050929001読売新聞

戦後60年の憂鬱
    その8

真の戦争責任

終戦記念日もとうに過ぎたのに、今頃になって読売新聞が戦争責任について論じている。

平成17年9月29日の朝刊、23ページ、「検証、戦争責任」、という記事の中で、「戦争責任とは」という問いかけをしていた。

その記事によると戦争責任の概念はベルサイユ条約で出来上がったということだ。

記事の報ずるところによると「(戦争責任は)ドイツおよびその同盟国が責任(戦争の責任)を負うことを確認し、ドイツはそれを承認する」と、規定されたのが始まりであったとされている。

しかし、ここでいう戦争責任というのは戦争の結果生じた損害の責任であって、戦争を行ったことへの責任ではなかったということである。

要する勝った側の論理で、負けた側を徹底的に懲らしめる、という人間の基本的欲求を明文化する行為に他ならない。

勝ったとはいえ、自分たちのこうむった損害を如何に相手に償わせるかという思考であった。

その後1928年の不戦条約で、戦争放棄という概念ができることはできたが、それには罰則規定がなかったので、自衛戦争という名目で戦争そのものはなくなったわけではないと言われている。

無理もない話で、この宇宙船地球号で、人間が主権国家というブロックを形成してそれぞれに生存競争をしている現状から見れば、戦争というものが無くなるわけはない。

非情な言い方をすれば、戦争は人が生きているあかしでもある。

文化の発達も、如何に戦争に勝つかという発想が底流にあるわけで、その延長線上に、技術の革新があったものと考える。

とはいうものの、意味のない戦争をしてはならないという人、人間、人類の理想も、戦争の起源と同時に生まれていたと考える。

隣り合ったブロックごとに、自己の主張をお互いの通そうと思えば、そこに摩擦が生じるのは理の当然で、その摩擦の解消を実力行使で解決しようとすれば、それがすなわち戦争である。

その摩擦を双方が話し合いで解決しようとするならば、そこで戦争は回避できるわけである。

しかし、戦争を回避できたからといって、その解決が双方に納得の行く解決であったかどうかは、はなはだ疑問なわけで、片一方に不満がくすぶっていれば、それは摩擦が完全に解消されたとはいえないと思う。

同時に、お互いに隣り合ったブロックといっても、双方に個々の意思を持った人間の集合体である以上、片一方が話し合いで解決しようと欲しても、相手はその提案に応じるとは限らないし、実力行使しようと準備をしていると、それを見た相手が急遽妥協するということもあるわけで、諍いの対応の仕方というのは千差万別だと思う。

第2次世界大戦で完璧にまで敗北した日本、その日本に生きている今の日本人は、その諍いそのものを撲滅すれば、ホットな戦争は回避できる、そのためには、世界の人々、地球上の人々が、みな裕福な生活ができるまで、生活のレベルアップを図れば、諍いの種がなくなって平和が実現すると考えている。

これは非常に良いことのように今日考えられているが、まさしく絵に描いた理想主義そのものである。

理想主義を追い求めることは、良いことのように勘違いしているが、これもよくよく注意しないと、無知に通じてしまう。

現実に目を向けずに、ただただ理想を追い求めるということは無知と紙一重ということになりかねない。

21世紀の今日、国連に属している主権国家というのは191あるといわれている。

つまり主権国家という概念で囲まれたブロックが191もあるということだ。

南太平洋の海の中に、海に囲まれた独立国というのもいくつかあろうが、大部分の主権国家は、陸地の上で、隣り合わせに存在していると思う。

陸地の上で、境界線を接して存在し続けているとすれば、その境界線上でさまざまな利害の衝突が起きるのは当然のことだろうと思う。

だからといって、そのたびごとに戦争になっているわけではない。

大部分の主権国家では、戦争を回避する方向に国家の意思が作用しているからだと考える。

191もある主権国家というブロックの中では、大なり小なり統治するものとされるものという構図があるのが当然だ。

ただただ人間が固まって、メダカの群れや野性のヌウの大群のように生きているわけではないと思う。

統治するものとされるものがあるからこそ、主権国家という枠組みができるわけで、それはいかなる国家でも国家首脳を頂点とするピラミット型の形態を形作っている筈である。

戦争というのはブロックの辺境で起きた摩擦、最初は小さな摩擦であろうが、それを主権国家の首脳がどういう風に対処するかで、小さな小競り合いで終わるか、戦争に拡大するかが決まると思う。

その意味でも戦争は政治の延長線にあるといわれるのも当然のことである。

ここで戦後の日本人の中には、戦争は「悪」だという認識が普遍的にあるが、この認識については一考を要する必要があると思う。

戦争は政治の延長線上の政治的な行為なわけで、この政治的な行為に対して「悪」だとか「善」だとかいう価値観で推し量ることはできないと思う。

戦争に敗北すれば、負けるような政治をした、負けるような作戦を実行した、という意味で、政治の失敗、失政ということはいえるが、それは「善悪」の価値観とは違っていると思う。

ブロックの辺境で起きた諍いに対しても、統治する側の対応と統治されている側の対応ではおのずと違ってくると思う。

統治する側としての政府首脳の方では「そんな些細なことは放置しておけ」という判断であったかもしれないが、現地の統治されている側の人々にとっては、それでは済まされない問題であったかもしれない。

だから現地の人々が「それでは我々が納得できない」という声を中央にぶつけると、それを聞いた中央は、政治的な判断を下さなければならなくなるわけである。

結果としてそれは、現地の人々の声にこたえて戦争に訴えるか、それとも同胞としての現地の人々の声を押さえ込むか、という二者択一を迫られることになる。

このことはきわめて政治的な判断を下すということだと思う。

いかなる統治者も、戦争を好んでするという人はいない筈だ。

歴史上のアレキサンダー大王も、秦の始皇帝も、織田信長も、スターリンも、ブッシュ大統領も、相手が自分たちの言い分を素直に聞き入れてくれれば、決して武力行使に訴えるということをしなくても済んでいると思う。

相手が自分たちの言い分を聞かないとき、実力でもってこちらの言い分を飲ませよう、ということはきわめて政治的な行為であると思う。

しかし、こういう状況を目の前にしたとき、日本の知識人といわず、世界の知識人というのは、すべてアメリカの言い分を「悪」と認定する。

強いものがその強さでもって相手を屈服させようとすると、それを「悪」と認定するというのは、非常な判官贔屓だと思う。

強いがゆえに「悪」だと言うのは人間の論理的な思考ではない。

弱くて、小さなものはどんなことをしても許される、強いものは弱いものからどんなことをされても、強いがゆえに堅忍自重しなければならない、という論理はあまりにも一人よがりな奇麗事に過ぎない。

第3者的な無責任だと思う。

いかなる主権国家でも、戦争に訴えるかどうかの判断は、政府が決めることであって、統治されている側の人たちが、ずるずると戦争に引きずりこまれるということは、基本的にはありえないことの筈であるが、昭和初期の日本ではこれが罷り通っていた。

昭和初期に起きた柳条湖事件から始まった満州事変も、不戦条約の手前、戦争と呼称せず事変という呼称で、押し通したわけであるが、これは日本政府の意向を無視した、軍部の独走であった。そのことを考えると、ここで始めて戦争責任という問題が大きくクローズアップされなければならない。

犬の遠吠え

 

昭和の初期までは、戦争をするという国家の行為、武力でことを解決するという国家の行為、自存自衛のための戦争というのは、国際的に認められていたのである。

認められていたというのは、やはり言葉のアヤで、不戦条約には、それを制約する項目がなかったというべきで、ある意味で黙認という形で認知されていたというべきかも知れない。

だから、ここに力点を置くと、極東国際軍事裁判というのは意味を失うことになるが、所詮、人間の欲望は、理性とか、理念とか、理想では回らないわけで、「勝てば官軍」という言葉のとおり、強いもの勝ちの世の中なのである。

日本の知識人、世界の知識人が、いくら強いアメリカを糾弾したところで、結局は強いアメリカの行いを正すことはできないわけである。

それを敢えてしようとすれば、さらに無益な殺傷を加えなければならない、という大矛盾にぶつかってしまう。

知識人の発言というのは、例えて言えば、犬の遠吠えのようなもので、当事者にとって見れば、痛くも痒くないわけで、世論を騒がせることはできても、当事者の意思を変えることはまったくできないのである。

