終戦60周年050429
4月に入って中国各地で反日デモが続発したが、中国側の当局者は非常に高飛車で不遜な態度で自分達を正当化しようとしていた。
そんな中、4月22日(平成17年)、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ首脳会議が行なわれ、小泉首相も日本の立場を表明すべく演説を行なった。
ところがこの演説の中で、中国を非常に意識した部分があるので私はそれについて考察してみた。
小泉首相の演説のその一部分を抽出したものが以下の文章である。
(過去五十年の歩み)
五十年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は、平和国家として、国家発展に努める決意を表明しましたが、現在も、この五十年前の志にいささかの揺るぎもありません。
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
この部分が村山首相の文言を引用したといわれる部分であろうが、私は一国の首相たるものが「植民地支配と侵略」などという言葉を安易に使うべきではないと思います。
一国の首相たるものが「侵略」という言葉を安易に使えば、相手側がその言葉尻をつかまえて「お前達は侵略したではないか!」と言ってくることは当然であって、相手がこちらを非難中傷する意図の下では使われても仕方がないが、少なくとも国際会議の場で自分から使うべき文言ではないと思う。
20世紀の初頭に、日本がアジア各地で支配権を拡張したことは承知している。
しかし、あれは歴史の必然であって、因果応報、理由があって結果があるわけで、過去の事象を現代の価値観で推し量るべきではないと思う。
もしそういう言い方が許されるとしたら、アメリカに漂着したメイフラワー号の人々、清教徒の人々をどう表現したらいいのか。
メキシコを制圧したスペイン人、インドに足場を築いたイギリス人やオランダ人、アヘン戦争を起こしたイギリス人、青島を占領したドイツ人をどう表現したらいいのかと問いたい。
第2次世界大戦後に日本を占領したアメリカ軍は、日本を侵略したといえるであろうか。
第2次世界大戦の戦闘が終わったあとで、当時のソビエット社会主義共和国は、確かに日本を侵略し、未だに北方4島を返却していないことは周知の事実であるが、これを我々は「北方4島を旧ソ連が侵略した」と言っているであろうか!
それに関連して、インドを植民地支配したイギリスがそのことでインドに対して謝罪しているか?
スペインやポルトガルがメキシコに対して「植民地支配して悪かった」と謝罪しているであろうか?
西洋人はアジア人に対してそれこそ極悪非道のことをしておきながら、アジア人はそのことに対して西洋人に謝罪を求めているのかと問いたい。
この21世紀の地球上で、謝罪を求めているアジア人で、西洋人にそれを要求したものがいるであろうか。
ところが相手が日本人だと、アジアの人々はそれを要求してくるわけで、こんな馬鹿な話があってたまるか!
我々の側も、それを言われるといちいち謝罪しているが、こんな馬鹿な話もない。
これは、アジアの人々は、相手が西洋人、つまりヨーロッパ系の白人だと何をされても天命だと思い込んで諦めるが、同じモンゴリアン、モンゴロイドの日本人だと、むしょうに腹を立てるという構図だと思う。
ヨーロッパ系の白人がすることは歴史の必然であって、それは致し方ないことであるが、同じことを、同じ人種の日本人がすると、もう我慢ならない思いに駆られるのである。
ここでいうアジア人というのは、その大部分を中国人のことを指し示しているが、中国人と朝鮮人は、日本という民族を今でも東海の小島の倭の国と考えている節がある。
中華思想でいうところの、漢民族を中心とする華夷秩序の同心円の中の一番外側の一番野蛮な種族という認識のままだと考える。
確かに日本の文化というのはそのことごとくが中国を発し、朝鮮半島を経由して日本に入ってきたことは否めないであろう。
それを中国人も朝鮮人も知っているからこそ、華夷秩序の中で一番外側の一番野蛮な種族という認識が生きているわけで、それが潜在意識として彼らには染みついているからこそ、我々日本人が彼らの上に立つと、もう生理的に拒否反応が起きるわけである。
ところが我々にしてみれば、太平洋の東に浮かぶ小さな島国なるが故に、それ以上に文化の流れていくところが存在しないわけで、アジア大陸から流れ着いた文化というのは、日本というドンつまり、袋小路の中で熟成されてしまう。
西から流れてきた文化が日本という袋小路のなかで、練成、熟成されるということは、我々の側には常に創造性が練られていたわけで、だからこそ大陸から流れてきた原典以上に進歩した文化が出来上がったわけである。
日本の文化の上流はあくまでも中国大陸であり、それの経由地としては朝鮮半島があったことは我々にとっては周知の事実であり、学のある人ほど文化発祥の地への憧れが強かったことも否めない。
遣唐使、遣隋使の派遣を見る間でもなく、我々は西洋文化に接するまで、中国の文化が至上のものであったわけである。
ところがここに西洋の文化が入ってくると、その文化的あこがれは当然そちらのほうにも向いてしまうわけで、我々、日本人には中華思想というものは最初から存在していないし、華夷秩序というのも最初から存在していないので、便利なものはさっさと応用する柔軟性を持っていたのである。
そこで種子島に入ってきた鉄砲も、同じものを造りたいという欲求に駆られ、黒船を見れば、何とかあれと同じものが自分達でも作れないか、と創造性を働かせたのである。
ところが中国や朝鮮の人々には、こういう柔軟性も創造性もないわけで、彼らはただただ異質のものを追い払うという発想しかなかったわけである。
何故、彼らにそういう発想がなかったのかと言えば、彼らには有史以来から中華思想と華夷秩序があったので、これが彼らの潜在意識となっている限り、新しいものを受け入れようという発想が出て来ないからである。
ただただ現状維持を願っているだけで、新しい革新的な発想を受け入れようという、柔軟性が全く存在していなかったのである。
こういう状況下で、我々、日本民族が西洋先進国の富国強兵策をマスターして、それをアジアで実践して見ると、見事に成果が出た。
今の価値観で言えば、この西洋先進国の富国強兵策のノウハウをマスターするということは、植民地支配ということであるが、ところがこれを目の当たりに見たアジアの人々、特に中国人からすれば、華夷秩序の一番外側の一番野蛮であるべき倭の国が、自分達を支配するということは、精神的に非常な屈辱、華夷秩序の転覆に匹敵する認識以外のなにものでもなかったわけである。
これが西洋人、ヨーロッパ系の白人にされるのならば、こういう人たちというのは中国人の価値観の中には存在せず、中華思想にも華夷秩序にも抵触せず、エイリアンのような異生物という感じで、これほどの屈辱感は覚えなかったが、相手が日ごろ馬鹿にしていた日本民族であったが故に、どうにも我慢ならなかったに違いない。
だから中国が共産主義国になったとしても、そういう怨念は主義主張を超えて反日教育に反映されて今日に至っているものと考える。
中国人の価値観からすれば、「謝罪したからには、お前は本当に悪いことをしたことを認めた」という論理になると思う。
問題は、その悪い事の中味であるが、一国の首相が安易に謝罪すれば、その悪い事の中身が、相手の思惑次第で、どういう風にも拡大解釈されてしまうということである。
現に、今回の反日暴動でも、その理由が歴史の認識問題であったり、靖国神社の参詣問題であったり、国連常任理事国参入の問題であったりと、悪い事の中味は幾通りもあるわけで、国家の元首が安易に謝罪してしまえば、それはどの理由にも当てはめが可能なわけで、相手に言葉尻をつかまれたも同然のことだと思う。
だから今回の反日暴動でも、中国側は暴徒の行為に対して政府筋が正式に謝罪することをかたくなに回避したわけで、そのことが我々の側の視点から見ると、非常に横柄、傲慢、不遜に映るが、外交上の国益という点からすれば当然の行為だと思う。
バンドン会議における小泉首相の演説の中の謝罪は、特別に中国にだけむけられたものではなく、一般論として述べられているが、アジア諸国というのは本来ならばもっともっと日本に対して協力をしなければならないと思う。
アジアの国々で、アジアの諸民族で、西洋列強と互角に戦った国、西洋列強と互角に戦った民族が、日本以外に存在しないということを、韓国の人々、中国の人々、フイリッピンの人々、インドネシアの人々、タイの人々、べトナムの人々は、真摯に考えなければならないと思う。
イギリスと互角に戦った国、フランスと互角に戦った国、アメリカと互角に戦った国、ロシアと互角に戦った国がアジアの国々の中にあるのか?
