後藤田正晴 04・10・19
我が家で購読している中日新聞の平成16年(2004年)10月18日の朝刊1面にはどういうわけか後藤田正晴氏のコメントが顔入り写真で載っていた。
自衛隊、第4部、軍を語るという特集記事らしいが、こういう企画が一面に載るということも珍しいことではないかと思う。
前日が日曜日で、余程記事が無かったのだろうか。
私は以前からこの後藤田氏の平和主義というものに関心を持っていた。
後藤田正晴、中曽根康弘、宮沢喜一などという人たちは、日本人の年配者ならば誰もが知っている政治家である。
そして、自民党員でありながら極めて保守的でありつつ、憲法改正に関しては臆病なほど慎重派ということも知っている。
問題は、かって日本をリードしてきたこれら有名政治家が、憲法改正について極めて慎重であるという事実である。
18日の中日新聞の報ずる後藤田氏の略歴をからすると、彼は今の自衛隊の生みの親ともいうべき実績があり、彼自身のコメントでもそう語っている。
本人の口からも自衛隊の発足に大いに関わって来たことを述べているが、こういう人物の平和主義に対する感覚が、私とは大いに異なっているので、下手な文章を綴る気になった。
後藤田正晴、中曽根康弘、宮沢喜一という人達は、昭和20年8月15日の終戦というものを身を以って経験してきた人達である。
終戦前の日本で、若き日々を送ったが、その時期には日本に既に民主的な政治というものが存在していない時期で、あるのは軍政でしかなかった。
しかもその軍政というのは、ある意味で無政府状態のようなもので、軍人という大衆が無手勝流に自己利益を追いまわしていた時期であった。
新聞の記事から推察すると、後藤田氏はこういう状況下で2等兵として招集され、部内試験で主計少尉になったと記されているが、このことは彼が日本人の底辺を体験したということだと思う。
東京帝国大学を出た人が2等兵で入営するということは、日本民族の底辺の心情を会得するには極めて有効な機会ではなかったかと、私は推測する。
そして台湾に赴任し、そこで台湾における日本軍の傲慢さと、中国大陸から転戦してきた日本軍の実態というものを目の当たりにして、自らの同胞の卑しく、さもしく、下卑た心根を垣間見たに違いない。
表面は「鬼畜米英」、「撃ちてし止まん」、「天皇陛下万歳」の大合唱と、勇ましくも立派な風を装っていたが、その裏側に潜んでいた日本民族の陰湿な部分を垣間見たに違いない。
新兵いじめというのは多少は何処の軍隊にもついてまわることらしいが、我々の場合は、それが一層陰湿で、不合理、不条理に尽きた。
これは無理もない話で、徴兵制度下の下級兵士の集団ともなれば、まさに無学文盲の集団で、そういうものが軍隊組織の中である程度の年数を経ると先輩となるのであるから、そういう人達が新しくはいってきた後輩を苛めるというのは当然の成り行きである。
それが人間としての本質であり、特に無教養な人間においてはなおさらのことで、それが日本の大衆の本質であった。
そこにもってきて、日本の敗北を目の当たりにしたわけだ。
このクラスの政治家というのは皆同じ経験を共有していると思う。
そのことは日本人の汚い部分を十分に知っているということだと思う。
軍人が口ではいくら奇麗事を言っていても、一皮剥けば下賎そのものだということを身を以って体験した世代だと思う。
宮沢氏に関してはインターネットで調べても軍歴は不明だが、中曽根氏は立派に軍歴がある。
同じ軍歴でも最初から主計将校と2等兵を経験したものでは軍隊に対する認識は大きく異なると思う。
その意味では後藤田氏のほうが日本民族の潜在的な民族意識をより深く体験していると思う。
ここでいう民族意識というのは良い意味のものではなく、悪い意味での日本民族の潜在意識ということである。
彼の経歴を見ると、東京帝国大学を出た後、一旦内務省に入省している。
そして召集を受け主計少尉で終戦を向かえ、その後再び内務省に復帰し、内務省がGHQの指令で解散させられると新しい制度下で自治省に入り、その後その道を邁進してきたことになっている。
彼は警察畑を一貫して歩んできたということであるが、その過程において自衛隊、つまり警察予備隊の創設に深く関わりあったというわけだ。
こういう彼の人生の中で、彼は極め付きの平和主義になったと想像するが、問題点は彼の平和主義というものが極めて観念論に依拠しているということである。
我々が昭和の初期に大きな災禍に転がり落ちた最大の原因は、観念論で物事を判断したからに他ならない。
科学的な思考を遺棄し、観念だけで物事が解決できると考えたからだ。
我々の先輩諸氏が自分のおかれた立場を思い込みで解決しようとし、相手を研究することを怠ったからに他ならない。
昭和20年、1945年、この時に20歳前後の人は、今生きておれば80歳以上の人々であるが、この人々にとって敗戦、終戦というのは何らかの形でその人の人生に大きなインパクトを与えていると思う。
その後、約60年というもの我々の国は国権の発動としての戦争というものをしてこなかったことは極めて喜ばしいことである。
ところがこの60年という歳月は、我々日本人も大きく変化したが、変わったのは何にも我々だけではなく、世界中が大きくわかったことを忘れてはならない。
私が危惧する後藤田正晴氏の平和論、平和主義というのは、この世界の変わりかた、他国の変化ということを抜きにして、自分達さえ武力を使わなければ平和は得られるのだという発想にある。
これは元の日本社会党、いまの社民党の土井たか子、福島瑞穂の言っていることと同じなわけで、こんな馬鹿な話もないと思う。
10月18日の中日新聞の彼の発言を見ても、彼にとって日本国憲法というものが押し付け憲法という認識が全く見られない。
不思議なことに宮沢喜一氏も中曽根康弘氏も、憲法に関しては同じようなスタンスで、非常に慎重というか、現行憲法をそのまま維持したいという発想である。
かって我々の先輩諸氏が、明治憲法を金科玉条として崇め奉った結果が、国土を灰燼に化したことに思いが至っていないのはどういうことなのであろう。
後藤田氏の考え方の延長線上には、自衛隊のイラク派遣にも反対ということが伺えるが、日本の置かれている現状から、日本がイラクに自衛隊を派遣せずに済まされるであろうか。
野党というのは、統治する側ではないのでいくらでも言葉の上で政権政党を非難することが可能であるが、政府、小泉純一郎という今の日本の政府首班、統治者として、政権政党の総裁として他の選択肢、つまりイラクに自衛隊を派遣しない選択肢というものがありうるであろうか。
自民党の先輩として、元総理大臣経験者としての中曽根、宮沢氏たちは小泉純一郎をもっともっとフォローアップしてしかるべきではなかろうか。
しかし、それを望むのは多少無理があるかもしれない。
というのは小泉氏はこの両名に高齢を理由に議員を辞退するように迫ったので、中曽根氏は明らかにそれを恨んでいる節がある。
私は小泉氏から金を貰っているわけではないが、自分の国のことを考えれば、彼の立場、小泉氏の立場からすれば、こういう選択肢はあって当然だと思う。