よって、世界の主権国家の首脳は、アメリカの動向に注意し、アメリカの顔色を下から伺い見ながら、自分の国の対応を考えているのである。

この事実は、結局のところ、弱肉強食の生存競争を丸のまま具現化しているということであって、いくら理性や、知性で、「無益な戦争をやめましょう」といっても、そういう理想は現実の欲望の前に何の力も示しえないのである。

まさしく自然の摂理を超越することはできない、ということに他ならない。

少しでも平和な生活を長く維持させようと思うのならば、自然というもの、人の自然の信条というもの、人間の持つ普遍的な思考を、深く精密に考察しなければならない。

少しでもブロックごとの摩擦を緩和しようと思えば、自らに内包する人々の信条、ものの考え方、生活習慣の根底にある因習とか、習俗の研究、それにも増して相手方のそういったものを徹底的に研究して、知恵と英知でもってブロックごとの摩擦を緩和するしかない。

特に、19世紀から20世紀を経て21世紀になれば、世界はきわめてグローバル化して、各主権国家のブロックの壁は限りなく低くなっているわけで、仮に地球上の191個の国家が集合してしまったとしても、今度は地域ごとの特性というものが今までのブロックの壁と同じような機能を持つようになると思う。

19世紀から20世紀においては、主権国家の利害得失であったものが、今度は地域ごとの利害得失に変異するだけのことで、その間の摩擦が消滅するわけでもない。

地球上の諸民族がひとつの国家になれば、戦争がなくなるというのは幻想に過ぎないと思う。

第2次世界大戦では、歴史上の従来の戦争は主権国家の権利の一つだ、と考えられていたものが、それが全面的に否定された。

それを否定する思考も、「勝てば官軍」の官軍の論理で、負けた側の戦争、負けた側の政治的行為としての戦争を否定するのみで、負けた側は「もう決して戦争はいたしません」と誓約書を書かされたが、勝った側は勝った側で、そんな誓約書に束縛されることもなく、またまた戦争をしでかしているではないか。

朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争等と枚挙に暇がないではないか。

この現実を見ても、日本の知識人の言う「戦争反対」というのは、犬の遠吠え以外の何ものでもないではないか。

マイナスの投資

 

こういう状況を考えるに、やはり我々は、戦争というものを肯定していかなければならないわけで、だから軍備を整えるということも、将来の我々が枕を高くして眠るためには必要だということにならざるを得ない。

万一のために備えるということと、安易に実力でことを解決するということは、まったく違う次元の問題なわけで、戦後の我々の平和主義というのは、それを混同していると思う。

それに引き換え、戦前の昭和初期の我々は、その発想とは逆に、ことを実力で解決できるだけの備えをしなければならないと思い込んでいたわけである。

「富国強兵」という言葉が端的にそれを示しており、国が強くなければ豊かになれないと思い込んでいたわけである。

今、冷戦が崩壊して東西の緊張緩和が解けた状況下において、ことを実力で解決するための準備ということは不可能になった。

というのはアメリカのスーパー・パワーを超える実力、武力の保持ということは、アメリカ以外のいかなる国でも不可能になってしまったからである。

できるのは、アメリカ以外の国が、邪な心で覇権主義を振りかざすのを防ぐ、という程度のことしかできないのである。

人類は有史以来戦争を繰り返してきたが、そのたびごとに当事者は「避けられるものならば避けたい」と思いつつ、また戦場に行く人も「できれば行きたくない」と念じつつ、赴いたことも有史以来継続しつつあったものと思う。

我々は、戦後60年武力行使ということはせずに済んで来れたが、これからもこのままの状態が保障されることはありえないわけで、そのためにも万が一の準備はおさおさ怠りなくしておかなければならないと思う。

そして、そのことと物事の解決を実力で行うということは、まったく違う次元の問題であって、そのことを我々は十分に深く考察しなければならない。

今日のように、世界が限りなくグローバル化するようになると、我々も唯我独尊的に我が道を行くというわけには行かないのである。

昭和の初期に、我々は国際連盟というものを勝手に飛び出して、奈落の底に転がり落ちたことを思い浮かべるべきだ。

世界がグローバル化すればするほど、お互いの協力関係が緊密になるわけで、自分勝手な行動の余地というのはますます狭くなるわけで、お互いに協力関係を維持することが双方の国益に貢献するということになるのである。

選挙のたびごとに日本の野党は日本政府のアメリカ追従ということを争点に上げているが、今日の日本は、アメリカの顔色を下から伺いながら、ゴマをする以外生きていけないのである。

戦前の日本も、今の我々の状態とまったく同じであった。

ところが当時の日本には、その事が判っている人が誰一人いなかったものだから、我々は未曾有の奈落の底に転がり落ちたのである。

アメリカ追従でなければ生きていけない、ということは自尊心の上からすればまこと情けないことであるが、現実がそうなっている以上、それから逃れ方法は他にありえない。

野党は日本政府がアメリカ追従になっていることをさも悪いことのように言いふらしているが、昭和初期の日本は、そのアメリカに真正面から対抗したから、こういう敗戦という結果を招いたのである。

あの時に、我々がアメリカに頭を下げておれば、こういう結果にはならなかったに違いない。

ことほど左様に、我々は常に人の動向を推し量って、相手が何をどう考えるかということに注意しなければならないのである。

その前提には、常に伝家の宝刀を抜く用意がある、ということを相手に判らせるということも重要な要因でなることはいうまでもない。

戦争もしないのに、軍備に金を掛けることは無駄だ、と思うことは当然である。

しかし、これはマイナスの投資であって、アメリカのスーパー・パワーも実際には膨大なマイナスの投資なわけで、その無意味さの真骨頂が核兵器の存在である。

核兵器などというものは早々安易に使えるものではない、ということが判っていながら、先進国はもとよりインド、中国、パキスタンという我々から見れば後進国と思えるような国々でも競い合ってマイナスの投資に現を抜かしているではないか。

これはただ単に見栄や外聞や自己主張で持っているわけではない。

万が一どこかの国が何かしでかすかもしれない、という保険の意味でのマイナスの投資だと考えなければならない。

だからといって、こういう国々も、最初から戦争を遺棄しているわけではない。

売られた喧嘩は堂々と受けて立つ、という意味で、マイナスの投資としての軍事力の強化に努めているのである。

 

人命と名誉のバランス

 

どんな主家国家であろうとも、軍備に金をかけるよりも、国民の福祉にその金を回したほうが良いということは十分に判っているわけで、我々の国とまったく同じ視点に立っているのである。

またそれと同時に、いかなる国も戦争などというものは避けるに越したことはないとも思っている。

しかし、しなければならないときは断固戦う、という意思も合わせて持っているのである。

それに引き換え、戦後の日本は、「すべき時でも断固しません」といっているわけで、これでは対等の話し合いは成り立たないのである。

相手は衣の下の鎧を着て話し合いの場に臨んでいるのに、我々の側は、丸腰でその場に望んでいるわけで、これでは最初から恫喝されているようなもので、対等の話し合いなどといえないではないか。

だから一方的に押されてしまって何一つ反論できないではないか。

反論できないから結局は相手の言うことを飲まざるを得ず、こちらの言い分は何一つ通らないことになる。

主権は侵されっぱなし、取られたものは取られっぱなし、そして金だけむしり取られているではないか。

こちらに実力行使する意思がないものだから、相手の言い分を飲まざるを得ないが、いくら相手の言い分を飲んだところで、交渉の当事者にも、それを送り出している国民にも、自尊心というものがないので、蛙の顔に小便を引っ掛けるようなもので、何の痛痒も感じていないのである。

それで戦後60年も平和でこれたのは平和憲法のおかげだ、などと安穏なことをのたまっているのである。

戦争などというものは誰一人好んでしようとするものはいない。

金で解決できる間は、それで解決しようとするに違いない。

戦争は、政治の延長線の行為であるからして、いくら話し合ったところで、一方が最初から戦争をする気であれば、避けようがない。

お互いに不可侵条約を結んでいたところで、一方にそれを守る気はなければ、まるで反故同然である。

政治であるからには、手練手管で、相手の裏をかくということは常道なわけで、そのことよって実力行使が避けられれば、これほどめでたいこともないわけである。

2001年の9月11日のニューヨークの世界貿易センターの事件だって、イスラム世界の人々が、犯人と思しき人間をアメリカに差し出せば、イラク戦争というのは回避できたに違いない。

