再び中国・その3  050415

再び中国・その3

反日暴動

平成17年4月9日、中国、北京で再び反日デモが日本大使館や日本企業に対して投石等による抗議行動が起きたと伝えられた。

インターネットの呼びかけに応じた学生等が集合したとも報じられている。

そして、テレビに放映されているニュース映像で見る限り、日本大使館を警護する警察官達は投石している学生達に対して一向に投石を止めさせるような態度をしめしていない。

大使館と学生達の間に位置する警察官の頭越しに石は飛んでくるのだけれど、それを誰一人真剣に止めようとはしていない。

日本のテレビでは放映されていなかったが、街路を隔てた建物の影には彼らデモ隊を運んできたであろうと思われるバスが駐車している映像も、人民日報のHPには載っており、デモ隊がそれによって整然と撤収したから抗議行動があの程度で収まったというコメントさえ載っていた。

またデモ隊に対してはぺットボトルの水や日当まで整然と配給されている映像まであるではないか。

明らかに後ろで何者かがデモをコントロールしているわけで、いわば中国官製のデモとみなしてもいいと思う。

中国でこういう反日行動が噴出するということは明らかに日本に対するメーセージを送り付けているということだと私は確信する。

それは政治的なブラフを掛けて来ているものと考えなければならない。

中国の政府としては、日本に対して何か威張りたい要因が出来たとき、こういうブラフを掛けてくるのではないかと考える。

それで、いつもの通り、15日、家で取っている新聞の朝刊を広げてみると、今月、17日には日中外相会議が行なわれる予定になっており、その後、胡錦濤国家主席が4月28日インドネシアで開かれるアジア・アフリカ会議(バンドン会議)に出席を表明したとなっているではないか。

そこでは日本代表の小泉首相との会談もセットアップされる予定なので、そのための準備工作ということが十分に考えられる。

日本と話をするのに、自分の国の国民に、相手国に対する暴動をけしかけておいて、「こういう暴動が起きるのはお前の所為だ!!!」という論拠は我々にはとうてい思いもつかない発想である。

それでいて日本側が抗議すると謝罪はしないという横柄な態度である。

中国のこういう横柄な態度というのは云うまでもなく彼の側の潜在意識としての華夷秩序、中華思想に他ならないが、相手側の潜在意識である以上、それを改めよといっても、そう安易に改まるものではない。

先の大戦の遠因もこういうところにあったに違いないが、彼らの側としては、それが戦争の原因とは認めたくないわけで、被害者意識のみを前面に打ち出して、その総ての原因を日本側にあると強調しているのである。

こういう意識は彼ら中国の人々の民族的潜在意識であるので、それを相手側に改めよと言っても埒の開かない話である。

ならばどうするかという問題になると、これは日本単独ではなんとも致し方ないと思う。

とはいうものの最初から相手に対して何も言わないという方はないわけで、当然、正面から相手の非を詰ることは当たり前であるが、こちら側も対抗手段を講ずるという手を使うべきである。

相手と同じことをすべきである。

前々から言われていることであるが、我々日本人は物つくりでは世界一だが政治は三流と。

政治が三流ということはまことに情けないことだと思う。

この場合の政治とは外交のことも含んでいるが、外交さえ巧者であれば軍隊など不用なぐらい政治ということは大きなウエイトを占めている。

憲法で戦争放棄をうたっている日本ならばこそ、日本の外交というのは、外交巧者でなければならないと思うが、現実にはそれが我々日本の一番苦手ときている。

口先3寸で、相手の軍事的脅威、理不尽な要求というものを跳ね除けるぐらいの折衝能力を持ってしかるべきだと思うが、戦後60年間というもの、我々はそういうことに思いを巡らしたことがない。

我々の政治下手というのは、外からの脅威に対して内側からそれに同調する思考が湧き出てくるので、国論が一つに纏まらないからこういう事態を招いているのではないかと思う。

今回の反日デモでも、中国側であれだけ強烈な反日行動を起こしていても、EXPOの中国パビリオンは相も変わらず平穏な状況で、国際信義の観点に立てば、これは至極当然といえば当然のことであるが、ならば中国本土の反日活動というのは一体なんなのか、といわなければならない。

日本は国際信義をつつがなく守っているのに相手は全くそれをしていないではないか。

中国であれだけ反日行動があれば、日本でもそれに対応する反中国運動が沸き起こっても不思議ではない。(19日現在多少の嫌がらせ行為は噴出した)

中国パビリオンなど焼き討ちにあっても不思議ではないではないか。

が、それがそうなっていないのは、我々の側に相手に対する非常に寛容な気持ちがあるということだと思う。

北朝鮮の不誠実な対応、中国の不遜な態度を口先だけで緩和できるほどの外交ならば、これほど有り難い平和交渉もまたとないと思う。

北朝鮮の不誠実な対応、中国の不遜な態度と対等に渡り合おうとすれば、衣の下に鎧を着て掛からねばならないのは当然のことであるが、今の日本はそれが封じ手となっているものだから、相手はそこを衝いてきているわけである。

要するに舐められているということである。

 

中国に対する憧憬の眼差し

 

と、ここまでの愚痴っぽい話は平成17年、つまり2005年の4月現在の現実の話であるが、こういう日中関係というのは、つまり日本と中国の関係というのは、アジアの歴史始まって以来、最初から今日に至るまで、連綿とこの状態が続いているわけで、21世紀になって始めて起きてきた現象ではない。

日本人で、学問教養を積み、物事を知れば知るほど、中国に対する憧れが強くなるというのも、これまた日本人が古来からもつ潜在的な特質であって、我々、日本民族というのはいくら中国人から馬鹿にされても、アホに見られても、中国に対する憧憬というのは決して失わない民族である。

中国から理不尽な言いがかりを突きつけられたとき、それを擁護する邦人に対して、よく、自虐史観とか、東京裁判史観という言い方をされるが、我々、日本民族は中国からはいくら馬鹿にされても、それを馬鹿にされたとは思わず、有り難いご高説を授かったとしか感じていないのである。

「相手が悪いのではなく我々が悪いのだ」という教養人、知識人がわんさといる。

我々には親シナ教というようなものがあって、中国のいうことならば何でもかんでも有り難いものだ、という潜在意識というか対中コンプレックスがあるようだ。

中国の唐の時代、隋の時代、日本からあちらにわたった遣唐使、遣隋使と同じ感覚、同じ認識を今日においても持っている同胞がいるわけである。

21世紀の我々日本人に、遣唐使や遣隋使と同じ感覚、同じ認識の古典的な対中国感というものがあるとすれば、先方にもこれと同じ認識と同じ感覚が残っているわけで、やはり人間の、いや民族の潜在意識というのは教養とか知性では克服できるものではなく、近代文明というものではその溝を埋めることは出来ないのではなかろうか。

