ある投書からの連想  03・07・07

ある投書からの連想

ある日の新聞の投書

 

我が家では朝日新聞を取っている。

平成15年7月8日の朝刊、12ぺージ、オピニオンの欄に面白い投書が載っていたので、ここに再現してみる。

お給料のため従順な私です。

経理係として数年前から勤める会社で、息の詰まりそうな、同時に驚きと笑いの絶えない毎日です。

朝礼のつまらなさは毎朝のこと。今朝は、社員が被るヘルメットから汗を吸うためのタオルがはみ出しているのは、風紀の乱れとの指摘。上司がタオルがはみ出さないようにとの是正書つくりをしていた。

分別ゴミの捨て違いの指摘も、事細かに決められたルールに則り、5つのゴミ箱を分別しなおす我が手際のよさに、自分ながらほとほと感心する。いつもやっていますからね。

昼休みには、チェック表を片手に社内の消灯と電源のOFFがきちんとなされているかを調べる。午後3時になると、室温管理表の記入もれがないかの点検。上司が確認に来ますから。

これって、小学校の時間割わりではありません。上場企業で働く社会人の立派な仕事なのです。笑わないで下さい。驚かないで下さい。これすべたが私の賃金に結びつく尊い労働なのです。

従順な態度で疑問も持たず、これらの仕事を当たり雨にこなしていれば、来月もまた私はありがたいお給料がいただけるのです。 

 

おおよそこのような文面であったが、これは33歳の女性の方の投書である。

私は、この投書を読んで真っ先に思ったことは、ここに日本人の、つまり我々の民族の本質が見事に現れていると思った。

「民族の本質」というと、如何にも大げさで、大上段に振りかぶった言い方のように見えるが、この短い投書の中に我々、大和民族が延々と過去の歴史から引き継いできた民族の本質が見事に映し出されているように思える。

私は常々自分の属する民族というものを考えて生きているが、半世紀以上前に、日本が世界を相手に大きな戦争に嵌まり込んだ原因を,我が民族の内側から探り出そうと努めている。

戦後、同じようなことを考えていた人は、それを我々の民族のもつ特質の悪い方ばかりを強調しがちであり、日本が戦争に敗北したという結果から見れば、確かにそういう思考にいたるのも致し方ないと思う。

この33歳の女性の書いた文章は、大学者の書いた論文とは違って、無意識のうちに我が民族の特質を露呈しているように思える。

 

日本人の組織

 

それは、突き詰めれば、我の民族の組織論である。

上場企業、つまり民間企業としての会社という組織の中の非合理性というものを見事に活写しているわけである。

我々の組織といえば、いうまでもなく官公庁も含むわけで、これと同じ非合理性というものが当然官公庁という組織内にもあると思わなければならないし、我々の過去の組織、つまり軍隊の中にもこれと同じ非合理性というものが延々と息づいていたと思わなければならない。

要するに、我々の民族の作る組織、日本人の組織内には、このような非合理的な考え方がいたるところに渦巻いていると思わなければならない。

観点を変えて、それとは逆の視点から見ると、ルールの非合理性にもかかわらず、我々が如何にそのルールに忠実たらんと努力しているのか、という点も見落としてはならないポイントだと思う。

世の知識人はそこに気が付いておらず、ルールの欠陥ばかりを強調して、ルールを作った人を糾弾する事で、正義面をしている。

戦前に、雪崩をうって奈落の底に転がり落ちたのも、又、戦後は日の出の勢いで戦後復興に邁進したのも、このルールに忠実たらんと欲する我々の民族の特質なるが故の賜物ではないかと思う。

もっと大事なことは、この一見非合理性の権化のように見えるつまらない行為の集大成が、日本という国を支えてきたということである。

人はこのことを忘れがちである。

目先の格好の良い行い、行為、行動のみが価値あるものだ、という認識がそもそも間違っていると思う。

人間の活動、経済行為、企業活動、あらゆる社会的な活動というものを極限まで細分化したとすれば、その一つ一つはつまらない仕事に行き着いてしまう。

俗に、「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言われているが、その草鞋を作る人の前に、まだ藁を作り、食料を生産している人がいるわけで、我々の生き様というものを極限まで細分化してみれば、スイッチを切って回ったり、ゴミを分別したりという,ごくごくつまらない仕事に行き着いてしまうと思う。

そして人々がそのつまらない仕事を黙々とこなすことで、それが集大成されて、今日の日本の姿というものが出来上がっているものと思う。

これが20世紀から21世にかけての日本人の生き様だと思うが、問題は、我々のなかの誰も彼もが籠に乗る人にあこがれて、籠を担ったり草鞋を作る人になりたがらないということである。

 

民主化の弊害

 

この誰も彼もが籠に乗る人にあこがれる、という現象を一言でいえば学歴偏重主義である。この学歴偏重主義には、それになびく下々の方にも悪いところがあるが、それを助長するトップの側にも、非合理主義を克服できない欠陥があると思う。

そして、もっと憂慮すべきことは、この籠に乗る人、つまり籠の価値観というものが、時代状況によって変化してしまうということである。

人間の、連綿と継続する歴史ということから考えれば、価値観というものが時代とともに変化すると言うことは、必然的なことだったかもしれない。

時代時代に、その価値というものが変化したからこそ、歴史というものが存在しているのかもしれない。

歴史というのは、それを再現し、検証することなのかもしれない。

今、我々、つまり21世紀の今日に生を受けている日本人が、世界的に見て一番優雅な生活を享受していると思われる。

しかし、人間というのは自分の幸せというのは自分ではわからないわけで、幸せの頂点にいるものは、自分が如何に幸せか、自分が如何に恵まれているか、ということを知らずに、不平不満ばかりを言い立てるのが人間の持つ本性だろうと思う。

我々が、このような幸せな環境で生活できるようになった理由は、やはり我々の先輩諸氏が実行した明治維新以降の我々自身の意識改革であったと思う。

いわゆる我々の,大和民族の近代化というのは、これを契機として我々の祖先は、古い封建制度下の価値観から脱却し、民主化の道を歩みだしたといってもいいと思う。

民主化をするということは「良い事」だ、絶対的な「善」だ、という価値感のもと、我々はそれに邁進してきたのであるが、それにも欠陥がある、ということを全く眼中に思っても見なかった。