アジアの諸民族の中で、それをした種族があるのか。
モンゴリアン、モンゴロイド、黄色人種と称される人々の中で、ヨーロッパ系の白人と互角に戦った国が日本を除いて一つもないではないか。
ベトナム戦争ではベトナムがアメリカに勝ったような印象を受けるが、ベトナム人が自分達で作った飛行機でアメリカの戦闘機を撃ち落したことがあるのか。
アメリカの空母を沈めたことがあるのかと問いたい。
ベトナムの地からアメリカ人を追い出しただけのことで、勝ったとはいえるものではない。
あのベトナム戦争は、所詮、自分達ベトナム人同士の内戦でしかなかったではないか。
戦争を賛美するつもりは毛頭ないが、人類の歴史というのは所詮は殺し合いの上に成り立っているわけで、それを言葉で回避できればこれほど有意義なことはない。
言葉で回避できている間は、それはまことに結構なことであるが、言葉では物事が解決できないことも山ほどあるわけで、戦後の我々は、それを話し合いで解決しようとしているものだから、一向に解決には至らず、問題は先送りされているに過ぎない。
けれども、実際に血を見ているわけではないので、なんとなく平和的な状況におかれていると思いがちである。
戦後60年を経過した今、我々は再び世界でまれに見る経済的な強国になってしまった。
経済大国である。
戦前の言葉で表現すれば「列強の一員」となったと言うことである。
G7、G8の中で、西洋の、ヨーロッパ系の白人ではないメンバーは日本だけではないか。
第2次世界大戦の前、我々の先輩諸氏が朝鮮を支配し、台湾を支配し、満州国を作ったことは歴然たる事実であるが、これを侵略という言葉ですりかえることは、相手側の立場からすればある程度致し方ない外交的な文言としてみることが出来るが、我々の側からこれを「侵略」という言い方はないと思う。
我々の行為が純粋に富の収奪に徹していたとすれば、それは「侵略」という言葉を使っても許されると思うが、我々のした行為というのは、彼の地の人々の文化的レベルアップを図り、彼の地の社会的基盤整備をするために内地の血税をつぎ込んだことから考えると、帝国主義的発想でもって獲得した領地に、富の収奪を差し置いて、社会的基盤整備に投資をするという帝国主義支配というのはありえない話だと思う。
台湾の統治を開始した時点1874年、明治7年、朝鮮を実効支配したときが1910年、明治43年、満州国建国が1934年、昭和9年の時点において、それぞれの地域は実に未開の地であったわけで、我々がそこに足場を築いたということは、解りやすく言えばインデアンの跋扈していたアメリカ大陸にヨーロッパの人々が入植したようなものである。
支配する側とされる側には大きなカルチャー・ギャップがあったわけで、我々の統治というのは、そのギャップをいくらかでも縮めようという努力であった。
野蛮極まりない人たちに、いくらかでも文明の恩典を与えようと努力したが、これもされた側の視点に立てば「抑圧された」という印象を与えたとしても、それは致し方ないことであろう。
これらの地の日本統治の理念は、西洋列強の、つまりヨーロッパ系の白人の帝国主義とは根本的に違っていたわけで、彼らはただただ単に富の収奪のみが目的であったが、我々の場合は、あくまでも我々と同じ生活レベルまでボトムアップを図ろうという意図があった。
極端な言い方をすれば、野蛮な未開人たちに教育を施し、近代的な市民意識を植え付け、産業振興を図り、貧乏からの脱出を目指していたのである。
そのための資金を、現地調達する術もなく、日本本土からの血税の持ち出しで、そういう人たちの文化的レベルアップを図り、社会的基盤整備をしようと図ったのである。
こんな侵略が有りうるであろうか?
台湾にしろ、朝鮮にしろ、満州にしろ、現地の道路の建設、水田の開拓、学校の整備、その他の社会的基盤整備等々、これらは日本の努力で出来上がったわけで、日本がこの時にこういうことをしていなければ、台湾も朝鮮も中国東北部も未だに近代文明から取り残され、社会的基盤整備はなされないままで終わっているではないか。
これらの地域の戦後の復興というか、1945年以降の発達は、日本の残した遺産の上に築き上げられたわけで、我々の祖国はアメリカ軍の空襲で焼け野原になってしまったが、台湾も朝鮮も中国東北部も、日本の残した遺産がそのまま使われたではないか。
こんな侵略がありえようか。
ただ外交というものは言葉の戦争なわけで、舌先3寸で自国の国益を追い求めることが外交の真髄であるからして、自国の国益のためには、自分でも不本意と思うような言葉でも平気で使って、相手から何がしかの利益を誘導しなければならないのは自明のことである。
武力の行使を前提としない外交交渉であれば、より一層言葉の応酬は熾烈を極めるわけで、だからこそ言葉の戦いであり、舌戦であり、思いやりや同情の入り込む余地がないのが外交交渉だと思う。
だから相手が「侵略」と言ったからといって、それは相手の舌戦のカードであり、手段なわけだから、我々の側がそれを真っ正直に受け入れなければならないことはないわけで、ましてや素直に真っ正直に謝罪することなどもってのほかである。
彼らは日本から金を引き出すことが最終目的なのだから、その目的達成のためには、考えられるあらゆる手段を講じてくる。
現に、今回の対日暴動でも、世界のマスコミが中国批判を強めると一斉に矛先を変えて、中国人の跳ね上がり分子を取り締まる方針を打ち立ててきたではないか。
現代の中国は、共産党の一党独裁体制をかたくなに維持しているわけで、対日暴動であったとしても、その対日が何時なんどき政府批判に向かうかわからない、という不安を抱えていることは想像に余りある。
デモという行為は民主化の嚆矢でもあるわけで、反日だろうか抗日運動であろうが、中国の民衆がデモをするということは、その矛先がいつ何どき政府批判に摩り替わるかわからないので、中国共産党としては心配でならないのである。
それで今回のデモでも、最初はデモを政府自ら煽っておきながら、世界が中国政府を批判しかかると、あわてて民衆の側を締め付けに掛かったと見なさなければならない。
中国の反日教育というのは実にすざましいものがあるようで、南京の大虐殺博物館もさることながら歴史教科書では、徹底的な反日的教義が盛り込まれているそうだ。
彼らがそれほどまでに反日であり続けるその根底のところには、やはり中華思想と華夷秩序という中国人が有史以来持ち続けている潜在意識があると見なさなければならないと思う。
それはそれとして終戦から60年も経過して、再び世界の中の列強と並び称せられるようになった日本というものを見つめ直したとき、我々は同胞というものをよくよく注視しなければならないと思う。
我々には古くから「人の振り見て我が振り直せ」という俚諺がある。
我々は現在、この地球上において日本というものの存在をよくよく注視しなければならないと思う。
今回のアジア・アフリカ首脳会議では、小泉首相は例によってODAで金をばら撒くことを約束しているが、考えてみると、何故、日本がアジアやアフリカの未開発国、発展途上国に金をばら撒かねばならないのだろう。
格差の是正ということは「善」という認識で語られているが、格差の是正などということは、当事者が頑張らないことにはありえないわけで、金持ちがいくら金をばら撒いたところで、それは格差の是正には繋がらないはずである。
地球上には貧富の格差があるから、世界各地でテロが起きるのだという論理は、事実のすり替えだと思う。
貧富の格差の是正ということは、地球上の人々の全部が車に乗って、テレビを見て、携帯電話を持つようにするということではないはずである。
格差の是正が「善」だと思い込んでいる人達は、地球上の人々が全部今の日本人のような生活を保証すべきだとでも思い込んでいるのだろうか?
