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戦後60年の憂鬱
    その6

普通の愛国心

 

本日は正真正銘の60年目の終戦記念日であるが、例によって朝日新聞は挑発的な特集を組んでいた。

平成17年8月15日、朝日新聞9ぺージ、オピニオン、追悼の60年。

「国のための死だったのか、国のせいで生をたたれたのか、慰霊の思いが二つに割れる」というタイトルである。

こういう問題の提起の仕方が極めて朝日新聞的だと思う。

「国のための死」というのは、この地球上のいたる所に転がっていると思う。

今、イラクで戦っているアメリカ兵の死も、総て国のため、アメリカ合衆国という国のための死であって、決してイラクという国のための死でないことは明白であるが、この世で戦争で死んだ人というのは、総てが国のため、つまり祖国のために死んだ人たちだと思う。

アメリカ・アーリントン墓地で祭られている人も、皆国のため、USAという祖国のために死んだ人が祭られているわけで、その意味からして靖国神社に奉られて人達も、総て国のために命を落とした人が祭られているのである。

近代国家というのは国家と国民の両方で成り立っているわけで、国家というのはある一つの概念に過ぎず、具体的な形あるものではないが、国民が毎日平凡に生活できるのは、この概念としての国家というものがしっかりとしているからである。

あるテレビ番組で、田原総一郎がアメリカのアミテージ元国務副長官に質問していた。

田原が「この地球上に命を賭してまで守らなければならないものがあるか?」と質問すると、アミテージはそれは「国家だ!」と即答していた。

これはアミテージが特別な人だからそう答えたわけではなく、極々普通のありきたりの回答に過ぎない。

ところが、これが日本だと奇異に見られるのである。

田原はそういう日本人的感覚でアミテージに質問をぶつけたわけで、この田原の質問というのは、戦後60年を経過した日本の知識人の潜在的かつ無意識的な感覚となっているものと思う。

人は自分の国を選んで生まれてくるわけではない。

自分の意思とは無関係に生れ落ちたところが祖国である。

一度生れ落ちた赤ん坊は、最初のうちは両親の庇護のもとに暖かく育てられるが、その時既にもう両親は祖国の恩恵を受け、赤ん坊自身も祖国の庇護の下で成育するわけである。

乳飲み子を抱えた両親は、その存在そのものが既に祖国の庇護のもとに生かされているわけで、そういう庇護のもとで赤ん坊は生育し、その生育の過程でも、総て祖国の庇護のもとで育まれて大きくなるのである。

生まれた赤ん坊は成人に達するまで総て祖国、同胞、自分と生き様を同じくする国民の庇護のもとに置かれているのである。

そういう祖国が危機に瀕したときには、その国の国民としては当然、自分を育んでくれた祖国に忠誠を誓うことはこの世に生まれ出でた人間としては当然のことだと思う。

これはイデオロギーを超越して、この地球上の如何なる国家にも言えることだと思う。

自分を育んでくれた国家、祖国が如何なるイデオロギーを採用し、如何なる戦争を仕掛けたとしても、その国の国民としては国家に忠誠たらんとすることは美徳だと思う。

この地球上に数ある主権国家のなかにも、国家の施策が必ずしも全部が正しいとは言い切れないだろうが、正しかろうが正しくなかろうが、その国の国民としては現行政府に忠実たらんとするのが人としてのあるべき姿だと思う。

国家のとっている施策が正しいとか正しくないというのは神以外知ることはできないわけで、国家の施策にはその国の国民の生存、民族の生死が掛かっているわけで、それを人としての価値観、自らの思い込みによる価値観で、正しいとか正しくないという評価はあまりにも神を冒涜するものだと思う。

それは北朝鮮の人々のニュースを見れば明らかに歴然としているではないか。

今のイラクの状況というのは、国家そのものがないので、血で血を洗う抗争が繰り返されているわけで、アメリカは国家としてその抗争を止めさせようとしているのである。

イラクが安定した国家になれば当然引き上げるものと思う。

しかし、アメリカが国家の意志としてイラクの民主化に立ち入ろうとしている限り、アメリカ国民としては国家の方針に忠実たらんとするのは当然の事だと思う。

国連の決議があろうとなかろうと、アメリカという国家が、国家の意志としてイラクの復興に力を貸すことを決めた以上、アメリカ国民としては、それに従うことは国民の義務になっていると思う。

アメリカが国家としてイラクの復興に何処までかかわるか、という問題はアメリカの政治の問題であって、それと国家に対する忠誠の問題とは次元が違っている。

田原総一郎が、「命を賭してまで守らなければならないもの」という質問は、その次元の相違ということを無視した発想だと思う。

戦後60年の日本国民の国家に対する考え方というのは、国家は国民に対して福祉や、介護や、生活保障を無条件で上から下に授けあたえるべき存在だという感覚である。

人間が基本的人権を行使して生きていく条件を上から与えるべきものであって、それが出来ない国家には忠誠を誓う必要はないという感覚だと思う。

しかし、そういう国家というものは、下からの国民の血と汗の結晶の上にそういうシステムが構築されるわけであって、国民の側が、その血と汗を出すことを厭うているとすれば、福祉も介護も生活保障も成り立たないものと考える。

田原総一郎という現在の日本のオピニオン・リーダー的な人が、よその国の人からそういうことを聞きださなければ理解できない、という日本の現状は実に嘆かわしき現象だと思う。

最近、日本では靖国神社の問題とか教科書の問題に付いて討論をするとき、外国人をその場に入れているが、この二つの問題は極めて日本の内部の問題にもかかわらず、外国人、特に韓国や中国の人を議論の中に加えて、何故公平な日本の意見ということがいえるのであろうか。

韓国の人や中国の人に、日本の国内問題について嘴を入れさせておいて、まともな議論だと思うほうがよほどおかしいことではないか。

彼らは日本で生活の糧を得ながら、日本に貢献するよりも祖国に貢献しているわけで、彼らが日本のためを思って発言するわけがないではないか。

自分の祖国のために発言することが当然ではないのか。

それこそが愛国心で、彼らは日本に来て、日本で生活の糧を得ていても、心は祖国にあるわけで、日本のテレビ番組に出されたからといって、自分の祖国を悪くいう馬鹿はいない。

これこそ主権国家の国民として当然のことであり、それが理解できずに、彼らに日本の国内問題を語らせようという感覚こそ、問われるべき問題だと思う。

これは何も特異なことではなくて、地球的規模で見れば極々普通のことなわけで、日本人以外の民族では当たり前のことではないか。

外国人に「命を掛けてまで守るべきものは何でしょう」と質問する愚と同じで、こういう感覚こそ戦後60年の日本の集大成ではなかろうか。

迎合と変節

 