18日から始まった国会の予算審議では、民主党の仙石由人議員が「イラクには大量破壊兵器が無かったのに自衛隊を派遣したのは首相の判断ミスではないのか、間違いではなかったのか?」と執拗に食い下がっていたが、野党議員ならば当然の戦法なわけで、それと同じ発想では自民党の先輩として情けないではないか。
後藤田氏の場合、自分でも旧軍隊を体験し、敗戦、終戦を経験し、占領下の米軍の管轄下で自衛隊を創建しなければならなかった状況から、日本が再び戦火にまみれることがあってはならない、という思いがあることは理解できる。
ならばこそ日本を取り巻く状況を科学的に分析し、合理的な判断をし、現状のみならず将来の国益に沿った結論を導き出さねばならない。
ただ観念論的に、憲法を改正すれば戦争に巻き込まれる、などと根も葉もない論拠を信じてはならない。
話し変わるが、中曽根氏の場合、靖国神社参詣問題でも小泉氏の足を引っ張るような発言を平気でしている。
中曽根氏の靖国神社に対する考え方の中には、A級戦犯というものを字義通り容認しているところがある。
極東国際軍事法廷史観そのままである。
東京裁判史観を丸のまま受け入れ、それを容認している節がある。
これではまるで左翼の学者と同じではないか。
だから英霊に参詣するのに、いちいち中国の顔色を伺いながらしているわけで、小泉氏はその中国の顔色を伺う労を惜しんでいるからいけない、という論法である。
これが旧大日本帝国海軍の主計中尉の成れの果てである。
この中曽根氏と全く同じ精神構造が後藤田正晴氏にも脈々と息づいているわけで、今の日本国憲法が占領軍の押し付けという感覚が全く存在していない。
現行憲法は100%平和憲法で改正は罷りならぬという発想である。
そうはいうものの、私なりに彼を別の角度から見てみると、彼は軍隊経験の中で、日本民族の暗部をかなり多くの場面で目の当たりに見たものと想像する。
彼は日本民族の下賎な部分を目の当たりにして、自分の民族に対する愛着に疑問を感じ、信用できなくなったのではないかと思う。
同胞を愛する気持ちが失せたのではないかと思う。
彼は、軍部というもの、軍事力を手中にした集団というものは、必ず暴走するものと思っているのかもしれない。
武力を持った日本人の集団を警戒するあまり、豊臣秀吉の行なった刀狩と同じ発想にたどり着いたのかもしれない。
武力を持たないまでも、日本人が集団となって徒党を組んだ時のその傲慢さに辟易したのかもしれない。
これらのものが皆一緒になって、彼は日本民族そのものを信用できなくなったのかもしれない。
だから戦後の彼は、自らは権力の中枢にいながら、その権力が武力によって行使される状況を努めて作らないようにしてきたものと考えざるを得ない。
彼の戦後の軌跡はそれを如実に示しているが、我々を取り巻く状況というのは日進月歩で変化しているわけで、1945年の状況と2004年の状況では比較にならないほどの変化が介在しているはずある。
その変化を考慮することなく、60年前の思考で物事を見ていては再び大きな齟齬をきたすと思う。
理念と現実は区別して考え、我々が生を永らえようと思えば、現実のほうを直視しなければならないと思う。
理念を目指して進むというのも、人間の生きる手法の一つとしては大いなる価値を有し、立派なものがあるが、それは画餅に過ぎないという認識も大事だと思う。
後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘というそうそうたる政治家が、憲法改正に二の足を踏んでいるというのも不思議でならない。
憲法を改正するということは極めて大きな政治的課題で、そう簡単には事が運ばないことはいうまでもない。
政治的混乱が起きることは必定であるが、だからといって何時までも避けて通ることでもないと思う。
誰かが何時かは手をつけなければならない問題であるが、その時に、日本の敗戦を経験した人達が一人もいなくなってからでは遅いと思う。
その日本の敗戦を身をもって経験した人達が、こぞって憲法改正に後ろ向きということは一体どういうことなのであろう。
彼らのいうことを一言で言い表せば、「俺たちが死んでから改正してくれ」とでも言っているようだ。
戦後60年間も憲法改正は時期尚早といわれてきた。
ならば何時になったら妥当な時期というのが来るのであろう。
この現実を私は終戦体験者のPTSDだといっている。
PTSD、つまり心的外傷後ストレス症候群というわけである。
若い時期に、日本の敗北、日本が負けるなどと思っても見なかったこと、つまり当時の日本の青年にとって全く信じられないこと、在り得べからざることに遭遇して、一遍にいままでの緊張の糸が切れ、精神的に腑抜けの状態になってしまい、それから一歩も立ち直れない状況に陥ったものと解釈する。
後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘などに代表されるような優秀な人材ほど、その後遺症は大きく、普通の人間としての精神状態に戻ることなく、60年を経過したのではないかと考える。
若くして、戦争に負けるという惨めな体験をして、その後に来た占領軍の民主化という大改革を身をもって体験してみると、占領軍の押し付けが押し付けでなくなってしまって、無からの創造という感じがし、価値観の変換などという言葉では語れないほどのショックを受けたのではないかと思う。
1945年、昭和20年8月15日までは自分達の国が負けるはずがないと思い込んでいたものが、一夜にして今までの概念が転覆してしまったわけで、旧秩序は瓦解してしまった。
占領軍が日本に上陸してくると、総ての概念と旧秩序は音を立て崩れ去り、後に来たのは民主化という大革命である。
占領軍の対日占領政策というのは、まさしく共産主義革命に匹敵するもので、それが民主化という名の下に日本全国津々浦々に広がったわけで、その落差の大きさで大勢の若者がPTSDに罹ったものと考える。
この心的外傷後ストレス症候群というのは、教養が高いものほど落差も大きいわけで、頭脳明晰、学術優秀なものほど、その大きな落差を克服することが困難で、立ち直りが難しかったということである。
私は自民党の重鎮をなす人々の平和主義というのはここに起因していると思う。
自らの体験から再び戦争をしてはならない、という論理は至極当然なことであるが、前にもいったように、我々も、世界の人々も、日進月歩の世の中に生きているわけであるが、如何なる世の中が到来しても、自分の身は自分で守るというのは人間としての普遍的な原理原則だと思う。
小泉氏が自衛隊のイラク派兵を決断したのも、今後とも国際社会の中で日本が受け入れられるための担保としての参加であったわけで、イラク人を鉄砲で殺しにいったのではない。
こちらがいくら「人を殺しに行ったのではない」と言ったところで、周りの人は必ずしもそれを額面どおりに受け取るとは限らないわけで、現にイラクのイスラム原理主義者たちはアメリカ軍と同じ目で自衛隊を見ていることはマスコミの報道のとおりだと思う。
後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘などに代表されるような自民党の重鎮も、こういう不信感を払拭しきれないので「イラクに自衛隊を派遣するのに反対だ」といっているわけで、これこそPTSDの後遺症と受け取らざるを得ない。
