私事ですが  04・08・03

ワシントンに原爆を!

 

軍神  乃木希典

 

私事ですが、遅ればせながら司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終えた。

読み応えのある重厚な作品で大いに感ずるものがあったが、読みながら考えさせられたことも多々あった。

というのは、司馬遼太郎はこの作品の中で乃木希典をこてんこてんにこき下ろしているが、我々が知るところの乃木稀典といえば軍神である。

軍神といわれるほどの人が、実際はここに描かれているような人だったとしたら、そのギャップの大きさは一体何処から来ていたのであろう。

あまりにもかけ離れた評価のような気がしてならない。

あまりにも落差が大きすぎると思う。

司馬遼太郎氏が嘘八百を並べたわけでもなく、可能な限りの資料に基づいて書いたと思うが、世評でいわれていた軍神とはあまりにもかけ離れているので、にわかに信じがたいほどであった。

司馬遼太郎氏はそのギャップにメスを入れることが氏の本心であったのかもしれないが、私の意地悪な推測では、乃木の世評というのは後世の誰かが彼を軍神に仕立て上げる必要があって、作為的に軍神として奉られるようになったのではないかと思う。

問題はそうしなければならなかった作為というものが、どういうものかということだと思う。

作為しなければならなかった背景に何があったのか、ではないかと思う。

恐らくあの時代状況の中で忠君愛国の精神を喚起する必要があったということだろうと考える。

もっと砕いて言えば、昭和の軍人達が軍国主義を鼓舞する必要があったということではないかと思う。

ところで、乃木希典は確か明治天皇がなくなったときに殉死したのではなかったか、と思ってインターネットを調べてみると、この司馬遼太郎の乃木評に対する反駁の本がある事を知った。

こうなると真偽の程が定まらなくなってしまう。

確かに司馬遼太郎の乃木評というのは言い過ぎの感がするので、きっとその反対意見があると思っていたらやはり存在していた。

乃木希典は殉死する際に、その屋敷や邸宅を遺言で東京市に寄贈してしまっていたので、その邸内にあった社を時の東京市長、阪谷芳郎が乃木神社として建立したことも彼が軍神といわれる理由のひとつであったかもしれない。

家屋敷の寄付は本人の意思であったろうが、神社の建立までは本人の意志ではなかったと思う。

ところが、こうすれば本人が墓の中で喜ぶであろうと憶測した周囲の人々の熱意が、こういう神がかり的な運動に至ったものと推察する。

明治天皇の崩御に対して殉死するという極めて古典的、かつ忠君愛国的な行為が、その後の乃木像というものが異常に繁殖してしまい、その結果として軍人としての能力評価がかき消されてしまい、軍神にまで昇華してしまったと考えられる。

司馬遼太郎氏は、その虚像として膨れ上がった部分をそぎ落として、軍人としては極めて凡庸な人ではなかったかという視点から、乃木希典とういうものを見つめ直したのかもしれない。

乃木の殉死というのは、彼自身の気持ちに立ち入って考えれば、日露戦争で彼の元で死んでいった日本人の数というのが5万とも6万ともいるわけで、明治天皇の元でこれだけ多くの同胞を死なせてしまった、という悔悟の気持ちがあったからではないかと勝手に想像する。

多くの同胞を死なせてしまったにもかかわらず、その後も要職を任せられて、まことにありがたいという感謝の気持ちが殉死という形になって現れたものと私は解釈する。

本人はこういう気持ちであったろうと思うが、それを見た周りの人間は、天皇の死に合わせて殉死するという彼の行為を、それほどまでに忠君であったに違いない、と思うのも何ら不思議ではない。

天皇崇拝者にとって、これほど顕著な例もないわけで、それで富国強兵と忠君愛国がひとつになりかけていた大正時代から昭和のはじめにかけて、こういうモデルを国民の前に掲示することで民心の掌握に寄与しようとする雰囲気が自然発生的に現れたものと考える。

その行き着いた先が軍神という虚像であったに違いない。

 

神様を奉る愚

 

恥ずかしながら私は自分の祖国の歴史についてあまり詳しいほうではない。

しかし、我々の祖国では古代より天皇制というのは連綿と続いてきたが、天皇が庶民の前面に象徴として崇め奉られるようになったのは、明治維新以降ではないかと思う。

それまでの歴史では、確かに権威の象徴として存在はしていたが、それはあくまでも統治するものにとっての象徴であった。

それだからこそ征夷大将軍という称号を貰うことによって、天皇に成り代わって天下を平定するというポーズが出来上がったものと考える。

天皇は直接統治するということをせず、その任を征夷大将軍に丸投げすることによって、権威と形式を維持できたのではないかと考える。

ところが明治維新によって幕府というものが崩壊して、版籍奉還とか地租改正という大変革を経ると、この統治上のクッション(征夷大将軍)が一枚なくなってしまった。

天皇から見ると、庶民というのはすべからく万民平等、四民平等であったが、ここで人々の職域とそれに付随する職責の兼ね合いから、天皇に対する近親間および敬愛の情を強く感じる人々が現れてきたのではないかと思う。

これがいわゆる天皇崇拝の根源に潜んでいたのではないかと思う。

明治維新以降の我々の社会システムというのは、天皇を頂点としてピラミットのようにきちんとした裾広がりのシステムであった。

日露戦争に従軍した乃木希典は、軍人の一人としてこのピラミットのかなり上の方に位置していたが、彼が旅順攻略で死なせてしまった同胞も、一様にピラミットの下の方の人達とはいえ、その構成員であり、平等に天皇陛下の赤子であることに変わりはなかったわけである。

その意味で彼は明治天皇の死とともに自分もその責を償う気持ちであったのではないかと想像する。

問題は、後世、天皇そのものはもとより、乃木希典までも軍神として神様に祭り上げてしまったことにある。

生きた人間を、死後、神様にまで祭り上げてしまうという、この現実は理性ある人間のする行為ではない。

その責は大正時代と昭和の初期に生きた我々の同胞の大人の世代が負わなければならない。

現実の人間を「神様だ!」という発想は、原始シャーマニズムとおなじなわけで、20世紀になってからでもこんな古代シャーマニズムを復活させるような同胞は全くどうかしていると思う。

