060407001
私の住んでいる近くに新交通システム桃花台線という第3セクターの交通システムがある。
我々にはピーチライナーという愛称で親しまれている。
高架の上をタイヤの車輪を履いた少し小さめの車両が3、4台連結して無人運転で動いている。
高架なので下の道路がいくら渋滞していても定刻どおりの運行できている。
しかし、高架ということは駅も上のほうにあるわけで、今のように高齢者が多くなると、この上のほうにある駅というのは利用者にしてみれば使い勝手が悪いことは当然であろう。
エレベーターやエスカレーターがあるとはいえ、やはり使い勝手が悪いということは免れないと思う。
この路線が今年、平成18年9月でもって廃線になるということだ。
存続させればさせるだけ赤字がかさむという理由で、この秋には終焉を迎えるわけだが、この線が何時出来たか私個人としては定かに覚えていないが、会社概要によると平成3年3月25日に営業となっているので、わずか15年の営業ということだ。
この路線の先行きを考えたとき、その企業理念、設置の理念の中にもう既に現状に至る原因を暗示する要因が含まれていた。
というのも、この路線が具体案として浮上してきたときの小牧市の市長が、佐橋薫という人物で、この人物は中小企業の社長であったが、非常に革新ぶって、奇麗事をいいつのり、当時この地に進出しつつあった大企業、三菱重工に対して大企業への嫌悪感を露にして、私企業とタイアップすることを頑なに拒んだことによる。
彼の言い分としては、「私企業を利するような駅の配置はまかりならぬ」というわけで、旧の小さな集落に駅をもっていったが、このような小さな昔ながらの集落では、ほとんど利用する人がいなかったわけである。
彼の言うのももっともなことだとは思うが、経営という観点からすれば、あまりにも理想論で、奇麗事であり、現実を無視して理想主義に溺れたということだ。
この路線は構想の段階で、桃花台の住民の足にするという意向は言うまでも無く、この路線の建設と抱き合わせで桃花台の入居斡旋が行われた。
そして桃花台の新しい住民の購買力を小牧の町に集約しようという腹つもりで、この路線を延長してJRの高蔵寺駅や、春日井駅と連結することを拒んでしまった。
結局、出来上がった路線は名鉄小牧駅と桃花台の団地だけを結ぶ盲腸線となってしまい、利用価値は全く無に等しい状態となってしまったわけである。
桃花台に新しく入居する新住民の全部を小牧に取り込もうとしたが、新しく住民になった人々にとっては小牧という町、小牧の商店街というのはさっぱり魅力がなかったに違いない。
こういう新しい団地に入居した人々は、その大部分が名古屋の勤め先に依存し、仕事を継続するためのベットタウンという捉え方で、この土地を購入しており、名古屋へのアクセスが最大の関心ごとであり、それが近い将来解決されるという前提の元入居したものと考える。
その過程において、その時点では小牧経由のアクセスが悪かったので、結果として、この桃花台の人々は、車でJR高蔵寺駅に出たり同じく春日井駅に出たりして名古屋に向かうということになってしまった。
そして三菱重工の従業員は目の前を路線が走っているにもかかわらず、駅がないので利用することが出来ずチャーターバスに依存するという形になってしまった。
新しい団地の人は大部分が車で移動し、車に乗れない人だけがやむを得ずこれを利用するというわけだが、それは数にして少数なわけで、結果的に収益につながらないということだ。
これは明らかに行政の失敗、一市長の独断を御せなかった結果であって、小牧という町を愛するがゆえに、新しい住民を全部小牧に取り込もうとした、浅はかな発想の結果だと思う。
この路線の赤字は、この個人の思考の結果だと思うが、こういう場合、その責任の所在はいったいどうなるのであろう。
この市長は、その後何とかの箱物の建設にまつわる贈収賄事件に関連して収監されたように記憶している。
贈収賄事件を引き起こすようなお粗末な市長が、いかにも利巧ぶって「公益機関が私企業の利益を図ることはまかりならぬ」といきまいたので、こういう結果になったものと思う。