もしそうだとするとそれはあまりにも無知と言わねばならない。
今の地球上に住んでいる人たちは、人それぞれに自分の価値観をもっているわけで、その価値観を今に生きる日本人の感覚で標準化しよう、などと考えることは完全なる思い上がりだと思う。
車など無くても、テレビなど無くても、携帯電話など無くても、日くれ腹減りで、幸せに感じている人も沢山いるわけで、世界中の人々がそうでないから、つまり物質文明に囲まれておらず、その恩恵に浴していないから、物質文明が偏在しているから、テロが起きるのだという論理は間違っていると思う。
アメリカ人、日本人、パプアニューギニアの人々、マサイ族の人々、クルド人、ナバホ族の人々、それぞれに持っている価値観は違っていると思う。
人々はその価値観に従って生きているわけで、価値観に相違がある以上、物質文明の偏在が起きるのは極めて当然のことで、それを「是正しなければならない」という発想は、善意の押し売りで、奢れるものの思い込みに過ぎないと思う。
だからそれがテロの温床になっているわけでもないと思う。
9・11事件以来、格差を是正しなければテロはなくならないという論議が姦しいが、それは論理のすり替えで、テロと格差の是正は別の次元の問題だと思う。
ただテロを起こす側としては、何らかの理由を挙げ連ねないことにはテロの整合性が認知されないわけで、そのためにはどんな不合理なことでも、さも整合性のあるように言い繕わねばならないのである。
21世紀に入って、テロが新しい問題として浮き上がって来たことは、貧富の格差が主原因ではなく、テロの口実としてそれが使われているだけで、基本的には価値観の衝突である。
物質文明を容認し、それの恩典に浴し、それに胡坐をかきたいグループと、物質文明を全面否定して、昔のような自然のままの平穏な生活を維持したい、というグループの衝突なのである。
我々は戦後60年間でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になってしまったが、これは地球規模で見て、世界各国の支援があったからこそ出来たわけで、その意味からすれば大いに金をばら撒くことは、それに報いる恩返しに繋がる発想でもある。
その意味からして、ODAでアジアの諸国に金をばら撒くことは良い事であろうが、しかしそれも相手を見極めなければならないと思う。
日本のODAは中国向けのものが突出しているわけで、過去の総額は30兆円にも達している。
その根底には、戦後、中国は日本からの戦争賠償を放棄したので、その恩恵に報いるという意味も当然考えられるが、それにつけてもこのODAが中国の社会的基盤整備に使われているところまでは容認できるが、その浮いた金で、中国は軍備費を毎年10%以上の増額を繰り返しているわけで、我々は中国の軍備費拡充のためにODAをしているように思えてならない。
それでいながら反日デモ、反日暴動である。
この暴動の根底には、中国の国内事情が大きく関わっているわけで、中国、特に毛沢東が政権を取ってからの中国というのは一党独裁で、情報が国民に満遍なく行き渡っていない。
だからこれまでの過程で、「日中共同声明 1972年」、「日中友好条約 1978年」、「日中共同宣言 1998年」というような国と国の取り決めというものが国民に周知されておらず、自分の都合によって都合のいいところだけが国民に知らされるという、極めて民主的とは程遠い政情が大きく絡んでいる。
今回の反日デモでも、町村外相の謝罪を要求する言葉は無視しておいて、過去の歴史認識に対する謝罪の部分のみ大々的に報じているわけで、ものごとを自分の都合によって都合のいいところだけつまみ食いするという報道の仕方である。
民主的とは程遠い状態であるが、これは相手のあることだから、こちら側としてはなんとも手の施しようがない。
とはいうものの、日本が経済大国として金をばら撒まけば、相手国側からすれば、それがまわりまわって軍備費を押し上げることに繋がっても致し方ない。
一旦、相手に金を渡せば相手がそれをどういうふうに使うかは相手次第である。
ただ中国という国は、そういう事を国民に全く知らせていないわけで、共産党、政府がメデイアを完全に掌握してしまって、情報の完全統制をしているので国民は本当の事を知らされていない面がある。
戦争中に我々の国も負け戦を全く報道しなかったのと同じであるが、全体主義の国、全体主義の政治体制では往々にしてあることだ。
少なくとも30兆円という援助を受けていながら、それを国民の知らせず、逆に反日教育をするということは、仁義に欠けた行為だと思う。
しかし、この事実は我々日本人の方にも過誤があるように思う。
中国を頭から信用する日本人が悪いと思う。
我々、日本人の立場からすれば、中国人や韓国人を頭から信用してはならない、という古来からの認識を忘れていた結果だと思う。
我々日本人の感覚からすれば、「向こう三軒両隣り」は仲良くすべきだ、という認識が普遍的であるが、アジアの国々に関しては、この認識は当てはまらない。
だからこそ福沢諭吉は「脱亜入欧」ということに行きついたものと考える。
中国、朝鮮から日本を見れば、有史以来の太古から21世紀に至るまで、我々は華夷秩序の一番外側の倭の国で、野蛮国に過ぎないわけで、中国人や朝鮮人の持つ価値感の外側の存在でしかないのである。
彼らの立場からすれば日本人をいくら騙しても彼らの良心に咎めることは何一つないわけである。
なんとなれば、日本人は彼らから見れば野蛮人なのだから、いくら騙しても構わないという意識である。
朝貢で、下手に出れば「憂い奴」で収まるが、だからといって見返りは何一つないわけで、逆に下手に出れば出たで、いくらでも付け上ってくる。
中国に占領支配されないだけ儲けものという感覚でいるよりしかたがない。
我々は先の大戦でアメリカには完璧なまでに打ちのめされたが、中国人からは東シナ海に追い落とされたわけでもなく、本国が銃を置いたので、それに従ったまでのことであり、個々の戦闘で敗北したわけではない。
彼らの「抗日戦勝利」というのは言葉のアヤで、我々は彼らに戦闘で敗北したわけではない。
ただただ国際連合に所属していた中華民国が、たまたまアメリカの戦争にあやかって勝者の側に席を占めていたので、名ばかりの勝者となりえたが、中国本土では彼らが日本軍を撃ち破ったわけではない。
戦後60年を経過して、我々は本当に歴史を認識し、反省の立場に立っているであろうか。
中国や韓国の内政干渉的な指摘とは別の次元で、あの戦争のことを真摯に考えたことがあるだろうか。
我々は、あの戦争の反省ということをしていないと思う。
なんと言っても、戦勝国が勝者の熱情に刈られ、また勝者の論理で、勝手に戦争犯罪人と思しき人々を裁いてしまったので、敗戦国民としては占領という状況下で出る幕が無かった。
勝者が勝手に戦争の仕掛け人と思しき人々を処罰してしまったので、我々としては真の犯人を暴き出すことが出来ず、真の犯人を我々の手で処罰する術も無かったのである。
