老害について 03・4・21
今時の年寄り
先日、床屋に行って非常に不愉快な思いをした。
かなり流行っている床屋で、客の回転は速かったのだが、私は順番待ちをしていた。
そこで私の順番にもかかわらず、割り込んだ老人がいた。
事前に本人に知らせておいたにもかかわらず、それを無視して先に座ってしまった。
客の回転が早い店だったので、喧嘩するほどのことはなかったが、こういう人を舐めた態度をとって全く意に介さない老人というのは案外居るものと思う。
私は常々思うのだが、今日の日本のモラルの喪失、モラルの低下というのは老人たちの所為ではないかと思う。
「今時の若者は!」という嘆きの言葉は太古からあると言われているが、これは「今時の年よりは!」と言い直さなければならないのではなかろうか?
老人になれば人格は練れて温厚になり、物腰も柔らかくなると思われているが、現実は必ずしもそうなっていないのではないかと思う。
若者の不道徳な行為も大人のモラルを欠いた行為を見習った結果ではないかと思う。
目下、少子高齢化といわれ、世間では年寄りの数の方が多くなるといわれているが、このままだと先行きますますモラルの低下が進むと思う。
行列への割り込みというのも老人の特権のようだし、町なかで交通ルールを守らないのも老人に多いし、デパートの特売場でも老人の傍弱無人振りが目に付くようだし、モラルの低下というのは若者よりもむしろ老人に顕著に現れているのではなかろうか。
老人というのは、他人に対して、「俺は老人だからお前達は俺を大事にして当然だ」という思い込みがあるのではなかろうか。
昨今、若者がホームレスを殺傷したという報道があったが、このニュースの基調となっている論調は、無節操な若者が何の罪もないホームレスを殺した、というニュアンスで報じられている。
事件そのものは許される事ではないが、その前にホームレスに対する独りよがりな思い込みによる善意の同情があると思う。
ホームレスというものに対して我々はもっと正面から向き合うべきで、彼らの非というものを声を大にして叫ばなければならないと思う。
税金を使って奇麗に整備された公園や公共施設に勝手にテントを張って私物化し、それが如何に町の美観を損なっているかという事を声を大にして叫ばなければならないと思う。そういう人々を全部排除せよとか、殺してしまえというのは暴論ということは重々承知しているが、彼らが公園や公共施設を我が物顔に使って町の美観を損なっている、という現実もしっかりと見極めなければならないと思う。
だから「殺していい」ということにならないのは当然であるが、「何も罪のない」という部分は大いに間違っているわけである。
彼らが町の美観を損なっているという現実もきちん認識しなければならないと思う。
これも完全なるモラルの低下である。
公園や公共施設を私物化することもモラルの低下ならば、それに善意の思い込みで支援する方も、奇麗事に酔ったあまりの独りよがりで唯我独尊的な我儘な発想だと思う。
公園の中にテントを張って生活していいわけがないではないか。
一般市民に直接的な実害がないというだけで、都市の美観を損なうような起居、振る舞い、モラルの低下を黙ってみている手はないし、それを支援するなどということは論外である。
公権力で速やかに排除すべきである。
老人というのは我々の普通の常識では、子供や若い人の手本になるべき存在だと思っていたが、現実にはそうなっていない。
若者はものを知らないという面があるが、モラルに関して若者が物を知らないということは、その前に大人としての親が教えなかったということだと思う。
ある行為に対して、それが如何に人に迷惑を掛けるか、ということを大人が教えなかったから若者が物を知らず、彼らは無意識のうちに迷惑行為をしている、という場面があるのではないかと思う。
ところが、大人、特に老人ともなれば、そういう言い訳は通じないわけで、にもかかわらず老人の傍弱無人な行為が目に余るということは、彼らは知っていて尚それをしているわけである。
そこにある深層心理は、「自分さえ良ければ他人のことなど知るもんか!」ということだと思う。
これは非常に嘆かわしいことだといわなければならない。
我々は、若者を嘆く前に、老人を嘆かなければならないと思う。
老人の甘え
これからは若者も数が減って老人の数が多くなるとすれば、これからの日本はますます暗い方向に転がっていくに違いない。
若者には諭して聞かせることが出来るが、老人に対してはそれが出来ない。
人間というのは老いるとますます厄介者になるようだ。
自分の身の回りの人間をよく観察して見ると、それが顕著に存在する。