大企業の玄関前に駅があれば、おのずと利用者は細々とはいえ存続し続けると思うし、定期券の利用者も出てくるように思うが、新らしい団地の住民を全部小牧、つまり自分の統治する場所に引き込もうという発想そのものが浅はかだし、自分勝手だし、せこい発想だと思う。
今、我々地元民として考えても、あの路線がJR高蔵寺駅、または春日井駅に連結していれば、このような赤字経営にはならないと思う。
収益が一気に向上するということはないかもしれないが、赤字の度合いが相当程度緩やかにはなると思う。
考えても見てください、いくら高齢者社会になったといっても、旧集落の腰の曲がったおじいさんおばあさんがエスカレーターやエレベーターがあるとはいえ、自分の家よりも高い駅にまで行って、小牧まで買い物に出るであろうか。
高架の駅に登るほど元気のあるお年寄りならば、そんなことをする前に、まず自転車で出かけていると思うし、駅まで行ったとしてもただではないわけで、長年農業にいそしんできたお年寄りには、この運賃こそ最も支払いたくない、もったいない支出である。
当然、若い人ならば車に乗っているので、こんなものに依存する必要はないわけで、一番必要なのは周辺の企業に勤める通勤の人ではないかと思う。
鉄道事業にとって一番の顧客は通勤通学の固定客、いわゆる定期券の利用者だと思うが、その取り込みを排除してしまって、奇麗事で地域に利益還元しようとした究極の地域エゴが、この路線の廃止を促進したものと考える。
愛知県下の濃尾平野では、交通アクセスというのは正直言ってそう完備したものでないのは確かだ。
この100年間ぐらいの間に中小の私鉄が開業してはつぶれているようだ。
というのは裕福な資産家が、それぞれに自分の思惑で鉄道を引いても、お互いの連携が不味いので、せっかく敷設した路線が有効活用できず、利用価値もうまれず、結果として淘汰されたということだと思う。
今の名古屋鉄道というのはそういう中小の私鉄を吸収合併したので、一時的には面の広がりを持った時期もあったが、採算面で儲からない路線を切り捨てた結果が今あるわけで、その最大の理由はこの地域に大きな開発プラン、いわゆるこの地域を如何にするかという、地域を面で考えたマスタープランの欠如の結果だと思う。
名鉄小牧線もつい2年前に名鉄上飯田駅と名古屋市地下鉄・平安通りが連結されたばかりで、それまでこの間がつながっていなかったので利用者はまことに不便をかこっていた。
しかし、こういう新線がたった一人の凡庸な市長のために計画全体が所定の効果もえられず、膨大な赤字を抱え込んだとき、その責任の所在はいったいどうなるのであろう。
既にプランの段階で黒字が成り立たないことがわかっているのに建設を推進した責任というのは一体どう考えたら良いのであろう。
予算の無駄使いなどという言葉では言い尽くせないことではなかろうか。
愛知県にはこういうケースがまだまだほかにもある。
その例は城北線という路線である。
これも事業主体は第3セクターであろうが、JR中央線の勝川駅から同じくJRの東海道線の枇杷島駅を連結している路線である。
これも全くの赤字路線ではないかと思う。
この路線も実に不思議なことに、JR勝川駅では乗り場そのものがかなり離れている。
乗り換えるには、何がなんでも駅の構外に一度出て、てくてく歩かねばならない。
この路線も高架なので、運用しだいでは相当な価値を生むのではないかと思うが、現状は一台の車両に客が一人か二人いるかいないかの状態だ。
こんな馬鹿な路線もないと思う。
車両はたった一両のデイーゼルカーである。
こちらは無人運転ではなく運転手が一人乗務しているワンマン運転である。
この路線は、もともとが旧国鉄の所管であったものが、民営化で第3セクターになったが、とても黒字とは思われない。
こちらは新交通システムで
(JR勝川駅は左側のビルの裏にある) はなく、旧来の鉄道そのままなのだからやりようによっては従来の既存の鉄道と上手に連結させることが可能なように思える。
現在のところその最大のネックは勝川駅だと思う。
ここで城北線のホームとJR勝川駅のホームがあまりにもかけ離れている。