中国が小泉首相の靖国神社の参詣に文句を付ける、韓国が教科書の内容に付いてまで文句をつけたとき、その度ごとに我々の側ではメデイアが大騒ぎを演じている。

大騒ぎを演ずるのはマスコミであり、メデイアであるが、これらに踊らされて、我々の側では国論を二分する大騒ぎを演じているが、仮に中国や韓国がそういうことを言ってきたとしても、我々の側で騒がず、黙殺すれば、彼らとしては「これはカードとして使えない」ということがおのずと理解できると思う。

彼らにしてみれば、日本に対して一言文句をいうと、日本国中が蜂の巣を突付いたような大騒ぎとなり、中には中国や韓国に迎合する発言まで飛び出してくるので、日本国内でも我々と同じ考えの人間がいるではないか、と意を強くすることになる。

中国や韓国が何かを言ってきても、それをニュースとして客観的に報道するまではいいが、「中国がこう言った」、「韓国がこう言った」と、我々のほうで過剰反応するので、先方としては言った効果が如実に出たということになる。

そして、それは相手方の国民に対する、相手方の政府の功績、実績として、相手方に浸透していくわけである。

中国国民に対して、中国政府は、「日本に対して靖国神社に関し、日本の首相の参拝を叱りつけたら、日本は素直に中国政府のいうことを聞いて謝罪してきた、だから我々は日本よりも優位になった、次は何をカードとして使おう。日本は叩けば必ず引っ込む。我々は強いのだ」、ということを中国国民にPRできたことになる。

韓国についても全く同じ構図である。

主権国家の元首が、祖国のために命を落とした英霊に参詣することを他国がとやかくいうべきことではないし、もし言ったとすれば、それは国際信義を踏みにじるものである。

我々は、そういう国際信義を中国によって踏みにじられているにもかかわらず、それを日本国内から中国に迎合するような発言をするものが現れてくるということは、自分で自分の祖国につばを吐いているようなものである。

しかし、いくら自分の祖国につばを吐いたところで、それでもって刑罰を受けるわけではないので、人々は何ら意に介していないが、そういう人達が国家の庇護だけはむしりとろうと考えているからおぞましいのである。

朝日新聞のいう「国家のために命を落とす」ということはこの地球上には掃いて捨てるほどあるが、だからこそ、国家元首ともなれば、そういう人達に安らかに眠っていただくように率先して参詣するわけである。

ところが「国家のせいで生を絶たれた」という表現は、戦後の日本の民主主義の歪を如実に表していると思う。

これは、「国家のために命を落とす」ということを反対側から表現しているわけで、それは国家というものは、国民の生を未来永劫維持すべきものであるが、その時々の国家の都合で、それが絶たれたということを言い表していると思う。

つまり、もっと言葉を変えていえば、国家は国民を庇護する義務があるのに俺はその庇護を絶たれた、だから生を絶たれた、と言いたいわけである。

典型的な戦後の日本の民主主義の具現化表現だと思う。

国家は国民にあらゆる利便を与え、利益を与え、豊かな生活を保証すべきものだ、という発想が根底に潜んでいるわけで、それらの願望の達成は国民の下からの血と汗の結集がないことにはありえないということを忘れて、ただただもらえるべきものがもらえない、という欲求不満を如実に物語っているものと思う。

国家というのは手に取る形で具現化したものではない。

目に見える形で存在するものでもない。

統治する側が昔の王侯のように具体的に存在するわけでもない。

統治する側というのは常に入れ替わって、恒久的な姿をしているわけではない。

常に移動する統治する側の国家としての有態も、周囲の状況との関連の中で生きているわけで、その中には当然失敗の例も数限りなく存在するものと考える。

国家と言えども、自分ひとりが正しいと思ったことを唯我独占的に推し進めて見ても、それが周囲の理解が得られず、周辺諸国との関係で失政であったという例は数限りなくあるわけで、先の戦争もそういう目で見てみるべきだと思う。

先の戦争も、我々の先輩諸氏は負けるために戦ったわけではない。

そもそも戦いたくはなかったけれども、周囲の状況から戦わざるをえないように追い込まれたわけで、戦争は悪で悲惨だから戦わずにおきましょう、という選択をしたならば、我々は座して餓死を待つほかなかったことを知るべきだと思う。

戦後の日本の進歩的知識人は、この部分をスポイルして、「もうあんな悲惨な戦争は二度としないでおきましょう」といっているが、もし我々の先輩諸氏があの戦争に踏み込まなければ、今我々は生きているかどうか定かには判らないということを知っておくべきだと思う。

それこそ国家に生を絶たれかねない状況、座して死を待つ状況が目の前に迫っていたではないか。

昭和16年、1941年の12月の状況下で、我々が開戦に踏み切らなければ、我々は座して死を待つほかなかったわけで、それこそ国家に生を絶たれる状況になっていたのである。

こういう状況に置かれたとき、我々の国家、大日本帝国のとった行為を正義・不正義、正邪だとか、良し悪しという価値判断で決め付けられるでしょうか。

我々は今飽食の世の中に生きているので、60年前のことを様々な角度から検証して、過去において我々の先輩諸氏がとった行為に対して、贖罪の気持ちがふつふつと湧き上がって、あっちにもこっちにも謝罪してまわっているが、これはある意味で大きな驕りでもある。

我々は戦後60年にして、世界的に極めて豊かな恵まれた世の中に生きているので、「金持ち喧嘩せず」という鷹揚とした、おおらかな気持ちになっており、自分達のしてきたことに対して、贖罪の目で見るゆとりを持ち、平和ボケが嵩じて、隣国から過去のことを突付かれると、それに敏感に反応しているわけである。

今の日本の高名な評論家やオピニオン・リーダーと称されているような人でも、子供のころ、つまり60年前は立派な軍国少年であった、と笑い話として語っているが、そこにこそ戦後60年の大矛盾がこめられているのではなかろうか。

終戦のとき15、6歳の子供であった人達は、今は75、6なわけで、子供のころに軍国少年であったということは、当時の社会的な風潮に無意識のうちに完全に迎合していたということに他ならない。

まだ自己を見つめてじっくり物事を考えるには少々早い時期の子供達が、軍国少年として軍人にあこがれていたということは、当時の社会的な風潮に身も心も感化していたということを指し示していると思う。

それが70を越した今は反戦平和主義になっているということは、やはり子供のころに無意識に世間の風潮に感化されていたのと同様に、今の世の中の風潮に自ら迎合しているということでもある。

世の風潮に迎合するということは非常に生きやすい生き方だと思う。

戦後の高度経済成長の時は猫も杓子も民間企業にあこがれ、工学部を卒業したものまでが証券会社や銀行に競い合って集まり、景気が下降すると、収入の安定した公務員に大学生が集中するのと同じで、時の風潮に迎合するということは、その時代の一番の花形職業に人々の人気が集中するということである。

ならば何故に昭和の初期の時代に、軍人にこれほどの人気が集中したのかと言えば、軍人になることが一番立身出世の早道であったということ同時に、世間の羨望の眼差しが一番強かったということである。

