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ゆもと たけお

湯本武雄

ゆもと たけお

1895.5.30(明治28)〜 1974.8.15(昭和49)

昭和期の大蔵官僚

埋葬場所: 3区 1種 9側 9番

 長野県出身。父はヘルバルト教育学を普及に尽力した湯本武比古、よし(共に同墓)の長男として生まれる。
 1918.11(T7)文官高等試験合格。'19.8.7 東京帝国大学経済学部卒業し、大蔵省に入省して理財局に配属される。同.11〜'24.6 財務書記、英仏駐在、専売局書記 兼 財務書記、を経て、司税官・亀戸税務署長に就任した。'24.9 営繕管財局事務官 兼 大蔵事務官・営繕管財局総務部・理財局、'27.5(S2)大蔵事務官・英仏駐在、'32.1 理財局、'33.5 大蔵書記官・理財局国庫課長となる。
 '37.5 銀行検査官 兼 大蔵書記官・理財局、'38.6 海外駐●財務官・中華民国駐在 兼 北支那方面軍特務部付 兼 中華民国大使館付、'30.5 英仏駐在、同.6 兼 英国大使館付 兼 仏国大使館付、同.12 独国 兼 伊国駐在、同.12 兼 独国大使館付・伊国大使館付と、太平洋戦争中は海外駐在を歴任し、'45.6 帰朝。同.8.15 終戦を迎え、戦後対策企画室長に就く。同.10 辞職。
 戦後、'52.10 大蔵省参与、外務省参与して復帰。翌月からは初代 国際通貨基金(IMF)理事・国際復興開発銀行理事も兼任した(〜'56.10)。なお IMF の後を継ぎ、2代目を務めたのは渡邊武(14-1-1-10)。'56.11 大蔵省参与と外務省参与を辞す。'57.8〜'66.8 日本銀行監事を務めた。享年79歳。

<大蔵省人名録>


*墓石前面「湯本家之墓」、裏面「大正十五年九月廿七日 湯本武雄 建之」。左側に墓誌があり湯本武比古、よし 両親から刻みが始まる。妻は とし子。

*●は(質+りっとう)の一文字。


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