この民主化の欠点というものは、誰一人それを解明しようとしたものがいない。

民主化という事は総てが善で、それには欠陥などありうる筈がない、と思い込んだものだから、そこに我々の組織内の非合理性というものがはびこってしまったわけである。

明治維新のときの民主化の目玉はナンといっても四民平等というものであった。

江戸時代の士農工商という身分制度を御破算にして、四民平等にしたが、その後の日本人の中で、この民主化の弊害というものを説いたものがない。

それは、民主化というものは100%良い事で、それには弊害などあるはずがない、という思い込みによるものだと思う。

明治維新で昔の階級制度が否定されると、誰も彼もが籠に載る人を目指して熾烈な戦いを繰り広げ、その結果として、当時の価値観では軍人になることが一番籠に乗る立場に近かったわけである。

明治維新を遂行した世代は、この時すでに成人に達していたわけで、それは昔の身分制度の元では武士階級であった。

武士階級の下層であったとはいえ、士農工商のピラミット型の階級制度のもとではトップの階層であった。

「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されてはいたが、この階層の人は統治する側の人間として矜持をもっていた。

言葉を変えれば「俺はいつでも籠に乗る心の準備をしている人間だぞ!」という誇りをもっていたと思う。

「だから今は貧乏していても、決して下衆な買収には応じないぞ!」という確たる信念をもって生きていたと思う。

そういう階級制度を全否定して、民主化という新しい波では、誰でも彼でも本人次第で高位高官になれる、という触れ込みで賤民にも門戸が開かれたわけで、そこに籠に乗りたがる人が群れてきたわけである。

誰でも彼でも本人次第で立身出世が出来る社会というのは、一見開けた社会のように見えるが、ここにも弊害というものがあるわけで、それは過酷な生存競争の場と化し、弱肉強食の社会の現出ということである。

階級社会という大きな枠で囲まれた中の人々は、束縛され、分をわきまえるという処世訓の元、平穏が保たれていたが、その枠を取り払った社会ならば、分をわきまえるという規範は失われ、自己中心的な思考が頭をもたげたわけである。

すると今度は枠の内側からルールというものを築いて、そのルールの中での実力社会というものを構築しなければならない。

そのルールの中で、誰でも彼でもが同じ条件のもとで出世競争を展開するということでなければならないが、人々の意識が一気にそこまで覚醒されたわけではない。

つまるところ、自分にとって都合のいいところだけ都合のいいように解釈し、人を出し抜いて良いポジションを先取りする、という卑劣な生存競争が展開することになったものと思う。

 

 

 

 

 

究極の民主化システム

 

明治維新という革命の直後では、この内側のルールというものがまだ十分に確立していなかったにもかかわらず、そこに一気に民主化の波が沸き立ったので、ここでものを言ったのが個人の先を読む予知能力であった。

各個人が持つ先を読む予知能力というのは、旧の階級制度の中の人間にはすべからく平等にチャンスがあったわけで、それを上手に会得した人々がその後の日本のリーダーたるべき人となった

中でも一番民主的なシステムを取り入れたのが、軍人になる養成所、つまり軍の学校であった。

民主化たる前提条件として、ここでは一切合財官費で賄われたわけで、全く金のない貧乏人でもたった一度の試験に合格さえすれば、そのまま将来の立身出世が補償されたわけで、ある。

それこそ籠に乗る人になる一番の最短距離であったわけである。

問題は、ここに押し寄せた貧乏人の群れだ。

貧乏人というのは貧乏根性が体にしみこんでいると思う。

親代々が貧乏であったわけで、やはり「三つ子の魂百まで」という昔の俚諺どおり、そう素直に高貴な心根に変わるものではないと思う。

これが明治維新の尤も価値ある民主化の具現された形であったわけであるが、そしてこの軍人養成機関から名だたる高官、つまり籠に乗る側の人が輩出したわけであるが、後世の歴史家は、そういう高官の輩出を如何にも立身出世に成功したというニュアンスで「百姓の子倅が艱難辛苦の末栄誉を獲得した」という書き方で歴史を飾っている。

しかし、問題はその出自が百姓であったというところである。

人間の品位、品格というのは不思議なことに教育では全く是正できない、という点を忘れた論議だと思う。

明治維新は教育においても民主化を遂行し、国民の全部が全部、読み書きソロバンが出来るように日本全国津々浦々に小学校を作り初等教育に力を注いきた。

これはこれで国民の底辺の底上げには成功した。問題は高等教育の方である。

国の指針を決定つけるような立場、つまり籠に乗る側の人はどのように国民に奉仕すべきか、という点についての教育の効果というのは皆無で、いくら高等教育を受けた人でも、精神の高潔さというものが備わったとはいえないのではないかと思う。

 

 

 

 

 

国民に対する奉仕

 

旧体制の封建主義的な統治というのは、君主というのは上から下々のものを押さえつけるスタイルの統治手法であったが、明治維新を経過してもこの部分の意識は全く変わることがなかった。

統治というものは、上が下を抑えるものだ、という意識のままであった。

君主と下々の階層の間には官僚という階層が挟まっているわけであるが、この階層は奉仕の矛先を常に上の方に見ていたのが戦前の日本で、戦後は、それが下向になったにもかかわらず、官僚全体としては一向に意識改革が進んでいないのが現状である。

歴史的に様々な変革を経験した我が祖国では、江戸時代のような人民統治の手法としてのシーラカンス的な方法から脱却したかに見えるが、いまだかって官僚なり公務員たるものが国民に奉仕する立場だということを自覚したことがない。

何時までたっても、統治する、つまり国民を上から押さえることが統治だと思い違いをしている。

籠に乗る人というのは、その籠を担う人を思いのまま動かし、管理し、言う事を言ったとおりに行わせることが統治だと思い違いをしているわけである。

我が国の官僚、官庁、公務員というのはいまだかって国民にサービスする機関だということを一度も自覚したことがないと思う。

だから冒頭の投書のように、全く陳腐な命令でもつつがなくこなしていれば、それなりに生かさせてもらえるわけである。

明治維新というのは既存の古い体制が存在するところに、新しい発想が割り込んできたものだから、そこに少々の軋轢が生まれることは致し方ない。

この軋轢という部分に、目先の読める予知能力に優れた人が跋扈し、良いとこ取りに成功するかしないかの分かれ目があったわけである。

ところが究極の民主化というのは、いわゆる自治と直結していなければならないわけで、ここで自治ということになると、これは下の方からのボトム・アップでなければならない。ところが既存の組織,如何なる組織でも、ボトム・アップでは全く機能しないわけで、組織である以上トップ・ダウンでなければ組織たりえない。

自治という事は、自らの管理を委託する人をボトム・アップで選択するということであり、その選択された人は、組織の機構に則ってトップ・ダウンで施策を実行するということでなければならない。