この城北線というのはあくまでも元国鉄の時代に計画されたもので、そのときの計画をそのまま引き継いだのではないかと想像するが、駅が高架になっていて、一方JRの勝川駅は普通に地上のあるのだから、おいそれとは均一の位置に並べるということは問題が多いとは思う。
問題は、ここでもいったん出来上がった施設を改修するということはほとんど不可能に近いということである。
計画の段階では、高架にしておけば、平面交差もなく交通安全にこれほど有意義なこともないという発想であったろうが、その路線の活用方法にまで知恵が回っていないということだと思う。
この城北線、高架鉄道で、下の道路の渋滞を尻目に高いところを悠々と、のんびりと客もほとんどいないまま優雅に走っている。
どこからどう見ても黒字ではありえない。
旧国鉄が民営化されたとき、真っ先にトカゲの尻尾切りという処遇にさらされたことは論を待たないが、民営化され第3セクターとして押し付けられたほうはたまったものではない。
結局のところ愛知県民税が投入されて、細々と維持されているという状況かと思う。
愛知県にはこういう鉄道がかなりある。
例えば、去年万博で多少ともその意義を復活した愛知環状鉄道もその部類に入るし、同じく去年開業した名古屋の南を走る「あおなみ鉄道」もその部類に入ると思う。
東京でも大阪でも、旧国鉄の時代の相当昔に、もう既に環状鉄道というものが完成していたが、名古屋にはいまだにそれがない。
その意味からすれば、こういう採算性の合わない路線を上手に連結すれば、そういうものが出来上がるのではないかと、素人なりには思うのだが、それを阻害しているのが案外地元住民のエゴイズムではないかと思う。
冒頭のピーチライナーの例を見ても、新しい団地の住民を小牧にだけ取り込もうと、地域エゴ丸出しで欲張って、他への連携を拒んだがゆえに、盲腸線となってしまい、住民の流動性を阻害した例に見るように、便利になると他人がその利便性を享受することを妬ましく感ずる地元の人々の偏狭な心理ではないかと思う。
もう一つこの地方には不可解なラインがある。
JR中央線の大曽根駅を東側に出ると、高架の上をバスが走っている光景が見られる。大曽根と同じく市内の守山区の竜泉寺というところを結んだ路線で、その先は普通の路線バスとして地上の道路を走るが、大曽根と竜泉寺の間だけ、高架でしかもこの間は基本的に無人でも可能ということになっている。
平成13年の開業ということでももう既に5年か経過したことになるが、下の道路はいくら渋滞でも悠々と定時発着が可能だ。
こういう新しいシステムもそれはそれなりに意義があるとは思うが、我々は資本主義社会の中で生きているわけだから、金が無尽蔵に沸いてくるわけではない。
費用対効果ということが、あらゆる公共投資にも付いて回るわけで、ある瞬間的な思いつきで莫大な金を要する企画を市民のため、納税者のため、地域のためなどと奇麗事で塗り固めてもらっては困るということだ。
確かにこの守山街道というのは10年前、15年雨は車の渋滞がひどく、その渋滞に巻きこまれたら何時脱出できるかわからない程の有様であった。
車に乗れない市民はバスに依存せざるを得ず、そのバスがいつ目的地に着くかわからないでは住民の難渋もひとしおであったことは理解できる。
コンクリートの高架部分はいずれも既存の道路の中央分離帯の上に建設されているので、用地収容のトラブルは回避出来たろうが、冒頭にも述べたように、駅が上のほうにあるということは利用者にとって非常に苦痛ではないかと思う。
新幹線のように、長い階段を上って東京や大阪、広島に行くというのならば、長い階段も受忍範囲に収まるであろうが、長い階段を上がって、バスが着てバスの乗車時間はそれこそ10分か15分で目的地についてしまうのである。
この地方には、今までの例に見たように、まるで実験をしているかのような新しい交通システムがいっぱいあるが、これらがどれ一つ横に連携していない。
あたかも、それぞれの地域が思いつきで新しいシステムを作っては壊し、壊しては作っているかのごとくである。
我々は戦後だけでももう既に60年間生きたわけだが、その間にも鉄道で廃止になったものも新たに敷設されたものもあるが、社会的基盤整備というのはこれではいけないと思う。
