再び中国について04・12・09

再び中国について

中国首脳の発言

 

2004年、平成16年11月20日から21日にかけて南米チリのサンチアゴというところでアジア太平洋経済首脳会議、通称APECという会議が行われ、日本からは小泉首相が参加され、会議の合間に行なわれた各国との首脳会議の場で、中国の胡錦涛主席と小泉首相の会談が持たれた。

その席で、先方から出た言葉に靖国神社への参拝を非難する言辞があったということだ。

又、そのつきの月末にラオスのビエンチャンで行なわれたASEANの会議では、やはり小泉首相と会談した中国の温家宝首相との間でもこの問題がぶり返された。中国が日本の首相の靖国神社参詣に嘴を差し挟む行為というのは、非常に由々しき問題だと思う。

主権国家の国家代表が、どこに参詣しようとも他国がくちばしを差し挟むことではないと思う。

アメリカ大統領がアーリントン墓地を参詣したら他国が文句を言うであろうか。国家を代表するものが、その国の英霊に参詣するのは主権国家の首脳ならば当然のことで、それを他国がうんぬんするということは国際信義にもおとると思う。

中国側の首脳者というのは、日本という国をまともな主権国家とはみなしていないということだと思う。

そこで、中国の今の首脳というものを、人間としてよくよく考察してみると、彼らは身をもって共産主義革命を体験した世代ではないわけで、生れ落ちたときから共産主義というものにドップリと浸かって育った世代である。

ともに1942年生まれ、日本の年号に直せば昭和17年生まれで、胡錦涛国家主席はお茶屋さんの息子で父親はお茶組合の有力者、温家宝首相の両親は学校の先生ということで、生れ落ちたときから共産主義に染まって育ったといってもいいかと思う。

人が生まれ落ちたときから共産主義の中で育てられたとすると、普通の常識とか、倫理観とか、普遍的な物事の捉え方というものを身につけずに大人になるのではないかと思う。

この二人の中国のエリートは、ともに国際的な常識というものが全く判っていないのではないかと思う。

そうとでも考えないことには今回のこういう言葉というのはありえないと思う。しかし、もうひとつ裏を勘ぐってみると、この二人の発言には中国人の潜在意識としての中華思想、つまり自分たち以外は夷狄、野蛮人だという思考があるのではないかと思う。

かっての日本でも、軍国主義が華やかなりしとき、優秀であるべき若者で、体制の中から当時の国家に対して反抗したものはほとんど出てこなかったのと同じで、共産主義体制の中では優秀なものといっても体制にべったりとくっついて生きているわけで、その意味でこの二人のエリートの頭の中には国際的な倫理観というものは生まれず、中国の歴史的潜在意識としての中華思想を引きずったまま今日に来ているのではないかと想像する。

頭脳明晰な人間は体制に埋没する術も人並み以上に優れているわけで、その意味で、今日の中国の首脳としての地位を確保したのではないかと思う。

中国の悠久の歴史の中では、漢民族以外はみな野蛮人なわけで、その中でも特に日本人というのは彼らの視点から見ると究極の野蛮人に見えていると思う。

そうとでも考えなければ、近代国家の国家首脳が、他国の国家代表がその国の英霊に参詣するのに何を以って非難中傷するのか、その真意が不可解であるといわなければならない。

中国首脳のこういう発言の裏には、矛先は日本に向いているが、案外中国国内向けのシェスチャーかもしれない。

中国側の立場に立ってみると、我々のトップは「このように日本に対して強硬な態度を押し通している」ということ国内向けにPRする必要があるのかもしれない。

なんとなれば、日本をスケープ・ゴートにして国内の様々な不満をガス抜きすることが時には必要なわけで、それに利用されているのかもしれない。

問題は、今の若い中国人は共産主義の中で生まれ、生育し、教育を受け、社会的な地位についているということで、共産主義の中で共産主義者の先生から、共産主義的教育を受けた場合、それはこの地球上で普遍的なものの考え方、他の人々が普遍的に持っているコンセンサス、世界の常識からかけ離れた発想に陥っているということである。

そして共産主義なるがゆえに、中国の過去の悠久の歴史とは断絶し、過去を否定しているようの思えるのだが、それでいて潜在意識としての中華思想というのはふつふつと息づいているのであって、なおのこと国際信義を考慮に入れない、世間というものを知らない、「井戸の中の蛙」の状態に陥っていると思う。

ところが個々の人間は非常に優秀なものだから、そういう不具合なことは上手にカモフラージュすることが出来るのである。

 

彼らのコンプレックス

 

我々の目から見て、彼ら中国人が如何にも情けないと思うことは、紅毛碧眼の白人には極めて卑屈であるということである。

彼らが白色人種に対して言い様のないコンプレックスを抱いているのは、文化的に見て、中国人の文化と西洋人の文化では全く接点がないからであろう。

ところが、中国と日本では文化的に一本の流れになっているので、文化の上流と下流という認識を彼らが持っているから、我々に対して高飛車な態度をとるのではないかと思う。

彼らが西洋文化を超えられなかったという事実は、非常に気の毒で、それも国土があまりにも広すぎたという地勢的な要因が大きく作用していたと思う。

彼らの沿岸地方がいくら西洋人に蚕食されたとしても、一寸内陸に入れば全く関係なかったわけで、そこは別世界であったわけである。

つまり悠久の中国の歴史が生きているわけで、完全なる格差がそこにはある。

これは今でも昔同様に起きているわけで、日本のように一地方の出来事は瞬時にして国土の全域に影響を与えるということがなかったわけである。

ところがこれから先、人類が21世紀という時代に突入すれば、中国だとてこの時流に遅れを取るということは考えられなくなる。

例えば、インターネットだとか携帯電話の普及ということになれば、今までの歴史的価値観というものは完全に通用しなくなるわけで、世界のあらゆることが中国の田舎にいても瞬時に理解できるということになる。