普通の人間の良心を持っている人ならば、あれだけのことをされて、黙って泣き寝入りするなどということはありえないわけで、当然、された側は誰かを見せしめに報復するというのが人としての自然の感情だと思う。

あの時、イラクのサダム・フセイン大統領が、アルカイダとかタリバン、ないしはその他のテロリストをアメリカに差し出しておれば、ああいう事態にはならなかったわけである。

1941年の日本のパールハーバー攻撃も、アメリカの日本囲い込み政策がなかったならば、ああいうことにはならなかったのである。

戦争は誰しも好んでするものではないが、するからには、はっきりとした政治目的が潜んでいるわけで、サダム・フセインが犯人引渡しを拒み、秘密兵器を隠し持っているのではないか、という疑いを拒み続けたというのは彼自身の自尊心でしかない。

昭和16年の日本が、パールハーバーの攻撃にうつらざるを得なかったのも、我々の自尊心と名誉であったわけだ。

「座して死を待つ」などということは断じてできない、という民族の自尊心と名誉であったわけである。

冷戦が崩壊して、かってのソビエット圏内では、今まで共産主義という強権力で押さえ込まれていた諸民族が競い合って分離独立を果たした。

分離独立と同時に、それぞれの各民族では民族同士のエゴが噴出して、民族紛争を展開しだした。元のユーゴスラビアの内紛など目に余るものがある。

片一方で戦争反対、戦争をしないようにと言いつつ、もう片一方では血で血を洗う抗争が引きもきらずに続いているのが今日の地球上の現実である。

戦争というのは国家と国家の抗争であるが、人が人を殺すという意味から考えれば、この世の犯罪というのはすべからく個人レベルの戦争と同じだといわなければならない。

国家レベルの戦争は罷り成らぬが、個人レベルの戦争、つまり人殺しは致し方ない、という論理は成り立たないと思う。

しかし、人殺しというのも、いかなる主権国家の中にも内在する問題なわけで、主義主張が違っても人間の集団の中に犯罪というのはついて回るわけである。

この犯罪というのは個人対個人の戦争なわけで、それが国家対国家の対峙となると、世の知識人は一斉に戦争反対の大合唱を繰り返すのである。

しかし、戦争に至る過程をいくら明晰に分析をしたところで、人間が持つ基本的な闘争本能を懐柔する力はないと思う。

最近の日本における犯罪には外国人が関与するケースが多いから、外国人を入れるなという論理は今日整合性を持っていないのである。

戦争は残酷で悲惨な結果をもたらすから、やめましょうといっても、それは確かな真実であるが、真実だからといって、皆がそれに賛同するとは限らないのである。

こちらがいくら理想的なことを声高に叫んでも、相手はそれに対して賛同するとは限らないわけで、相手は相手でこちらの想像もできない発想をするわけである。

こちらの望んでいること、こちらの希望、こちらの理想とはまったく関係なく、相手は相手の行動倫理、行動基準で動くわけで、それはこちらの予想を超えた行動をしかねないということでもある。

北朝鮮による拉致の問題で、横田めぐみさんの偽の骨を送り届けるなどということは、外交の倫理にまったく反することにもかかわらず、それを臆面もなくする国家が現実にある、ということを我々に思い浮かべるべきである。

この事実は昔ならば立派に戦争の口実として通用する問題であると思うが、今日、我々がそういう解決手段をとらないのは、民族の名誉や誇りよりも、人の命を大事にしなければ、という思想が広範にいきわたっているからである。

民族の誇りや名誉と、人の命を秤に掛けて、命のほうが大事だと考えるからである。

ニューヨークの世界貿易センターが攻撃されたとき、アメリカ大統領ブッシュは、アメリカの名誉と誇りを傷つけられたわけで、その回復のためアフガニスタンとイラクに報復を企てたのである。

ブッシュ大統領は、人の命よりもアメリカの名誉と誇りを優先させたわけで、日本の知識人は、それが人名軽視だといっているが、誇りを失った人間はもうすでに人間ではないということが判っていないからだと思う。

我々が昭和16年パールハーバーに攻撃をかけたのも、やはりそこには日本人としての名誉と誇りがあったものと考える。

名誉や誇りで人は生きていけない、というのは確かに一面では真実であろうが、それを失った人間ならば、ただ単に「食って糞して寝る」だけの人間として、何の価値もないものとなってしまう。

戦後の我々は、確かに自らを守るということに金を掛けてこずに、ただただ経済成長にのみ一喜一憂してきたので、自分の名誉と誇りについて考えたことがなかった。

名誉と誇りのために人と争うということを嫌悪し、見下げて、否定し続けてきた。

人と争うこと自体を「悪」と認定して、それを排除してきた。

特に、人の命がそこにぶら下がっているようなときは、何はさておいても、人の命を優先するという思考できた。

しかし、これも程度問題で、あまりにも過剰な人命尊重思考というのは自然の摂理に反してしまっている。

アメリカ大統領ブッシュが、アメリカ人の名誉と誇りを優先させてイラク戦争に踏み切ったのに対し、我々は自らの本土から日本人が拉致されても武器を取ろうとしない態度の違いが歴然とあるではないか。

 

テロ防止の言い訳

 

人間の命には運ということもついて回っていると思う。

生まれてまもない幼児が病気で死ぬということは、その子の持って生まれた運命であって、これは人知ではなんとも致し方ない。

しかし、昨今の風潮では、この人知ではなんとも致し方ない問題をも、人の不作為の結果だ、ということを言い立てて、それは行政の不手際だとか、国家の政策の不備だとか、理由つけて金を引き出そうという風潮が顕著だ。

国民の側がそういうことを問題視して、何でもかんでも人が死ねば行政の不手際、国家の政策の失敗ということを言い立てるものだから、行政も政府も、ますます予防措置として安全措置を講じ、人々はますます萎縮するという結果を招いている。

国家の名誉や誇りを維持するには、人命を危険にさらさねばならない状況も多々あるわけであるが、知識人というのは自分が部外者なものだから、蚊帳の外から人命尊重をやかましく言い立てるのである。

自衛隊のイラク派遣でも、イラクが危険だからこそ自衛隊が派遣されているのであって、イラクの治安が安定した国ならば、自衛隊など最初から出さなくても、民間の支援団体でもいいわけである。

イラクが危険地帯だからこそ、武装した自衛隊が派遣されているわけである。

この世界の常識が日本の知識人にはさっぱり理解されていない。

今月(平成17年10月)に入った初日にもインドネシァのバリ島で、テロによる無差別殺人が起きているが、世界の知識人も、日本の知識人も、こういうテロ防止に関しては何一つ貢献できていないではないか。

世界の平和を願うならば、為政者の側を糾弾するだけではなく、テロを行おうとしている武装集団、ないしはテロ集団に対しても、何らかの実行力のある行動をしなければならないのではなかろうか。テロが起きると、「テロを起こすような状況を作った為政者の側が悪い」、などという無責任な論評を平気で流して、それで知識人ぶっているわけで、これこそ傍観者の態度ではないのか。

テロという実力行使には、それに応じた対抗手段を講じなければならないのに、「それは罷りならぬ」というのではテロを後ろから支援しているに等しい行為ではないか。

このテロの主体が国家の場合は、明らかに戦争と認定できるが、日本の拉致の問題は明らかに北朝鮮という国家の機関が、日本の本土から日本人を拉致したわけで、この問題と戦争の関係はどう説明されるのであろう。

