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やざき のりまさ

矢﨑憲正

やざき のりまさ

1913.5.4(大正2)〜 2004.1.13(平成16)

昭和期の弁護士、法務官僚

埋葬場所: 24区 1種 34側

 東京出身。高松・奈良・山口の地裁所長を務めた判事の矢﨑憲明(1869-1957.12.18 同墓)・けさ(1874-1953.9.11 同墓)の長男。
 旧制松江高等学校を経て、1937(S12)京都帝国大学法学部卒業。最高裁判事局第一課長、東京地裁判事を経て、'54最高裁秘書課長 兼 広報課長となる。 '63刑事局長、'65人事局長に就任。'71千葉家裁所長、'73浦和地裁所長、'75東京地裁所長、'76広島高裁長官を務めた。
 '78退官し、弁護士登録をして弁護士業務をしつつ、東洋大学教授として教鞭をとった。 主な著書に『犯罪證據』(中村治郎と共著)、『犯人の肉体的痕跡抄』などがある。肺炎のため東京都小金井市の病院にて逝去。享年90歳。葬儀・告別式は東京都杉並区南荻窪の願泉寺で営まれた。

<物故者事典>
<訃報記事>
<墓誌より>


*正面「矢﨑家之墓」。右側に墓誌があり、戒名は大空院殿憲法正宗大居士。 墓誌には「二〇〇四年一月一三日歿 九二才 雲峰寺雄禅師授戒 / 正三位勲二等旭日重光章 / 一九一三年五月四日生 奈良山口各中学 松江高校 京都大学 東京地裁高裁各判事 最高裁事務次長 東京地裁所長 廣島高裁長官 東洋大学教授 武徳会剣道八段範士」と刻む。

*妻の和子(-2006.1.6 94才)は実践女学校英文科卒業し英語教師を務めた。戒名は正法院慶雲和光大姉。 同墓所には憲正と和子の長男の矢﨑憲弘(-2003.9.25 58才)も眠る。矢﨑憲弘は1970日立製作所入社し、半導体事業部、設備開発部に属した創造力豊かな発明家で、「半導体ウエハのブレーキング装置」(1992)や「光通信モジュール」(1997)などを開発し、光半導体装置や光電子装置の製造方法や光モジュールなどで特許を取得してきた技師である。戒名は徳温院機観弘道居士。 また、3女の村上知恵子(-2000.3.21 58才)も眠る。村上知恵子は東洋英和を卒業。神戸地方裁判所長を務めた判事の村上数一の妻であり、分骨されている。戒名は慈法院敬室智光大姉。 なお、矢﨑憲正の父である矢﨑憲明は墓誌に「判事 従三位勲三等 高松奈良山口地裁所長 弓道」と刻み、戒名は大雲院殿憲徳明法大居士。母である矢﨑けさ は「定胤管長授戒」と刻み、戒名は恵林院快川清浄慈眼大姉。


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