彼らの基本的な潜在意識といえば当然のことながらそれは華夷秩序に他ならない。

中華思想の中華そのものである。

中国人、漢民族こそ天上天下、唯一の民族であるという唯我独尊的優越意識そのものである。

だから彼らにしてみれば日本大使館に石を投げた民衆がいても、それを主権国家に対する非礼な行為だとは認識できないのである。

野蛮な夷狹に対する懲らしめに過ぎないのである。

愛国無罪、国を愛する気持ちがあれば、少々のことは許されて当然という、人知主義が大手を振って罷り通っているのであり、近代的な民主国家は人知で統治されるのではなく法律で統治されるのだ、という近代的な民主主義の原理さえ理解しえない民衆、つまり烏合の衆が跋扈しているのが現在の中国であるが、悲しいかな当事者もそれに気が付いておらず「裸の王様」になっているのである。

主権国家の主権という概念そのものが存在しておらず、商売、ここでいう場合は経済的な利害得失があるだけで、中国人には主権の概念は最初から存在していないものと想像する。

だから領海を黙って通り抜けようなどということが簡単に起きるわけだし、海底油田はかってに掘削しようとするし、劣閣諸島の領有権は主張するし、することなすこと相手の主権ということを全く考慮していない証拠ではないか。

アジア大陸に君臨する中国からすれば、近代国家の主権などというものは完全に彼らの眼中には入っていないものと考えざるを得ない。

彼らこそ中華であったわけで、この宇宙は中国を中心として回っていなければならないわけで、そうならないのは相手が悪いからだということである。

中国の立場、中国人のものの考え方に立てばこうでなければならないと思う。

問題は21世紀になった今日でも、特に日本人の中にも、この古典的な発想から脱しきれず、遣唐使や遣隋使の頃と同じ思考で止まってしまっている邦人がいるという現実である。

中国の言う事はすべて正しく、我々は真摯にそれを受け止めなければならず、常に反省し続けなければならない、という論旨を展開する立派な学者や評論家と称する人々の存在である。

我々の側に、未だに中国を憧憬して止まない人々が居り、先方に華夷秩序に依拠した中華思想を未だに振りまく人々がいるとすると、これは同じ価値観の中で話し合うということは出来ない相談である。

近代的な民主主義という同じ土俵の上で、同じ価値観でもって、お互いに相互扶助について話し合うということが成り立たないわけで、ただただ威張りたいだけ、威張って見せるだけのものに終わってしまう。

中国から日本を見れば、これはもう完全に日本は野蛮国で、「日出る国」というだけでもう先方は腹を立てるわけである。

この差別意識は21世紀の今日に至っても一向に改まることはないわけで、これを乗り越えて仲良くしましょう、といってもそれは無理というものである。

ところが日本の進歩的と称する学識経験の豊富な人々は、口先では「中国の言い分をよく聞いて、改めるべき事は改めて、先方と仲良しなければ」と奇麗事をいう。

問題は、こういう奇麗事を言ってその場をいくら取り繕っても事の解決にはいたらないということである。

ところがこういう人たちにとっては、ことが解決しようがしまいが、それが自分自身の得失とは何ら関係がないものだから、極めて無責任に言いたい放題のことを言い、先方に媚を売り、自国の国益が損なわれても、それは政府の責任、小泉首相の責任で、自分は何ら関わりがないと逃げを打つのである。

だから中国との付き合い方というのは尋常ではありえないわけで、リスクを常に考え、カードはしっかりと握り締めて、どうして中国を騙すかという傾向と対策のノウハウをしっかりと研究する必要がある。

平和的な腹を割った話し合いなどと頭から信用してはならないと思う。

ああいえばこういう、こういえばああいうという式で、とにかく尻尾を握られないように話の争点をはぐらかして結果として話題が何であったのさっぱり要領を得ない話し合いにしておかなければならないと思う。

ところがこういうことが我々日本人は全く下手で、真っ正直に話をしてしまうところが民族的に稚拙な点だと思う。

馬鹿正直という言葉があるが全くそれだ。

 

我々の発想

 

ここでもう一度話しが飛躍するが、4月6日にEXPO2005に行って、そこでカナダ原住民の踊りというものを見たときふと思ったのだが、カナダの原住民といえば、太古の昔、アジア大陸からアリューシャン列島を経由してアメリカ大陸に移り住んだモンゴロイド、モンゴリアンのエスキモーやイヌイットのことを指し示すと考えていと思う。

モンゴロイド、モンゴリアンというのはアメリカ大陸で原住民といわれる人々の大部分がそうだと思う。

つまりアメリカ先住民としてのアメリカ・インデアン、ネイテブ・アメリカンとしての様々な種族は、そのほとんどがアリューシャン列島を渡ってきたアジア系のモンゴロイド、モンゴリアンと見るべきだと思う。

ところが地球規模で見たとき、このモンゴロイド、モンゴリアンというのは、今でいうところの西洋の白人、モンゴロイドと同じ言い方をするとすればコーカソイドに物資文明の上で上位に出たことがないのはどういうことなんのであろう。

今どきはエコロジーの観点から、物質文明というものが否定的に取られているが、我々が今日幸せな生活を享受しているのは総てこの物質文明のお陰であるにもかかわらず、そういう幸せな生活の中でも、その幸せを忘れてしまった人がエコロジーを掲げてそれに弓を引こうとしている。

人類の有史以来、モンゴロイドはコーカソイドの上に出たことがないということは一体どういうことなのであろう。

アメリカ大陸では後から来た西洋人にその豊かな大地を全部取られてしまっているではないか。

アジアでは、21世紀に入ってからは何とか肩を並べるまでにこぎつけたが、それでも上位に出るということはないわけで、後塵を浴びていることには変りはない。

ところがここでふと我が足元にスポットライトを当てて見ると、モンゴロイド、モンゴリアンの中で、日本民族だけはコーカソイドを凌駕したことがあった。

アジア大陸からアメリカ大陸にわたって極めて広範囲に分布しているモンゴロイド、モンゴリアンのなかでも、日本民族だけがコーカソイド、つまりヨーロッパ系の白人達に泡を吹かせるような大事業、大きな実績を示しているのである。

そしてそれは今でも進行中で、それが進行すればするほど地球規模でジャパン・パッシングは熾烈を極めてくるという現実が見えてくる。

日本が西洋人をびっくりさせた出来事といえば、それは明治維新以降の日本の発展といわなければならない。

日本の明治維新は1868年である。

その325年前の1543年にポルトガル人が鉄砲を持って種子島に漂着した。

この頃もうすでに西洋の白人、ポルトガル人はアジアの各地に出没していたわけで、いわば文明の衝突がコーカサイドとモンゴロイドの間で湧き上がっていたわけである。

で、その対応を較べてみると、同じモンゴロイド、モンゴリアンの中でも、我々日本民族の対応は極めて特異であったわけで、我々の対応は、ポルトガル人が鉄砲なる、新規で、珍奇なる道具で、豚なり猪を射るのを見て、大いに驚いた。