拉致とテロは違うというだけで我々は堅忍自重せよということであろうか。

21世紀の地球上にこれほど愚かな政策も存在しないが、我々は恥じらいもなくそれをしているのである。

だからこそ主体の曖昧なテロ集団というのが跋扈し、それが実力行使しているのが今の状況だと思う。

相手が、敵対する国家ということが認定できないので、それに対抗する側としては雲をつかむような行動にならざるを得ないのである。

主体がぼやけてはっきりと輪郭がつかめないので、そこには当然手違いというのが生じ、対抗する側の過剰行動、過剰防衛というのも当然生まれてくるわけである。

テロをする側としてはそれが目的なわけで、対抗する側が犯人を追い回すのを混乱させることがテロの目的なわけである。

今の日本の知識人階層というのは、国家というものを、統治する側とされる側、権力を行使する側とされる側、管理する側とされる側という図式で見ていると思う。

そして統治する側というのは「悪人」で、統治されている側というのはすべて「善人」であるという固定観念に凝り固まっているように見受けられる。

だからテロをする側というのは貧しくて、虐げられており、文明国に対しては根深い不信感を持っているかわいそうな人々だ、という認識から脱却しようとしていない。

だからそういう可哀想な人々は「善人」なるがゆえに救済されるべきだが、それが救済されていないのでテロが絶えないという論法である。

だからこういう人たちは、自分たちの政治的アピールをするのにテロという殺人、無差別殺人をしても致し方ない、と寛容な態度を示すのである。

こういう気の毒な人たちは人殺しをしてもいい、無差別殺人を行ってもいい、しかしこれに対峙している統治する側には、いかなる人権侵害も許してはならないという発想である。

もしそうではないというならば、世界の知識人、日本の知識人というのは、もっともっと盛大にこういう人々に対して反対運動、抗議行動をすべきである。

世界のマス・メデイァを使って、テロ集団に対して、彼らの行動の前時代的な思考の過ちを説き、彼らの行動の人命軽視を説き、彼らの行為の無意味さを説き、彼らの考え方が如何に間違っているかを説き、無意味な殺傷を止めるように説き伏さねばならないと思う。

ベトナム戦争華やかりし頃、小田実氏をはじめとする当時の日本の知識人たちは、ベトナム戦争反対を唱えて「べ平連」という組織を立ち上げて、盛んにアメリカとそれに追従するわが祖国を糾弾していた。

その論法で行けば、こういう知識人は、2001年の9・11時件以降、テロ防止連盟、「テ防連」というような組織を作って、アルカイダやタリバン、その他のテロ集団、ひいてはビンラデインに対して積極的にアピールすべきではないのか。

相手の姿が見えないので、彼らも直接そういう行動には出れないかもしれないが、今、その当時の状況を振り返って眺めてみると、彼らも自分の行動が当時の日本という状況の中で許されているから、その範囲内で派手な活動をして、マスコミにもてはやされ、時代の寵児とおだてられて、革命ゴッコに酔いしれていたに違いない。

アメリカがベトナムで戦争するのはいけない、アフガニスタンでテロ集団の残党狩りをするのはいけない、イラクのフセイン大統領を叩くのはいけない、という論拠はいったいどこから来るのであろう。

ならばどうすれば良いのかと問いたい。

アメリカがテロと戦っている姿を糾弾するのみで、自分は何一つ行動を起そうとしない平和主義者というものをどう解釈したら良いのであろう。

アメリカのベトナム戦争は誰が見ても失敗であった。

ベトナムはアメリカが介入しようがしまいが共産主義者に蹂躙され、結局は遅かれ早かれ今の状況に落ち着かざるを得なかったと思う。

その意味で、アメリカの若い兵士がベトナムで何万と命を落としたことは可哀想で仕方がないが、この死は国家に忠誠を尽くした結果の死であったわけで、決して無意味ではなかったと思う。

アメリカが世界の警察官ぶるのを世界の人々は快く思っていないのは当然であろうが、ならば他にどういう施策がありえたであろうか。

旧ソ連にアメリカの肩代わりしてもらったほうがよかったであろうか。

中華人民共和国にアメリカの肩代わりをしてもらえば、我々は枕を高くして眠れたであろうか。

20世紀後半の地球上にある主権国家というのは、単独では決して存在しきれないわけで、お互いに相互依存、相互協力がなければ存立すらできないのである。

湾岸戦争の際、最初のときはフセイン大統領がクエートに進攻したからといって国連はパパ・ブッシュに攻撃のお墨付きを与えた。

次のときは、テロの報復だからというわけで、国連はアメリカの行動にお墨付きを与えなかった。

この国連の思考も非常に人為的で日和見なかんがえ方だと思うし、アメリカに表立って反抗するものだと思う。

WTCビルを崩壊させた犯人が確定されたわけでもないので、それに対する報復をするというのは確かに論理的には整合性がないように見えるが、ならばあれだけの屈辱を与えられたアメリカはどうすればいいのかという回答を国連は出したわけではない。

世界の知識人、日本の知識人と同じで、WTCビルの崩壊は、国連とは何の関係もないわけで、国連はきわめて冷淡に傍観者の立場で済ませれたわけである。

国連の立場からすれば、あれはアメリカ国内のただたんなる犯罪に過ぎず、主権国家同士の主権の絡んだ諍いではないと判断したのであろう。

しかし、アメリカにすれば、テロ攻撃をされて黙っているわけには行かなかったと思う。

あのときのブッシュ大統領の立場、アメリカ国民の置かれた立場に対して、世界の知識人、日本の知識人というのは何らかの支援の言葉を投げかけたであろうか。

その大部分の声は、「テロを招くようなアメリカの行動があったから致し方ない」などという無責任なものであった。

自助努力

 

確かに、今の地球上には豊かな国と貧乏な国の両極端が並存しているが、豊かの国はそれなりの努力をして今日の豊かさを築いているわけで、貧乏な国はそれをしてこなかったということは歴然たる事実だと思う。

この論旨に対して、アメリカをはじめとする先進諸国が富を集積してしまったので、その他の国々はそれが出来なかったから今日このような格差が生じたといっているが、この論旨は根本から間違っている。

アメリカの歴史はわずか400年ぐらいしかなく、ヨーロッパから渡ってきたわずかな移民が艱難辛苦を克服してあの国を築いたのである。

そして、そこにはもともと先住民がいたにもかかわらず、その先住民はアメリカの興隆に寄与するところもなく、古来からの生活を維持し続け、それに固執していたので、今日アメリカ文化の中に埋没してしまったのである。

この構図のグローバル化したものが今の地球規模の貧富の格差となっているとみなさなければならない。

アメリカに渡ったヨーロッパの移民がわずか400年で築けたものが、なぜ2千年も3千年も歴史を誇る民族で出来なかったのかと考えなければならない。

19世紀の西洋先進諸国というのは、やはりそれだけの努力と研鑽をかさねてきた結果として、未開な人々を植民地化して、よりますます富の収奪に精を出したわけである。

我々の日本も、この西洋先進国の植民地化の危機には他のアジア諸民族と同じように直面していたことは間違いない。

しかし、そうならなかったのは他ならぬ我々日本人、大和民族の努力と研鑽があったからである。

現在、テロの温床となっている諸民族の中でも、過去にこういう努力と研鑽を積んでいれば、後進国とか、開発途上国などという呼称で呼ばれることもなかったに違いない。

貧富の格差というのは、要するに過去の努力の過程と、その手法が間違っていたということに他ならない。

端的にいえば、努力と研鑽ということは自助努力に他ならない。

この自助努力を促すためには、いったん過去の歴史を清算しなければならないと思う。

我々はこの飽食の日本の中で、文化の伝承ということを大事なことだという認識を共有しているが、文化というものには断絶を経験することが必要だと思う。

蝶が脱皮を繰り返すように、人間の文化の発達にもこの脱皮に相当することが必要だと思う。

脱皮という断絶を経ることで、前のものの価値がじわじわと理解されるようになるわけで、この脱皮がない限り、ただたんなる陋習の継続ということになってしまう。

それでは文化の跳躍ということは実現しない。

我々、日本人も1945年、昭和20年にこれを経験しているではないか。

昭和初期の日本人は、我々の祖国が今の日本のようになることを夢見て、あの戦争に嵌ってしまったが、結果として戦争に負けたことによって戦前に夢見ていたことが今実現しているではないか。

それはあの敗戦で日本は文字とおり無一文になったことによる。

戦前の日本人の価値観は、このとき完全に転覆してしまった。

ここで我々は、過去の価値観を全否定して、新しい価値観を受け入れ、その断絶を経験したのである。

そこで今我々は衣食足りて礼節を知る時期に到来し、昔の価値観の見直しを模索しかけているのである。

ヨーロッパからアメリカ大陸に渡ったピューリタン達も、あの時点で過去の文明と決別したわけで、その後に生まれた新しい価値観が今のアメリカというものを作ったと考えられる。

それに引き換え、今日のテロの温床となっているさまざまな諸民族の間では、文化の伝承というのが断ち切れておらず、有史以来の価値観がそのまま続いているわけで、それに固執している限りは飛躍的な跳躍というのはありえない。