インターネットでも携帯電話でも、大々的な社会資本の蓄積ということは考えなくても済む。

従来の文化の伝播というのは、どうしても社会的インフラの整備がないことにはその伝播のスピードが向上しなかったが、新しいメデイアというのは、さほどインフラというものを考えなくても済むわけで、情報というのは従来の発想にとらわれることなく奥地にも瞬時に浸透すると思う。

人類が今まで経験してきた歴史では、文化というものは情報の具現化という形で世界のあちらこちらで勃興しており、それは人為的に乃至は自然現象で淘汰されたり、又隆盛を極めたりしたものであるが、21世紀における文明の利器というのは、情報というものを人類全体で共有する方向に向かうと思う。

つまり19世紀までは先端技術を習得した人間集団が、それをまだ習得していない未開な部族を力で抑え、そこから富を収奪することが容認されていた。

容認されていたというよりも、そうすることによって子孫を繁栄させてきた。

そうすることが自分たちの子孫に幸せを残す方法としてベターなものだと思われていたのである。

封建制度のもとで、自分たちの行動範囲が極限られた地域に限定されていたときは、その中だけが小さな宇宙で、人々はそれで満足していた。

ところが、大航海時代を経験することによって、人々の行動範囲が大きくなると人々はそれでは満足できず、外に外にと行動範囲が大きくなった。

その結果として、中国の沿岸部分の土地を西洋列強が蚕食するという現象が続いたわけであるが、この時には中国の人々は彼ら西洋の文化に度肝を抜かれて、彼らに抵抗する術さえ持たず、その意欲もなかった。

西洋の婦人が玄関先で小銭をばら撒くと、貧しい中国人の子供や大人が、それに群がって拾っている映像をテレビで見たことがあるが、まさしく中国の国辱的なシーンであった。

ところが彼ら中国人から馬鹿に思われていた日本人、いわゆる倭の国では、西洋人の文化に度肝を抜かれたところまでは彼らと同じであったが、それを克服して、その同じ手法で持って反対に西洋人、白人、毛唐に一泡吹かせたではないか。

ところが倭の国の一部のものが中国の土地で、五族協和、王道楽土、大東亜共栄圏を築こうとしたので、彼らの憎悪は極限にまで達してしまったが、アジアの開放という意味では、倭の国が西洋文化を克服したことに遠因があると考えなければならない。

倭の国が西洋文化を克服して、アジアで植民地を経営し、富を収奪していた西洋人を追い払った、という事実は厳粛に受け止めなければならないと思う。

が、しかし、倭の国がアジアで覇権を得ようとした、その過程と手法が稚拙であったが故に、この事実が素直にアジアの人々に受け入れなかったことは、返すがえすも残念なことである。

 

中国的発想

 

中国の人々というのは、有史以来自分たちの土地でお互いに団結するということを嫌っていたが、対日本に対してはそういう確執をかなぐり捨てて一致団結したのが蒋介石の唱える抗日という思考である。

そして蒋介石というのは結果において日本に勝ったわけで、そのことを考えると、我々日本人の側は余程のお人好しというべきところがある。

と言うのも、この蒋介石というのは日本で教育を受けているわけで、日本で日本を負かす手法を学んだということになる。

ある意味で、これほど優れた手法もまたとないと思う。

敵国で教育を受ければ敵国の弱点は容易に探れるわけで、それは自国に勝利をもたらす最短の手段となる。それを地で行い、実施したのが蒋介石であった。

恩を仇で返されたといってもいいと思うが、蒋介石が戦後の賠償を取らなかったのは、この日本で教育を受けたという恩義を感じていたのかもしれない。

我々の住む東洋においては恩義とか忠義とか忠君愛国という概念は非常に難しいものだと思う。

我々がアジアで行なったことは、西洋人のようにはっきりと割り切って富の収奪だけではなかったはずで、それはあくまでもアジア人の共存共栄を図ったものであったが、その過程で邪なわが同胞、欲張りなわが同胞、専横的で威張り散らすわが同胞がいたことも事実と認めなければならない。

恩を仇で返すに似たようなことは、我々の側も同じようにしてきたわけで、蒋介石個人を非難するに当たらないと思う。

我々も中国という国土、シナ大陸というものを見るとき、なんとなく我々の文化の先生という意識を払拭しきれない。

心の隅にはどうしても我々の文化の上流域としての国・土地という思いがよぎってしまう。

仏教の伝来とか、文字の伝来ということを考えた場合、どうしても我々とは深いつながりを持った国という意識になってしまうが、ここに精神的な落とし穴が潜んでいるのではなかいと思う。

つまり我々は中国という国が広大な土地にもかかわらず、その広大さを頭から考慮に入れずに、我々と同じ感覚で自分達と同じような国として意識の中で捉えてしまっているのではないかと思う。

1960年代の文化大革命のとき、紅衛兵と称した若者達は、都会のインテリーたちを「下放」と称して田舎に送って、田舎で農作業をさせることが流行った。

つまり共産主義国家の中でも、田舎で農業に従事している人達というのは刑務所の囚人と同じだという感覚であったことになる。

こんな馬鹿な話が日本でありうるであろうか?

都会のインテリーは、口で泡を吹いてつまらない議論ばかりしているから、罰として田舎に送って、つらい農作業でもさせようという魂胆であったが、ならば革命後の田舎で農業に従事していた人々は、皆、罪人と同じ待遇であったということになる。こんな馬鹿な話もないと思う。

紅衛兵というのも不可解な代物で、紅衛兵という若者がどういう根拠で以って、ある人がインテリーと言うだけでその人に罰則としての「下放」を実施できたのかということである。

中華人民共和国の誕生が1949年、日本の年号でいえば昭和24年である。

文化大革命というのが1966年(昭和41年)から76年(昭和51年)まで約10年続いたことになる。

建国から17年も後ならば、当然、警察機構や治安体制もそれなりに機能しているとみなさなければならないが、その中で何ゆえに紅衛兵などという集団が我が物顔で社会にのさばったのであろう。

これは一体何であったのだろう!