この過程で、ボトム・アップで下から選ばれた人は、当然選んでくれた人々に対して組織の機構を通じてトップ・ダウンでサービスを提供することになる。

こういうシステムでは、好むと好まざると組織の機構、つまり官僚なり、官庁なり、行政機関というのは、住民に対するサービスということを無視できないわけで、最大多数のために奉仕をするという考え方が成り立ってくるものと思う。

我々にこういう考え方、発想が存在しているであろうか。

ここで我々の同胞の中の下々のもの、下層階級のもの、教育の十分でないものが、そういう意識に疎いというのならば、それは致し方ないが、国費で高等教育を受けたリーダーたるべき人でさえも、そういう意識に疎いということになれば、その人の受けた高等教育というのは一体なんであったのか、という疑問が出ても不思議ではない。

 

ノブレスオブリッジ

 

百姓のこ倅が、科挙の試験に合格して、同じ同輩にもまれて、一般の人々では受けられない特別な教育を受けたとしたら、その人は教育を受けた時点でノブレス・オブリッジを身につけなければ、国家が高い教育費を払って次世代を担うリーダーを養成したことにはならないではないか。

そういう教育を受けたものが、下々の人間と同じように私利私欲に走っていては、高等教育の受けた甲斐がないではないか。

明治維新以降の民主化ということは、こういう弊害も併せ持っていたが、人々はそのことについては語ろうとしない。

明治維新の四民平等という民主化の波は、籠に乗る側になるべき階層に、ノブレス・オブリッジを植えつけることに失敗し、立身出世に血眼になる有象無象の心卑しき階層を大量に生産し、その心卑しき階層に大きく門戸を開いてしまったわけである。

明治維新で四民平等になったとはいえ、それと平行して候公伯子男という爵位制度というものを作ったが、これらは西洋でいう貴族の扱いで、本来ならば籠に乗るべき人々であったわけである。

この人たちは本来ノブレス・オブリッジを発揮すべき人々であったはずであるが、明治維新という大革命ではすっかり自信を喪失してしまったわけである。

明治維新というのはまさしく大革命であったわけで、革命である以上旧秩序というのは全て御破算になってしまう。

一世を風靡するのは、下からのし上がった成り上がり者であったわけである。

この成り上がりものも、革命を軌道に乗せるまでは大いにその実力を買われたわけであるが、その激動の時代に頂点に登りつめてしまうと、先の指針を見失ってしまったわけである。

自分が旧秩序を破壊し、新しいものを作っている間は、激動の時代の先が読めたが、自分が頂点に来てしまうと、後は追われる立場になり、自分がしてきたのと同じように、後から来る後輩に尻を叩かれるという構図になるわけである。

先に行くものを追いかけているうちは目標があったが、自分が先頭になってしまうと、目標を見失ってしまい、目標が判らないものだから保身、保守、現状維持になってしまい、革新を恐れるようになる。

ここで大事なことが、幼少のときにどういう環境で育ったか、という人間の原点が大きく物をいうわけである。

「三つ子の魂百まで」という日本の古い俚諺が生きてくるわけである。

立身出世を金科玉条のように信じ、身も心の自分の出世を基準にものを考える人と、「武士は食わねど高楊枝」と、泰然と構えることの出来る人では、その対応は雲泥の差となって現れると思う。

貧乏百姓のこ倅で、小学校の年代では村一番の神童といわれた人たちは、こぞって軍人養成学校に進んだ。

ここは学費がただということもあり、貧乏な百姓の口減らしには最高の環境であったわけである。

 

精神の純粋培養

 

小学校の秀才が軍の養成期間で教育を受けると、彼らは必然的に軍人になるわけで、そのことを別の言葉でいうと、軍官僚の一員に組み込まれることとなる。

そして、小学校の年齢からこういう組織の中で特別な教育を受けて、そのまま成人に達し、引き続いて軍官僚として身を処しているとなれば、これは精神的にいびつな人間になることは必定である。

極常識的に考えても、12,3歳から特別な環境の中で、社会というものと全く接触することもなく成人に達し、そのまま官僚組織の中で生き続けるとすれば、精神の発達がいびつになるのも致し方ないと思う。

一般社会と全く接点のない人間となってしまうわけで、いくら小学校のとき神童であったとしても、神童であったが故に、正常な精神の発達は望めないと思う。

人間の健全な精神の生育というのは、様々な経験から会得するもので、試験管の中でいくら英才教育をうけたとしても、トータルとして人間性に富んだ、包容力に満ちた精神構造になりえるはずがない。

「井戸の中の蛙」的発想から抜けきれるものではない。

明治維新以降、我々の国が軍人養成に力を注いで来たのは、当時の状況からすれば当然のことであった。そのことは理解できる。

鎖国中であるにもかかわらず、世界の動きというものが細々と伝わってくる中で、いきなりペリー率いる4隻の鋼鉄製の軍艦が江戸の膝元に来たわけで、そういう現実的視点から見て、当時の日本を統治する人々が、富国強兵政策を取らざるを得なかったという状況は察してあまりある。

しかし、富国強兵政策としての軍人養成というのは、ある意味で対処療法でなければならなかったはずで、基本はあくまでも政治の民主化であり、政治家がリーダー・シップを発揮すべきであった。

ところが政治家というのは口先の技で、口先で相手を騙したり、嵌めたりして自己の利益を追求する技をもてあそぶ人たちであり、直接的な実力で、つまり目に見える形で実績を表現できる術を持っていなかった。いわば虚業でしかない。

日清戦争で勝利を得る、日露戦争で勝利を得る、という事は、軍人が国民に対して目に見える形で実績を披瀝したわけで、こういう実績の前では政治家もリーダー・シップを発揮し得ず、沈黙せざるを得なかったに違いない。

今の価値観からすれば、口先で相手を騙したり嵌めたりして自己の利益を確保する術を持つ政治家というのは素晴らしい人間であり、正真正銘の籠に乗るべき人といわなければならないが、国民の政治を見る目というのは、そのことを理解せず、血を見ないことには政治家の実績ということを認めようとしない。

何らかの犠牲を伴わないことには、国民がその実績を認めようとしない。

我々の国民というのは、何がしかの犠牲を伴わないことには、それを政治の実績として認めない。

軍人というのは、古今東西、あらゆる部族、国家においても、ある意味で消耗品であったわけで、政治の道具、つまりツールに過ぎなかった。

江戸時代の武士というのは、戦う集団として軍人の意味に取られているが、彼らは戦うことを前提としてはいたが、戦うことが政治の延長という意味からして、基本的には政策集団であったと思われる。