小学生が横断歩道の前で手を上げているので車が止まると、大きな声で「有難う!」とお礼をいって渡る。
それに反し、大の大人は、横断歩道が近くにあってもその手前を平気で渡ろうとする。
それで車がぶつかれば運転者が悪いということになる。
こんな馬鹿な話もないと思うが、現時点では人を傷つけた者は理由にいかんを問わず咎められる。
大人はそれを知っているから、自分の方が法律を無視しておいて、怪我をさせた方が悪いという論法になり、かつ世間もそういう老人に味方するものだから、こういうことになるわけである。
この人命第一主義というのは基本的には我々国民にとって非常にありがたい考え方であるが、そのありがたさの根拠に法の枠内での人命第一主義でなければならないと思う。
例えば、信号を無視した方が歩行者であれば、運転者には非がないという事を明確に認識しなければならないと思う。
歩行者の方が信号無視で轢かれたのならば、轢かれ損ですよということを明確に認識して、歩行者も信号を守らなければ自分が損をしますよ、ということが常識にならなければいけないと思う。
それでこそ真の法治国だと思うが、現実には法の前に人命尊重第一主義というものが横たわっていて、「確かに法律を無視した方も悪いが、人を殺した方がもっと悪い」という論理で人を轢いてしまった方が悪人にされてしまっている。
この人命尊重第一主義と、「老人を大事にしなければ」という過去の倫理観が合体して今の日本の老人というのはわがまま一杯振舞っているものと思う。
私の父も93歳まで生きて天寿を全うしたが、晩年の父の態度というのは肉親といえどもほとほと扱いに困ったものだ。
痴呆とかボケならば病気として片つけれるが、精神は全く正常で、あらゆることが判断できる老人のわがままというのは奇麗事では済まされないと思う。
昨今は介護保険制度が出来て、デイ・サービスとか、出張サービス、出張介護が普及してきたが、老人もここまで来れば社会生活上の人迷惑というものはないかもしれないが、ここまでくる途中で5体満足な、精神もしっかりした不良老人にはほとほと手を焼く。
こう言う現実を言葉に出来ない雰囲気というものが我々にはある。
「老人は労わらなければならない」、というなんとなく漠然とした先入観で、人は老人の悪口をいうことに贖罪を感じていると思う。
そういう環境の中で,老人の方にも大きな甘えがあるわけで、「これぐらいは許されるであろう」「許して当然だ」「俺は年寄りなんだから」「俺がお前達をここまでしてやったんだ」という意識が見え見えである。
若者の見本たるべき老人がこれでは若者は彼らを尊敬できないのも当然だと思う。
価値観の転換の経験
昔は「老いては子に従え!」という言葉が存在していた。
この真意は社会生活上の主導権を早く若者に委譲しなさい、という意味だと思う。
儒教精神にどっぷりと浸かりきって、年老いた頭脳で事を仕切り、何時までも家父長制度にしがみついていては、総てのものが没落してしまうから早く家督を若者に譲りなさい、というのがその本意ではなかろうか。
儒教思想に根ざした家父長制度というのは、人間の営みが農業を主体とした封建時代ならば十分に機能しえたに違いない。
が、しかし、昨今のような技術革新で日進月歩の勢いで世の中そのものが変化する時代では、老人はますます世の中の動きから置き去りにされてしまうと思う。
その中で何時までも、老人だから、年長だからという理由で、主導権を握っているとすれば、成長が望めないことは一目瞭然である。
技術革新に追従することだけが人の生きる道ではないということは重々理解できるが、人の営みというのは、大なり小なりその技術革新に支配されているわけで、それを素直に受け入れれるのは、やはり年老いたものよりも若い世代である。
ならばあらゆる主導権を若者に譲った方がよりよい対応が可能だと思う。
老人の定義というのは、介護保険が導入された今日でもまだはっきりとなっていないと思う。
というよりも、年老いた人といえども、個人差が大きくて、元気な人もいれば、墓場に片足を突っ込んでいる人もいるわけで、一概に年齢で決め付けるわけにはいかなからだと思う。
常識的には60歳を過ぎれば、老人の仲間に入り、70歳以上ならば立派な老人だと思う。
問題は、この年齢層の人々がそれまでの人生でどのような考えのもとで生活を営んできたかということだろうと思う。
私の推測では、この世代の人々は終戦というエポックを若い時に経験してきた世代だと思う。
あの昭和20年の終戦のとき10代の後半か20代の前半の年齢であったと思う。
ということは、この世代というのは終戦による価値観の大転換というものを身をもって経験してきた世代なわけだ。
