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ゆうき れいいちろう

結城禮一郎

ゆうき れいいちろう

1878(明治11)〜 1939.10.17(昭和14)

明治・大正・昭和期の出版人

埋葬場所: 9区 1種 20側 19番

 山梨県出身。号は桂陵。父は幕末の京都見廻組に属し新撰組にも出入り(新撰組に属したという確実な史料は無い)し、のちキリスト教伝道者となった結城無二三。
 1896(M29)麻布中学校卒業。青山学院高等普通部に入学するが、のち中退して国民新聞社へ入社。 同社で徳富蘇峰(6-1-8-13)の指導のもとに記者として活躍、『国民新聞』の名三面主任として注目を浴びた。 1907(M40)には大阪で『帝国新聞』の創刊に参加。のち、'16(T5)玄文社創立に参画、雑誌ジャーナリズムに新風を吹き込んだ。 主な著書に『江原素六先生伝』、中公文庫から『旧幕新撰組の結城無二三』などがある。 享年61歳。

<物故者事典など>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*墓所は正面左側に「結城禮一郎之墓」、右側に「結城家之墓」が建つ。墓誌は二基。「結城禮一郎之墓」の墓碑筆は徳富蘇峰による。

*父の結城無二三の墓は山梨県山梨市にある「塔の山霊園」にある。建立者は結城禮一郎。

*1924.7(T13)結城禮一郎は息子たちに『お前達のおぢい様』という書籍を刊行。 結城無二三が新撰組に関わっていたことや坂本竜馬暗殺に関してのことが記されている。 '68(S43)禮一郎の次男の結城雄次郎(S63.2.6没 同墓)が『実録差出の磯 : 新撰組生き残り結城無二三伝』を刊行。 また、'76結城禮一郎の『旧幕新撰組の結城無二三』が再版される際に、禮一郎子息の結城慎太郎(H3.7.20没 同墓)による「この本のこと父のこと」が付された。 また、同墓には成蹊大学講師で成蹊会に属していた結城健之(H15.11.9没)も眠る。


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