そして戦後、民間企業に流れ込んだ秀才達は、今リストラの嵐に見舞われ、公務員になだれ込んだ秀才達は、今談合や天下りの問題で世間から叩かれているのと同様に、昭和の初期に軍人になった人たちも、敗戦を機に極悪人に転落してしまったのである。

問題は60年前に軍国少年であった人達が、彼らよりも数年年上の人たちで、同じ様に軍国少年であって、実際に軍務に服した人たちを、さも極悪人のように糾弾し、「彼らが他国を侵略した」と糾弾する変わり身の変節である。

 

大儀とメデイア

 

あの戦争で、我々の同胞は320万の命を失ったと言われているが、この中には、失わなくてもいい命が幾ばくかあったということを掘り下げて考えなければならないと思う。

たとえばサイパン島が陥落した時のバンザイ・クリフの悲劇、沖縄戦での邦人の集団自決、オーストラリアのカウラ捕虜収容所の悲劇、これらは本来失わなくてもいい命であったはずである。

これを失わしめたのは他ならぬ我々の同胞であったことを、我々は深く深く考えなければならないと思う。

この場合、よく引き合いに出されるのが、東条英機が出したとされる戦陣訓で、「生きて俘囚の辱めを受けず」というのがあったから民間人までが俘虜に成ることよりも死を選択したと言われているが、此処を我々はよくよく考えなければならないと思う。

いくら戦陣訓があったとしても、それを何処まで信ずるかどうか、ということは自分の頭で考えなければならないわけで、「あいつがやるから俺もやる」では、全く言葉では言い表せないほどの愚昧な行為といわなければならない。

この心理が、平和時においては工学部の人間が銀行や証券会社に雪崩をうって入社したり、公務員に雲霞のように集まる現象と同じではないのか。

あの戦争中においては、自分の命を率先して捨てること、いわば死の選択を率先してすることが時流に迎合することであったものと考える。

そして、それを美談として吹聴し捲くったマス・メデイアがあったことも忘れてはならないと思う。

自らの命を率先して国家に捧げることを美談として、メデイアが軍国美談というものを捏造し、吹聴し、戦意高揚として吹聴し捲くったことも合わせて考えなければならないと思う。

戦陣訓という軍人に対する一つの指針を、さも日本国民全体の大儀かのように鼓舞宣伝したのもメデイアの責任であったことを忘れてはならないと思う。

カウラ捕虜収容所では千人近い日本の捕虜が集められていたが、その中ではわざわざ成功の見込みのない脱走を計画して、わざわざ死を選択することが投票で決められたと言われている。

それは死ぬための脱走計画であって、脱走して生き残るための計画ではなかったようである。

こんな馬鹿なことがあっていいものだろうか。

捕虜として生きたまま本国に送還されると恥ずかしいから、わざわざ敵兵の銃弾に当たって死ねるように、そういう死の選択を鳩首会談して、参加するかどうかをマルペケで決めたというのだから話にもならない愚昧なことだと思う。

その根底には戦陣訓があって、「捕虜の汚名を着せられて生きていることが偲び難い」ということで、死を選択して、集団自決をしようとしていたわけで、これを今我々はどういうふうに考えたらいいのであろう。

沖縄戦で、敗北が目の前に迫っているときに、軍に籍を置く司令官が、何故民間人や学生達には降伏を勧めなかったのであろう。

これこそ本当の意味での戦争犯罪ではないのか。

あの戦争の同胞の犠牲者は320万人といわれているが、その中で実際に敵の銃弾で倒れた人は果たして何人いるのであろう。

数は定かではないが、あの320万人の中には同胞の無慈悲というか、無理解というか、理不尽というか、不合理というか、とにかく同胞の不手際で命を落とした人も相当いるのではなかろうか。

サイパンの玉砕などは、敵の銃弾の犠牲というよりも、同胞の無理解がなさしめた集団自殺に近いものではなかろうか。

カウラ捕虜収容所の脱走事件も、そういう類に近いものだと思う。

沖縄の戦線でも同じ様なことが繰り返されたわけで、こういう場面では、敵の銃弾で命を落とした人よりも、同胞の無慈悲な扱い、無理解の結果としての犠牲者のほうが多かったのではなかろうか。

こういう場面を見たとき、戦時中に東条英機が軍人向けに出した指針としての戦陣訓であったとしても、自分が死か生かの切羽詰った状況に追い込まれ、逃げ場がないと悟ったときにまで、いくら時の首相の言葉であったとしても、それに従順たらんと思うものであろうか。

生か死の瀬戸際に立たされたならば、この時点で、もう恥も外聞もかなぐり捨てて、生に執着するということがなかったのだろうかと考える。

私はこういう状況に立たされたならば、もう戦陣訓を思い出すというような冷静さは吹き飛んでいると思う。

ただ隣にいる日本人、それが戦友であろうが、学友であろうが、民間人であろうが、その隣にいる人が、自分の死に様をどう思うだろうか、ということが人々の脳裏の中を起居していたのではないかと考える。

穴倉の中で、短い時間とはいえ、苦楽を共にしてきたもの同士が、最後の最後になって、相手が自分をどう思っているか、ということが死ぬまで頭の中にあったと思う。

そういう状況下であってみれば、自分はどれだけ生き残りたいと思っていても、死を前提として苦楽を共にしてきた仲間を置いて、白旗を持って、さっさとその穴倉から出ることは出来なかったに違いない。

この時、彼らを指揮するものが「諸君は民間人だからこの場から退出せよ」といえば、彼らは晴れて白旗を持って出られるが、その命令がない限りやはり出れないものと考える。

しかし、そういう命令があったとしても、「ならば!」といって、さっさと持ち場を離れる人は恐らく一人もいなかったろうと想像する。

だからこそ集団自決ということに行き着いたものと思う。

戦後60年経過した今、インターネットで同志を募って死んでいく、自殺する若者がいることを思えば、あの当時の人々が戦陣訓や「天皇のため」という虚言で、自らの命を捨てる人の存在も理解し得ないことはないが、それにしても、こういう状況にまで追い込まれたということは、国家として敵と戦う前にもう負けているということではなかろうか。

ルース・ベネジェクト女史が指摘しているように、我々はやはり恥の文化を潜在意識として内在しているようで、辛くも戦陣訓の「生きた俘囚の辱めを受けず」というのは「恥の文化」の見事な具現化であったわけである。