そういう状況下に置かれてみれば、真の反省も沸きあがってこないわけで、1945年、昭和20年の日本の状況というのは、都市は皆灰燼と化し、食うものもなければ住むところもなく、職もなければ働くところもなかったわけで、ただただ生きんが為、言葉面の良さから戦争反対、平和希求、もう2度と過ちは繰り返しません、を声高に叫ぶだけが精一杯であった。
そして占領の後遺症として、日米安保でアメリカ軍が駐留し、アメリカの傘の下で60年間武力抗争ということは避けて来れたが、その実績が逆に仇となって、「平和、平和」と叫んでおれば平和が向こうからやってくるという不可解な心境に成り下がってしまっている。
憲法を改正すると直ちに軍国主義になる、という馬鹿げた心理が臆面も無く罷り通っているわけで、こういう根も葉もないことを真に受ける平和ボケという現象が起きたのである。
この平和ボケという現象は、戦前の日本人の誰も彼もが軍国主義一辺倒になったのと表裏一体をなすもので、戦前の我々が「日本が負ける」ということを誰一人信じなかったことと同じである。
つまり一部の人の唱えるプロパガンダを、理性的に、理知的に、科学的に、合理的に分析することもなく、ただその場の雰囲気、ムード、隣がするから遅れるな、バスに乗り遅れるな、軍国主義にならないのは馬鹿だ、という風潮に便乗しなければ安心できない、という我々の民族の持つ本質的なものにその原因があると思う。
平和も戦争も人間を知ることから始まるものと考える。
その意味で日本が中国で15年戦争にはまり込んでいった経緯は、人間の観察の不足、不備からだと思う。
中国の地で、表面的な中国人の姿と行動を見て、これならば勝てると、相手を御せると、思い違いをしたことに始まると思う。
1931年、昭和6年という時期において、日本軍の高位高官たちは中国人の底力を見くびっていたに違いない。
このことは中国についてだけではなく、アメリカに対しても同じで、無知で、傲慢であったということだ。
こういう他人を見る目の甘さ、他民族を見る目の甘さ、他民族を知ろうとしない不勉強が、その後の日本の作戦と政治に如実に現れているわけで、それは「孫氏の兵法」でいうところの「敵を知り、己を知れば百戦危うからずや」という古典的な戦法を全く無視した発想であったわけである。
日本軍の高位高官達がこういうことを頭から知らなかったわけではないと思う。
頭では知っていたが、それを実践する勇気と行動力が無かったものと考える。
日本の優秀と思われる軍人、自他ともにエリートと自認している軍人が、中国に渡ると、目の間に展開している光景というのは、人間がまるで牛や馬のように扱われていたわけで、人の形をしていても人として扱われていない現状を見るにつけ、これならば中国を制することは簡単だと思い込んでしまった。
人は次から次へと現れてくるわけで、まるで人力というのは無尽蔵にあるように見えたに違いない。
国民党政府軍、共産党赤軍、軍閥、匪賊、馬賊、盗賊等々はまるで雑草を刈るように人を殺していたわけで、それこそ人間というのは殺しても殺しても蛆虫のように後から後から湧き出ていたのである。
それで中国人が中国の同胞を扱っているような手法で、日本人が彼らを扱うと、つまり虫けらのように扱うと、それを見た彼らの自尊心が大いに傷ついたわけで、自分達がしている時は無感覚であったものが、同じことを日本人がすると、彼らの自尊心は大きく傷ついたわけである。
今の中国は、かって、日本軍が中国の人民に暴虐の限りを尽くしたと鼓舞宣伝しているが、これは彼ら独特の論理の展開で、彼ら自身、彼らの同胞をまるで草を刈るように殺し捲くったことを故意に隠している。
彼らが彼らの人民をいくら虐殺したところで、それは彼らの内政問題であることは論をまたない。
彼の地には人権という意識は昔も今も存在していないわけで、殺す側と殺される側の二つしかないのである。
中国の現代史、清朝の崩壊から中華人民共和国の成立までの過程をほんの少し調べるだけで、彼らが如何に彼らの同胞を殺戮してきたか一目瞭然である。
蒋介石の国民党政府軍の行動、毛沢東の中国赤軍の行動、国共合作の破綻、これらの総ての殺戮が、中国人による中国人の殺戮であったわけで、だから我々もそれと同じことをしてもいいとは言えないが、彼らが今日本の過去を切り札として外交交渉に使っているカードは、ある程度事実を含んでいるであろうが、自分達はそれ以上のことをしておきながら、そのことについては奇麗に口を拭っている。
それに対処するのに、相手の言うとおり、こちらが安易に謝罪してしまえば、完全に彼らの術中に嵌ってしまうということである。
彼らの価値観と我々の価値観は全く一致するところがないわけで、お互いに違う土俵で相撲をしているようなものである。
相手の言う事を我々の価値観で判断してはならないし、また我々の言い分を相手に理解させようとしても、最初から土俵が違うのだから、相互理解ということは決して成り立たないのである。
ただただ相手にしてみれば、日本から金さえ引き出すことに成功すれば、それで外交の目的は達成されたことになるわけがから、金だけが両者をつなぐ絆でしかない。
昭和初期の時代、この時代においても中国の地というのは、主権国家の体をしていなかったわけで、各地には軍閥が跋扈していて、まるで西部劇の西部、フロンテイアという状況であった筈である。
この状況を我々の側が甘く見ていたことは否めないと思う。
中国人にはもともと侮日感情があるところにもってきて、事もあろうにその日本人が中国の地で横柄な態度をとるものだから、彼らの抗日感情はいやがうえにも燃え盛ったわけである。
あの時代の我々の先輩諸氏は、確かに日清戦争や日露戦争で勝利を納めた興奮を引きずっていたので、中国の民衆を舐めて掛かったところがあるものと推察する。
それもこれも我々日本人というのは、ものごとの表層面のみを見て早合点する傾向があるようで、これを言い方を変えればマスコミに踊らされやすいということだと思う。
そしてマスコミが安易にこういう間違った表層面のみを報道したわけで、中国人の潜在意識を研究したり、深層心理を研究するという地道な研究を怠ったことが原因だと思う。
表層的な観念論でことを決し、研究不足のところは精神主義で克服しようという発想であったと思う。
アメリカとの対米戦においても、アメリカと日本の国力の相違というものを非常な苦労の末見極めたにもかかわらず、それを政策決定や作戦行動に何ら参考とすることなく、観念論で押し切ってしまった。
そのことを考えると、勝者の論理で戦争の責任者を追及する極東国際軍事法廷とは別に、我々の側でそういう間違った政策決定、間違った作戦を実施した責任者を断罪しなければならなかったはずである。
それを我々が怠ったという意味で、我々の戦後処理は未だに終わっていない、と言ってもいいと思う。
あの焼け跡の廃墟とアメリカ占領という状況下ではしょせん無理なことはわかっているが、今日の我々は世界でも第2位の経済大国である。
ODAで低開発国に金をばら撒くこともいいが、戦争への反省ということは、近隣アジア諸国からいわれるまでもなく、我々の内側からそういう機運が盛り上がってもいいのではなかろうか。