このことを言葉を変えていえば、戦後の民主化というものと同時進行で生きてきたということである。
今、生きている人々、日本人というのは、あの戦後の民主化というものを良い物というふうに受け止めていると思う。
軍閥というものはなくなり、警察は民主化して特高警察は消滅し、軍隊がなくなったので徴兵制も消滅し、滅私奉公、忠君愛国というものは悪い事だという認識の中でその生涯を送ってきた人々だと思う。
日本国憲法には戦争放棄の条項が入っているので、平和憲法だという認識で生きてきた人々だと思う。
10代の後半から20代の前半で価値観の大転換を経験した人々にとって、先輩を見習うということは罪悪であったわけである。
村の古老のいうことを聞き入れることは罪悪であったわけである。
家長のいうことは聞くということは罪悪であったわけである。
あらゆる既存の価値観を全否定しながら生きてきたといってもいいのではないかと思う。それが戦後の日本の民主化というものであった。
だからここで江戸時代からの封建制度の中での「老いては子に従え」という理念が名実共に具現化して、大手を振ってその言葉を実践することが可能になったわけである。
親が死んだとき、その親の財産は子供で均等に分けるということがさも新しい価値観として定着してしまった。
親の老後を看取る、という子としての当然の行為のあるなしに関わらず、法律的には均等に分配することが新しい価値観として定着してしまった。
日本の、古来から継続されてきた農業を主体とする封建思想の中には、人々の生活の知恵として、子孫繁栄のアイデアが隠されていたにもかかわらず、そういうものを一切合財、古い考え方だとして排除して来たのが今の老人の世代ではないかと思う。
農業では田や畑を兄弟に細分化してしまったら、農業そのものが成り立たなくなるわけで、「自分の子供は皆一様に均等に可愛いから財産も均等に分けよ」では、子孫は没落の一途を辿ってしまうことになる。
それを避けるアイデアとして、長子相続ということがあったわけで、これも農業を主体とする我が先祖達の子孫繁栄のアイデアだったと思う。
それと引き換えに、長子には今でいう老親の介護という責任を負わされていたものと思う。今の老人、70歳以上の老人というのは、こういう価値観の大転換を身をもって体験し、実践してきた世代だと思う。
その中で、最もモラルの低下に影響を与えたことが上長のいうこと、先生のいうこと、目上の人のいうことを聴かなくてもいい、という教育だと思う。
そういうことは古い感覚で、古い発想で、封建主義的な行為だから、そういうことはしなくていいという教育だと思う。
新しい時代の新しい人の生き方というのは、自分の思ったことを思うとおりに行えばいい。人のいう事など聴く必要はない、好きなことを好きなようにすればいい、という教育が新しい民主教育の名のもとに行われ、それが実践されてきた。
その当事者が今の老人達だと思う。
この自分の思ったことは思ったとおりにすればいい、という考え方は確かに基本的人権に乗っかった、人としてはまことに有り難い考え方ではあるが、裏を返せば究極の我がままの推奨である。
我々の古い価値観では、個人の我儘は我慢することが美徳であったが、戦後はそれが封建主義の残滓という観点から、真っ向から否定されて、個人の我儘は大いに結構なことで、個人は自己の我儘の実現に向けて努力することが美徳となった。
この価値観を身をもって体験し、そしてそれを実践してきたのが、今の70代以上の年寄りのはずである。
終戦の時、彼らはまだ社会的にもののいえる立場ではなかった。
10代の後半から20代の前半の世代では無理もないわけで、当然、殻らはその前の世代の影響をもろに受けて育ったわけである。
彼らの前の世代といえば必然的に戦争を推し進め、戦争に勝つことを信じ、国策に大いに協力してきた世代である。
ところがその彼らが敗戦という挫折を味わうと、この世代は完全に自信喪失となってしまい、あらゆる状況下でアメリカ占領軍の顔色を伺う奴隷と化してしまい、自分の信念でもって自分の子供を躾、叱り、教え、指導することを放棄してしまったわけである。
そういうものを一切合財、学校や、世間や、社会に肩代わりさせてしまって、自分の子育ての責任をスポイルしてしまったのである。
ある意味では致し方ない面があったともいえる。
なんとなれば、モノを考える前にまず自らが生きなければならなかったわけで、占領軍としてのアメリカに対して卑屈にならざるをえなかったからである、
この時点で彼らは大和魂という民族の真髄というか、民族の本質を、生きんがために放り投げてしまって、自らの名誉も誇りも皆喪失してしまい、ただただ動物的に生きんがためにアメリカに媚を売る選択をしたわけである。