ここにも私の持論である。「我が同胞は自分の頭で物事を考えない」という悪弊が大きく影響しているのではないかと思う。

我々の同胞、つまり日本人というのは、実に人の言った言葉や行為に左右されやすい民族で、流行を追う性癖というのは大昔からあったみたいだ。

あらゆる流行の発端というものには、確たる理由は全く見当たらないわけで、なんとなく流行しそうだと思ったとたん、それは全国規模の流行になってしまっている。

戦後の流行の1つに「抱っこちゃん人形」というのがあった。

黒いビニール製の人形を持つことが全国規模でひろがったことがある。

またフラフープというのもそうである。

この流行には科学的というか、倫理的というか、理性的というか、誰かが仕掛けたわけでもなさそうだが、とにかく意味もなく全国一律に流行したものである。

「人がやっているから自分もやってみる」という動機以外、何も動機らしい動機がないのである。

人の真似をしてみたところで自分自身何も得するというものでもない。

こういう意味もない流行が戦後もたびたびあった。

今日でも同じことが起きている。

例の韓国のテレビ・ドラマの「冬のソナタ」ブームである。

今の韓国ブームというのは一体どういうことなのであろう。

全く説明がつかない現象である。

私はこういう現象を見るにつけ、我が同胞の付和雷同性という言葉でそれを表現しているが、我々が付和雷同するという現象は一体どういうことなのであろう。

だから私は、日本人は自分の頭で物事を考えていないのではないか、と思っている。

天皇陛下や乃木希典を神と崇めることも、やはり最初に誰かがそういうこと言ったに違いない。

この古代シャーマニズムまがいの流行は、「抱っこちゃん」や「フラフープ」のようなわけにはいかなかったのではないかと想像する。

天皇の場合はともかく、乃木の場合は、時の東京市長、阪谷芳郎男爵というのが乃木の殉死を鼓舞宣伝している節がある。

乃木の生き様、死に様に感激のあまり、彼を神様にまで仕立て上げたように見える。

確かに天皇と共に自らも死ぬという行為は、この当時の我々の価値観からすれば感激に値する行為ではあったと思う。

感激のあまりとはいえ、本人を神様にまで奉るというのは理性的な人間のすることではないと思うが、流行というのは、そのきっかけがほんに他愛ないことであったとしても、一旦我々の間に付和雷同の衝撃波が走るともう止まらないのである。

現に、生きていた人を神様にまでしてしまうような古代シャーマニズムにも匹敵することが、流行という時流に乗ったが最後、もう止まらないわけで、それを否定するとその人が村八分にされてしまうわけである。

そして、その後天皇陛下の御真影を奉安殿に祭るという行為が全国規模で展開されたわけであるが、これは一体どういうことなのであろう。

私は浅学にして、この御真影を奉安殿に収納することが法律で定められたものかどうか知らないが、戦前の奉安殿と御真影の扱い、教育勅語の扱いというのが、あまりにも神々しく形式張っているのがどうにも腑に落ちない。

日本は天皇を頂上にいただいた国であるということは理解できるが、だからといって、学校の現場で、たかが写真や、勅語とはいえ一遍の書類の扱いにああも神々しい形式が必要なものかどうか不思議でならない。

インターネットでチョイ読みしたところによると、大学にまで奉安殿があったと記されているが、高等教育の場で、この形式ぶりのナンセンスさというものが話題にもならなかったものであろうか。

奉安殿の中の御真影や教育勅語というのはある種のシンボルであったわけで、そのシンボルをもっともらしく、また神々しく扱うということは、完全にシャーマ二ズムに陥っていたわけで、そのことの無意味さというものが、当時の大学教授や知識人層、およびマスコミ関係者に何故疑問、疑惑を念を抱かせなかったのであろう。

大正時代から昭和の初期の時代ともなれば、海外の情報に詳しい人や、他所の国の事情に精通した人間もいたはずなのに、どうしてそういう人達がこのシャーマニズムの無意味さということを指摘しなかったのであろう。

一部の人間が、特別な人を神様と崇めることが流行すると、それは衝撃波となって日本全国津々浦々に響き渡ったが、その無意味さというのはどうしてこだまとして、反作用として、ゆり戻しとして、跳ね返ってこなかったのだろう。

これは流行を懐疑的な視点で見つめる、ということまでも付和雷同的に、我々の思考から排除してしまって、流行のバスに乗り遅れるなという表層面に心を奪われて、その裏側を考えるという自らの思考をそこに働かせることをスポイルした結果だと思う。

 

中間層の功罪

 

日本人というのも他の民族と同じで、たった一人で存在するのではなく、大勢の人が固まりとなって強固なピラミットを形成して生きているわけである。

このピラミットの斜面の途中からおかしな癌が出てきたら、上からも下からもその癌を押さえ込む正常な細胞が湧き出てこなければおかしいと思う。

我々、日本民族の昭和の時代というのは天皇を頂点とする大きなピラミッドの途中からにょきにょきと出てきた癌細胞にピラミット全体が犯されてしまったようなものではないか。

この癌の発生の予兆が、こういう天皇や乃木希典などを神様と崇め奉る発想だったと思う。

現実に生きている、生きていた人間を、神様などと言い立てること自体が既に精神を犯されていたにもかかわらず、当時の誰一人そういうことを言わないわけで、言ったとすれば不敬罪ということになってしまう。

物事を理性的に考えれば、この時の不敬罪という罪状そのものが、既に常軌を逸しているが、これは法律で定められているので致し方ない面があるにはある。

ところが我々、日本民族というのは法律というものを文字とおり、字義に忠実に適用してきた民族ではないはずである。

いわゆる法律の解釈という逃げ口上で以って、自分の都合に合わせて都合のいいように解釈、適用してきた民族である。

正論を述べるとそれが不敬罪となるということは、法の拡大解釈以外のなにものでもなく、それは単なる言いがかりに過ぎない。

物事の本質を筋道立てて合理的に判断すれば、法律の拡大解釈などということは起こり得ないが、これを歪曲して、自分の都合に合わせて法を適用し、その

 

ことでもって異端者を締め出そうという発想がその根底に潜んでいたものと解釈する。

これは日本人の個々の人間の問題ではなく、日本民族全体の問題だと思う。

ということは、その問題の根源を探るには、我々の周囲の人間を観察すれば、ある程度見当がつくのではないかと思う。

今日の我々の生存というのは、社会という人間の集団の中で生かされている。

この社会というものの中には、あらゆる組織というものがあり、人は大なり小なり何らかの組織に従属させられた存在といえる。

大方の男性というのは会社という組織に属しており、成人した女性ならば各種のサークルに属していると思う。

そして自分の住む地域では好むと好まざると地域の町内会なり自治会に属しているはずだ。

組織といえばこれは当然のことピラミットの形態をなしているわけで、ピラミットの頂点の長は民主的にしろ民主的でないにしろ必ず存在するわけで、その下に裾広がりの形で構成員がいるはずである。

世の中の不祥事は、このトップが自ら引き起こす事も多々あることはいうまでもないが、問題はトップの不祥事ではなく、中間管理職の引き起こす不祥事である。

いうまでもなく、昭和の初期に日本が中国に進出した経緯は、明らかに関東軍という日本の軍隊の中間層の独断専行であったわけである。

旧日本軍の軍隊の組織の中の中間の部分がトップの意向を無視してどんどん事を推し進めたことにある。

あらゆる組織がピラミットの形をしているとき、その中間層が独断専行に走ると、組織そのものが崩壊してしまうことは論を待たない。

では何故に中間層が独断専行に走るのか、というところを真摯に究明しなければならないと思う。

私が推測するに、これは中間管理者がトップに対してゴマをすろうとする行為が遠因だと思う。

こうすればきっとトップが喜ぶに違いない。

こうしておけばきっとトップが喜んでくれるに違いない。

こうしておけばきっとトップは誉めてくれるに違いない、という思い込みを持って独断専行に走るのではないかと思う。

この場合のトップというのは、必ずしも形而上の組織のトップを指し示すとは限らないわけで、それこそ拡大解釈して、国民全体であったり、軍全体のことであったり、国の大儀であったりと、その場その時で色々使い分けられるわけである。