いやしくも自民党のOB政治家としては、現行政府に弓を引くような発言はすべきではないと思う。
1945年という時に、成人に達していた日本人というのは大なり小なり何らかの形でPTSDに陥っていたといってもいいと思うが、その後の進駐軍の民主化という動きの中で、完全に民族としての魂を抜き取られてしまった。
俗な言い方をすれば、民族としての金玉を抜かれてしまった。
後に残ったのは、宦官としての人間の群れだけで、人としての精神を失った人間の形をしたサル以外のなにものでもない。
食って糞して寝るだけのエコノミック・アニマルとして、人間の形をしたサルと言うだけで、民族の誇りも名誉も、アイデンテイテイーも持ち合わせていない。
サルでも霊長類の端くれだから社会生活は営むが、それは人間の形をした哺乳類の集合という以外のなにものでもなく、民族とはいえず、主権国家の国民とも言えず、人の集合を維持するミニマムのものでしかない。
世界や人類に貢献するという意志はさらさらないわけである。
本来ならば20歳前後の青年のときに、終戦、敗戦という試練を経験したのならば、敵愾心がおきて、「この仕返しをいつかはしてやろう」という気持ちが湧き出るのが当然ではないかと思う。
自分たちを負かした相手に対して、猛烈な敵愾心が心の内側に沸き起こって、いつかは仕返しを誓い合うのが普通の自然界の人間ではないかと思う。
ところが我々の場合そういう風にはならなかった。
自分たちを負かした相手に対して、身も心も真底屈服してしまって、完全に金玉まで抜かれてしまったわけである。
1945年、昭和20年という状況を考えれば、敗戦、終戦当初は確かに生きるだけで精一杯で、とても仕返しを誓い合う状況ではなかったことは理解できる。
ところが、その状態が戦後の復興を終え、高度経済成長を経て、アメリカに次ぐ経済大国になっても、その呪縛から抜け切れないということは、完全なる宦官になってしまったという他ない。
宦官という言葉を辞書で引いてみると、「後宮に仕える去勢された男の役人」となっているが、後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘という三氏に代表される自民党の重鎮をなす人々はそれではないかと思われる。
彼らは戦後の日本の政治の状況下で、政治家として、または官僚として、この宦官に徹してきたわけで、結果論的にいえば、それだからこそ60年間も戦争をせずにこれたということがいえる。
しかしその代償として、日本はアジアの諸国ら非常に馬鹿にされている、という現実には目をつぶろうとしている。
日本の内閣総理大臣が、自分たちの英霊に参詣するのに何故中国の了解を得てからでなければならないのか、これこそ宦官そのものではないか。
彼らは戦前の日本の最高学府を出ている、いわば日本のエリート中のエリートである。
それがこういう宦官に徹しておれば、日本がまともな普通の国にならないのもうなずける。
こういうエリートが、戦後の日本で宦官に徹した理由を私なりに考察してみると、彼らは日本の民族に汚い部分を戦争中にいやというほど身に沁みて体験してしまったのではないかと思う。
だから彼らは日本人でありながら、同胞を政治的に全く信用できず、民主政治というものが我々の間に根付くことに危惧を示し、普通の国になることを極力避けようとしたのではないかと考える。
例えば、旧大日本帝国の軍部の横暴というものは、我々の民族の負の遺産なわけで、大正デモクラシーで少しばかり民主政治が萌芽を出しかけたとき、その目を奇麗につんでしまったのが我々同胞であった軍部、軍人、武器をもった無頼の輩ということがわかってしまったのではないかと思う。
戦前、美濃部達吉の天皇機関説を罵倒したり、斉藤隆夫の粛軍演説を罵倒したのは、当時の日本の知性と思われていた人々であったわけで、その傾向に無辜の大衆が迎合したことによって、日本が奈落の底に転がり落ちたという経緯を彼らは目の当たりに見てしまったに違いない。
それで、こういう頭脳明晰な賢人としての彼らは、我が民族、我が同胞の本質を知り、それは表面的な奇麗事ではなく、その奥底には民族の汚い部分、澱としての見にくい精神構造を覗き見し、垣間見たことで、戦後の日本人、あの戦争を生き残った同胞の総てを信用しきれなくなったのではないかと想像する。
戦前の日本は国民の全部が軍国主義で、軍人になることは一族の誇りであったが、そういう軍人の裏側に横たわっている個人のモラルというものを考えた場合、とてもエリートには耐えられるものではなかったのではないかと思う。
当時、大学に進学するということは同世代の中で100人に1人いるかいないかの時代に、最高学府を修めて実社会に出てみると、矛盾だらけで、その矛盾に迎合して身を処すことは、エリートであればあるほど苦痛ではなかったかと思う。
そのことは同胞に対する不信という形で、同胞が群れを成して武器を取るということ、つまり軍隊というものに対する不信に繋がっていったものと推察する。
日本の学問の最高学府としての東京帝国大学と、軍人養成機関としての海軍兵学校乃至は陸軍士官学校というのは、全く異質のものであったにもかかわらず、戦前の日本を牛耳っていたのは、この軍人養成機関の卒業生であったわけで、そのことが日本を奈落の底に転がり落とした最大の原因だ、ということを彼らエリートは当時から知っていたものと考える。
後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘という三氏に代表される戦前の日本の真の意味でのエリートは、戦争に敗北する以前から、我々同胞の一般大衆が崇め奉る軍人達のモラルが如何に低いか、ということを知っていたからこそ、戦後の復興を経た後になっても、日本が普通の国になることをかたくなに拒んでいたに違いない。
日本が普通の国になることを阻止するに一番有効な手段は憲法改正をさせないことである。
日本国憲法に第9条がある限り、日本は未来永劫、普通の国にはなり得ないのであって、彼らは同胞を信じていないからこそ、同胞を宦官のままにしておいて、エコノミック・アニマルに徹する道を選択したに違いない。
日本がエコノミック・アニマルでいる限り、中華人民共和国も大韓民国も枕を高くして眠れるわけで、日本が憲法改正をして第9条を葬り去り、世界的視点で見て普通の国になった暁には、これらの国は日本を仮想敵国に想定しなければならなくなる。
日本がいくら「もう戦争はしません」といったところで、彼らも信用はしないし、我々自身も自分たちの国のいうことが信用できない。
自分たちの国が信用できないからこそ、日本の過去のエリート達は憲法改正に慎重を期し、何時までも現行憲法のままで、自分自身に縛りをかけておきたいのである。
ところが日本の政治家という立場からは、同胞に対して「宦官のままで我慢せよ」とは正面切って言えないものだから、やむなく「憲法改正には慎重を期す」という言い方をするが、これでは「本当は憲法も遅かれ早かれ改正しなければならないが、今はまだその時期でない」という印象を受けがちである。