胡錦涛国家主席も温家宝首相もこのころ丁度22,3歳で紅衛兵の先頭に立っているべき年頃のはずであるが、それに関する経歴を私はつまびらかに知らない。インターネットで調べると、尤もらしい経歴は乗っているが、紅衛兵であったかどうかということは記述されていない。

ただ共産主義社会ではこういう現象がおきても不思議ではない、ということは漠然と考えられる。

共産主義者というものには、論理的に整合性の持った議論というものが通用しないわけで、論議の途中に何か筋の通らないことがあったとしても、自己主張のみを声高に叫んで、相手に妥協を強いるのみだから、議論がきちんとかみ合わないという面がある。

中国側の日本に対する議論にはすべてこれがあるわけで、自己主張のみが強くて、相手には妥協を強いるが、自分の方には全くその気がないものだから纏まる話も纏まらないのである。

考えて見れば、これこそ人間の欲望をむき出しにした状況である。

裸の人間の姿といってもいいくらいだ。

ところがこれでは世の中は円滑に回らないわけで、円滑にまわらないから人々はお互いに妥協しあって、我慢できるぎりぎりの線で折れ合うのである。

 

愛される中国嫌われる日本

 

人類の歴史を巨視的な観点から見てみると、中国の人々というのは、潜在意識としての中華思想を持っているわりには、世界のあらゆる民族から蔑まれて見られているのではないかと思う。

その根源は私の推測では清王朝の責任だと思う。

清王朝が西洋人に対して毅然たる態度を取らなかったので、それがその後の習い性となって、中国人というのは世界のあらゆる民族から蔑まれて見られるようになったのではないかと思う。

というのも、毛沢東が全中国を統一し共産主義国家を作って、共産主義国の先輩として旧ソビエット連邦のスターリンに朝貢の挨拶をしたのがいけなかった。

毛沢東というのは旧時代の考え方というものを心の隅に残していたので、先輩としての旧ソビエットのトップ・スターリンに、ご機嫌伺いの朝貢をしたのでここで馬鹿にされたのである。

毛沢東にしてみれば朝貢などと言うものではなく、それこそ支援を要請に行ったわけであるが、ここで「窮すればすぐ人に頼る」という、旧時代の発想が残っていたわけで、スターリンからはけんもほろろに扱われたのである。

スターリンからしてみれば、中国人いわゆるモンゴリアンの共産主義者など頭から信用していなかったわけで、猿並みにしか思っていなかったし、新生中国だから「何とか助けてくれ!」と人に頼る発想そのものが馬鹿にされた理由だろうと思う。

毛沢東本人は怒髪天を抜く思いであったろうけれど、これが共産主義者の現実の姿であったわけで、自分が相手に妥協だけを迫れば、相手もこちらに妥協を迫ってくるわけで、当然話し合いは進展しないという結果になる。

自分がお山の大将のときは、自分のしていることは全部正しいと思っているが、自分が人の助けを借りようとすると、人が如何に自分のことを考えているかということが真摯に理解できるわけである。

その意味で、世界の人々は中国人というものを無意識のうちに蔑んでみていると思う。

ところがここに日本がからんでくると、その矛先は全部日本に向かってしまい、中国は世界の同情を寄せ集めてしまう。

そういう意味で、中国人というのは世界の関心を引くことが上手く、身の振り方、外交の場での身の交わし方が巧妙で、自分にむけられた蔑みの矛先を、日本への憎悪に摩り替えてしまう。

世界の風潮としては、中国人は馬鹿だから、馬鹿だからこそ憎めないが、小利口な日本人はなんとなく苛めたい衝動に駆られてしまう、ということになる。

日本人が世界から嫌われるのは、我々が優秀なるが故であり、中国人が世界から同情を寄せられるのは、彼らが愚昧だからである。

日本人は世界の何処にいても、何時でも、頭画をあらわしてしまうので、彼らのヤッカミを買い、敵愾心を刺激してしまうが、中国人というのは蔑まれてもニヤニヤしているので、彼らは相手の敵愾心を刺激することはない。

あの世界大戦のとき、日本はアメリカと戦う前から中国を侵攻していたので、そのことによってアメリカは非常に中国に対して同情心を持っていた。

それで、その後の経緯として、アメリカは日本に対してはあらゆる物資に輸出禁止措置を取ったが、中国の蒋介石に対しては逆に武器供与していたのである。

蒋介石はアメリカの武器で日本と戦ったのであるが、このアメリカの武器供与はその戦いに有効に機能したわけではなく、蒋介石の懐を暖めただけという効果しかなかった。

アメリカの採ったこういう行為は、後のベトナム戦争でも遺憾なく発揮されたわけで、南ベトナムのグエン・カオキに惜しげもなく武器供与したが、それはカオキが私服を肥やすためにだけ使われたわけで、結果的にはその後の経緯が示しているとおりであった。

 

中国の中央と地方

 

アメリカの武器供与の話は本題からそれるが、中国という国は、実に広大な国土を擁した国家であると思う。

こういう国家をひとつに纏めるということは非常に困難なことは論を待たないが、こういう国家だとすれば、それはアメリカ合衆国のように共和制を採用しなければ国家として立ち行かないのではなかろうか。

12月5日の中日新聞のコラムには「中国、収まらぬ地方の暴走」と言うテーマで、拓殖大学の渡辺利夫という教授がコメントを寄せていた。

私が思うに、中国で言う地方の反乱ということは、中国の歴史の中で普遍的にあることで、今に始まったことではないはずである。

と言うのも、中国という広大なテリトリーを持つ領域を、あくまでも中央集権体制で統治しようと考えるから、地方を管理しきれないわけで、地方のことは地方に任せるという連邦制を作り上げれば、もう少し纏まった国になるのではなかろうかと素人なりに考える。