戦時中は一億総火の玉となって、鬼畜米英といいながらアメリカと戦っていたのが、一夜明けると、今度は一億総奴隷化してしまって、自らが日本民族の一員であることを全否定しようとしたわけである。
我々はこういう身の振り方が実に得意で、ある時は軍国主義者、ある時は忠実なアメリカの奴隷、ある時は鮮烈な共産主義者と、風見鳥のように時流の流れを読みながら、また身を任せながら処しているわけである。
こういう世代のモトで成長したのが今の70代前後の人たちである。
この世代は、日本の前の価値遺は全部悪いものだという教育を受け、自らもそれを実践して来た世代なわけである。
ところがここに大きな問題があったわけで、アメリカの押し付けた民主化ということが、共産主義の云う民主化と見事にマッチングしてしまったことである。
民主化と云う言葉が、アメリカの推し進めようとした社会改革と、共産主義勢力が既存の社会秩序を破壊しようとする民主化と見分けが付かなくなってしまったわけである。
アメリカは日本の封建主義的社会制度を改革する手始めに、教育の民主化の一環として、教育の現場に教育委員会と組合の結成を奨励した。
これが大きなボタンの懸け違いとなって、日本の公立学校の先生の組合が共産主義勢力に乗っ取られてしまって、教育現場が共産主義を鼓舞宣伝する場となってしまったから、日本の旧来の秩序は音を立てて崩れてしまったわけである。
後に残ったのは日本の堕落という現実であったわけである。
主権国家の国民で、自分の国を愛さない国民が日本以外にありうるであろうか。
自分の国の国益よりも、隣国の国益を優先する国民が日本以外にありうるであろうか。
自分の国の憲法も自分たちで作れない民族が日本以外にありうるであろうか。
自分の国が独立しようとするときに、その国の大学教授が独立反対を唱える民族が他にありうるであろうか。
自分の国の首脳が、祖国の英霊に参詣するのに反対する国民が他にありうるであろうか。こういう事を現実に実践してきたのが他ならぬ今の年寄りというか70代前後の人々であったわけである。
日本が占領から解き放たれて、独立しようとするときに、それに反対した大学教授、不平等条約としての旧安保条約の改定に反対した大学教授と野党勢力、成田闘争で武力行使をする学生達を支援した大学教授と野党勢力、大学紛争で大学の建造物を破壊した学生を支援した教授連中と野党勢力等々の不条理を自ら実践し指導したのが、戦後の第1世代としての彼ら、今の70代前後の年寄りではなかったかと思う。
今の日本の景気の低迷は、この第1世代の次の世代、戦後の第2世代が、こういう第1世代の子供として、親の影響のものとに成人した結果として今日があるものと思う。
日本の古来の旧秩序の否定ということが、2世代も継続したわけで、これでは日本が良くなるわけがないではないか。
戦後の日本の知識人層というのは、アメリカが推し進めようとした日本の民主化に、共産主義者たちが上手に便乗したという現実を知ろうとしない。
日本国憲法には思想信条の自由が保障されているので、共産主義を信奉してもそれは個人の自由だと思い込んでいるが、共産主義の実践というのは、まず最初に既存秩序の破壊ということに気が付いていない。
民主化という名の旧秩序の破壊である。
戦後の社会的な大きな抗争は、すべからくその線に沿ってなされていたではないか。
旧国鉄の労働争議を見ても、これは明らかに共産主義者にリードされていたといわざるをえないが、その究極の目的は、国鉄そのものを破壊することであり、引いては国そのものを破壊することであったわけで、そういう分子を組織から排除するために民間に分割という大手術がなされたわけである。
戦後の日本国憲法では思想信条の自由が保障されているので、共産主義者というだけでは排除できないから、経営の建て直しという言い方でそれがなされたと思っていい。
経営を立て直さなければならない状況に追い込んだのは、いうまでもなく共産主義者たちが国鉄の存在そのものを否定していたからに他ならない。
戦後の第1世代というのは、このように価値観の大転換を自ら経験してきた世代なわけで、本来からすれば、旧秩序というか、日本の古来の美徳というものをきちんと後世に引き継ぐべき使命をもっていなければならないと思う。
その引き継ぐべき価値観、引き継ぐべき美徳を、あの終戦という大混乱の中でとこか置き忘れ来てしまったに違いない。
風見鳥の日本民族
話は飛躍するが、平成15年5月28日の朝日新聞12面オピニオンのページの「記憶の歴史シリーズ」に、「悪夢のような民主化運動」という投稿が載っていた。