ところが、本音は改正そのものに反対したいところであるが、世の中は常に変化しており、既に共産主義国との冷戦は終了しているが新しい問題として民族主義に関連したテロが世界を脅威に曝しているので、彼らの思考も新しい試練に立ち向わざるを得ない。
主権国家同志の国権の発動としての戦争というのは時代遅れとなり、これからは目に見えないテロとの戦いになってくると、第9条の存在も足元を掬われる形になってきた。
その顕著な例が、イラクの自衛隊派遣であるが、あれは何も戦争をするために派遣されたわけではなく、イラク復興に協力するために派遣されたのであって、野党は無責任なものだからそれを峻別することなく一緒くたにして論争をしているが、こういう点にも日本の政治の曖昧さというものが大きく作用している。
日本の野党も同じ日本人でありながら、日本の国益ということを少しも考慮すること無く、ただただ政権奪還のために不毛の議論を吹きかけているに過ぎない。
日本の政治が与党、野党の間で政権奪還という目的だけで国益を度外視した議論をしていること自体が、日本人が信用ならない最大の原因だと思う。
小泉さんから金をもらっているわけではないが、日本だとてイラクなどに自衛隊を派遣しなくて済むものならば、その方が余程良いか知れない。
ところがアメリカに次ぐ経済大国として、この世界規模の混乱に何もせずに傍観しておれば済むということはありえないわけで、国際社会の一員として曲がりなりにも義務を果たそうとしているだけである。
それを同胞としての野党が足を引っ張っているわけで、我々は4周を海で囲まれた島国であるが故に、諸外国に非常に気を使いながら行動し、身を処さねばならない。
イラクへの自衛隊派遣という問題も、日米安保によるアメリカとの関わりとともに、国連との関わりも含まれているわけで、アメリカはサダム・フセインを倒すための武力行使が目的だけれど、我々は国連の理念である人道支援が目的なわけで、それを混同してはならないと思う。
国連の理念に沿う活動を普通の国並みにしようとうすると、どうしても憲法第9条が邪魔になってくるので、これが平和主義者の試練として前面に出てきてしまう。
地球上で、平穏な生活が営まれているところには、国連の人道支援というのも必要ないが、そうでない紛争地域で国連の一員として活動しようとすると、どうしても武器の携行が必要となり、そうなれば憲法とのかかわりがでてきてしまう。
我々の諸外国に対する気の使い方の一つに、首相が靖国神社に参詣するごとに中国の顔色を伺うということも含まれている。
戦前の日本も諸外国には非常に気を使いながら、出来れば協調という路線を選択しようとしてきたが、軍部が政府の意向を踏みにじって独断専横してしまったので、日本の信用は丸つぶれに終わった。
戦後の我々の受けた教育では、戦前の日本はアジアの諸国に多大な迷惑を掛けたという論調であったが、本来の日本政府というのは非常に諸外国に気を使っていた。
ところがそれを内側で踏みにじったのが日本の軍部であったわけで、戦後の東京裁判、極東国際軍事法廷も日本政府と帝国陸海軍を分けて裁判しなければならなかったと思う。
ところが太平洋戦争になると、この日本政府の中の軍人たちが傍若無人な行動に出てしまったので、実質軍政に等しい状況になってしまった。
それで、政府と軍を分けることが出来なくなってしまったからいけない。
昭和の初期の時代に、政府の中で軍人が幅を利かす状況というのは、明治憲法の持つ欠陥であったので、この成り行きは致し方ないことであり、この事実こそ我々は歴史の教訓として学ばねばならないことだ。
後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘という三氏に代表される戦前の真の意味のエリート、戦後の自民党の政治家達も、当時はこの辺りに相当矛盾を感じていたのではないかと想像する。
こういう現況を見るに就け、彼らは同胞を信用しきれなくなったに違いない。
特に軍人養成機関を出た軍人達を信用できなくなったものと考える。
戦前の憲法、明治憲法ではシビリアン・コントロールという概念そのものがなかったわけで、政府の指示を超えて軍部が独走するのを止める手立て、乃至はシビリアンの下に軍部をおくという考え方は存在していなかったと思う。
ただし天皇だけはそれをコントロール出来る雄一の人であった。
政府がいくら国際社会に気を使って外国の干渉を招かないように気を配っても、軍部がそういうことに一切お構いなく事を進めてしまえば、後は黙認するほか道はなかったに違いない。
又、悪いことにその軍部の独走をマスコミをはじめとして国民全部が容認し、提灯行列までしていたわけで、それが戦後になってみると、日本は中国を侵略し、中国人を虐殺し、恥ずかしいことをしたということになってしまった。
これが戦後東京で行なわれた極東国際軍事法廷の結論であり、東京裁判史観というものであるが、これは連合国側の認識であり、勝った側の論理であり、それは絶対正義でもなければ、善でもないはずであるが、我々は身も心の勝った側に捧げ、帰依し、金玉を抜かれてしまったので、相手のいうことの正当性を認めてしまったのである。
ここで自分たちのしてきたことの価値観が全く逆転してしまった為、戦後の日本人は物事の価値基準としての座標軸を失ってしまったわけである。
「人は何をなすべきか」という機軸を失ってしまったので、ただたんに生物的に生を維持するために、食って糞して寝るだけの生き物になってしまった。
戦前ならば敵を沢山倒したものは英雄として崇められたものが、戦後は悪いことをした戦犯だ、ということになったわけで、人々の価値観は大混乱をきたしたのである。
そういう中でも、日本を取り巻く周囲の状況は大きく変化して、以前ならば八路軍として、共産主義者として、馬賊として殲滅すべき敵であったものが、中華人民共和国となり、中国大陸の中の一部、蒋介石の軍隊は台湾に逃げて、ひとつの中国は二つに分裂してしまった。
そうこうしているうちに、朝鮮の北半分の共産主義たちは、中国共産党の後押しで南朝鮮に迫ってきたが、アメリカもその後ろにいるソビエット連邦のことを考えると闇雲に朝鮮に攻め入るわけにも行かず、38度戦で停戦を余儀なくしなければならなくなった。
第2次世界大戦の後の世界の状況というのは、共産主義と民主主義の葛藤の場と化したが、我々はアメリカに占領されたがゆえに、民主主義陣営に身を置くことになった。
アジア大陸に共産主義が蔓延すると、アメリカとしては日本を反共の砦とせざるを得ず、きしくも太平洋上の不沈空母と化したのである。
アメリカの占領政策が狙った日本の民主化ということは、共産主義革命とも軌を一にするもので、農地改革などはまさしく共産主義革命そのものであった。
そして旧国鉄というのは、外地で働いていた労働者を吸収するという意味で、非常に大きな雇用の確保に貢献したことになるが、惜しむらくは共産主義者を追放することに失敗したので、後年、企業体そのものの変革を余儀なく迫られたわけである。
戦後の日本の共産主義者の台頭というのも、日本民族の負の遺産を引き継いだものではないかと私は思う。