要するに、究極のゴマすりなわけであるが、本人達はそれがゴマすりなどと思ってもおらず、それこそ国民のため、民族のため、軍隊のため、大儀のためと思い違いをしている。

組織の中間部分がトップのためと思い込んで先走るというのは、どんな小さな組織にも、また身近な組織にも、大なり小なり存在するわけで、これは日本民族のバイタリテイーでもある。

我々、日本民族というのは、組織のトップの独裁という行為を好まないわけで、トップというのは基本的に部下のすることを大局的な目で見ているだけで、部下に大きな裁量権を与え、自由に遂行させ、いちいち細かいことまで口を差し挟まないことが有能なトップといわれている。

部下も、トップの意を汲んで、言われなくても率先垂範するというのが美徳とされていた。

この我々、日本人、日本民族の組織論が有効に機能しているときは何も問題がないが、これが失敗したときは、それが中間部分の独断専行と非難されるわけである。

先の関東軍の行為、行動などがその顕著な例で、あの戦争が勝利していれば、関東軍の独断専行は賞賛されたが、失敗したから非難されているわけである。

我々のあらゆる組織において、中間層の独断専行も、結果がよければ総てよし、失敗すれが独断専行と非難する、という体質そのものが既に法を自分の都合に合わせて拡大解釈する発想に通じているのである。

問題は、トップの意向に沿うべく中間層が先に根回しをし、独断的に物事を決め付けることではないかと思う。

 

自分で考えない愚

 

天皇陛下や乃木希典を神と崇め奉る行為も、こういうゴマすりの精神から出たものではないかと思う。

個人がこういう思いを具現化することは左程咎めるべきことではないが、憂うべきは、それを全国規模で強いたことであり、それを受け入れたことである。

生きた人間を神と崇める行為そのものは個人の問題であるが、それを全国規模で強いようとしたとき、我々の同胞の中から、それに対する批判が出てこなかったということである。

これは極めて不可解なことだと思う。

先にも述べたように、この時代でも西洋の知識を吸収した同胞は数多いたに違いないが、そういう人達が何故沈黙していたのかと言わなければならない。

軍需品の生産では戦艦大和や零式戦闘機を作ろうという科学的知識を持った人達が、何故に古代のシャーマニズムのような発想を黙って受け入れたのか、そのところが不思議でならない。

ここに私は我々同胞の付和雷同というものが垣間見れるような気がしてならない。

我が同胞は、法律を自分の都合に合わせて勝手に拡大解釈すると言ったが、批判する側もこの手法を使えば、世の趨勢というものをある程度阻止できたのではないかと思う。

体制側の言う事成す事に協力すること、つまり国家に対して滅私奉公すること、忠君愛国を実践すること、体制側のいう矛盾を追及しないことが流行の波に乗ると、その反作用として現状の矛盾、違和感をもたないということまでが流行になってしまったわけである。

このことがすなわち流行というものの恐ろしさなのではなかろうか。

我々の中で一旦流行してしまうと、それが整合性を持ってしまい、その流行が正義と化してしまう。

国民の大部分が古代シャーマニズムに感化されて、それが全国民に普遍化してしまうと、それはもう絶対正義となってしまって、外圧、つまり敗戦・終戦ということでなければ修正できなかったわけである。

戦後の我々が受けた民主教育では、日本がアジアを侵略したのは軍部、軍隊の独断専行だという教わりかたをしたものであるが、これは勝った側が押し付けた教育であり、勝った側からすればまさしくそうである。

そして戦後の我々は、ここで再び新たなシャーマニズムに洗脳されて、勝った側の言う事を「至極もっともなことだ」と受け入れて恥じることがない。

我々には古くから「勝てば官軍」という俚諺があって、勝った側に異論を申し付けるという慣習がない。

負けたら最後、もっとも有能な奴隷と化してしまった。

幸なことに、我々は優秀な奴隷なるが故に、勝った側は生かして使うことに徹したわけである。

我々は戦争に負けたけれど、勝った側のありがたい思し召しで生かされたので、自分達が何故負けたのかを反省する機会を失ってしまった。

自ら自分達の敗因を考察していないものだから、買った側の意う事を黙って受け入れるほかないわけで、戦後60年もすると、それが我々の正義として定着してしまった。

我々は奴隷になったという現実すら認めようとしない。

その前に、奴隷というものの本質すら知らないのではないかと思う。

かの有名な「風と共に去りぬ」という映画では、クラーク・ゲーブルとビビアン・リーの愛情遍歴の中に当時のアメリカの奴隷の姿を垣間見ることができるが、奴隷というものが全部が全部、鎖で繋がれて畑で働くばかりではない。

人として生かされてはいるが、彼らは自主性を封殺されているわけで、この自主性が封殺された奴隷の立場というものを我々、現代の日本人もよく理解していないのではないかと思う。

人は、飯を食って糞して寝るだけでは人としての価値は無いに等しいわけであるが、我々の戦後というのはこれと同じ状況であった。

人というのは誇りと自信と尊厳を持って生きなければ人としての値打ちがないわけであるが、そのことが「風と共に去りぬ」の映画では主題の背景として流れているが、戦後の日本の知識人というのは、そのことに全く気がつこうとしていない。

人たるもの、食って糞して寝るだけが基本的人権だと思い違いして平気でいる。

同じ日本人でありながら、戦前は古代シャーマニズムに依拠した軍国主義が絶対正義であったかと思うと、戦後は勝った側に押し付けられた平和主義が絶対正義になっているわけで、この両方に共通して見られるのは、自分でものを考えないということだと思う。

極端から極端に価値感の大逆転が起きているにもかかわらず、それに対して我々は全く自分で物事を考えないということである。

一部の人間の考えたことがマスコミに載ると、他の人々はそれに便乗することばかりを考えて、マスコミに報じられたことの本質を自分の脳みそで考えることをせず、それを受け売りするだけである。

 

アメリカの奴隷

 

戦前は我々の同胞の大部分が軍国主義であったものが、戦後はその軍国少年。少女の生き残りが一変して全員平和主義になってしまった。

戦争の惨禍を経て、もう悲惨な目にあいたくない、という素朴な気持ちは理解できる。

だからといって、自らの国を守ることもせず平和・平和と念仏だけを唱えていれば平和がくると思い込むのも愚かなことであり、その愚かさを全く考えようとしないところは、「鬼畜米英」と叫んでいれば戦争に勝てると思い込んでいた愚と全く同じではないか。

戦後、我々は自分の国を守るということをアメリカ軍に肩代わりしてもらってきたので、自ら血を流すことは経験せずにこれたが、それは魂をアメリカに売り渡し、キンタマを抜かれたのと同じことで、アメリカの奴隷に過ぎない、ということを日本の識者の誰一人言わない。