ところがそれをバック・ボーンとして、人々に強要した同胞がいたのではないかと思う。

それは当時のメデイアだと思う。

よく引き合いに出されることに、船が沈没するとき、船長は全員を完全に避難させてから最後に脱出するか、それとも、船と一緒に運命を共にするか、という選択を迫られる。

それと同じで、サイパンでも、沖縄でも、カウラ捕虜収容所でも、その状況というのは沈みかけた船と同じと考えていいと思う。

船から逃げ出せば生きれる可能性は多少はあったにもかかわらず、乗組員は全員、船と運命を共にしてしまったのである。

この時、船長であるべき軍人の誰かが、民間人には白旗を持たせて送り出してやれば、玉砕などということはありえなかったと思う。

又、戦闘に関係ない人達も、自ら生への執着を具体的な行動で示し、白旗を持って出て行けば、集団自殺に近い状況から免れたのではないかと思う。

此処でいう、「恥の文化」というのが、「あいつがやれば俺もやる」という主体性のない行動に現れているのではなかろうか。

「あいつが死ぬと言っているのに、俺だけ生きるということは申し訳ない」という心境ではなかったかと思う。

こういう言葉は、あの戦争で生き残った人、今の70代80代の、戦争体験者の口からはよく聞かれる言葉で、「戦友が死んだのに俺が生き残ったことは、死んだ戦友に申し訳ない」という言葉として聞かれる。

それこそ贖罪の気持ちのこもった言葉である。

こういう気持ちを内に秘めていたからこそ、死ななくてもいい集団自殺という行為に走ったのではないかと思う。

戦陣訓のいう「生きて俘囚の辱めを受けず」というのは軍人に対して戦う時の心構えを説いたものであって、無意味な死を選択せよという意味ではないと思う。

軍人の指揮官たるものが、その意味を理解していないことはない筈であるが、知っていて尚そういう行動に出たということは、そのことが「時の大儀」であったからだと思う。

この「時の大儀」というのがなかなかの曲者で、メデアイが流しつづけた軍国美談というのは、「国のために死ぬ」ことを必要以上に美化しているわけで、自分の子供が戦闘で死ぬと「軍国の母」などといって、おだて上げて、そうすることが国民の大儀だと教え込んだわけである。

それはメデイアが行なったことである。

メデイアが「時の大儀」というバーチャルなものを作り上げて、その大儀に反する行為が、いわゆる「恥の文化」を形成しているのである。

戦陣訓を至上の物と祭り上げたのはメデイアであって、そのメデイアの作り上げた大儀に反する行為は恥ずかしい行為だと認識せしめたのも他ならぬメデイアであった。

 

真の戦争犯罪

 

大儀というものは、メデイアによって作られた架空のものであったが故に、時代が変わると、時の変化と共に常に変わるわけで、人々は常にメデイアの作り上げた大儀というものを意識の底に置きながら生きているわけである。

この大儀というのはバーチャルなるが故に、時の移り変わりと共にその本質は変化してしまうわけで、ある意味でその時々の価値観によって右にいったり左にいったりと、さ迷い続けているということだ。

東条英機の戦陣訓もメデイアによって大儀と擦りかえられてしまっていたので、それの言うことから逸脱することは恥ずかしい行為だと映っていたに違いない。

一旦、大儀となるとそれは正当性を持つようになってしまい、それを批判するには相当のエネルギーを要することになってしまう。

というのは、一旦出来上がった大儀は、メデイアに後押しをされているので、それを批判するということは、再び正反対のベクトルを持ったエネルギーで、メデイアを味方の側に引き付けなければならず、それには相当なエネルギーが必要ということになってしまう。

メデイアというのは非常に権力に弱いわけで、その意味からして軍人が威圧的にメデアイを脅せば素直に従ってしまい、東条英機の戦陣訓も、そういうメデアイによって当時の軍国主義者の中に浸透していったものと考えることができる。

戦陣訓の言っていることを文字とおり、100%文字通り、字義通りストレートに解釈するということは、いくら当時の教育が軍国主義的であったにしても、あまりにも教条的な思考ではなかろうか。

人間としての知恵とか知識というものが全く見えてこないではないか。

私は個人的には太平洋戦争、日本流の言い方をすれば、大東亜戦争は自存自衛の戦争であったと思っており、村山富一や小泉首相が述べた、「侵略戦争でアジア諸国に迷惑を掛けた」という見解には組しないものであるが、同胞が同胞を死に追いやったという事実に対しては、非常な怒りを覚える。

これこそ裁かれるべき戦争犯罪だと思う。

戦勝国に裁かせるのではなく、同胞からの内なるエネルギーで、同胞を死に追いやった同胞を裁くべきだと思っている。

極東国際軍事法廷、いわゆる東京裁判というのは、明らかに勝者の勝者による懲罰の意味のこもった裁判であったが、これはこれで致し方ない。

戦勝国だとて、多大な犠牲を払って勝利を得たのであるから、その実績を自国民に見せる必要があったことは当然のことで、敗者の誰かを血祭りに上げないことには、それが出来なかったはずである。

しかし、それは勝った方が、相手の論理で展開したわけで、我々の同胞の怒りとは相容れないものがあったとしてもそれは致し方ない。

我々は、同胞を無意味に死に追いやった、追い詰めた指導者としての同胞を、我々の論理で裁く必要があったのではないかと思う。

けれども、このとき問題となってくることが、我々は農耕民族なるが故に、ムラ意識と決然と決別して、ムラの倫理をきれいさっぱり払拭することができず、悪人を「あいつが悪人だ!」と、目に見える形で糾弾できない精神的ジレンマを抱えていることである。

例えば、沖縄戦で洞窟に潜んでいる同胞に自決を強いたとしても、それは戦争遂行の一環であったわけで、今日のインターネットで自殺志願者を募って行なう集団自殺とはわけが違う。

自決を強いたことに対して、何処までが悪で、何処までなら許される、という基準も存在していないわけで、基準が定まっていない以上、犯罪という認定が極めて難しい問題だと思う。

これはアメリカ軍だとて同じだと思う。

司令官が「進め!」と命令して、部下が全員が戦死したとしても、それをもって司令官個人の殺人、犯罪として責任を問うわけにはいかないと思う。

作戦の上手下手という評価は成り立つにしても、司令官が人殺しをした、部下を殺したという言い方はなりたたないと思う。

戦争というのは如何なる主権国家にとっても究極の政治的混乱のときだと思う。

この時には外なる敵と戦うのと同じ様に、内なる敵とも同時に戦わねばならないと思う。

如何なる主権国家でも一旦戦争ともなれば、国民の側には必ず目ざとい人間が現出してくると思う。

これは我々の同胞ばかりではないと思う。

あらゆる民族のあらゆる主権国家に共通しているものと考える。

ということは生きとし生ける人間の基本的な生存願望だと思う。

如何なる国家でも、一旦戦争ともなれば国内は大混乱に陥るわけで、その混乱の中で、その混乱を利用して、自分だけは損をしないように、自分だけは利を得ようと、自分だけは何とかして儲けようと、画策する人間が必ず出て来るものと思う。