中国や韓国が、日本の首相が靖国神社に参詣するのがけしからんと言う理由の一つが、「あそこに戦犯が祭られているのに、それを参詣することは、戦犯の名誉回復するものだ」という論理で怒っているが、それはお門違いというものだ。
この文言は明らかに価値観の相違から出てくる言葉で、敵国から見れば自国民を沢山殺したものは極悪人かもしれないが、立場を変えて見れば、それは英雄的行為となるわけで、自国の英雄の霊に敬意を表することがいけないという論拠は明らかに内政干渉である。
今、戦後60年を経過して、先の戦争遂行の責任者を内なる力で炙り出すという行為を始めると、色々不具合なことが起きてくることが予想される。
そのことによって名誉回復される方はいいが、逆に責任を免れなくなった人は非常に困ることになると思う。
だからこそ曖昧なままで60年間も黙って、事を荒立てないようにしてきたものと考える。
我々にとって本当の戦犯というのは、あの極東国際軍事裁判で裁かれた人たちではなく、同胞を裏切って保身を図った人たちでなければならない。
あの戦争で生き残った我々にとっては、我が同胞を裏切った人たちを本当の戦犯と認識して裁かなければならなかったはずであるが、交戦国としての相手の視点に立てば、我々の思惑とは違って、極東国際軍事法廷で彼らが極悪人と思う被告達を処罰しないことには、彼らの憤怒を押さえ、懲罰をした事にならないので、その視点からすれば極東国際軍事裁判にも整合性がある。
彼らの視点からすれば、日本人が同胞を満州の地に置き去りしようが、樺太の地に置き去りにしようが、沖縄の地に置き去りにしようが、それは日本の内政の問題であって、彼らの問題ではなく、彼らにしてみれば真珠湾攻撃やシンガポールの占領こそ怨み骨髄に達しているわけで、その恨みを晴らさないことには腹の虫が納まらないというのが本音だろうと思う。
彼らは、自分達の腹の虫を収めるために、極東国際軍事法廷でもって、彼らが戦争の仕掛け人と思った面々を処罰したわけで、それは我々の思いとはかけ離れていたものと考える。
ところが戦勝国が自分達の思い込みで戦争の張本人と思った人たちを極東国際軍事法廷で裁いてしまったので、我々はそれで戦争の総括は済んでしまったものと勘違いして、総てを忘れてしまい、自分達の同胞を裏切った面々に寄せる恨みをどこかに置き忘れてしまったのである。
そして戦後60年間、日本の知識人たちはこの戦勝国の価値観を後生大事に守り通して、自分達の金玉の毛まで抜かれたことを忘れて、自分達同胞の政府よりも、旧敵国の利害を擁護してきたのである。
こうなると、それから先の考証は我々の民族の本質論になってしまう。
戦争をするに至った過程から、戦争の終結にいたる、政治と作戦の責任追及という問題、責任の所在を明らかにするという視点から、我が同胞の生き様、在り方を考察するとなると、我々の民族の本質を解き明かすという作業になってしまう。
我々の同胞はものつくりには極めて秀でているが、政治という人間関係の調整においてはまるで稚拙で、世界的に特に有名である。
その最大の理由は、私が思うところでは、我々は単一民族だという思い込みにあるような気がしてならない。
単一民族だから以心伝心で判り合えるという思い込みに原因があるのではなかろうか。
話せば判るという思い込みがあるから、1から10まで説明する必要は無く、2か3の説明でお互いに判りあえると錯覚しているところにあるのではなかろうか。
以前、NHKの番組で、対米戦をするかどうかという御前会議の状況を再現して放映していたが、こういう高位高官が国の先行きを決定するという重要会議で、誰一人熱弁を振るって自分の意見を述べ、相手の考え方を論駁するものがいない。
我々の会議の仕方というのは、会議をする段階でもう既に根まわして結論が出ていることを、ただ形式的を整えるために会議に掛けるというものである。
だからただなんとなくその場の雰囲気で、議論もないまま開戦が決まるという状況であった。
アメリカと戦を交えたら、こういうデメリットがあり、メリットとしてこういうことがある、だから「すべきだ」または「すべきではない」という明確な論旨が全く無いまま、ただただ周囲の状況からなんとなく開戦の運びとなるという曖昧なものであった。
これは今日の政治の状況にも歴然と現れているわけで、小泉首相の郵政民営化の話は13年も前に彼が郵政大臣の頃から彼が言っていたことで、首相になる時点でも彼の公約であった。
それにも関わらず今になって反対をいう自民党の長老がいるわけで、このアホらしさこそ政治が三流といわれる所以だと思う。
郵政民営化を唱える総理大臣が出たならば、自民党の長老としてはそれをフォローするように党内を纏めて然るべきなのに、ベクトルが反対向いているではないか。
まさしく三流政治の典型である。
日米開戦の御前会議について言えば、誰一人積極的にそれを支持したものもいなければ、強硬に反対したものもいないわけで、そういう状況では何処に責任があるのかさっぱり判らない。
その前に昭和の軍人の反乱として2・26事件があったが、この首謀者の処罰も極めて曖昧に処理されたわけで、実行犯は確かに軍法会議にも掛かられ死刑になったものもいるが、それを影で煽動した高級軍人、高級官僚というのは際立った処分はされていない。
つまり、トカゲの尻尾切りと同じで、腐りきった組織の膿を徹底的に洗い出す、という対処の仕方はされていないわけで、徹底的に暴き出すと自分に火の粉が降りかかってくるので、実行犯のみを見せしめに処分しておいて、高級軍人、高級官僚は責任追及をされぬまま、曖昧な処置で免れてしまったわけである。
これは官僚の掟であったろうと推察する。
つまり、高級官僚はお互いに官僚であるという立場から、お互い同志を庇い合うわけで、相手の非を徹底的に突いたり、徹底的に責任追及をしないということが高級官僚同志の不文律としての掟となっていたのではないかと思う。
だから人事の刷新ということが不完全に終わるわけで、それゆえに同じことが何度も繰り返されて、日本の政治は三流に甘んじているものと推察する。
これが政治の場だけのことならば、人命に直結することはないが、軍事作戦にも同じ思考というか、同じ発想というか、同じものの考え方の上に成り立っているので、先の大戦のような惨禍を招くということになったものと考える。
つまり、官僚というのは国民の存在ということを無視というか蔑ろというか、彼らの眼中に入っていないのである。
政治にしろ、外交にしろ、軍事作戦にしろ、官僚の官僚のための官僚による自己顕示欲でしかないわけで、国民というのはそのための「刺身の褄」でしかなったわけである。
ところがこれは我々日本民族、大和民族の潜在的な深層心理でもあったわけで、その源を辿れば、いわゆる遣唐使、遣隋使の時代からの中国の考え方を由とした結果だと思う。
我々は明治維新で四民平等を謳い、近代化に成功したかに見えるが、我々の民族の深層に流れていた潜在意識としては、やはり東洋の盟主としての中国の影響から免れなかったわけで、士農工商という身分制度が確立していたときの士族には、いわゆるノブレスオブリッジというものが存在していたが、それが近代化という美名の下で、官僚という支配階級に賎民からたった一度のペーパーチェックで入ることができるようになると、官僚という支配する側に、従来のノブレスオブリッジを欠いた階層が大勢を占めるようになった。