中国という国は、有史以来、中央集権制度の確立に躍起になっているので、常に地方の反乱がおきるわけで、台湾の独立の問題もそのひとつの形態をなしていると思う。

台湾の問題に関していえば、国際世論というのもかなりいい加減なものだといわなければならない。中国という国の実態をどう見るかと言う点でかなりいい加減なところがある。毛沢東の赤軍、人民解放軍、八路軍に追われて、蒋介石の国民党とその軍隊が台湾に逃れたとなると、台湾は中華民国の亡命政府かどうかという点で問題はかなり複雑化してくると思う。

しかし、国連の安全保障理事会というのはあっさりと共産中国、つまり中華人民共和国を中国人の現行政府と認定してしまって、中華民国の方は切り捨てられてしまっている。

国際連合設立当時の安全保障理事国のメンバーであった中国は、当然、中華民国であり、対日戦で勝利した中国というのも、当然、中華民国であっ筈である。

台湾を中華人民共和国と別の独立国とみなすかどうかという点なると,中共、中華人民共和国のほうが反対して、「自分たちの国の一部だ」というわけである。

国連の安全保障理事会の中国は本来ならば中華民国、今の台湾でなければならないと思う。

私の個人的な考え方としては、台湾は歴史的に見て中国の一部と見たほうが整合性があるように思うが、問題は中国における中央と地方の関係である。

この論点を渡辺教授は「条」と「塊」という言葉で解こうとしており、「条」は上から下、つまり中央から地方へという縦の関係、垂直的視点と捕らえ、「塊」を横の関係、横断的行政機構という視点で捉えているが、基本的に今までの中国の行政というのはこういう視点で見て間違いないと思う。

過去の中国の為政者というのは、すべからく上から下という垂直的行政システムと築こうと努力してきたわけであるが、このことが上手く立ち行かなかったわけで、その原因の最大のポイントが国土があまりにも大きすぎるというところにあったものと推察する。

だから必然的に「塊」、つまり横の関係が強固になるわけで、中央からの指令よりも、横との関係で利害得失を考えるということになるものと思う。

このことは今流の言葉で言い表せば「地方の復活」であり、地方自治に繋がるわけである。

清王朝の末期、日本が中国に進出し、基盤を築こうとしたとき、日本が版図を広げた地域は今の中国東北部という所であった。いわゆる満州である。

この地は元々清王朝の出生の地で、本来ならばこの地が清王朝の首都でなければならなかったが、中国全土を支配した女真族というのは、今までの中国の王朝の例によって、行政の要をペキンに置いた。

よって、もともと女真族の地盤であった東北三省というのは張作霖が握っていた。この時代には清王朝の中で張作霖を始め、中国各地は夫々に軍閥が握っていたわけで、ペキン周辺は袁世凱が握り、その他閻錫山とか、段祺瑞とか、もろもろの軍閥が清王朝の中で跋扈していたのである。

このことは基本的に、この時代の中国というのは主権国家の体をなしていなかったということである。

別の言い方をすれば、アメリカ大陸の西部開拓の時代と同じで、各地に跋扈している軍閥というのはインデアンの各種族と同程度のものと思われており、中国の沿岸に辿りついた西洋人にとっては、新大陸アメリカを席巻したヨーロッパ人と同じような感覚で、インデアンを駆逐しながら奥地に版図を広げようとした構図と同じであったわけである。

ところが中国では現地人の歴史が長く、インデアンとは違って、まがりなりにも統一国家があったのである。

しかし、論理的には清王朝というのが中国全土を中央集権性で以って実効支配しているという形ではあるが、その実態は中央集権の体を成しておらず、地方地方で自治が行なわれていたとみなさなければならない。

台湾も、この時代には中国本土から見れば「化外の地」で、中国人の感覚からすれば人の住むところではない野蛮な地域のひとつに過ぎなかった。

こういう歴史的背景を知らずに中国を語るから思考がかみ合わないのである。

 

彼らのいう歴史認識

 

こういうことを頭の中に入れて現代の中国の指導者というものを考えたとき、胡錦涛国家主席も、温家宝首相も、私を含めて我々、つまり小泉首相とも同世代なわけで、こういう世代の人々というのは、旧時代の事を肌身で知っているというわけにはいかないと思う。

特に、共産主義国家の中で生育し、教育を受け、現在の地位を確保するまでの過程では、共産主義教育というものにドップリとしたっているわけで、私や小泉首相が育った環境、価値観、歴史観とは全く違うわけで、我々の思い描く世界の常識とは異質の思考の中で成り立っていると思わなければならない。

しかし、元々が頭の良い、頭脳明晰な人達であるので自分で直接体験しなくても概要は承知しているはずである。

問題はそこに潜んでいる。

つまり人間の基本的な欲求として、自分に都合の悪いことは無意識のうちに排除するという潜在意識である。

昨今、アジアの人々から日本人に対してよく言われることに、我々日本人には「歴史認識が足らない」という言辞である。

これは我々の先輩諸氏が、先の大戦で中国においてしてきた行為が「不名誉なこと」として語ることを拒んできた為、我々の若輩たちがそのことに関して無知であるから、こういう言辞が先方から出るわけである。

もっとも我々の先輩諸氏のしてきた行為が本当に不名誉なことだったかどうかという点に関していえば、これは我々との戦争に勝利した連合軍が、当時の我々の政治指導者を「戦争犯罪者」と決め付けたから、それが地球規模で定着してしまった為、我々もなんとなく「悪いことをしてきたのだろうか?」という暗示に掛かってしまっているのである。

「日本は中国で罪もない人々を多数殺したではないか」と言われるが、ならばアメリカや旧ソビエットは、罪もない日本人を一人も殺さなかったのかと反論すれば、相手も逃げ場がないわけで、俗っぽい言い方をすれば、喧嘩両成敗でなければならない。

一方的に日本側だけに戦争犯罪者がいたわけではなく、戦争を遂行した当事者は双方にいたにもかかわらず、戦争の結果が我が方の敗北であったが故に、日本の戦争指導者を戦争犯罪人と決めつけたに過ぎない。