軍隊の組織でいえば、将校以上の位置にあり、実際に刀やヤリをもって前線で戦うのは、その場その場で金で釣って駆り集めた雑兵であったり、自分の領内の農民を使役として寄せ集めてきた人々で、戦うことの素人である。

明治維新では、西洋に劣らない主権国家を確立しなければならないと思った明治の立役者達は、こういう戦争の素人や無頼の徒を集めたような軍隊では、富国強兵にはおぼつかないと考えたのも無理ない話である。

明治以降の軍人養成機関も、その趣旨に沿った考え方であったに違いないが、明治憲法ではその捨石であるべき軍人、消耗品であるべき軍人が、天皇直轄の組織として定められてしまったところに、その後の日本の禍根が潜んでいたと思う。

本来、使い捨てであるべき軍人が、天皇の手足であるという概念が沸き起こったことで、なんびとも彼らの精神的にいびつな発想を是正することが出来なかったのである。

結果として、そういう人が日本のリーダーとなってしまったので、我々は奈落の底に転がり落ちた、といっても過言ではないと思う。

陸軍士官学校、海軍兵学校の教育というものが素晴らしいものであったという事は認めるが、それを受けた人間が、軍官僚という「井戸の中」で、純粋培養に近いシステムの中で、閉鎖的な社会を作ってしまったところに欠陥があったように思えてならない。

村一番の神童が12,3歳頃から、軍人養成期間という特殊な環境の中で、特殊な教育を受けて、世間から全く隔離された状況に置かれるという事は、ある意味で純粋培養、狭いグループ内だけの近親交配を繰り返しているようなもので、外部からの刺激がないまま、官僚の機構の中に組み込まれていったわけである。

 

憲法が内包する矛盾

 

そして最終的には、そういう人々が政治家として籠に乗る側になってしまったので、籠を担ったり、草鞋を作る側はそれに引きずられて集落の道を歩んだことになる。

我々は今でも何となく旧軍隊の階級でその人を評価しがちである。

陸軍中尉、海軍大佐、等々という階級の人は、それだけで何となく偉い人のように錯覚しがちであるが、この錯覚が大いなる問題点だと思う。

明治憲法でも、軍人は政治に関与してはならない、ということになっていたにもかかわらず、軍人が政治に嘴をいれるようになったのは、やはり一旦確定された明治憲法というものを、その時々の都合に合わせて、拡大解釈してきたことにあると思う。

この矛盾は戦後の自衛隊を「軍隊でない」というのと同じ論理だと思う。

「自衛隊は軍隊だ!」といえないのは、戦争放棄を規定した憲法9条に抵触するからであって、憲法を優先させんがため、実質軍隊でありながら、それを軍隊と認定しないのと同じである。

この矛盾の根源は、日本の国民の総意として、「実質軍隊であるならば、憲法を改正して軍隊と呼ぼう」という運動が起きないということにある。

こういう内部矛盾を内包したまま、外側から押し寄せるあらゆる対応に対処していかなければならないので、矛盾はますます増大し、肥大化してしまうわけである。

明治憲法を拡大解釈するという事は、いわば憲法を錦の御旗として政治的に利用したということに他ならない。

これは今も続いているわけで、実質軍隊であるものを未だに軍隊と認識しようとしない、という事はやはり憲法というものを政治的に利用しており、それを錦の御旗として崇め奉り、不磨の大典として形骸化しているということである。

人間の営みというのは時の推移と共に変化するにもかかわらず、その変化を全く認めようとせず、何時までも過去の思考が至高のものだ、という思い込みから脱却できないということである。

我々の政治というものが、時の推移と共に変化しなければならない、という事は誰にもわかっている。

誰もがそのことを理解しているが、これに民主的な政治という枠を嵌めると、政党間で党利党略の駆け引きが錯綜して、目の前の現実を素直に認めがたい、という問題に直面するわけである。

 

 

 

日本の政党政治

 

ここに日本の政治のアキレス腱があるわけで、日本の政党というのは、他党の存在というものを、あたかも敵の集団と対峙しているというような、敵対するものとして敵愾心を露骨に表している。

同じ日本人同志ならば、対外的な利害得失では一致協力しなければならないときに、考え方の相違という言い方でもって、党利党略に終始する。

そこでは国益という概念が欠落しているわけで、日本全体としていくら窮地に落ちようとも、我が政党のみ得をすればそれで良い、という考え方がはびこっているからである。

国益という言葉も各政党間で考え方が全く違うわけで、この考え方の違いというものが憲法にまで及んでおり、この考え方の差にはあまりにも大きな開きがあると思う。

明治憲法下ではシビリアン・コントロールという概念は全くなかった。

軍隊はあくまでも天皇の軍隊であって、その天皇の軍隊は日本国民を守る義務は最初からもっていなかった。

この明治憲法の欠陥は、良し悪し、正邪、善悪、間違いであったかどうか、天皇が国民を搾取したかどうか、という観点から評価することが出来ないと思う。

やはり歴史の流れとして見るよりしようがないと思う。

時代の流れ、時の流れとしか言いようがないと思う。

歴史というものを良し悪し、善悪、正邪という価値基準で見る、ということは人間として不遜な行為だと思う。

戦後の我々がこういう見方で歴史を見るようになったのは、いうまでもなく戦後GHQが行った東京国際軍事法廷、いわゆる東京裁判に依拠する歴史観から脱却できていないからだと思う。

明治憲法の出来たときには存在していない概念を、戦後の今日の視点から見て「あれは間違いだった」と言ってみてもナンセンスだと思う。

戦後の我々が東京裁判史観から脱却できていない、という事は非常に大きな精神的歪だと思う。

しかもそれは日本の知識人の中に多く残っているわけで、昨今のオピニオン・リーダーたるべき人々の間で未だにこういう古い価値観の呪縛から抜け切れていない人がいる、ということは非常に由々しき問題だと思う。

そして今日の政党の中にも、敢えてこの価値観に自ら率先して帰依し、それを売りものにしている政党があるわけで、それが許される我が国の自由というのもまことにありがたいものといわなければならない。

そしてここでも高等教育が人間の本質を是正するには全く力になりえていない、ということが如実に現れている。

人が並み以上の高等教育を受けたならば、並みの人間以上に東京裁判史観の矛盾を正さなければならないのに、そういう動きにはなっていない。

高等教育を受けた人ほど、あの東京裁判というものに整合性があると信じきっているわけで、その結果を妥当なものだと認識してしまっている。

彼らの認識にたつと、戦前の日本は軍部という悪魔の住む巣窟で、それを連合国という正義の騎士がやっつけてくれたので、我々は悪魔から開放された、という図式で凝り固まっている。