20世紀の世界を見てみれば、旧ソビエット連邦は共産主義革命によって旧来の文化と価値観を断絶し、中華人民共和国もソビエットと同じように共産主義革命によって過去の確執を断ち切っているわけで、そのことによって過去から飛躍的に進化したように見える。

そして、飛躍的に進化した暁には、再びもとの自然に戻ろうという機運が広がって、本来の人間の姿に戻りつつあると思う。

 

聖職者の役目

 

テロの温床となっている諸民族の間には、こういう衝撃波をいまだに経験していないので、無差別殺人という破天荒な手段を常套化しつつあるわけだ。

昔の価値観で言えば、人が人を殺すことはごくごく当たり前のことで、それに宗教的な意味を込めて聖戦だとか、ジハードなどと言い募れば、そのままべドウインの部族抗争の価値観のままの発想と同じということになってしまい、近代的な思考とは程遠いものといわざるを得ない。

そこには有史以来の思考の断絶が皆無なわけで、それがイスラム教の伝統であり、習慣であり、因習であるわけで、それを打ち壊さない限り飛躍的な精神の開放ということはありえない。

にもかかわらず、先に成熟した国の知識人たちは、きわめて無責任な立場から、貧富の格差の是正などと、奇麗事を言っているが、そんなことは絵に書いた餅に過ぎず、現実の問題解決には何も寄与する発想ではない。

先進国の側が貧富の格差の是正に努力するのではなく、今の貧しい国々が、自らの自助努力で先進国に追いつき、追い越す気概を持たないことには、格差の是正など実現できるものではない。

先進国が空から爆弾の代わりにドル紙幣をばら撒いたとしても、格差の是正など出来るものではない。

テロの温床となっている国々は、イスラム教徒の国々であるが、こういう諸国、諸民族の精神的支柱となっているイスラム教というのが非常に問題なわけである。

人は何を信じようとそれは個人の自由であるが、その宗教が過去に固執し、未来の展望を否定するものであるとするならば、貧富の格差の是正というのもありえない話となる。

それは自らの選択ということになる。

今、世界中で起きているテロというものがイスラム教をバックにしているとしたら、この問題は宗教の問題に転化せざるを得ない。

イスラム教徒の聖職者の責任といわざるを得ない。

アメリカの9・11事件の時、あれにイスラム教徒が関与しているとわかった時点で、イスラム教徒の聖職者たちは、犯人と思しき人を司直の手に差し出さなければならなったと思う。

個人の行為と聖職者の立場とは別だ、ということは論理的には理解できるが、イスラム教徒の一部がキリスト教徒に意味のない無差別殺人を強行した以上、イスラム教徒の聖職者としては、傍観者であってはならないと思う。

歴史的な流れとして、9・11事件がおきて、アフガニスタンとイラクが、その犯人たちの逃亡先、またはテロの温床ではないか、という疑惑でアメリカから攻撃されたが、アメリカが被害者の立場でイスラム教徒を疑っているとすれば、イスラム教徒の側は、自らの行動でその疑惑の払拭をすべきであり、もし本当にイスラム教徒が関与しているのならば、逆にアメリカに協力すべきだと思う。

表面的に見て、アメリカが先進国で、イスラム教徒の諸国家、諸国民、諸民族が文化的に遅れているとすれば、それは明らかに宗教の所為であって、こういう遅れた人々が、その遅れから脱却しようとすればまず最初に、宗教に固執することから脱却しなければならないと思う。

信教の自由は誰に対しても公平に許容されるべきだというのであれば、テロの原因をその宗教にかかわる貧富の差に求めてはならず、貧富の差があるからテロが起きるのだ、という論理は全否定されなければならないと思う。

貧富の差とテロの温床はまったく無関係だ、という論理でなければならない。

ということは、テロという行為にはまたく弁解の余地はなく、何の整合性もないのだ、ということをはっきりというべきである。

貧富の差がテロの温床だ、などと表面的な奇麗事を言うべきではない。

ただ何時の世でも、何処の国でも、知識人と言われる人々は、当局者でもなければ、被害者でもなく、ただただ傍観者として奇麗事を言っておれば糊塗を得ることが出来るので、当たり障りのない無責任な発言をしているが、こういう発言は無責任なだけに受け取るほうとしてはより慎重に考えなければならない。

テロの温床が貧富の差にあるのだから、それを解消しなければテロを根絶することできない、などと言う論旨は、一見尤もなことのように聞こえるが、貧富の差の解消などということは、人類が誕生以来追い求めてきたことではないのか。

それを追い求めた結果が今現れているわけで、現在の世界の情勢というのは、その結果である。

結果として、イスラム教徒の国々は、イスラム教に固執していたがため、キリスト教徒の国々の後塵を被っているわけで、それはそれぞれの集団、国家、民族の自助努力の結果であると同時に、自らの選択の結果である。

それをテロの原因だと言うことは、人類の築いてきた文化・文明を全面的に否定するに等しいことで、何の解決にもならないではないか。

この辺りで、論旨を最初の視点に戻すと、9・11事件の後、アメリカはアルカイダが潜んでいるではないかと予想されたアフガニスタン、そしてそれらを支援しているのではないかと思われたイラクを攻撃した。

このアメリカの行動に対する我々日本人の考え方が問題なわけである。

戦後の我々の国の知識人、教養人というのは、戦後60年間というものアメリカの悪口は言いたい放題言い続けてきた。

それとは反対に、旧ソビエットや中華人民共和国や北朝鮮に対しては、その現実に目を塞いで、誉めそやしてきた。

そういう状況の中で、テロへの報復という点からして、アメリカの行動を厳しく糾弾しているが、これはアメリカの悪口はいくら言っても許されているからそういう無責任な発言を声高に叫んで、自己PRと教養人としての矜持を示しているつもりになっているのである。

 

国民の大儀

 

9・11事件がおきたとき、ブッシュ大統領は「これは戦争だ!!!」と言ったが、まさしくそれは本音の吐露と同時に現実にそうだと思う。

ただ1941年に日本が行った真珠湾攻撃は歴然と敵の姿が見えていたが、テロとの戦いは敵の姿が見えないから、その分余計に厄介な戦争なわけである。

敵の姿が見えなかったものだから、国連もテロへの報復を容認するのに躊躇したわけで、国連が迷っているものだから、アメリカは単独で報復したわけである。

このアメリカの行動はきわめて自然人の考え方だと思う。

つまり、叩かれたら叩き返す、足を踏まれたら踏み返す、やられたらやり返す、等々、きわめて人間の自然の感情、素朴な思いに近いものだと思う。

弱肉強食、適者生存こそ自然だと思うが、地球上に生息し続けた人類は、こういう自然人の素朴な思いを野蛮と称して、相手から叩かれてもその痛みこらえ、それを我慢する、足を踏まれてもその痛みを我慢する、やられてもやられっぱなしで我慢するということを、人間の英知・理性・理知と称して、奨励してきた。

これが個人の場合ならば、それは立派な行為として崇められるであろうが、同じことが国家としての人間の集まり、あるいは民族としての固まり、主権国家としての権利侵害であった場合、野蛮人ではない理知的な対応が他にありえるであろう。

複数の人間の集まりの中には、「やられても仕方がない、我々はやられっぱなしで我慢しよう、野蛮な報復はしないでおこう」という意見の人もいるであろう。

しかし、大部分の人は、それでは納得しないのではなかろうか。

9・11事件が起きたとき、ブッシュ大統領が何も報復的な行動をとらなかったら、国連がお墨付きを与えないからと言ってサダム・フセインに対する攻撃をしなかったら、アメリカ国民は彼を容認したであろうか。

おそらくアメリカ国民は納得しなかったに違いないと思う。

1941年、日本が真珠湾攻撃をしたとき、ルーズベルト大統領が日本に対して参戦をしなかったら、当時のアメリカ国民が納得したであろうか。

こういう状況に置かれたときの国民の感情、意志、思い、願いというのは大儀となる。

1941年、日本が真珠湾攻撃をしたので、アメリカ国民は「対日戦已むなし」と判断したのである。1960年代、元フランス領ベトナムでは共産主義者が南に南下し続けていたので、それを阻止しなければならない、とアメリカ国民は思ったのである。