そういう人達をひっくるめて戦争成金というが、この戦争成金ともう一つ別の種類の悪人が我々の同胞の中にはいたように思う。

それは軍人という特権を利用して、自己の保全を図った人達のことである。

例えば、終戦が迫ってソビエットが満州に雪崩を打って入ってきたとき、関東軍の軍人達が、開拓農民をほっぽりだして真っ先に逃げたことを我々は今どう解釈したらいいのであろう。

やはり、サハリンで電話交換手たちを置き去りして先に引き上げた軍人達を我々は今どう解釈したらいいのであろう。

こんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。

これは60年前、我々の同胞が同胞にした行為であったわけで、この現実を見れば、我々は敵を怨むより、同胞を怨まねばならないことになってしまうではないか。

8月14日、天皇陛下がポツダム宣言を受諾すると言っているのに、尚、徹底抗戦を唱えて反乱を起こした同胞を我々は今どう解釈したらいいのであろう。

これらは連合国が報復の対象として血祭りに上げたA級戦犯とは異質の日本人で、いわゆる戦争指導者ではなく、一般国民に極めて近い位置にいながら、同胞を裏切って我が身の保全に奔走した人達である。

こういう同胞のことを60年経った今我々はどう考えたらいいのであろう。

こういう同胞に対する恨みつらみを奇麗に水に流すというのも、我々の日本民族としてのムラ意識なのかもしれない。

開拓農民をほっぽり出して逃げても、電話交換手を置き去りにして逃げても、それが行政の措置ということであれば、誰にも責任がないわけで、そのことが沖縄戦の民間人の自決にも、サイパンの玉砕にもそのまま通じているのではなかろうか。

戦後60年にして靖国神社の参詣や、歴史認識という言葉はマスコミを賑わしているが、我々は他国への迷惑をいうよりも先に、同胞への無慈悲な仕打ちを根底から洗い直す必要があるのではなかろうか。

戦争犯罪ということになると、話が全部A級戦犯にいってしまうが、本当の意味での戦争犯罪というものは未だに解決されていないと思う。

連合軍は勝った勢いて、負けた我々の側で戦争を指導したと彼らが勝手に思い込んだ人を裁判に掛け、処断してしまったので、それを良い事にして、自ら犯した汚い部分に頬被りしたのではなかろうか。

こうして汚い手段で生き延びた人も、戦後もしばらくは生きていたはずだが、それも同じ同胞だからというわけで、その罪を暴くことを躊躇してしまったのではなかろうか。

戦争中だから敵の銃弾で倒れることは致し方なく、その時は「靖国神社で会おう」という言葉は真実味を帯びている。

しかし、同胞に裏切られて死んだ人は全く浮かばれないではないか。

歴史の必然性

 

旧の日本の軍隊がシビリアン・コントールでなかったことはまことに残念なことであるが、しかし形の上では極めてシビリアン・コントロールに近いものであったにもかかわらず、軍がシビリアン、つまり政府のいうことを聞かずに独断専横してしまったことを考えると、我々はその責任を何処に求めたらいいのであろう。

仮にシビリアン・コントールであったとしても、軍がシビリアンのいうことを無視して、どんどん実力行使をしたとすれば、なんびともこれを止めることは出来ない。

戦後、東条英機はあの戦争に関連して諸悪の根源のように見られ、言われ、糾弾され、罵倒され、最終的には戦勝国によって裁かれ、刑場の露と消えたが、日本軍の独断専横というのは彼をもってしても止められなかったのである。

関東軍が中国大陸で、独断専横的に走ったことによって、世界中から糾弾されたことが今次の世界大戦の直接的原因であったが、それは東条英機が首相になった時点では既に時期的に遅かったのである。

当時の関東軍が、中国大陸で好き勝手なことをしていたので、日本政府としては、それを極力止めさせるように努力したが、軍が政府の言うことを聞かなかったので、世界から非難され、結果的に我々は経済封鎖を受け、地球規模で孤児となってしまったのである。

この関東軍の跳ね上がりを、政府、いわゆるシビリアンたちが一生懸命止めようとした結果として、元関東軍に籍を置いたことのある東条英機ならば関東軍を抑えることができるだろうというわけで、彼が首相に選ばれたのである。

しかし、時既に遅しというわけで、東条英機が総理大臣に就任した時点では、もう歴史を逆に回すことができず、日本は奈落の底に転がり落ちてしまったのである。

このことを戦後の我々はどのように解釈したらいいのであろう。

今、左翼的な発言をしている進歩的知識人たちも、幼少のころ、即ち昭和の初期に学童の年頃であった人達は、「子供のころは私も軍国少年であった」と懐かしそうに述懐し、懐古している。

その事実は、昭和の初期の日本人は、こういう独断専横している軍部というもの全国民が容認していたと考えなければならない。

軍の行動を諌めようとした政府を軟弱だと称して糾弾していたのである。

我々は60年前を振り返るとき、敗戦を基準にして物を考えがちであるが、戦が負けでなければ我々はもっともっと軍の行動というもの容認し、鼓舞し、戦意高揚に明け暮れ、イケイケドンドンであったに違いない。

軍の突出を防げなかった最大の原因は、明治憲法にあったと思うが、軍が政府のいうことを聞かずに突進してしまえば、如何なる民主国家でも国家の安泰というのはありえないと思う。

だから旧ソビエット連邦でも、今の中華人民共和国でも、共産党が軍を傘下に収め、党が軍を掌握しているわけで、軍を強力に押さえ込むことが国家の機軸になっているものと考える。

昭和の初期の日本が、明治憲法に拘束されていたので、あの大戦に踏み込まざるをえなかったのであれば、それはある種の歴史の必然であったわけで、あの大戦で我々が敗北することによって、始めて我々の持っていた明治憲法というものが改訂され、新しく生まれ変わったものと考える。

国家の行動が、その国の憲法に基づいているとするならば、我々は憲法というものを常に監視し、見直し、現状とマッチしているかどうかフォローしなければならないと思う。

今の現行憲法が、アメリカの押し付けであろうとなかろうと、60年間も全く手をつけることを忌避するということは、あってはならないことではなかろうか。

60年前の日本は、東京のみならず日本全国、都市という都市は廃墟と化して、我々は住むに家なく、食うに米なく、働こうにも職なく、町には浮浪者や復員軍人、傷痍軍人があふれていたわけで、そういう状況下で出来た憲法が、今日の飽食の日本の現状とマッチしているわけがないではないか。

明治憲法は明治22年1889年に公布されているが、それが昭和の初期まで生きていたわけで、この間約半世紀である。

この間の日本の世の中の変化というのも、戦後の60年の変化と匹敵するような大きな変革があったものと考える。

世の中が大きく変化していたにもかかわらず、明治22年に出来た憲法を金科玉条として維持し続けてきたことが今次の大戦の背景にはあるものと思う。

それは同時に、我々の国の中だけの変化に注視していても駄目なわけで、日本を取り巻く周囲の状況というものも視野に入れて、我々の憲法の存在ということを考えなければならないと思う。

