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よしざわ とおる

吉澤 徹

よしざわ とおる

1874(明治7)〜 1939.2.27(昭和14)

明治・大正・昭和期の教育者

埋葬場所: 15区 1種 15側

 長野県出身。号を曲川。英学を修め、英語教諭として、愛媛県立松山商業学校に奉じ、後に東京府立第一商業学校に転じた。
 1928.1(S3)東京府立第三商業高等学校が創設され、初代校長に着任。「リトルジェントルマンをつくる三商教育」を掲げて、当時としては珍しい海外修学旅行や制服に「ブレザー・ネクタイ」を採用するなど、生徒たちには常に国際社会を意識させる教育を行い、学校の基礎を築く。「リトルジェントルマンをつくる三商教育」を受けた卒業生たちは、その後、わが国の実業界や経済界の中枢を担う人材へと成長。昭和初期には珍しい取り組みや教育指導方針を実践したため、型破りな教育者と称された。
 '38 正5位に叙され、勲6等を賜った。在任中に急性肺炎で急逝。享年64歳。急逝に伴い、東京府立第三商業学校保護者會 東京府立第三商業学校同窓會 東京府立第一商業学校同窓會有志が弔慰金募集を行った。教え子や父兄、同窓生 1920名が「報恩」のため寄附し、半年間で総額「壹萬四百六拾参圓七拾四銭」(1万462円74銭)が集まった。集まったお金の一部で多磨霊園に吉澤家の墓地・墓誌が建碑された。
 昭和15年に刊行された謄写版刷りの「追悼録」の資料によると、集まった寄附金で墓地購入 及 墓標玉垣 等 建設費一切の費用にもあてられ、その金額は2563円10銭である。多磨墓地墓前祭の費用は298円26銭。なお墓石が建立された昭和14、15年の公務員の初任給は75円(現在は約20万円)、はがき1枚2銭、コーヒー1杯15銭、生ビール1杯50銭、様々なレートから鑑みると当時の1円は現在の価格で約2600円前後。よって、墓地の価格は単純に1円が2600円とすると約666万、墓前祭は約78万円である。
 また集まった寄附金の総額1万462円74銭を現在の価格に置き換えると、約2千720万1200円もの寄附金が集まったことになる。吉澤が亡くなった後、50年間、教え子たちにより墓参会が続けられ、'89(H1)には新しく吉澤徹の顔レリーフがはめ込まれた記念碑が墓所に建立されていることから、長きに渡り教え子たちに愛された教育者である。

<吉澤先生墓誌の碑文など>


墓所 墓所 よしざわ とおる 墓誌

*墓石は和型「吉澤徹之墓」、裏面「昭和十四年十二月 東京府立第三商業学校保護者會 東京府立第三商業学校同窓會 東京府立第一商業学校同窓會有志 建之」と刻む。墓所左に顔レリーフがはめ込まれた「吉澤徹先生」碑が建つ。裏面「平成元年十二月建之 府立三商 同窓生」と刻む。墓所右側に墓誌が建ち、吉澤徹から刻みが始まる。妻は幸(S39.1.7没)、長男の潤(まさる:H7.10.12没)、潤の妻の八重子(H27.6.12没)。吉澤潤は出版人・教育学者。墓所右手前に墓所建立時の際に建之された「吉澤先生墓誌」の碑が建つ。墓誌には享年66と刻む。裏面は「昭和十四年十二月 東京府立第三商業学校保護者會 東京府立第三商業学校同窓會 東京府立第一商業学校同窓會有志 建之」と刻む。


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