そこには人間の営みとしての歴史というものを否定して、勝者の論理だけが正義として罷り通っているわけである。

日本の知識人、高等教育を受けた日本のリーダーたるべき人が、こういう子供だましの論理を全く疑うこともせず、勝った側を正義と思い込む単純な頭脳しかもっていないとなると、我々の進路は暗澹たるものといわなければならない。

そして、この認識を堂々と掲げて、それが政党としての看板にさえなっているわけで、これでは国政というものが国民のためにあるのではなく、政党のためにしか存在していないということである。

国民全体の利益というものはどこかに飛んでしまって、政党のための政治となっている。勝った側の価値観を正義と思い込む稚拙な精神構造が、今の日本を支配していると思う。人間の営みを、正義とか、正邪とか、良し悪しで測ること自体が間違っていると思う。

 

「戦争反対」の矛盾

 

歴史というものは人間の営みを綴ったもので、それはそういう尺度では測りきれないものだと思う。

戦後の日本は「戦争反対」というシュプレヒコールを掲げると、何となく物分りのいい人間のような印象を受けるが、戦争反対などということは、何も学者や、政党や、マスコミがこと改めていわなくても当然なことである。

戦争というのは、二つの利害のことなる主権国家同志が、お互いに自己主張を推し進めようとするから起きるわけで、片一方が最初から何の抵抗もなく、相手の言うがままに屈服していればありえないわけである。

ところが、そこに人間としての誇りとか名誉というものが絡んでくるわけで、何一つ抵抗することもなく相手の軍門に下るには、その自尊心が許さないわけで、そのことは人間としての基本的欲求である。

人間の持つ基本的欲求としての名誉心や誇りというものを全部かなぐり捨てれば、戦争などしなくて済むわけである。

その代わり、その代償として、奴隷の生活がまっているわけで、それでも構わないという心つもりがあれば、最初から戦争などしなくても済むわけである。

戦後の日本人の言っている「戦争反対」という事はこういうことであるが、事態がここまで行き着いてしまうと、そういう人に限って奴隷と成り下がった暁にはきっと「政府は何をしているのか」といって政府に矛先をぶつけるに違いない。

戦争反対を唱えて糊塗をしのいでいる人は基本的に無責任で、責任は常に人にかずけ、自分は良い子ぶっているわけである。

戦争など誰一人好んでしたがるものはいない。

しかし、人間の営みには諍いというのは付いてまわるわけで、あい対峙する異民族同志が、話し合いでは平行線を辿っているとき、それを解決するには実力行使しかないわけである。戦後の我々は、戦争の放棄を憲法でうたっているので、話し合いでことを解決しようとしているものだから、解決すべき事は何一つ解決しきれていないではないか。

ただただいたずらに問題が先延ばしになっているだけで、何一つ問題は解決していないではないか。

問題は何一つ解決していないが、そのことによって日本人が死んだ、ということがないものだから何となく平和裏に治まっているように錯覚している。

問題が休火山のように沈静化しているので,錯覚に陥ったまま、事は何一つ解決されていないということ忘れてしまっている。

北方四島の問題を見るまでもなく、不法占拠という現状は継続しているにもかかわらず、問題は何一つ解決されていないではないか。

事態が起きて58年も経過すると、時が憤懣やるかたない憤りの傷口をいやしてくれ、周囲の状況も変わってしまって、怨みも悔しさも風化しかかっている。

あんな北方四島などなくても、そこを追い出された人々も新しい環境に順応してしまって、問題そのものが風化してしまったが、問題が解決されたわけではない。

戦後、軍事力を持たない我々は、自分の祖国を他国から侵犯されても何一つ抵抗することも出来ず、なされるがままに泣き寝入りを強いられたわけである。

にもかかわらす、今更血を流してまで取り返すことをしなくてもいい、というのが戦後の進歩的な人々の考え方である。

 

人間の営みとしての摩擦

 

それもこれも総て人間の営みの中の一環であって、地球上のあらゆる民族がこの宇宙船地球号に乗り合わせている限り、その接点においては摩擦というものを免れないのは自然の摂理である。

主権国家というものが、その主権として保証している領分が領土であって、その境目、つまり国境線というのは人間の作為であっちにいったリこっちにいったりと移動してしまう。

アメリカとメキシコのように金網で仕切られた国境もあれば、天然の川や山が国境となっているところもあるわけで、如何なる国境であろうとも、そこでは他国との接点になっていることには間違いはない。

その境目のところでは、その境界線にまつわる諍いは限りなく沢山存在していると思う。我々は海に囲まれているので、国境という概念が希薄であるが、この海というのも、国境としての要塞の役目を果たしているときもあれば、逆に自由な往来に寄与し、国境など意味を成していない、という状況も多々ある。

北朝鮮の日本人拉致の問題を見てみれば、いくら海で隔てられているといっても、国境などないに等しいわけである。

国境紛争というのは、人間の営みに根ざした諍いなわけで、それが全面戦争になるかどうかは、その統治者の裁量によるわけである。

日本の進歩的知識人の歴史観は、勧善懲悪の図式に則って、正邪、善悪、良し悪しという倫理観に寄り添って見がちであるが、戦争の原点というのはそういう倫理観ではないと思う。

戦争の原点というのは、人間の営みの延長線上にあるのではないかと思う。

そのことを、もう少し突き詰めれば、政治の延長線にあるということになるが、政治の延長に戦争があるとすると、「戦争反対」というシュプレヒコールは、人間の営みそのものを否定するということになってしまう。

テリトリーを接する異民族同志が、最初から自己主張を取り下げてしまえば、自ら率先して奴隷になるということで、これでは人間もつ基本的欲求というものを最初から放り投げるに等しい。こんな民族が存在しうるであろうか。

戦後の我々は、あまりにも大きな惨禍に見舞われたので、「熱さに懲りて膾を吹く」という状況に陥っており、戦争というものを正面から研究することを逃げているとしか思われない。

「戦争反対」と叫んでいれば、平和が維持されると思い込むほど危険なこともないと思う。それは戦前において、アメリカの本質をよく知りもしないで、ただ観念論でアメリカに戦争を仕掛けた図と全く同じで、口先で「戦争反対」と叫ぶ前に、戦争というものをもっともっと掘り下げて研究する必要がある。

 

政治の形骸化

 

日本の政治というのは、いうまでもなく政党政治であるが、この日本の政党というのは、真面目に政治のこと、国政について考えていないのではないかと思う。

政党というのは、政治的志を同じくするもの集まりであるが、この政治的に志を一にする者が集まると、他の集団、違う考え方で政治的に集合しているもの、つまり他政党を攻撃することに精力を傾注してしまって、違う考え方のグループとの間で政策論議をすることなく、政策について真摯に意見を交換するという機能を失ってしまっている。