士農工商という身分制度の確立していた頃の士族というのは、農民を抑圧していたという捉え方が普遍的であろうけれど、士族というのは農民を管理するという意味で常に農民の存在を意識していたと思う。
ところが管理される側の賎民が管理する側に身を置いてみると、つまり昔の士族の立場に農工商という賎しく浅ましい階級からたった一回のペーパーチェックを通過して身を置いてみると、官僚として、職権と権益に包まれた官の中だけのことにのみ思考が集中してしまって、他の存在を一切合財忘れてしまったわけである。
文字通り「井戸の中の蛙」に徹してしまったわけである。
政治家は政治家で、政界という井戸に埋没し、外交官は外交という一般とはかけ離れた世界に溺れ、軍人は軍人で「孫氏の兵法」を忘れ、相手を研究することを怠り、組織の中の序列争いに明け暮れ、国民の存在を蔑ろにして狭義の作戦に溺れ、それぞれに大局的なものの見方をしなかったのである。
政治も、外交も、軍事も、それぞれを別々に切り離した存在ではありえないのに、それをそれぞれの井戸の中に身を置いてしまって、他との関連を全く無視して、その井戸の中だけの視点でしか、ものごとを見ておらず、その井戸の中だけで権力抗争を繰り返していたわけである。
ところが昭和の初期の段階になると、明治維新の身分制度の廃止で、いわゆる賎民の中からたった一度のペーパーチェックで支配する側に成り上がった人たち、つまり明治の初期に二十歳前後で官僚になった人たちというのは、それぞれに深い井戸の中で純粋培養されたようなもので、他の井戸のことを全く知らない人たちが、高級官僚として社会の要諦を占める地位についてくるようになったわけで、ここに先の大戦の惨禍が潜んでいたと思う。
これは人間のソフトウエアーとしての欠陥だけではなく、制度としても、あの明治憲法というものに欠陥があったように思う。
例の統帥権というものが憲法に規定されている以上、シビリアン・コントロールというものはありえないわけで、明治憲法が生きている限り、軍事を政治・外交の下にもって来るということは不可能だと思う。
ということは、先の大戦は歴史の必然であって、あの時点で戦争を回避していたとしても、明治憲法が生きている限り、いずれ何時の日にか同ことをしなければならない時がきたに違いない。
ということは、憲法というものは常に時代の状況にあわせて改憲し続けなければならないということだと思う。
考えてみれば、それは当然のことで、人間の営みというのは常に進歩しているわけで、特に20世紀ともなれば、その進歩の勢いは日進月歩であったことを考慮に入れるとすれば、その時代状況にあわせて国の指針ともいうべき憲法は、その都度改正して時代に合わせていく必要が有ったのではないかと思う。
憲法を改正してはならない、というのは我々の単なる思い込みに過ぎないわけで、時代が進歩すれば、それに合わせて国の指針としての憲法を改正することはなんら不思議ではなく当然のことだと思う。
古くて時代遅れになった憲法を、新しい時代状況に適合するように常に更新することが、より合理的な発想だと思う。
ところが昭和初期の我々同胞は、それをしなかったわけで、1889年、明治22年に出来た明治憲法は、太平洋戦争の開始の時点、1941年でわずか52年前のものである。
半世紀たつともう現実に合わなくなってしまっていたのである。
平成17年、2005年5月において、今の我々は丁度そういう時期に差し掛かっているではないか。
あの焼け野原の廃墟と、アメリカ占領の中で、アメリカ人が作った憲法が、世界第2位の経済大国になった今の日本の現状にあっていないことは一目瞭然ではないか。
明治憲法では、統帥権がのどに突き刺さった骨になっていたが、今の日本国憲法では、いうまでもなく第9条が抜き差しならないのど元に突き刺さった骨になっている。
憲法改正といっても全部を白紙に戻して変えなければならないということはないわけで、不具合なところ、時代からずれたところのみを変えればいいわけで、当然、国の指針としての憲法には変えてはならない普遍的な真理もあるわけで、変えるべきところは時代にマッチしない部分のみで十分だと思う。
これはひとえに政治家の使命だと思うが、日本の政治が三流ということである以上、紆余曲折が予想されるが、避けては通れない道だと思う。
現に戦後60年もその論争が継続しているが、結論が未だに見出せないでいる。
アメリカと戦争するかしないかを決めた御前会議は、ある意味で密室会議であったが、戦後の我々には、こういう形での密室の中で国家の指針を決めるということはなくなった。
その代わり、民意を反映するデモクラシーというものが定着したのはいいが、これはこれで意見の集約ということが極めて困難である。
だから多数決原理で、全員の意見が一致しなくても多数の人が賛成すれば、それを総意と見なすという手法が取られているが、すると自分の意見と違う採決をされた側は我慢できないわけで、「少数意見を尊重せよ」と迫るわけである。
これでは事が決まらないのも致し方ない。
この部分が、我々日本人の政治下手の最大の理由ではないかと思う。
ここで再び話は日本人の本質論に戻るが、戦後の民主主義の中では多数決原理が普遍的で、自分の意見が通らないとしても、多数の人がそれに賛同すれば致し方ないと、引き下がる勇気を持たないところに、我々の政治下手の理由が潜んでいると思う。
自分の意見が通らないと、「少数意見を尊重せよ」騒ぎ立てるが、それならば民主主義というのは意味を成さなくなり、壊されてしまい、ことは一歩も前進しないではないか。
ここで問題となってくることが、ことを推し進めようとする側が、この少数意見をいくらかでも反映させようと努力する姿である。
採決で決まったからといって、きっぱりと切り捨てることに偲び難く、何とか少数の人の意見を反映させようと努力するから、徐々に徐々に妥協をして、出来上がったものは完全に骨抜きにされたものしか出来上がらない。
多数決原理で、一刀両断にことを決しないという点に、我々日本民族、大和民族の潜在意識が脈々と流れているわけで、反対している側も我々とおなじ日本人だ、だから少しでも救いの手を差し延べなければ、という善意というか温情がにじみ出てきてしまうのである。
いわば同胞に甘いといえるし、民主主義というものを厳密に理解していないともいえるし、出来るだけ皆仲良く、しこりを残さないようにという配慮の上にこういう曖昧な結論に導かれてしまう。
しかし、これが良きにつけ悪しきにつけ日本人の組織に対する基本的な姿勢だと思う。
同じ組織の中ではお互いに庇いあって、相手を徹底的に追いつめることを避け、逃げ道を用意しておいてやり、組織全体の安寧秩序を維持しようという、組織ぐるみの保身の処世術だと思う。
ただ先の大戦に限って言えば、明治憲法の不備によって政治家と軍人の峻別が曖昧なまま、軍事作戦と政治が一緒になってしまっていた。合体してしまっていた。
そこに我々の日本民族の惨禍が潜んでいたと思う。