この地方はトヨタ自動車の本拠地であるので、どうしても鉄道に依存するよりも車に依存する傾向が強い。
我々の子供のときは、自分が車を持てるなどということはまさしく夢であって、そんなことが実現するなどとは思っても見なかった。
ところが昨今では車が道路からあふれかえって、車のメリットが逆に相殺されてしまった。
まさしく時代の流れというものであろう。
戦後の名古屋市は広大な幅の道路をつくったが、その時の為政者は実に「先見の明」があったということになるが、現実はその「先見の明」も既に超越してしまったことになる。
社会的基盤整備というものは大きなビジョンで考えなければならないと思う。
10年後20年後、いやもっと壮大に50年後100年後という大きなスパンで物事を考えなければならないと思う。
戦後、名古屋市の復興では、道路が非常に幅広く建設されたが、当時は「こんな大きな道路を作ってどうするのだ!」という批判の声があったと聞いている。
東京の丸の内に三菱の創始者岩崎弥太郎が土地を買ったとき、皇居前は笹薮の荒れ果てた土地だったので、「こんなところを買ってどうするのだ!」という部内の声があったと聞く。
当時の三菱の創始者は「トラでも飼って置け!」といったという話だ。
三菱重工が今の誘導機器製作所を作った小牧市の土地は、最初のマスタープランでは今のカシオの土地と、勤労福祉会館の土地を全部内包していた。
ところがこれも例の佐橋薫市長が大企業憎しのあまり細分化させてしまった。
こと程左様に社会的基盤整備ということは確かな将来展望というものがないことにはいずれも中途半端なものに終わってしまいがちである。
ただ、問題は、この将来展望は一朝一夕一で実現出来るものではない。
スケールが大きければ大きいほど時間も掛かるので、その間無駄な投資ではないかという疑問がわくことはある程度は致し方ない。
先見性を持った人が、大風呂敷きを広げると、他の人はそのあまりの無駄に辟易してしまうが、本当はこの無駄と思われることも50年後100年後には生きてくるはずであるが、世間一般としてはそれまで悠長に待てないわけで、目先の動きにとらわれてしまうということだ。
この待っている間があまり長いと、その間に周りの状況が変わってしまうことも往々にある。
三菱重工が小牧に広大な土地を確保して、いよいよ事業展開しようとした矢先にオイルショックで日本の経済全体が大きく萎縮してしまった。
工場を将来的には作る気はあっても、現実に目の前のあるのはぺんぺん草の生えた広大な空き地なわけで、それを行政、つまり愚昧な市長から、擬似正義を盾に追及されると、民間企業としては応じざるを得ず、みすみす一旦確保した土地を身売りせざるを得なかったに違いない。
小泉首相の政治理念は、あらゆる行政改革で無駄の廃止ということに焦点が当てられているが、今ある計画の中で何が無駄なもので何が有効なものかという見直しは十分する必要があると思う。
小泉改革の中で、道路公団が槍玉にあがって、「イノシシや熊しか通らないようなところに高速道路が必要か?」という議論が沸いたことがあるが、これなどは確かに検討を要する事案だと思う。
九州や北海道にまで新幹線が必要かという議論とも結びつくが、こういうところでも無いよりは有ったほうがいいに決まっている。
ならば、「その採算性はどうか?」という議論をしなければならないと思う。
話題を元に戻すと、ピーチライナーの場合は、その採算性は最初から全く望めなかったというよりも、わざわざ人為的に採算性を無視というか、それに逆らう決定がなされたと考えなければならない。
又、城北線の場合は、最初から需要そのものが無かったというべきだと思う。
地元に生活している人間として、勝川と枇杷島を結ぶ行き来、濃尾平野を東西に結ぶ移動というのは基本的に皆無だと思う。
これが50年前、終戦直後で他に交通機関が無いとしたら、こういう人の移動も多少はあったに違いないと思うが、今日のようにモーターリゼイションのなかでは、人々はこういう移動はすべからく車に依存してしまって、公共交通機関に頼るということはありえない。