戦後の我々は、そういう連合軍の定めた価値観をすんなりと受け入れて、それで我々の先輩諸氏のしてきたことを見るものだから、自分たちのしてきた行為を胸を張って語れないのである。

それで「歴史認識が足らない!」という先方の言い分になるわけである。

逆に、先方は戦勝国側として、自分たちの不具合なところ、不名誉な部分、自分たちの腐敗した部分には一切合切、頬被りして、その総てを負けた側の我々に転嫁して口をつぐんでいるわけである。

 

 

 

事後法の矛盾

 

中華人民共和国の誕生は1949年、日本の年号でいえば昭和24年である。

この時に、中国の正規の政府であるべき蒋介石の中華民国というのは台湾に逃げてしまったので、本国の方は共産主義で統一され、この新しく誕生したほうが面積的にも人口的にも大きいので、国連でもそれが主権国家として認定されてしまったわけである。

法律の用語に、事後法というのがあって、現実にその時に実在していない法律で裁かれることはない、というのが世界的に普遍的なことだと思われていた。

その例から言えば、今の我々は、中国から「戦犯」という言葉で非難される筋合いは毛頭ないはずである。

その前に、連合軍がいう「戦争犯罪者」という言葉、つまり「戦犯」という言葉もありえないはずであるが、そのありえない概念が通常的に罷り通っていることに我々はもっともっと真摯に、誠意を持て抗議しなければならないと思う。

1945年以前には、「戦争が犯罪である」という認識は世界的規模で存在していなかったにもかかわらず、戦争に勝利したアメリカは勝った側の都合で、自分に都合にあった法律、及び概念を作って、それでもって負けた側を裁いたのである。

それを筋道立てていえば、まず最初に国連軍、特にアメリカが戦争に勝利して、当時の日本の政治指導者を栽いた。

いわゆる東京裁判、極東国際軍事法廷のことであるが、この裁判がそもそも事後法での裁判で、それまでは「戦争は犯罪である!」という概念がなかったにもかかわらず、勝利した瞬間にアメリカがこの概念を持ち出して、戦争そのものを裁いたこと自体が無効といわなければならない。

勝った側は負けた側を如何様に料理しても構わないという論理である。

これは考えようによっては人間の基本的欲求ともいえる。

有史以来、地球上に生誕した人類というのは、こういうことを繰り返しては生存し続けてきたわけで、いくら戦争のテクニックと手法が近代化したとはいえ、人間の基本的願望、欲求というものがモロに露呈したまでで、それは理性や知性で抑え切れるものではないということの証明である。

人間が生存し続けるためには、理性や知性などというものはなんの値打ちもないわけで、ただただ無為に知識をもてあそぶ虚偽の自慰行為に過ぎないと思う。

人間の行う行為というのは、理性とはかけ離れた、その対極にある現世の利得に左右されているわけで、それは矛盾だらけの在り態として存続している。

地球規模でその最大の矛盾が、事後法でもってかっての連盟側、つまりドイツと日本を裁き、その勝った側の仲良しクラブともいえる国連の中の安全保障理事会のメンバーの構成である。

1949年に誕生した中華人民共和国が何故に安全保障理事会のメンバー足りうるのであろう。

国連設立当時の理念をそのまま受け継ぐとすれば、当時のメンバーは中華民国であったはずで、本来ならば今の台湾でなければならないのに、何故に共産主義国の中華人民共和国が安全保障理事会のメンバーになりうるのか?

設立当時のメンバーであったソビエット・ユニオン、旧ソビエット連邦が

1989年消滅したのに、自動的にロシアが安全保障理事会のメンバーとして残るのも不合理極まりないことだと思う。

つまり、いくら理念として立派な国際連合も、その理念通りに動いていないということである。

理念と現実が大きく乖離しているということである。

人間の生存にとって理念とか理性というものは糞の蓋にもならないわけで、現実こそ人間の生存にとってもっとも肝要な事柄である。

そのことは言い方を変えれば、人間というのはその人間の持つ基本的欲求に従って生きているということに他ならない。

こういう風に開き直って世の中を見てみれば、あらゆることがそこに行き着き、すべての行為に説明がつくような気がする。

 

 

我々の三流外交

 

それで話を元に戻して、中国の首脳が日本の総理に対して「靖国神社に参詣することを止めよ!」という言辞を考えてみると、これは共産主義者にある独特の思考だと考えなければならない。

共産主義者というのは、基本的に自分の祖国とか、自らの民族という範疇でものを考えることは少なく、「まず最初に共産主義ありき」という発想で、自分の信条を最優先にものを考えるので、唯我独尊的な発想を他人に押し付け、世の常識とか普遍的な心理というものを無視する傾向が強い。

その上、階級闘争と称して既存の組織を破壊することにはやぶさかではないが、自分たちはより強固ながちがちの組織をつくリ、その上に安住しようと考えている。

人間の集団である社会というのは、頭の良い人も悪い人も、要領の良い人も悪い人も、誠実な人もそうでない人も混在しているわけで、当然、その中には時流を見る目の鋭い人も、胡乱な人もいるわけで、組織のトップに躍り出てくるような人は、結果的にそういう混沌から抜け出すことに成功した人である。

別な言葉でいえばしたたかな人というわけだ。

したたかでなければあの中国共産党の中でトップの地位にまで上りきれないわけで、そのトップの座に着けば、当然、そのしたたかさというものは外に向けられてくることは火を見るより明らかなことだと思う。

一国のトップの地位ともなれば、それがどういう呼称であれ、国内だけを見ていればそれで済む、というわけには行かず、体外的にも何らかのポーズを示さなければならないことはいうまでもない。