どの民族でも最初に鉄砲を見た時の反応は同じだったろうと思うが、その後の対応がまるで違っていた。

他の民族、他のモンゴリアン、他のモンゴロイドは、ただ驚きはしたがそれ以上に好奇心を持たなかった。

ところが我々は驚くところまでは同じだが、どうしてそうなるのか解き明かしたかったし、同じものを自分でも持ちたいと思ったに違いない。

同じものを手にするだけでは飽き足らず、自分で同じものを作ってみたいと思った。

他の民族、他のモンゴリアン、他のモンゴロイドは、同じ物が欲しければそれを金で買えばそれで納得できた。

ところが我々も、少しは金を出して買ったが、買ったものをよくよく調べ上げて、何とか同じものを自分達でも作れないかという発想に至ったのである。

するとこれは未熟とはいえ明らかにシステム工学の部類に入り込んでしまうわけで、鉄砲の鉄の材質から、加工のノウハウから、弾の材料の研究から、発射の容易さに至るまで、ただ同じものを作るだけでは収まりきれないところに嵌りこんでしまったものと考える。

これが出来たモンゴリアン、モンゴロイドはアメリカ大陸のネイテイブ・アメリカンからアジア大陸の漢民族に至るまで、全く居ないわけで、ただ一つ日本民族だけがそれを成し得た民族であった。

日本民族以外のモンゴロイド系の民族では、西洋の白人の作ったもの、考えたものを自分達のものにするという発想が全く存在していなかったわけで、その意味では中国人も朝鮮人も全く同じである。

もともと鉄砲、火薬、紙というのは中国の発明品と言われていたにもかかわらず、中国の人々にはシステマチックな発想というものが欠落しているので、その利用価値というものを自分達で発見できなかったのであろう。

日本という国は、太平洋の東の端にある小さな島国で、この4つの小さな島の中で、自然発生的に生まれてくる文化には限度があるので、外来の文化には人々が非常な憧れを抱いていたわけである。

憧れというよりも便利なものはどんどん取り入れようという進取の気性が強かったわけで、韓国のように、「嫌いな国の文化だから禁止だ」とか、中国のように愚にも付かないわけの分からぬ理由で、「俺が一番偉いのだから、他のもののは全部野蛮だ」という理由で阻害するようなことがなかった。

「自分達でも西洋人と同じものが作れないだろうか?」という発想は、非常に貴重な思考だと思う。

これこそ他のモンゴリアン、モンゴロイドにはない思考だと思う。

日本民族独特の思考、考え方、発想だと思う。

同じアジアに住む朝鮮人にも中国人にも蒙古人にもない発想だと思う。

1853年、明治維新の15年前にペリーが蒸気船で浦賀に来たときも、我々日本人は相当驚いただろうと思う。

「上喜撰(蒸気船)、たった4杯で夜も眠れず」というのは当時の日本人としては本当のことだったろうと思う。

ところがこれもあれと同じ蒸気船を自分達で作り、その上それ以上の発達をしたのが日本の造船界ではなかったか。

日本が1868年に明治維新で近代国家として生まれ変わって、最初に仕掛けた戦争、1894年、明治27年の日清戦争で勝利するということは西洋人の視点からするとまるで信じられないことだったろうと思う。

西洋人ならずとも、当時においては全地球規模のあらゆる民族で信じられない出来事ではなかったかと思う。

日本が大清帝国に戦争で勝つなどということは、あの時代に生きた人間にとって信じられないことだったに違いない。

中国人も自分達が倭の奴の国、日出る国、華夷秩序の一番外側の野蛮国に負けるなどということは彼ら自身信じられないことであったに違いない。

まして西洋列強の白人達にしてみれば、いくら中国が眠れる獅子といわれていたとしても、まさかあの清帝国が成り上がりものの日本などに負けるはずがないと思うのも当然のことだと思う。

それから1904年、明治37年の日露戦争の勝利である。

これもヨーロッパ系の白人、コーカソイドから見ると全く信じられない出来事であったと思う。

あの巨大帝国ロシアを太平洋に浮かぶ小さな島国の日本が負かしたというのだから、当時の常識では信じられないような出来事であったに違いない。

日露戦争に関していえば、この事実を中国人や朝鮮半島の人々の視点から見ると、なんともやりきれない切なさを彼らは感じずにはおれないだろうと思う。

彼らの有史以来4千年の歴史の中で、そうありたいと願いつつ、果たしえない事業であったわけで、彼らではどう転んでも出来ないことである。

これからの将来にわたっても、西洋人コンプレックスの呪縛から抜け切れない中国人には成しえないことだと思う。

そして、あの大東亜戦争で、日本がハワイの真珠湾を攻撃し、イギリスの「プリンス・オブ・ウエールス」と「レパルス」という当時の世界の最新鋭、最強の軍艦を撃沈してしまったということは、コーカソイドの人々にとっては全く信じられないことであったと思う。

この時は、コーカソイドとして真剣にモンゴリアン、モンゴロイドとしての日本というものを認識したに違いない。

日本が大清帝国に勝つ、日本がロシア帝国に勝つ、日本がアメリカ海軍のパール・ハーバーを攻撃する、日本がイギリスの最新最強の軍艦を2隻一遍に沈める、ということは世界中の人々にとって信じられないことであった。

特に、ヨーロッパの白人にとっては、ヨーロッパ系のコーカソイドにとっては、全く信じられない驚天動地の出来事であったわけだが、そのショックの振幅が非常に大きかったがゆえに、その裏側のリアクションとして日本に対する恨みの大きさも、深さも、より強まったことは否めない。

ヨーロッパ系のコーカソイドの立場から見て、中国人や朝鮮人には、自分達を凌駕するような力がないことを知っており、そういう恐れが全くないので、馬鹿にしながらも「憂い奴」で済ませておれるが、日本人だけは決して油断ならない、と常に構えて掛からねばならなかったのである。

太平洋戦争の流れを見ても全くそうではないか。

アメリカもイギリスも、日本が憎らしく、日本という国があまりにも整然と、しかも急速に勢力を拡張しだしたことに危機感を覚え、それが憎くて、そういう感情を押さえることが出来ず、中国を抱え込んでいったではないか。

日本が満州国を作ったとき、西洋人、ヨーロッパのコーカソイドの人々は、あのまま放置したら日本がアジアを平定してしまって「ユナイテッド・オブ・アジア」を作ってしまうのではないか、という危機感にさいなまれて、そうはさせじと、中国を引き込んで日本に敵対行為を仕掛けてきたではないか。

また中国は中国で、中国一国では日本を御し切れないので、アメリカとイギリスに引導を渡しておきながら、上手に「漁夫の利」を得たではないか。

対日戦ではさんざん負けていながらトータルとしては連合国の一員として戦勝国に名を連ね、勝っておきながら、未だに負けた側にイチャモンをつけて溜飲を下げて喜んでいるではないか。

こういう行為は日本人の人間的評価では最低の部類で、「下衆」と称せられている。

 

足の引っ張りあい

 