戦後の日本は完全にアメリカの属国である。

自分の国を自分の力で守りきれないものが独立国たり得ない。

日米安全保障条約というのは奴隷契約と全く同じなわけで、奴隷だからといって、いつもいつも足に鎖がついているわけではない。

足に鎖がついていないので、自分が奴隷であるということに全く気がついていない。

アメリカの狡猾なところは、さも日本が独立国であるかのように、我々の自尊心を擽っておいて、目に見えない形で我々のうえに胡坐をかいているところである。

日本の言うことなど歯牙にも掛けない腹である。

アメリカのスーパー・パワーというのは黙っていても存在感があるわけで、「沖縄の米軍基地を縮小してくれ」といくら日本がいったとしても、彼らは真剣に考える気はないが、彼らの方で戦略的軍事的変更が出てきたとすれば、こちらの意向を無視してでもさっさと引き上げるに違いない。

戦前は軍国少年であったものが、それが成人に達した戦後は、その総てが平和主義者になってしまったということをどう考えたらいいのであろう。

戦前は自分の祖国の勝利を信じて戦ったにもかかわらず、それが負けてしまって、自分は惨めな思いを味あわされたので、その恨みから自分の祖国に唾を引っ掛ける発想に行き着いたものだろうか。

仮にそうだったとしても、平和・平和と言っていればこの世に平和が来ると思い込むのも、戦前に鬼畜米英といえば戦争に勝てると思い込んでいた愚と全く同じなわけである。

戦前も戦後も、完全なる思い込み浸っているだけで、そこには戦争というものを、世界の動きというものを、主権国家の国益追究という現実の姿を見ることなしに、ただただ観念だけで奇麗事をいっていれば、この世に幸せが実現すると思い込んでいる節がある。

ここでも自分の頭でものを考えないという現実が現れていると思う。

戦争と平和いう二者択一を迫られれば、誰でも平和を選択し、わざわざ戦争を選ぶものはいない。

これは赤ん坊でも当然わかることで、それを戦後の日本では大学教授からマスコミ関係者から労働組合、はたまた政党政治家まで一様に平和。平和と叫んでいるのは一体どういうことなのであろう。

赤ん坊でも本能的に理解していることを、何を今更、大学教授やマスコミがさも立派なことを言っているがの如く言い繕っているのかと不思議でならない。

戦争と平和とどちらがいいかと問えば、平和がいいに決まっているではないか。

しかし、この平和もただではない、ということを戦後の日本人は忘れてしまっている。

戦後の我々は、空気と水と平和はただだと思っているが、平和には金が掛かっているということを知ろうとしない。

そして、平和にしろ、戦争にしろ、我々はその本質をもっと謙虚に研究する必要がある。

平和の構築には口先で平和・平和と唱えればそれだけで実現するものではない。

今日の日本は一見平和に見えるが、主権国家の主権が侵されているのに平和などということはありえない。

それでも一見平和に見えるのは、我々が精神的に奴隷以下に成り下がっているので、主権の侵害を血であがなっても克服しようとしないからである。

ホットな諍になって血を見るのが嫌だから、主権が侵されていることを故意に無視し、無関心を装っているからである。

真の主権国家の平和とは、平和念仏を唱えるだけでは実現しない。

平和というものが念仏を唱えるだけで実現するかのように重い込むところから、我々は自分でものを考えない民族だということがいえる。

戦後の日本の大悪教授やマスコミ関係者というのは、その大部分の人が幼少時代を過ごした戦前は軍国少年であったと思う。

戦前の小国民が戦後は反政府の先頭に立ったわけだが、この軍国主義から平和主義への宗旨替えというのは、自分でものを考えないということを如実に表していると思う。

自分でものを考えれば、平和についても、戦争についても、もっともっと掘り下げた思考ができるはずであるが、表層的な感情論で終わってしまっているではないか。

「悲惨な体験をしたからもう戦争などはこりごりだ」という戦後の日本の知識人の感情論は当然なこととは思うが、悲惨な体験をしたのは何も我々日本人だけではなく、あの戦争では世界中の人が悲惨な体験を大なり小なり経験した筈である。

原爆投下というのは確かに日本人だけに課せられた人類最初の試練であったが、それ以外の苦難というのは、程度の差こそあれ世界中の人々が共通に体験したことではないかと思う。

学徒動員とか勤労奉仕などいうことは、アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、ソビエットでも、似たり寄ったりのことが行なわれていたわけで、我々だけが特別に苦難を強いられたわけではない。

世界中の人が等しく悲惨な体験を共有しているのに、何故我々だけが「もう戦争はこりごりだ」ということになるのであろう。

これは我々が特別に平和的な精神が強いわけではなく、特別に無責任なだけである。

同じように悲惨な体験をしても、連合軍側というのは勝利を得たが、我々は敗北した。

敗北したことによって、敗北にいたる総ての責任を、旧政府と旧軍部に押し付けてしまい、自分達は被害者なのだという、ある意味で自分達の責任から免れようと考えたに違いない。

勝った側は逆に勝ったが故に、世界秩序の維持にそれ以降も苦労を重ねなければならなかったが、我々は負けてしまったが故に、一切の責任を免除され、アメリカの保護の下で自分のことだけに精を出していれば済んでしまったわけである。

 

政治を研究する

 

アメリカが自分の国を自分で守ることさえ許さなかったので、我々はアメリカの黒人奴隷以下の精神構造に馴らされて、自分の国を自分で守ることさえ罪悪視するようにしてしまったわけである。

「憲法改正すれば戦前の軍国主義に繋がる」という発想など、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の荒唐無稽な議論ではないか。

今、現在、主権国家の主権が侵されているにもかかわらず、それに対して全く懸念を抱かず、その相手国に人道支援をしようとしているではないか。

北朝鮮による拉致被害者の問題というのは典型的な主権侵害であるにもかかわらず、これを話し合いで解決しようとしている。

話し合でことが解決できる相手ならば、最初から主権侵害などしてこないはずである。

こういう主権侵害には実力行使しか手がないということが判っていない。

実力行使する勇気がないものだから、血を見ることもない代わりに、何時までたっても解決には至らないが、ただただ問題が棚上げされているだけにもかかわらず、血を見ることがないので平和だと思い込んでいる。

世間という無責任集団、一般大衆と称する愚民は、自分たちの政府を責め立てていれば、さも立派なことをしたような気分になれるが、本当は自分達の政府を責めるのではなく、相手の政府を責め、相手に抗議しなければならないはずである。

相手を責め、相手に抗議しても相手がそれに素直に応じるとは限らないが、ここで血であがなっても事の解決を図るのかどうか、という決断が国民に問われている。

今日の日本の状況では、10人や20人の拉致被害者の救出に、日本の青年の血を流すことはやめておけ、というのが国民的コンセンサスだと思う。

そんなことは政府の責任だ、というのが大方のコンセンサスだと思う。

平和の研究ということは、とりもなおさず今の日本のように、主権が侵されても無関心な国民の心情というものを究明することではないかと思う。

マスコミというのは金になるニュースでなければ報じないわけで、拉致被害者が帰ってくると、まるで前線から英雄が帰ってくるような雰囲気で報じているが、あれほど愚かなこともない。