そこにもってきて、民主主義というのは多数決原理で機能しているわけだから、法案というのは選挙が終わった時点ですでに成立することはわかってしまっている。

戦後の日本の国政というのは、こういう現状を形骸化しただけで、政治、国政というものが国民に対するパフォーマンスと化してしまっている。

与党と野党の対立というのは、国政の中身の審議をするのではなく、パフォーマンスとして如何に国会議員たちが真剣に審議をしているか、という芝居を演じているに過ぎない。

与党と野党が、敵という対立構造ではいけないと思う。

あくまでも同じ国民であるにもかかわらず、政治的な考え方では意見の違うもの同志の集まり、というスタンスでなければならないと思う。

政治的な意見の相違ということは、相手を敵と見る態度では歩み寄るきっかけもないわけで、ある法案が提出されるということは、その必要性が何処にあったから出てくるわけで、それを審議するには、相手に対する寛容の精神を内在しないことには審議そのものが立ち行かない。

それがお互いに敵というスタンスでは、国政が国政ではなく、政治の中味、つまり日本国民の国益というのもがどこかに消し飛んでしまって、政党同志の覇権争いに終始してしまうではないか。

法案審議において、法案の中味の審議を脇において、首相の資質や手腕をいくら議論したところで、政治としては空転しているだけで、実りあるものとはならない。

これは政党というものが、法案の中味を審議することを忘れ、他党の足を引っ張ることだけに勢力を集中しているからだと思う。

野党の方は、数の上では劣勢というのは、選挙が終わった時点で自明なことなことで、法案を阻止する力は最初からないわけである。

出来うることといえば、法案に修正事項をどれだけ入れれるかということでしかない。

だからいくら抵抗しても与党の提案する法案を阻止できないわけで、ならばいっそのこと相手を最初から敵とみなし、国政を放り投げてスキャンダル探しや、不信任案提出でいくらかでも存在損意義を示そうという魂胆になるわけである。

仮に、法案の中味を真面目に審議するとなると、これが今度は実に些細な言葉の解釈とか揚げ足取りに終始するわけで、こういうことを大きな視点で眺めてみると、我々は民主的政治手法というものが全く下手だということに帰結する。

民主的手法が下手だからといって独裁政治を容認するわけにも行かず、我々はいつまでたっても政治的な三流国から脱出することは不可能に違いない。

我々の政治下手というのは、いわゆる民主政治が下手だということで、我が民族が今日まで営々と生きてきたという事は、民主政治以外の政治的手法を操りながら生き延びてきたということである。

 

 

 

 

 

政治の不可解さ

 

我々は西洋的な民主主義、アメリカン・デモクラシー風の民主的政治手法は下手だけれど、我々の生存にマッチした人間の営みを継続させる何かをもっていたといわなければならない。

デモクラシーを端的に示す言葉として、あのリンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉が有名であるが、ここにいう「人民」というのは、ヨーロッパから何ももたずにアメリカに渡ってきた移民達のことであり、彼らが新大陸に渡った直後というのは、アメリカには既存の統治システムというのが存在していなかったので、いわゆるボトム・アプでそのシステムを作らねばならなかった。

だから「人民の、人民による、人民のため」という文句が成り立つが、我々の場合は、太古から統治システムというのは存在していたわけで、それが第2次世界大戦が終わったとたんに、アメリカン・デモクラシーで統治しなさいといわれても、慣熟するのにある程度の時間がかかることは致し方ない。

問題は、その「ある程度の時間」が、どの時点まで許容されるかということだと思う。

第2次世界大戦の前までは我々は、古来の統治システムによって我が民族を生きながらえてきたが、それが否定されて、新しいシステムになったとき、やはり我々は外来のものを鵜呑みにして、丸ごと採用したわけではない。

日本独自のアイデアをその中に盛り込んだことが、世界でも類のない政治下手ということになっているのではないかと思う。

よく言われるように、「世界の常識は日本の非常識、日本の非常識は世界の常識」という俚諺がいっているように、日本という国は世界でも珍奇な考え方の国になってしまっている。日本が珍奇な考え方の国であっても構わない、という論理は、相手に対して「日本は何を考えている国か判らない」という印象を与えるわけで、不必要な警戒感を与えることになる。

 

健気な律儀さ

 

統治システムが如何に変わろうとも、我々の民族の本旨というものは、そう安易に変るものではない。

その変わらない部分こそ、我が民族の特質だろうと思う。

この特質の一つに、我々は実に忠実に自分の任務を遂行するという点がある。

その律儀さというのはある意味で滑稽でさえある。

冒頭の投書はその滑稽さを歪曲に言おうとしているわけで、この規則に忠実な態度、滑稽なまでの律儀さというものは、我々の民族の持つ財産だと思う。

会社の昼休みに不用灯を消してまわる律儀さ、温度管理を律儀に監視する真面目さ、こういうものが日本というものを今日まで支えてきたのではないかと思う。

我々、管理される側、政治の局面でいえば統治される側というのは事ほど左様に律儀で、真面目に、黙々と言われたことを言われたとおりにフォローしようとしているわけである。それが戦後の復興から、その後の高度経済成長というものを推し進めた陰の力だと思う。ところが人間の社会というのは、管理する側とされる側が2層構造になっているのではなく、その間には数え切れないほどの中間管理層があるわけで、ここが腐敗堕落すると、いくら下々のものが律儀に、そして真面目に、黙々と自分の責任を全うしたとしても、それが一切合財水の泡となってしまうわけである。

水の泡と消える分には仕方がないが、あらぬ方向に進んでしまうとそれが二重、三重の負の遺産として残ってしまう。

人間の作る社会というのは、如何なる民族でもピラミット型のものにならざるを得ないが、その中間層以上が腐るということは、あらゆる民族に共通したことだと思う。

システムとしての管理組織として、新しいピラミットが出来たとしても、経年変化をすることによってその組織は必ず内部から腐敗してしまうものである。

この組織の中間層の腐敗を防止しうる唯一の要因は、人々の持つ教養とか精神の健全さではないかと思う。

つまり、その人の心の内側の問題に帰するのではないかと思う。

ピラミット型の組織の中では、管理層の上に行くにしたがい、自己裁量権が大きくなるわけで、自分の判断でことを決する機会が大きくなる。

ここに人間の煩悩、よこしまな心が忍び込む隙間が出来るわけで、この隙間に入り込んだ人間の煩悩が様々な弊害をもたらす元凶だと思う。

この中間管理層の自己裁量で決められたことでも、下のほうから見ればピラミットのどこから出た命令か判らないわけで、従わざるを得ないのである。

ピラミットのトップは一言もいわず、命令もしなかったとしても、階層の途中から出された指示や命令に対して、最下層では「どこから出たか」などと斟酌する余地はないわけで、当然トップからいわれたものだと解釈せざるを得ないのである。