我々は、ここで政治外交の力というものをもっともっと認識しなければならないということである。

太平洋戦争前の日中戦争の時の蒋介石の政治力、外交的手腕というものを我々はもう一度よく研究すべきだと思う。

武力では日本と太刀打ちできない蒋介石は、舌先3寸でアメリカ、イギリスを味方に引き入れて、彼らに日本征伐をさせたわけで、この外交的手腕というのは敵ながら天晴れなものだといわなければならない。

蒋介石の取った対日戦プロパガンダは、21世紀の今日においても立派に機能しているわけで、その証拠がつい4月9日の反日デモである。

彼が60年前にばら撒いた対日プロパガンダは、未だに立派に彼の地に生き残っており、我われは今その亡霊におびえているのである。

南京には日本がしたとされている南京大虐殺を、パノラマ風に展示した博物館があるといわれているが、ここの展示物というのはその大部分が写真であって、その写真というのが例の蒋介石が対日戦用プロパガンダとして大量にばら撒いた写真ということである。

ところが日本軍は南京で世上言われているような虐殺をしていないので、実際の真実は写真になりえないので、蒋介石が対日戦用にばらまいたプロパガンが用の写真がそれに使われているということである。

実際には、日本軍がしたとされている残虐行為の写真があるはずもないのだから、それでは日本を政治的に貶めることができないので、恰も日本軍が残虐な行為をしたかのように見せるために、そういう写真が展示してあるということだ。

これこそ政治の力であり、外交の力であり、日本を貶める有効な手段となりえているわけである。

フレーム・アップ、嘘、政治的宣伝、プロパガンダそのものである。

戦争を放棄した日本ならばこそ、本来ならば、もっともっと外交努力というものを真摯に考え、外交努力といえばODAで金をばら撒くことばかりではないはずで、当然、費用対効果ということも考慮に入れ、金を日本のカードとして、日本の国益に沿った金の出し方を研究し、使い方をしなければならないことはいうまでもない。

我々は、自分の持っている金という武器を使うのに、まことに不味い手法しか知らないわけで、その不味さというのはほとんど馬鹿か阿呆に近い状態ではないかと思う。

相手がこちらの言い分を聞かなければ出さない、いつでも引っ込めるという駆け引きが下手で、相手の言いなりに出してしまっては、外交交渉のカードになりきらないではないか。

ところが外交とか政治というのは物つくりとは違うわけで、1プラス1が2にはならないわけである。

政治とか外交には真理というものが最初から存在していないわけで、1プラス1が5になったり3になったり10になったりと、全く予想も付かない結果が出てきてしまうわけである。

南京の大虐殺博物館でも、全くそれと同じことがいえているわけで、ゼロから10もの効果を引き出した、極めて効果的、かつ巧妙な政治的プロパガンダの成功例といわなければならない。

最初から存在していないものを、さもあったかのように展示し、虚構の事実を捏造しておきながら、それを日本軍の所為にして、自国民の反日教育に利用し、その反日教育の成果として今、反日運動があるものと考えなければならない。

まさしく教育の効果である。

ゼロから有を生んだ見事な政治的手法、政治的手腕であり、虚が実に摩り替わったもっとも具体的な例だと思う。

中国や北朝鮮の言い分を聞いていると、我々の感覚では、まるで話にならないようなことを平気で口から言っているではないか。

我々なら、相手に対して恥ずかしくて言えないようなことを威張って言っているではないか。

今回のデモの件でも、主権国家を冒涜しておいて、「お前が悪いから起きた!」などと、普通の常識を持った人間ならばとても言えないようなことを平気で言っているわけで、我々の側とすれば「開いた口が塞がらない」という状況である。

こういう相手を黙らせるには、本当は力しか有効な手段はないのだけれど、相手はこちらがそれを使う気遣いがないものだから、平気で口にしているのである。

いわゆる舐めて掛かっているのである。

とはいうものの、彼らにも泣き所はあるわけで、それはヨーロッパ系の白人には塩を掛けられたナメクジのように従順になってしまうという点である。

彼らの弱点がそれであるにもかかわらず、彼らはヨーロッパ系の白人が考えた合理主義というものを参考にする気配は全くなかった。

ヨーロッパ系の白人の考えた文明の利器も、金を出して買ってそれで十分満足してしまって、それを研究し、それを自分たちのものにしようという発想は全く起こさなかった。

中国人や朝鮮の人々が自分達の作った船でアメリカの軍艦やイギリスの軍艦を沈めたことがあるか。

自分達で作った飛行機で、アメリカやイギリスの飛行機を落としたことがあるか。

インドネシア人が自分たちで作った武器でフランスと戦ったことがあるか。

そういう事例は一つも存在していないが、蒋介石は口先3寸でアメリカから大量の飛行機をせしめることには成功した。

しかし、それを対日戦で有効に使うことはしえず、結局は毛沢東との抗争で使う羽目になり、同じ民族同士の殺し合いに使われたわけである。

コーカソイドから、つまりイギリス人やフランス人やドイツ人から、中国人や朝鮮人を見れば、恐らくサル並みにしか見えなかったに違いないと思う。

同じサルでもニホンザルだけには手を焼いたというのが実情ではないかと思う。

問題は、日本の進出に目を奪われて驚いているコーカソイドの側にあるのではなく、コーカソイドの進んだ文明に直面した時のモンゴロイドの、モンゴリアンの側の対応にある。

種子島にポルトガル人が鉄砲を持って現れたとき、我々はあれと同じ物を自分達で作ろうと考えたが、こういう発想をしたモンゴリアン、モンゴロイドが他に一つもなかったという点に注目すべきである。

中国人は紅毛碧眼の西洋人には最初からコンプレックスを持っていて、されるがままになっていたし、朝鮮の人々は、最初は追い返したが、そのうち先方が馬鹿らしくなって手を引いてしまったし、日本人だけが最初から正面から受けとめ、正面から対応したわけだが、こういうことをしたモンゴリアン、モンゴロイドというのは、地球規模で見て他に一つもないというのが不思議でならない。

例えば、メイフラワー号でボストン近郊に辿り着いた清教徒と最初に接触したネイテイブ・アメリカンは、彼らの持っていたであろう鉄砲に対して、我々と同じような興味を持ち、同じものを自分達でも作ってみようと考えたであろうか。

メキシコに押し寄せてきたスペイン人と最初に接触したインデイオ達は、彼らの持っていたであろう鉄砲に対してどういう反応を示したのであろう。

あれと同じものを自分達でも作ってみようと考えたであろうか。

多分そういうことは考えなかったと想像する。

ということは、彼ら、我々以外のモンゴリアン、モンゴロイドの発想というのは、現状を超えることがあってはならないという古典的な呪縛に強く縛られていたのではないかと想像する。