彼らの行為、行動というのは、まさしくかっての日本の軍部の独断専横とまったく同じ行動パターンを踏襲していると思う。
かっての5・15事件や2・26事件に見るように、青年将校の跳ね上がった独りよがりな思い込みによるテロと全く同じ行動パターンだと思う。
若者の跳ね上がりという意味ではまったく同じだと思う。
青年というのは純情であればあるほど純粋で、純粋であればあるほど世情の矛盾に我慢がならず、それを一気に解決しようとするとどうしても過激な行動に走らざるを得ない。
衝動がそこまで差し迫ってくると、もう主義主張はどこかにいってしまって、関係なくなってしまう。
ただ違っていたのは、青年将校の行為は社会秩序を壊すことまでは考えてなくて、首の挿げ替えさえ達成できれば矛を収める気でいたが、共産主義者の革命ゴッコは、社会秩序の破壊が目的で、秩序を壊した後に何を作るかという視点が抜け落ちていたことである。
そこが戦後の左翼が革命家としてのアマチュアたる所以で、世間知らずの生半可で青臭い共産主義者の成れの果てで、戦前の青年将校の跳ね上がりと類似の部分である。
日本では革命などできるわけがない。
革命というのは武器がないことにはなり得ないので、刀狩りの思想で凝り固まった日本で、革命など成功するわけがない。
銃に触ることさえ嫌悪するような大衆をいくら集めたところで革命などできるわけがない。
革命には武器がいるということすらわからない共産主義者、左翼陣営などというものは茶番劇である。
問題は、こういう共産主義者の若者、左翼陣営を形成する若者を、日本の国立大学が養成し、日本の国立大学の中にそれを指導する共産主義にかぶれた教授連中がいたという事である。
昭和初期の日本を奈落の底に突き落としたのは、納税者の金で出来た軍人養成機関、海軍兵学校であったり陸軍士官学校の卒業生であったが、戦後の日本で、我々の国を混乱の渦に巻き込んだのも、我々の納税者の金で運営されている国立大学や私学補助を受けている大学の卒業生であったわけである。
こんな馬鹿な話があるものかと言いたい。
終戦直後の日本では民主化という名の元で旧秩序の破壊が大ピラに展開された。
憂うべきことは、そういう大変革に後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘というような戦前に日本の最高学府を修めたような知識人、知性の人が何一つ抵抗しなかったという事実である。
むしろ嬉々としてそれに迎合したのではないかと思う。
ここでも彼らが我々同胞のことを信用しておらず、日本人、日本民族というのは彼らとは別種の人間だという認識があったのではないかと思う。
彼らから見れば、同じ日本人といったところで、魚屋の親父さんから、床屋のオッチャンから、大工の棟梁までひっくるめて、これら庶民としての大衆というものを同じ日本人と思っていなかったとしても何ら不思議ではないと思う。
住む世界が違っていると思う。
彼らから日本の大衆というものを見れば、一般大衆といわれる人ほど信用ならないものはないと思っているに違いない。
私でさえそう思っているのだから、彼らがそう思うのも無理ないと思う。
戦後、彼らは再び官僚に戻ったわけで、官僚として日本再建に立ち向かったことは評価しなければならないが、戦前の日本と戦後の日本ではその中味の人間が変わったわけではなく、中身が変わらない限り、こういう人達というのは同胞を信用しきれなかったものと考える。
無理もない話だと思う。
ついこの前までは「鬼畜米英」といっていたものが、昭和20年8月15日を過ぎたとたん、「天皇陛下はたらふく食っている」、「米よこせ」という風潮が湧き上がったわけで、戦地から帰ってきたこれら優秀な人達は、度肝を抜かざるを得なかったと思う。
そして本来ならば日本国民の生命の安全と財産の保証を確保しなければならない軍人と官僚は我さきと逃げてしまったわけで、こういう状況を見れば、後藤田正晴、宮沢喜一、中曽根康弘というような人々は、自分の同胞を信用しきれないというのもうなづける。
マッカサーが厚木に降り立ったとたん、それまでは治安維持法で牢獄という天国で衣食住を満喫していた共産主義者が解放され、恰も天下を取ったかのような舞い上がり方をしていたわけで、こういう状況を見るにつけ、彼らは同胞を信用できない存在だと思い至るのも無理ない話だと思う。
彼らは戦前の自分たち同胞の立ち居振る舞いも判っていたし、戦後の急進的日本人の舞い上がり方も、自分の目で見ていたわけである。
それを目の当たりにした結論として、日本人というのは集団となると何をするか判ったものではないという、同胞に対する不信感を醸成したものと考える。
それがあの押し付け憲法でさえも改正することに反対し、慎重に考えさせる元となっているものと解釈する。
彼らはエリートとして戦争中に同胞の恥部を見てしまったので、手綱を解かれた我々の同胞は、外圧がない状態では何をするかわからないという危惧にさいなまれたとしても十分うなずける。
彼らが知的に優れていればいるほど、その思いは強かったと思う。
日本国憲法に第9条が存在する限り、我々は自分たちの手足を縛っているわけで、その現状が続く限り、武力を持ったものの独断専横ということが防げると考えているわけである。
ここでその考え方が日本の左翼や進歩的文化人の思考と一致することになる。
しかし、今の日本は1945年の日本、昭和20年の日本とは全く違っているわけで、それは同時に世界も時代の流れとともに変化し、進化していることを忘れてはならない。
自衛隊のイラク派遣も、日本の国権の発動としての戦争をするために行っているわけではない。
本来ならば、国連の要請を受けて派遣されるべきところであったが、フランス、ドイツ、ロシア、中国等の反対があって、アメリカはイギリスと共にフセイン大統領打倒のために立ち上がった為、日米同盟の絡みでイラクの復興のために派遣されているのである。
野党というのは、ただただ自民党を政権の座から引き下ろすためにだけ物を言っているのだから、どんなことでも言えるわけで、それは無責任そのものである。
野党の立場からすれば、日本の国益ということは二の次の問題で、国益が損なわれれば、これ幸と自民党や政府をこき下ろす材料になるのであるから、彼らのいう事を真に受ける必要はない。
こういう状況を後藤田正晴氏ともあろうものが判らないはずはない。
それでも彼がイラクの自衛隊派遣に反対するということは、平和主義を通り越して小泉氏に対する怨恨だと考えざるを得ない。
2004年という時に、世界の情勢から見て日本の選択肢として、アメリカ追従でない選択肢というものがありうるであろうか。
「日本は平和憲法があるのでイラクに派遣出来ません」とアメリカにいえば、日米関係に軋みが生じることは目に見えているし、だからといって日本がアメリカに頼らず独自の自己保存を考えるとすれば、より不安定さを増すし、国連もアメリカ抜きではありえないということからして、我々の選択肢としては国連とアメリカの双方に気配りをし、身を処さなければならない。
後藤田氏はあの状況下で小泉氏にどのような選択肢を示すことが出来たのであろう!