あれは日本の主権が侵されたにもかかわらず、あの報道に浮かれている人達には、主権侵害という国際信義を踏みにじる行為に対して何ら疑問を呈していない、無責任きわまる姿である。

帰られた人々は相手のいうとおりに行動したので生きて帰されたが、相手の異う事を聞かず先方に殺されてしまった人達をどう考えるかということである。

旧日本社会党などは拉致の事実さえ認めようとしていなかったではないか。

こんな馬鹿な主権国家の国民など他にはありえないのではないかとさえ思えるが、この件に関しては血を見ることがなかったので、平和的にことが運んだと思い違いをしている。

ならば未だに拉致されたまま消息の判らない人たちはどういう処遇をされているのか、もっともっと突っ込んで解明しなければならない。

未だに消息のわからない10名?の方々が、先方のいうことを素直に聞かなかったので殺されたとしたら、我々はそれにどう対応すべきなのであろう。

国民の生命、財産を守るのが主権国家の大命題だとしたら、他国の人間が自国民を有無を言わさず拉致したとき、どう対応すべきなのであろう。

こういう事実があったから、すぐに鉄砲をぶっ放せ、実力行使を実施せよ、というのは確かに極論であろう。

最初は強く抗議して自国民の開放を迫るのが常套的な手段だとしても、相手国がそれに応じなかったときは、如何に対応すべきかは、こちら側の問題となるわけである。

この問題の前提には、相手国つまり北朝鮮が「日本は決して仕返しをしてこない」という読み、つまり我々日本を馬鹿にして、見くびっているところが最初からあるわけで、それでもなお我々は堅忍自重して平和的な話し合いをするのかといいたい。

平和を研究するということは、その辺りのことを掘り下げて考えなければならないが、平和の研究を掘り下げて掘り下げて考えていくと、最終的には戦争の研究ということに行き着いてしまう。

戦後の我々は、戦争の研究と云うと短絡的に「殺しのテクニック」と思い違いするようであるが、それは大いなる間違いで、戦争の研究というのは、つまるところ政治の研究ということにならざるを得ない。

国内政治と外交問題にいきついてしまう。

戦前の我々が何故に軍国主義に行き着いたのか、ということを掘り下げて考えれば、それは当時の国内政治の問題に行き着くわけで、当時の国内政治といえば、国民の潜在意識の具現化であった。

戦後、我々は勝った側の強制した民主教育で、先の戦争は一部の軍人、軍部の独断専行が原因であったと思い込まされているが、一部の軍人、軍部が政治を私物化して独走したことは素直に認めなければならない。

ところが、そこには当時の日本国民の潜在意識としての「戦争遂行も止むを得ない、容認せざるを得ない」という意思があったことも同時に認めなければならないと思う。

当時の我々、当時の日本の全国民が、あたかも流行に被れたように軍国主義に陥った状況をみて、それに警告を発すべき存在が、本当ならば知識階級と自認する人々でなければならなかった。

現役を退いた軍人、帝国大学の学者、新聞や雑誌の編集者、政党政治家たちが、愚昧な大衆、有象無象の大衆、無知蒙昧な大衆が流行に被れて浮かれに浮かれている軍国主義というものに警鐘を鳴らさなければならなかったと思う。

鳩山一郎が統帥権干犯問題を提起したとき、当時の知識人はこぞって彼を糾弾しなければならなかったはずである。

美濃部達吉が「天皇機関説」を非難されたとき、当時の知識人は彼をフォローしなければならなかったはずである。

斉藤隆夫が粛軍演説をしたとき、当時の知識人は彼をフォローしなければならなかったはずである。

しかし、歴史というのは全く逆のベクトルが作用したわけで、結果として我々は奈落の底の転がり落ちてしまったではないか。

大正時代から昭和の初期の時代に、日本の知識人というのは一体何をしていたのかと問いたい。

これら知識人の生き残った面々が、戦後はこぞって反政府、反体制、平和主義者になってしまうというのは一体どういうことなのであろう。

「戦時中に悲惨な体験をしたので、もう戦争はこりごりだ」という心情はよく理解できる。

しかし、自分達もそれに大いに加担してきた、ということを奇麗さっぱり忘れ去っているところが鼻持ちならない。

「当時は治安維持法があって自由にものが言えなかった」という弁解はもっともらしく聞こえるが、これが無学文盲の一般大衆が言うのならば、この言い訳も通用するとしても、知識人といわれる人たちがこういう言い訳をするのはあまりにもさもしい心情だと思う。

我々は法律というものを如何様にも拡大解釈して自分の都合に合わせて適用する国民である。

知識人といわれるような人達ならば、自分達もそれを自分達の都合に合わせて自由に拡大解釈して、相手を論破する術、つまり法の盲点を付いて身を守る柔軟性は持っている筈で、要はそうする勇気乃至は正義感が欠如していただけのことであり、無理して火中の栗を拾う危険を避け、不本意と思いつつも時の体制に安易に身を委ねただけのことである。

こういう日本の知識人の態度、対応、生き様というのは、北朝鮮が日本の沿岸から日本人を拉致しても、私は見ていないから、私は知らなかったから、それは政府の仕事だから、と逃げ回り、いくら主権が侵害されようとも、自分には関係ないという無責任なポーズに如実に現れている。

平和の研究ということは、こういうことを掘り下げて研究することだと思うが、それはとりもなおさず政治の研究ということになる。

ここに戦争は政治の延長たる所以があるわけで、平和の研究も戦争の研究もいきつくところは政治の研究ということになるが、あらゆる研究というものが観念論で終わってはならない。

天皇陛下や乃木希典を神様として崇め奉るということは完全なる観念論に陥っているわけで、知識人の役目というのは、そういう雰囲気に警鐘を鳴らすことであったはずである。

観念論というのはいわゆるブームを形成し、流行として無批判に大衆に受け入れられてしまう。

戦前の軍国主義というのも完全にこの轍にはまっているわけで、小学生までもが小国民と称して軍国主義一辺倒になるというのは、どう考えても異常な風潮であるが、当時の日本の知識人の中で誰一人その異常さを指摘したものがいない。

そのことの裏側には、当時の日本人には中国への進出からアメリカとの戦争までをも容認する潜在意識、つまり国民的コンセンサスがあったということだと解釈しなければならない。

つまり、日本全国津々浦々に至るまで戦争を容認し、その運命を受け入れる素地が有ったということである。

あの戦争に勝利をおさめた側は、彼らの論理で我々の側の戦争指導者を血祭りに上げて、ある程度の溜飲を下げたことにしているが、不思議なことに、あの戦争の真の原因を、勝った側の司令官(マッカアサー)が的確に認識していたというのはきわめて優れた見識だと思う。