2001年、ニューヨークのWTCビルが2機の旅客機で崩壊されたので、その報復は「止むを得ない」行為だと、アメリカ国民は納得したのである。

そして、アメリカの為政者、つまり大統領や議会が、こういう行為に出るための免罪符として立派な大儀となったのである。

国家、主権国家の行為には、すべてにこの大儀が存在していると思う。

国家の行為・行動は、すべてこの大儀によって動いていると考えなければならないと思う。

日本が先の戦争でアメリカと開戦する決意をしたのも,アメリカの施策によって我々が息の根が止められるのではないか、ならばその前に一矢を報いるべきだ、ということが我が方の大儀となって、そういう経緯をたどったのである。

しかし、この大儀というものも具体的な形のあるものではないので、人によってその捉え方がまちまちなわけで、政府においてもその立場持ち場で意見が分かれ、無論、国民の側としても、その大儀の捕らえ方、解釈の仕方、利害得失を勘案して、温度差というよりも意見の相違があるわけで、政府の言う大儀と、国民が思っている大儀では、実体が一致しないことも往々にある。

ブッシュ大統領が、9・11事件の報復としてイラクを攻撃するのに、アメリカ国民の中からでさえ不満、慎重論が出るのも当然のことである。

アメリカ側から見て、1941年の対日戦参戦と、1960年代のベトナム戦争参戦と、湾岸戦争ではそれぞれに大儀の重みと質が違っていると思う。

統治者の政治的行為としての良い政治というのは、この大儀をどれだけ具現化したかということで測られると思う。

対日戦ではアメリカ国民の大部分が為政者、当時の大統領を支持したのではないかと思う。

ところがベトナム戦争となると、当時のアメリカ国民のかなり相当な部分が為政者のしていることに異議を差し挟み、抵抗したのではないかと想像する。

それがまたイラクの攻撃となると、あのニューヨークの惨状から見て、再び対日戦のときのような国民の結束が集まったのではないかと思う。

 

為政者の責任

 

このとき、為政者のトップとしての大統領の決済で戦争が開始されたとなると、当然、戦争の開始責任は大統領にあるということは一目瞭然である。

個々の作戦の失敗は、当然のこと各司令官に帰結するということも、簡単に理解できる。

結果として、それが戦争全体の敗北ということになったとき、戦争責任はいったいどうなるのであろう。

戦争を開始した大統領にあるのか、敗北を認めた大統領にあるのか、それともすべての戦いに負けるような作戦を指揮した司令官にあるのか、アメリカの場合まだ負けた戦いというのがないのでそれは答えが定まっていない。

ベトナム戦争でアメリカは負けたといわれているが、アメリカ本土にはベトナムの爆弾ひとつ落ちていないわけで、これで負けたというのは言葉のアヤ以外の何物でもない。

アメリカ国民の側から見て、それは政治の失敗ではあっても、戦争でアメリカが負けたとは言えない。

日本の敗北というのは、明らかに政治の失敗と、軍事作戦の失敗と、外交の失敗と、とにかくあらゆる言葉を弄しても完全無欠の完全敗北である。

完璧な敗北である。

これほど完全無欠、究極の敗北というのも他に例がないのではないかと思う。

これほど見事に敗北すると、我々の側の戦争責任というのはもう探しようがなく、掘り起こしようもなく、誰が本当の悪人であったのか、という問題などどこかに消し飛んでしまった。

今、左翼の陣営に身を置く日本の進歩的知識人といわれる人々も、見目麗しきご幼少のころは、立派な軍国少年であられたわけで、幼少のころ秀逸であったからこそ、当時の国民的な風潮を先取りする才覚に恵まれており、時流に便乗しえたわけで、愚鈍な子供ならば軍国主義など意識さえしていなかったと思う。

戦前、昭和の初期の子供、今存命ならば70歳か80歳の人が子供のころ、眉目秀麗で優秀な子供ほど、軍国主義にかぶれ、陸士や海兵にあこがれ、そういう道に進んだ人たちが、その結果として完璧までの敗北を招いたわけである。

 

日本人の本質

 

その結果としての責任ということを考えたとき、我々はその責任のとりようがないと思う。

昨今のざれ歌に、「赤信号、皆で渡れば怖くない」というのがある。

これは我々の日本人の生き様を見事に言い当てていると思う。

昭和初期の日本人は、赤信号であるにもかかわらず、鬼畜米英何するものぞ、皆でわいわい言い合って交差点を渡っていて、ダンプカーに全員跳ねられたようなものである。

この場合、跳ねられた責任を誰がどうとればいいのかという問題だと思う。

赤信号だから渡ってはだめだ、ということを誰一人言わなかったわけである。

その責任は一体誰にあり、誰がそれを負わなければならないのだろう。

政府の中枢にいる人たちの中には、赤信号であるにもかかわらず、「渡ろう!渡ろう!」と積極的にいう言いだしっぺもいなければ、「赤信号だから止めとけ」という人もいなかったわけである。

ただただ人の集団として、隣の人が渡りだしたから自分も足を踏み出すという状況ではなかったかと思う。

アメリカのように、大統領が国民の願望としての大儀を自ら具現化する指示を出すというケースならば、戦争の責任者というのは歴然とわかるが、我々の場合は、そういうわけには行かないと思う。

この「赤信号、皆で渡れば怖くない」というざれ歌というか、ざれ言葉は、我々の民族の本質を見事に言い表していると思う。

特に、この「皆で・・・・・する」という部分に、我が民族の特質が現れていると思う。

先に述べた「ご幼少のときに軍国少年であった」というところにも、この「皆で」という深層心理が働いているわけで、子供の中でも優秀な子供ほど、周囲の大人の雰囲気を察知するのに長けており、目先の利く子供ほど、それを我が物とするのである。

子供の中でも優秀で頭の良い子供ほど、大人に対して、どういうことを言えば大人の心象を良くするかということを会得しているわけで、昭和の初期という時代に、大人に受けようと思えば、「将来は大将になって皆さんを幸せにします」という模範回答をするのである。

あの時代、子供に「将来何になるのか?」と聞いて、「小説家になる」とか、「画家になる」などと答えようものなら、鉄拳が飛んできたわけで、頭の良い子はそういう雰囲気を機敏に察知して、模範的な回答をしたに違いない。

その模範解答こそ軍国主義であったわけである。

そして陸士に入るとか、海兵に行くということは、その家の誉れであるのみならず、その集落、その部落、その町内の誉れであったわけで、そういう雰囲気そのものが軍国主義そのものであった。

この軍国主義の蔓延がその時代の世の風潮であったのだから、人々は何の疑いも持たずにそれに順応しようとしてわけで、その結果として完璧なまでの敗北を帰したのである。

問題は、我々の同胞の中に異端を封殺する思考があった、ということを深く反省しなければならないと思う。

異端の発想を軍国主義でもって排斥、ないしは封殺したという事実に対して、深く反省しなければならないと思う。

そのこと自体、つまり異端を封殺するというのは、絶対主義と軌を一にするわけで、それが軍国主義で以ってなされた、ということを深く深く反省しなければならない。

この深層心理は、我が民族が根源的に持つ、無意識のうちにある潜在意識なのかもしれない。

ということは、戦後60年の民主教育の中でも「いじめ」というのが今日になっても身近に見られることから察して、そうとでも考えないことには説明がつかないのではなかろうか。

戦前の美濃部達吉氏の「天皇機関説」の排斥問題、斉藤隆夫の粛軍演説による除名処分、これらの問題は、それぞれ大学教授の中の「いじめ」の問題、国会議員の中の「いじめ」の問題に過ぎないものと考える。

自分たちの宇宙の中の異端者、つまり気に入らない人間を、よってたかって苛め抜く、という構図である。

小学校や中学校の「いじめ」の構図と何も変わっていないではないか。

教養人であるべき大学教授とか国会議員が、自分たちの気に入らない人間をいじめているでは、教養や知性や面子が保たれないので、さも尤もらしい理由付けをしているが、端的に言えば「いじめ」となんら変わるものではない。