つまり、自分の価値観を変えるようなことをしてはならない、すれば祟りがあるとでも思っていたのではないかと想像する。

今流の言い方をすれば、変革を恐れていたわけで、既存の規定概念から、それを乗り越えて先には何が有るのだろう、と好奇心を満たすことがタブー視されていたに違いない。

そこにいくと、近代文明の発達というのは常に新しさへ挑戦であったわけで、この精神の柔軟性が近代文明の母となっているのではなかろうか。

現在の地球上に存在する人類、人間は、大まかに区分して、我々と同じモンゴルを起源とするモンゴリアン、モンゴロイド系と、ヨーロッパを起源とするコーカソイド、アフリカを起源とするネグロイド、南太平洋のポリネシアン、オーストラリアのアポリジニに代表されるオーストラロイドに分類されるとみなしていいと思うが、この中で近代文明を推し進め、それを担ってきたのは云うまでもなくコーカソイドだけで、他の人種はそのほとんどがこの近代文明の恩典に浴すことさえ出来ていない。

その中で我々日本人だけがモンゴロイド系の中でただ一つ、このコーカソイドに対して挑戦をし、それを凌駕しかけた実績を持っているのである。

アメリカ大陸のモンゴリアン、モンゴロイドは文字もっていなかったので、仮に新しい発見があったとしても、それを後世に伝承することができず一代で途絶えてしまったようだが、その点アジアの諸民族は文字を持っていたので、過去を記録することができた。

ところが、個々の記録が蓄積されてくると、今度はそれが手本となってしまって、それからはみ出る行為を封じ込める作用をするようになってきた。

人はこの世に生まれてくるときは一人で生まれてくるが、その生まれてきた人間が一人前の種族の構成員になるには、様々な試練を経なければならないわけで、その試練を経る過程で、種族の特質というものが刷り込まれてしまうわけである。

中国人の中華思想、華夷秩序、朝鮮の人々の親中思想、戦後の日本人の金玉を喪失した軟弱思想、等々、こういう考え方というのは、それぞれの種族の中の社会的構成員になるための試練の中で刷り込が行なわれるのである。

その結果として、60年以上も前に日本が中国でしたことを知りもしない中国の若者が、インターネットで日本の過去を知り、それを根拠に反日行動に出るのである。

親から子へ、子から孫へ物事を伝承しようとするときに、自分達にとって恥ずかしいことや、自分達の悪態、狼藉を胸を張って教える馬鹿はいないわけで、自分達を被害者に見立て、相手は如何に専横で、横柄で、残虐で、凶悪かということを協調するのが普遍的な行動パターンだと思う。

それが積もり積もって、その民族の潜在意識や民族性を形成するものと考える。

新しいものを見たときに、それに好奇心を集中させるというのも明らかに潜在意識だと思う。

鉄砲を見たとき、黒船を見たとき、一体これはどうなっているのだろう、一体これはどう動くのだろう、一体なんでできているのだろう、と好奇心で目がきらきらするのもその民族の持つ潜在意識だと思う。

そして同じものを自分達でも出来るだろうか、と挑戦する勇気も潜在意識の発露だろうと思う。

それに加えて大事なことは物つくりの価値観である。

中国でも朝鮮でも、ものを作る人の地位というのは極めて低かったのではないかと思う。

彼の地で物を作る人の地位が低かったということは、別に驚くには当たらないが、尚一層悪いことに、これらの地域ではものを作るということが君主のためにものを作るという方向に作用していた点である。

だから皇帝のためには、精巧な置物とか飾り物には精魂を込めて皇帝の意向に沿うべき極めて精密なものつくりが行なわれていたが、それはあくまでも過去の技術の積み重ねであって、過去の技術を超越するという発想が全くなかった点が彼らの不幸である。

それは日本でもある程度は同じであって、士農工商と言われているように、物を作る人の地位はさほど高いものではないが、問題は社会そのものがシステム化していたかどうかだと思う。

種子島にたどり着いた鉄砲を見て、それに好奇心を寄せたのは何も下層階級の鍛冶屋さんだけとは限らないわけで、鹿児島の殿様であったかもしれない。

鉄砲を見た殿様から、「これと同じものを作れ」と言われた鍛冶屋さんが試行錯誤して研究したのかもしれない。

黒船だって同じことが言えるわけで、最初に見た船大工が同じものを作ってみようと挑戦したとは限らないと思う。

「これと同じものを作れ」といわれて、それに応えるだけの技量を持っていたからこそ、それができたわけで、技量が最初からなければいくら頑張ったところでそれは徒労に終わるのみである。

日本は猿真似の国だとよく言われるが、技量がないことには猿真似でさえもおぼつかないのが現状だと思う。

地球規模で見て、この地球上に広く広がっているモンゴリアン、モンゴロイドという人種の大部分は、コーカソイドを凌駕する能力を持ち合わせていないが、ただ日本民族だけは、それをしうる能力を蓄えているのである。

ところがそのモンゴリアン、モンゴロイド系の人々には、コーカソイドの僕に成り下がっては叶わない、そうなりたくない、という願望が全くないものだから、対抗意識というものが生まれてこない。

ヨーロッパの文化に対して羨ましいとも、素晴らしいとも、自分達もああいうものを持ちたい、作りたい、という願望が全くないものだから、それに近づこうという意欲も最初から存在していないわけで、隣の人がそうすると、それを異端の行為と認識して、阻止する方向に気持ちが向いてしまう。

横一線に並んでいる間は、隣の存在を意識していないが、横のものが一歩前に出ると、もう気になって気になって仕方がないのである。

そして、自分もそれを真似るという方向に意識が向けば、お互いに競争ということになるが、そうはならず、一歩リードしたものの足を引っ張って、自分と同じラインに引き戻そうとするのである。

これがモンゴリアン、モンゴロイド系の人々の特質で、この特質があったが故に、アメリカ大陸の先住民は後からやって来た白人、ヨーロッパ系の白人、コーカソイドに緑の大地を奪われてしまったわけで、アジアでは一歩先を進もうとした日本の足を引っ張ったのが朝鮮であり中国である。

明治維新の前のアジアの状況では、アジアの先住民としてのモンゴリアン、モンゴロイド系の人々としての朝鮮や中国は、日本と協力して西洋先進国、ヨーロッパ系の白人、コーカソイドの抑圧を跳ね返さなければならなかったのである。

ところ19世紀から20世紀後半のアジアの歴史というのは、こういう事態にはなっていないわけで、徹底的に西洋先進国、要するにヨーロッパ系の白人、コーカソイドの人々に、先祖伝来のアジアの土地を抑圧されていたではないか。

本来ならば、血のつながりでもって、アジアのモンゴリアン、モンゴロイド系の人々は、一致団結してこういう西洋先進国、ヨーロッパ系の白人、コーカソイド系の人々、キリスト教文化圏の人々と戦わねばならなかったではないか。