アメリカ大統領であれ、日本の首相であれ、イギリスのブレアー首相であれ、フランスのシラク大統領であれ、それは同じだと思う。

今の中国の力というのは、共産主義を思考の中心に据えたから発展したというものではないと思う。

やはり世界の潮流としての近代化の波の乗った部分というのが大きいと思う。

日本の戦後復興もある意味でそういう部分があると思うが、我々の場合はそれに環をかけたように、民族の特質というものを考慮しなければならない。

この民族の特質の部分が世界から驚嘆され、それは同時に世界から嫌われる最大の原因となっている。

我々の同胞は、この「世界から我々が嫌われている」ということを考えていなかったから、奈落の底に一度は転がり落ちてしまったのである。

今の中国の首脳は、この日本民族の特質という部分を押さえつけておきたいがため、我々に対して共産主義的手法で持って自己主張を繰り返していると考える。

我々が世界で嫌われる最大の原因というのは、我々があまりにも真面目で、一生懸命で、勤勉で、想像力・創造力が豊で、こんなに小さな国でありながら、アメリカに次ぐ経済大国になってしまった、という底力・バイタリテイーが世界から嫌われる最大の原因である。

ところが、こういうことは我々の側の認識では、非常に良いことで、民族の誇りだと思い、プラス思考だと思っており、それが世界から嫌われる最大の原因だとは露ほどにも考えていない。

トヨタが世界で車を売り捲くっているのを我々は良い事だと思っているが、これが実は世界的に見ると、我々が嫌われている最大の原因だ、ということに気がつこうとしない。

「良い車を安く誰でも買えるようにすることが何故悪い!」という発想であるが、世界的規模でものを見れば、そのことで倒産する外国の企業があり、自国の産業を興隆させられないジレンマに悩む国がある、ということに思いがいたらない。この思いが至らない部分が、世界から嫌われる最大の原因である。

中国の製品で世界を席巻しているものがあるだろうか?

韓国の製品で世界を席巻したものがあるだろうか?(近年はあるかもしれない)。フイリッピンの製品で世界を席巻したものがあるだろうか?

ロシアの製品で世界を席巻したものがあるだろうか?

我々は物つくりでは世界で超一流なわけで、そのことは世界中の人が認めざるを得ないと思うが、政治の場面では完全に三流以下で、その政治の中には外交も含まれているのである。

 

物つくりでは超一流であるけれども、政治や外交の面では三流以下に甘んじてい

るので、世界の人々は枕を高くして眠れるわけで、我々が政治外交の面でも世界を引っ掻き回すようなことを考えるとすれば、世界中に再び恐怖が走ると思う。我々は「和」を重んじる民族で、仲間内では、なあなあと和気藹々のうちに結論が決まるか決まらないのか、わけのわからない議論をして、時の流れを待つ精神風土であるが、他民族との駆け引きというのはこういうわけには行かないので、そういう意味で、非常に駆け引きに稚拙なところが民族の特質として持っていると思う。

例えば、小泉首相が「中国はもう日本からのODAを卒業する時期ではないか!?」とアドバルーンを揚げると、早速それに噛み付いて「そんなことをすれば日中関係がはじける」とブラフを掛けてくる。

片一方で小泉首相の靖国神社を糾弾しながら、もう一方の手では臆面もなく「金よこせ!」と手を出しているのである。

これこそ完全無欠の国益追求のポーズである。

恥も外聞もかなぐり捨てて、人間の基本的欲求をモロに表した行為で、それでもって人に金をたかろうとする発想である。しかも、それをたかる側が厚顔にも高飛車に出ているのである。

相手がこういうポーズを取るということは、逆に、日本が舐められているということでもあるが、我々のほうには相手に舐められているという認識が全くないのも不思議なことだ。

もっとも、いくら舐められたところで、我々の側は「蛙の顔に小便」、と軽く受け流しているという風にも取れるが、戦後の日本人は恥の概念というものを持たないので、相手に侮辱されてもそれを侮辱と思っていないところがある。

 

我々の民族的特質

 

相手から受けた侮辱を跳ね返すには力が要る。

その力は端的に言ってしまえば武力であるが、戦後の我々は、そういう発想そのものを極度に恐れ、武力という言葉を聞くだけでもうアレルギー反応を起こしてしまうので、相手にとってこれほど御しやすい敵もまたとないのである。

力には武力のほかに経済力というのも強力なカードになるはずであるが、このあたりの使い分けの妙が政治であり、外交であるが、それが我々の場合、三流と来ているのでなんとも手の施しようがない。

相手にいくら侮辱されようとも、日本全土が再び焼け野原になるわけではないので、屈辱に耐えてさえいれば、生命のみは維持できるわけで、そのほうが得だというソロバン勘定なのであろう。

問題は、これが一部の人間の考えではなく国民全体としてそういう発想に浸って、そういうムードに浸り切っているということである。

これを書いている本日(2004年、平成16年12月8日)、63年前の今日という日に、日本はアメリカと戦争をした。

この日があるが故に、我々は奈落の底に転がり落ち、そしてそこから這い上がったわけであるが、今の我々の同胞に、そのことを認識しているものがどれだけいるであろう。

本日の中日新聞の「中日春秋」には、そのことに触れたコメントが載っていたが、前の半分はともかく、後の半分はまさしく戦後の我々の国民的コンセンサスをそのまま具現した内容になっていた。

というのは、中谷元防衛庁長官が陸上自衛隊の制服組に、憲法草案を考えさせたことがシビリアン・コントロールに反するという趣旨である。

こういう論旨が紙面に載るということは、如何に物事を知らないか、ということを露呈していることになるが、そのことには全く気がついていない。

自衛隊が何かすると、すぐにそれを叩くという思考は、先の戦争の後遺症・PTSDからいささかも抜け切れていないということで、物事の本質を全く理解していないということだ。

憲法改正の論議など、誰がどう言っても構わないわけで、石原慎太郎から日本共産党から、社民党まで夫々に好き勝手にやっているのに、何故、自衛隊がそれをするといけないのか不思議でならない。