小泉氏は自民党内では変わり者と前々から言われていたが、こういう自民党OBや先輩のいうことに素直に従わず、自分の初心を貫くからそう言われているに違いない。
彼ら自民党内の重鎮から小泉氏を見れば、若者の跳ね返りぐらいにしか映っていないのではないかと思う。
無理もない話で、こういう自民党内の重鎮、総理大臣経験者から小泉氏を見れば親子ほどの世代間の格差があるわけで、「今時の若者は!」という老人特有の感慨というのはあって当たり前だと思う。
ただ不思議なことに、こういう世代の老人、いま存命していれば80代90代の人達が、昔の占領軍、GHQのしたこと、やったことをまことに素直に受け入れて、その価値観にまことに従順に従っているという現実である。
中曽根氏の靖国神社参詣の問題でも、彼は中国に頭を下げ、その了承の元で参詣しているわけで、何故それまでして中国に神経を配るのかという根底には、A級戦犯の合祀の問題がそこに潜んでいたからである。
中国が、このA級戦犯という言葉に非常に神経を尖らせているので、彼はそこに配慮をした。
そのことはつまり、中曽根康弘という人物は、A級戦犯という言葉を字義通り容認し、占領軍、GHQの押し付けた価値観をそのまま受け入れ、自分のものとしているということである。
彼らのような優秀な人材、戦前に東京帝国大学に学ぶことが出来たようなエリートの目からすれば、A級戦犯といわれるような職業軍人、しかも日本を敗北に導いたような職業軍人は、犯罪者そのものに見えたのかもしれない。
私もその点では同じ考え方であって、A級戦犯と称せられるような人は、我々日本人の側から、つまり同胞の側から裁判に掛けなければならないと思っている。
しかし、そういう個人的な思いはさておいて、靖国神社に祭られてしまえば、これはもう神様になったわけで、日本古来の習俗、伝統、慣習、土俗信仰として、それを参詣するのにいちいち中国の顔色を伺う必要はないと思う。
中曽根氏が総理大臣として我々の国の英霊に参詣するのに、いちいち中国の顔色を伺いながらするということは、彼には全く国家主権という概念が欠落しているということである。
まさしく金玉を抜かれた宦官であり、エコノミック・アニマルそのものだといわなければならない。
もう少し意地悪な見方をすれば、中曽根氏が総理大臣として靖国神社を参詣するときに、いちいち中国の顔色を伺ったので、いま小泉氏が同じことをしようとすると中国側は「伺いにこないではないか」ということで、難癖をつけているということである。
これは中国の、もっと具体的に言えば、漢民族の伝統的な民族的慣習として、あるいは中華思想の潜在意識として存在している朝貢のポーズを、我々、日本人に対して求めているという図である。
太古の昔、中国の周囲の夷狄、つまり野蛮人は、先進国である中国に朝貢の儀をすることが常習化しており、それと同じことを要求しているということである。
中曽根氏はそれをやってしまったわけで、小泉氏はそれをしなかったのである。
中国が日本に対して朝貢の儀を求めるというのは、中国の歴史の中に脈々と流れている潜在意識であり、中華思想の現われとみなさなければならない。
彼らにはそれが近代の主権国家の主権の侵害になるという意識がないのか、あっても無視しているのか、それとも相手が日本だから舐めて掛かっているのか、このうちのどれかである。
彼らは同じ黄色人種、特に日本に対しては中華思想でもって高飛車に出るが、紅毛碧眼の白人に対しては実に卑屈になる。
黄色人種に対しては威張るが、白人に対して卑屈というのも、中国古来の中華思想の中に入っている潜在意識なのかもしれない。
「日中関係が阻害されるから朝貢をやれ」という判断は、日本の統治者の選択肢の一つとしては存在しうるが、安易にそれをしてしまえば、日本は外交的に威信を失うことになり、そう安易に判断できることではないと思う。
少なくとも、日本の総理大臣が祖国の英霊に参詣するのに、外国の承諾を得てからでなければ出来ないなどと言うことがおかしいが、中曽根氏はそれをおかしいと思っていないわけである。
中国の言い分というのは「靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから、それにお参りすることは戦前の軍国主義を少しも反省していない」ということに繋がり、それだから駄目だというわけである。
こんな言い分は全くの言いがかり以外のなにものでもないわけで、それを真に受けるほうが明らかにおかしいと思う。
今の日本の何処をどう突けば軍国主義が出てくるというのであろう。
こういう誤った認識を声高に叫ぶということは、現状認識が全く間違っているということを示しているわけで、その間違いを正すことなく相手の言い分を鵜呑みにすれば、双方の齟齬はますます大きくなるだけであり、双方にとって全く益するところがない。
その前に「A級戦犯が合祀されている」ことを相手側が云々すること自体がおかしい。
「A級戦犯が合祀されている」という言葉そのものに、日本側としては反論をしなければならない。
戦犯という言葉そのものに、日本の識者、知識人、文化人、オピニオン・リーダーたるべき人は反発しておかなければならないと思う。
交戦国側からすれば、自分たちの仲間を多く殺した敵は犯罪者に匹敵するだろうが、我々内側から見れば、それは英雄でなければならず、第2次世界大戦までの戦争では英雄の存在というのは認められていた。
英雄であればあるほど、敵側もその名誉をたたえたものである。
敵を多く倒した英雄が、英雄でなくなったのは、戦争の形態が無差別殺人に変化したからである。
昔の戦争は制服を着た兵隊どうしが民間人のいない野原で対峙して、双方が鉄砲の撃ち合いをしたものであるが、これが航空機の発達や大量破壊兵器の発達で、無差別に一般市民まで巻き込む戦いになってきたため、英雄が英雄でなくなってきたのである。
その意味で日中戦争というのは正規の戦争ではなかったといってもいいと思う。
国際条約で定められた正規の戦争でなかったからこそ、未だにそれが尾を引いているのである。
それは中国側に起因するわけで、当時の、昭和初期の中国では、きちんとした政府軍というものが確定しておらず、どれが蒋介石の正規軍で、どれがゲリラで、どれが毛沢東の手先で、どれが山賊で、どれが軍閥で、どれがただの泥棒で、どれが強盗団かということが判然としていなかったのである。
日本側からすれば、その全部が討伐すべき敵であった。
丁度、今のイラクと同じ状況で、アメリカがイラク内で平和な主権国家を築こうと努力しても、イラク人が勝手に殺し合いをしている状況と同じで、平和を築こうとしているアメリカが悪者にされている図と全く同じであった。
そして1945年、日本が降伏を受け入れたのは連合軍であって、基本的にはアメリカであったが、連合軍の一員として蒋介石の国民党政府が名を連ねていただけである。
我々は中国?シナ軍?国民党政府軍?蒋介石?八路軍?中国共産党赤軍?に降伏したわけではない。
こういう経緯の元、その国民党政府が連合国側の一員として、極東国際軍事法廷で日本の戦犯というものを確定したのである。
中国共産党はそれから4年も経ってから大陸を平定したのであって、その意味からすれば、当時の日本の政治指導者を中国共産党から戦犯呼ばりされる必要はさらさらないと思う。
なのに戦後の日本の政治家というのは、何ゆえに中国のいう戦犯という言葉に反発を示さないのであろう。
昭和の初期の時代に、日本を奈落の底に突き落とした我々の政治家、つまり軍人達を、極東国際軍事法廷でA級戦犯として裁いたのはアメリカが勝者の論理で勝手にやったことで、同胞を欺き、同胞に苦難の道を歩ませた罪で、国民裁判でもって、死を以って償いをさせたいと思うのは、中国共産党よりもむしろ我々の側でなければならない。
中曽根氏の場合、この連合国側が勝者の論理で勝手にA級戦犯という言葉を使っているのに何の抵抗も示さず、まことに素直にその言葉とその歴史とその状況を受け入れてしまっている。
その意味で、社民党の土井たか子氏や福島瑞穂氏と全く同じ感覚で、全く同じ認識に立っているように見える。
こんな馬鹿な話があっていいわけない。
いやしくも旧軍歴のある人が、間違った政治手法でもって国民を奈落の底の突き落としたとはいえ、同胞の政治指導者を外国から戦争犯罪者として扱われて、それに同調する筋合いではないと思う。