高等教育の疑問

 

此処で少し視点を変えて、我々の日本民族の本質というものを考えてみることにする。

明治維新で文明開化を目指し、富国強兵を国是としてきた日本は、それらの総ての基底には教育が必要だと確信していたものと推察する。

だから教育制度を充実させて、熱心に教育に力を入れた。

初等教育は日本全国津々浦々に普及させ、高等教育には高い給料を支払って外国人講師を招聘し、知識の底上げに努力をし、教育のレベルアップを図った。

新興日本国は、しばらくの間は依然として社会は旧体制のままで、旧秩序が支配していたが、その中で新しい教育を受けた世代は、新しい地位を得、新しい仕事を次から次へと開拓していった。

これを国民の側の視点から見ると、高等教育を受けると立身出世が意図も安易に出来ると映ったのである。

無理もない話で、新しい企画をすれば、それは前例がないことなので、誰でもが先駆者になるわけだから、それが実現すれば、個人としては立身出世ということになるわけである。

丁度その時期は身分制度、階級制度が否定されて、四民平等になった時期でもあり、幼少のころ神童と称せられるような人は、競って高等教育の門に駆け込んだのである。

ところが、この高等教育の場が少ない時は本当の秀才が集合したが、この高等教育の場が時代と共に数が増えてくると、ある意味の知識の安売りバーゲン・セールの状況になってくるのは必然的な歴史の流れだと思う。

高等教育の場から高等という冠が取れてしまって、ただの就職予備校になってしまったわけである。

問題は、この高等教育の高等という部分である。

ぶっちゃけていうと、高等教育と人間性の高潔さ、気高さ、律儀さ、清純さというものは全く無関係だということである。

明治のころは高等教育を受けた人が、その結果として偉業をなしたが、その内に私利私欲の実現のために高等教育に群がるという現象が起きてきた。

昔は、偉業をなしたから立身出世というものが後からついてきたが、それが時代を経るにしたがい、立身出世をするために高等教育を身につけようという思考に変わってきた。

これはある意味で精神の堕落だと思う。

高等教育の場で精神の堕落が頻繁に起きるようになったので、高等教育を受けたからといってその人の心も気高いということがなくなってしまった。

そして高等教育というものは、個人の精神の気高さを向上するのには非常に微力で、教育というものは人間性の向上には何一つ寄与しうるものではない。

日本の組織では、組織の中のあらゆる階層で、その能力に合った職務遂行に必要な教育が施されていると思うが、そういう教育は最初から人間性の向上ということをスポイルしており、ただテクニックを教えているだけだと思う。

そして学問追及の場としての大学は完全に就職予備校に徹している。

就職のための予備校だから、人間として最低限守らなければならない倫理とか道徳の教育は最初から欠落しているわけで、ただただ世渡りのテクニックのみを教えているに過ぎない。

大学まで来るような人には、そういう基本的なことを教える必要はない、という言い分は確かに一理あると思うが、ここの詰めが甘いから、社会的に地位の高い人が犯罪を犯しているではないか。

クレーム隠しとか、談合とか、贈収賄とか、粉飾決算とか、票の取り纏めとか、公金横領とか、こういう経済事犯というのは、無学文盲の人の犯す人殺しとか窃盗などという犯罪とは次元が違っているわけで、高等教育を受けた人でなければありえない犯罪である。

高等教育を受けた人が警察の世話になるとなれば、その高等教育とは、一体なんであったのかといわなければならない。

それと同時に、学問の府である大学で、研究をすればするほど自分の政府に批判的になるという現象も再考しなければならないと思う。

国家がその施策を誤るということは、どこの主権国家でもありうることで、その施策が誤りかそうでないかは、結果が出てからでないと判然としない筈である。

しかし、戦後の大学の先生というのは、国家がしようとすることには何でもかんでも反対のポーズを取っているような気がしてならない。

戦前の大学の先生というのは、これとは反対に国家のしょうとすることに須らく迎合していたわけで、大学の先生方が、戦前は国家の提灯持ちであり続け、戦後は全く立場が逆で、外国に迎合し、祖国の国益を削ぐような思考を展開するということは一体なんなんでしょう。

高等教育の場では、人間の生存に不可欠な倫理とか、道徳とか、愛国心とか、同胞を愛するとか、福祉への貢献とか、弱者に手を差し延べるという、人間としての基本的な愛に対する教育を施していないのでしょうか。

既にそういうものを供えた人間がくるところだ、というのは大間違いだと思う。

初等教育の場で、日教組の先生からそういうことを教わってくるはずがないではないか。

初等教育の場で、共産主義者に占拠された日教組が、全く白紙のような児童に、親に孝行、目上の人を敬え、弱いものには援助を、公共の福祉は率先して行なう、秩序を守れ、規則に従え、という人間としての基本的倫理を教えるわけがないではないか。

こういう教育の元で成人に達した大人が、大学に入ってきているわけで、だからこそ大学というところが人間形成にもっともっと真剣に取り組まなければならないと思う。

大学という高等教育の場の先生達が、自分の政府をフォローするのではなく、外国の国益の進展に迎合するということは一体どういうことなのであろう。

戦前と戦後では、大学の先生方の態度・思考・ものの考え方が180度逆向きになっているということは一体どういうことなのであろう。

これを私の偏向した知識で考えてみると、大学の先生といえども、時代の潮流に翻弄されて生きていうるということではないかと考える。

世の中の流れが右を向いている時はその方向に向き、左に流れている時はそちらに視線が向くわけで、これでは真理の追及をしていることには全くならないが、大学の先生というのも、生きんがために真理を追究している振りをして、つまり時流に迎合して糊塗を凌いでいると解釈するほかない。

高等教育というものが、出世の登竜門として存在していたときは、その登竜門を目指す人々の数が非常に少なかった。

いわゆる生活にゆとりのある富裕階級しか高等教育を受けるチャンスが最初から存在していなかったのである。

ところが日本は、ある日(明治維新)から突然、富国強兵の近道として、高等教育の普及に努めなければならないと悟ったので、そのために高等教育の場を増やし、そのことが逆に本当の教育の真価というべき学問の値打ちを下落させてしまったのである。

明治以降の日本の近代化の過程で、高等教育を受けたものは官吏として若くして要職につき、そういう現実を見た大衆は、高等教育を受ければああいう立身出世は確実に得られると思い違いをしてしまった。

そして戦後になってみると、教育は高ければ高いほど「善」だという誤った認識にはまり込んでしまって、名ばかりの大学というものが乱立してきた。

昔の大学が就職予備校だとすると、現在の大学は就業前のフリータイム化、つまり小学校入学前の幼稚園児化と成り下がって、学業よりも青春を謳歌する場と変わってしまった。

それを戦後の民主化の風潮として、「教育の民主化」と称して、誰でも彼でも高等教育の場を与えるべきだ、という誤った平等化を謳いあげ、それを「良いこと」だと思い違いしてくるものまで現れてきた。