それに引き換え、負けた我々の側では、あの戦争の真の原因を自らの努力で追究しようという動きは無いに等しい。

それらしいものが有るかと思うと、変に自虐的で、我々はアジア諸国に迷惑を掛けた、という類のもので自らの国を卑下するものばかりである。

戦後の日本の知識人が陥っている自虐時趣味というのは完全なる観念論で、ある種の思い込みの域を出るものではない。

戦後の平和主義というのも全くこれと同じである。

戦争と平和とどちらが良いかといえば平和がいい事は決まっている。

他に答えようがないではないか。

こんなことは赤ん坊でも理解できることであるが、この赤ん坊でも理解できることを、戦後の日本の知識人と言われる人々、つまり大学教授から、新聞、雑誌の編集者から、マスコミの解説者から、政党政治家が何故に声を大にして叫ばねばならないのかと言いたい。

この知識人達の犯している愚は、戦前に天皇陛下や乃木希典を神様として崇め奉り、奉安殿に御真影と教育勅語を奉じて、それで戦争に勝てると思い込んでいた愚と全く同じではないか。

神様を拝んで戦争に勝てるわけがないではないか。

平和、平和と叫んでいるだけで戦争がなくなるわけがないではないか。

こういう愚劣な発想に何故知識人ともいわれる人々が振り回されているのであろう。

 

忘れられた怨念

 

話し変わるが、又終戦記念日が巡ってくる(平成16年8月1日現在)。

59年前、約60年前、広島で17万の人が原爆で亡くなられたと聞く。

長崎では7万人の人が亡くなられたと聞く。

原爆で亡くなられた人々というのは総て非戦闘員とみなしていいと思う。

日米開戦で、日本が先に真珠湾攻撃をしたのだから原爆も致し方ない、という論法はあまりにも自虐的過ぎると思う。

アメリカにとって真珠湾攻撃の仕返しはミッドウエイ海戦、ガダルカナルの激闘、ソロモン沖海戦等々で十分ペイしているわけで、それ以降の沖縄上陸から広島、長崎の原爆というのは、過剰攻撃であり、無意味な殺戮であり、無辜の非戦闘員の無差別殺戮であったとしなければならない。

少なくとも被害を受けた我々の側からはそう告発して当然である。

ここで我々は17万+7万、合わせて24万人もの非戦闘員を無意味に殺されたわけで、それに対して肉親を殺された我々の側が何ら恨みを持たないというのは一体どういうことなのであろう。

今の広島市民の普遍的な感情というのは、「我々は悲惨な体験をしたからもう戦争は止めましょうと」というものであろう。

そこには近親者を原爆という超殺人兵器で殺された、大量殺戮で意味もなく殺された、無差別に殺された、という恨みが全く存在していない。

これは一体どういうことなのであろう。

肉親を殺されたら、殺したものに恨みを持つ、というのが人間としての基本的で普遍的な精神構造ではなかろうか。

足を踏まれれば踏み返す、殴られれば殴り返す、物を盗られれば取り返す、やられたらやり返す、というのが生きている人間の基本的な普通の精神状態ではないかと思う。

ところが広島、長崎の一般市民には、こういう人間としての普通の感情が全く存在せず、怨み、怨念というものが何一つ存在していない、というのは一体どういうことなのであろう。

浅学の私ならば、「恨みを晴らした後ならば、諍いをやめてもいいが、恨みがあるうちは断じて相手を許すことができない」という発想になるが、広島や長崎の人達というのは、最初から原爆投下に対する恨みというものが存在しないというのが不思議でならない。

肉親を殺された恨みが残っているとすれば「次はワシントンかニューヨークに原爆を!」という発想になって当然だと思う。

「ロサンゼルスかサンフランシスコに水爆を!」という発想がどうして生まれてこないのであろう。

肉親を殺された恨みを晴らすとなれば、こういう発想になって当然だと思う。

原爆投下のその日には、精霊流しで故人を偲んだ後、「アメリカに一泡吹かせねば腹の虫が収まらない」という、人間の感情として極普通の、極めて自然な思いがふつふつと湧き出てこないのだろうか。

ここで日本の知識人というのは「仇をとるとか、恨みを晴らすというような野蛮の行為の繰り返しがある限り、戦争の種は尽きない」と奇麗事を言うであろうが、自分の受けた恨みを黙殺せよと迫る知識人というのは無責任すぎると思う。

「ワシントンに原爆を!ロサンジェルスに水爆を!」というのは極端な例であることはいうまでもなく、それをそのまま実行せよ、などというものではないが、我々が自分の受けた恨みを奇麗さっぱり忘れてしまって、平和・平和と唱えてさえいれば世の中が平和になると思う愚に警告を発する意味で例に挙げたまでである。

終戦当時のアメリカは、真剣に、日本は何年か後には必ず仕返しをするに違いないと思い,そうさせてはなるものかと、憲法の中に戦争放棄の条項を忍ばせたのである。

恨みとか怨念に関して言えば、あのニューヨークの9・11事件に対して、アメリカ大統領が何もせずに「仕方がない!」と言って済ませるであろうか。

テロという新しい戦争行為に対して、「自分達の存在そのものが攻撃されているから」と言いながら、何もせずに傍観していたとしたら、アメリカ国民が納得しないのではないかと思う。

やはり、「リメンバー・パールハーバー」と同じで、「リメンバー・9・11」となり、やられたらやり返さずにはおれない、というのが自然界の人としての基本的で尚且つ潜在意識ではないかと思う。

善い悪いの問題を超越していると思う。

人類誕生以来、人間という動物が潜在的に内包している潜在意識として、自分の身に危害が及びそうなときは、身構え、積極的に攻撃に出るという自己保存の本能のようなものがあるのではないかと思う。

あらゆる自然界の生き物は、自己の身に危険が及びそうなときは身構え、例え相手が適いそうでないようなときでも、敢然と立ち向かうというのが生き物としての本能だと思う。

「窮鼠猫を噛む」というのは自然界の極普通の法則で、自然の常態だろうと思う。

 

大統領・ルーズベルト

 

「リメンバー・パールハーバー」や「リメンバー・9・11」で相手に仕返しをしようというときに、仕返しをする側に、その手法と方法論において意見の相違を見るのは民主的な政治形態を擁している国では当然のことである。

特に、相手がきちんと国際ルールに則って宣戦布告をするような古典的な戦争を仕掛けてくれば、戦う相手も限定されるが、テロのように相手がわからない場合は、目標を間違うことも多々あるわけだ。

今回のイラク戦争でもサダム・フセインは自分の潔白を最初に表明し、それをアメリカの納得する形で開示すれば避けられたはずである。

サダム・フセインがそれを拒んだものだから、しなくてもいい戦争に発展してしまったわけである。

この現実を我々第3者の冷静な視点で眺めれば、サダム・フセインは最初にアメリカの納得する形で大量破壊兵器の開示をすれば避けられたし、アメリカは間違った情報で、しなくてもいい戦争に突き進んでしまったわけである。

この戦争はサダム・フセインの頑迷な面子と、アメリカの間違った情報にその原因があったわけだが、これはアメリカがテロに対する仕返しを放棄したわけでもなく、ただただ仕返しの方向と手法を間違っただけで、戦う意思を放棄したものではない。