問題は、このいじめる側の存在である。

「いじめ」というのは、いじめる側の人数が多いから「いじめ」になるのであって、その部分に「皆で渡れば」という「皆」という主語の存在が大きく作用するのである。

皆で、大勢で、衆を頼んでいじめれば責任は雨散霧消してしまう、という確信犯の発想である。

大学教授が仲間の大学教授をいじめるのに軍国主義を使い、軍国主義の名で相手を糾弾し、国会議員が同僚の演説に拍手を送っておきながら、それが軍国主義的風潮に少しばかり棹差す懸念があると思われたが最後、よってたかって斉藤隆夫を苛め抜いたわけである。

平成17年度の郵政解散を受けて自民党が大勝したが、美濃部達吉を糾弾し、斉藤隆夫を糾弾したのは、大多数の側の陣営であったことを忘れてはならない。

自民党が大勝したということは、烏合の衆の塊が大きくなったと見なさなければならないが、戦後の民主教育の中では、多数の意見は正義だと、言いふらされており、それはポピリズムで、必ずしも正義だとは言い切れない、ということを我々は肝に銘じなければならない。

しかし、民主政治の基本が、最大多数の最大幸福であるという真実に変わりはない。

政治が最大幸福を追求するのに、最大多数としての烏合の衆の言う事を聞いていて、果たしてそれが正解かどうかは必ずしもはっきりとはしない。

小泉首相が、自分の信念を通せば、変わり者よばれ、大勢の意見を汲み取れば、指導力を発揮せよといわれ、人に任せれば丸投げといわれているのと同じように、統治するものは何をしても国民から批判されるのである。

そのとき、政府や首相を批判する勢力というのは、その大部分が烏合の衆だと決めてかからねばならないと思う。

統治者が烏合の衆に迎合すれば、それが一番民主的な政治ということになるはずであるが、烏合の衆というのは自己の利益しか眼中にないので、為政者がその烏合の衆の願望に答えようとしても、何でもかんでも上手くいくとは限らないわけである。

何かことを起こそうとすれば、必ずそのリアクションがあるわけで、小泉首相の郵政民営化というのは彼の年来の信念であったわけで、当然それには反対勢力の抵抗があるから、彼は自民党をつぶしてでも信念を通す、といっていたわけである。

そしてそれを実行したわけである。

どんな行政改革でも組織改革でも、改革される側は当然抵抗するのが当たり前で、その抵抗を如何に緩和するかというのが政治の手腕なわけである。

だから、その手腕の一つとして、参議院で否決されたので、彼は総選挙に打って出たわけである。この時点では彼も相当リスクを背負っていたと思う。

ところがふたを開けてみると、郵政民営化を唱えた自民党が圧勝してしまったので、反対していた自民党員も、その選挙結果から自分の趣旨を変えざるを得なくなったのである。

郵政民営化法案は小泉首相が解散する前にはまだ大儀になりきっていなかったが、選挙で大勝した後には、それが立派な大儀になったのである。

21世紀の日本国民は、小泉氏の唱えていた郵政民営化というものを大儀と認定したわけである。戦前の日本では、特に昭和の初期の軍人、軍部というものが、民主政治というものを食い物にしてしまって、民主政治というものを崩壊させてしまった。

そのため、ますます我々の言う戦争責任というものが曖昧なものになってしまった。

勝った連合軍側は、我々の側の内なる政治というものとは関係なく、戦争で自分たちの将兵を多く殺したと思われる人物を血祭りに挙げれば、祖国に対する忠誠は成り立つわけで、その意味では血祭りに上げる対象は誰でもよかったわけである。

しかし、我々の立場からすれば、開戦に導いた人に戦争責任があるのか、敗戦を承諾した人に戦争責任があるのか、間違った作戦、負けるような作戦をした軍部に責任があるのか、軍国主義を吹聴した人が悪いのか、国粋主義を鼓舞宣伝した人に責任があるのか、まったく判らないのである。

だから結論として、日本国民の全部が責任を分担しなければならない、ということになり、そのこと自体極めて無責任体制、責任の消滅以外の何ものでもなかったのである。

結局、交差点を皆で群らがって一丸となって渡ったのだから、ダンプに引かれた責任は、皆に当分のある、という理屈に落ち着いたわけだ。

ダンプカーの側としての連合国側は、その集団の中の目に付いたものに対して、「お前はなぜ今は信号が赤なのに渡るのを止めさせなかったのだ」、といって見せしめに吊るし首にしたわけだ。

極東国際軍事法廷というのは、勝った側の見せしめの行事なのだから、それで裁かれる人は、彼らの側からすれば誰でも良かったのである。

見せしめとは言いつつも、勝った側の立場からすれば、自分たちに戦争を仕掛けてきた張本人を縛り首にしたほうが、自分たちの祖国に対する報告というか、自分たちの同胞というか、共に苦しい戦いをしてきた同胞に報いるのに好ましいわけで、その意味で開戦当時の日本の指導者が血祭りにされるのも致し方ないところだ。

 

内なる戦争責任

 

ところが、この戦争責任というものを、我々、負けた側から考察すると、今まで述べてきたように単純な図式では言い表せないのである。

連合国側に開戦をした当時の日本の指導者が、勝者によって裁かれるのはある程度は致し方ないとは思う。

ところが敗戦の責任となると、これは一筋縄では言い尽くせない問題だと思う。

負けた側の我々の立場からすると、あの戦争の責任追及となると、たちまちブラックホールに嵌まり込んでしまう。

皆で一丸となって渡っていたのだから、皆に等分のあるなどとは言えない筈である。

私はあの昭和天皇を平和主義者だと心底から思っているが、平和主義者であったことと、国の統治の頂点にいたこととは次元の違う問題ではないかと思う。

開戦直前に、何度も開催された御前会議に出席されていたというだけでも、戦争責任の一旦はあると思う。

御前会議で積極的に発言して、明らかに戦争回避の発言があったとすれば、免責ということもありうるが、発言がなかった以上、黙認ととられても致し方なく、一抹の戦争責任はあるものと考える。

それは何も東条英機のように死を以って償うというものではないにしても、引退という形であるにせよ、責任を負うべきであったと思う。

しかし、これも戦争で負けた以上、占領軍の言いなりになるほかなく、引退をしようにも出来なかった、ということかもしれない。

本人の意思とは無関係に、占領軍の意志に身を委ねざるを得なかったのかもしれない。

私は個人的に、戦争責任ということを考えるとき、日本人の日本人による同胞の殺戮を考えざるを得ない。

サイパンのバンザイ・クリフの悲劇、沖縄戦の悲劇、満州からの引き上げにまつわる悲劇、樺太の電話交換手の悲劇、オーストラリアで起きたカウラ捕虜収容所の集団脱走の話、こういう話は敵の攻撃にさらされて、敵の撃った弾で死んだ話ではない。

敵と勇ましく戦って死んだ人達ではない。

日本人が日本人を殺した話である。

直接殺さなくても置き去りして自決という手段で死に至らしめた話である。

こんな馬鹿なことが戦争という特殊な状況下であったにしても、我々の同胞の中で起きていたのである。

こういう惨劇の責任というものをどう解釈したらいいのであろう。

あの戦争中を通じて、敵の捕虜を虐待した将兵は、BC級戦犯ということで、敵側の裁判で審理された。

その裁判が極めて杜撰であったことは真実であったとしても、少なくとも日本の将兵が敵側にした行為に対して、裁判という形で責任追及がなされたわけであるが、日本人が日本人を死に至らしめた場合、どういう責任追及がなされたのであろう。

これに対しては我が同胞のなんびとも明快な答えを出していないと思う。

確かに、あの戦争中には、戦陣訓というのがあって、「生きて俘囚の恥しめを受けず」というのがあり、「軍人たるもの決して捕虜となるようなことはするな、死ぬまで戦え」ということが称えられていたことは知っているが、それはあくまでも一つの指針に過ぎないわけで、それを文字とおり、字句とおりに実践せよということではなかった筈である。

この戦陣訓は、東条英機が出したといわれているが、彼の言わんとする点は、あくまでも戦うときの指針、心構えであって、100%勝ち目のない戦いでも遂行せよという意味ではないと思う。

ただ、組織というのはトップの意向を先読みして、点数を上げようとする、ゴマをすろうとする人間が大勢いることも歴然たる事実で、そういう人間が誰でもわかるような100%望みのない戦いでも、無理に推し進めるということは非常に沢山あったろうと考える。

