方、小刀の使い方というものが今の日本人は真にぎこちない。

何故あんな風になってしまったのであろう。

日本の若い人の箸の持ち方というのは実に見るに耐えない。

鉛筆やボールペンの持ち方でも実にぎこちない持ち方しか出来ない。

小刀で鉛筆を削るなどということはおそらく小学生では出来ないのではなかろうか。

何故こんな風になってしまったのであろう。

ひところ先割れスプーンの使用がこういう風潮を助長したなどといわれたが、そんなことが原因ではないと思う。

私が推測するに、これは親が教えることを放棄したからだと思う。

幼児にとって箸を使う動作というのはかなり難しい作業に違いない。

その難しい作業を習得させるには、やはり親が何度も何度も根気よく教え、何度も何度も叱り付けなければそれは達成できなかったものと考える。

その過程で、親が子供に教えることをや叱ることを放棄して、子供のなすがままにしておいた結果が箸もまともに持てない大人の誕生ということになったものと思う。

鉛筆の持ち方でも同じことだと思う。

持ち方が不恰好でぎこちなくても、それでも一応箸で食事が出来、鉛筆で用が足りているので、「まあ良いか!!!」と、子供の現実の姿を容認してしまった結果だと思う。

箸を使うということは、ある程度の訓練がいるわけで、アメリカ人は日本食を味わうために、その訓練に挑戦し、それを乗り越えたから社会的なステータスになりえているのであろう。

戦後の我々、日本人の中の、特に進歩的と称する人々は、何かを成す為には訓練が要る、という前提そのものを否定することが進歩的と、間違って理解したのではないかと思う。

普通の日本人として、普通に箸や鉛筆や小刀を使うには、それなりの訓練がいるということを忘れて、それがなくても何とか生けておれるならば、そんな訓練を無理してしなくてもよいと勘違いしたに違いない。

 

心卑しき官僚

 

戦後の日本は教育に失敗したことは確かだと思う。

先に述べた「武士は食わねど高楊枝」という諺の本当の意味をとり違えてしまって、武士、現在でいえば高級官僚を頂点とする知識人は、仮に薄給であったとしても、気位は高く、誇りを持ち、金で魂を売るなどということは決してしまい、という生き方を陳腐なものとあざ笑っているという風にしかとりえない。

ところが本当は、武士、いわゆる知識人にはノブレスオブリッジというものがあって、金で魂を売るなどということは死んでもしない、ということを表しているにもかかわらず、そういう人物が今はいなくなってしまった。

これも平等意識の悪しき弊害だと思う。

江戸時代の日本文化の爛熟の時期は、確実に身分制度が機能していて、人々は分をわきまえた生活をしていた。

武士はいくら窮しても魂を売ることはせず、仕官の声のかかることを何時までも待っていたし、それ以外の階層は、それぞれの才覚で日銭を稼ぎ、それぞれに相互扶助の精神で生きていたものと思う。