アメリカといえども戦争に失敗することは多々あるわけで、失敗したからもう金輪際アメリカの若者の血を流すような愚昧なことはしません、といっているわけではない。

真珠湾や9・11事件のようなことが起きれば、アメリカ国民は敢然と仕返しに立ち上がるという、自然人の潜在意識に忠実たらんとしているわけである。

広島・長崎の原爆は、真珠湾や9・11事件とは完全に異質な殺戮であった。

真珠湾があったから広島・長崎があるのだ、というのは相手の詭弁だ。

真珠湾攻撃に対する仕返しというのは、その後の太平洋の緒戦で十分おつりが来るぐらいなされているわけで、それ以降の本土空襲と沖縄戦、はたまた広島・長崎の原爆というのは、完全に過剰攻撃であり、非戦闘員の殺戮であり、無意味で無節操な殺戮であり、戦争に名を借りた殺人ゲームであった。

連合国側からすれば1945年、昭和20年8月6日と9日の時点で、戦争に勝利することは自明のこととして判っていた。

それでも尚かつそれをしたということは、我々は猫がネコジャラシを弄ぶように、アメリカがら弄ばれたわけである。

新たに開発した新しいおもちゃで弄ばれたわけである。

実験台にされたわけである。

こう考えれば、我々は憤慨して当然ではなかろうか。

あの太平洋戦争、日本式に言えば大東亜戦争というのは、日本文明とキリスト教文明の衝突であった。

または黄色人種と白人、なかでもWASPとの戦いであった。

しかし、不思議なことに黄色人種の中には朝鮮人も中国人も東南アジアもインドも入っておらず、純粋に日本人だけであったが、白人側には旧の西洋列強から共産主義国の旧ソビエットまでは入っていたわけである。

そして日本、つまり当時の大日本帝国というのは地球規模でジャパン・パッシングにあっていたのである。

戦後の日本の文化人、知識人は、日本が中国大陸に進出したのだからこのジャパン・パッシングも致し方ない、と祖国を共産国に売り渡すかのごとき発言をしているが、これほど無知な考察も他にないと思う。

我々はあの戦争で白人、つまりWASPという人種から徹底的に痛めつけられたのである。

この元凶はいわずもがなフランクリン・ルーズベルト大統領である。

彼が日本を兵糧攻めにした挙句、太平洋戦争に引きずり込み、最後には広島・長崎の大量殺戮を実行させたのである。

中国大陸からの撤兵を要求し、石油を禁輸し、先に銃を抜かせた政治的手腕というのは、流石に世界超一流の策謀家である。

WASPの本質が遺憾なく具現化されている。

第2次世界大戦の総仕上げに、憎むべき敵(日本に)に2発の出来たばかりの原爆を使い、旧ソビエット連邦には土地と60万人にも及ぶ人質を与え、有終の美を飾るつもりでいたろうが、本人はそれを見ることなく死んだ。

我々からすれば「ザマあ見ろ!!!」と、手をたたいて喜ぶべきことである。

彼は徹底した人種差別主義者だったと思う。

それはあの戦争中に同じ黄色人種でも日本人だけを強制収用所に隔離して、中国人はお咎めなしである。

又、原爆の使用も、日本人だからそれを使ったと言えると思う。

終戦直前のソビエット連邦の押し込み強盗的な非合法行為も、ポツダム会談の前のヤルタ会談で、共産主義国スターリンを喜ばすために言質を与えていたと思う。

彼は徹底して我々日本人を憎んでいたに違いない。

しかし今考えてみると、彼・ルーズベルトが日本を憎み、恐れる気持ちも判らないではない。

というのも明治維新から日米開戦のときまで凡そ80年の間に、日本は世界屈指の強国となり、アメリカ、イギリス、フランスと並ぶ軍事大国になったわけで、日清、日露の戦いはもとより、中国大陸には傀儡政権まで作ってしまい、戦艦大和から零式戦闘機まで作ってアメリカと肩を並べるまでの強国になったわけで、ルーズベルトにしてみれば、この日本の勢いというものは極めて脅威であり、恐怖であり、潰さねばならない存在であったに違いない。

必然的に仮想敵国になっていたものと思う。

依って周到に対日戦争の計画(オレンジ作戦)を立てていたわけである。

 

「一部の同胞」

 

こういう彼の、つまりWASPの差別意識から広島と長崎が選ばれて原子爆弾の実験の場に曝されたわけであるが、それでも広島・長崎の人は、その怨念を奇麗さっぱり忘れ去ることができるのであろうか。

終戦直後のあの廃墟の中では恨みを晴らすという感情もわかないに違いない。

あまりの惨状に、茫然自失するのみで、先のことまで考えが及ばないのが当然であろう。

しかし、その後の復興で衣食足りて礼節を知る世になれば、当然、人間としての潜在意識として、自分の受けたむごい仕打ちに対して、その原因を探り、経緯を調べ、何とか仕返しを取ってやろう、仇をとってやろう、泣き寝入りなどしてたまるか、されっぱなしでは腹の虫が納まらないという、怨念というか敵愾心のようなものが沸いてくるのが自然のままの人間の感情ではなかろうか。

原爆の被害にあった側の人から「ノーモア広島」とか、「原爆許すまじ」では、あまりにも聖人君子過ぎて現実離れしており、奇麗事過ぎるのではなかろうか。

人間の自然の感情からすれば「何時かはワシントンに原爆を!、L・Aに水爆を!」というのでなければおかしいと思う。

我々、日本民族というのは表層的な面に非常に感情移入してしまって、物事を感情論で語りたがるが、ことの本質というのは感情論ではなく、正確な科学知識と冷徹な合理主義で見なければならないと思う。

その意味からしても、原爆で被害にあった側の人が「ノーモア広島」とか、「原爆許すまじ」と唱える精神構造の真髄を究明する必要があると思う。

この現象は今に始まったことではなく、戦後59年も続いているが、自分の肉親を殺された人が、殺した相手を憎まず、世界に向かって「ノーモア広島」とか、「原爆許すまじ」と、まるで穢れなき聖人君子のように純粋に叫んでいるのを見ると、自然の人間を超越した存在に見える。

ここで科学的な目と冷徹な合理主義の視点で彼らの存在を見てみると、彼らはそういう思い込みに浸って、自分たちの存在に整合性を持たせ、それで世の中が少しでもよくなればと考えているものと思う。

この思い込みに浸っているというところが問題で、これでは戦前に天皇陛下や乃木希典を神・軍神と思い込んで崇め奉ることによって戦争に勝てると思い込んでいたのと全く同じ構図を呈しているではないか。

世界の動きを科学的な視点で眺め、それを分析し、その結果によって、対処する手法と方法論を考えなければならないわけだが、この過程で様々な意見が飛び交う事は当然である。

現状の分析にも解析にも、そしてそれに対処する仕方にも様々な方法と意見があるのは致し方ない。

政治家ないしは統治者というのは、物事に対処するのに様々な選択肢の中からどれか一つを選択することが政治家の使命のはずである。

様々な選択肢の中にはマスコミに人気の選択肢もあり、有象無象の無知蒙昧な大衆が良かれと思っている無責任な選択肢もあり、周囲の諸外国に影響を及ぼす可能性を秘めた選択肢もあるわけで、その選択肢の総てを開示するわけには行かないものもある。