シビリア・コントロールがきちんと機能している国ならば、国家の首脳が戦争をするという腹を決めたら、後は軍部の仕事で、個々の作戦は軍部に一任して、政治家は嘴を入れず、傍観するだけであろうが、現代の戦争は国家総力戦なわけで、必然的に政治も軍事をフォローしなければならない状況が起きてくる。
第2次世界大戦で戦った諸国は総てそうであった。
日米開戦の状況をつぶさに見てみると、御前会議では、一人の反対者もいないまま、なんとなく開戦が決まってしまったが、それでも政府は何とか開戦を回避しようと裏で努力していた。
ところが海軍の方は開戦が決定されたので、それに従って準備行動に移ったが、ここで日本の外務省のとんでもない失態が起きて、我々日本は「だまし討ちをする卑怯な民族だ」というレッテルを貼られてしまった。
昭和天皇は国際条約を遵守して、信義に則って事を進めようとしていたにもかかわらず、外務省の駐米大使館員の大馬鹿たちが、事もあろうに天皇が一番心配していたことをしでかしてしまったのである。
1941年12月8日、日本は宣戦布告の詔勅をアメリカ側に渡したが、それが実際の真珠湾攻撃の後になってしまったのである。
そしてその理由というのが、まるで児戯に等しいようなお粗末な理由で、こういうところが外務省の外務省たる所以で、実に能天気というか、アホというか、外務省という井戸の中の蛙そのものである。
つまり、日本から送られてきた極秘電報の暗号を解いて、それを成文にするに時間を取られたというものであるが、いつ戦争が始まるかわからないような緊迫した状況、雰囲気というものが、あの時の駐米日本大使館にはなかったのだろうか。
こんな馬鹿な話もないと思う。
あの時の駐米日本大使館員というのは、そんな予測、予知も出来ないようなアホな面々だったのだろうか。
実際にはそうだった。それは結果が示している。歴史に残っている。
当日は日曜日であったため、タイピストがいなかったので成文に出来なかったとか、送別会があったから出来なかったとか、色々言われているが、これではまるで子供の言い訳にすぎず緊張感が全くないではないか。
これが現実のエリート外交官の真の姿だと思う。
外交官などというものは、この程度のものだと思う。
タイプライターの打てない外交官など、まるで車輪の無い車のようなもので、なんの役にも立たないではないか。
これには、タイピスト、タイプを打つ仕事などというものは下級の者の仕事だから、高等文官試験や外交官試験をパスしたもののする仕事ではない、という意識が相当強くあったものと考える。
最近までコンピューターのキーボードを打つのは下級の仕事だという意識が日本の組織には相当ね強く残っていたが、それと同じ意識だと思う。
今にも開戦という雰囲気を感じていたとすれば、全員が待機して、用意万端整えて、すぐに対応できる体制を取ることが外交官ならずとも、普通の人間ならば普通にすることだと思う。
極東国際軍事法廷は戦勝国が自分達に直接危害を加えたと思われる人間を抽出して、それを裁いたが、もし我々が同胞を裁くとしたら、真っ先にこの時の駐米大使館員たちを血祭りに挙げなければならないと思う。
それは奥村勝蔵、寺崎英成、井口貞夫の3名であるが、ところがそういう大失態にもかかわらず、彼らが処罰を受けたということがないのが不思議だ。
むしろ戦後彼らは出世している。
ここにも日本の官僚がお互いを庇いあい、お互いの保身に明け暮れている様子が如実に現れている。
宣戦布告の公文書が、実際の攻撃よりも後になった、ということは非常に由々しき問題のはずであるが、彼ら当時の外交官には、それが全く理解されていない節がある。
アメリカのルーズベルト大統領は、そのことを最大限に利用して、アメリカ国民に対日戦の整合性を説き、世論を沸き立たせたのである。
これは相手にしてみれば当然のことで、「日本というのはことほど左様に卑劣なことをする」という対日感を植えつけるには格好の材料であった。
私の私見では、ルーズベルト大統領というのは、明らかな人種差別主義者だと思う。
彼の目から日本人、日本民族を見れば、それはただたんにイエロー・モンキーにすぎなかったと思う。
だがそういう偏見があったが故に、彼にとっては、日本人がこの地球上、特に太平洋や中国大陸でのさばることには、我慢ならないほどの嫌悪感を持っていたにちがいない。
だからこそ東京空襲があり、名古屋空襲があり、大阪空襲があり、広島の原爆があり、長崎の原爆あったものと思う。
これらの空襲というのは、今中国が日本に対して「暴虐の限りを尽くした」といっているが、そんな表現をはるかに超越した殺戮だと思う。
ルーズベルトにしてみれば、日本人など人間のうちに入っていなかったわけで、サルと同じ存在だったからこそ、空襲という無差別殺戮、大量殺戮をして何ら良心に恥じるところがなかったのである。
敵としてのアメリカが、こういう心理状況に陥ったのは、当時の駐米大使館員たちがアホなことをしでかしたので、それを逆手に捉られたわけであるが、そもそもアメリカにすれば、何時かは日本を叩かねばならないと考えていたことは否めない。
だとすれば駐米大使としては、そういうアメリカの意図を事前に察知していなければならないわけで、今にも戦争が始まるかどうかというときに、のんびりと日曜日の朝を楽しんでいる場合ではないことぐらい判らなかったものだろうか。
そして、そういう失態をしでかした外交官を、何も処分しなかったということは一体どう解釈したらいいのであろう。
ここにも官僚同士の庇いあいというものが顔を出しているわけで、明らかに外交的失態であったにもかかわらず、それを隠し続けたのである。
当時の状況を推察すると、海軍の真珠湾攻撃は大成果を上げたので、日本国中が万歳万歳と浮かれてしまって、この外交官としての不祥事もその陰に隠れてしまい、誰もそれを問題にしなかったのではなかろうか。
それに開戦になってしまえば、アメリカの情報というのは日本国民が知る由もないわけで、戦後まで宣戦布告が遅れたなどということは知らなかったものと考える。
宣戦布告が遅れたことが、日本各地の空襲につながり、広島、長崎の原爆に繋がっているとすれば、当時の駐米大使館員としての3人の外交官は、非常に大きな罪科を背負ったといわなければならない。
我々の内なるエネルギーで戦争責任を暴こうとするならば、真っ先にこの3人を俎上に載せなければならないと思う。
そして彼らは戦後も失敗をしているわけで、奥村勝蔵は天皇とマッカアサー元帥の会見に立ち会っているが、その内容をリークしてしまったし、寺崎英成は昭和天皇が崩御されると「天皇独白録」を暴露してしまった。
井口貞夫は目立った失態はないようだが、サンフランシスコ講和会議には随員として参列している。
この時の総理大臣が吉田茂で、お互いに外交官同士というよしみで、彼らは戦後も冷や飯を食うという状況ではなかったみたいだ。
この辺りの処遇が非常に日本的で、実に曖昧模糊としている。
しかし、このことこそ日本が精神的な近代化を成しえない最大の欠点だろうし、政治が三流といわれる所以だと思う。
典型的な官僚の庇いあいで、高級官僚が国民不在のまま、自分達の世界、自分達の井戸の中の平穏を維持しようという発想だと思う。