人間として教育とか教養は、無いよりは有ったほうがいいことは論を待たないが、教育もただではないわけで、その費用の負担のことも考えずに、誰でも彼でも「高等教育を受けるチャンスは平等にすべきだ」という言われなき平等主義におかされてしまった。

高等教育が広範に普及して、一般国民の知的レベルが高値安定して、社会が平穏になれば、高等教育を普及させる意味もそれなりに認めざるをえないが、現実には高等教育を受けた人が臆面もなく悪事を働いているではないか。

なまじ、教育が有り、知識があるので、その悪事もそれだけ巧妙になっているわけで、これでは高等教育を普及させた意味が根底から崩れてしまっているではないか。

 

メデイアの責任

 

人間の集団というものは、好むと好まざると本質的に身の安全ということを考えるもので、その具体的な行為としては、時流に則して生きるという感覚を必然的に備えていると思う。

「流れに掉さして生きる」ということは、非常なエネルギーを要することで、人はわざわざそんな苦労を買ってまで時流に逆らうことを避けて生きると思う。

だから昭和の初期の日本人は、その時の時流であった軍国主義というものに丸ごと迎合したし、戦後はそのベクトルが全く逆向きになったので、その時流としての平和主義、反政府主義、反体制主義というものに人々は群れているものと考える。

そして、その時代その時代にける時流というものにも、その時流が生まれてくるには、それぞれの理由と因果関係があるわけで、その結果としてある時流というものが生まれ、それが全国民の合意として認識されるものと考える。

国家乃至は社会というものが、ある時流に翻弄されているといっても、その中にはそれに納得できず反対勢力、つまり「時の流れに掉さして」生きようとする人が出て来ることも、人間の集団である限り裂けられないわけで、それを何処まで許すかが民主化の度合いだと思う。

こう考えてみると、戦前の日本は極めて民主化の度合いが低く、同じ中味の日本人でありながら、戦後の日本では民主化の度合いが極めて高くなり、自由度が大きくなったといわなければならない。

この民主化の度合いを左右するのはメデイアの力だと思う。

メデイアの良識だと思う。メデイアの見識だと思う。メデイアの知性だと思う。

しかし、国家の民主化の度合いを測るのがメデイアの存在だとすると、メデイアを味方に付けたほうが有利になるが、そもそも民主化の進んだ国家では、メデイアを味方につけるつけないという論理はなりたたないと思う。

なんとなれば、メデイアもその国家の構成員の一部分なわけで、国家の構成員でありながら、自分の祖国に弓を引くということはありえないと考えるからである。

こういう視点から今の日本を見てみると、どうなるのでしょう。

今の日本のメデイアというのは、自分たちの祖国に貢献するよりも、外国の利益に貢献しているのではなかろうか。

それに引き換え、戦前の日本のメデイアというのは、体制べったりで、完全に軍部にその首根っこを押さえられて、自主的報道というものを遺棄していたではないか。

此処で問題となってくることが、再び教育の効果というものである。

特に、高等教育の効果というものがどのように具体的に現れているか、ということを考えなければならないと思う。

戦前でも戦後でも、メデイアを通じて情報を発信しようとする人達が、学校教育をまともに受けていない人達でありえたであろうか。

大学に行っていない人が、メデイアの中枢に居りえたであろうか。

立派な大学を出て、立派なメデイアに職を得た人達が、ある時は政府に迎合し、時代が変われば、政府の反対側に身を置いて、反政府運動に身をやつすということが、高等教育の結果だとしたら、高等教育というものは一体なんなのかということになってしまうではないか。

国家の構成員である国民の願望を集約したものが時流だとすれば、その時流を「善」だとか「悪」だとか、「正しい」とか「正しくない」という評価はなりたたないと思う。

それは、その時代に生きた国民の願望を表現しているわけで、あくまでも絵に書いた餅に過ぎず、誰でも彼でもそれを手中に出来るとは限らないものである。

しかし、その時代においては、それを目指して人々が一斉に走り出し、それを手中にしようと努力する目標ではあった。

とはいうものの、高等教育を受けた人達までが、その時流に乗って、国民乃至は一般大衆と一緒に走り出してしまっては、高等教育を受けた意味がないではないか。

国家乃至は社会というものは、人間の集合で出来ている以上、意見の相違とか、考え方の相違というのは免れない。

又、国家の施策というのも失敗するつもりで計画されるわけではないが、結果として失敗になることも往々にしてあるわけで、そういう意味からしても、国家がしようとしていることに対して、反対というのも理性では理解できる。

けれども、国家の施策が失敗するかどうかはやってみないことにはわからないわけで、それを計画の段階から反対では、統治する側としては、何らかの形で押さえつけようとするもの必然的な流れだと思う。

ここで高等教育を受けた人の出番がまわってくるのでなければ高等教育の意味がないではないか。

そして、それをフォローすべき立場としてメデイアの存在があると思う。

民主化の度合いが進めば進むほど、それはポピリズムに近づくわけで、そのことは限りなく衆愚政治に近づくということでもある。

だからといって、此処で統治する側が強力なリーダーシップを発揮すると、今度は、それが独裁政治として糾弾されるということになってしまう。

このバランスを考えることが高等教育を受けた人の勤めでもあり、それをフォローするのが健全なメデイアでなければならないと思う。

統治する側がある施策をしようとして、色々な案の中からもっとも成功しそうな案を選択したとしても、それが確実に成功するという確率は不確かなわけで、それを国民に説くのが高等教育を受けた人の使命で、その過程をつぶさに国民に知らせるのが健全なメデイアの役目だと思う。

ところが、戦後の日本では、高等教育を受けた人々というのが最初から偏向しているし、メデイアも公正中立と言いながら偏向したスタンスを採るので、日本は自己の存在を見失ってしまうのである。

中国から首相の靖国神社参詣を突付かれ、韓国から教科書の問題で突付かれると、日本の高等教育を受けた人々、日本のメデイアは、中国や韓国の利便を優先して、これらの国の国益に貢献し、自分の祖国につばを吐いているではないか。

それでも日本は経済的な面ではアメリカの次の経済大国なわけで、自分の国にいくらつばを吐きかけようとも、日本国民は飽食の中で生きておれるのである。

これが何時まで続くかは判らないが、そうなればなったで、日本の政府が政策に失敗したのだから、政府が何とかしてくれるだろう、何とかすべきだ、と極めて無責任な態度で傍観者を決め込んでしまうのであろう。

 

歴史の光と影

 

我々日本人は島国の住人で、四方八方を海で囲まれて、その海の向こうには日本を野蛮人と見なしている民族に囲まれているが故に、近代化に目覚めた以降は常に世界連邦の実現というものを望んできた。