そういう司令官が大勢いたとしても不思議ではない。

どうせ死ぬのは一銭五厘で集められた有象無象の兵隊たちで、自分ではないから、死ぬまで戦わせてもなんら自分は痛痒に感じないという司令官が大勢いたものと考える。

サイパンでも、沖縄でも、民間人に戦闘協力をさせておいて、その民間人に玉砕まで強いる日本人の司令官というのは一体どういうことなのであろう。

軍の司令官たるもの、白旗を掲げればそれは攻撃してならないという、戦規を知らないはずはないわけで、それを知っていて民間人を救おうとしなかった司令官たるもの、軍人の風上にも置けない堕落した、人間以下の人物だと思う。

こういう人間の戦争責任はいったいどうなっているのか。

こういう日本人の、同胞としての、軍司令官の戦争責任は一体どうなっているのだ。

こんな馬鹿な話があっていいものだろうか。

戦後60年間において、我々はこういう同胞を糾弾したことがあるのだろうか。

それをしない我々はよほど馬鹿だと思う。

靖国神社の問題のときにも述べておいたが、同じように戦死と一口に言っても、ここに祭られている御霊の中には、敵と勇壮果敢に勇ましく戦って死んだ人よりも、同胞の理不尽な扱い、処遇によって、無念な死に至らしめられて方々も大勢いると思う。

そういう人達が、「こういう同胞と一緒に眠りたくないから分祀してくれ」という思いも十分に理解できる。

まったく望みのない戦い、100%勝ち目のない戦いに望んだとき、一旦は捕虜になって捲土重来を期す、という発想がまったくないわけで、時の首相が言った戦陣訓をまともに字句どおりに守るということは一体どういうことなのであろう。

戦陣訓を出した東条英機は、刑場の露と消えたが、死んでいく彼の胸中には、それを出したことのお詫びの気持ちもあったに違いないと思うが、その言葉を現場で実践した司令官の責任はどうしたものであろう。

人々、特に軍人が、時の首相の言葉を金科玉条として信じ込んでいたのであれば、昭和初期の軍人の独断専横と言うことはありえないはずで、軍人勅諭のほうは破り放題破っておいて、戦陣訓だけ頑なに守る、と言うことは一体どういうことなのであろう。

軍人勅諭にしろ、教育勅語にしろ、戦陣訓にしろ、軍人ないしは国民に対して、そのあるべき姿を指針として、心構えとして説いたものに過ぎないが、それを形式ばった権威付けとして利用した点に、我々の歴史上の反省点があると思う。

こういう権威付けをして、それが人々を幸に出来るものと考える理想主義者の存在というのは、今日でも生きているわけで、たとえば嫌煙権をやかましく言い立てる人、たとえばゴミの分別をやかましく言い立てる人というのは、そういう権威を振り回して喜んでいる理想主義者だと思わなければならない。

確かに、タバコを吸う人が少なくなればそれは社会全体にとって良いことであるし、ゴミの分別が行き渡ればこれも社会全体にとっては良いことである。

だから、そのことを他人に執拗に強いることで以って、自分は良いことをしている、社会に貢献している、という気分に浸って、過剰に反応する人がいるわけで、どんな些細なことでも見逃さず問い詰めて喜んでいる人がいる。

まるで、そのことで正義の味方を演じきって喜んでいるという構図である。

あの戦争中に起きた同胞による惨劇も、こういう大儀を貫き通すことが正義だという思い違いが招いたことではないかと私は考える。

あの戦争中の我々の大儀といえば、ほかならぬ「鬼畜米英、撃てし止まん」に他ならない。

その目的遂行のためには、いくら無意味、意味のない行為でも、軍人勅諭や戦陣訓に忠実たらんとしたわけである。

無意味な行為や、勝ち目のない戦いに望んだとき、その場に居合わせた我々の同胞が心に思い描いたことは、隣の戦友は自分のことをどう思うかということではなかったかと推察する。

また、あいつがやれば自分もやる、やらなければいけない、という切迫観念ではなかったかと思う。

これに整合性をもたせるために、天皇陛下だとか、国家だとか、大和魂だとかいう言葉に、その思いを転嫁して心の迷いを払拭し、その本音をカモフラージュさせることによって、その整合性を無理にこしらえていたのではないかと推察する。

サイパンでも、沖縄でも、敵の明らかに優勢な勢力に対して、自分たちがいかなる戦いをしても勝ち目はない、ということは軍人ならばこそ、プロの視点から見て、完全に理解しえたものと推察する。

しかし、そういうことが判っていながら、なお戦い抜く、犬死を強いたということを今に生きる我々はどう解釈したらいいのであろう。

インパール作戦でも、始めから成功の見込みはないということがわかっていながら、尚遂行したということは、いったいどういうことなのであろう。

サイパンでも、沖縄でも、インパール作戦でも、こういう戦いを指揮、指導してきた軍人たちというのは、戦争というものを私物化していたのではなかろうか。

国家総力戦というものを勝ち抜かねばならない立場、戦争というものに勝ち抜かねばならない立場を指揮、指導する司令官の選抜を、先輩・後輩だとか、士官学校の成績の順だとか、卒業年次だとか、戦闘という実践とは関係のない要因で決めているわけで、これでは戦争に対する認識が全くないに等しいではないか。

これが戦争のプロのする事であろうか。

司令官、指揮官というのは、軍隊の組織の中ではエリートなわけで、エリートなるがゆえに、下々の真情に疎い面があったことは否めないだろうと思う。

だから、戦いというものを私物化して、命じられた作戦で自分は死んでもいいが、将兵は生かして、捲土重来に備えなければならない、という大きな視点には考えが及びも付かなかったに違いない。戦争を私物化していたので、部下の将兵の命など眼中になく、配下のもろもろの人は、自分と一緒に命を絶つのが当然だと思い込んでいたものと思う。

司令官という高級官僚、高級軍官僚の立場からすれば、徴兵で集められた兵隊や予備役で集められた兵隊など人間のうちに入っていなくて、ただのモノに過ぎなかったのかもしれない。

そうでなければ、みすみす負ける戦い、100%勝ち目の戦いを目のあたりして、玉砕などということがあるわけがないではないか。

犬死を強いるなどということは馬鹿でもしない。

まして戦いプロならば尚のことであるが、それをしたということであってみれば、言葉に窮する。

少なくとも、民間人には白旗を持たせて出してやるのが人間として最低限の心、思いやりだと思う。それがわからない人間が、軍官僚のエリートとして、我々の上に君臨していたのである。

そして、そういう人間が玉砕の結果として靖国神社に祭られているのかと思うと、そんな人間と一緒に眠りたくないという人が現れるのも無理からぬことだと思う。

靖国神社に祭られているから、その御霊は全部が善人かと思うとそうではないわけで、この問題に我々は戦後60年どういう風に答えてきたのであろうか。

極東国際軍事法廷というのは、あくまでも勝った側の、勝った側の都合による、勝った側の裁判であったわけで、その整合性は我々にとってはどうでもいいはずである。

問題は、我々の同胞が、我々の同胞に行った仕打ちに対する裁判である。

サイパンや沖縄で、民間人に白旗を持たせて出さなかった軍司令官の裁判はどうなっているのかということである。

軍人の玉砕は致し方ない面があるが、民間人まで道連れにした玉砕を裁かなくてもいいのか、という問題である。

民間人を放り出して、自分たちだけで一目散に逃げた関東軍の軍人、軍属を裁かなくてもいいのかという問題である。

戦争責任、戦争の責任ということを言うのならば、そこまで掘り下げて言わなければならないと思う。極東軍事裁判でA級戦犯として刑場の露と消えた東条英機は、生前徹底的に我が同胞から嫌われていた。

MPが身柄を拘束に来たとき、自殺に失敗した際の近所の医師の処置にもそれが見事に現れているわけで、彼は巣鴨刑務所に収監されていなかったならば、国民によって袋叩きにあっていたかもしれない。

それほど日本国民から嫌われた東条英機であっても、死に際は見事であったと思う。

彼は一切の弁解もせず、戦争の責任は我が身にある、と堂々と述べている。

ただし、その目的はアジアの開放にあったとも述べているが、戦争遂行の責任に関しては一切弁解をせず、戦争責任は我が身にあるとはっきりと述べている。

その意味では昭和天皇も同じ趣旨のことをマッカアサー元帥、極東軍最高司令官にも述べているが、こちらのほうは占領政策遂行のため免責になってしまった。

 

 

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