外交官というのは直接暴力を伴う仕事ではないので、なんとなくその失敗が不問に付されてしまうが、その失敗によって日本が壊滅の淵に立たされことを考えると、軍人が犯した罪よりも尚一層深いものがあるような気がしてならない。
軍人にしろ、外交官にしろ、二十歳前後のときに一度関門をクリアーしてしまえば、後はその領域の中で純粋培養されるわけで、他の世界のことには全く無頓着のまま生きているわけである。
当然、国民のことなど頭の中にはないわけで、官僚の官僚のための保身にのみ能動的に動くようになってしまう。
こういう発想は、そのまま中国人の発想に繋がっているはずで、科挙の試験に合格さえすれば、あとは人民から搾取ざんまいに耽り、酒池肉林に耽るという構図をそのまま引き継いでいるわけである。
科挙の試験に受かるということは、そういう権力が公然と与えられるということだから、試験さえパスすれば、後は私利私欲の蓄積がほしいままに出来るわけである。
だからこそ科挙の試験に挑戦し、その免罪符を獲得しようと血眼になるわけである。
これこそ中国の古典的な社会であったが、明治維新で四民平等ということが潮流として定着すると、昔の科挙の試験をパスしたような逸材も、自分が国民のボトムアップのために選抜された、ということを失念してしまって、現状に甘んじ、革新を恐れ、挑戦を忘れ、ただただ保身に憂き身をやつすようになってしまうわけである。
昔の軍人は陸軍士官学校なり海軍兵学校なりに入学すると、生涯他の世間とは隔離されて、特殊な世界の中で生育するわけで、入学試験というたった一回の選抜試験をパスできれば、後は完全な温室育ちということになる。
恐らく、外交官も他の官僚も、官僚であるからには同じような道を歩んだろうと想像する。
この、たった一回の選抜試験というのは、明治維新の初期に国家の基幹要員を作り上げるのにもっとも適した制度だったことは否めない。
優秀な人材を全国各地から募るという意味で、明治政府は四民平等の理念の元、こういう制度に基づいて国家運営の基幹要員を作りたかったに違いない。
そして、それは最初のうちは上手く機能していたが、やはり同じことの繰り返しが継続すれば、おのずとマンネリになり、士気が落ち、変革を避け、現状維持に甘んじるようになるのは世の常である。
ここで誰かが変革を実行し、人事を刷新すれば、国民を忘れた官僚というのは生まれなかったが、一旦出来上がった組織の中でそれは非常に困難なことで、敗戦という外圧が来るまでそれが出来なかったのである。
自らの内なるエネルギーで組織の変革が出来なかったということは、士官学校や兵学校、その他の官僚への登竜門をパスするような優秀な人でも、自らの同胞、つまり日本人の民族として内に秘めている深層心理、潜在意識というものを真に理解していなかったということである。
それは数が多くなると、マイナス要因も増え続けるということだと思う。
士官学校、兵学校、その他の高等文官試験等々の官僚への登竜門を潜る者の数が少ないうちは、それは選抜されたという自負を本人も持ち、他の存在、つまり一般国民のことが頭の隅に残っているが、数が多くなると自然に群集心理に近い無責任な発想に支配されがちになるということだ思う。
我々の身近な人間を観察すれば、こういうことは自然と理解されてくると思う。
小さなグループならば比較的理性的な行動をしているが、このグループが大きくなると、破目を外した行動が起きやすいという現象にそれを見ることが出来る。
明治維新から大東亜戦争の終結までの軍部の、あるいは他の官僚組織の軌跡は、このパターンを描いているではないか。
あらゆる組織が拡張、拡大という右肩上がりの軌跡を描いていたわけで、そうなればなったで、不心得ものの数も右肩あがりに増えたということだと思う。
小さなグループが大きなグループに成長すると、その中では自然発生的に派閥が出来、仲間意識と派閥抗争がその組織の中でグチャグチャに拮抗するようになってしまう。
それが昭和初期の日本の軍部の実情であり、今でも自民党乃至は民主党の中では同じことが繰り返されているではないか。
これと同じことがあらゆる官僚組織の中で起きていると思う。
官僚組織ばかりではなく、民間の組織の中でも起きていると思う。
つまり、我々の組織というのは、そういう宿命を背負っている。
これこそ日本人の、日本民族の潜在意識であり、深層心理だと思う。
それはそれで人の成す事である以上致し方ない面があるが、その中で誰かが国民の存在に気付き、国民の方に目を向けるものがいたかどうかの問題だと思う。
ところが官僚という階層は、一度官僚の登竜門を潜ると、もう国民とは別世界の中に生きているわけで、誰も国民のことなど意に介さないし、国民の存在さえ忘れてしまうものと考える。
例えば、日米開戦の時に駐米大使館員であった三人の極悪人たちが、国民のことを頭の隅にでも置いていたかと問えば、百%意識に中にさえおいていなかったと思う。
第一彼らにとっては国民との接点がまるでないわけで、彼らの感心と言えばコーデル・ハルとの交渉しか眼中になかったわけで、所詮、外交官同士の井戸の中の争いの域を出るものではなかったはずである。
その結果が国民にどれほどの影響を与えるかなどという思考は、根底から存在せず、そのことが日本という国を存亡の淵に追いやったなどと考えたこともないに違いない。
日米開戦に至るまでの帝国陸軍の中国での振る舞いでも、全く国民の存在いうことを考慮しない、陸軍の陸軍による陸軍のための謀略以外のなにものでもなかったが、これを阻止する力が政府にも他の官僚、政治家にもなかったことが、日本を滅亡の淵に追いやったと考えられる。
これを阻止する力を削ぎ取っていたのが、明治憲法の定める統帥権というもので、これがある限り、軍人以外に軍人の暴走を止める手段も手法も存在しなかった。
そこで、あの大戦の惨禍の遠因を問いただせば、明治憲法の不備に行き着くと思うし、それの最大の障害があの統帥権というものだと思う。
統帥権を行使できるのは厳密に言えば昭和天皇ただ一人であったが、問題は、それを錦の御旗に仕立てて、さも天皇の言葉を代弁しているかのようの印象を与えつつ、配下、国会議員、マスコミ、国民、大衆を押さえ込もうとした連中の存在である。
戦後60年を経過しても、こういう人たちを炙り出そうという運動が我々の中から一向に湧き出てこないのは一体どういうことなのであろう。
天皇の言葉を代弁しているかのようの印象を与えつつ、人を支配しようとした輩は、当時、巷にはゴマンといたわけで、それこそ軍国主義を吹聴して止まない人達というのは、巷に氾濫していた。
戦後60年たっても、そういう人たちを炙り出して責任追及しないということは、やはり我々の民族の潜在意識として心のうちに秘めた何かだろうと考える。
その心のうちに秘めた何かというのは、同胞を究極にまで追い詰めないで、徹底的に責任所在を追及することをせず、同じ日本人同士だからという寛容の精神だろうと思う。
それは官僚同士が庇いあうという面にも如実に現れているわけで、それこそ我が日本民族、大和民族の精神的な本質ではないかと想像する。