この時代は大名以外はそのほとんどが貧しかったと思う。

ところが周囲がみなそういう人なので、自分だけ特別に貧しいなどいう意識はなかったものと推察する。

というのも、その時代の人はそれぞれに分に応じた生活をしていたので、周囲の人と生活に伴う競い合いということはなかったはずだ。

この分に応じた生活というのが非常に大事で、現代ではその意識がなくなってしまって、分不相応な生活を追い求めるから、精神までが腐敗してきたものと推察する。

分不相応な生活というのは周囲と競い合うから分を乗り越えてしまうのである。

現在において金持ちと貧乏人の違いは、その住んでいる場所の違いだけである。

東京の六本木に住んでいるか、島根県に住んでいるか青森県に住んでいるかの違いで、住んでいる人の生活は東京でも島根県でも青森県でも何ら変わるものではない。

車をもち、テレビを見て、携帯電話を酷使する生活というのは東京にいても島根県にいても青森県にいても全く同じなわけである。

違うのは、地価の高いところに住んでいるか、安いところに住んでいるかの違いしかない。

今の日本には分をわきまえるということがなくなってしまって、皆、平等社会になってしまったが、平等社会になればなったでその弊害というのは当然おきてくる。

その弊害のもっとも顕著な例が、高学歴になっても心の卑しさを克服できないということである。

心の卑しさというのは、本来、その人のもって生まれた先天的なものかもしれない。

だからいくら高学歴をつんでも、その人の心の卑しさが解消するという性質のものではないのかもしれない。

そういう人から見ると「武士は食わねど高楊枝」という諺は奇麗事に過ぎず、その精神の気高さも理解されないということかもしれない。

戦前の日本には滅私奉公という言葉が生きていて、これは軍国主義によって戦争遂行の旗印として使われてしまったが、基本的には民主主義国家というのは、この滅私奉公でなければならないと思う。

戦争遂行の旗印にこの言葉を喧伝するというのは間違った使い方であったわけで、「人民による人民の為の人民の政府」ということであれば、人民が多かれ少なくかれ滅私奉公しなければ国家というものが成り立たないと思う。

それはなにも戦争に協力するという戦時中の意味ではなく、人々は普通に生業に精を出すこと自体がまわりまわって滅私奉公につながると思う。

戦時中のように、勤労動員で無理やり軍需工場で働く、というだけが滅私奉公ではなく、人々が自分の生業に一生懸命、真面目に勤めることがすなわち社会的に大きな貢献となるわけで、それが回りまわって人々のためになるということだと思う。

ところが戦後は人々が私利私欲の追及に血道を上げているから殺伐とした社会になっている。

それは、平等社会になったがゆえに、心の卑しい人でも高学歴を手にすれば金銭的なゆとりが得やすい社会になったからだと思う。

つまり、高学歴を得れば高収入が期待できる、という打算がそこには働いているということである。

江戸時代の身分制度の厳しい時代の武士というのは、官僚として、正確には自分の城主の配下として、領民を管理支配する立場であって、それは城主にも領民にも均衡を保ちつつ双方を納得させるものでなければならなかった。

決して戦うことに明け暮れていたわけではなく、もしそういうことがおきれば身命を賭して戦うけれども、そうでないときは心身を鍛え、学問に励み、殖産興業を考え、世のため人のため城主のためを思いつつ日々を過ごしていたと思う。

仮に、リストラにあって浪人中であったとしても、いつでも城主に仕える心の準備をしていなければならなかった。

その意味からして、文字通り滅私奉公であったが、この体制が崩壊して、明治新政府が四民平等として大きな国家体制を築いたときは、武士階級でそのまま管理部門に横滑りした人もいたが、それでは新国家の要員不足が起きたので、いわゆる四民平等の趣旨にのっとり、武士以外の身分の中からも人材登用せざるを得なかった。

新政府になったとしてもまだ規模の小さいうちは旧体制の人たちが先輩として居残っていたので、さほどの問題はなかったが、これが世代交代するようになると、この四民平等の弊害が顕著に出てきたわけである。

そのもっとも顕著な例が軍隊である。

戦前の日本の官僚システムにおいて、軍事以外の文官はいわゆる帝国大学の卒業者がなっていたが、軍隊の組織だけは15、6歳で陸軍士官学校ないしは海軍兵学校に入学し、そこを卒業した連中が組織の中枢を担っていた。

そしてこの軍の学校というのは完全に民主化されていたわけで、文字通り四民平等で、たった一回のペーパーチェックで、何年か後には帝国大学出と肩を並べることになるわけである。

その状況が昭和初期の日本の政局の動きを牛耳り、その結果として日本は奈落の底に転がり落ち、戦後60年経っても未だ元に服せないでいるのが今日の状況だと思う。

私が言いたいのは、明治政府のとった四民平等という施策は、言葉は立派であるが、その実態は玉石混交で、本来人を統治するにふさわしくない人間まで組織の中枢に入り込ませてしまったということである。