第一この間には道路が昔からさまざまなルートで存在しているわけで、いまさら公共交通機関に頼るということは考えられない。
現実に小牧と岩倉、岩倉と一宮を結ぶ、いわゆる濃尾平野を東西に結ぶ鉄道は昭和40年代までは残っていた。
それが廃止された今は、その跡形も無いということは、そういう需要が皆無だということを物語っている。
ところがこの間の移動を今は車に依存しているが、この車というのも渋滞のことを考えると今では全くメリットが無い。
民間企業、いわゆる鉄道会社というのも営利企業なわけで、社会奉仕しながら同時に営利でもって儲けなければならないわけで、採算の合わないものは撤退するというのは当然のことである。
その点から鑑みて、旧国鉄の存在意義というのは、採算の合わない地域にも地元住民の足を確保するという点にあったものと思う。
採算性を重視するあまり、民営化して黒字経営にするということは、国鉄のもつ社会的基盤整備の部分を切り捨てるということにつきる。
旧国鉄の問題点は、そのなかで働いている人の組合、いわゆる動労とか、国労とかの組合と、経営側の確執の問題にあるわけで、赤字路線の赤字を積極的に解消しようという努力を組合員自らしなかった点にある。
国鉄の機構の中で働いている組合員が、社会的な奉仕を、つまり僻地に住む地元民の足に徹する、という社会的な使命を忘れ、組合のため、共産党のため、にのみ奉仕する人間として洗脳されたことにある。
国鉄の機構の中の組合員は、自分、自己というものを社会との関連性の中に見出すことなく、敵、政府や国鉄の経営主体を敵という認識で見ていたものだから、そういうものが要求する社会的な奉仕、例えば僻地の足に徹するというようなことを忌避したがゆえ、自分で自分の首を絞めてしまったわけである。
こういう社会的基盤整備で日本で最大の闘争は言うまでも無く成田闘争であろう。
このときの争点は、「密室の閣議決定でことが運ばれ、地元住民には何一つ事前説明が無かった」、という理由であれだけの闘争が繰り広げられたということになっているが、こんな馬鹿な話は無い。
成田空港も既に開港して約30年近くたっているので反対闘争も沈静化しているが、沈静化したといっても、それが皆無になったわけではない。
問題は、国家が推し進めようとする社会的基盤整備、空港開設という基盤整備に対して、地元への事前説明がなかったという言い分である。
民主主義の下で、基本的にはトップダウンでことを決めるよりもボトムアップでことを決めるほうが理想的であることは論を待たないが、これだけ個人の主張が華やかになった時代に、果たしてそんなことが可能であろうか。
仮に政府、各所轄の省庁、その官僚たちが、新国際空港とか、原子力発電所、高速道路、基地等の設置に関して、その受け入れを事前に説いて回ったとして、それを受け入れる地方、自治体がありうるであろうか。
昔、鉄道を引くのに、地元が猛反対をして結果としてその旧市街を迂回して逆に寂れたという事例もあるわけで、成田闘争で闘争の当事者たちが、「政府が事前に説明しなかったから反対するのだ」という言い分は、ただの方便でしかない。
自分たちの挙げた拳を素直に下ろす場がなくなってしまったので、こういう言い方で自分たちの行為に整合性を見出そうとしているに過ぎない。
そこに知識人とか学者という肩書きの人が便乗して、奇麗事の理想論を展開して反政府側についているだけのことで、基本的にはただただ反対のための反対に過ぎない。
本当に土地を収用される農家の人たちに対する同情というのは傍観者としてもやぶさかではないが、彼らとてもただで土地を取られるわけではなく、ある程度の補償金は得られるはずで、多少不安はあろうとも政府の推し進める社会的基盤整備には協力してしかるべきだと思う。
補償金がいくらならば納得できるかという問題は、絶対反対とは又別の次元の問題だと思う。
新空港に土地を取られる人々は、自分自身この空港を利用する機会が無いかも知れないが、やはりそれを利用する大勢の人の利便のことを考えれば、絶対反対ということは社会全体に対する反抗だと思う。