この投稿者がいうように、シベリア抑留者の中には、現地でソビエットの熾烈な民主化運動の片棒を担がされた同胞のいたことを我々は忘れてならないと思う。
この場合、我々はそれを強制したソビエットという主権国家の不法行為、連合国の一員でありながら、敗戦国の人間を奴隷として使役に使った事実を忘れてはならないと思う。
国際化とか、グローバリゼーション、はたまたG7だかG8だかという奇麗事で、彼の国の過去を曖昧にしてはならないと思う。
当然、北方4島の問題においても、こちらが妥協する筋合いは微塵もないということを肝に銘じておくことはいうまでもない。
ここで言わんとすることはそのこととは違って、このソビエットの強制した民主化運動というものに協力した我々の側の同胞のことである。
ここでいう民主化運動というのは、いうまでもなく共産主義の普及活動の一環としての旧秩序の破壊工作であったわけである。
これは日本人捕虜だけに課されたものではない、ということも承知している。
共産主義というものの持つ本質的なことで、ソビエット連邦内でも、中華人民共和国誕生の過程でも、同じようなことは公然と行われたことは歴史が示している。
問題とすべきは、抑留者の中で、若い日本人が選抜され、それがソビエット側の洗脳教育を受け、それを嬉々として同胞に押し付けたことである。
共産主義というものは本質的に旧秩序というものを壊さないことには前進がないわけで、共産主義体制である限り、旧秩序というものを壊し続けなければならない。
それは、自分たちが作ったシステムであったとしても、常に現在ある秩序、既存の秩序というものを壊し続けなければならないわけである。
システムが定着し、安定的な時期というのがあってはならないわけである。
それはともかくとして、そういう洗脳教育を受けた同胞が、仲間、つまり抑留者としての同胞のもとに帰ってきたその時に、自分の仲間達に民主化の名のもとにどういう仕打ちをしたかということである。
自分たちはソビエット側の洗脳教育を受けた以上、その小宇宙の中で、つまり捕虜収容所の中はエリートになれたわけである。
エリートという特権を得たが最後、その特権に胡坐をかいて、執拗に同胞をつるし上げたわけで、こういうことがあったということはものの本で読んだことがある。
この投稿者は同胞による同胞の吊るし上げという言い方をしているが、吊るし上げということはいわゆる「虐め」なわけである。
かっては、団体交渉という言い方で、この吊るし上げがあらゆる企業、あらゆる組合で頻繁に行われたが、これはいわゆる今の言葉で言い換えれば「虐め」なわけである。
団体と称する多数で、少数の経営者を苛め抜いて、要求を通させようとしたわけである。
ソビエットの洗脳教育を受けた連中が、引き上げ船で舞鶴についたとき、下りるやいなや「天皇制反対」などと、後の革新勢力のお先棒を担ぐ嚆矢となったわけである。
ことほど左様に、後ろ盾があると急に威張りたがるというのは、われわれの民族の本質的は特質なのかもしれない。
戦争中は天皇陛下という傘に隠れ、戦後はアメリカ進駐軍の傘に隠れ、アメリカの民主化に波に便乗してソビエットの手先となり、民主化という大義名分のもと、旧秩序の破壊にこれ努めた結果が今日具現化しているわけである。
旧国鉄というのは、こういう引揚者を雇用対策の一環として大勢雇用したが故に、国鉄の労働組合というのは共産主義者の巣窟と化してしまったわけである。
シベリアに抑留された世代は、戦後の第1世代とは多少年齢差があるが、人間の成育というのは、世代の影響を受けずにはありえないわけで、戦中世代が価値観の大転換を迫られた姿を見ながら育った戦後第1世代も、当然その影響は残っているわけである。
その影響というのが旧秩序の破壊ということはいうまでもない。
事態がここまでくると、もう旧秩序の破壊ではなく、新秩序の維持といわなければならないかもしれない。
新しい支配者としてのアメリカ占領軍が確立した新秩序というものを金科玉条として、それを最善のものとして、少しでもそれを変えると、すぐに昔の軍国主義に舞い戻るという思考に犯されてしまったわけである。
こういう思い込みに陥るということは、我々が自分の頭でものを考えないということだと思う。
軍国主義に洗脳されるといとも簡単に軍国主義者となり、共産主義に洗脳されると、これまたいとも簡単に共産主義者になってしまうということは、それを如実に物語っていると思う。
アメリカが新秩序を確立すると、それが最善のものだと思い込んでしまうのも、自分の頭でものを考えないという立派な証拠ではないかと思う。
こういうことを継続し続けてきたのが、戦中派の世代から、戦後の第1世代であったわけで、その影響が今戦後第2世代に引き継がれているものと思う。