資本主義社会においては富の追求というのは賞賛されるべきことではあろうが、それはまともな生業に精を出して富を追い求めるというのならば何ら問題はない。

ならば高級官僚が天下りするということをどう考えたら良いのであろう。

高級官僚だとて定年まで無給で働いていたわけではないはずで、それ相応の手当てを得て奉職していたはずで、ならばそれ以上に欲張って国民の血税をむしりとるということは厳に戒めなければならないではないか。

これこそ心の卑しさではなかろうか。

商人が商売をするのはそれが生業であるから、その生業でいくら私利私欲に走ったとしても何ら咎めるべきことではない。

ところが官僚、つまり国家公務員というのは公僕であって、国民に奉仕する立場から考えれば、天下りなどということは公僕の倫理に反することではないのか。

人間は「立って半畳寝て一畳」というだけあって、これぐらい無私に徹すれば立派な人間として認められるが、そういう気分が全くなくなったのが昨今の日本の有態だと思う。

資本主義社会なのだから富の追及はけっして悪いことではない。

だから、それに徹するとするならばホリエモンや、三木谷氏や、村上氏のようにマネーゲームに徹すれば、それはそれなりに評価できる。

なんとなれば、それが彼らの生業であるからである。

ところが官僚の身でありながら、天下りして国民の血税を掠め取ろうとする魂胆にはほとほと腹が立つ。

昔も今も、官僚つまり国家公務員というのは非常に狭き関門とくぐって登用されるわけで、その意味ではきわめて厳格に選別された人であるはずだ。

その関門をくぐる段階で、高度な教養知性が要求され、それがため必然的に大学、特に優秀な大学を卒業しないことには、それが備わらないわけであるからして、その結果として人材が東京大学に集約されているものと推察する。

ところがこの関門、狭き門といっても、この門は人間が生来持っている人間としての心の品性、精神の気高さ、人間としての品格、倫理観とか正義感の強さは計る事が出来ないわけで、計れるのはただペーパーチェックの能力だけである。

それがため心の卑しい人間を選別する、排除することは不可能なわけである。

そして、高級官僚というのは俸給でも特別に遇されているはずで、江戸時代の武士のように「武士は食わねど!!」などという状況ではないと思う。

だとしたら、その人の能力と知性は全て国家のため、ひいては国民のため、一般社会のために還元されてしかるべきで、老後の資金調達のための天下りなどという行為は自尊心が許さないというのが本当の心のある人間ではないかと思う。

天下りのシステムというのは、官僚が自分たちで自分たちの受け皿を作っているわけで、突き詰めて言えば、国民の血税をいかにして私物化するかということである。

彼らの言い分としては在職中のノウハウを継承するとか、知りえた技量、知識、人脈を生かすなどと奇麗事を言っているが、それは究極の私利私欲に他ならない。

自分たちの老後の資金調達に、いかにも国民のためというポーズを維持しつつ、官僚としての体面を保ちながら、自己利益を図るかという問題だと思う。

高級官僚が高級官僚のために高級官僚の老後資金を捻出するシステムが天下りなわけである。

こういう下心があるということは、心の卑しさ、心の貧困、愛国心のかけらもないということで、有るのは私利私欲だけだということである。

この卑しい心を是正する、心清らかな人間に生まれかえさせる、ということは現在では不可能である。

人間の生活というものが金・マネーを媒介として営まれているかぎり、人間から金銭欲というものを抑圧させる処方と手段はありえない。

「立って半畳寝て一畳」などという境地を、今に生きる人間に追い求めても、それは不可能としか言いようがない。

しかし、日本人の美意識というのは、この言葉の中にあったのではないかと思う。

「武士は食わねど高楊枝」、「立って半畳寝て一畳」、「江戸子は宵越しの金を持たない」という言葉はいずれも貧乏礼賛の言葉であって、金銭欲や権力欲に走る人間を言外に揶揄している言葉だと思う。