つまり、主権国家の境界線として国境のない地球というものを渇望してきた。

先の大戦も、そういう隠れた目標が潜んでおり、一気に世界連邦を実現するにはあまりにも時期尚早ということで、まず最初はアジアのみが団結して、大きなブロックを形成しようという意気込みであった。

しかし、このアイデアは、当時のアジアの諸国には受け入れられなかった。それは無理もない。

というのは、当時のアジアでは、日本を除いて、民族の自立、自決、独立という概念さえなかったのだから、そういう状況下で、「アジア人だけで大同団結しよう」と説いても、その概念そのものが受け入れられないのもむべなるかなである。

昭和初期の我々の発想では、アジアが大同団結するためには、まず西洋列強のくびきから脱出しなければならないと考えていたわけで、そのためにはまず最初に、アジアを西洋列強の植民地支配から開放しなければならないと考えたわけである。

つまり、アジアから西洋列強の存在というものを排除しなければならないと考えた。

我々の側の先の戦争の大儀は、あくまでもアジアの開放であったが、それが失敗し。負けてしまった以上、我々がいくら言い訳をしたところで、それは通用するものではない。

勝った側が「侵略」といえば、負けた側がいくら「アジアの解放」であった、と言ってみても相手は聞く耳を持たないわけである。

アジアの解放を目指す過程で、一番の困難は中国の統一であった。

そんなことは中国の問題だというのは後知恵で、昭和の初期という時代に、中国は主権国家としての体をなしていなかったということを知らなければならないと思う。

有史以来、中国という大地では、近代的な意味でいうところの主権国家というものがあったためしがないわけで、清だとか、明だとか言ったところで、それは都市の周辺のことだけで、大陸全体としては主権が行きわたっているとは決して言えないと思う。

そういう民族を、仲間というか、アジアの一員として大同団結させようと思ったところに我が方の甘さ、人の良さが、稚拙さ、つまり本質としての中華民族を知らなすぎた認識不足が現れている。

我が民族も、有史以来、中国の影響を受けてきたことは歴史が示すとおりで、大化の改新以来、我が方の文化人というのは中国にあこがれ、中国を羨望の眼差しで見てきたことは歴史が如実に表しているが、文化人、知識人というのは文化の表層の部分のみしか見ていないわけで、相手の民族の本質まで研究するということを怠ってきたと思う。

これは現代においてもそのまま生きているわけで、我々は相手国の文化という表層の部分にしか関心を示さないわけで、その文化の根底に流れている民族としての本質を研究することには関心を持たない。

だから、アジアの大同団結を目指そうとしても、中国を如何に位置つけるかでは困ってしまうわけである。

アジアでも中国と韓国、つまり大陸と朝鮮半島を除けば、日本、及び日本民族というのはある程度先方に受け入れられている。

彼らには日本を夷狄とする既存の概念はないわけで、だから日本の実績を素直に受け入れることができ、日本をアジアのリーダーとして素直に迎え入れる従順さがある。

そして日本はそういうところにもODAで金をドンドン注ぎ込むので、先方としても日本のご機嫌を取っておきたいという心理が働くのも当然のことである。

ところがそれに対応する我々の側が、外交とか、異民族との融和ということに非常に稚拙で下手なわけである。

折角先方が日本を頼ってきているのに、それを斟酌する心配りに欠けた扱い方をしていると思う。

中国や韓国との問題も、突き詰めれば外交の稚拙さということに尽きるが、我々は異民族との折り合いをつけるということに関してはまことに不手際なところがあると思う。

我々は先の戦争の前に、既に地球国家、世界は一つ、という概念に至っていたにもかかわらず、それを地球規模で宣伝することに失敗したではないか。

昨今の中国の靖国問題、韓国の教科書の問題等々に共通しているキーワードに「日本の侵略」、「日本の植民地支配」ということが声高に叫ばれて、被害者対加害者という構図で語られているが、歴史をこういう視点で捕らえること自体おかしいと思う。

こういう論点の中でいつも引き合いに出されるのが南京大虐殺の問題であるが、この被害者の数というのは、中国側の公式発表のたびごとに年々数が増えてくるわけで、こんな馬鹿な話もないけれど、こういうことを平気でする中国側政府要人に対して、日本の倫理や価値観を最初から説いて掛からねばならないような外交というものに対して我々の側は全くのお手上げというのが本当だと思う。

我々がいくらおかしいといったところで、先方が聞く耳を持たなければ何とも致し方ない。

問題を語り合う土俵が全く違っているわけで、違った土俵の中でいくら正論を主張しても、相手には通じないのである。

外交というものが、国益を賭けた口げんかということは古今東西、如何なる時代においても真実だと思う。

中国人の喧嘩の仕方というものを我々はもっともっと研究する必要があると思う。

彼らの口げんかは、論理性とか、整合性とか、正邪の観点というものは全く存在しないわけで、ただただ自分の信ずるところを声高に叫ぶだけで、自分の言っていることが正しいとか正しくないということは最初から問題にしていないのである。

相手がそれを聞こうが聞くまいが結果にこだわることはなく、ただただ自分の主張を声高に叫んで、もし相手が折れれば儲けものという概念で言って来るのであるから、相手から言われたからとって、それをこちら側が真剣に受け止める必要はないと思う。

ところが我々の方は、相手の言った事をまともに聞き、まともに反応するので、相手のテンションはますます上がってしまうことになる。

ものごとの正邪にこだわり、正しいか正しくないかを基準にしてものごとを解決しようとするものだから、相手があまりにもわけのわからないことを言い出すと、いらいらして手が出てしまうわけである。

結果的に手を先に出したほうが負けということになる。

それが先の日中戦争というものの本質だと思う。

昨今の問題でも、「日本の侵略」と「植民地支配」が問題の出発点になっているが、その前はどうだったのかという点が全く話題にもなっていないではないか。

中国が「日本の侵略」といったとき、あなた方の国共内戦はどう説明するのですか、文化大革命はどう教わっているのですかと、逆に質問すべきだと思う。

韓国が「日帝36年の植民地支配」と言った時、その前の李王朝の時の朝鮮はどうでしたか、朝鮮の社会的基盤整備は誰がしたのですか、と逆質問すべきである。

ところが我々の側はそれを言わないものだから、歴史の影の部分のみを増幅されて声高に叫ばれてしまっているのである。

歴史には光の部分と影の部分があるのは必然であるが、我々自身が歴史というものを知らないので、その歴史の中の光の部分を強調することが出来ず、相手の言うなりにならざるを得ないのである。

相手の歴史、つまり日本が相手にしてきたことの全貌、光の部分も影の部分も合わせて知らないものだから、先方から影の部分のみを言われると、日本は悪いことばかりをしてきたと安易に思い込んでしまうのである。

そして21世紀に生きている日本人で、知識階級というのが、いわゆる進歩的知識人といわれる人達が、こういう先方のいうことを鵜呑みにするということは一体どういうことなのでしょう。

 

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