これこそPTSDであり、金玉を抜かれた宦官というものであろう。
多分、小泉純一郎氏は旧軍歴のない世代だと思うが、彼のほうが余程しっかり中国と対峙しているのではないか。
中曽根氏の場合、中国共産党という巨大な人間集団を自分の側に引き込んで、彼らと仲良くしたい、貿易、経済の面でも上手に付き合いたい、という国益という観点から、本音を押さえてまで相手に迎合する道を選択したのであろうけれども、中国に対してこういう下手に出た扱い方というのは百害あって一利もないという現実がわかっていない。
そのことは、彼には中国、中国人というものの本質が全く判っていないということに他ならない。
彼も観念的な理想主義、博愛主義で、同胞は信用ならないが、中国人は国民党であろうが共産党員であろうが、元々善だという認識に立っているものと推測する。
この点でも彼の発想は土井たか子氏や福島瑞穂氏と同じレベルの思考で、中国の3千年とも4千年とも言われる歴史を正しく理解していない。
戦後の平和主義教育の中で、我々の世代は物事を偏見という色眼鏡で捉えてはならないと教わってきた。
しかし、偏見にはそれ相応の歴史があるわけで、それなりに人間の経験に基づいた先輩達の生活の知恵が詰まっている筈で、その本質は変わるものではない。
我々の場合でも、江戸時代の差別意識というのは、今日の高度に進化した生活では意味を成さないので、民主主義の進展とともに影を潜めたが、それはそれで結構なことである。
ところが偏見をはぐくむ本質というのは、そう安易に変わるものではなく、それを端的な言葉で表現すれば、民族性という言葉で表現される。
ここで20世紀後半から21世紀にかけての中国の、及び中国人の民族性というものを考えてみると、やはり大昔に確立された認識から一歩も出るものではない。
それは例の中華思想である。
中国が世界で、いや宇宙で一番立派な国で、周囲の国々は夷狄に他ならないという思考である。
中国の場合、国家の主義主張が何であれ、中国大陸に中国人が君臨している限り、この中華思想はついて回るわけで、その端的な例が日本に対する歴史認識という言い方による内政干渉である。
いまの中国も、日本を未だに夷狄と考えているからこそ、靖国神社の問題で内戦干渉をしても良心になんら呵責を感じていないのである。
日本の総理大臣が、自分たちの先祖の英霊に参詣することにクレームをつけることは、完全に内政問題なわけで、明らかに中国は日本の内政に干渉してきているということである。
その干渉に素直に従ってやれば、相手は自己満足できるが、中国側が自己満足したからといって、日本に対する見返りというものは何も期待できない。
大昔のシナは、朝貢をしてきた夷狄に対して何らか見返りをする余裕というか、仁義というものを持っていた。
ところが共産主義者の中国では、そんな仁義も廃れ、利己愛だけが増殖して、夷狄に対する思いやりなどというものは消し飛んでしまったわけである。
太平洋の東に位置する諸民族の中で、日本の存在というのは周辺のアジアの諸民族にとってまことに欝とうしい存在ではないかと思う。
中国人をはじめ、韓国人からシベリアのロシア人まで含めて、日本の存在というのは欝とうしくもあり、羨ましくもあり、侮りがたい面もあるという複雑な感情を持っているのではないかと想像する。
中国人からすれば「なんであんな小さな国が経済大国なのだ」というのが偽らざる彼らの感情だと思う。
つまり、彼らの潜在意識として残っている中華思想を真っ向から否定しているのが日本という国の存在である。
それで、中国の国内が混乱して外を見る余裕のないときは、日本などには目もくれないが、国内が安定してきたり、大衆の関心を外に向けなければならない状況が起きると、日本という夷狄の存在を利用するのである。
我々は有史以来中国、昔はシナと言っていたが、この国を味方に引き入れようとして、様々な努力を重ねてきたが、先方から見れば、夷狄の跳ね上がりとしか映らないわけで、こちらの思惑に先方が乗るということは、相手側にとって屈辱以外のなにものでもない。
これはこれから先も決して変わることのない認識だということを悟らなければならない。
中国と我々が仲良くするということは、これから先、未来永劫ありえないということを肝に銘じなければならないと思う。
昭和初期の我々も、これの実現を目指して泥沼に嵌まり込んだわけで、中国から見て夷狄の側がいくら主導権をとってそれの実現を画策してもそれの実現はありえない。
逆に中国の側が主導権を取れば実現できるかといえば、これは他民族の抑圧という効果しかないわけで、夢想するだけ無駄というものである。
中国人というのは世界各国に定住している。
中国人の定住者のいない国というのはないのではないかと思える。
それほど世界各国に進出していても中国人が抑圧されたとか、弾圧されたという話はあまり聞かない。
太平洋戦争のとき、アメリカ在住の日系市民は隔離され、収容所に入れられたが中国人はそういう目にあっていない。
当時の中国は連合国の一員であったということもあろうが、世界各地に分散している中国人というのは、その国の人間には成りきらず、その国の迷惑にならないように自分たちで細々と生きており、社会的に目立つことをしないからである。
ところが日本人が世界各地に進出すると、その国の人間になりきろうと努力し、その国の社会に少しでも貢献しようと頑張るものだから自然反発も生じてくるわけである。
日系二世たちが収容所の中から志願してヨーロッパ戦線に従軍したというのは、その立派な証拠だと思う。
海外に出た中国人にはこういう例がないのではないかと思う。
つまり、彼らはどんなところにいても自分自身さえ良ければそれでいいわけで、社会のために奉仕する、社会のために貢献する、自分をはぐくんでくれている社会に恩返しをするという発想は微塵もないわけである。
彼らの中華思想というのは、自分中心の同心円状の宇宙なわけで、Aの人も、Bの人も、Cの人も、夫々が自分を同心円の中心においた価値観を持っているので、それらは決してひとつにはなり得ない。
だから常に離合集散を繰り返しているのである。
こういう隣国と今後も仲良くやっていくということは、実際上かなり困難なことだと思う。
ならばどういう手法があるかといえば、我々は一歩も二歩も下がって、相手に主導権を与える振りをして面従腹背で、金というカードだけをしっかり握ることに尽きると思う。
中曽根氏が中国の顔色を伺うというのも案外そういう含みがあったのかもしれないが、相手に主導権を与えるということは、謙るという意味ではなく、言うべきことは正面から堂々と言わなければならない。
いうべきことは正面から堂々と発言し、正しくないことはきちんと正し、反論するときは根拠をきちんと示して相手を納得させ、その上で相手に花を持たせるということである。
特に中国が相手のときは正面から堂々と話をしないことには先方から突っ込まれるわけで、こちらの立場はきちんと示してしかるべきだと思う。
中国人は口喧嘩が上手で、彼らの口喧嘩というのはまるでスポーツのようなもので、論理も倫理もない支離滅裂なことを平気で一方的にののしりあって、ののしりあうことでストレスを解消している感がある。
彼らは勝ち負けを気にしているようには見えず、勝っても負けてもその結果にはまったく無頓着で、ただただ鬱憤晴らしという感じがする。
先日(10月17日頃)も、ほんの気晴らしのつもりでNHKのBSを見たら、偶然、中国の討論番組に遭遇した。
恐らく中国の識者であろう、4人の人物が喧々諤々の議論をしていた。
その議題がこともあろうに日本の憲法改正の是非である。
日本が憲法を改正したら中国にどういう影響があるか、と言う話ならばまだ不思議ではないが、日本の憲法改正は日本にとって得か損かという話であった。
中国人が日本のことを論じているのだから、そこには当然事実誤認も多々あったが、問題は、この事実誤認に基づいて日本そのものが議論の俎上に乗っているということだ。
例えば。日本はアメリカの圧力で憲法改正をしようとしている、と彼らは見ているがこんな馬鹿な話もない。