この言葉の舞台となっている江戸時代というのは、身分制度がきちんと確立していて、身分制度の障壁を乗り越えて立身出世をするということは不可能な時代であった。

もっとも、この時代に立身出世という概念があったかどうかも定かではないと思う。

立身出世という言葉は、官僚制度が確立した後の概念ではないかと思う。

江戸時代には武士はいくらリストラされていようが他の身分のものを統治管理する立場であったわけで、仕官されて始めて統治する立場が確立するわけではない。

それは職業を指し示しているのではなく、出自を指し示しているわけで、その出自の良し悪しの問題だと思う。

だからそういう出自の人間にとってみれば、立身出世などという俗ぽい概念とは無縁であった。

だから立身出世という概念も存在していなかったのではないかと思う。

ところが明治維新で官僚制度が確立されると、それこそ四民平等で、農民や、商人や、職工の階級のものでも、つまり出自をとわずあらゆる階層から極めて平等に、たった一回のペーパーチェックで登用されるやいなや、出世街道が目の前に開けるわけで、そこで始めて立身出世という概念が生まれたのではないかと思う。

 

競争と教育の問題

 

立身出世ということは要するに人生レースなわけで、組織の中において先輩、同僚、後輩との競争である。

当然、この出世欲に絡んで金銭欲も付いてくるわけで、それが個人の私利私欲を刺激するという按配だと思う。

今の日本人は、この貧乏礼賛の気持ちを喪失してしまったところに今日の社会不安というか、社会情勢の堕落が潜んでいると思う。

高度経済成長の最中、「隣の車が小さく見えます」というテレビコマーシャルがあったが、このキャッチコピーが見事に今の日本人の深層心理をついていると思う。

我々は常に競争に明け暮れ、追いつけ追い越せで生きているのだと思う。

何に追いつき何を追い越すかという目的もわからないまま、とにかく目の前にぶら下げられたニンジンを追いかける馬のように、がむしゃらに走っているのが現代の日本人だと思う。

ただただ、がむしゃらに走っているだけなので、自分の生きる道、生きている意味、生きている価値、自己の生存の目的というものが見出せないまま、周りにつられて、周りがしていることをただただ鵜呑みにして、周りに自分を合わせることだけに一生懸命になっているのではないかと思う。

65年前を振り返ってみると、あの戦争中の軍国主義というのも、こんな調子ではなかったかと想像する。

戦争中の幼児や小学生、今、存命ならば60代から70代の人たちまでが、あの時は幼き軍国主義に染まっていた、という事実をどう考えたら良いのであろう。

明らかに親の影響を受けており、その親は社会の影響を受けていたわけで、その社会の影響というのは一体なんであったのだろう。

一言でいえば、隣の人が軍国主義に陥り、自分もそういうふうに振舞わなければ、異端者と思われ、社会からつまはじきされるのではないか、という不安から周りに自分の意思を合わせていたということだと思う。

現在の日本でも、我々の置かれている状況は全くこれと変わらないわけで、隣が家を改築したら我が家も、隣が車を買い換えたら我が家も、と常に周りのことを気にして、回りに気つかいし、周りと歩調を合わせることに精力を使い続けているわけである。

だから自分の子供が不良になると、それも回りの所為にして、自分の教育、躾の悪さを棚に上げて、回りが悪い、社会が悪いという論理になるのである。

競争ということは基本的には悪くない。

ものごとを競い合わせることで、お互いに切磋琢磨して前に進むということは基本的には善であるが、何事にも限度というものがあるわけで、我々はともするとこの限度ということを踏み外してしまう。

例えば、製造業でも、あらゆる業界が過当競争に晒されて、結局のところ共食いの状態に陥ってしまっているではないか。

この共食いの状況をなんとか是正しようとすると、政府が関与してくるか、あるいは仲間内で談合ということにならざるを得ない。

結果として、規制かさもなくば談合かという二者択一になってしまう。

それもこれも、業界内の過当競争に問題があるわけで、金が儲かりそうだと思うと、猫も杓子もその業界に群がるということである。

これも資本主義体制である限り避けられないことであろうが、ここに民族としての理性が働けば、こういうことにはならないと思う。

資本主義体制であるから、なんびとも資本を投下して利潤を追求するということは許されるが、その手段と方法論においては、人間としての知性とか理性とか、教養というものが大きくかかわるべきだと思う。