ところが現実に起きたことといえば、足の引っ張りあいで、中国人も朝鮮人も、こういう西洋の白人に対して一泡も吹かせることが出来なかったではないか。

アジアに先祖代々生き続けてきたモンゴリアン、モンゴロイド系の人々は、歴史が長い分、思い込みが激しく、刷り込みがきつく、既成概念を打ち破ることができず、思考のシーラカンスを引きずって生きてきたので、意識改革が遅れていたことがその最大の原因だろうと思うが、この意識改革というのは、そう簡単には克服できるものではない。

 

嘘の上塗り

 

新しいものを見せて「驚け!」と強要しても、それは無理というものだし、黒船を見せて、「驚け!」と言っても、それは無理というもので、そういうことは他から強要して出来るというものではない。

ところが言葉の世界というのは、どういう風にでも取り繕うことが出来るわけで、相手が「赤」と言っているものを、こちらがそれは「黒ですよ」といくら言っても、それは言い包めることができない。

相手が「赤だ」と言い張る以上、それはなんとも致し方ない。

国際信義に合致していようがいまいが、相手が「赤」というものを、他のものがいくらそれは「黒ですよ」と言って見たところで、相手が納得しなければなんとも致し方ない。

これがいわゆる思い込みが激しく、刷り込みがきつく、既成概念を打ち破ることができず、思考のシーラカンスを引きずって生きているということで、第三者がいくら正論を言って見たところで、相手が聞く耳を持たない以上、暖簾に腕押しで、いくらこちらが正しいことを言っても、何の効果も期待できない。

これが今の日本を取り巻くアジアの状況だろうと思う。

人民日報の報ずる次の記事を見てもそのことがよく伺える。

 

更新時間 :2005041607:51 (北京時間)

文字


日本はどのような反省が乏しいのか(評論)


 

  国連担当記者として働いていた3年間、筆者はいつもあの石の彫刻の前を歩いた。それはカトリックの聖アグネス像だった。彫像の右腕は切断され、全身が傷だらけで、背中には深い亀裂が走っていた。この破壊された彫像は何なのか。説明板には次のように記されている。「長崎、日本、1945年、この破壊された聖アグネス像は現地で被爆したカトリック教会の廃墟の中から見つかった。教会は米国の投下した原子爆弾の爆心地から約500メートルにあった。彫像の上のまだら模様は強い熱輻射によるもの」。

  あるオランダの作家はかつて日本人の第二次世界大戦に対する姿勢をドイツ人のそれとを対比したことがある。彼はこう指摘した。「ドイツ人にとって第二次世界大戦を理解する上で重要なのは、スターリングラード市街戦やベルリン陥落ではなく、アウシュビッツ収容所である。日本人の理解は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦ではなく、広島の原子爆弾である」

  60年前の戦争が日本国民に大きな被害をもたらしたことは間違いない。しかし日本の侵略を受けたアジアの人民にとって、それは半分正しいとしか言えない。なぜなら日本こそが戦争の元凶だからだ。何百万という日本兵がアジア・太平洋地域で街を焼き払い、人々を殺し、略奪の限りを尽くした。彼らはファッシズムの残虐な実行者だ。日本列島全体が戦争の狂気に巻き込まれ、多くの普通の日本人もファッシズムの追随者になった。国連のあの風景は歴史の一断面ではあるが、多くのアジア諸国の記者は筆者とあの聖女像について語り合い、まったく同じ意見だった。

  ここ数年来、第二次世界大戦のもう一つの枢軸国であるドイツ国内でも当時の庶民の苦難の叫びが起こり、国際社会の理解を得た。なぜ自ら反省してきたと言っている日本人には、こうした理解が難しいのだろうか。数年前、筆者はニュルンベルクを訪れる機会があった。新しく建てられた「ナチス党大会会場資料センター」で、職員は筆者に彼らがいつでも専門家を組織して学生に当時のナチスの組織と宣伝の方法について説明していると教えてくれた。センターのパンフレットにはこう記されている。「パネルディスカッションの目的は小中学生にナチスの人を惑わす手段をはっきり知ってもらうためだ」。ナチスが普通の人々をどのように惑わしたかを人々に知ってもらうため、地元政府はツェッペリン閲兵場ホールで「洗脳と恐怖」展を開いた。展示会場では、当時ここで開かれたナチス党大会に多くのナチス青年団代表が参加、行進したと説明されていた。

  戦後、ニュルンベルクは「軍事裁判の街」になった。ニュルンベルク国際軍事裁判は全世界やドイツ人にもナチスの極悪非道で許し難い悪の姿をはっきりと見せつけた。しかし今から見ると、それは反省の第1段階に過ぎなかった。なぜそれほど多くの普通の庶民が意図的にナチスの追随者になったのか、進んで残忍悲道な大虐殺に手を染めたのか。「洗脳と恐怖」というこのテーマ自身が一つの警告である。ナチスには恐怖の一面があるだけではなく、ある種の十分に人々の心を引き付ける力があった。恐怖の力はまさにこうした洗脳力でもたらせるのだ。ドイツ人の反省は戦犯裁判をこうして乗り越え、人間性と民族文化の深い所へと向かった。それは当時ナチスへの追随に熱狂した多くの普通のドイツ人に心からの悔悟の気持ちを生んだ。まさにこうした反省があって、ドイツはナチス戦犯の追跡と裁判を今なお一貫して続けている。

  翻って日本を見ると、戦後の反省はこのような深い局面までにははるかに及んでいない。日本のファシズム軍国主義はドイツのナチズムと比べて勝るとも劣らないと言える。あのように普通の日本人の心を引き付けた洗脳力もドイツのナチズムと比べて大差はない。

  ファシズムが惑わす狂気と残虐性はもちろん十分に恐ろしいものである。だがもっと恐ろしいのは、第二次世界大戦終結から60周年がたつ今日、当時暴力を振るった者が狂気と残虐性を生んだ原因に対して相変わらず深く認識していないことである。原子爆弾の被爆は日本人の「洗脳と恐怖」への反省と引き換えられ、彼らに歴史の傷跡を覆い隠す口実をたやすく与えてしまい、まるで数十年前の狂気はもともと彼らのものではないかのようだ。これがまさに一部の日本人が今日依然として戦犯の功績や人徳をたたえる原因の一つだ。彼らは絶えず教科書改定で歴史を歪曲し、日本の一般市民の中にある一種の被害者意識を利用している。そうした一般市民の中にある被害者意識は右翼勢力が日増しに猛威を振るう社会的基盤となりつつある。国民全体の深い反省がなければ、心からの謝罪もあり得ず、右翼を誘発する土壌を一掃することもできない。かつて蹂躙されて悲惨な目に遭ったアジア人民は日本の将来にますます憂慮せざるを得ない。(筆者は前人民日報国連駐在記者)

  (編集ZX)

  「人民網日本語版」2005年4月15日

 