小泉首相が国連安保理入りを希望したことに関連して、アミテージ氏が「ならば日本は憲法を改正して普通の国になるべきだ」と言ったことは事実だが、これは何もアメリカの圧力ではないわけで、ひとつの意見に過ぎない。
それを圧力と取るのは事実誤認以外のなにものでもないが、中国側の日本理解というのには、こういうことが多いと思う。
日本の首相が靖国神社に参詣すると軍国主義の復活だとか、歴史への反省が足りないという論調は、こういう事実誤認の延長線上の錯誤だと思う。
しかし、中国人の口喧嘩というのは支離滅裂なことを口から泡を飛ばして喧々諤々と声高に叫ぶという彼らの習性を勘案すれば、中国側の言う事をそう正直に額面どおりに受け取る必要もないはずだ。
軽く受け流しておいて、正々堂々と正面から反論すればいい。
しかし、それでも根本的な中華思想をなだめることは不可能なわけで、そういう状況下で我々はいかに対応すべきかと考えれば、これは経済という搦め手で迫るほかない。
バブル崩壊後というもの、日本の製造業は人件費が安いという理由で大挙して中国に押しかけたが、こういうことが中国人の自尊心を傷つけていると思う。
そして研修という名目で中国人を日本に呼び寄せているが、これも愚かなことだと思う。
近いうちに必ず先方の寝返り、裏切り、しっぺ返しにあうと思う。
この寝返り、裏切り、しっぺ返しというのは、我々日本人の感覚からすれば非常に憂うべき行為で、不道徳という思いがあるが、中国人の倫理からすれば不道徳でもなく、してはいけないことでもなく、良心の呵責を感ずることでもなく、極普通の処世術に過ぎない。
彼らにしてみれば、騙されるほうが悪いわけで、騙すほうが頭が良いのであって、騙されるほうがアホだという一語に尽きる。
この倫理観も彼らの民族的な潜在意識の中華思想に根付いているわけで、そのため彼らは世界中の何処に住んでも周囲の人々と同化することなく、彼らだけの世界を築いているのである。
彼らが世界の何処に住んでも、異国の同胞を相手に、同胞だけでちまちまと固まって生活している分には摩擦は生じないが、日本人のように、あえてこちらから同化しようと、それこそ一生懸命努力すると、結果として日本人が周囲の社会から突出してしまい、逆にジャパン・パッシングを誘発してしまう。
中国大陸では古来からいくつもの王朝があの広大な大陸を実効支配したが、出来ては消え、消えては出来たわけで、それがあの大陸に住む人々の宿命でもある。
その出来ては消え、消えては出来る、その一環として夷狄であるところの朝鮮や日本も朝貢をしたりしなかったりしたわけだ。
こういう歴史的事実を見てみれば、20世紀の後半になって、中国の労働力が安いということで、日本のメーカーがこぞって中国に工場を移すと、ある日突然それらの日本企業を中国政府が接収するという事態が起きないとも限らない。
20世紀後半の中国大陸というのは、いうまでもなく共産主義の国であるのだから、ただでさえ我々の倫理観と掛け離れた潜在思考のところに、共産主義という妖怪的な思考が接木されたことを考えると、我々の常識、日本人の常識では御しがたい面があるはずである。
今、中国が日本から進出した企業を国家が接収したとすると、日本の最先端の技術というのはそのままあちらに残ってしまうということになる。
現在の中国で生産される商品は、先進国の模造、先発メーカーのコピー商品、ということが世界的視野で問題になっている。
これは知的所有権という言葉で言い交わされているが、要するに中国が先進国の模造品、コピー商品を作って、それを大量に市場に流すので、既存の先発メーカーが困っているということである。
中国が模造品を大量に算出するという背景に、日本の企業が中国に進出したさいに送り出した機器が使われているということである。
2、3日前のニュースでは、今年の中国の経済成長率は9%を越えていると報道された。
確かに中国の一部の地域では非常に高度な経済成長を達成しているであろう。
けれどもあの広大な土地の全部が一様に高度な経済成長を達成しているとは決して考えられない。
中国にはまともなデータさえ存在していないのではないかと思える。
あの広大な中華人民共和国は、我々日本のように、何処を切っても同じ顔の出てくる金太郎飴ではないわけで、切る場所、切り方の違いで、そのたびごとに違った数字、データが表れるものと考える。
つまり統計はあてにならないということである。
あの文化大革命のとき、都会のインテリーを農村に下放するということが流行った。
これは一種の刑罰で、都会で訳知り顔に威張っているインテリーを農村に送って、罰として農作業をさせるというものである。
こんな馬鹿な話もないと思う。
彼らのいうところによると、農村で農業をしている人は犯罪者ということになる。
革命によって土地を与えられ、そこで食糧生産することが犯罪者などという馬鹿な話はないと思う。
都会で青臭い議論をしているインテリーに、刑罰の一環としてそういう農村に送るということは、農村の生活というものを刑務所の生活と同一視しているということに他ならない。
だからこそ都会のインテリーを農村に送るということが刑罰して成り立っているのである。
このことは広い中国国土の中に大きな較差、都会と農村の間に大きな格差が内在しているということで、だからこそ都会の青白きインテリーを農村に送って農作業をさせることが刑罰として成り立つということである。
中国のいう経済成長率というのも、当然都会の発展ということであって、農村は相変わらず置き去りにされたままだと思う。
即ち、中国の内部では先進的な地域と旧態依然とした部分の二つがあるわけで、この二つの間では、人々の意識から経済力に至るまでが二極分化しているので、これが中国の不安定の原因となっている。
この二極分化は、従来の考え方でいえば、社会的インフラの未整備ということで説明がつくが、21世紀にはいって、科学技術の発達により、この社会的インフラの未整備というのも従来の発想とは違う形で克服されそうな予兆がある。
例えば飛行機とか携帯電話とかインターネットというのは未開な人々の間にも、隔離された地域の人々の間にも、そのまま情報が入ってしまう。
従来の社会的インフラというのは、鉄道なり道路なりで人が直接行き来することで情報の伝播が行なわれていたが、21世紀ではそういうことはないわけで、だからこそアルカイダが世界的な規模でテロを起こすことが可能になったわけである。
これと同じことが中国内でも起きる可能性は十分考えられると思う。
こういう事を考えて、これからの中国と日本の関係を考えてみると、中国に対しては十分に気をつけなければならないと思う。
昭和の初期に、日本が中国に足場を築こうと思ったのも、中国というものの考察が甘かったからだと思う。
つまり「孫子の兵法」でいう「相手を知る」ということを怠って、目先の現象にのみ気を取られて、相手を御せると思い上がったからである。
今日、日本では人件費が高騰して、中国の安い労働力を求めて中国に工場を移している現象というのも、その延長線上のことで、そのうちにしっぺ返しが来ると考えなければならない。
既に、中国発のコピー商品の氾濫というのはその兆しと考えなければならない。
中国人に関して言えば、彼らは他人に奉仕する、人々のためにする、社会に貢献するという発想は全く存在しないわけで、あるのは自分という自己だけで、自己の安泰、自己の延命だけで、自己以外の他人はどうなろうと関与しないというものである。
これが民族の根本的な潜在意識となっているが故に、口喧嘩で口から泡を飛ばして出てくる言葉も支離滅裂で何も整合性がなくても彼らは平気なわけである。
中国人は世界各地に進出しているが、彼らは何処に住んでも先方の社会に入ろうとせず、相手の変革を求めようとせず、先方の社会から阻害されたまま、自分たちのワールドの中で生きているのであまり摩擦は起こしていないが、日本人の場合、そういう事を全く意識しないにもかかわらず、我々はただただ一生懸命に生きようとするものだから、ついつい先方の嫉妬心を揺さぶってしまうわけである。
我々は異民族の中に我が身をおくと、どうしても日本民族として恥ずかしくない行動をしなければならないという呪縛から抜け切れず、日本民族、大和民族の代表という責任を負ってしまうようだ。
だからそこで無性に頑張ってしまう。
すると周囲から浮き上がってしまって黄化論、排日、反日にまでなってしまう。