ここに人間の心の気高さと卑しさの分岐点があると思う。

いくら金持ちであっても心の卑しい人は掃いて捨てるほどいる。

その反対に、いくら貧乏していても心の気高い人も掃いて捨てるほどいるわけで、現在の憂うべき問題は、悪貨が良貨を駆逐しそうな状況に陥っていることである。

我々の民族が、隣の人に歩調を合わせることを人生の指針としているかぎり、回りが皆悪貨になってしまえば、社会全体が悪貨に染まり、社会が混迷しかねないわけで、今まさにその状況だと思う。

今日の日本の社会というのは、きわめて高学歴の社会のはずであるが、高学歴、つまり教育レベルの高い社会、高等教育を受けた人が大勢いる社会にもかかわらず、これほど犯罪が多いということは一体どういうことなのであろう。

今日のマスコミをにぎわしている事件、特に経済事犯では、その事件に関与している人々は、おそらくその全員が大学卒の人ではないかと思う。

今時、大学卒だけでは高学歴とはいえないかもしれないが、その前の問題として、教育が人格の形成に、倫理の醸成、品格の維持、善悪の判断、社会に対する貢献度などというものに何一つ貢献していない、という現実をどう解釈したらいいのであろう。

高等教育を受けたものに、こういうことがわからない、こういう教育がなされていない、犯罪に走るなどということがあって良いものだろうか。

大学というものが高等教育の本質を放棄して、半大人の、大人になる過程の遊園地になっているとしたら、大学そのものを変革しなければならないわけで、優秀であるべき官僚ないしは知識人はそこに目をつけなければいけないと思う。

聞くところによると、日本の小学校、中学校というのは既に教育の場ではなくなっているといわれている。

教育という概念そのものが今は崩壊しているようだ。

先にも述べたことであるが、今の日本の若者は箸もろくに使えず、鉛筆もきちんと持てないでは、既に我々の思い描いている日本人ではありえないわけで、体だけはいくら成長していても、完成された大人ではありえないように思える。

箸や鉛筆の持ち方がそれほど大事なこととは思わないが、それをきちんと教えない、教えれない親の問題であって、そういうことがきちんと出来ていないということは、そこで既に躾の放棄があり、教育の不在があり、次世代にものを伝えるということを親の側が放棄しているということである。

これははっきり言って親の責任である。

親の責任放棄である。

こういう親がどうして生まれてきたのか。それは戦後教育の産物としか言いようがない。

戦後60年といえば大雑把に言って3世代の期間である。

第1世代は敗戦を身をもって体験して価値観の180度転換を実体験として経験した世代である。

第2世代は、その180度転換した新しい価値観のもとで戦後の民主教育というものを経験してきた世代である。

問題はこの世代が背負い込んでいる。

この世代は、教育というものは上からの押し付けではいけない、本人の自主性を尊重しなければいけない、子供の目線でものを見なければいけない、ということを教わった世代である。

幼い幼児に箸の使い方や、鉛筆の持ち方を教えるのに、子供の目線とか、押し付けでない方法とかがありうるであろうか。

白紙の状態の幼い児童にものを教えるのに、最初は手本を示したとしても、それで習得できるものではないわけで、やはりそこには押し付けという強制がなければ相手は覚えないはずである。

子供にものを教えるのに、本人の自主性とか、子供の目線というのはあくまでも理想論であって、その絵に描いた餅のような理想を、そのまま実践しなければと思うことは真に浅はかな行為といわなければならない。

これは教育というものを真っ向から否定する考え方なわけで、白紙の子供にものを教えるのに、上からの強制なしではどうやって教えるのかということにつながる。

すなわち教育そのものを否定しているわけで、こういう中で育った人間が大人になり、親となった暁には、自分の子供に何一つ物事を教えられないのは理の当然である。

今の若者が箸や鉛筆が持てないというのはこの第2世代の子供たちということである。

今後こういう世代が日本人の大勢を占めれば、日本という国はいづれ消滅の道をたどるに違いない。

 

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