何百万という日本兵がアジア・太平洋地域で街を焼き払い、人々を殺し、略奪の限りを尽くした。

当時暴力を振るった者が狂気と残虐性を生んだ原因に対して相変わらず深く認識していないことである。

今日依然として戦犯の功績や人徳をたたえる原因の一つだ。彼らは絶えず教科書改定で歴史を歪曲し、日本の一般市民の中にある一種の被害者意識を利用している。

こんなことを信じている日本人が今時いるであろうか。

「何百万の日本兵が・・・」というセンテンスなどまるで空想映画で、「講釈師、見てきたような嘘を言い」の類ではないか。

全く根も葉もない嘘の話が、さも本当の話のように歩き回っているわけで、デマ以外のなにものでもないが、それが21世紀の今日でも、中華人民共和国の公式メデイアとしての人民日報では罷り通っているわけである。

「彼らは絶えず教科書検定で歴史を歪曲し」という部分だって、日本の教科書検定制度というものを全く無視して、言葉尻をつかまえた言いがかりというよりも、全くの絵空事を、さも真実かのように見立てて、口から泡を飛ばして言い立てている図である。

南京大虐殺博物館の発想と同じで、全くのゼロから日本人の悪行を捏造している図式と寸分違わぬではないか。

「貴方の言っている事は間違っており、真実とはかけ離れている」と、いくら相手に言ったところで、相手が聞く耳を持たないことには、ただただ平行線を辿るのみで、問題の解決には至らないのである。

これが中国や朝鮮のいう歴史認識というものであるが、それぞれの主権国家が、自分の国の歴史を、自分の国の国民に伝えるのに、自分の国の汚点をわざわざ教えることはないと思う。

そして、この人民日報の記事でも、中国人から見て、西洋の白人、この場合はドイツ人であるが、ドイツ人は素直に過去の謝罪をしているが、それに引き換え日本人はドウだという論調である。

つまり、西洋の白人の行為は無条件に容認しているが、日本人に対しては、同じモンゴリアンとして、水に落ちた犬を叩いて喜んでいる図ではないか。そして無知である。

今の日本の国内の状況というものを全く知らず、無視して、感情のおもむくままに書かれているが、無知が無知を呼んで、無知の相乗効果で膨れ上がることが恐ろしい。

それが今回の反日暴動となっているわけで、無知なデマゴーグが無知な大衆を煽って、暴動にまで至らしめているのである。

そして尚悪いことに、このデマゴーグというものが中国政府の政治的意図でもって、嘘の上塗りがなされているという事実である。

「人の口には戸が立てられない」という諺のとおりで、「黒」を「赤だ」という者に対して、いくら「それは黒ですよ」と言って見たところで、相手が聞く耳を持たない以上なんとも手の施しようがないわけである。

ただただ相手の馬鹿さ加減を嘆いて時の過ぎるのを待つほかない。

 

遅れた意識改革

 

今回の反日暴動に対する中国政府に対する切り札は、2008年の北京オリンピックのボイコットや、2010年の上海EXPOのボイコットが大きなカードとなりうるが、日本政府としてはそこまで思い切れないだろうと思う。

オリンピックとかEXPOというのは、日本にとってもビジネスチャンスであることに変りはないわけで、我々の側としては、そこまでのリスクを最初から負う気は毛頭ないのではないかと思う。

しかし、そういう大きな博打を打たないことには、中国政府の対日批判というのは矛を収める気遣いはないと考えなければならない。

因みに、4月19日の中日新聞の報ずるところによると、日中外相会議では先方の唐家璇外務委員から町村外相に対して、「5輪をボイコットするのか?」という質問があったそうだが、町村外相は「そういうことは聞いていない!」と答えたと報じられている。

ここに外交手腕、外交上の駆け引きの巧みさというものが露呈しているわけで、町村外相としては、あまりにも正直すぎると思う。

こういう場面でははっきりとブラフを賭けて、「今の中国の状況からすれば当然そうなる」と言い切ってしまうべきである。

中国側も国際上の信義を気には掛けているわけで、相手のそういう機運を上手に使うことが、外交的手腕の上手なあり方である。

正直ばかりでは、相手に舐められてしまうわけで、ときには嘘や張ったりも方便である。

中国人も朝鮮人も、議論を組み立てるのに、3段論法というものを無視して、感情論のみで押してくるので、きちんとした議論がかみ合わない。

言葉というものを政治的に使おうとするので、そこに至るまでの経緯とか、真実とか、事実に対する認識が極めて低く、ただただ政治的に有利な立場を確保したい、という功利主義が前面に出てしまうので、まともな話し合いがさっぱり成り立たないのである。

北朝鮮の日本人拉致の問題でも、全く偽の骨を送りつけておいて、こちらが「あれは偽物だった」というと、「それは捏造だ」といい返すわけで、こちらが誠意を持って正しいことを提示しても、相手が聞く耳を持たない以上、なんとも手の打ちようがないではないか。

中国の歴史認識の問題でも、教科書の問題でも、全くそれと同じことがいえているわけで、いくらこちらの事情を説明し、誠意を持って答えても、相手がそれに耳を貸さなければなんとも仕様がない。

靖国神社参詣の問題でも、彼に小泉首相が貿易や経済効果の点を考慮して妥協して、参詣を止めたとしても、また次から次へと新たな課題を提出してくることは目に見えている。

下手に妥協でもしようものならば、相手は尚一層勢いついて、「それ見たことか、とうとう自分達の非を認めたではないか」と、より高飛車に出ることが予想される。

だから我々日本人は、中国人や朝鮮人には決して舐められたらいけないのである。

ところが悲しいから、我々日本人の側にも相手、特に中国人や韓国人には憧憬の眼差しを向けたくなる潜在意識が抜け切らず、「同じアジア人」などと奇麗事を言って擦り寄っていくものがいる。

歴史認識の問題でも、日本が彼らを抑圧したことは事実であるが、彼らにはそうならざるを得ない歴史的必然があったわけで、彼らの歴史認識というのは、彼ら自身のそういう歴史的必然には目をつぶって、ただただ抑圧されたという事実だけを取り出して、我々に反省を迫ってきているのである。

自分達がどうして日本の支配を受けるはめに至ったのか、という自分達の欠点、盲点、民族意識の欠如、清帝国の崩壊の過程、李王朝の崩壊の過程というものには全く目をつぶって、ただただ日本が彼らを支配した、という事実にのみに焦点をあてて騒ぎ立てているだけである。

朝鮮や台湾の場合、日本が彼らを一時的に支配したからこそ、彼らは近代国家に生まれ変わることができたわけで、それは日本がアメリカに占領されたからこそ近代的な民主国家になりえたのと全く同じ構図であった。

日本を責める前に、自分達の先輩諸氏はどういう統治をしていたのか、というところまで遡って歴史というものを見てみると、日本の統治がなければ、今の朝鮮の人々は近代的な民主国家に成りきれなかったではないか。

朝鮮半島や台湾において、この地域を日本が「植民地支配していたからけしからん」というのが今の彼らの歴史認識であるが、日本統治ということをよくよく調べてみれば、この植民地支配と言われる全期間を通じて、日本は彼の地に資本投下していたわけで、彼の地の社会的基盤整備というのは、あの時代の貧しい日本の納税者の金が全部そちらに流れて、日本人の血税で、今日の彼の地の社会的基盤整備が実施されたことを忘れてもらっては困る。