そう思って、一生懸命、律儀に、忠実に、黙々と、それに従って邁進していると、ある日突然会社が潰れてしまったり、国家が転覆してしまったのが我々の歴史である。

ここで我々が考えなければならなことは、中間管理層というものが、トップの意向を先取りして、点数を上げよう、自分をPRしよう、というさもしい根性で評価を狙う行為である。

ピラミット型の組織では、それに属するものは誰でも彼でもが一応は上昇志向をもっているわけで、階段を上へ上へと目指しているものと思う。

そして階段の上にいくほど、自己の裁量権が大きくなるわけで、自分の判断で動かすことのできる範囲が大きくなる。

そこで純粋に自己の営利、栄達、私利私欲に走る人は、精神的にはもっとも人間らしく、可愛げがあり、憎めないが、それをカモフラージュするために「国家のため」とか、「国民のため」とか、ひいては「天皇のため」という奇麗事を並べて自己の本音を隠そうとする。まさに忠臣面をした悪漢たちである。

第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争の日本の敗因は総てここに帰すと思う。

この文章の冒頭に掲載した投書が、日本人の本質をあらわしているというのは、この事を指しているからである。

上からの実にくだらない命令を律儀に行っている自分の滑稽さを自嘲している図は、今日の我々、日本国民の経験した歴史を見事に言い表していると思う。

天皇を頂点とする大日本帝国というピラミットの上の方は、高級軍人で占められていたわけで、それに続く軍官僚、警察官僚、教育界、産業界というものが、「天皇のため」という口実でもって庶民、学生、生徒を国策遂行に駆り立てた。

ピラミットの中間のところから、「天皇のため」ということで、あらゆる行動を規制すると同時に、国策遂行に動員させたわけである。

ピラミットの中間の階層のものが、それぞれに自己に与えられた自己裁量権をつかって、「天皇のため」と称し、自己PRというか、上の階層にゴマすりをしたわけである。

ピラミットの中間層から出る命令は、そのことごとくが「天皇のため」という言い方で出されたものだから、下々のものが黙って従わざるを得なかったわけである。

黙って従う部分に、我々の律儀さが露呈するわけで、上司はかたくななまでに行動規範を忠実に実施、それに従うほうも実に見事にそれに応えようと努力していたわけである。

戦後の日本は、このピラミット型の組織というものの輪郭がかなり曖昧になっている部分がある。

しかし、人間の営みの中で、複数の人が役割分担をして生きている現状では、このピラミット型の組織というものを皆無にするわけにはいかないと思う。

官僚とか、軍隊とか、企業というのは、ピラミット型の組織以外に他の形態がありそうもない。

逆に、政治の場ではピラミット型の形態というのは共産主義国家とか専制主義国以外にはありえないわけで、民主的な政治形態というのはアメーバーの共存形態のようなものである。

政党をアメーバーに例えれば、形の全く違うアメーバーが、自己増殖したり、消滅したり、くっついたり、離れたりしてプレパラートの上を右往左往する図である。

国政というのは、そのプレパラートの上に起きる状況の変化のことで、それは内部から湧き上がる要因もあれば、外からの外圧でプレパラートの上に波数が起きることである。

日本の政治の場合、プレパラート上のアメーバーは、その波紋の原因を究明、検討し、それに対処することを放棄して、アメーバー同志の足の引っ張り合い、潰しあい、騙しあいに終始しているのである。

日本の政治というプレパラートの上で、戦前は軍部というアメーバーが他のアメーバーを食いつぶしてしまって、それが日本全体を奈落の底に引きづり込んでしまった。

戦後は、民主化という名の下に、アメーバーがアメーバーの足を引っ張り合って不毛の銀論を展開しているわけである。

 

政治とマスコミ

 

だからプレパラート上の変化に迅速に対応することを忘れてしまっている。

しかし、如何なる状況でも、ピラミットの底辺をなす一般国民というのは、実に健気に、そして律儀に、上からの指示、命令を遂行しているわけである。

この律儀さというのは、日本が下降線を辿っていようが、上昇カーブに乗って上向きになっていようが、同じ熱意というか、同じ努力というか、一定の力で均一に作用しているわけである。

だから戦前のように、日本が軍国主義のコースを選択しても、戦後のように民主化の路線を踏襲しても、同じようなベクトルとして作用している。

これを私の視点から見ると、川の中のメダカの群れと同じに見え、一匹が何かの拍子に方向転換すると、群れ全体が一斉に方向を変えるように見えるわけである。

それを称して、付和雷同型の処世術と称しているわけであるが、この付和雷同ということにも民族の本質として実に生真面目に、そして律儀にその路線に乗っかってしまうわけである。

政治の本質は、その路線を決めることであるが、ここで戦後の民主主義というのは多数決原理で49対51で我々の進むべき路線が決まった以上、それは容認しなければならない。

ところがこれでは半数近い人の民意が反映されていないではないかという論議が起きるわけで、これは民主主義というものが最初から内包している欠陥である。

民主主義とえども万能ではないわけで、万人を納得させる民主主義というのはありえないはずである。

51対49で決まったとき、49の反対者の側は「我々の意見、思いをどうしてくれるのだ」ということを言い出すものだから、事がややこしくなるわけである。

49対51という劇的な意見の分裂を防ぐ意味で、ここで話し合いという我が民族の伝統的な思考が頭をもたげるものだから、戦後のアメリカン・デモクラシーも我々にかかると行き詰まってしまうわけである。

我々には「デモクラシーというものも万能ではない」ということがなかなか頭で理解しきれないので、100点満点の民主主義でなければ駄目だと思い込んでいるふしがある。

事が決まらないときには話し合いということを言い出すわけである。

話し合いというのは論議の最初にすべきであって、論議を尽くしても異見が集約できないとき、始めて採決という形で多数決原理で以って事の雌雄を決するわけである。

その結果としての49対51という採決は、民意を半分しか表していないとしても致し方といわなければならない。

結果がこうなったから又話し合いをしていては、事は何時まで経っても決まらないわけであるが、結果をそのまま尊重すると、多数意見の横暴という言い方で相手をなじるわけである。