当然、統治者が採択した選択肢で事を進めて失敗するということもあるわけで、その諸々の事が人間の営みである以上致し方ないことである。

広島・長崎の人達が「ワシントンに原爆を!ロサンジェルスに水爆を!」と言っても、政府がそれを採択しないこともあるわけで、こういう欲求が国民の側から出たとき、政府が毅然たる信念を持っていれば、それは葬られて安寧を続けることが出来るわけである。

ところが昭和の初期という時代には、時の政府というのが確たる信念を持っていなかったので、ずるずると奈落の底に転がり落ちてしまったわけである。

あの時代に何故に政府が一部の軍人、私の表現で言えば一部の特殊な人々の言に抵抗できなかったのかと考えてみると、その背景には暴力が潜んでいたと思う。

5・15事件、2・26事件、その他諸々の軍人のクーデター未遂事件による暴力、平たく言えばテロが政党政治家を沈黙させてしまったものと考える。

一言でいえば、政治家がテロに屈したということである。

政治家ばかりではなく、当時の日本のあらゆる階層がテロに屈してしまったのではないかと思う。

帝国大学の教授から、マスコミの関係者から、行政の中枢の人から、退役した旧軍人までもこの青年将校という軍人によるテロという暴力に完全に屈してしまったものと想像する。

広島・長崎で原爆を受けて凄惨な被害を受けた人々が、その恨みを奇麗さっぱり忘れてしまって「ノーモア広島」とか、「原爆許すまじ」と叫んでいるのも、この原爆という暴力に完全に屈してしまった結果だと思う。

我々は、マスとして、一般大衆として、テロの攻撃に曝される側の人間は、極めてテロに弱いが、それなるが故にテロの弱いことを熟知した上で、テロを好む民族性というものが「一部の同胞」の中には顕著に生きていると思える節がある。

ここで言う「一部の同胞」というものの正体を考えてみると、戦前ならば急進的な青年将校であり、戦後ならば安保闘争、成田闘争、学園紛争という擬似内戦を演じた全共闘世代、全学連の人達である。

彼らの特徴というのも、冒頭で述べたように、自分の頭で物事を考えることなく、人の言う事に意図も簡単に洗脳され、洗脳されたことも判らずに、それがこの世の真実だと思い込む浅薄なところである。

言葉を変えて言えば「馬鹿」ということである。

我々の社会では知識人や大学教授に対して「馬鹿」と言うことは礼節に反し、言う人間の品位が問われ、言ったほうが馬鹿と思われるので、同じ事を表現するのにも歪曲な言い回しをする。

だから相手は自分が馬鹿だと思われていることに気がつかない。

 

国連至上主義の愚

 

アメリカがイラク戦争を始めて1年以上経過し、イラクでは暫定統治機構が政治を担いつつある中で、未だにイラク人同士の殺傷が後をたたない。

自分達の国を自分達で統治しようとしないイラク人というのは私の感覚でいえば馬鹿としか言いようがない。

個人的にはアメリカは一刻も早くイラクから撤退して、アメリカの若者の血を流さないようにすべきだとは思う。

イラクのことはイラク人が納得のいくまで勝手に殺し合いをさせておけばいいと思う。

今年9月のアメリカ大統領選挙でどういう結果がでるかは判らないが、時期大統領候補のケリー氏も戦争そのものを否定しているわけではない。

ブッシュ大統領のように、間違った情報で下手な戦争はしない、ということを言っているだけで、戦争そのものを否定しているわけではない。

ブッシュ大統領は、アメリカ一国主義で国連のいうことを軽視して、ある意味で独善的に戦争に踏み込んでいったと言われているが、アメリカ大統領としてアメリカ国民の生命と安全を維持するためにはサダム・フセインとアルカイダのオサマ・ビン・ラデインをそのまま放置しておくわけにはいかなかったと思う。

フランスが反対しようと、ドイツが反対しようと、国連が反対しようと、アメリカとしては誰が大統領であったとしても、イラクは叩かねばならなかったに違いない。

こういう状況下で、日本の知識人というのは、小泉首相の政治的判断をアメリカ追従だと決め付けて非難してはばからなかったが、今日の日本にどういう選択肢が残されているのであろう。

戦後の我々にはアメリカに追従する以外生きる道がなかったではないか。

戦後の日本はアメリカと安全保障条約があるからこそ、生きてこれたわけで、アメリカ追従をやめて日本独自の路線を確立しようとすれば、再びあの悪名高き大東亜共栄圏を構築しなければならないわけで、これほどナンセンスな発想もありえない。

アメリカ追従を非難する人達というのは、そのことが判っているのだろうか。

このことを考えずに、ただ言葉だけでアメリカ追従を非難しているとすれば、あまりにも無責任すぎると思う。

アメリカのイラク派兵は国連が承認しなかったから、日本も協力を差し控えるべきだ、という論議は、一見正当性があるように見えるが、日本が派兵しなかったとしたら、そのしっぺ返しは違った形でアメリカは要求してくると思う。

その前に国連至上主義というのも問題である。

国連の安全保障理事会の決めた事が必ず絶対正義だと思い込むのは非常に危険なことである。

国連の安全保障理事会というのは常任理事国、非常任理事国のいづれの国も、自国の国益に沿って票を投じているわけで、善意の集団ではないということを考えるべきである。

採決をするときには、そのことが自分の国にとって得か損かというソロバンをはじいて、決して善意とか、好意とか、人類愛とか、正義で票を投じているわけではない、ということを冷静に考えるべきである。

国連の安全保障といってもアメリカ一国が抜けたら全く機能しないではないか。

アメリカが国連の決議を無視してイラクを攻めたから、アメリカを懲罰せよといったところで、それをやれる国は地球上に存在しないではないか。

イラクも国連のメンバーの一人でありながら、国連の査察を拒否し続けたではないか。

ということは、この例でもわかるように、国連の機能というのはまったく正常に作動していないということである。

砂上の楼閣に過ぎないということである。

一堂に集まって話し合いをしているだけで、いくら話し合ったところで、言う事を聞かないものに有効な制裁措置がない以上、ごね得が通用するということであり、話し合っても意味がないということである。

そういう国連をそうそう大事にすることもないわけで、あてにならない国連よりも、緊密なパートナーに協力する方が国益のうえからは得策かもしれない。

国際関係といのは「ギブ・アンド・テイク」で成り立ってい事は言うまでもないことで、出すべきものを出さずに、得るものをただで得ようとしてもそれは無理な話である。

しかし、知識人とか大学教授とかマスコミ関係者というのは、自分が直接の当事者ではないので、全く無責任な立場でおれるわけで、人の言う事することをけなしていればことが済むわけである。

この無責任さがテロという暴力に簡単に屈する原因だと思う。

そして何事も政府が悪いといっておれば、統治される側としては一切の責任を免れるわけで、これほどイージーかつ無責任な生き方、生き様というのもない。

 

 

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