我々は、朝鮮の人々や台湾の人々を搾取したのではなく、逆に乏しい財源から扶助していた事を忘れてもらっては困る。

仮に、朝鮮や台湾を植民地として支配していたという言い方が許されるとしたら、日本の植民地支配というのは完全に赤字経営で、富の蓄積などとは到底言い切れるものではない。

それでも強制労働や従軍慰安婦の問題があるではないか、と反論されそうであるが、強制労働とか従軍慰安婦という言葉だけ取り上げると、我々日本人が彼らだけにそういうきつい労働をさせて、我々は酒池肉林に耽っていたかのような印象を受けるが、戦前、戦中の我々日本人の働き方を見てみれば、我々だとて、学徒動員とか女子挺身隊と言われていたが如く、けっして彼らだけに強制労働を強いていたわけではない。

あの時代の労働そのものが今から思えば過酷な労働であったわけで、彼らだけにきつい労働を強いたわけではない。

そして当時の社会状況というものをよくよく調べてみれば、我々日本国民の成年男子には兵役の義務というものが科せられていたが、彼らにはそれもなかったわけで、今流の言葉でいえば優遇されていたのである。

我々が統治しようとした朝鮮と台湾というのは、西洋列強がアジアで行なったように完全なる帝国主義的植民地支配では決してなかったわけで、我々はただたんに富の収奪だけの目的で彼らを統治したわけではない。

あくまでも前近代的で土俗集落的な野蛮な人々を、近代化した国家に引き上げよう、そして共にアジアでの繁栄を築き、西洋列強の搾取から免れよう、という遠大な思惑があったにもかかわらず、それは理解されることがなかった。

そもそも朝鮮に限って言えば、我々は明治維新で自存自衛の近代国家を作り上げたとき、「お互いに自存自衛の近代国家を作り上げましょう」と手を差し伸べたにもかかわらず、朝鮮側はそれをにべもなく振り払った経緯がある。

当時の朝鮮は、清帝国こそ命であったわけで、あらゆるものが清に傾倒しており、文化の風下の日本など頭から馬鹿にしていたのである。

ところが、その馬鹿にしていた日本が清帝国と戦争して勝つ、ロシア帝国と戦争して勝ったとなると、朝鮮の人々はもう目の前の指針がなくなってしまって、何を頼りに生きていいのか皆目分からなくなってしまった。

そういう状況下で、日の出の勢いの日本の庇護を得れば、彼ら自身得をするかもしれない、という思惑が彼らの側に出てくるのも完全なる歴史の必然であったと考える。

今の朝鮮の人々の日本に対する批判は、歴史の流れをある時点で切り取ってしまって、それ以前のことを全く考えに入れず、自分にとって都合のいい部分のみを抽出して、わめきたてているわけで、これは人間として非常に卑しい心魂といわねばならない。

アジアのモンゴロイドの深層心理には、こういう狭量な思考が澱となって沈殿し、凝り固まっているので、未だにアジアの諸民族の団結が実現しない。

21世紀にいたってもアジアではモンゴリアン、モンゴロイドというのは、お互いの種族同士で足の引っ張りあいを演じて、「ユナイテッド・オブ・アジア」というものの実現を見ることがない。

それに引き換え、ヨーロッパ、コーカソイドの人々は、20世紀の終盤には既にEUというものを作って、「ユナイテッド・オブ・ヨーロッパ」というものを形作ったではないか。

このモンゴロイドとコーカソイドの違いというものを21世紀という時間で区切ってみると、この相違は明らかに人類の歴史そのものの中に現れていると思う。

今、我々の身の回りにあるもので、モンドロイドの発明、発見したものというものが果たしてあるであろうか。

紙、火薬、印刷はアジア人、中でも中国人の発明とされているが、発明はしたかも知れないが、その実用化を考えたのはコーカソイドの人々であり、今我われが享受している総てのものが、そのルーツを辿ればコーカソイドの人々の発明品ということに行き着いてしまう。

これは一体どういうことなのであろう。

電車でも、汽車でも、飛行機でも、コンピュータでも、電話でも、今我われの身の回りにある総てのものが、突き詰めれば西洋人、コーカソイドの人々の発明品ということになってしまって、中国人や日本人の発明品というのはほとんどないではないか。

これは一体どういうことなのであろう。

人間というものをよくよく観察すれば、この世に生れ落ちた一人の人間は、たった一人で生きれるわけでもなく、最初は両親の庇護の元で生育し、その後は周囲の大人の庇護で生育し、自我に目覚めると、個人の意思で自分の人生を切り開くようになると思う。

この一連の流れがモンドロイドとコーカソイドでは大いに異なっているのではなかと想像する。

中でも、個人の考えに大きくインパクトをあたえるのは、幼児期を脱し、自我の確立が成立するまでの間だろうと思う。

この間の刷り込みが大きく個人の発想を支配するのではないかと思う。

例えば、戦後の中国や韓国では、この間の教育に、国家の意志で非常に熾烈な反日教育を実施している。

当然、成人に達した彼の地の若者は、日本という国は悪魔の国で、信用ならず、常に頭から押さえつけておかなければ何をしでかすか分からない、という先入観を植え付けられるわけで、それは相互協力を頭から否定する発想につながる。

中国人の中華思想、朝鮮の人々の侮日感情というのも、そういう環境の中で徐々に熟成されるわけで、それが集大成されるとナショナリズムになるのである。

人というのはたった一人では生きていけれない、ということは理解しても、協力し合うべき相手というのは、常に自分の身の回りの人間しか眼中におかないのがモンゴロイドの発想ではないかと思う。

だから同一の種族の間では非常に結束力が強いが、それが他の種族や他の集団となると極端に排他的になり、信用せず、協力を拒むという特質を形成するのではないかと思う。

アジアのモンゴロイドの中で、それぞれの種族が21世紀という時代にこんなことをしていては、アジアが一つに成りえるわけがないではないか。

その意味でコーカソイドの人々は、アジアのモンゴロイドの人々よりも、一歩も二歩も先んじているわけで、お互いの殺し合いは20世紀の後半で終わりにして、21世紀にはもうそんな馬鹿らしいことは止めましょう、という意見に一致を見ているのである。

この新しい発想をフォローする雰囲気というか、地盤というか、それを容認する度量の大きさが、アジアのモンゴロイドとヨーロッパのコーカソイドの違いではなかろうか。

アジアに住んでいるモンゴロイドのそれぞれの種族では、こういう新しい発想、新しい思考というものを総て握りつぶす方向に潜在意識が作用しているのではないかと思う。

出る杭を打つのがモンゴロイドで、出てきた杭を伸ばすのがコーカソイドではなかろうか。

人類の歴史を見てみると、21世紀に生きている人間に対して、全地球規模でみてモンゴロイドが貢献している点は何もないような気がしてならない。

 

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