鉄道を引くにしても、国際空港を作るにしても、原子力発電所を作るにしても、企業なり国家が、私利私欲で作るわけではなく、国民全体の利益、利便、快適さというものが根底にあるからこそ、その計画が浮上し、それを実施するに際しては、事前に地元住民に説明をすれば、ハゲ鷹のような地上げ屋が跋扈して、周辺の土地を買い漁ることが目に見えているではないか。
戦前、戦中の日本では、戦争遂行のため、軍の要請による土地収用ということはほとんど無償に近い形で行われていたことを思い出すべきだと思う。
戦後は、こういう抑圧的な政府の態度は極力押さえ込まれて、成田闘争のような反対闘争が日本全国に蔓延したが、これもある種の近代化、民主化の負の遺産であろうと思う。
政府が推し進めようとする計画、社会的基盤整備に膨大な金かかるようになって、それは結局のところ税金でまかなわれているので、回りまわって増税ということになってしまう。
成田闘争を見てもわかるように、反対闘争の元のところには、突き詰めれば「金をもっと出せ」ということに尽きるが、金という言葉は表に出しつらいので、政府が事前説明をしなかったとか、先祖伝来の土地を手放したくないとか、農民の生きる権利を奪う、などという理由をさまざまに掲げているだけのことで、結局のところ金である。
これが極め付きの百姓根性というものである。
この百姓根性を慰撫するのが本来ならば官僚であり、行政でなければならない。
今は百姓という言葉は差別用語として、おおぴらには使えず、農民と言い換えざるを得ないが、この農民というのは法律によって幾重にも保護されている。
農民になるのには免許も試験もなく誰でもなれるし、逆に何も出来ない人が十派一からげで農民といわれている部分でもある。
その反面、官僚というのは国家公務員試験という、きめ細かな篩をかけられた人たちがなっているわけで、本来ならば官僚が農民に知能、知的に劣るはずがない。
これは差別を助長しているかのような言辞であることは書いている本人も気が付いているが、それを知った上でなおこう記すということは、基本的には生身の人間のリアルな姿であるからである。
人間として究めて本質的に煩悩に基づいた真の人・人間ということである。
奇麗事ではない、真の人間の姿だと思うからである。
この世に生を受けている人間というのは、そうそう立派なものではないと思う。
「自分さえよければ後は野となれ山となれ」と言うのが、真の人間の真の精神状態だと思う。
人のためだとか、社会奉仕だとか、弱者救済だとか、介護などという問題は、この真の人間の本心を覆い隠すための奇麗事に過ぎない。
その意味からすれば、この成田闘争で、反対派の人々、例えば自分の土地を安い補償金で売り渡してなるものか、国際空港など俺の知ったことか、俺の迷惑にならないところに持っていってくれ、という声は人間としての本質を素直に露呈していると思う。
人間としての本性・欲望をストレートに表現した素直な人々だと思う。
別の言葉で表現すれば我がままで、自分本位で、知性も教養も全く欠けた人々、人間の感情をもろに露呈した人々と言うことが出来る。
しかし、人間の織り成す社会というのは、人々が本音丸出しでは社会そのものが成り立たないわけで、どこかで個人の欲望というものを抑え、大勢に妥協しなければならない屈折点がある。
社会的基盤整備する側は、これまたそれなりの論理があるわけで、地元住民が反対しようとも、国民全体のことを考え、国民全体が利便を受け、便利になり、快適に過ごせるような施設を目指す、という社会的使命があるはずである。
道路にしろ、空港にしろ、無いよりは有るに越したことはない。
しかし、それらを持ったからといってそれを運用するコストとの関係で、維持すればするほど赤字が貯まるではこれまた困るわけで、費用対効果の点で妥協点を探さなければならないことは言うまでも無い。
問題は、建設の段階で費用対効果を考えることなく、作るときの一時的な感情に押されて、俺らが村にもほしい、あちらが作ったからこちらも作る、面目がたたないから作る、という低レベルの感情で社会的基盤整備の行われる構図の是正ということである。
このあたりのことを掌握するのは当然のこと官僚であり行政であるが、ここで官僚の器量が問われるものと考える。