自衛隊員が自衛隊の立場で憲法を論議し、自衛隊員の立場で試案を作ったところで一向に構わないと思う。

憲法の論議をすることと、憲法を制定することとは全く別のことであって、自衛隊がクーデターで憲法を押し付けた、というのならばシビリアン・コントロールの危機といえるが、ただ憲法を論議するだけならば、誰がどう行なおうとも何ら問題はないはずである。

こういう言葉の遊び、飛躍した解釈が往々にして日本を危機に陥れるのである。

問題は、63年前に日本はアメリカに戦いを挑んだ、という事実を忘れてしまうのんきさのほうが余程危険である。

そこにこそ、戦争の反省がなければならない筈なのに、それを忘れてしまっては又同じことを繰り返す危険性が沸いてくるということである。

こういう私の指摘、今の危険性をあざ笑う人もいるかと思うが、あの戦争中に、当時の日本の国民で、自分の国が負けるなどということを予知していた人、そう思った人がどれだけいたかと考えてみると、多分一人もいなかったと思う。

つまり、昭和の初期の時代に、日本の敗戦を考えた人というのは皆無であったといわなければならない。

当時の日本人にとって日本が負けるなどということは信じがたいことであった。ところが、現実にはその信じがたいことが起きたわけで、結果として日本は焼け野原、焦土と化したのである。

その後の日本の復興も、これまた信じがたいことであって、あの焼け野原に立った日本人で、誰が今日の日本を想像出来たであろう。

この事例でもわかるように、我々は今、今日、信じがたいと思われるようなことでも、将来は起きる可能性があるということを肝に銘じておかなければならないということである。

昭和の63年間、平成の16年間、合わせて79年間、約80年の間に我々、日本人は自分たちでさえ信じられないようなことを2度も体験してきたのである。

戦争に負けるということも、そして負けた後の復興も、我々自身、信じられないことであったが、それをなさしめた原動力というのはある意味で我々の付和雷同性であったものと思う。

良きにつけ、悪しきにつけ、我々は目の前にぶら下がったにんじんに、わき目も振らずがむしゃらに前に突き進む、という行為そのものを付和雷同的にする。

この「わき目も振らずがむしゃらに前に突き進む」とい点を我々はよくよく自重して考えてかからねばならないと思う。

その問題の根本のところは、我々の民族の特質としての付和雷同性である。

戦争の後遺症、PTSDの呪縛から脱しきれない精神性の弱さも、付和雷同的に持っている。

戦前の我々が軍国主義一辺倒で、軍国主義でないものは人であらず、といった雰囲気を作り上げる、この特異性は戦前・戦後を通じて一貫して我々にはある。

これが戦後は逆のベクターとなって、平和主義でないものは人であらず、戦争は死んでもすべきではなく、殺されてもすべきではない、という発想に跳ね返っているではないか。

我々の民族的特質は、全国民が付和雷同してコンセンサスが一つの意見に集約してしまうところにある。

先の大戦の前の軍国主義というのは一体何であったのかと問い直してみると、結局は、日本の全国民がそれに付和雷同しただけのことで、考察や思考を深く議論して、試行錯誤の結果として軍国主義に落ち着いたわけではない。

考察や思考をめぐらし、口角泡を飛ばして議論した末に、「軍国主義で行こう」という結論に至ったのではなく、ただただその時とその場のムードで、なんとなく成り行きでそうなったようだ。

当時は確かに治安維持法があって、自由にものが言えなかったといわれているが、その治安維持法そのものが国民のコンセンサスで出来ていたわけで、我々は天に向かって唾を吐いたら、それが自分の顔に降りかかってきたということだ。

美濃部達吉博士の「天皇機関説」で彼を学会、貴族院議員の地位から引きずり下ろしたのは当時の学者・識者達ではなかったのか!

斉藤隆夫の粛軍演説で彼をボイコットしたのは当時の代議士達であって、軍部ではなかったはずである。

こういう「軍の専横を応援しない人は非国民だ」、「軍を応援することが国民の義務だ」という時流・国民的コンセンサスが、我々の国民の側の底流としてあったわけで、様々な事件というのは、その底流として国民の中に脈々と流れていた地下水脈が地上に噴出した現象だと思う。

昭和初期の軍人の専横は、今日的視点からみれば、「軍隊という極悪非道の集団が勝手なことをした」という捉え方をされているが、あの当時の軍人というのは、あの時代の国民の羨望の的であったわけで、誰も彼もがあこがれた職業であって、一番新しい生き方の一つであった。

軍人になるということは、その家族をはじめ、部落にとっても誉れ高い、めでたいことであったわけで、それを日本の国民の全部、我々の民族の誰一人としてそれを疑っていなかったわけである。

そして明治憲法下ではシビリアン・コントロールという考え方は存在しておらず、国民の全部が天皇の軍隊というものを容認していたわけである。

ところが、この軍隊の中味、内情というものが官僚に成り下がっていたがため、その中の官僚主義が日本を奈落の底の導いたとみなしてもいい。

軍隊の行なうべき戦争、軍部の基本行動様式としての戦争を、官僚主義でしようとしたところに最大の間違いがあったものと考える。

戦前・戦後を通じて、このことに日本国民の誰もが気がついていない。

戦争は究極の合理主義で貫かねば目的が達成できないにもかかわらず、縦割り行政の中で、面子とか学歴とか、卒業年次とか成績の順位で作戦を遂行したので、敗北という結果を招いたものと考える。

こんな馬鹿なことがあってはならないが、そのあってはならない馬鹿なことを日本の軍部というのはしていたわけで、戦後の民主化の中で成育した我々も、そのことには全く気がついていない。

そのことは当時の軍人達が近代の戦争、国家総力戦としての戦争というものに、完全に無知であったという事であり、それは同時に国民の側にも責任があって、そういう官僚主義にかたまった軍隊、近代戦争、国家総力戦というものを知らずに、軍隊に入れば出世できる、栄達が得られるにちがいない、という目先の幻惑に狩られて、欲望を抑えきれず、願望をかなえるべく、若くて優秀な青年がわんさわんさと入っていったからである。

この部分に、目の前のにんじんをがむしゃらに追いかける愚があったわけである。

確かに祖国のために滅私奉公という部分もあったが、そのこと自体がある種のブームであって、こういうあぶくのようなブームをがむしゃらに追いかけた結果が敗戦であったわけである。

そういうブームに簡単に乗ってしまうのが我々の民族の特質である。

戦後でも、安保闘争にそれが顕著に見られわけで、あの時期の日本の様相といえば、まるで革命前夜という感じであったではないか!