ところが、この最初にすべき論議の段階で、政党がまともな論議を避け、枝葉末節的な揚げ足取りや、スキャンダル探しで真の論議を回避しようとするから、政治がまともに機能しないわけである。

我々には真のデモクラシーというものは今後とも育たないと思う。

なんとなれば、我々は農耕民族として、農村集落的発想から逸脱できないからだである。そのことは決して独裁政治の道に進むということではなく、逆に、話し合いの政治、これを突き詰めると談合政治ということになってしまうが、我々はこちらの道を選択すると思う。

この談合政治というのも、国民の側から見ると密室政治ということになりがちであるが、ここにマスコミというものが大きくかかわりあってくる。

マスコミというのは、「第4の権力」など自惚れているが、我々国民の側からすれば、あくまでもインテリ・ヤクザだと割り切って眺める必要がある。

マスコミが報道したから「正しい」と思い込むのではなく、マスコミの報道の裏には何が隠されているのか、という疑いの視点を常に持って、報道されていることの裏を考えてマスコミに接しなければならない。

インテリ・ヤクザといわれるだけあって、マスコミ、報道各社というのは、馬鹿ではないわけで、馬鹿でないからこそ、その報道の裏には何か意図を隠しているわけである。

その意図を探って、勘ぐりながら報道に接しなければならない。

マスコミ側は「第4の権力」と嘯くだけの自身をもっているわけで、彼らインテリ・ヤクザの報ずる報道には必ず意図が隠されているとみなさなければならない。

特に注意しなければならないことは、彼らマスコミ業界にとって、国益という事は一切関係のないことで、彼らは金にさえなれば、平気で祖国を売るということも厭わない、

インテリ・ヤクザそのものだ、ということを心しなければならない。

だから統治する側もされる側も、マスコミというのを、上手に手なずけなければならない。彼らには「正義」も「正邪」も「信義」も全くないのだから、金にさえなれば黒を白とでも平気で言い包めるのが彼らの商売で、マスコミの報ずる事を鵜呑みにすると馬鹿を見るのは視聴者の方となる。

同じ一つの事実でも、全く正反対の印象を植え付けることなど、意図も簡単に朝飯前にやってしまうのがマスコミ業界というものである。

自分の整合性をアピールするために、芝居がかったことでも平気でするのがマスコミ業界というものである以上、我々はマスコミが報道することを頭から信じてはならないということはいうまでもない。

マスコミの報ずることは、事実の断片としては価値があるが、それが総とは決して考えてはならない。

事実の断片を集めて全体像を作り上げるのは、あくまでも情報の受け手としての本人の頭でなければならない。

マスコミというのは、ただただその断片を我々に提供しているだけで、物事の全体像というのはあくまでも思考する本人が自分の頭脳で作り上げなければならない。

その上、マスコミというのは決して人間の本音を言わないわけで、奇麗事だけを並べる。この奇麗事というのは、一応は人間の理性に乗っかって、人をあからさまに攻撃しない、一見プライバシーを尊重している振りをして、隠された意図をオブラートで包むための屁理屈に依拠している。

人間の本音というのは、奇麗事だけでは済まされないと思う。

人から足を踏まれた時、「すぐに踏み返すな」というのは、人間の本音ではない。

「やられたらやり返せ」というのが人間の本音のはずであるが、マスコミというのは、決してそういうことを言わない。

特に日本のマスコミというのは、自分の国の国益ということを全く考慮に入れていないものだから、「やられたのは。我々の側に何か原因があるからでやられたのであって、やり返すなどとんでもないことだ」という論調を展開するわけである。

自分の国をこき下ろしている分には、何処からも文句を言われないが、もし他国の悪口を書こうものならば直ちに、追い出されてしまうので、それが怖くて、強いもの、理屈が通らなくても強引なものには必要以上に媚を売るわけである。

ところが日本国内では言いたい放題、したい放題で、「第4の権力」などと嘯いているわけである。

マスコミが人間の本音を語らないというのは、非常に由々しき問題といわなければならない。

人間の本音というのは奇麗事では済まされないわけで、奇麗事ばかりを並べるという事は、一見理性的に見られがちであるが、この理性的ということが「善」だと思い込むところに偏向した報道の元凶がある。

報道というのは、事実がそのままテレビの映像なり、新聞の記事となって我々の前の現れるわけではない。

我々の前に現れるまでには多くの人間の手を介在して、そのたびごとにチェックされて、「これならば大衆の前に出しても問題ない」という判断に沿って出されてくるわけである。ここにマスコミが偏向する原因があるわけである。

情報の送り手が、勝手に自主的判断で、情報を我々の前に提供しているわけであるが、この自主的な部分に非常に偏向の要因が隠されているわけで、情報の受け手というのは、そこの部分を斟酌して、紙面なりテレビの画面に反対の偏向を加えて見なければならない。

この部分に、ピラミットの中間層が自己の裁量権で、上に媚び諂うために、「天皇のため」という口実でもって自己判断したのと同じ構図が潜んでいる。

「天皇のため」という部分を「国民のため」という言い方に変えれば、そのまま戦前の日本の軍官僚の組織と一致してしまうではないか。

マスコミ各社、または業界そのものが自らの倫理規定なり、自主規制というものを国民のために「良かれ」と思い込んで、実践するという事は、戦前の軍部が国民のため、ひいては天皇のために「良かれ」と思い込んで奈落の底の転がり落ちたのと同じ構図ではないか。生のニュースを社内で選別するという事は、そういうことだと思うし、そこにマスコミ業界としての独断と偏見、そしてそれは独善という思い上がりにつながっていると思う。

人間の本音というのは、奇麗事では済まされないわけで、その本音を如何に懐柔して、物分りのいい、理性的で、さも進化した人間のように見せるか、というのがマスコミの権威なわけで、その度合いの強いほど良いマスコミと言われている。

マスコミ業界も、日本の場合、ご多分に漏れず日本のあらゆる企業と同じで過当競争にさらされている。

その意味では各社しのぎを削って良い情報提供者になろうと必死であるが、マスコミという虚業である限り、それは望むべくもない。

一つの真実に対して切り込み方はいくらでもあるわけで、客観的な一つの事実に対して、枝葉は如何様にもくっつけることが可能なわけである。

客観的な事実を、客観的に、その事実だけ報じていてはマスコミたりえないわけである。客観的な一つの事実に対して、如何に人を引きつける枝葉をつけるかで、業界内の過当競争が繰り広げられるわけである。

ところが、この過当競争の中においても、いわゆる船に乗り遅れるなという心理が作用しているわけで、それが結果的にマスコミ業界といえども護送船団のようになってしまうわけである。

Minesanの辛口評論に戻る