安保反対でなければ人であらず、自民党支持などと言おうものなら、袋叩きにあいそうな様相ではなかったではないか!

今から思えば、あの当時の日本国民のコンセンサスに屈しなかった当時の首相、岸信介や佐藤栄作という政治家はまことに偉大だったといわなければならない。昭和の初期の政治家は、ああいう国民的な大合唱にあえなく屈服したわけで、その結果として、国民のコンセンサスに答える形で、戦後「戦犯」といわれる人達が登場して政治の中枢を占め、結果として「戦犯」にされてしまったのである。

戦後の民主化の中で、この当時の同胞の精神構造を全否定する形で、その責任の全部を軍人、軍部、軍隊,戦犯というものに覆い被せてしまって、こういう人達がさも極悪非道の悪魔で、同じ同胞ではないというようなことを声高に叫ぶのも、一種のムードに押し流された付和雷同の行為だと思う。

 

中国のしたたかさ

 

戦争の責任を、戦犯という連合軍が烙印を押した同胞に押し付けて、自分はさも昔から平和主義で、反戦であったような物言いをする人達は、まさしく胡錦涛や温家宝の日本に対する潜在意識と共通するものがあるのではなかろうか。

これを古典的な言葉でいえば売国奴というものである。

その売国奴たちの言っていることも、自らの脳で考え、思考し、思索し、悩みぬいて結論に達した結果ではないと思う。

人がそう言うから「ああそういうものかなあ!」という程度のものだと思う。

自分の脳で、自ら考えることをしないものだから、議論の筋道が合致しないにもかかわらず、その食い違いに気がつかず、短絡的にその時その場の雰囲気に飲まれてしまって、それが正論だと思い違いをしてしまうのである。

この考え方の延長線上に、自衛隊が憲法問題を論ずることがシビリアン・コントロールの危機に繋がる、という考え方に至っているのである。

いくら中国から舐められても、堅忍自重すべきであって、相手の言うことに無条件に従うべきだ、という発想に繋がっていると思う。

自分の国の国益よりも、相手の国の国益を優先させて、それで平和が保たれればそれでいいではないか、と言うことである。

相手も12億の人民をかき分けて国のトップに躍り出て来たしたたかな人間であるので、日本をしんから搾取する気もなく、日本の後ろにはアメリカが控えていることも承知のうえで、取れるだけのものを出来るだけ多く取ろう、と手をこまねいているわけである。

だから「靖国神社の参詣はやめよ」とか、「ODAは今までどおり続けよ」と虫のいいことを言っているのである。

しかし、これは外交の手段としては常識的で、なおかつ普通のことである。

中国だけが特別にずるいというわけではない。

ところが我々の側には、この普通のことが普通ではないわけで、なおも中国に譲歩せよという同胞、昔の言葉でいえば売国奴というのがいるわけである。

ODAというのは、日本が低開発国の発展のために資金を援助する、というものであって、それを日本に向けた核兵器や、原子力潜水艦の建造に使われているかも知れない、という我々の側の心配はずいぶん前からあったわけで、それを単刀直入にいえば角が立つから小泉首相は「卒業の時期にきているのではなかろうか?」と遠まわしにいったわけである。

こういう歪曲な言いまわしが通用しない、というところが思考の硬直している証拠で、小人の厚かましさというものであろう。

中国には謙譲の美徳というものが存在していないわけで、あつかましかろうが何だろうが、とにかく自己主張が最優先で、いくら顰蹙を買おうが、駄目モトという精神構造というのが彼らの特質ではないかと思う。

中国には物乞いを卑しい行為という認識がないのかもしれない。

特に共産主義で育ってきた若い人達というのは、昔の儒教思想を頭から否定しており、古い倫理観が通じないわけで、自分の欲しいものは与えられるのが当然だという思考である。

よって、自分の欲しいものをよこさないのは相手が悪い、相手が邪悪だ、という発想なものだから、我々の側としては取り付く島もないということになる。

相手が悪いということを印象付け、強調するために、自分たちの国が誕生する前にことまで持ち出してくるというのは、我々の感覚からすれば考えられないことである。

中国側が「賠償を取らなかったから、その分の金を出せ」という言い分など、我々の常識では考えられないことである。

この支離滅裂、何の関連性もないことをもち出して、声高に自己主張をするというのは、彼ら中国大陸に住む人々の普遍的な性癖ではあろうが、それがその上に乗った共産主義というものでさらに倍化されたようなものだ。

日本のODAというのは、世界の貧しい国々が少しでもその貧しさから脱却できるように、日本が援助しましょうというもので、中国のように原爆をもち、ミサイルまで持った国に、ただで寄付するという筋合いのものではない。

だから、日本に対して様々な難癖を付けてくる国には、日本も正面から堂々と反論しなければならない。

反論する前に謝罪してしまうから、相手から舐められてしまうのである。

理不尽な要求は、さっさと国連に提訴して、国連の力で解決するよう働きかけるべきである。

北朝鮮の拉致被害者の問題でも、もっと早い時期に国連の人権委員会に提訴して、そちらのほうから圧力を掛けてもらうようにすべきではなかったかと思う。

2国間で解決しようとするから先方にいい様に馬鹿にされるのであって、国連という仲裁機能を持った機関の力をもっと有効に使うべきではなかったのかと思う。

 

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